High Praise (Song of Job) -A Celtic Hymn (Thank You) (video inspired by god of star)
3 心をもっとも精妙な状態にする中に真の心の強さがある
true strength of mind is in most subtle state
This message is that true strength of mind is in most subtle state.
Human mind is in mind of parent god of star.
Making mind most subtle state is to close quality of mind of parent god of star and to lead to eternal life.
このメッセージは、心をもっとも精妙な状態にする中に真の心の強さがある、です。
人間の心は親の星の神の心の中にあります。
心をもっとも精妙な状態にすることは心の質を親の星の神に近づけ永遠の生命に導きます。
「何を言われても動じないような」意味での精神力についてですが、
一般論としてはいくらでも論じることができますが、具体的な場面としてどんな時のことが頭にあるのでしょうか。
でないと今回もポイントがずれるかもしれません。それを教えてください。
私の訳しているヨーガの先生によると、人間は物的身体的存在、知的心理的存在、魂(精神性)の存在の三つの重なりあう存在です。
身体的なバランスの安定が、知的心理的安定、魂的(精神性の)安定の基礎になります。
たとえば、生理のはじまる前にイライラするとこの前の生理異常論の所でみなさんからメールがきました。
つまり脳の安定のために必要な栄養分が下腹部の方にゆくので、ちょっとしたことに怒りやすい状態になるのだと思われます。
海草などに含まれるカルシウム、マグネシウムなどの微量ミネラルが不足してもイライラすると言われますが、下腹部の方にそれらの栄養素がまわるのでイライラするのではないかと思います。
だから、身体の状況が心理的安定に影響を及ぼしていることがわかります。
またストレスがかかっている時も尿からカルシウムなどが排出されることが実験でわかっています。
ストレス状態にさらされたらやはりミネラルが不足してイライラ、精神状態が不安定になるわけです。
ですから、適度な運動や散歩でストレスを発散させたり、あるいは微量ミネラル、ビタミンまで考えた野菜・海草摂取の食生活など、心理的安定のためには身体的バランスの安定がその基礎になります。
このようにバランスのとれた身体状況の確立は、精神的な強さの基礎になります。みなさんは疲れている時は、心は小さく、ちょっとしたことにイライラして疲れやすい状態になっていた経験があるでしょう。
心理的安定はそのような身体のバランスのとれた状態を作ることなしには、実現しません。
次に人間の知的心理的な存在領域を考えてみましょう。
心の強さとは、宗教やある教義を狂信的に信じているような人の強さのことを言っているのではないと思います。
そういう人も確信に満ちた表情をして自分の教えを語り、人と論争しても動揺しません。
そのような精神的強さではなく、柳の枝のように曲げても復元力のあるやわらかな心の強さをめざすべきだと思います。
つまり落ち込んでも回復力あるような心の強さです。
その秘密は心を粗大から精妙に向けることにあります。
私の訳しているインド人ヨーガの先生の考え方で説明します。
さきほど述べたように、人間は、物的身体的存在であり、知的心理的存在であり、魂的(精神性の)存在です。
これをおもちにたとえます。
もちの粉の状態がもっとも精妙であり、魂(精神spirit)にあたります。
その材料である魂をこねて形がいくらでもかわる状態になったのが心です。
さらにかちかちの餅になった状態が物質であり、物質からつくられているのが身体です。
では、心は餅として固まる前のやわらかくどんな形にでもかわる状態が心だと考えてください。
心というおもちなるまえの状態は、この現実の世の中で生きて行くために、絶えず様々な形にならなければなりません。
心はたえず外の存在に向かっておいかけてゆかなければなりません。
心はさまざまな願望にかりたてられています。
たとえば食べたいと思えば、心は食べ物の形をとります。
生きて行くためにはそれが必要です。
しかし、毎日、そのように物質的対象にのみに心が向いていて、心は強くなるでしょうか。
やわらかい形になる前のもちが、毎日、同じ対象ばかり念じたら、その形になりきって、次第に固まってゆきます。
固まったもちは、固く一見強そうに見えますが、それは柳の枝垂れの強さとは違います。
年とって頑固になった人の心は一見強そうですが、強いわけでありません。
本当の心の強さはどこにあるのでしょうか。
もちを最初の餅の粉の状態、あるいは最初の水でこねて十分なやわらかさのある状態にもってゆくことです。
心のその状態を精妙と言います。
精妙な状態の心(もちの最初の粉の状態)はいくらたたいてもどうやっても傷つけることはできません。
そこには質問にあった「なんと言われても負けない精神の強さ」があります。
ではどうやったら、心を精妙にできるのか。
毎日心静かにできる時間を少しずつもつことです。
そして精妙な音楽(心を興奮させるものではなく、おちつかせる音楽)その他、もろもろの工夫をして、心をもっとも精妙な粉の状態にもってゆく時間を作ることです。
実は、もっとも心を精妙な粉の状態したものとは、全宇宙をなりたたせている粉です。
精神とは、もっとも精妙なものすなわち神ということです。
私の訳しているインドのヨーガの先生の考え方だと、あなたの心をもっとも精妙にした状態は、実は神(だから精神)であり、
だから、心をもっとも精妙にして粉の状態にしたら、あなたは神であり、神の愛と強さをもつというわけです。
あなたも私も同じ、もちの粉が形を変えて、あなたになり、私になっている。
形を見たら違うけど、もっとも精妙なレベルで考えたら、あなたも私も同じ一つの神だったとなります。
前に校舎の前の楠にたとえましたが、
あなたが楠の一つの葉で、私が別の葉としましょう。
私は一枚の葉だと考えると他の葉と別の存在と感じます。
私は楠の全体であると意識するならば、楠全体の葉や幹や根への愛が生じます。
なぜなら自分だからです。
さきほどの餅を粉にした状態にもどると、自分という特定の形が消えます。
全宇宙の粉の一部です。
粉では個人の境界をひけません。
私自身が全宇宙の粉となります。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Human mind is in mind of parent god of star.
Making mind most subtle state is to close quality of mind of parent god of star and to lead to eternal life.
このメッセージは、心をもっとも精妙な状態にする中に真の心の強さがある、です。
人間の心は親の星の神の心の中にあります。
心をもっとも精妙な状態にすることは心の質を親の星の神に近づけ永遠の生命に導きます。
「何を言われても動じないような」意味での精神力についてですが、
一般論としてはいくらでも論じることができますが、具体的な場面としてどんな時のことが頭にあるのでしょうか。
でないと今回もポイントがずれるかもしれません。それを教えてください。
私の訳しているヨーガの先生によると、人間は物的身体的存在、知的心理的存在、魂(精神性)の存在の三つの重なりあう存在です。
身体的なバランスの安定が、知的心理的安定、魂的(精神性の)安定の基礎になります。
たとえば、生理のはじまる前にイライラするとこの前の生理異常論の所でみなさんからメールがきました。
つまり脳の安定のために必要な栄養分が下腹部の方にゆくので、ちょっとしたことに怒りやすい状態になるのだと思われます。
海草などに含まれるカルシウム、マグネシウムなどの微量ミネラルが不足してもイライラすると言われますが、下腹部の方にそれらの栄養素がまわるのでイライラするのではないかと思います。
だから、身体の状況が心理的安定に影響を及ぼしていることがわかります。
またストレスがかかっている時も尿からカルシウムなどが排出されることが実験でわかっています。
ストレス状態にさらされたらやはりミネラルが不足してイライラ、精神状態が不安定になるわけです。
ですから、適度な運動や散歩でストレスを発散させたり、あるいは微量ミネラル、ビタミンまで考えた野菜・海草摂取の食生活など、心理的安定のためには身体的バランスの安定がその基礎になります。
このようにバランスのとれた身体状況の確立は、精神的な強さの基礎になります。みなさんは疲れている時は、心は小さく、ちょっとしたことにイライラして疲れやすい状態になっていた経験があるでしょう。
心理的安定はそのような身体のバランスのとれた状態を作ることなしには、実現しません。
次に人間の知的心理的な存在領域を考えてみましょう。
心の強さとは、宗教やある教義を狂信的に信じているような人の強さのことを言っているのではないと思います。
そういう人も確信に満ちた表情をして自分の教えを語り、人と論争しても動揺しません。
そのような精神的強さではなく、柳の枝のように曲げても復元力のあるやわらかな心の強さをめざすべきだと思います。
つまり落ち込んでも回復力あるような心の強さです。
その秘密は心を粗大から精妙に向けることにあります。
私の訳しているインド人ヨーガの先生の考え方で説明します。
さきほど述べたように、人間は、物的身体的存在であり、知的心理的存在であり、魂的(精神性の)存在です。
これをおもちにたとえます。
もちの粉の状態がもっとも精妙であり、魂(精神spirit)にあたります。
その材料である魂をこねて形がいくらでもかわる状態になったのが心です。
さらにかちかちの餅になった状態が物質であり、物質からつくられているのが身体です。
では、心は餅として固まる前のやわらかくどんな形にでもかわる状態が心だと考えてください。
心というおもちなるまえの状態は、この現実の世の中で生きて行くために、絶えず様々な形にならなければなりません。
心はたえず外の存在に向かっておいかけてゆかなければなりません。
心はさまざまな願望にかりたてられています。
たとえば食べたいと思えば、心は食べ物の形をとります。
生きて行くためにはそれが必要です。
しかし、毎日、そのように物質的対象にのみに心が向いていて、心は強くなるでしょうか。
やわらかい形になる前のもちが、毎日、同じ対象ばかり念じたら、その形になりきって、次第に固まってゆきます。
固まったもちは、固く一見強そうに見えますが、それは柳の枝垂れの強さとは違います。
年とって頑固になった人の心は一見強そうですが、強いわけでありません。
本当の心の強さはどこにあるのでしょうか。
もちを最初の餅の粉の状態、あるいは最初の水でこねて十分なやわらかさのある状態にもってゆくことです。
心のその状態を精妙と言います。
精妙な状態の心(もちの最初の粉の状態)はいくらたたいてもどうやっても傷つけることはできません。
そこには質問にあった「なんと言われても負けない精神の強さ」があります。
ではどうやったら、心を精妙にできるのか。
毎日心静かにできる時間を少しずつもつことです。
そして精妙な音楽(心を興奮させるものではなく、おちつかせる音楽)その他、もろもろの工夫をして、心をもっとも精妙な粉の状態にもってゆく時間を作ることです。
実は、もっとも心を精妙な粉の状態したものとは、全宇宙をなりたたせている粉です。
精神とは、もっとも精妙なものすなわち神ということです。
私の訳しているインドのヨーガの先生の考え方だと、あなたの心をもっとも精妙にした状態は、実は神(だから精神)であり、
だから、心をもっとも精妙にして粉の状態にしたら、あなたは神であり、神の愛と強さをもつというわけです。
あなたも私も同じ、もちの粉が形を変えて、あなたになり、私になっている。
形を見たら違うけど、もっとも精妙なレベルで考えたら、あなたも私も同じ一つの神だったとなります。
前に校舎の前の楠にたとえましたが、
あなたが楠の一つの葉で、私が別の葉としましょう。
私は一枚の葉だと考えると他の葉と別の存在と感じます。
私は楠の全体であると意識するならば、楠全体の葉や幹や根への愛が生じます。
なぜなら自分だからです。
さきほどの餅を粉にした状態にもどると、自分という特定の形が消えます。
全宇宙の粉の一部です。
粉では個人の境界をひけません。
私自身が全宇宙の粉となります。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods