inner freedom  (video inspired by god of star)



ミツキのこの自由論は人類社会ではじめて解明された重要な指摘です
This freedom theory of Mitsuki is important that has been clarified for first time in human society

This article is spirituality as way to inner freedom more than contain western freedom.
This freedom theory of Mitsuki is important that has been clarified for first time in human society.
If I consciousness of human beings is not able to control mind there is no true freedom.
I consciousness of human enhance integration force when it is closer to god of parent star.
Human civilization living with god make free truly in inner and outer world.

この論文は、西洋的自由を含んで超える内面的自由への道としてのスピリチュアリティです。
ミツキのこの自由論は人類社会ではじめて解明された重要な指摘です。
人間の私意識が心をコントロールできなければ真の自由はありません。
人間の私意識は親の星の神に近づくとき統合力を強化します。
神とともに生きる人類文明が人間を内面的にも外面的にも真に自由にします。



◎これを三重丸と考えてください。
内側から、身体⇒心⇒スピリットです。
逆に、内側からスピリット⇒心⇒身体でもかまいません。
存在の層のレベルが異なるからです。
身体が土台で、身体があって、心(言語世界)があります。
心があってスピリットのレベルがあります。
逆も言えます。スピリットがあって、心があります。
心があって肉体があります。

目を閉じて、桜の花を思い浮かべます。
心の材料は、三つの部分にわかれます。
「私は、思い浮かべている、桜の花」です。
思考の結果としての「桜の花」を消して、
心の材料を収縮させます。
さらに「思い浮かべる」という心の作業をやめます。
「私」という存在感覚だけが残ります。
では、この「私」という存在感覚は、誰が立証しているのでしょうか。
心は作業をやめているのです。
実は、「私」の奥にある「個体意識=見つめる実体」です。
これがスピリットです。

眠って「私」の存在感覚が消えます。
目が覚めて、再び存在感覚が生じます。
その「私」という存在感覚が、心の作業を行い、その作業の結果として私たちは様々のことをおこないます。
眠っている間に「私」は消えているのでしょうか。
いいえ、「見つめる実体=個体意識」として存続しているのです。

2)西洋近代哲学は、心の外側の世界の法則を認識して、コントロールして「自由」と考えました。
それは、大切なことです。
私は、そうした自由を守ってゆかなければいけないと思います。
しかし、私たちは、そのような西洋近代的「自由」を含んで、さらに前に前進する必要があります。

目を閉じて、心の中の「私」が、思考活動とその結果を自由にコントロールできるでしょうか。
もし、できていなければ、「私」は自分の心の中を自由にコントロールできていないから真に自由ではありません。
西洋近代的自由を「含んで超えて」、内面の中の「私」の統合力を強化して、自分の心の中の諸活動をコントロールすることができるようしなくてはなりません。

心がコントロールできない人は多いです。
心の内部で、「私」が、心の活動を「自由」にコントロールできていませんから、内面的自由を失っているのです。

この心の中の「私」のコントロール力を強化するレッスンが、瞑想などのスピリチュアル・プラクティスであり、決して、あやしいものではありません。

3)ティク・ナット・ハンを、私たちのホームページの中にある天野健氏から、「微笑みを生きる」を紹介されてもっています。

 ちなみに天野健氏の 短編小説『翔太と母像』http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/bungei/amanoken/shoutanobozou.mhtは、「民主文学」(12月号2004年)日本民主主義文学会(970円)の受賞作品で、事実上の最優秀賞でした。

 その天野氏から進められたティク・ナット・ハン氏の感想ですが、
私たちは、このような「絶対平和主義の仏教徒と多様性における統一」の立場で連携すべきだとは考えています。その上で、
 サーカー の哲学との違いに、ふれさせていただきたいと思います。

サーカー 以外のすべてのスピリチュアリティを説く立場の理論は、唯物論を含みません。
サーカー は、物質から心が生まれたという認識ですから、衣食住、教育、医療といった基本的な生活必需品をすべての人類が享受して、その土台の上に、多様な人類社会が花開くべきだと考えます。
そういう視点から、現在の状況は、人間が人間を経済的に搾取(利用)し、知的心理的に搾取(利用)しているとみます。
そして人間による人間の搾取(利用)を無くしてゆかなくてはならないと考えます。
本当の平和は、人間が人間を搾取(利用)する上にはなりたたないから、みんなで団結して搾取と闘いなさいと言います。

 ティク・ナット・ハン氏は立派な人と思います。
しかし、物質がスピリットの固まったものとみないために、仏教的主観主義の限界の中にあると思います。

(ちなみに、鞍馬寺は1947年に宗旨を変え、なんと事実上、物質がスピリットの固まったものというサーカー と似た見地になっていました。
寺の本堂に、義経は戦乱をやめて平和を願ったこととかさねて、平和主義の現在の憲法を評価するメッセージが貼られていました。
藤岡先生たちが進めておられる京都社会フォーラムが、京都宗教界を含む幅広いものに発展することを期待しております)

4)参考までにサーカーの仏教論を紹介します。
 あっ、別に、読まなくてはとおもわないでください。最初のひとつだけでもちょっとパラパラとみていただければ、サーカーとブッダとの相違点がわかると思います。
ただし、サーカー は、ブッダが当時の社会において民衆のために革命的役割をはたしたとして高く評価しています。

サーカー と仏教 (1) この世界をどうみるか http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/buddhasarkar1.htm
サーカー と仏教(2) スピリチュアルな領域での実践理論の違い http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/buddhasarkar2.htm
サーカー と仏教(3) 中道と八正道をサーカー はどうとえらるか http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/buddhasarkar3.htm
参考までに・・・・朱子学の理気二元論と比較しています。
朱子学とP.R.サーカー http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/shushigakusarkar.htm











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