UNIVERSAL LOVE featuring the Paul Luftenegger song (video inspired by god of star)
6 人間の身体構造は普遍的愛を実現するまでに進化している
body structure of human being evolves to realize universal love
This message is that body structure of human being evolves to realize universal love.
Soul project one million years ago incorporated I consciousness(soul) of god to evolved monkey that repeated extinction.
I consciousness of god is universal love.
Way to universal love is way to close to god.
このメッセージは,人間の身体構造は普遍的愛を実現するまでに進化している,です。
100万年前の魂プロジェクトは絶滅を繰り返していた進化した猿に神の私意識(魂)を組み込みました。
神の私意識は普遍的愛です。
普遍的愛への道は神に近づく道です。
(はじめに)
今日(土曜日)、昼の番組を見ているとタモリが中心の番組で、元ボクサーの薬師寺氏がでていました。
彼がきわめて興味深いことを言っていました。
そこで今日の通信は、男性の読者向けに、そのテーマを扱おうと思います。
すでに女性向けの「どこまでゆるすか」論で、できるかぎり許さない方がいい、本当にこの人と生涯をともにしようと思う時まで待つ方がいいというような論をかきました。
今回は、男性の性とマスターベーションにかかわることを書きます。
女性は、読み苦しいしかもしれませんが、お許しください。
このメールは、お母さん、お父さんも読んでおられる方もあるので、びっくりされるかもしれませんが、まじめに論じるので、たぶん了解してくださるだろうと思います。
(薬師寺元世界チャンピオンの語っていたこと)
今日(4月13日)の昼のテレビ番組で、元ボクシングの世界チャンピオンであった薬師寺氏の語っていたことは次のようなことです。
「私は自分がコーチされたように、弟子を私生活までかかわってコーチして育てたい。
私は、アメリカ人のコーチから試合前一カ月間(20日間といったのか一カ月間と言ったのかうろ覚えですが)セックスならびにマスターベーションをいっさい禁じられ、私はそれを守った。
おちんちんはいつもこちんこんちんだった。
自然に夢精ででるのはかまわりないのですが、人為的にだしてはいけないのです。
パンチ力が違うのです。・・・・
いい素質をもった選手も、ある線以上のところにいけるかはまったくわかりません。
ちやほやされたところで、それ以上伸びない選手もたくさんいます」
この話は、不思議と私が訳しているインドのヨーガの先生(P.R.サルカール)の説と結果的に一致しているのです。
違う点は、薬師寺選手のコーチは「ボクシングでのパンチ力は、下腹部の筋肉を使う。精液を排出する時に使う筋肉といっしょで、精液をだすために使えば、その筋肉がゆるんでしまう。」と説明した点です。
ちなみにへその下の下腹部を丹田(たんでん)といってそこに力が入るのが大切なのだそうです。
(サルカールの説)
私が訳しているインドのヨーガの先生の説明の方も説得力があります。
その説明は次のようなものです。
でに説明した「根源にある一から多が生まれる」という見方を知っていればわかりやすいと思います。
人は、吸った空気や食べ物などの栄養をもとに、シュクラという生命エネルギーのもとをつくります。
そのシュクラを「根源にある一」と考えてください。
そのシュクラが形をかえて、血液、リンパ液、体液、ホルモン、精液など「多様な形」に展開しているわけです。
精液はリンパ液が形をかえたものだと彼はいいます。
リンパ液をはこぶ管は、毛細血管と同じように身体中にはりめぐらされて、身体のいろつやなどの魅力や健康を維持します。
あるいは俊敏さやパンチ力にもかかわります。
女性の場合はお乳にもなります。
身体をまわって残ったリンパ液は血液として脳にゆきますから、思考力や知性にも影響します。
もし、エッチなことを考え、刺激を与えると前立腺の分泌液と睾丸の精子がまざってリンパ液は、精液に転化します。
私が訳しているそのインド人のヨーガの先生は、だから、なるべく生命エネルギーの無駄使いをするなといいます。
結婚しても夫婦生活は月に四回以内にしなさいとすすめます。
薬師寺選手が試合前に一カ月間もの禁欲をしたのは、生命エネルギーを無駄使いせずに身体にため込んで、試合の時に一気に放散して、おどろくべき成功をおさめたと考えられます。
だから、もし、みなさんの中にクラブの試合があるとすると薬師寺選手なみにはできないにしても、せめて一週間でも生命エネルギーをためこむことはできるかもしれません。
(リンパ液が精液製造にまわらない方法・・・その一)
そのインドのヨーガの先生は、性欲をおさえるヨーガのポーズとして尻を下にして両足をひろげて、片足ずつ前屈するポーズをすすめています。
息をはきながら前屈して8秒間を息をとめて、息を吸いながら背筋をのばします。
それを右、左交互に8回します。
(リンパ液が精液製造にまわらない方法のつづき・・・その二)
シュクラ(生命エネルギー)から転化したリンパ液が精液のもとであり、肌のいろつやのもとであり、脳や筋肉のパワーにもなるもとであり、リンパ液の増産が大切といいます。
彼によると野菜などの葉緑素がリンパ液を増やす役割をします。
葉緑素はリンパ液の原料ではありませんが、触媒の役割をはたします。
しっかり野菜や海草で葉緑素をとることがパワーのもとになります。
肉食は体温をあげ、リンパ液を精液にまわすことを促進するので、生命エネルギーを精液のほうで浪費する方にまわしてしまいます。
たぶんもともと昔の仏教では性欲を禁止していましたから、精進料理が肉食ではないのは、そういう意味ももっていたのかもしれません。
だから自らのエッチ度を減らし、生命エネルギーを浪費せず、建設的な方向にまわすためには肉を減らして、野菜、海草、果物を中心にした食事にすることが必要です。
逆に言えば、肉食を中心にすると生命エネルギーは精液製造にまわるので、精液の排出要求が強くなりますから、強くなった排出要求を無理して抑えようとすると心のバランスが狂い、反作用が強くなり、よけいに出したくなると思います。
だから野菜、海草、果物中心の食事が必要なわけです。
そうすると心は排出欲求をおさえようと無理な努力する必要がありません。
(補足・・・「英雄よく色を好む」のはなぜか)
(友人にこの話をしたら、「『英雄よく色を好む』とかいって、政治家の大物など、年取ってからも女つくって子どもつくったりするではないか」と彼が言いました。
そこで、私は「実はそうしたパワフルな人は、生命エネルギー自体の量が多いのであって、生命エネルギーの一部を性エネルギーにさいても、残りがたくさんあるからいいけど、生命エネルギーの量がそれよりすくない普通の凡人が、その多くを性エネルギー(精液製造と排出)にまわしたら、他の生活と活動部分のエネルギーにまわす分が小さくなるのではなかろうか」と答えました。
友人は納得していました。
今、この部分を書きながら思ったのですが、そうした色を好む英雄、すなわち政治家たちは、権力欲と名誉欲などの欲望がギラギラしている存在です。
そうした人々ははじめは貧乏生活にたえてがんばっていても、立身出世が成功した後は、その反作用からうんとごちそうを食べ、肉食中心になると思います。
そうするとその肉食により、リンパ液が精液の製造の方にまわり、普通の人間よりもうんと好色に、精液排出欲望を年とってからも持つようになるのだと思います。
彼らはどん欲であり、好色です。
ですから、彼らの心の中が平穏になり、幸せを実現しているとは考えられません。)
(マスターベーションには、マイナスはないのだろうか)
昨年、学校で配られた保健の小さなパンフレットに「マスターベーションには害なく、しても問題はない」と書いてありました。
私が高校ころに読んだ本にはやはりそう書いてありました。
私がであった本でマスターベーションや性について書いてある本はみんなそういうトーンでした。
インドのヨーガの先生の本が、セックスもマスターベーションも、なるべく抑えよ、生命力の無駄使いをするなというはじめての本格的な本でした。
そしてその次に似たように見方を耳にしたのが、今日の薬師寺選手の話です。
試合前に長期に禁欲し、マスターベーションせずに、試合でパワーを出すというものでした。
私は、自分が、若い時にこのことを知っていたとしてもそうできるかは別として、このインドのヨーガの先生や薬師寺選手の話はあたっているとかんじます。
だから、マスターベーションは有害ではないにしても、貴重な生命エネルギーの浪費ではあることは知っておいた方がいいと思います。
精液を放出すると疲れて目もくぼむということは、そのインド人の言うように、やはりリンパ液が精液の方につかわれることを示しているのではなかろうか。
私自身の体験では気持ちも暗くなっていたように思います。
たぶん栄養的に脳にまわる栄養が少なくなることで気分がすこし、暗くなるのだとおもいます。
私は、この薬師寺選手が、試合前に一カ月間も精液の放出をせずにパワーをためこんでいたことは、すごいことで、エネルギーの弱まった今なら別として、青春のそういうエネルギーがいちばんつよいころに、そんなつよい精神力をもっていたとは、すごいなあと正直思います。
でも、もし、若い高校時代、大学時代にマスターベーションや精液についてこういうとらえ方を知っていたら、薬師寺選手までは無理にしてもある程度の努力もできたと思います。
そしたら、もっと生命エネルギーを建設的な方向につかい、より充実した能力のアップした自分であったことができたのでなかろうかと思います。
(私がえらそうに言う資格はないけれど)
以上、マスターベーション論をのべました。
でも、おそらく多くの男子諸君は、やめようと思ってまけると思います。
私もそうでした。その場合、くよくよすることの方が悪いと思います。
やったら、たしかに、パワーがダウンし、やりすぎると免疫系のリンパ液が減るから病気にはなりやすく、弱くはなり、知性も下がるが、死にいたるような重大な自体になることではありえません。
だから元気いっぱいの人は、くよくよするよりは、少々出しても大丈夫とおもっていた方がいいと思います。
私自身がいくら出しても大丈夫なんて本を読んでいたから気軽に出していました。
しかし、今、考えるとやはり生命エネルギーをもっと大事にしていたら、その当時をもっともっとパワフルに生き、もっと大きな成果をあげることができていただろうなあと思うわけです。
この人生で何かを達成しようとしている人は、インドのヨーガの先生のいうように生命エネルギーを大切にした方がいいですよということが、もう、性欲の弱まった年になった男からのメッセージです。
(まったくエッチ以外に心をもちいた場合)
そうそう、もう二点ばかりつけくわえておきます。
まず、一点ですが、そのインド人によると、まったくエッチなことを少しも考えず、たとえばすべてのエネルギーを知力に用いた科学者などで、ある障害(どんな障害だったかわすれたけど)をもった子が生まれることがあるのだそうです。
それは、なぜかというと、精子の製造能力が衰えて、不完全な精子になってしまうからです。
だから、昔のお寺の坊さんのように出家して子どもを生涯つくらない人はそれでいいけど、将来、自分の子をつくりたい人が、まったくエッチなことが頭に浮かばないというのも問題ですね。
(しかし、私たちの文化は、性的刺激が強すぎる)
しかし、今日の文化状況では、そんな心配はまったくなく、むしろ反対です。
テレビのコマーシャルや番組を見ても、看板・ポスターをみても、なんてこの場で女の人が水着ででてこいないといけないのというように、これでもかこれでもかと男の人を性的な刺激にさらしています。
そのような性的刺激は当然、リンパ液を精液製造にまわし、精液の排出要求をつよめます。
ストーカーやチカンがふえていますが、もちろんそれぞれの個人の問題ですが、そうした人を増やす文化状況の中に私たちはさらされています。
これを読んでくれている女性の人は、自分の魅力の出し方を性的な刺激を強くアピールするような服装や態度でない方向で追求してほしいと思います。
もし、すけすけルックなどの服装で魅力をだそうとするならば、あなたを愛するより、女性の性に向かって関心を強く持つ男性を身近に引きつけることになり、本当の愛のある人生に歩むことが難しくなるでしょう。
(性ホルモンの多い人は愛情深い)
もう、一つつけくわえます。
そのインド人によると、性ホルモン(男性ホルモンは主として睾丸でつくられます)は、愛情の深さにも関係します。
男性ホルモンは、思春期に分泌が盛んになって、生殖して子孫を残せるように生殖器の機能を完成させます。また、声変わりを引き起し、あごひげなどのひげを生やさせます。
実はそれだけなく、男性ホルモンの分泌は、その人の愛情の深さにかかわりがあります。
男性ホルモンの多い人は、愛情深く、やさしいというのです。
どちらかというと、ひげがみるからに多くて、男性ホルモンの分泌が過剰な人は、(精液製造が過剰ではなく、精液以外のひげなどの方に精液製造にまわるはずのエネルギーがおおくまわっている人は)、優しさ、愛情深さをつかさどる心のホルモンの方にもエネルギーがまわっているので、やさしいのです。
この男性ホルモンを多くだすにはその原料のリンパ液が豊富であることが前提となります。
すでに言ったようにリンパ液の増産は、野菜や海草の葉緑素が促進する役割をはたします。
(お乳もリンパ液から、・・・どうやってふやすか)
なお、インド人によると男性の精液や男性ホルモンがもともとリンパ液を原料としているように女性のお乳もリンパ液を原料としています。
牛はよくお乳をだします。
それは緑の草の葉っぱをよく食べているからです。
鹿も葉っぱをたべますが、駆け回るエネルギーのためにリンパ液を消費するので牛ほどはお乳をださないのです。
だから、女性も新鮮な野菜、海草を中心とした食事をすることで、母乳がよくでるはずです。
そうした食事をとらない今日の女性は、母乳の出がわるいはずです。
リンパ液の製造が少ないということは、さきほどの性ホルモンが同時に愛情のホルモンであるとすると、子どもへの愛情が薄くなるということです。
今日、児童虐待がひどくなっていることは、食生活がひどいためにリンパ液が充分につくられず、愛情をつかさどる性ホルモンの分泌、お乳が作られないということがあるのではないかと思います。
(生命進化の歴史を、愛の心の進化の歴史としてみると)
考えてみれば、生命進化の歴史は愛の心の進化の歴史でもあります。
最初の単細胞生物から、海の魚まで、仲間を助けるような行動はなかったと思います。
両生類、そして陸にあがった爬虫類も、仲間を助ける行動はありませんでした。
爬虫類でやっと自分の子どもへの母親の愛情が少しでてきたかもしれません。
身体のリンパ液をお乳に変えて子どもを育てる哺乳類がいっそう子どもへの愛情をふかめました。
哺乳類には肉食と草食がいます。
草食動物のほうがリンパ液は多くたくさんのお乳をだします。
私が幼いころ、家は農家で牛を飼っていました。
自分の子どもが市場に売られて行った時、母牛は、毎日、「モー、モー」と子どもを探して悲しく泣いていました。
どんなに悲しかったでしょう。
よくお乳をだす母牛の方が、最近の児童虐待の母親よりも、子どもへの愛が深いと思います。
充分なリンパ液と性ホルモンが作られず、牛の心よりも後退しているわけです。
哺乳類も人間にいたって、さらに愛の心の進化を可能にしました。
自分や家族への愛だけなら、哺乳類も同じです。
人間は自分の子どもや家族への愛、仲間への愛、ありとあらゆるものへの愛(=普遍的愛)まで高まることが可能な存在です。
それには豊富なリンパ液の製造が前提となります。
そのためには野菜、海草、果物中心の食事が必要です。
そしてそのようにしてふえたリンパ液を精液製造に過剰にまわさず、自分の家族、まわりの友人、そしてありとあらゆる存在への愛の深さにかえてゆきましょう。
そして普遍的愛の存在に高まってゆくことが、人間の心のさらなる進化の方向です。
(偽の愛の「愛国主義」でなく、普遍的愛へ)
そのような人間の愛の心を「自分の国に誇りを持とう」「自分の国をまもるために生命をかけようとか、自分の国への愛として、愛の心に「半径」を設定しようという動きがあります。
現在、そのような教科書をつくって青年の脳に注入しようという大きな勢力があります。
ナショナリズム(愛国主義)といいます。
それは「愛」に半径をもうけた偽の愛です。
私たちは、そのような偽の愛にだまされず、愛の心をすべての存在への愛(=普遍的愛)に成長させるべきです。
〇〇人という枠を越えて、人類、生命全体への愛にひろげるべきです。
この愛の心の基礎に野菜、海草、果物があり、リンパ液、性ホルモンがあるわけです。
子孫維持のために性ホルモンが有るわけですから、哺乳類においては生まれた子どもに親が責任をもってそだてるように性ホルモンは愛情のホルモン分泌までになっているわけです。
そして人類にいたって子どもだけでなく、生命世界全体を守ること可能にするようにより大きな愛の心がもてるようなホルモン分泌のシステムが作られているわけです。
今日は、インド人の説にもとづいて男性の性とマスターベーション論から、
性ホルモンの話へといろいろ展開しました。
ここまで読んでくれてありがとう。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Soul project one million years ago incorporated I consciousness(soul) of god to evolved monkey that repeated extinction.
I consciousness of god is universal love.
Way to universal love is way to close to god.
このメッセージは,人間の身体構造は普遍的愛を実現するまでに進化している,です。
100万年前の魂プロジェクトは絶滅を繰り返していた進化した猿に神の私意識(魂)を組み込みました。
神の私意識は普遍的愛です。
普遍的愛への道は神に近づく道です。
(はじめに)
今日(土曜日)、昼の番組を見ているとタモリが中心の番組で、元ボクサーの薬師寺氏がでていました。
彼がきわめて興味深いことを言っていました。
そこで今日の通信は、男性の読者向けに、そのテーマを扱おうと思います。
すでに女性向けの「どこまでゆるすか」論で、できるかぎり許さない方がいい、本当にこの人と生涯をともにしようと思う時まで待つ方がいいというような論をかきました。
今回は、男性の性とマスターベーションにかかわることを書きます。
女性は、読み苦しいしかもしれませんが、お許しください。
このメールは、お母さん、お父さんも読んでおられる方もあるので、びっくりされるかもしれませんが、まじめに論じるので、たぶん了解してくださるだろうと思います。
(薬師寺元世界チャンピオンの語っていたこと)
今日(4月13日)の昼のテレビ番組で、元ボクシングの世界チャンピオンであった薬師寺氏の語っていたことは次のようなことです。
「私は自分がコーチされたように、弟子を私生活までかかわってコーチして育てたい。
私は、アメリカ人のコーチから試合前一カ月間(20日間といったのか一カ月間と言ったのかうろ覚えですが)セックスならびにマスターベーションをいっさい禁じられ、私はそれを守った。
おちんちんはいつもこちんこんちんだった。
自然に夢精ででるのはかまわりないのですが、人為的にだしてはいけないのです。
パンチ力が違うのです。・・・・
いい素質をもった選手も、ある線以上のところにいけるかはまったくわかりません。
ちやほやされたところで、それ以上伸びない選手もたくさんいます」
この話は、不思議と私が訳しているインドのヨーガの先生(P.R.サルカール)の説と結果的に一致しているのです。
違う点は、薬師寺選手のコーチは「ボクシングでのパンチ力は、下腹部の筋肉を使う。精液を排出する時に使う筋肉といっしょで、精液をだすために使えば、その筋肉がゆるんでしまう。」と説明した点です。
ちなみにへその下の下腹部を丹田(たんでん)といってそこに力が入るのが大切なのだそうです。
(サルカールの説)
私が訳しているインドのヨーガの先生の説明の方も説得力があります。
その説明は次のようなものです。
でに説明した「根源にある一から多が生まれる」という見方を知っていればわかりやすいと思います。
人は、吸った空気や食べ物などの栄養をもとに、シュクラという生命エネルギーのもとをつくります。
そのシュクラを「根源にある一」と考えてください。
そのシュクラが形をかえて、血液、リンパ液、体液、ホルモン、精液など「多様な形」に展開しているわけです。
精液はリンパ液が形をかえたものだと彼はいいます。
リンパ液をはこぶ管は、毛細血管と同じように身体中にはりめぐらされて、身体のいろつやなどの魅力や健康を維持します。
あるいは俊敏さやパンチ力にもかかわります。
女性の場合はお乳にもなります。
身体をまわって残ったリンパ液は血液として脳にゆきますから、思考力や知性にも影響します。
もし、エッチなことを考え、刺激を与えると前立腺の分泌液と睾丸の精子がまざってリンパ液は、精液に転化します。
私が訳しているそのインド人のヨーガの先生は、だから、なるべく生命エネルギーの無駄使いをするなといいます。
結婚しても夫婦生活は月に四回以内にしなさいとすすめます。
薬師寺選手が試合前に一カ月間もの禁欲をしたのは、生命エネルギーを無駄使いせずに身体にため込んで、試合の時に一気に放散して、おどろくべき成功をおさめたと考えられます。
だから、もし、みなさんの中にクラブの試合があるとすると薬師寺選手なみにはできないにしても、せめて一週間でも生命エネルギーをためこむことはできるかもしれません。
(リンパ液が精液製造にまわらない方法・・・その一)
そのインドのヨーガの先生は、性欲をおさえるヨーガのポーズとして尻を下にして両足をひろげて、片足ずつ前屈するポーズをすすめています。
息をはきながら前屈して8秒間を息をとめて、息を吸いながら背筋をのばします。
それを右、左交互に8回します。
(リンパ液が精液製造にまわらない方法のつづき・・・その二)
シュクラ(生命エネルギー)から転化したリンパ液が精液のもとであり、肌のいろつやのもとであり、脳や筋肉のパワーにもなるもとであり、リンパ液の増産が大切といいます。
彼によると野菜などの葉緑素がリンパ液を増やす役割をします。
葉緑素はリンパ液の原料ではありませんが、触媒の役割をはたします。
しっかり野菜や海草で葉緑素をとることがパワーのもとになります。
肉食は体温をあげ、リンパ液を精液にまわすことを促進するので、生命エネルギーを精液のほうで浪費する方にまわしてしまいます。
たぶんもともと昔の仏教では性欲を禁止していましたから、精進料理が肉食ではないのは、そういう意味ももっていたのかもしれません。
だから自らのエッチ度を減らし、生命エネルギーを浪費せず、建設的な方向にまわすためには肉を減らして、野菜、海草、果物を中心にした食事にすることが必要です。
逆に言えば、肉食を中心にすると生命エネルギーは精液製造にまわるので、精液の排出要求が強くなりますから、強くなった排出要求を無理して抑えようとすると心のバランスが狂い、反作用が強くなり、よけいに出したくなると思います。
だから野菜、海草、果物中心の食事が必要なわけです。
そうすると心は排出欲求をおさえようと無理な努力する必要がありません。
(補足・・・「英雄よく色を好む」のはなぜか)
(友人にこの話をしたら、「『英雄よく色を好む』とかいって、政治家の大物など、年取ってからも女つくって子どもつくったりするではないか」と彼が言いました。
そこで、私は「実はそうしたパワフルな人は、生命エネルギー自体の量が多いのであって、生命エネルギーの一部を性エネルギーにさいても、残りがたくさんあるからいいけど、生命エネルギーの量がそれよりすくない普通の凡人が、その多くを性エネルギー(精液製造と排出)にまわしたら、他の生活と活動部分のエネルギーにまわす分が小さくなるのではなかろうか」と答えました。
友人は納得していました。
今、この部分を書きながら思ったのですが、そうした色を好む英雄、すなわち政治家たちは、権力欲と名誉欲などの欲望がギラギラしている存在です。
そうした人々ははじめは貧乏生活にたえてがんばっていても、立身出世が成功した後は、その反作用からうんとごちそうを食べ、肉食中心になると思います。
そうするとその肉食により、リンパ液が精液の製造の方にまわり、普通の人間よりもうんと好色に、精液排出欲望を年とってからも持つようになるのだと思います。
彼らはどん欲であり、好色です。
ですから、彼らの心の中が平穏になり、幸せを実現しているとは考えられません。)
(マスターベーションには、マイナスはないのだろうか)
昨年、学校で配られた保健の小さなパンフレットに「マスターベーションには害なく、しても問題はない」と書いてありました。
私が高校ころに読んだ本にはやはりそう書いてありました。
私がであった本でマスターベーションや性について書いてある本はみんなそういうトーンでした。
インドのヨーガの先生の本が、セックスもマスターベーションも、なるべく抑えよ、生命力の無駄使いをするなというはじめての本格的な本でした。
そしてその次に似たように見方を耳にしたのが、今日の薬師寺選手の話です。
試合前に長期に禁欲し、マスターベーションせずに、試合でパワーを出すというものでした。
私は、自分が、若い時にこのことを知っていたとしてもそうできるかは別として、このインドのヨーガの先生や薬師寺選手の話はあたっているとかんじます。
だから、マスターベーションは有害ではないにしても、貴重な生命エネルギーの浪費ではあることは知っておいた方がいいと思います。
精液を放出すると疲れて目もくぼむということは、そのインド人の言うように、やはりリンパ液が精液の方につかわれることを示しているのではなかろうか。
私自身の体験では気持ちも暗くなっていたように思います。
たぶん栄養的に脳にまわる栄養が少なくなることで気分がすこし、暗くなるのだとおもいます。
私は、この薬師寺選手が、試合前に一カ月間も精液の放出をせずにパワーをためこんでいたことは、すごいことで、エネルギーの弱まった今なら別として、青春のそういうエネルギーがいちばんつよいころに、そんなつよい精神力をもっていたとは、すごいなあと正直思います。
でも、もし、若い高校時代、大学時代にマスターベーションや精液についてこういうとらえ方を知っていたら、薬師寺選手までは無理にしてもある程度の努力もできたと思います。
そしたら、もっと生命エネルギーを建設的な方向につかい、より充実した能力のアップした自分であったことができたのでなかろうかと思います。
(私がえらそうに言う資格はないけれど)
以上、マスターベーション論をのべました。
でも、おそらく多くの男子諸君は、やめようと思ってまけると思います。
私もそうでした。その場合、くよくよすることの方が悪いと思います。
やったら、たしかに、パワーがダウンし、やりすぎると免疫系のリンパ液が減るから病気にはなりやすく、弱くはなり、知性も下がるが、死にいたるような重大な自体になることではありえません。
だから元気いっぱいの人は、くよくよするよりは、少々出しても大丈夫とおもっていた方がいいと思います。
私自身がいくら出しても大丈夫なんて本を読んでいたから気軽に出していました。
しかし、今、考えるとやはり生命エネルギーをもっと大事にしていたら、その当時をもっともっとパワフルに生き、もっと大きな成果をあげることができていただろうなあと思うわけです。
この人生で何かを達成しようとしている人は、インドのヨーガの先生のいうように生命エネルギーを大切にした方がいいですよということが、もう、性欲の弱まった年になった男からのメッセージです。
(まったくエッチ以外に心をもちいた場合)
そうそう、もう二点ばかりつけくわえておきます。
まず、一点ですが、そのインド人によると、まったくエッチなことを少しも考えず、たとえばすべてのエネルギーを知力に用いた科学者などで、ある障害(どんな障害だったかわすれたけど)をもった子が生まれることがあるのだそうです。
それは、なぜかというと、精子の製造能力が衰えて、不完全な精子になってしまうからです。
だから、昔のお寺の坊さんのように出家して子どもを生涯つくらない人はそれでいいけど、将来、自分の子をつくりたい人が、まったくエッチなことが頭に浮かばないというのも問題ですね。
(しかし、私たちの文化は、性的刺激が強すぎる)
しかし、今日の文化状況では、そんな心配はまったくなく、むしろ反対です。
テレビのコマーシャルや番組を見ても、看板・ポスターをみても、なんてこの場で女の人が水着ででてこいないといけないのというように、これでもかこれでもかと男の人を性的な刺激にさらしています。
そのような性的刺激は当然、リンパ液を精液製造にまわし、精液の排出要求をつよめます。
ストーカーやチカンがふえていますが、もちろんそれぞれの個人の問題ですが、そうした人を増やす文化状況の中に私たちはさらされています。
これを読んでくれている女性の人は、自分の魅力の出し方を性的な刺激を強くアピールするような服装や態度でない方向で追求してほしいと思います。
もし、すけすけルックなどの服装で魅力をだそうとするならば、あなたを愛するより、女性の性に向かって関心を強く持つ男性を身近に引きつけることになり、本当の愛のある人生に歩むことが難しくなるでしょう。
(性ホルモンの多い人は愛情深い)
もう、一つつけくわえます。
そのインド人によると、性ホルモン(男性ホルモンは主として睾丸でつくられます)は、愛情の深さにも関係します。
男性ホルモンは、思春期に分泌が盛んになって、生殖して子孫を残せるように生殖器の機能を完成させます。また、声変わりを引き起し、あごひげなどのひげを生やさせます。
実はそれだけなく、男性ホルモンの分泌は、その人の愛情の深さにかかわりがあります。
男性ホルモンの多い人は、愛情深く、やさしいというのです。
どちらかというと、ひげがみるからに多くて、男性ホルモンの分泌が過剰な人は、(精液製造が過剰ではなく、精液以外のひげなどの方に精液製造にまわるはずのエネルギーがおおくまわっている人は)、優しさ、愛情深さをつかさどる心のホルモンの方にもエネルギーがまわっているので、やさしいのです。
この男性ホルモンを多くだすにはその原料のリンパ液が豊富であることが前提となります。
すでに言ったようにリンパ液の増産は、野菜や海草の葉緑素が促進する役割をはたします。
(お乳もリンパ液から、・・・どうやってふやすか)
なお、インド人によると男性の精液や男性ホルモンがもともとリンパ液を原料としているように女性のお乳もリンパ液を原料としています。
牛はよくお乳をだします。
それは緑の草の葉っぱをよく食べているからです。
鹿も葉っぱをたべますが、駆け回るエネルギーのためにリンパ液を消費するので牛ほどはお乳をださないのです。
だから、女性も新鮮な野菜、海草を中心とした食事をすることで、母乳がよくでるはずです。
そうした食事をとらない今日の女性は、母乳の出がわるいはずです。
リンパ液の製造が少ないということは、さきほどの性ホルモンが同時に愛情のホルモンであるとすると、子どもへの愛情が薄くなるということです。
今日、児童虐待がひどくなっていることは、食生活がひどいためにリンパ液が充分につくられず、愛情をつかさどる性ホルモンの分泌、お乳が作られないということがあるのではないかと思います。
(生命進化の歴史を、愛の心の進化の歴史としてみると)
考えてみれば、生命進化の歴史は愛の心の進化の歴史でもあります。
最初の単細胞生物から、海の魚まで、仲間を助けるような行動はなかったと思います。
両生類、そして陸にあがった爬虫類も、仲間を助ける行動はありませんでした。
爬虫類でやっと自分の子どもへの母親の愛情が少しでてきたかもしれません。
身体のリンパ液をお乳に変えて子どもを育てる哺乳類がいっそう子どもへの愛情をふかめました。
哺乳類には肉食と草食がいます。
草食動物のほうがリンパ液は多くたくさんのお乳をだします。
私が幼いころ、家は農家で牛を飼っていました。
自分の子どもが市場に売られて行った時、母牛は、毎日、「モー、モー」と子どもを探して悲しく泣いていました。
どんなに悲しかったでしょう。
よくお乳をだす母牛の方が、最近の児童虐待の母親よりも、子どもへの愛が深いと思います。
充分なリンパ液と性ホルモンが作られず、牛の心よりも後退しているわけです。
哺乳類も人間にいたって、さらに愛の心の進化を可能にしました。
自分や家族への愛だけなら、哺乳類も同じです。
人間は自分の子どもや家族への愛、仲間への愛、ありとあらゆるものへの愛(=普遍的愛)まで高まることが可能な存在です。
それには豊富なリンパ液の製造が前提となります。
そのためには野菜、海草、果物中心の食事が必要です。
そしてそのようにしてふえたリンパ液を精液製造に過剰にまわさず、自分の家族、まわりの友人、そしてありとあらゆる存在への愛の深さにかえてゆきましょう。
そして普遍的愛の存在に高まってゆくことが、人間の心のさらなる進化の方向です。
(偽の愛の「愛国主義」でなく、普遍的愛へ)
そのような人間の愛の心を「自分の国に誇りを持とう」「自分の国をまもるために生命をかけようとか、自分の国への愛として、愛の心に「半径」を設定しようという動きがあります。
現在、そのような教科書をつくって青年の脳に注入しようという大きな勢力があります。
ナショナリズム(愛国主義)といいます。
それは「愛」に半径をもうけた偽の愛です。
私たちは、そのような偽の愛にだまされず、愛の心をすべての存在への愛(=普遍的愛)に成長させるべきです。
〇〇人という枠を越えて、人類、生命全体への愛にひろげるべきです。
この愛の心の基礎に野菜、海草、果物があり、リンパ液、性ホルモンがあるわけです。
子孫維持のために性ホルモンが有るわけですから、哺乳類においては生まれた子どもに親が責任をもってそだてるように性ホルモンは愛情のホルモン分泌までになっているわけです。
そして人類にいたって子どもだけでなく、生命世界全体を守ること可能にするようにより大きな愛の心がもてるようなホルモン分泌のシステムが作られているわけです。
今日は、インド人の説にもとづいて男性の性とマスターベーション論から、
性ホルモンの話へといろいろ展開しました。
ここまで読んでくれてありがとう。
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