STAMATIS SPANOUDAKIS - Absences (Relaxing music)  (video inspired by god of star)



3 やさしい心を発達させる最終目標は、すべての人間、すべての生命、すべての存在に対するやさしさを身につけることである
ltimate goal of developing tender mind is to become tender to all human beings, all lives and all existence

This message is that ultimate goal of developing tender mind is to become tender to all human beings, all lives and all existence,
This road is way to eternal life by raising up spirituality.

このメッセージは、やさしい心を発達させる最終目標は、すべての人間、すべての生命、すべての存在に対するやさしさを身につけることである、です。
この道は、スピリチュアリティを高める永遠の生命への道です。



こんにちは
こんかいは、「やさしくなるにはどうしたらいいか」という質問をいただいたので、それにこたえる形で本格的に返事をしましたので、みなさんに紹介します。


メールありがとう。
『やさしい人になりたい』
「率直に『優しい人』になりたいんです。
でも、いつも何らかの「欲」が邪魔してしまって無理なんです(>_<)
やはり育ってきた環境や生まれつきの性格などで決まってしまうのでしょうか?」

うまくわかりやすく説明できるかわかりませんが、私が勉強しているインド人サルカールの考え方を参考に返事を書いてみます。
最初に「やさしさ」について論じ、次に「どうやったらやさしくなれるか」について論じます。

心は念ずるもの、願っているもの、あこがれているものの形と性質を身につけてゆく
「『やさしい人』になりたい」ということは、すばらしい願いだとおもいます。
サルカールよれば、心は念ずるものの形と性質を身につけてゆきます。
ずっとつよくやさしくなりたいと本当に願いつづけたら、しまいにとてもやさしい人になるでしょう。
たとえば、高校一年生の時、まわりの人を乱暴にあつかうクラブの先輩をみて、その先輩をかっこよいとおもってしまって、ああいう人になろうとおもったら次第にその先輩の乱暴さを身につけてゆくでしょう。
勉強ができるようになりたいと本気で願ったら、勉強もできるようになるでしょう。
ほとんどのケースは、どうせだめだからと勉強をできるようになることを本気では願っていないのです。
だから、「やさしい人になりたい」という気持をもちつづけるのです。

なぜ、やさしい人になりたいという願いがすばらしいのか
ひとつは、まわりの人にやさしくしていると、結局は、自分が他の人からやさしくされるようになるでしょう。
まわりの人に心からやさしくする、すなわちまわりの人を大切にする心をもって、どんな人にでも対応する人は、その分だけ自分にやさしさがかえってきます。
まわりの人々と心の内側のつながった幸せな人生がまっています


もう一つは、今の世の中はやさしくない人々がおおすぎるから、一人でもやさしい人がふえてゆかないといけないからです。
日本では毎年大人が3万人も自殺する社会になっています。
家族が互いにやさしくせず、いろんな心の病があります。
だれもがやさしい心を発達させたら、もっといい社会になります。

政治や経済もやさしくありません。
小泉さんが今、首相ですが、ふつうの人々の税金をあげ、会社の倒産はしかたないとして、つよい会社だけが生き残るような政治をしています。
やさしい政治とはいえません。
アメリカではブッシュさんが大統領ですが、ニューヨーク・テロで3000人殺されたからといって、アフガニスタンの罪ない関係ない人々を戦争で殺しました。
アメリカを中心に考えていて、すべての人々に対して同じやさしさをもっていないからです。
こんどは今イラクに対して戦争をしようとしています。
アメリカはいちばんつよい国なんだから、アメリカを中心に考えず、世界全体の地球政府をつくる世話をして、世界の平和をつくることで地球人類をまとめてゆくべきだとおもいます。
今のやり方だと永久に平和はおとずれません。
日本の小泉さんは、自衛隊の戦艦をだして、アメリカのイラクにたいする戦争に、今、協力しようとしています。
問題を力と強さによって解決しようとしています。
やさしさが世界全体で発展しなくてはなりません。
したがって「やさしくなろう」という人が一人でもふえることは、すばらしいことです。


心の奥から、心の外まですべて「やさしくある」ことをめざすこと・・・
ふつうの人は心の外側だけやさしい

さて、では、「やさしい」とはどういうことでしょうか。
お店に買い物にゆくと愛想よく、やさしくしてくれます。
それは、仕事として、商品を売るために、相手の機嫌をそこねてはいけないからです。
そこには、顔の表情と心の底に違いがあります。
二重性といいます。
よく人を観察してみてください。
大きくわけて三つのタイプがあります。
① 人と接する時も愛想の悪い人、
② 人と接する時は愛想よくてやさしい人だが、でも一人でいる時は、ブスっとしている。
そういう人は、実は家の中の親しい人の中ではそれほどやさしくない人で、周囲に対して傷つけているから、その傷つけた分が、心の奥から不快感としてわいてきて、一人でいる時、明るい表情になりきれないのです。
③ 人と接する時も一人でもいる時も同じような表情で、どんな時にもやさしいタイプの人です。

たいていの人は②です。
私たちは③をめざすべきです。
サルカールは「考え、言葉、ふるまいの一致した人」になりなさいといいます。
心の内側と心の外側が一つになっている人として生きなさいということです。
考えも言葉もふるまいもやさしくなりなさいということです。
だから、ふるまいや言葉だけでなく、心の中で考える内容までやさしくするのです。
「くそっ、こいつはにくいやつや、やっつけてもたろうか」などと考えないことです。
その場合でも、もっと高い立場から、相手をいかに人間的に向上させるかを、じっくり考えることです。
それがやさしさです。


やさしさとは
本当のやさしさとは「えこひいき」があってはいけません。
心に枠をもうけては、真のやさしさではありません。
たとえば、自分の友人だけにやさしいという場合は、友人と友人以外を区別しています。
自分の家族だけにやさしいも家族と家族以外を区別しています。
実は、現在の人類のやさしさは、全部、自分の「身内だけのやさしさ」です。
たとえば、飛行機事故が韓国であったとしたら、「日本人には死者がいなっかたもようです」とほっとした報道があります。
もちろん、自然な感情ですが、これも自分の家族にやさしくして、他の家族の人が事故にあったことはあまり気をとめないのと同じことです。
韓国の人が死んでも、ロシアの人が死んでも、アフガニスタンの人が死んでも、自分の家族が死んだの同じように心を痛めることができる人間に成長できるか、・・・
本当にやさしい心を発達させたら、そこにいたります。


やさしい心を発展させる最終目標は「すべての人間、人類、すべての生命、すべての存在物(天地万物)」をかけがえのない大切なものとして扱う心と感情をに身につけることです。
サルカールはこれを「ネオ・ヒューマニズム」といっています。
すべての人、すべての命、すべての存在、すべての存在ですから、自分の家にある自分のもちものもふくめて大切にあつかうことです。
「やさしい人になりたい」といった君は、ぜひ、この人類の最高のやさしさを身につけていってほしいとおもいます。


育ってきた環境がやさしさを決めてしまうか

どうやったらやさしくなれるかについて、一つは最初にのべたように「やさしくありたい」と思いつづけることがいちばん大切です。
そう思いつづけていたら少しずつかわってゆくでしょう。

「やはり育ってきた環境や生まれつきの性格などで決まってしまうのでしょうか?」とあります。
この意見は、半分あたっていて、半分あたっていません。
半分、当たっているのは、こういうことです。
いちばんわかりやすいのは児童虐待です。
こどもをひどい目にあわせる親です。
こどもの時に親からひどい目にあわされた人は、ついつい自分のこどもにもやさしくなれず、ひど目にあわせてしまうのです。
だから環境というのは一部あたっています。
しかし、環境を乗り越えてゆくことができるのが人間です。
そんな人も「やさしい人」に成長することができます。




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