マルクス主義の正しい理解についての天の神々による説明

(以下、天と神々のプロジェクトの了解のもとに
知人にあてた「神とともに歩むマルクス主義」
のホームページを紹介しながら
論じた内容です)

こんにちは
天と神々のプロジェクトに頼まれて
地球全体への社会主義地球政府樹立への
毎日のメッセージとホームページづくりで
忙しくしていて失礼しています。

膨大なホームページに一つのページから
行くことができるリンクページです。
http://auwa.sakura.ne.jp/wakusei1/index.html

その中に「神とともに歩むマルクス主義」の
ホームページがあります。
天から「マルクス主義」の位置づけについて
次のように説明がおりています。

1300年前に宇宙根底の神々が思念体を
未来に時空に重ねて確認したところに
よれば、資本主義と国民国家という
人間の魂にとって最悪の時期が
やってくることがわかった。
そして人間が資本主義と国民国家を
克服しないかぎり、水のない惑星になり、
星々にとって全宇宙で生命を育てるのに
もっとも適した地球が、人間はおろか、
生命のない星になってしまう、
ということが1300年前に確認できた。

天の神々はプロジェクトチームをつくって
長年研究してきた。
そして資本主義と国民国家を超える
社会主義地球政府に人類を導くことを
決定した。

マルクスとエンゲルスの時代の資本主義の
勃興期にあまりにも労働者が悲惨であった。
そこで神々は、社会主義地球政府の
思念体構造のうち、生産手段共有の
社会主義思想をマルクスとエンゲルスに
おろした。

2012年から天と神々が長年準備した
社会主義地球政府プロジェクトはじまり、
マルクス、エンゲルスの時代に
おろすことができなかった
非顕在世界と国民国家の側面を含めて、
天の文書として天と神々のホームページに
載せた。

「神とともに歩むマルクス主義」の
ページでは、マルクス、エンゲルスの文献の
重要ポイントを正確に説明する
というページがあります。
これです。
http://auwa.sakura.ne.jp/jmarxism/jmaterialism/index.html 
弁証法的唯物論(目次)

1,『フォイエルバッハ論』エンゲルス 2,『資本論』マルクス
3,『空想から科学へ  社会主義の発展』エンゲルス
4,『資本主義的生産に先行する諸形態』マルクス
5,『経済学・哲学草稿』マルクス
6,『反デューリング論』エンゲルス

その中の『空想から科学へ  社会主義の発展』エンゲルス の解説の最初の部分を紹介します。
http://auwa.sakura.ne.jp/jmarxism/jmarxism/jmaterialism/3jutopia.html 

「イギリスで労働者の利益のためにおこなわれた社会運動やほんとうの進歩はすべて、オーウェンの名と結びついている。
こうして五年間努力したのちに、彼は一八一九年には工場における婦人・児童労働を制限する最初の法律を通過させた。
こうして彼は、イギリス全体の労働組合が単一の大労働組合連合に合同したときの最初の大会の議長をつとめた。」(空想から科学へ  社会主義の発展』エンゲルスより)

(天の神々による説明)
この記述は、ロバート・オーウェンについである。
ロバート・オーウェンは、歴史上、最初の社会主義者である。
オーウェンの社会主義理論は、生産手段の共有であった。
マルクス、エンゲルスの社会主義は、オーウェンと同じである。
マルクス、エンゲルスは、オーウェンから社会主義を学んだ。
生産手段の公有は彼等の考えにはなかった。
これは今日の時点できわめて重要な論点である。
今、資本主義経済の崩壊が近づきつつある。 資本主義の崩壊のカタストロフィを抜け出る唯一の道は
、オーウェン、マルクス、エンゲルスの社会主義なのである。

ERNESTO CORTAZAR- Under the rain together (video inspired by god of star)




前回、紹介しましたように
最重要な論点が、マルクスとエンゲルスの社会主義は
生産手段の共有であって
スターリン以後の20世紀の社会主義は
生産手段の公有(国有)であり、
社会主義ではなく、歴史の歯車を逆にまわしたものである
という点です。

(このページに簡潔に紹介しています)
「生産手段共有と20世紀社会主義」
「生産手段共有が社会主義、国民国家を超える」

生産手段の共有は
マルクス主義の核心部分であり
マルクス主義者はマルクスの疎外論を根本におきなさい
とあります。

どういうことか。
生産手段共有の社会主義は
2012年12月から始まった天と神々のプロジェクトの
社会主義地球政府の一環としておろされている。
天と神々のプロジェクトは人類の魂を永遠の生命に導くものであり
生産手段の共有の社会主義は、魂を永遠の生命に導くために
欠かせないものであると。

それを理解するためには
天と神々のプロジェクトが100万年前に
おこなった魂プロジェクトを理解する必要があります。
存在世界は顕在と非顕在の対立の統一である。
顕在世界は時空の中で展開している。
非顕在世界は、時空もたない。
人間の「私」意識は、非顕在世界にあり
100万年前、宇宙根底の星の神の「私」意識から
分離してできた「私」意識である。
宇宙根底の星の神の「私」意識を分離して
もう一つの「私」意識をつくるためには
宇宙根底の時空からも切り離して
人間の身体にしかセットできない「私」意識である。
すなわち時空のない非顕在の星の思念体の一点から
時空に繰り返し人間の身体を得て人生をおくっている存在である。

100万年前の魂プロジェクトで人間の「私」意識(魂)を
宇宙根底の神のもとにもどして永遠の生命とするために
人間の「私」意識Sが時空VOと離れるならば魂の苦悩を
人間の「私」意識Sが時空VOと統一を強めるなら魂の喜びを
感じるように設定したというのです。

エンゲルスとマルクスにおろした弁証法的唯物論は
それを身につけるならば、「私」意識Sが時空VOと統一し
永遠の生命に導くためのものだった。
唯物論とは時空の特定点(時空の事実)にもとづいて
思考することです。
宇宙根底の神の「私」意識は時空に重なっており、
時空の特定点にもとづいて唯物論的に思考する「私」意識は
神のもとにもどって永遠の生命なるというのです。

同じようにマルクス、エンゲルスにおろした生産手段共有の
社会主義思想も永遠の生命に導くものです。
資本主義や20世紀社会主義は、
「私」意識Sと時空の労働VOは統一されておらず
労働の中で「私」意識と時空は乖離を強めます。
(これがマルクスの疎外論です)
生産手段を共有し、
関係者による民主的合意ですすめられる労働は
「私」意識Sと時空の労働VOは統一を強めます。
生産手段共有の社会主義は労働者の「私」意識Sが
時空での労働VOを統一していきます。

今、ベネズエラ革命の中で推進されている生産手段共有の
社会主義は、労働者の「私」意識Sと時空の労働VOを
統一し、労働者を永遠の生命に導きつつある。

21世紀の社会主義は、マルクスとエンゲルスにおろした
生産手段共有の永遠の生命に導く本来の社会主義の道を
進んでいるとあります。

天と神々のプロジェクトは全世界の社会主義者、共産主義者に
21世紀の生産手段共有の社会主義運動に合流せよと
呼びかけるとともに
中国の共産主義者に対しても生産手段共有の本来の
マルクス主義を実現するなかで中国のかかえる困難を
のりこえて進むことができるというメッセージを発しています。

「神とともに歩むマルクス主義」のページから
神々のプロジェクトチームによる『資本論』の解説を紹介します。
http://auwa.sakura.ne.jp/jmarxism/jmaterialism/2jcapital.html
マルクスの『資本論』の第二抜粋の二回目のカ所です。

「他方では、1848年から現代までの時代、すなわち10時間労働日の時代のイギリス工業の激しい前進が、1833年から1847年までの時代すなわち12時間労働日の時代を凌駕していることは、後者が工場制度の開始以来の半世紀すなわち無制限労働日の時代を凌駕しているよりもずっとはなはだしいのである。」(マルクス『資本論』)

(天の神々による説明)
この記述は、労働時間についてである。
労働時間は、資本主義の始まりにおいて制限がなかった。
労働者の運動によって労働時間が制限されるようになった。
労働時間は制限されても、労働内容は強化された。
強化された労働が労働者に苦しみを与えてきた。
資本主義における労働者は、労働の内容を決定することができない。
労働時間は、資本家に売られている。
労働時間の労働は、労働者に属さない。
労働は、「私」意識S(魂)のVO活動である。
資本主義においてVO活動の労働と魂Sの「私」意識は
切り離されている。
顕在時空のVO活動と非顕在のS(魂)の「私」意識との
間の対立が、強化される。
時空と「私」意識の対立が強化されるとき、魂は苦悩する。
社会主義においてVO活動の労働と、魂Sの「私」意識は、
統一されている。
関係者による生産手段共有の社会主義は
、関係者の合意で運営される。
社会主義の労働においては顕在時空の
VO活動と非顕在の魂Sの「私」意識との統一が強化される。
時空と「私」意識との統一が強化されるとき
、魂は喜びと楽しみの中にある。
生産手段共有の社会主義は、時空と「私」意識を統一する。
時空と統一した「私」意識は、身体崩壊後も地球の時空にそのまま生き続ける。

FREDERIC DELARUE - From My Heart (video inspired by god of star)



こんにちは
つづきです。

(1) 階級と階級闘争の概念

天の神々がマルクスにおろした
階級と階級闘争の概念が
ネガティブ神にゆがめられて
理解されているとあります。

階級とは、生産手段の所有、非所有
によって人間集団を分類する概念であり、
それ以外の意味をもたない。
それ以外の意味は、ネガティブ神が
つけくわえた。

階級闘争とは生産手段への接近を
めぐる民衆の闘いを意味し、
それ以外の意味をもたない。

(2)資本主義以前の階級社会=農業生産力段階
における階級と階級闘争

資本主義以前の農業生産力段階における
階級闘争は、生産手段公有における
無所有から民衆が生産手段に接近し、
最終的にイギリスのヨーマンの形で
独立自営農民が成立した。
農業生産力段階における階級闘争は、
生産手段公有の無所有のもとで
生産手段の個人所有の確立をもって
階級闘争は完全に勝利した到達点に達した。

天と神々がマルクスにおろした
資本制生産に先行する諸形態』は前近代の
生産手段への人々のかかわりを
おおざっぱに示したものであり、
生産手段への接近度について説明してある。
生産手段への接近度は
歴史的に階級闘争の成果として進んできた。

「神とともに歩むマルクス主義」の
ページから神々のプロジェクトチーム
による『資本主義的生産に先行する諸形態』
の解説を紹介します。
http://auwa.sakura.ne.jp/jmarxism/jmaterialism/4jshokeitai.html
『資本主義的生産に先行する諸形態』の
第一抜粋の一回目のところです。

「この統一体が現実の所有者であり、
また共同体的土地所有の現実的な前提
でもあるから、この統一体そのものは、
これらおおくの現実的な特殊な共同団体の
上に立つ、一つの特殊なものとして現れる
ことができるのである。
そこでこの場合、個々のものは事実上
無所有である、
つまり所有・・・すなわち
個人のものとして、客体的なものとしての、
労働と再生産の自然的諸条件にたいする
個人の関係、彼の主体性の非有機的自然
として現存する肉体・・・に、
多くの共同団体の父である専制君主に
具現される総合統一体が、特殊な共同体を
介して個人に委譲する結果、個人にとって
間接的なものとして現れる。」
(マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』)

(天の神々による説明)
この記述は、農業生産力の場にもとづいて
成立する構造についてである。
農業生産力の場は、生産手段の公有の構造
を成立させる。
生産手段の公有は、誰も生産手段を
もたないことを意味する。
所有とは、使用、譲渡、処分を
決定する権利である。
生産手段の公有のもとでは社会の代表が
生産手段の使用、譲渡、処分の権利をもっている。
これは、公有のもとでほんの少数の社会の
代表者が生産手段を所有していることを
意味する。
多くの人々は生産手段をもたない。
これが、資本主義以前の生産関係であった。」

(3)生産手段公有の20世紀社会主義は歴史の歯車を逆に回した。

20世紀の社会主義は生産手段の公有を
採用したが、それは事実上、前近代の
生産手段の公有と同じことを意味した。

生産手段の公有とは、誰もが生産手段をもたないことを意味する。
所有権とは、使用、譲渡、処分の権利を意味するが、
生産手段の公有とは社会の少数の代表者のみがもっており、 一般の人々は生産手段を所有しておらず、
20世紀の社会主義とは階級社会だったのである。
階級闘争とは、生産手段の所有をめぐる
社会運動のみを意味し
20世紀の生産手段の公有を掲げた
社会主義運動は階級闘争ではなく
20世紀には、階級闘争は消滅していたのである。

(ユーゴスラビアだけが生産手段の共有
という正しい道を進んでいたが、
そのためにネガティブ神の猛烈な攻撃に
さらされてつぶされた。
ユーゴスラビアの共産主義者が間違った
道を進んでいたわけではないと
天と神々はおろしてきています)

(4)資本主義における階級闘争とは生産手段共有をめざす社会運動を意味する。

前近代の階級闘争が、生産手段の無所有
から個人所有への闘いだったのに対して
天と神々は、『資本論』の個人所有の復活という記述は、
生産手段の共有を意味し、それ以外は誤読であると論じています。

生産手段の個人所有が資本主義の発展の中で、
人々が生産手段を失います。

(ちなみに生産手段を失った人という意味がプロレタリアートであり
プロレタリアートに他の意味をつけくわえたのも
ネガティブ神であるとあります。
今日、誰もが、経営者までがやとわれて働く
プロレタリアートになっているととえらえるのが、
マルクスの用語を正確に理解した場合の使用方法であると)

資本主義が発展すればするほど、
誰もが生産手段をもたない雇われて働く
人々になる。

『資本論』では、この生産手段をもたない人々
が生産手段を共有しようとする社会運動の階級闘争の帰結として

社会主義を成立させるという文脈の中で、個人所有の復活を述べているのであり、
それは、生産手段の共有である。
決して生産手段の公有ではない。

この理解の歪曲は、ネガティブ神に
操作されたスターリンが生産手段共有が
社会主義であることを正確に理解していた
社会主義のリーダーを全員殺して
生産手段の公有をもって社会主義と宣言
ししたことに始まる。
スターリン批判のできる知性ある
マルクス主義者までが、マルクスの
資本論の個人所有の復活を生産手段の共有
として読み取ることができないのは
ネガティブ神が正確な理解を封じていたからである。

2013年3月に地球の非顕在世界で
ネガティブ神を天と神々を地球全域でが封じることに成功した。
それゆえ、今まで理解力を封じられていた
知性あるマルクス主義者が資本論を正確に
理解できる時代がやってきている。

(5)真の意味での階級闘争の復活である21世紀の社会主義運動

工業生産力の場に成立している生産手段私有の
資本主義における階級闘争とは、
生産手段の共有をめざす社会運動であり、
20世紀には生産手段共有をめざす
階級闘争は消えていた。

21世紀になり「21世紀の社会主義運動」
の名のもとに生産手段共有をめざす
階級闘争がラテンアメリカで復活している。

人類は、本当の意味での階級闘争を
おしすすめて、生産手段共有、
すなわち関係者によって共有される
社会主義会社のネットワーク経済としての
社会主義経済をつくりあげ、
これからやってくる資本主義崩壊の破局
から抜け出るべきである。

天と神々のプロジェクトからこうおりてきます。

(生産手段共有の社会主義を押し進めるベネズエラの労働現場と議論の様子がわかる映像です)
5 Factories: Worker Control in Venezuela








H.P. of socialist earth government (天と神々による社会主義地球政府のH.P.)

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