GUIDED MEDITATION - Journey to the Stars. Sleep Talkdown (video inspired by god of star)
4 心を無限大に拡張するレッスンである瞑想が自分をやさしい人間する
editation of lesson to expand mind to infinity makes you tender
This message is that meditation of lesson to expand mind to infinity makes you tender.
Highest tender mind is mind of god.
Way of life to become highest tendr human is to become soul to live eternal life with gods after death.
このメッセージは、心を無限大に拡張するレッスンである瞑想が自分をやさしい人間する、です。
最高にやさしい心とは神の心です。
最高にやさしい人間になる生き方とは死後,神とともに永遠の生命を生きる魂になることです。
やさしくなる方法の一つは「やさしくなりたい」と願いつづけることでした。
で、質問の中に「でも、いつも何らかの『欲』が邪魔してしまって無理なんです」とありました。
やさしさをじゃまする『欲』の克服を仕方を紹介しましょう。
『欲』自体は悪いものではありません。
たとえば、食欲がないと人間は死んでしまいます。
どんな時に『欲』が邪魔したのか、わかりませんが、自分の『欲』にこだわって、相手にやさしさをうしなってしまうことはよくあります。
『欲』はなくすことはできません。
しかし『欲』はしずめることができます。
どうやったらしずめることができるのか。
毎日、朝、晩、だれもいないところで、目をつむって瞑想して心をしずかにするのです。
(これは宗教とかんちがいされるので、日本では今のところ人目に隠れて瞑想した方がいいでしょう。
もし、まんじゅうをたべたことがなかったらまんじゅうの味はわかりません。
それと同じで瞑想をやってみたら、その効き目がわかるでしょう)
つまり瞑想をしていると自分の『欲』がしずまるのです。
最終的には、目の奥あたりに光をイメージしてそこに集中してみてください。
(あるいは無限の大宇宙をイメージしてください。心を最大限にひろげてゆくのです。
つまり光の一点に集中するか、自分を無限の存在がうしろからみているとイメージしてください)
毎日同じ時間にする。最初は5分からでもいいです。短い時間でもいいです。
次第に長くやってもなんともかんじなくなったあたりから、本物の効果があります。
つまり、もし「バイクがほしくたまらない」といったような気持、こだわりが消えるでしょう。
性的な欲だってしずめることはできます。
(消すことはできません。しずめることはできるのです。
性的な欲をしずめるには、この瞑想とあわせて、肉食をへらし、野菜、果物の方をふやすことも効果があります)
君のいうとおり「欲」をしずめることができるようになることで、
本当に「やさしく」ふるまうことができるようになるでしょう。
瞑想をする時に次のように考えてください。
すべての人間、すべての命、すべての存在、すなわちこの大宇宙のすべて、あなたも、私も、彼も、彼女も、あの犬も、あの花もの、あの星も、すべての一つの大宇宙の心(無限の愛)が、かたまって、この世界としてあらわれているとイメージするのです。
君も私も、じつは一つの存在がわかれて、君になり、私になっているので、根本は一つなのです。
私たちは、この全宇宙の一つなのです。
大宇宙がわかれて、様々の存在になっているのです。
サルカールは、人生の目標は、無限の大宇宙の意識(無限の大宇宙の心)の中に自分の心を拡大していって、最後にそれにとけこませることだといいます。
心がちいさいとやさしくなることができません。
心を無限に大きくする時、本当にやさしい人間になることができます。
漢字で「度量(どりょう)が広い人間」といいます。
どりょうのひろい、ちょっとしたことに怒らない人間にならなくてはなりません。
自分の心を無限の広さにひろげてゆくことが、これがだれもが人生でめざすべきことだとインドのサルカールはいいます。
すこし、ここからむずかしいですが、・・・・
なぜ、瞑想をしたら、『欲』がしずまるのでしょうか。
『私はバイクがほしい』という例で考えてみましょう。
目をとじて、バイクをおもいうかべます。
その時、心の材料は二つにわかれます。
バイクの像となっている部分と思いうかべる作業をしている部分です。
サルカールは、バイクの像の部分をチッタといい、思いうかべている部分をアハムタットヴァといいます。
瞑想とは、このバイクの部分すなわちチッタを消し、思いうかべている作業(アハムタットヴァ)をストップすることです。
バイクが寝ても覚めてもほしくてたまらないということは、寝てもさめても、心のチッタの部分がバイクの形をとっているのです。
それをいったん消す練習です。
その時の心は何もおもっていません。
心は仕事をしていません。何も心配していません。
リラックスしています。
その時、何もかんがえていないその心は『私はある』『私は存在している』という感じだけがあります。
『私はある』だけのその感覚のことをサルカールはマハータットヴァといっています。
瞑想をつづけて、この『私はある』の感覚まで達することができるようになったら、『欲』をしずめる効果がでてくるでしょう。
人間ですから『欲』を消すことはできません。 しかし、『欲』をしずめることはできます。
もう一つ『瞑想』がやさしさに効果のある理由、ついつい人を傷つけることをいってしまわない人間になるには
人が、つい、やさしさをうしなって、人をきずつけることを言ってしまうのは、どういうことでしょうか。人は悪気がなくても、ついつい思わず、人を傷つける言葉を言ってしまいます。
それはなぜなんでしょうか。
サルカールはこの大宇宙はプルシャ(意識)にプラクリティという力=エネルギーがくわわって展開しているといいます。
人間の心もプルシャとプラクリティからなっています。
目をとじて、心を一つにしようとおもっても、こころはいろんなことを考えて、あちこちにうごきまわるでしょう。
このうごきまわる原理がプラクリティです。
自分の意思のままにものごとを動かすことができるのが「自由」です。
西洋の科学を学び、人間は空を飛び、海の底深く、そして地球の外までゆく「自由」を拡大してきました。これは心の外のことです。
しかし、西洋は、かんじんの自分の心を自分の意思のままにあやつる科学は発展させませんでした。
つまり、目をとじて、心を一つに自分の意思のままにできない人間は、自分の心を自由にあやつっていないので、本当には自由ではないのです。
これをサルカールはプラクリティに束縛(そくばく)されているといいます。
つまり目をとじて、自分の心を自分の意思で一つにおちつかせることができないことは、自分の心をコントロールする力かないということですから、目をあけた状態でも、ついつい、自分の動きまわる心をコントロールできずに、人を傷つけることを言ってしまうのです。
つまり、目をとじて瞑想をして、心から、バイクがほしいなどのイメージを消して『私はある』という感覚だけの心にする練習は、目をあけた状態で、ついつい他の人を傷つけることをいわない心をつくる練習でもあるのです。
この練習を毎日すると必ず、そういう心をつくることに成功するでしょう。
最後に私が研究しているサルカールの教えをもう一度くりかえすと、人生の最高の目標は、無限に広い心をつくることです。
私も、あなたも、あの猫も、あの花も、あの星も、一つの心がわかれてできたもので、もともと一つなのだ。
自分にとって自分が尊いようにこの宇宙にあるものすべてが、私と本来は一体であり、とおとく、かけがえなく大切なのものだという気持にたっすること。
これが無限に広い心です。
少し、むずかしいりくつをこねましたが、何か心にひびくものがあれば、幸せです。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Highest tender mind is mind of god.
Way of life to become highest tendr human is to become soul to live eternal life with gods after death.
このメッセージは、心を無限大に拡張するレッスンである瞑想が自分をやさしい人間する、です。
最高にやさしい心とは神の心です。
最高にやさしい人間になる生き方とは死後,神とともに永遠の生命を生きる魂になることです。
やさしくなる方法の一つは「やさしくなりたい」と願いつづけることでした。
で、質問の中に「でも、いつも何らかの『欲』が邪魔してしまって無理なんです」とありました。
やさしさをじゃまする『欲』の克服を仕方を紹介しましょう。
『欲』自体は悪いものではありません。
たとえば、食欲がないと人間は死んでしまいます。
どんな時に『欲』が邪魔したのか、わかりませんが、自分の『欲』にこだわって、相手にやさしさをうしなってしまうことはよくあります。
『欲』はなくすことはできません。
しかし『欲』はしずめることができます。
どうやったらしずめることができるのか。
毎日、朝、晩、だれもいないところで、目をつむって瞑想して心をしずかにするのです。
(これは宗教とかんちがいされるので、日本では今のところ人目に隠れて瞑想した方がいいでしょう。
もし、まんじゅうをたべたことがなかったらまんじゅうの味はわかりません。
それと同じで瞑想をやってみたら、その効き目がわかるでしょう)
つまり瞑想をしていると自分の『欲』がしずまるのです。
最終的には、目の奥あたりに光をイメージしてそこに集中してみてください。
(あるいは無限の大宇宙をイメージしてください。心を最大限にひろげてゆくのです。
つまり光の一点に集中するか、自分を無限の存在がうしろからみているとイメージしてください)
毎日同じ時間にする。最初は5分からでもいいです。短い時間でもいいです。
次第に長くやってもなんともかんじなくなったあたりから、本物の効果があります。
つまり、もし「バイクがほしくたまらない」といったような気持、こだわりが消えるでしょう。
性的な欲だってしずめることはできます。
(消すことはできません。しずめることはできるのです。
性的な欲をしずめるには、この瞑想とあわせて、肉食をへらし、野菜、果物の方をふやすことも効果があります)
君のいうとおり「欲」をしずめることができるようになることで、
本当に「やさしく」ふるまうことができるようになるでしょう。
瞑想をする時に次のように考えてください。
すべての人間、すべての命、すべての存在、すなわちこの大宇宙のすべて、あなたも、私も、彼も、彼女も、あの犬も、あの花もの、あの星も、すべての一つの大宇宙の心(無限の愛)が、かたまって、この世界としてあらわれているとイメージするのです。
君も私も、じつは一つの存在がわかれて、君になり、私になっているので、根本は一つなのです。
私たちは、この全宇宙の一つなのです。
大宇宙がわかれて、様々の存在になっているのです。
サルカールは、人生の目標は、無限の大宇宙の意識(無限の大宇宙の心)の中に自分の心を拡大していって、最後にそれにとけこませることだといいます。
心がちいさいとやさしくなることができません。
心を無限に大きくする時、本当にやさしい人間になることができます。
漢字で「度量(どりょう)が広い人間」といいます。
どりょうのひろい、ちょっとしたことに怒らない人間にならなくてはなりません。
自分の心を無限の広さにひろげてゆくことが、これがだれもが人生でめざすべきことだとインドのサルカールはいいます。
すこし、ここからむずかしいですが、・・・・
なぜ、瞑想をしたら、『欲』がしずまるのでしょうか。
『私はバイクがほしい』という例で考えてみましょう。
目をとじて、バイクをおもいうかべます。
その時、心の材料は二つにわかれます。
バイクの像となっている部分と思いうかべる作業をしている部分です。
サルカールは、バイクの像の部分をチッタといい、思いうかべている部分をアハムタットヴァといいます。
瞑想とは、このバイクの部分すなわちチッタを消し、思いうかべている作業(アハムタットヴァ)をストップすることです。
バイクが寝ても覚めてもほしくてたまらないということは、寝てもさめても、心のチッタの部分がバイクの形をとっているのです。
それをいったん消す練習です。
その時の心は何もおもっていません。
心は仕事をしていません。何も心配していません。
リラックスしています。
その時、何もかんがえていないその心は『私はある』『私は存在している』という感じだけがあります。
『私はある』だけのその感覚のことをサルカールはマハータットヴァといっています。
瞑想をつづけて、この『私はある』の感覚まで達することができるようになったら、『欲』をしずめる効果がでてくるでしょう。
人間ですから『欲』を消すことはできません。 しかし、『欲』をしずめることはできます。
もう一つ『瞑想』がやさしさに効果のある理由、ついつい人を傷つけることをいってしまわない人間になるには
人が、つい、やさしさをうしなって、人をきずつけることを言ってしまうのは、どういうことでしょうか。人は悪気がなくても、ついつい思わず、人を傷つける言葉を言ってしまいます。
それはなぜなんでしょうか。
サルカールはこの大宇宙はプルシャ(意識)にプラクリティという力=エネルギーがくわわって展開しているといいます。
人間の心もプルシャとプラクリティからなっています。
目をとじて、心を一つにしようとおもっても、こころはいろんなことを考えて、あちこちにうごきまわるでしょう。
このうごきまわる原理がプラクリティです。
自分の意思のままにものごとを動かすことができるのが「自由」です。
西洋の科学を学び、人間は空を飛び、海の底深く、そして地球の外までゆく「自由」を拡大してきました。これは心の外のことです。
しかし、西洋は、かんじんの自分の心を自分の意思のままにあやつる科学は発展させませんでした。
つまり、目をとじて、心を一つに自分の意思のままにできない人間は、自分の心を自由にあやつっていないので、本当には自由ではないのです。
これをサルカールはプラクリティに束縛(そくばく)されているといいます。
つまり目をとじて、自分の心を自分の意思で一つにおちつかせることができないことは、自分の心をコントロールする力かないということですから、目をあけた状態でも、ついつい、自分の動きまわる心をコントロールできずに、人を傷つけることを言ってしまうのです。
つまり、目をとじて瞑想をして、心から、バイクがほしいなどのイメージを消して『私はある』という感覚だけの心にする練習は、目をあけた状態で、ついつい他の人を傷つけることをいわない心をつくる練習でもあるのです。
この練習を毎日すると必ず、そういう心をつくることに成功するでしょう。
最後に私が研究しているサルカールの教えをもう一度くりかえすと、人生の最高の目標は、無限に広い心をつくることです。
私も、あなたも、あの猫も、あの花も、あの星も、一つの心がわかれてできたもので、もともと一つなのだ。
自分にとって自分が尊いようにこの宇宙にあるものすべてが、私と本来は一体であり、とおとく、かけがえなく大切なのものだという気持にたっすること。
これが無限に広い心です。
少し、むずかしいりくつをこねましたが、何か心にひびくものがあれば、幸せです。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods