(Poem is inspired from god in water)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce poems of member of Heaven and explanation of assistant Mitsuki.
This corner is about lives.
Human beings live with lives.
Poem is inspired from god of lives.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです
私たち天と神々のプロジェクトは天のメンバ-の詩とアシスタントミツキによる解説を紹介しています。
このコ-ナ-は生命についてです。
人間は生命とともに生きています。
詩は生命の神からのインスピレ-ションが引き起こしたものです。




(Bee and Gods Everything you see is gods of star)

金子みすゞ最期の写真館テーマ曲「蜂と神さま」 作・演出:早坂暁 詩:金子みすゞ 音楽:Luna Luna (video inspired by god of star)



2005年4月
今日は、私は一人の女性と出会いました。
明治時代の26才でなくなった金子みすずさんです。
以前にも名前はみかけたことがありますが、今日はじめて出会いました。
私がサーカーをよみ、そしてケン・ウィルバーの分厚い本を何冊も繰り返し読んだことで、この明治の山口県の田舎で生涯を過ごした女性の詩が迫ってきました。
彼女の心と出会いました。
「私その8」のレベルの人でしょうか。
(テレビで松たかこが主演したり、映画で田中美里が主演したり、演劇で斉藤由紀が主演して有名な人のようですが私は知りませんでした。
小学校の光村の教科書には彼女の詩がのっているそうです)


蜂と神さま

蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに

そうして、そうして、神さまは,
小ちゃな蜂のなかに


なんと、この短い詩の中に、サーカーとケン・ウィルバーの哲学が凝集しています。
そして最近紹介しているウィルバーの心の発達論では、「日本は世界のなかに」すなわちグループ中心思考を超えて、世界中心思考の「私5」に達しています。
そしてさらに「世界は神さまのなかに」とこの世界を「含んで超える」レベルに達しています。
「私、5、、6、7」を設定しているのです。
後ろにもうひとつ詩を紹介しますが、サーカーのネオ・ヒューマニズムと同じ思想です。
サーカーは、あの木の枝だって生きたいのですと無駄に折ることをいましめます。
進化した人間はさらにまわりの生き物を尊重するようになるといいます。
そして、あとの「神さまは蜂のなかに」とあるように、決して、この世を否定してあの世をもとめているのではなく、この世界全体がブラフマ(神)ということであり、この世の肯定につながっています。
つまり、この世のすべてをブラフマ(神)のあらわれとして大切にする視点があります。
スピリチュアルな最高のレベルに達しています。
この人の神は宗教の神ではありません。
サーカーのブラフマであり、ウィルバーの大文字のスピリットなのです。

This poem is about true gods in base of universe.
Gods of star are always with you.
Gods of star overlaps whole earth.
Everything you see is gods of star.

(Cocoon and grave  She knew that she had mission of Heaven)

金子みすゞの詩による「三つの歌」 III.まゆとはか(video inspired by god of star)



まゆと はか

かいこは まゆに
はいります、
きゅうくつそうな
あの まゆに、

けれど かいこは 
うれしかろ、
ちょうちょに なって
とべるのよ

ひとは おはかへ
はいります、
くらい さみしい
あの はかへ

そして いいこは
はねが はえ、
てんしに なって
とべるのよ。


高校生向け解説
みなさんは「かいこ」の白い「まゆ」を見たことがないと思います。
「まゆ」とは、虫がちょうちょとして羽ばたく前の「さなぎ」の状態の外側の殻のことをさします。それは絹糸になります。
この詩は、人間のお墓の棺桶を「まゆ」にたとえているのです。
いったん、虫の形は死にます。
まったく形のちがった蝶になります。
人間の身体もいったん死んで「かんおけ」にはいります。
そして、また生まれ変わるんだよ。
そう、金子みすゞは言っているのです。

私は、そのような何度も生まれ変わる(輪廻=りんね)なんて非科学的なことだと思っていました。
ある時、目を閉じて黙想しながら昔のことを思い出して出してみました。
すると赤ん坊としてこの世に生まれて最初に私の心が思ったことが突然浮かび上がってきました。
その時の意識を文章にしたのが次です。

『あれっ、身体が自由に動かない』
いつものように手足が動かないという感じがした。
束縛(そくばく)されたような不自由な感じだった。
『あっ、そうか、おれ、生まれたばかりの赤ん坊なんだ。少し、待てば、動けるようになるはずだ』
それだけ思って、私の心は消えた。

・ 手足が不自由に感じたのは、母親の胎内で自由に動けた日のことを覚えていたのだろうか。
でも、『赤ん坊だから、まだ動けない。待とう』と思ったのも事実である。
どうしてそんなことを思ったのだろうか。
生まれる前に別の人間だった時の記憶が残っていたのだろうか。


一般向けコメント
サーカーは、人は死んで天国にゆくのでも地獄にゆくのでもない。
その人の心のありようにふさわしいものに生まれ変わるといいます。
生まれ変わった先で天国と地獄を経験するのです。
お金もうけだけ考えてたくさんお金をもちたいと思っていたら、金庫に生まれ変わる。
宗教を信じて、銅でつくった神様の像ばかり念じていたら、銅像に生まれ変わってしまう。
この理屈でいくとたぶん人をいじめるようなことばかり考えていると野獣に生まれるんだと思う。
サーカーは、あなたは、すべての人、すべてのものをブラフマ(神)の現れと見なさい。
そうすると、あなたの心は無限に広がり、より進んだ人間に生まれ変わるといいます。
要するに心は考えたり、念じたりするものに近づくと言うのです。


This poem is that soul of human become eternal life.
She had mission of project of Heaven and gods.
She knew that she had mission of Heaven.

(Lotus and chicken  She noticed deep force which cause moving of whole universe)

蓮と鶏 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩をシリ-ズで紹介しています。わからない人は質問ください。

ハスとにわとり

どろのなかから
ハスがさく

それをするのは
ハスじゃない

卵の中から
にわとりがでる

それをするのは
にわとりじゃない

それに私は
気がついた

それも私の
せいじゃない


コメント
この詩は、とても深いことをいっているのです。
短い詩ですが、むずかしいとおもいます。
とても20才くらいの女の子がつくったとはおもえません。
泥水の中からハスの花が咲きます。
ハスだけの力で咲いているのではありませんね。
ハスの花を咲かせる力はどこからきているのでしょうか。
卵がわれて、ひよこがでてきます。
卵の中でひよこを大きくして卵を割る力はどこから来ているのでしょうか。
あなたは、息をしています。
心臓が動いています。
あなたの心臓を動かしている力はどこからきているのでしょうか。
あなたが心臓をうごかしているのでしょうか。
いえ、いえ、あなたが心臓をうごかそうとおもっても、人生の最後の日に動かしたくても心臓はとまってしまいます。
あなたの心臓をうごかしている力はどこからきているのでしょうか。
あなたの心臓を動かす力も、ハスの花を咲かせる力も、ヒナが卵を割る力も、風をふかせている力も、照りつける太陽の力も、すべて同じ一つの無限の力からきています。
私たちは、その同じ一つの力によって生かされている兄弟であり、仲間です。

大人向けコメント
P.R.サルカールの哲学では、この世界は、根源にあるプルシャ(意識)にプラクリティ(エネルギー)が結合して展開しています。
根源にあるプルシャ+プラクリティ=ブラフマです。
ケン・ウィルバーの言葉では、ブラフマは、大文字のスピリットです。
くわしくは、また別の機会に紹介します。


This poem has deep meaning.
She noticed deep force which cause moving of whole universe.
This is true gods in base of universe.
Base of universe is unity of conflict between ectoplasm of gods and time-space of Higgs particle.

toward Bright
This poem is that everything in this universe is unity of conflict between dark and light

kizuna311 #46 松田美由紀「明るい方へ」朗読 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩をおくります。

あかるいほうへ

あかるいほうへ
あかるいほうへ

一つの葉でも
ひのもるほうへ(つまり、太陽の光のほうへ)

やぶかげの草は(つまり、木がしげっている下の草は)

あかるいほうへ
あかるいほうへ

はねは焦げよと
灯のあるほうへ(つまり昆虫は羽が焦げても、火にむかってゆく)

よるとぶ虫は

あかるいほうへ
あかるいほうへ

いちぶもひろく
ひのさすとこへ(つまり、ちょっとでもひろく、日(ひ)がてっているほうへ)

都会に住む子らは


高校生用コメント
この「明るい方へ」という詩の題名は、まつたかこ主演のテレビドラマの「明るい方へ」という題になりました。
わたしはみていませんけど、どなたかみた人いますか。
葉は明るい方へ伸びてゆきます。
決して暗い方にはのびてゆきません。
虫は明るい方にむかって飛びます。
決してくらい方には飛びません。
草も少しでも明るい方へ伸びてゆきます。
子供たちも、(夏のあつい時は別として)明るいところで遊びます。
まっくらな暗がりにはゆきません。

考えてみるとたしかにそうですね。
この世のすべては、あかるい方にむかっていますね。
暗いところからでてきて明るい方にむかっていますね。



〇〇先生、メールありがとうございます。
本格的に論じたらとてもむずかしい文章になりました。
でも、もし、他に関心もたれて、読まれる方がおられたらうれしいのでみなさんにもおくらせてもらいますね。

〇〇先生のメールです。
「"明るい"と言う概念(であれば)の意味をもっとはっきりさせないと誤解を招くでしょう。
根が地下暗いとこりに広がり、根のお陰で木、枝、花が咲き成長を続ける。
胎児が暗いお母さんのお腹で生き残り立派な赤ちゃんとして生まれる。
夜がなければ昼が成り立たない。
イランの古代文化(女神文化)では太陽が月から生まれた。
つまり明暗の調和が大事であり一方を排除しないことですね。
ちょっと思いつきで許してね」


わたしのコメント
メールありがとうございます。
〇〇先生のおっしゃるとおりだとおもいます。
「明るい」という概念をより深い文脈から述べてみたいとおもいます。
イランは、イスラム圏の独自の精神的波動をおもっており、それは7世紀に生まれたイスラムの勢力下に入っても続きました。
そのイラン(ペルシャ文化)の伝統の一つは、ゾロアスター教に典型的にあらわれている二元論です。
この世界を暗黒の勢力と光の勢力の闘争の場とみます。
(光はアフラマズダの神で、日本の自動車会社の名前のマズダはそこからきていると聞いたことがあります)
〇〇先生にも、この二元論が脈々と流れているなあとおもいます。
もちろん、これは非二元であり、光と闇は、一つの存在の裏表です。
光なしに闇はなく、闇なくして光がありません。
ワンネス(非二元)で考える時に、二つの側面を一つのものとしてみる重要性が理解できます。

でも、イランに古代から脈々とつたわる二元論は、他の文明でもみられます。中国の陰陽説、この世界は陰と陽からなりたっているという説です。
韓国の国旗の太極も二つの陰陽をしめしています。
陰陽が一つで太極(ブラフマ)です。
ヨーガの伝統の中でも、プルシャ(理)にプラクリティ(気)が影響して万物が展開するという思想がながれています。
わたしは、中国の朱熹が、理に気が影響してこの世の万物(太極)をつくっていると論じているのもインドのヨーガ思想の影響ではないかと推測しています。
さらに、現代において、サ-カ-は、光の方向と闇の論に対応するサインチャラとプラティインチャラを論じています。
サインチャラは究極の精妙な状態のプルシャ(意識=理)にプラクリティ(エネルギー=気)が影響して、究極の粗大な物質にいたる過程です。
プラティサインチャラは、粗大な物質がプラクリティの影響を減じてゆき、ついにはプラクリティに対して意識(理)が優勢なってゆく過程です。
光と闇が実は同じ材料からなりたっているようにこの世界のすべては理(意識=プルシャ)が材料です。
材料にエネルギー(プラクリティ=気)が影響をおよぼして、この世界の無限の多様性(多)が生まれるのです。

イランの古代思想が光と闇の勢力は互いに闘争しているように、理(意識、プルシャ)と気(エネルギー、プラクリティ)は、どちらが優勢になるかとたたかっています。
進むべきは、理(プルシャ)の優勢の方向です。
すべての人に理がそなわっています。
プラクリティの影響から脱して、理の方向に進む時、人はより理性のある人になってゆきます。
これは明の方向です。
そしてプラクリティ(気)の影響がつよいほど、心は粗大化して濁ります。
この心が濁った粗大化した方向は、闇の方向です。
サ-カ-のサンスクリット語ではアヴィディヤーの方向とヴィディヤーの方向です。
実は、固体とはもうこれ以上エネルギー(プルシャ)をつめこむことのできない究極の粗大化した段階です。
そこから生命が生まれ、心が成立し、プラクリティの影響から脱しつつあるわたしたちの意識(理=プルシャ)が成立しました。
この天地万物は、粗大から精妙へ、いいかえれば暗黒から明へとすすんでいるのです。
スピリチュアルな意味においては、まさしく「明るい方へ明るい方へ」と万物はすすんでいるのです。

「明るい方へ」と進んでいるからといって暗黒を否定しているのではないです。ホロン構造です。
物質世界(固体=暗黒)があるから、菌の世界、動植物の世界、人間の世界、さらに進むスピリチュアルな世界(明)があるのです。
それは前者が消えたら後者はなりたちません。
後者が消えても前者はなりたちます。
万物はさらなる無限の輝き(無限の意識、無限の愛)の方向に進んでいるのです。
しかし、ペルシャの伝統が言うように、サーカーの言うように、それは「闘争の過程」です。
暗黒の方向に進む動きと明の方向に進む動きは、たえず闘っています。
「生命は闘争」の中に存在するというのがサ-カ-です。

金子みすゞは、この詩では、「明るい方へ」すなわちホロン階層の上昇を詩にしていますが、
前々回に紹介した「土と草」の詩では、土に着目し、ホロン階層の低次のレベルの果たす役割の重要性について述べています。
つまり、土という「暗黒」があって、「草」が明の方向に進むことを示しており、「暗黒」の側面も正当に評価しています。
そして、土を正当に評価できる彼女の心にはアガペー(多者への愛=慈悲、下位ホロンレベルへの愛)があることがわかります。
エロス(一者への愛=上昇、明)の方向だけではないことがわかります。


付録
高校三年生の感想
「いつも詩ありがとうございます・
いつ読んでも・ぃぃ詩ですね(^-^)/
今回の詩も読みました。・
何か!!「やぶかげの草は」の所で草や花も
やっぱり暗い方へは咲かずに・明るい方へ咲く・
私もその通りだと思いました。・
よく考えたら!全てが明るい方へ行っている・
自ら暗い方へ行くものなんて無いな!って思いました(^-^)/」


This poem is that everything in this universe is unity of conflict between dark and light.
Dark means to leave away from god.
Light means to close to god.

( Piled snow  Gods overlapping time-space can see from various points)

金子みすゞSMC No.113 つもった雪 (video inspired by god of star)



つもった ゆき

うえの ゆき
さむかろな。
つめたい つきが さしていて。

したの ゆき
おもかろな 
なんびゃくにんも のせていて

なかの ゆき
さみしかろな。
そらも じべたも みえないで。


人は、未熟な段階では、ほかの人も自分と同じように考えていると勘違いしています。
人は成長してゆくと、相手の立場にたって考えることができるようになります。
さらに成長してゆくと、その人、その人、人それぞれ立場がちがうこと、そして人は、それぞれちがう立場からものごとをみていることが理解できるようになります。
そして、それぞれの立場を尊重しようという気持ちになります。
この詩を書いた人は、うえのゆき、したのゆき なかのゆき、それぞれの立場とそれぞれが違う想いをしていることを理解しています。
金子みすゞという人は26才でなくなった人ですが、相当、高いレベルの人間であることがわかります。

人間の心の発達として、わたし、1、2、3、4、5と説明してきました。
「わたし5」は合理的な自己で、心の領域のいちばん深いところに「私」の中心がきています。
そのもっとも発達した段階が、「多元主義」といって、いろんな考えを尊重する立場です。
しかし、あくまで心の領域における多元主義では、結局、軸になる自分を失うことになり、苦悩し、実存主義者の苦悩におちいります。
「あれも正しい、これも正しい、あれとこれは反対の主張なのに」となります。
すすむべきは、心の領域を超えて、スピリチュアル・プラクティスによってスピリットの領域まで「私」の中心をもってくることです。
それが「普遍的多元主義」です。
つまり「一が多として顕現している」という視点です。
表面、顕現は、多だけれども、深いレベルにゆくと一であるということです。
この詩は多元主義の詩ですが、別の詩をあわせて考えると、金子みすゞが「普遍的多元主義」という近代合理主義を「含んで超える」地点まで達していたことがわかります。


This poem shows that poet can think from various stance.
This ability is same to true gods in base of universe.
Gods overlapping on time-space can see from various points.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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