EDAR MANSUROV ELEGY (video inspired by god of star)
6 どんな子が生まれてきても人間の仲間として歓迎し,どんな子も人間として尊重される社会をつくろう
let's make up society which respect what kind baby born and welcome as member of human
This message is that let's make up society which respect what kind baby born and welcome as member of human.
Message of Mitsuki is to indicate way of very important direction to aim for human society.
Project of Heaven and gods create human society in which all human beings are respected on equal footing.
From this point, this view of message of Mitsuki shows that he did assistant of project of Heaven and gods.
To live on basis of this point of view is way of life close to god.
このメッセージは,どんな子が生まれてきても人間の仲間として歓迎し,どんな子も人間として尊重される社会をつくろう,です。
ミツキのメッセージはきわめて重要な人間社会のあり方についてめざすべき方向を示すものとなっています。
天と神々のプロジェクトは,すべての人間が対等な立場で尊重される人間社会を作ります。
この観点からミツキのこのメッセージはすでに天と神々のプロジェクトのアシスタントをしていたことを示しています。
この観点にもとづいて生きることは神に近づく生き方なのです。
こんにちは
新婚の人から次のような質問がきて、その返事を書いたので紹介します。
「すべての存在は尊いと思っていたつもりでしたが、最近悩むことがあります。
それはいま妊娠二か月なのですがもし生まれつき障害をもった子が生まれたらきっと自分を責めて、だんなさんの親にも申し訳ないようなきもちになって素直にかわいがってあげられるのか心配です。
こんなふうに考えるのはとても悪いことと思います。
どう思われますか」
お腹の中にあかちゃんができたこと、まだ二カ月なので、「おめでとう」というには早すぎるので、無事誕生した時に「おめでとう」は、とっておきます。
1)
今の私は、自分の子どもができた時より、ずいぶんかしこくなっていて、今くらいの知識と考えを私がもっていたら、もっとよかったなあとおもいます。
当時は、子育ては生まれてからだとおもっていました。
でも、今、二カ月だということは、とても大切な時期です。
というのは一生涯の基礎となる脳細胞やその他の器官がどんどんつくられています。
母親が食べるもの、吸うもの、あるいは母親の心のありようも、すべて大きな影響を与えています。
あまり神経質になることはないけれども、なるべくタバコの煙はすわないように、なるべく新鮮な野菜、果物をよくあらって、・・・そして心のリラックスする音楽を・・・
もちろん、人間の中で生きていますから、仕事や家庭でいろいろとあると思いますが、なるべく夫に理解してもらって、すでに子育てははじまっていると自覚することが大切だとおもいます。・・・
ちょっと、質問の趣旨とは違いますが、子育てはすでに始まっているということがいいたいのです。
2)
さて、本論です。
「障害のあった子が生まれたらどうしよう」とおもうことは、別に「すべての存在が尊い」とおもうことと矛盾することではありません。
生まれてくる子が健康に生まれてきますようにと願うことは当然のことであり、むしろ、お腹にいる子どものために気をつけてあげることは、親の責任だとおもいます。
障害には様々な原因があります。
サリドマイドという風邪薬が原因で障害者がたくさん生まれたことがあります。
あるいは、私が昔もっていた生徒で、きちんとした判断力にかけた子がいました。
検査してもらったら脳に軽い障害があり、障害者と認定してもらって就職を世話しました。
そのおかあさんがおっしゃるには、「この子が生まれる時にずいぶん難産で、お腹から外にでる時に、産道で脳をかなり長い間、圧迫していた」そうです。
難産になった原因はわかりませんが、たぶん、母体が適切な運動するなど安産のための努力は、ありうるとおもいます。
たぶんそのようなことは母親学級で保健婦さんが教えてくれるのではないでしょうか。
健康に生まれてほしいとおもうことはなにも問題がありません。
3)
もし、生まれてきた子に障害があったら、自分を責め、夫とその親に申し訳ないとおもうだろう。そしてかわいがることができるか自信がない。・・・
私の妻とその家族も、あとで教えてくれましたが、やはり心配だったそうです。
妻のおじさんに指が六本ある人がいて、生まれてきた子どもの指を数えて、指の数が五本だったのでほっとしたそうです。
お腹に赤ちゃんがいる人は誰でも同じ心配するとおもいます。
もし、生まれてきた子に、障害があったとしたら、自分を責め、夫や親にすまないとおもうことは、最初はそうおもうことはやむをえないかもしれませんが、早くそう思うことをやめて、その子を人間の大切な仲間として育てる決意を固めるべきです。
結果として障害ある子として自分の子どもか生まれきたならば、天が自分に、宝をくれたと感じることになるとおもいます。
例をあげますと、私の85才の母親の姉は、耳の聞こえない障害児を二人生み育てました。
つまり私のいとこの二人が聾唖者なのです。
生まれた時は、母は彼女のグチをきいたそうです。
でも、母の姉(私のおばさん)のお孫さんからきいたところによると、二人の耳の聞こえない子のことを彼女はいつも「私の宝物」と言っていたそうです。
4)
人生で、マイナスなことは、プラスにもなります。
サーカーによれば、この人生で出会うことに意味のないことはありません。
もう一つ例をあげましょう。
私の小学校、中学校の同級生の女の子に○○さんという人がいました。
30年くらいたって中学の同窓会であいました。
とても社交的になっていて中学の時には想像でもできない人にかわっていました。
いちばん人格的な魅力を放っておられたのでびっくりしました。
で、よくきいてみると、子どもは脳性マヒの重度の障害者です。
そして夫は亡くなっていました。
もう20才以上になる重度の障害の子をかかえて生きておられるので、他の人とくらべると、ふつうの見方からみると、いちばん、不幸な人です。
でもそのいちばん不幸な人のはずの彼女が、いちばん、いきいきと輝いているのです。
考えられないような魅力を放っておられるのです。
障害者をまもる運動などで他の障害をもつ親たちを励ましながらいきておられるのです。
つまり、重い障害をもった人も、同じ人間の仲間として大切にされる社会をめざして、いろいろ市民運動をされていて、人間として輝く存在のありかたをされているのです。
私たちは彼女から学ぶべきだとおもいます。
もし、障害ある子が生まれてきたら、その時から、どんな障害がある子が生まれてきても、人間の仲間としてともに大切にされる社会をつくることを、あるいは、そういうことに貢献するように天が私に命じたとおもうべきではないでしょうか。
つまり、どんな子がこの世に生まれてきても、私たちは人間の仲間として歓迎しようではありませんか。
そういう社会をつくろうではありませんかそういう心をもつ時、私は、夫もその親も、心から協力する人になるとおもいます。
昨日、電車の中で、 〇〇高校を十年前に卒業した脳性マヒの障害者の人と話しをしました。
卒業してずっと仕事がなくて仕事をさがしておられました。
今、不況で健常者の仕事を見つけるものむずかしい時代です。
仕事をしようとする人すべてに仕事の保障される社会をつくらなければなりません。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Message of Mitsuki is to indicate way of very important direction to aim for human society.
Project of Heaven and gods create human society in which all human beings are respected on equal footing.
From this point, this view of message of Mitsuki shows that he did assistant of project of Heaven and gods.
To live on basis of this point of view is way of life close to god.
このメッセージは,どんな子が生まれてきても人間の仲間として歓迎し,どんな子も人間として尊重される社会をつくろう,です。
ミツキのメッセージはきわめて重要な人間社会のあり方についてめざすべき方向を示すものとなっています。
天と神々のプロジェクトは,すべての人間が対等な立場で尊重される人間社会を作ります。
この観点からミツキのこのメッセージはすでに天と神々のプロジェクトのアシスタントをしていたことを示しています。
この観点にもとづいて生きることは神に近づく生き方なのです。
こんにちは
新婚の人から次のような質問がきて、その返事を書いたので紹介します。
「すべての存在は尊いと思っていたつもりでしたが、最近悩むことがあります。
それはいま妊娠二か月なのですがもし生まれつき障害をもった子が生まれたらきっと自分を責めて、だんなさんの親にも申し訳ないようなきもちになって素直にかわいがってあげられるのか心配です。
こんなふうに考えるのはとても悪いことと思います。
どう思われますか」
お腹の中にあかちゃんができたこと、まだ二カ月なので、「おめでとう」というには早すぎるので、無事誕生した時に「おめでとう」は、とっておきます。
1)
今の私は、自分の子どもができた時より、ずいぶんかしこくなっていて、今くらいの知識と考えを私がもっていたら、もっとよかったなあとおもいます。
当時は、子育ては生まれてからだとおもっていました。
でも、今、二カ月だということは、とても大切な時期です。
というのは一生涯の基礎となる脳細胞やその他の器官がどんどんつくられています。
母親が食べるもの、吸うもの、あるいは母親の心のありようも、すべて大きな影響を与えています。
あまり神経質になることはないけれども、なるべくタバコの煙はすわないように、なるべく新鮮な野菜、果物をよくあらって、・・・そして心のリラックスする音楽を・・・
もちろん、人間の中で生きていますから、仕事や家庭でいろいろとあると思いますが、なるべく夫に理解してもらって、すでに子育てははじまっていると自覚することが大切だとおもいます。・・・
ちょっと、質問の趣旨とは違いますが、子育てはすでに始まっているということがいいたいのです。
2)
さて、本論です。
「障害のあった子が生まれたらどうしよう」とおもうことは、別に「すべての存在が尊い」とおもうことと矛盾することではありません。
生まれてくる子が健康に生まれてきますようにと願うことは当然のことであり、むしろ、お腹にいる子どものために気をつけてあげることは、親の責任だとおもいます。
障害には様々な原因があります。
サリドマイドという風邪薬が原因で障害者がたくさん生まれたことがあります。
あるいは、私が昔もっていた生徒で、きちんとした判断力にかけた子がいました。
検査してもらったら脳に軽い障害があり、障害者と認定してもらって就職を世話しました。
そのおかあさんがおっしゃるには、「この子が生まれる時にずいぶん難産で、お腹から外にでる時に、産道で脳をかなり長い間、圧迫していた」そうです。
難産になった原因はわかりませんが、たぶん、母体が適切な運動するなど安産のための努力は、ありうるとおもいます。
たぶんそのようなことは母親学級で保健婦さんが教えてくれるのではないでしょうか。
健康に生まれてほしいとおもうことはなにも問題がありません。
3)
もし、生まれてきた子に障害があったら、自分を責め、夫とその親に申し訳ないとおもうだろう。そしてかわいがることができるか自信がない。・・・
私の妻とその家族も、あとで教えてくれましたが、やはり心配だったそうです。
妻のおじさんに指が六本ある人がいて、生まれてきた子どもの指を数えて、指の数が五本だったのでほっとしたそうです。
お腹に赤ちゃんがいる人は誰でも同じ心配するとおもいます。
もし、生まれてきた子に、障害があったとしたら、自分を責め、夫や親にすまないとおもうことは、最初はそうおもうことはやむをえないかもしれませんが、早くそう思うことをやめて、その子を人間の大切な仲間として育てる決意を固めるべきです。
結果として障害ある子として自分の子どもか生まれきたならば、天が自分に、宝をくれたと感じることになるとおもいます。
例をあげますと、私の85才の母親の姉は、耳の聞こえない障害児を二人生み育てました。
つまり私のいとこの二人が聾唖者なのです。
生まれた時は、母は彼女のグチをきいたそうです。
でも、母の姉(私のおばさん)のお孫さんからきいたところによると、二人の耳の聞こえない子のことを彼女はいつも「私の宝物」と言っていたそうです。
4)
人生で、マイナスなことは、プラスにもなります。
サーカーによれば、この人生で出会うことに意味のないことはありません。
もう一つ例をあげましょう。
私の小学校、中学校の同級生の女の子に○○さんという人がいました。
30年くらいたって中学の同窓会であいました。
とても社交的になっていて中学の時には想像でもできない人にかわっていました。
いちばん人格的な魅力を放っておられたのでびっくりしました。
で、よくきいてみると、子どもは脳性マヒの重度の障害者です。
そして夫は亡くなっていました。
もう20才以上になる重度の障害の子をかかえて生きておられるので、他の人とくらべると、ふつうの見方からみると、いちばん、不幸な人です。
でもそのいちばん不幸な人のはずの彼女が、いちばん、いきいきと輝いているのです。
考えられないような魅力を放っておられるのです。
障害者をまもる運動などで他の障害をもつ親たちを励ましながらいきておられるのです。
つまり、重い障害をもった人も、同じ人間の仲間として大切にされる社会をめざして、いろいろ市民運動をされていて、人間として輝く存在のありかたをされているのです。
私たちは彼女から学ぶべきだとおもいます。
もし、障害ある子が生まれてきたら、その時から、どんな障害がある子が生まれてきても、人間の仲間としてともに大切にされる社会をつくることを、あるいは、そういうことに貢献するように天が私に命じたとおもうべきではないでしょうか。
つまり、どんな子がこの世に生まれてきても、私たちは人間の仲間として歓迎しようではありませんか。
そういう社会をつくろうではありませんかそういう心をもつ時、私は、夫もその親も、心から協力する人になるとおもいます。
昨日、電車の中で、 〇〇高校を十年前に卒業した脳性マヒの障害者の人と話しをしました。
卒業してずっと仕事がなくて仕事をさがしておられました。
今、不況で健常者の仕事を見つけるものむずかしい時代です。
仕事をしようとする人すべてに仕事の保障される社会をつくらなければなりません。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods