(Poem is inspired from god on land)

Dear
I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce poems of member of Heaven and explanation of assistant Mitsuki.
This corner is about land.
Human beings live on land.
Poem is inspired from god on land.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです
私たち天と神々のプロジェクトは天のメンバ-の詩とアシスタントミツキによる解説を紹介しています。
このコ-ナ-は大地についてです。
人間は大地の上で生きています 詩は大地の上で神からインスピレ-ションが引き起こされたものです。




(soil and grass  In capitalist society human value is measured by money)

金子みすゞの世界 - 土と草 / 木 - 詩の朗読とギター
(video inspired by god of star)



金子みすゞの詩をシリ-ズで紹介しています。

土と草

母さん知らぬ
草の子を
なん千万の
草の子を
土はひとりで
育てます。

草があおあおしげったら
土はかくれてしまうのに


コメント
草に注目する詩は見たことがあるけど、草を育む土に注目した詩をみるのははじめてです。
目立たないけど、隠れているけど、とっても大切なものにちゃんと目を向ける人間になることです。
みんな目立つものだけに憧れます。
みんな目立ちたいと思っています。
でも本当は、目立たないことをちゃんとできる人間にならないと中身のないうすっぺらな人間になります。
目立たなくても、大切な役割を果たせる人にならなくてはなりません。
そして目立たなくても大切な役割を果たしている人がちゃんと見える人になる必要があります。
クラスの中で目立つところだけ、がんばって、掃除とか目立たぬところはさぼりまくる人はいませんか。
いいことをして目立つのはいいけれど、実は目立たぬことの中にほんとうに大事なことがあるんだよ。
そしてその中にも満足と幸せがあるんだよ。
そんなことをこの詩は教えてくれる気がします。

大人向けコメント
今の世の中は、ゴルフの○○ちゃん、野茂、松井、彼らが活躍しているのはすばらしいことですが、私はお金をあそこまでたくさん支払うべきではないとおもう。
もちろん彼らがいっぱんのすぐれた人よりももっと多くの財を手にすることには賛成ですが、現在の金額はあきらかに天地のバランスをくずしています。
華やかな草とするならば、それを育てている土壌にまわすものとバランスがとれている必要があると考えます。
今日の資本主義の考えがゆきつくところまでいって、スポンサーになる人々が自分が莫大な額を手にしているので、金銭感覚が狂い、天地のバランスをくずしているのだとおもいます。
サーカーは、社会に対する貢献度に応じて、貢献度の高い人がより多くの収入を得るようにすべきだといっていますが、バランスがくずれないように収入に上限を設けるべきだといっています。
この詩は土に目を向けています。
今の社会の指導者が土に目をむけるのをわすれて、華やかな目にうつる面だけをみているからだとおもいます。
私たちは目立たぬ土に目をむけましょう。


This poem teaches very important for human society.
In capitalist society human value is measured by money.
Real human value is not possible to measure by money.
Capitalist society makes human mad.

(Small stones of seaside   This mind is same to gods of star)

金子みすゞ (video inspired by god of star)



浜の石

浜辺の石は 玉のよう
みんな まるくて すべっこい

浜辺の石は 飛び魚か
投げれば さっと 波を切る

浜辺の石は 唄うたい
波と いちにち 唄ってる

ひとつひとつの 浜の石
みんな かわいい 石だけど

浜辺の石は えらい石
みんなして 海をかかえてる


コメント
浜辺のひとつひとつの石ころを、心をこめて見たことがありますか。
たぶん、みんな、石ころなんか、目にとめないでしょう。

でも、浜辺にいった時、
「あれっ、このまるい石、かわいい」と思ったり
水面にすれすれになげて、石にホップ、ステップ、ジャンプさせたり
誰もがそんな体験があるでしょう。
普通の人が、石ころによせる思いはそこまでです。

この詩は、最後の2行が卓越していると思います。

「浜辺の石ころもえらいんですよ、みんなして海をかかえているから」
この世のひとつひとつの存在すべてに敬意をはらっている金子みすゞの心は、素晴らしいと思います。


大人向けコメント
いつものように、サーカーやウィルバーと結びつけて解説するのが難しい詩です。
あえて、コメントすると

私たちは、いつのまにか、ある枠組みの中でのみものを見て、その枠から出なくなります。
サーカーはそれをドグマと言います。
ものを見る時に、ある枠組みをつかって見ることは必要なことで、それによってより正確に見ることができます。
だから、枠組み自体が悪いわけではありません。
しかし、いつの間にかその枠組みが、ものを見るための道具である範囲を超えて、自分の見方が広がることを妨げます。
サーカーはその枠組みから脱出することを「知性の解放」と言います。

金子みすゞのこの詩は、海の小石の意味づけを、通常の枠組みから脱出させ、心を拡張することに貢献しているのではないでしょうか。


This poem is about ordinary small stone in seaside.
She respected everything in this universe.
This mind is same to gods of star.

( little cows  Animals should be respected as gods)

金子みすゞの世界 - 仔牛(べえこ) - 詩の朗読とギター (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩をシリーズです。
今回は、子牛(べえこ)の詩を紹介します。
金子みすゞは山口県です。
子牛のことを「べえこ」といっていたようですが、私はとなりの広島県出身で「べっちこ」といっていました。
私が小さいころたいていの家は牛を飼っていました。
和牛といって黒い牛で、主に田んぼを耕すのにスキをひかせていました。
小学校の3年ころだったとおもいます。
家の牛が「べっちこ」をうみました。  世話していた兄は、その「べっちこ」を「もんこう」と名付けてかわいがりました。
ある日、「もんこう」は市場に売られてゆきました。
おかあさんの「もー、もー、もー」という悲しい声が、ずっととぎれることなくつづきました。
今も私の耳にのこっています。
次の金子みすゞの詩は、売られていった子牛だけが貨物列車にのせられていて、母さん牛がいないことをうたっています。
この子牛たちのおかあさんは、「もー、もー、もー」と悲しい声で泣いているのです。


べえこ(こうし)

ひい、ふう、みい、よ、ふみきりで
みんなして、かしゃを かぞえてた
いつ、むう、七つ、八つめの
かしゃに、べえこ(こうし)が のっていた

うられて どこへ ゆくんだろ、
こうし ばかりで のっていた

夕風つめたい ふみきりで
みんなして かしゃを みおくった

晩には、どうして ねるんだろ
母さん牛は、いなかった

どこへ べえこ(こうし)は ゆくんだろ、
ほんとに どこへ ゆくんだろ。


コメント
列車の中にのっていた子牛たちの中に、母さん牛がいないことに気づいているのですね。
子牛はお母さんと離れているだけでさびしいですね。
実際には、もし、この子牛たちが、オス(オスは、「こってい」といっていました)ならば、恐怖の中に銃で撃ち殺され (?たぶん、どんなふうに殺すのか私は知らないのですが、要するに殺され)
みなさんの食べるお肉になります。
よっぽど毛並みのいい牛だけが種牛として精子をとるためにいかしてもらえます。
しかし、貨物列車にたくさん子牛がいたわけですから、オス(こってい)なら処刑場ゆきです。
そしてメスなら、市場で、セリにかけられて、牛がほしい農家の人がかってゆくのです。
でも、そのメスの「べっちこ」は、二度とお母さんに会うことはできません。


サ-カ-の言葉です。

「ネオ・ヒューマニストは、第一に人類に奉仕し、次に動物に奉仕し、 次に植物に、そしてその次に生命無きものに奉仕すべきです。
人類は、動物を殺すべきではありません。
もし、ある人が、生きるために牛を殺すとするならば、なぜ、その人のために牛が死ぬべきなのでしょうか。
もし、牛を母とイメージするならば、牛のミルクを飲む人類は子牛です。
バッファローや山羊も人間の飲むミルクを提供します。
だから彼らも人々の母です。
しかし、人類は、母を尊重する感情からではなく、生命のより高い形態に対する尊敬から牛を殺すことを止めるべきです。
バッファローや山羊の屠殺も、同じ理由からすぐに止めるべきです」

「人類は、他の人間の痛みや苦悩を感じることができます。
しかし、犬が悲痛にくれている時、誰もそれに注意を払いません。
あたかも犬が痛みに苦しまないと考えているかのようです。
動物も喜びと苦しみを経験するということを人類が理解するようになるなら、人類は新しい次元の賢明さを持つことになります。
それは、すべての生命に対して同情的であるべきだという私たち人間の義務感とより高い知力のためです」

「森の中には、多くのライオン、虎、ヘビなどがいます。
しかし、そのような生物は彼らの自然の環境の中においては殺されるべきではありません。
なぜなら、彼らは人間の生命を脅かしていないからです。
人間を攻撃するのは、虎の特質ですが、すべての虎がその理由から簡単に殺されるべきではありません。
瀕死の動物と危険にさらされている動植物のために聖域を作ることが人間の義務でもあることを忘れてはいけません」

「一般的な原則として、私たちはいかなる状況のもとでも、動物を殺すべきではありません。
この原則の例外は、人間の生命が危険である時です。
たとえば、もし、あなたが、自分の生命を脅かす虎に直面するならば、虎が攻撃する前にあなたは虎を殺さざるをえないでしょう。
同様に、もし、ライオン、ヘビ、象などが、あなたの居住地にやってきたら、その時、最後の手段として人間の安全を確保するために彼らを殺さざるをえません。
しかし、直接に人間の生命を危険にさらす時だけ動物を殺するべきです。
したがって、彼らの自然の生息場所の中の動物は殺すべきではありません」


This poem is thinking about child cows on train that they are sold.
Poet can think in stance of cows.
Life of cows should be respected.
I consciousness of human is child of god.
Mind of mammals and birds is ectoplasm of gpds.
Animals should be respected as gods.

(dog  Event of non-presence has act and react also)

金子みすゞSMC No.89 犬 (video inspired by god of star)



金子みすゞの詩のシリ-ズです。

いぬ

うちの だりあの さいた ひに
さかやの クロは しにました。

おもて あそぶ わたしらを、
いつでも、おこる おばさんが、
おろおろ ないて おりました。

その ひ、がっこで その ことを
おもしろそうに はなしてて、

ふっと さみしく なりました。


コメント
なぜ、「ふっと さみしく」なったのか、わかりますか。
酒屋さんのおばさんの飼っていたクロという犬が死んで、いつももおこりっぽいおばさんは泣いていたんですね。
学校で、友だちにそのおばさんが泣いていたことをおもしそうに話している自分に気づいて、「ふっと さみしく」なったんですね。
おこりっぽいおばさんは、愛する犬の死に涙するやさしさをもっている人だったんですね。
そんなおばさんの悲しみを物笑いの種に友だちにしゃべっている自分にきづいて、そんな自分の心に対して、さみしくなった。
わたしは、この詩をこのように読み取りました。
ここには人の心の痛みを自分のものとして感じる人間に成長する瞬間が描(えが)かれています。

わたしは、みなさんに、日記をかくことをすすめます。
こんな詩の形でもいいし、短くてもいいとおもいます。
自分の心の動きを観察して書くのです。
自分の心の動きがわかるようになることは、他の人の心の動きが理解できるようになる一歩だとおもいます。

大人用コメント 
この詩を書いた時点で、金子みすゞはもちろん20才はすぎています。
小学生の気持ちになって詩をかいています。
はたして、このレベルまで心が発達した小学生がいるかは疑問ですが、この詩も大切なことをおしえています。
自分の心をみつめる、より奥底の自己が成立していることです。
この間、紹介した心の発達論をおもいだしてください。
身体的自己の「私1」、情動的自己の「私2」、言語的自己の発生期の「私3」。
ここまでが自己中心思考の段階です。
そして順調に進めば、小学校の3年くらい(9才、10才の壁)の時期に社会的自己の「私4」が発生します。
この段階に達することができた子はルールを守る良い子であり、先生のいうことをきく子です。
社会中心思考の段階です。
しかし、この段階を超えることなく自分の属する社会(グループ)中心思考のまま「良い子」のまま大人になってしまったら、「良かれ、悪しかれ、我が祖国」という、「新しい教科書をつくる会」のような自国中心思考、あるいは小泉首相のように侵略の責任者をまつり、戦争を正当化している靖国神社におまいりし、アジアの人々の感情を傷つけても平気な人になってしまいます。
そして社会の指導者が戦争の必要をとけばそれに従う人になってしまいます。

この「私4」の社会中心思考(=グループ中心思考)からより普遍的な世界中心思考に発達させるためにどうしても必要なことは、自分の心を観察する習慣をつけることです。
「私4」の人々は、より深い心の奥から自分の心を客観的に観察することができません。
つまり「私4」の段階は、主観=私の心、客観=自分が属する社会の自分に対する期待を理解できます。
しかし、自分が属さない社会は、「私」の領域に入らないのです。
この段階では、自己は社会的なアイデンティティをもち、社会に組み込まれています。
心理学で青年期のアイデンティティの危機といわれるものは、実は、青年期に自分の心を観察できる地点まで私の深みが増したことから生じます。
より深い地点に達したので「自分は何者か」がわからなくなるのです。
それを突破した人間(すなわち社会にはめこれまれた自己から、さらに深い地点に自己を到達させた人間)が、「私5」に達します。
自分の属する社会も属さない社会も、同じ人間のつくっている社会だと感じるようになりますから、「我が祖国は本当に正しいのだろうか」と問うことができるようになります。

最近、教育で重視されないのではないかとおもいますが、小学校、中学校と日記を書く習慣を身につけさせ、出来事だけでなく、自分の心を記録させるならば、青年期に至り、より容易に「私5」に達することができます。自分の心をみつめることのできる「私5」に飛躍させ、「私5」に達した人間をふやしてゆく必要があります。
そして、私たちは、「私6」「私7」をめざしましましょう。

あっ、いちばんいいたいことは、この詩が「ふっとさみしく」なったと自分の心の動きを観察できていることです。

なお、「私」の発達も、次のようにホロン的に「含んで超え」ながら発達します。
たまねぎのイメージです。

① 私1・・・身体的
② 私1+2・・・身体+情動
③ 私1+2+3・・・身体+情動+言葉(言葉で身体、情動をコントロールできる出発点)
④ 私1+2+3+4・・・身体+情動+言葉+社会(社会の一員としてアイデンティティをもちます)
⑤私1+2+3+4+5です。身体+情動+言葉+社会+世界(自分の属する社会を超えて自己同一化できる)
④にとどまる自国中心主義者たちは、他の国の人をまったく同じ人間としては感じることができない。
小泉首相の靖国神社参拝の姿勢を支持する48%の人々は、④の意識レベルにあると考えられます。
しかし、⑤の段階に達した人々も、①から④を心の内部に「含んでいる」という自覚をもって、④の人々にアプローチすることが必要です。
でないと反発を買うでしょう。


This poem is blaming in mind telling story being depressed person who is depressed because that loving dog was dead.
This poem teaches truth of human.
Human being is unity of conflict between presence and non-presence.
Event of non-presence has act and react also.

(soil  Everything of this universe is with true god overlapping on time-space, )

土 (詩:金子みすゞ 作曲:穴見めぐみ) (video inspired by god of star)



つち

こっつん こっつん
ぶたれる つちは
よい はたけに なって
よい むぎ うむよ。

あさから ばんまで
ふまれる つちは
よい みちに なって
くるまを とおすよ。

ぶたれぬ  つちは
ふまれぬ つちは
いらない つちか。

いえいえ それは
なの ない くさの
おやどを するのよ。


高校生用コメント
「おれなんか、勉強できないし、スポーツもできないし、だめな人間だ」とおもっている人はいませんか。
違うのです。
すべての人は価値(ねうち)をもっているのです。
あなたもかけがえのない価値(ねうち)があるのです。
この詩は、どんなものにも存在価値(ねうち)と意味があることを教えています」

大人用コメント
スピリチュアリティ哲学は、聖なる「一」なるもののが「多」として顕現しているという見方をします。
どんなものもスピリットのあらわれとして価値があります。
金子みすゞの目にはどんなものも意味があり、価値があるとみえていることがこの詩からわかります。
いらない「つち」なんかない、名のない草のお宿をしているよ、というわけです。
この短い詩の中に、彼女のスピリチュアリティの高さがあらわれています。


This poem is that everything of this universe has value,
Everything of this universe is with true god overlapping on time-space,
This poet know this truth deeply.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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