ENYA -The Spirit of Christmas Past  (video inspired by god of star)



5 自分と合わない先生からも学ぶことを放棄してはいけない
you should not abandon to learn from teachers who do not fit with you

This message is that you should not abandon to learn from teachers who do not fit with you.
People who meet in this life are met in past lives in most cases.
Repeating life meanins to improve quality of encounter.

このメッセージは、自分と合わない先生からも学ぶことを放棄してはいけない、です。
この人生で出会う人はほとんどすべて過去生で出会っています。
出会いの質を良くすることが人生を繰り返している意味です。



(生徒のメッセ-ジ)
あたしがいだいてる先生像っていうのは「おごりたかくて自分の意見を必ず押し通して私たち生徒の意見を聞いてくれない」ってゆー感じです。
先生が必ずしもそーゆー訳ではないけどそんな先生が多いような気がする。
あたしは意見を聞いてもらえないのがほんとに嫌だ。
この高校にもそーゆー先生がいてる。
名前を出していいべきかどうかわからんから出さないけど英語の先生とだけ言っておきたい。
その先生は自分の訳しか受け入れてくれない。
英語なのだから訳し方はいろいろあると思う。
少しのニュアンスの違いがその先生は許せないのかわからないが、
生徒に訳を言わせておいてその訳のどこが間違ってるのかも言わないで
ただ「そんな訳にはならんやろ~」と言って相手をけなし
自分の訳を言いはじめる。
あたしはその先生にならってから英語が嫌になった。
その先生のやり方が嫌いで授業を聞かなくなって
試験の時も勉強せずに試験に臨むので欠点又は欠点ぎりぎりの点数ばっかりだった。
自分(その英語の先生)の機嫌が悪い時は少し授業中にうるさくすると
「お前らいいかげんにしろ」と怒鳴るくせに自分の機嫌が良いときはうるさくしていてもその話にのって自分も話し出す。
ほんまにあたしはその先生が嫌だった。
もっとちゃんと意見を聞いてほしいしちゃんと授業をやってほしいと思う。
あたしは松尾先生みたいな考え方をする先生はこの高校には少ないような気がする。
「100回嘘をつかれても信じろ」と言われてもなかなかできる事じゃない。
それをできる先生はほんまにすごいと思う。
あたしも松尾先生の事を尊敬します。


(私のメッセ-ジ)
こんにちは
私は〇〇さんの感じ方が正常であると思います。
訳し方についてそう感じることは実は学力(学ぶ力)があると思います。
というのは、私は英語も教えたことがあります。
黒板に書いた訳のとおりにうつす子は、学ぶ力がありません。
自分の頭をつかって解釈をして独自の組み立てをする子は、学ぶ力があります。
その時にまちがえても学ぶ力があるから伸びるのです。
ですから、〇〇さんは国語や英語は伸びると思います。
文章を読んでもそう思います。

いろんな生徒がいるように、いろんな教師がいます。
多様性がこの世の中の原則です。
人間的にはいい人だけと、教え方が下手だとか。
粗暴な人だなあとか、頭が固いなあとか、
人のことはきびしく注意するけど、自分には甘い人、
自信過剰でじぶんはよく働いている、おまえらさぼっているではないかと
えらそうにしている人、
いい方のきつい人、いい方のやわらかい人、
ちょっと何かあれば仲間にくってかかる人、
心の狭い人、広い人・・・様々です。
おそらく〇〇さんが社会にでても、同僚や上司にそんな人たちと出会うでしょう。
その時、相手によって、それぞれに適切な距離を維持することが必要です。
みんなが、自然にそうやっていると思います。

さて、教師の好き嫌いとその教科が好きになるかどうかです。
私の考えでは、その教師が教え方がもう一つだと思って人間的にきらいになったとしても、
自分がその先生の教える教科で自分の学力をのばすことをやめてはいけないと思います。
そこはわりきって区別できるように自分の心をかえる方が自分にとっていいと思います。
もし、訳がわからなければ、メールくれたら私がおしえることができますが、他にも学校できける先生はいると思います。
すなわちグラマーとリーダーがあるわけですから。
たとえば、この場合は英語ですが、英語を学び、駆使できるようになるならば、〇〇さんの世界は大きくひろがります。
自分のそうした可能性を、その先生の教え方が気にいらなかったで、つぶしてしまっては、自分の人生の大きな損失です。
その先生の教え方がわるいからと授業中に私語するのは幼児的な稚拙な対応です。
そうではなくて、その教科を徹底的に勉強するのです。
勉強するためにわからないところを他の先生に聞くのです。
(でも、私としては出来るだけ、そのきらいになった先生の目につかないところできいた方がいいと思う。
というのは、私の場合は、聞いてきても、かくれてでないと教えませんでした。
でないと、その先生と気まずくなるからです。
たとえば進路をめぐる相談でも、私の場合は、担任に遠慮して、口出しすることはしません。)
とにかく、言いたいことは、まだ間に合います、
その教科の先生と教え方をめぐって心がすれちがっても、その教科自体をマスターすることを放棄しては、自分が損します。
それらをマスターすればするほど、自分の心の世界が、人生が大きく広がってゆくのですから、自分を大きくすることを捨ててはいけません。

実は、私は受験レベルのトップの高校で教えたことがありませんが、
そうした高校で教えたこのある先生がいやな思いをした体験をよく聞きます。
すなわち生徒は学力だけで教師を見て、
人間的な意味で教師をみない生徒がけっこういるのだそうです。
自分が勉強するためにだけ利用されている感じるから、教師の方はなにかいやな感じをもつのだとおもいます。
ですから、もし、その先生にきいても、わかるように教えてくれないなら、あきらめずに、他の先生にきくか、私にきくか、あるいは、参考書でしらべるのです。
つまりこの場合は、わりきりが必要です。
実は、教師がおしえることはすべて参考書に書いてあるのです。
〇〇さんは充分に参考書を理解する力があります。
ですから、参考書を先生にして徹底的にマスターするのです。
じっさい私が高校の時、先生の授業よりは、参考書を徹底的にマスターしたことがよっぽど訳にたちました。
英語や数学という教科は、思想性がないから、充分、理解できるのです。
社会も単純に暗記とわりきって点数だけとることを考えれば、いい先生につかなくてもマスターできますが、ほんとうに社会科を根本からわかろうとするといい先生にであうことが必要とおもいます。
でも、英語や数学といった教科は、参考書などを手にして自分でくりかえし基本からやったほうが本当は成果があがるのです。
時間さえかければ。
とりあえず、私の意見を述べました。



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