Game in Life or What`s Nectar for Your Soul (video inspired by god of star)



人間の社会の見方が人間の心の発達と相関関係にあることを述べたのはミツキがはじめてなのです
Mitsuki is first time that human view to society have correlation with development of human mind

This article is that attitudes towards society is correlated with development of human mind.
This is made clear by Mitsuki first time in human society.
This is important.
Mitsuki is first time that human view to society have correlation with development of human mind.
Social forum is to achieve development to deeper mind while exchanging views of society.
Development of mind to deeper level means to close to god.

この論文は、ミツキの解明した人間の心の発達と社会に対する態度の相関関係が述べられています。
これは重要な解明です。
人間の社会の見方が人間の心の発達と相関関係にあることを述べたのはミツキがはじめてなのです。
社会フォーラムは社会の見方を交流しながらより深い心の発達を実現します。
より深いレベルへの心の発達は神へ近づくことを意味します。



(1)誰もが相対的真理を生きている

前々回の投稿で、天木氏のスタンスにふれた時に、次のように締めくくりました。
「近代合理主義の世界観の思想レベルに敬意を払います。
しかし、『近代合理主義世界観』を『含んで超えて』
私たちは前進する必要があると思います。
ここに、諸運動を統合するかぎがあると思います。
真理は複数あり、相補性の真理がありうる」
と述べました。

近代合理主義世界観も、集合的社会意識の中で登場した意識ですが、
この世のあらゆるものと同じように歴史的産物であり、
将来、より高次のものに「含まれつつ」とってかわられます。
これは弁証法の見方です。
ウィルバーはそれをホロン論で展開しますが、
彼はマルクス主義者が、弁証法を継承し、今日につないだことを評価しています。
ヘーゲルの弁証法を継承したエンゲルスも、自分たちの思想もより高次の考えに将来とって変わられることをどっかに読んだ覚えがあります。
弁証法とはそういう革命的性質をもった哲学思想です。
弁証法は、定立⇒反定立⇒揚棄(アウフヘーベン)だと思います。

(2)近代合理主義世界観が限界にぶつかる時とは

では近代合理主義世界観の場合、個人でみるとどんな病理にぶつからざるをえなくなるでしょうか。
それについて 第三部 世界中心思考  普遍性の獲得  (後慣習道徳段階)
の半ばあたりに次のように述べています。
たとえば、ある時点で正しいとされた理論も時がたてば、かならず現実から遊離してゆきます。
実際には、この現象している世界には、唯一の絶対的真理はありえません。
真理は相対的なものです。ある時点で正しい論も時間の経過の中でその正しさのレベルは必ず劣化してゆきます。
ある科学的真理を絶対的な真理と勘違いして科学的真理をドグマ(教条)としてしまった時に「私5」の病理が発生します。

20世紀に人類の解放を担った進歩的思想は、大きな成果を上げましたが、
すべてこの弱点をもち、より大きな統合に成功せず、分裂してゆくことになりました。
別の角度から考えましょう。
「私5」の合理的な心は、「もし、こうしたら・・こうなる」というふうに仮説を立て、実践し、そこから演繹するという科学的で合理的な思考ができます。
しかし「発達は、ここで皮肉な旋回を行いうる。経験と行動に統一性と統合を与える原則としての自己の代わりに、自己の経験と行動に同一化する」ケン・ウィルバー『進化の構造Ⅰ』春秋社、410ページ。
ある社会運動の経験と行動に同一化した自己は
、別の立場の運動と統合してゆくことができません。

今日、分裂ではなく、統合が求められています。
それは「多様性における統一」という原理によって成し遂げられます。
そのためには、経験と行動に同一化した自己を観察できる
さらに深みにある「自己」である「私6」に到達しなくてはなりません。
その時のみ、経験と行動に統一性と統合を与える自己の回復が可能になります。

(※集合体(社会)の発展においても、限界にぶつかりますが、その点は将来にまわします。)
ケン・ウィルバーは、還元主義的思考を批判します。
還元主義的思考といのうは、ある問題の究極原因を一つに絞り、その解決につくしている自分たちの立場のみが有益だとするスタンスです。
この市民社会フォーラムの投稿をみますと、様々な領域で活躍されておられます。
生活保護など貧困の問題、辺野古の米軍基地移転問題、労働問題、平和、環境問題、性、あるいは集合的な紛争の解決、在日外国人の人権のテーマを自分の中心に据えている方々、政治的変革に重点をおかれている方々、様々な投稿をみかけます。
(ちなみに私は、社会貢献するスピリチュアル・グループをめざしています)。
あるいは自分の信じる政治的変革をめざしている方もおられるでしょう。
ケン・ウィルバーは、還元論を批判し、統合アプローチを説きます。
このメールグループに参加している方々の諸活動の意義に上下はなく、私はそれぞれとても重要なとりくみだと思います。
また特別に社会的課題にとりくんでいなくても自分の周囲の方と語り合うことも重要な活動だと考えます。
参加者のどの方の活動も大切であり、それらを紹介しあって、
私たちの統合的(integral多様性における統一)アプローチとして位置づけましょう。
20世紀までの思想は、
たとえば、個人よりも社会構造の変革が大事だと
集合体の構造の問題だけに還元する人がいました。
逆にマザー・テレサは一人一人を救うことを重点におき、尊敬されましたが、社会構造の変革の必要性は念頭におきませんでした。
個人の内面の向上があれば社会はよくなると
個人の内面の向上だけに問題を還元するスピリチュアリストがいます。
逆に個人の内面の向上についての研究と実践はせずに、
社会政治の変革に問題を還元する人もいます。
私たちは、還元主義的思考をとらず、市民社会フォーラム参加者すべての人の活動の意義を認めましょう。
私は投稿されている活動は、それぞれ貴重でみんなで応援しあってもっともっと発展させる必要のあるものばかりだと思います。
それぞれが大きな有益な活動の枠組みの中の部分(部分真理)をになっています。

(4)すべての人の意見を相対的真理として認めながら、その深度で勝負する。

すべての人の発言が相対的真理であったとてしも、その意見に優劣はあるはずだと思われるでしょう。
実は、優劣ではなく、その人の立つ位置の深さ(高さ)の度合いがあります。
以前に投稿した「誰もが相対的真理を生きている(自分の可動領域を広げることと他の人の視界から学び、確かめることが大切)」
で述べましたが、その人のコスモスの山における立ち位置によって見える景色が違います。
たとえば、沖縄の基地問題を例にとりましょう。
心が自己中心思考段階の人が沖縄に住んでいたら、
米軍の爆音がうるさいなあと思い、
別のところにひっこしして問題を解決しようとするかもしれません。
それはその人の立ち位置からは相対的真理です。
あるいは米軍基地があることによって
基地経済で生活がやってゆけると感じます。
これもその人の立ち位置からは相対的真理です。
心が社会中心思考の人なら、北朝鮮が日本をミサイルで攻撃するのを防ぐために爆音はがまんすることが社会に貢献することだ思うかもしれません。
北朝鮮の位置づけは別として、その人が日本社会を守るためにそう考えるのはその人の立ち位置からは相対的真理です。
日米安保条約が日本をまもってくれるから米軍にいてもらおうというのも、日本社会中心思考の段階にあります。
米軍の軍事基地の被害を知っている日本社会中心思考の人の中からは、日米安保条約廃棄の考えもでてきます。
さらに世界中心思考の人の場合、
「私たち」人類という視界で見る人は、日本列島に置かれている米軍基地が
ベトナム戦争や今回のイラク戦争のようなアメリカの残虐な侵略戦争に 活用されていることを知り、
その立場から、安保条約という軍事同盟を日米友好条約に変えて、
日本列島を侵略の前線基地にしたくないという気持がおきるでしょう。
その立場から日本と周辺の国々の平和的関係の発展を願った政策をとるでしょう。
その人びとはより平和的な世界へのビジョンを示しつつ、より下位の思考レベルの人びとを説得してゆく課題があります。
だから、どの人の意見も、その人の立ち位置から(コスモスにおけるその人の存在の深度から)見ると正しいのです。
ですから、すべての人が相対的真理であるとした場合、
単純に複数の意見が対等に是とするわけではないのです。
それぞれの発言は同じように相対的真理だけども、深度に差があるのです。
だから、議論の場合、相手が提起している意見に対して、それをさらに深める視点や事実を提供して一歩深めるのです。
たとえば、守邑さんが、日本の植民地支配下の朝鮮名の朝鮮人軍人について紹介された時、
泥さんが創氏改名についてのデータを紹介されました。
私は母語の扱いの問題を提起しました。
こうした議論は互いの認識の深度を進めているのではないかと思っています。
そうやって、互いにコスモスにおける立ち位置を深めてゆきます。 コスモスを山にたとえれば、
より高いレベルに昇るから視界がひろがり、心が大きくなるのです。
池の表面のレベルの認識から、より深いレベルに認識が進みます。
池の表面をかき混ぜたらそれほど社会におよぼす波動は大きくありません。
しかし、私たちが池の表面から池の奥底深くに達するならば、
その深みから発する振動は、社会を大きく揺さぶります。
それがサーカーの言うnucleus revolution中心核革命ではないかと思っています。
私たちは、奥底から社会に振動を与えてゆきましょう。

(5)闘いを説く聖者

サーカーは、ウィルバーと違って大衆の反搾取の闘いの意識を高める必要をつくスピリチュアリストです。
あなたが強盗に今殺されつつあるなら、最後の気力を振り絞って強盗に打撃を与えなさいといいます。
闘いを説くスピリチュアリストです。
たとえば、サントシャとは「足るを知る、日々に満足感をもって生きる」ことですが、次のようにサーカーは説明を付け加えています。
「サントシャとは、誰かが自分の単純さ(人のよさ)を利用して、
搾取したり虐げたりすることに対してじっと我慢することを意味しているのではありません。
自分の生命をまもること、正当に得られるものの権利を捨てることは決して正しくありません。
もしあなたが、当然の権利を奪われた状態にあるのなら、
正当な主張を実現させるために、努力を惜しまず闘い続けるが最も正しいことです」

(6)覚醒した良識に至るために

サーカーはそのような闘う知性を「覚醒した良識」と言います。
覚醒した良識とは、偽善的政治指導者の間違いを見抜き
説得力をもってその間違いを正してゆく力です。
その覚醒した良識に至るために、
次の三つの段階を提起しています。
「第一段階において研究します。
第二段階において、積極的な側面と消極的な側面を分析します。
第三段階は、『至福か、非至福の補足か、非補足か』、(すなわちすべてのものの福利に貢献するかしないか)を判断します。
『覚醒した』良識とは、この論理的な推論の全過程を終えることです。」(Awakened Conscience))

まず第一段階から見てゆきます。
(ア)第一段階・・・研究(学ぶこと)study
良識ある判断に至る第一歩は、まずそれについて研究することです。
学び、調べ、理解し、分析することです。
サーカーによれば、研究とは、「集中的な知的分析」であり、「客観的出来事の主観的同化」です。
「研究とは、ここでは、集中的な知的な分析を意味します。
集中的な研究studyとは、『内面への同化』すなわち『客観的出来事の主観的同化』のことです。
存在もまた出来事であり、外的出来事です。出来事 の同化は、研究を通じて実現されます」(Awakened Conscience)
「客観的出来事の主観的同化」である研究の手段として読み、書くことは大切です。
さらに読み書きだけではなく、感覚器官を通じて情報を得ることも大切だと言います。

(イ)第二段階・・・論理的決定
サーカーは、研究した(学んだ)知識が間違っていないかどうか、完全に確かめるだけにとどまりません。
それが人類とすべてのものの福利に役立つかどうかの観点から、
その知識の積極面と否定面の双方を合理的に分析します。
そしてどちらの側面を選ぶかを根拠によって論理的に決めてゆきます。
「私が何かを聞いたとします。
すると私は、合理的な分析を通じてその積極的な側面とその否定的な側面を分析するでしょう。
すべてのものごとの両側面を秤にかけます。
もし、積極的な側面が支配的であると見た時、
『ええ、それでゆこう』と言うでしょう。
そして、否定的な側面が支配的であると見た時、
『いや、それはだめだ』と言うでしょう。
積極面か消極面のどちらかを選んだこの明確な結論、
この論理的な決定(単なる決定ではありません)は、
サンスクリット語ではシッダンータと呼ばれています。
したがってシッダンータは論理的な決定を意味します。
言葉を混同しないようにしてください」(Awakened Conscience)

(ウ)第三段階・・・支持し、広め、実行する
「覚醒した良識」においては、その知識が、人類とすべてのものの福利に役立つならば、その知識を広め、実際に役立ててゆきます。
「積極面か消極面かを選んだこの論理的決断も最終的なものではありません。
さらにまだ前に進まなくてはなりません。
それでは次のステップは何をめざすべきでしょうか。
その論理的決定が、人間の福利 のために役立ち、
すべての存在の利益と幸福に役立ち、
すべてのものの精神性の健全さに役立つならば、
その時にのみ、私たちはその考えを支持し、広めます。
そして私たち自身も誠心誠意それを実行に移してゆきます。」(Awakened Conscience)
もちろん、その知識と考えを拒否する方が、人類とすべてのものの福利となるならば、「覚醒した良識」は、それを永久に拒否します。
しかし、その知識に手を加えて改善するなら、人類の福利に役立つ可能性があるならば、
『今は、拒否しますが、将来は役だつかもしれません』と将来に活用の余地を残します。」

サーカーの場合、違う意見の人と衝突しますが、知的衝突は進歩を生むといいます。
そして違う意見の人もブラフマ(神)の現れとして尊敬して対処しますから、サーカーの場合には、熱く興奮した闘いになりません。
いかなる時でも怒るなという教えです。
あなたがどんな闘争にも勝利するためのサーカーの言葉です。
「不正を行う者は、また不正に悩みます。
不正を行う人々は、どんなもめ事であろうと心の均衡・バランスを失います。
いかなる不正も働かない者は、不正に対する戦いの中で心の均衡・バランスを維持することが可能となります。
これはこころの静けさに達した者の特質なのです。
嫉妬と憎悪はあなたに眠れない夜を引き起こしかねません。
あなたの憎む人が逆境に苦しんでいる時、通常あなたは彼を気の毒に思いはしません。
しかし、最も罪深いものに対してさえも、あなたは慈悲心を持つべきなのです。
あなたは彼を気の毒に思わなければなりません。
・・・・
最も堕落した者、最も罪深い者、最も不運な者でさえも軽蔑してはなりません。
もし誰かを憎むような事があれば、あなたは精神的に後退するでしょう。
ブッダ(仏陀)は説きます。
 『真実(サティヤ)によって虚偽に打ち勝ちなさい。
寛大さによって貧欲に打ち勝ちなさい。
怒らないことによって怒りに打ち勝ちなさい』
あなたがなすべき心の努力は、決して怒らないと言うことでしょう。
不道徳と虚偽のただ中にあって道徳的でありなさい。
もしもこの技があるならば、あなたはどんな闘争においても勝利を修めるでしょう。」




H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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