(Human beings live in mind of parent god)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce poems of member of Heaven and explanation of assistant Mitsuki.
This corner is about human.
Human beings live in mind of parent god.
Poem is inspired from parent god.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです
私たち天と神々のプロジェクトは天のメンバ-の詩とアシスタントミツキによる解説を紹介しています。
このコ-ナ-は人間についてです。
人間は親の神の心の中に生きています。
詩は親の神からのインスピレ-ションが引き起こしたものです。




(loving everything  This poet expressed deep truth)

みんなを好きに (video inspired by god of star)



みんなを好きに

私は好きになりたいな
何でもかんでもみいんな

ネギも、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな

うちのおかずは、みいんな
かあさまがおつくりになったもの

私は好きになりたいな
誰でもかれでもみいんな

お医者さんでも カラスでも
残らず好きになりたいな。

世界のものはみいんな
神さまがおつくりになったもの


私のコメント

好き嫌いしないで、
お母さんがつくってくれる料理は
どれも好きになりたいな

この世のすべて(自分も含めて)は
神さまがつくったものだから、
この世のすべてを好きになりたいな

この世のすべてが好きになれて
人生がおくれたら
どんなにすばらしいことでしょう

神さまがこの世をつくったって!
そんなばかなという人がいるかもしれません。

神を論じる時、
私たちは証拠と体験にもとづいて科学的に判断しなければなりません。
証拠も体験もないのに頭から神様を信じるべきではないと思います。
神様がいないという証明もできません。
だから、神様がいるかいないかは保留しましょう。

その上で、この詩から、金子みすゞが、自分を含めて全宇宙をつくった神があり、いわば、この宇宙にあるすべての人や生き物や存在たちは、すべて「私」の兄弟、姉妹だと考えていたことがわかります。
この大宇宙は、一つの神を父母とする家族です。
あの星も、あの月も、あの木も、あの猫も、私たちは、みいんなこの大宇宙の一つの家族の一員だよ、ということになります。
だから、この世のみいんな、好きになりたいんですね。


大人用コメント

「この世界はすべて神様が作ったもの」という把握は、多者=一者の非二元(ワンネス)の思想としても解釈できます。
つまり、柿の木があるとしましょう。
「この柿の実は、すべてこの柿の木がつくったもの」とすると、柿の実(多者)は、柿の木(一者)の一部であり、多者と一者は別ではありません。
柿の実が、自分は柿の木の一部であるという真実をしれば、柿の実は自分は柿の木であるというアイデンティティをもちます。最大限に大きな心をもちます。

たしかに、これは宗教的な二元論でも解釈できます。
この世界とは別のところに神様がいて、この世界をつくったというのが、宗教です。
神と人間は別です。
あるいは、人間が悟って、仏(神)となるという考えは、人間と仏(神)は別の世界に属しており、二元論です。
宗教は二元論を特徴としており、そこから心の完全なる解放は不可能です。
私たち自身が一者(神)の一部であるという自覚にたつ時、私たちは神の性質に近づきます。

金子みすゞのこの思想を、二元論の方向ではなく、非二元(ワンネス)の方向に発達させてゆきたいですね。


This poem is that everything of this universe is made by gods of star.
This is truth.
Gods of star made earth full of life.
Loving everything means loving gods.

( mystery  Base of universe is unity of conflict between ectoplasm of gods of star and time-space of Higgs particle)

『不思議』 詩 : 金子みすず 作曲 : 鳥居サチ (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩の紹介です

不思議

わたしは 不思議で たまらない
黒い くもから ふる あめが、
銀に ひかっている ことが

わたしは 不思議で たまらない
青い くわの は たべている、
かいこが 白く なる ことが

わたしは 不思議で たまらない
たれも いじらぬ ゆうがおが
ひとりで ぱらりと ひらくのが。

わたしは 不思議で たまらない
だれに きいても わらってて
あたりまえだ、 と いう ことが。


解説
どうして、黒い雲から降ってくる雨が、銀色しているんだろう。
どうして緑の葉っぱをたべているのに、カイコは白いのだろう
どうして夕顔の花は、なにもしないのに、自然と咲くんだろう
どうしてみんな「あたりまえのことだよ」というんだろう。
不思議だなあ。
と、こういう意味です。

不思議といえば、あなたが心をもち、私が心をもつことが、一番不思議ではないでしょうか。
そんなことを不思議とおもった人はいませんか。
あなたは何を不思議に感じますか。
地球上に生命が誕生する前は、地球には、土や石、水、空気、光しかありませんでした。
地球の表面の土や石、水、空気、光が、変化して、私やあなたになったのです。
どうして、土や石、水、空気、光の中から心が生まれたのでしょうか。
これが一番、不思議だなあと私は思います。
どんぐりの種が生えて、どんぐりの木になることは、はじめのどんぐりの中に木の要素があったということです。
だから、私が考えた結論は、はじめの土や石、水、空気、光の中に「心」の要素があったというとです。
土や石、水、空気、光などは、「心」が固まってできたものだと考えるようになりました。
土や石が心のもとを持っているから、地球の表面が変化して、私たちが生まれ、私たちの「心」が生まれたのではないでしょうか。


メールありがとう
「 私が不思議と思うのは人間は誰も教えてないのに生まれたての時に息をすることを知ってるのが不思議だと思います」
「私も…ナゼ心が生まれたか…不思議です
誰かを好きになったり…嫌いになったり…悲しくなったり…なんか…スゴィ当たり前のょぅに思えるのですが…とても不思議でなりません…。
でも心があって良かったです…。
嫌いになる気持ちゎィャですが…誰かを好きになる気持ちゎ素晴らしいし…大切な気持ちだから☆彡」


本当にそうですね。
前にテレビでやっていたけど、鳥のたまごを温めてヒナが卵をわってでてくるところをやっていましたが、その時、先に卵を割ってでてきたヒナが、自分の弟の卵だけをつつって、中から弟や妹がでてくるのをたすけるんです。
どうして、生まれたばかりのヒナが、たくさんある卵のうち、自分の兄弟のたまごだとみわけることができるんでしょうか。
不思議でした。

わたしが今、研究している人の見方では、この世界の後ろにひとつの大きな心があるのです。
その心が生まれた時に息をするようにしているのです。

あなたの心がありますね。
心の奥に「私」という意識がありますね。
何も考えなくても心の中心に「私」という意識がありますね。
その「私」という意識は、大きなひとつの「心」の一部分なのです。
だから、本当は、私たちは、「ひとつ」なのです。
と、私は最近、おもうようになりました。
ちょっと、むずかしすぎて、ごめんなさい。


金子みすゞの「不思議」の詩の感想とわたしのコメント

高校三年生の人からいただいた感想とそれに対する私のコメントを紹介します。みなさんも、不思議について何か他に感じることがあったらメールください。

「私はそもそも『私』が本当に『いる』のか不思議で堪らない。
足下がふわふわしていて、でも、銀のドアノブに触れるし、木の感触や、熱いという事も感じる。
今の自分は一種の思春期に入っているのかもしれないけど、考えても切りがないし。
先生がおっしゃった『心』の考えは良いと思う。
面白かったです」

というメールに私は次のようにコメントしました。

 「私はそもそも『私』が本当に『いる』のか不思議で堪らない」

=目をとじます。
花を思い浮かべます。
「私」は「花」を「思い浮かべています」です。
英語なら、I「私は」image「思い浮かべる」a flower「花」 の 順番です。
「私」の心は、思い浮かべるという活動して「花」となります。
 その時、心の材料は、「私」「活動」「花」の三つの部分に分かれます。
目を閉じて、「花」のイメージを消します。
「思い浮かべるという活動」をやめます。
そうすると「私」は存在するという感覚だけがのこります。
心の活動をやめたのに、誰が「わたしは存在する」と感じているのでしょう。実は「私」を奥から見つめている、奥底の「見つめている私」があるのです。その「私」はすべての人の奥底の「私」とつながっています。
隠れてわるいことをしてもどんなことをしても、奥底から常に「見つめて」います。
 人生の道に迷ったら、奥底の「みつめている私」のところまで心を澄(す)ましてから判断すると、良い判断になります。
どんなときでも落ち着いて行動できるようになります。

「足下がふわふわしていて、でも、銀のドアノブに触れるし、木の感触や、熱いという事も感じる」

=感じるのは「私」です。
それを心の奥底の「みつめる私」がただ見守っています。
良いことをしても、悪いことをしても、ただ「見つめて」います。
心の奥底の「見つめる私」は 、すべての人の心を「見つめている私」でもあります。

不思議に感じることについて20歳の人からメールをもらいました。

あなたはなぜ死にたくないのですか?私はなぜ死にたくないのですか?
あなたの生きる目的はなにですか?と問われて自信を持って答えられる人がどれだけいるだろう?たぶん全体の1割にもみたないと思う。
もちろん目的がなければ生きていてはいけないと言う事はない。
ただ食べ、ただ寝、ただ働くだけで生きていける。
現にそうやって生きている人も大勢いる。
私にはそれが動物と変わらないように思えるのだが、自分の価値観を人に押しつける気はない。
長い人生を生きていくうちに、目的をみつけるかもしれないから、死んでるより、生きている方が良い。
と言う理屈もあるだろう。
しかし目的を見つけられなかった残りの9割の人(その内の5割の人は目的を探す事すらしていない)はどうなるか?
小さな目的ならあると思う。
例えば、幸せな家庭を作りたい。
で、その目的が達成されてしまったら、死ぬのか?いや死なない。
また違う目的をたててその目的をめざす。
私の言っている人生の目的はこれが達成できたら、死んでもいい、または死ぬ気でこれに打ち込めるようなやつだ。
死なない理由の一つに自分が死んだら悲しむ人がいるからと言うのもある。
じゃあ悲しむ人がいなければ死ぬのか?死なないだろう…
不思議だ


こころの発達についてこの人のレベルについて次のように考えています。

つまり、かなり発達した、実存的苦悩の段階です。
心の発達について書いた論文の一部をちょっと難しいけど紹介します。

「私6」の病理・・・実存的苦悩

「私6」は、この世の真理が相対的であり、絶対的なものではないことを認識できます。
「あれも正しい、これも正しい」と複数の真理が認識できました。

そして「私6」とは、心の池の最深部にまで達した自己でした。
そこからは自分の心と身体のすべてを見つめることがきます。
その自己は、私のすべてを見る故に、「その終末、死を見る。・・・極度の実存的な不安が忍び込む」

これが、「私6」の特徴的な病理です。
心の中は陰気になります。

トルストイは50歳の時に次のように書きました。

「『なぜ、生きていなければならないのか?
いったいなぜ、それを望まなければいけないのか?』
いや、もう一度言えば、『
私の前に避けがたく待ち受けている死によって破壊されないような人生の意味など果たして存在するのか』

最近、私は同じ言葉を、友人から聞きました。

「おれは、戦争を肯定する風潮に抗して世の中をよくするために最後まで頑張るが、結局、死んだら無になり、意味がないと思っている」 つまり、死についてとらえきれず、ニヒリズムに陥っていました。
その表情は暗くなっていました。
この病理の克服のためには、自己の中心点が、心の池のさらに深い部分に進む必要があります。
それは「超心理=トランスパーソナル=スピリット」の領域です。

瞑想などの継続的なスピリチュアル・プラクティスによって、心の領域を超えて、スピリットの領域に自己を深化させることができます。
それは「私7」です。
「私6」の病理の克服のためには、「私7」に進むスピリチュアリティの道しかありません。


This poem feels mystery about force from base of universe.
Force from base of universe cause various mysterious events.
Base of universe is unity of conflict between ectoplasm of gods of star and time-space of Higgs particle.

( Stones  She knew that everything in this universe include mind of gods of star)

金子みすゞの詩 石ころ マツオカ利休作曲 清水智子141102 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩です。

石ころ

きのうは、子供を
ころばせて
きょうもお馬を
つまずかす、
あしたは誰がとおるやら

田舎(いなか)のみちの
石ころは、
赤い夕日に、
けろりかん


コメント
この金子みすゞという詩人は、普通の人とちょっと違うセンスがあります。
普通の人の目には、「ころんだ子ども」「つまづいた馬」の方に目がゆきます。
しかし、金子みすゞは、普通の人が目にとめない「石ころ」に目がゆきます。

テレビや新聞でとりあげられる大きなできごとや有名人にどうしても目がゆきます。
私たちは、金子みすゞにみならって、「石ころ」に目をむけましょう。
大きなものの下にあって支えている小さなものたちの存在に目を向けましょう。


This poem is about small stone.
Line-of-sight of this poet is toward things which ordinary people do not see.
She knew that everything in this universe include mind of gods of star.

story of Grandmother
There is no difference of communication of same generation

金子みすゞSMC No.37 ばあやのお話 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩です。

ばあやのお話

ばあやはあれきり 話さない、
あのおはなしは 好きだのに

「もうきいたよ」といったとき、
ずいぶんさびしい顔してた。

ばあやの眼には、草山の、
野ばらのはながうつってた。

あのおはなしがなつかしい
もしも話してくれるなら、
五度も、十度も、おとなしく、
だまって聞いていようもの。


コメント

みなさんは、年配の人から、同じ話を聞いたことがないですか。
年配の人は、以前に話したことを忘れて、はじめて話すとおもって
いきいきと話します。

なんども聞いた話は、どんなにいい話でもうっとうおしくなります。
そこでみすゞさんは「その話、もう何回も、聞いたよ」と言ってさえぎったんですね。
おばあさんは、がっくりきて、さみしそうだったんですね。
もう、その話をしてくれなくなったんですね。
みすゞさんは、そのおばあさんの話がすきだったんですね。
五回でも十回でも、同じ話を、はじめて聞いた話のように
聞いてあげたいとおもっているんですね。

たぶん、そのおばあさんは、もう亡くなって
二度とその話を聞いてあげることができないのかもしれませんね。

人を大切にするとは、「心」を大切にすることです。
もちろん、身体を大切して、おばあさんの身体の世話をしてあげることも必要です。
でも、老人はもう用がないみたいに、自分たち家族の会話からはみごにしている人がいます。
老人であっても、若かった時と同じ心がそこにはあります。
私の母はもう90才をこえて、うどけていますが、田舎に帰った時、昔の話を聞きます。
うれしそうです。
おばあさんやおじいさんが身近にいたら、
自分たちの同じ年頃の昔のことをきいてあげましょう。

サーカーの言葉です。
「人間社会には無意味な人はいないこと、無視してよい人はいないことを覚えておくべきです。
100 才の老婆の命も価値あるものです。
彼女は全社会の重要な構成員です。
彼女は排除されるべきではありません。
私たちは彼女の重要性を正しく評価することができないかもしれません。
彼女は社会のお荷物だと間違った考えを持つかもしれません。
しかし、この種の間違った考えは、私たちの無知を示しています」(Ism and Neo-Humanism)


私は、田舎の父親が十数年前に脳梗塞でなくななりましたが、
一年間植物人間のように寝ていました。
意識がないから、いつ死ぬかとみんなベッドの横で話していましたが、私は、意識はあるとおもっていました。
意識があった時の父の先祖のはなしのメモを読んであげると、涙がでていました。

また信じていた浄土真宗のお経の一節の死んだら極楽浄土に生まれるということころを読んであげたら、涙がでて、よろこんでいてくれたようにおもいます。
だから、私は最後の意識をひきとって、火に燃えるところまで大切にしてあげるのがいいとおもいました。


This poem is communication with old person.
There is no difference of communication of same generation.
Relation of human beings is relation of non-presence which has no time-space.
To make up good relation with human is aim of human life.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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