The Four Kinds of Approach - Discourse by Shrii Shrii Anandamurti (video inspired by god of star)
神の子としての人間は動植物を尊重すべきです
Human as child of god should respect flora and fauna
This article is that you should to create human culture of neo-humanism that respects all life understanding that human being as member in all of life.
Mind of flora and fauna is in ectoplasm of gods.
Human as child of god should respect flora and fauna.
この論文は、すべての生命の中の一員としての人間であることを理解し、すべての生命を尊重するネオ・ヒューマニズムの人類文化をつくるべきだ、です。
神々の思念体の中に動植物の心があります。
神の子としての人間は動植物を尊重すべきです。
1)
「一寸の虫にも五分の魂」という言葉は
幼少のころ、父から聞いた言葉でした。
浄土真宗の信者だったから宗教的背景がありました。
川に魚を取りにいっても、「食べるためではなく、遊びで魚をとって
殺すようなことはするな」とわたしに注意しました。
2)
私たち人類が一つの種であり、一なる人類が多として現れているように 生命世界は、こけから木からアリから象さん、そして人類まで、一なる生命の多様な現れです。
(DNAで確認可能なとった現在、『人類学では人種なる言葉は、廃語となっている』(河合信雄『アネンデルタール人と現代人』文春新書)そうです。
私たちは、猿人⇒原人⇒旧人⇒新人(現代人)と進化してきたと習い、教えてきましたが、正確には違うのです。
そして生物学の科学は、私たち生命世界が一なる生命の多様な現れであることを証明しつつあるのではなかろうかと推測します)
だから、一寸の虫も私たち生命世界の仲間だと言えます。
3)
進歩的社会主義(プラウト)の創始者インドの聖者、P.R.サーカーは言います。
「人間が生き残りたいようにハトも生き残りたいのです。
同様に、牛も生き残りたいし、木も生き残りたいのです。
ちょうど、私にとって自分の命がいとおしいように、
生き物たちの命も同様に自分たちにとっていとおしいのです。
この世に生きることは人類の生まれながらの権利です。
そして、この地にとどまることは動物世界、植物世界の生まれながらの権利です」
(Renaissance in All Strata of Life)
そして、次のように述べています。
「過去の巨大な恐竜も今日の小さなアリも、同じ存在価値をもっています。
この世で人類がすることはすべて、最大の動物と最小の昆虫まで、
すべての生命のためになされなくてはなりません」
(Ism and Neo-Humanism)
4)
そして「一寸の虫も世界を動かす」という
小さなものの大きな役割の可能性について
次のようにサーカーは述べています。
「それが小さかろうと、この宇宙に重要でないものはありません。
巨大な太陽から小さなアリにいたるまでこのユニヴァースの一部です。
すべての天体、生命、死んでいるものも生きているものも、すべての星、星雲、銀河も同じユニヴァースの家族のメンバーです。
星雲は広大です。
アリは小さいです。
けれどもユニヴァースのバランスを支えている重要性においてはどちらも同じです。
アリが早すぎる死を迎えたとしても、その災難はユニヴァースのバランスを乱すことがあります。
この宇宙には重要でないものはありません。
アリが石の上で東から西へ一インチ動くとしましょう。
この変化によって石のバランスが危うくなると、このことが大地震の原因になりうるもしれません。」
4)
わたしの家は農家でした。
「だや」と呼ばれた別棟に和牛が飼われていました。
牛の子が生まれ、家族で「モンコウ」と名付けて可愛がっていて、
モンコウはわたしにもよくなついていました。
ある日、モンコウは市場に売られてゆきました。
お母さん牛は、自分の子どもを求めて
数日間「うもーーーーー、もーーーーっ、もーー」
と悲しそうな鳴き声(泣き声?)をあげていました。
子どもを失うお母さん牛の悲しみは、たぶん人間の母の悲しみと同じです。
本当に悲しそうな泣き声でした。
5)
近代が到達した「人権思想」すなわちHuman right, humanism を
「含んで超える」必要をわたしは感じています。
すべての人間の権利の尊重は
すべての生命の尊重の思想があってこそ可能になります。
すなわち、すべての存在、すべての生命、すべての人類を聖なるものとして
尊重する精神を身につけた時に、はじめて可能になります。
「人権」の名前で、差別糾弾がおこなわれ、罪なき人の人権までもが奪われました。
「人権と民主主義」の名目で、アメリカなどのアフガニスタンやイラクへの戦争が行われ、
罪なき人の命が多数奪われつづけています。
「人権」は、時に聖なる響きをもって私に聞こえる時もあります。
しかし、「人権」は、私にとって、嫌悪すべきいやな感情を引き起こす言葉でもあります。
真に、ヒューマニズムと人権が、心温まるものとして人々の心に染み渡るためには
「木の枝一つさえ、無用のものはありません。
それは喜びと苦しみの感情を持っています。
私たちはどうしても必要な時だけ木の枝を折るべきです。
あなたが生きる権利を持っているように、
他のものもそれを持っているのです。」
という「ネオ・ヒューマニズム」の心が必要なのではないかと私は思うのです。
Neo-humanism and liberation of intellect
6)
私は、心やさしい人々によびかけたい。
ためしにヴェジタリアンをやってみたらどうだろうか。
肉食をやめてみたらどうだろうか。
みんなが肉食をやめたら、商売にさしさわりのでる人がいるので
多数の人には呼びかけないけど、
このメール・グループの人で関心がある人がいたら
ぜひ、肉食をやめることを試みたらいいと思います。
「人類は、他の人間の痛みや苦悩を感じることができます。
しかし、犬が悲痛にくれている時、誰もそれに注意を払いません。
あたかも犬が痛みに苦しまないと考えているかのようです。
動物も喜びと苦しみを経験するということを人類が理解するようになるなら、
人類は新しい次元の賢明さを持つことになります。
それは、すべての生命に対して同情的であるべきだという
私たち人間の義務感とより高い知力のためです」
(Prout and Neohumanism)
肉食をやめる利点は、人間がやさしくなる他にも多々あります。
〇屠殺牛の数を減らし、牛のゲップを減らすから、地球温暖化を防ぐことに貢献できる
〇トウモロコシなどの人類の食料を牛の飼料とすることで、多くの人の食料を奪っている。
7)参考までに
以下は、肉食再考委員会のホームページです。
http://japanesefood.blog14.fc2.com/
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Mind of flora and fauna is in ectoplasm of gods.
Human as child of god should respect flora and fauna.
この論文は、すべての生命の中の一員としての人間であることを理解し、すべての生命を尊重するネオ・ヒューマニズムの人類文化をつくるべきだ、です。
神々の思念体の中に動植物の心があります。
神の子としての人間は動植物を尊重すべきです。
1)
「一寸の虫にも五分の魂」という言葉は
幼少のころ、父から聞いた言葉でした。
浄土真宗の信者だったから宗教的背景がありました。
川に魚を取りにいっても、「食べるためではなく、遊びで魚をとって
殺すようなことはするな」とわたしに注意しました。
2)
私たち人類が一つの種であり、一なる人類が多として現れているように 生命世界は、こけから木からアリから象さん、そして人類まで、一なる生命の多様な現れです。
(DNAで確認可能なとった現在、『人類学では人種なる言葉は、廃語となっている』(河合信雄『アネンデルタール人と現代人』文春新書)そうです。
私たちは、猿人⇒原人⇒旧人⇒新人(現代人)と進化してきたと習い、教えてきましたが、正確には違うのです。
そして生物学の科学は、私たち生命世界が一なる生命の多様な現れであることを証明しつつあるのではなかろうかと推測します)
だから、一寸の虫も私たち生命世界の仲間だと言えます。
3)
進歩的社会主義(プラウト)の創始者インドの聖者、P.R.サーカーは言います。
「人間が生き残りたいようにハトも生き残りたいのです。
同様に、牛も生き残りたいし、木も生き残りたいのです。
ちょうど、私にとって自分の命がいとおしいように、
生き物たちの命も同様に自分たちにとっていとおしいのです。
この世に生きることは人類の生まれながらの権利です。
そして、この地にとどまることは動物世界、植物世界の生まれながらの権利です」
(Renaissance in All Strata of Life)
そして、次のように述べています。
「過去の巨大な恐竜も今日の小さなアリも、同じ存在価値をもっています。
この世で人類がすることはすべて、最大の動物と最小の昆虫まで、
すべての生命のためになされなくてはなりません」
(Ism and Neo-Humanism)
4)
そして「一寸の虫も世界を動かす」という
小さなものの大きな役割の可能性について
次のようにサーカーは述べています。
「それが小さかろうと、この宇宙に重要でないものはありません。
巨大な太陽から小さなアリにいたるまでこのユニヴァースの一部です。
すべての天体、生命、死んでいるものも生きているものも、すべての星、星雲、銀河も同じユニヴァースの家族のメンバーです。
星雲は広大です。
アリは小さいです。
けれどもユニヴァースのバランスを支えている重要性においてはどちらも同じです。
アリが早すぎる死を迎えたとしても、その災難はユニヴァースのバランスを乱すことがあります。
この宇宙には重要でないものはありません。
アリが石の上で東から西へ一インチ動くとしましょう。
この変化によって石のバランスが危うくなると、このことが大地震の原因になりうるもしれません。」
4)
わたしの家は農家でした。
「だや」と呼ばれた別棟に和牛が飼われていました。
牛の子が生まれ、家族で「モンコウ」と名付けて可愛がっていて、
モンコウはわたしにもよくなついていました。
ある日、モンコウは市場に売られてゆきました。
お母さん牛は、自分の子どもを求めて
数日間「うもーーーーー、もーーーーっ、もーー」
と悲しそうな鳴き声(泣き声?)をあげていました。
子どもを失うお母さん牛の悲しみは、たぶん人間の母の悲しみと同じです。
本当に悲しそうな泣き声でした。
5)
近代が到達した「人権思想」すなわちHuman right, humanism を
「含んで超える」必要をわたしは感じています。
すべての人間の権利の尊重は
すべての生命の尊重の思想があってこそ可能になります。
すなわち、すべての存在、すべての生命、すべての人類を聖なるものとして
尊重する精神を身につけた時に、はじめて可能になります。
「人権」の名前で、差別糾弾がおこなわれ、罪なき人の人権までもが奪われました。
「人権と民主主義」の名目で、アメリカなどのアフガニスタンやイラクへの戦争が行われ、
罪なき人の命が多数奪われつづけています。
「人権」は、時に聖なる響きをもって私に聞こえる時もあります。
しかし、「人権」は、私にとって、嫌悪すべきいやな感情を引き起こす言葉でもあります。
真に、ヒューマニズムと人権が、心温まるものとして人々の心に染み渡るためには
「木の枝一つさえ、無用のものはありません。
それは喜びと苦しみの感情を持っています。
私たちはどうしても必要な時だけ木の枝を折るべきです。
あなたが生きる権利を持っているように、
他のものもそれを持っているのです。」
という「ネオ・ヒューマニズム」の心が必要なのではないかと私は思うのです。
Neo-humanism and liberation of intellect
6)
私は、心やさしい人々によびかけたい。
ためしにヴェジタリアンをやってみたらどうだろうか。
肉食をやめてみたらどうだろうか。
みんなが肉食をやめたら、商売にさしさわりのでる人がいるので
多数の人には呼びかけないけど、
このメール・グループの人で関心がある人がいたら
ぜひ、肉食をやめることを試みたらいいと思います。
「人類は、他の人間の痛みや苦悩を感じることができます。
しかし、犬が悲痛にくれている時、誰もそれに注意を払いません。
あたかも犬が痛みに苦しまないと考えているかのようです。
動物も喜びと苦しみを経験するということを人類が理解するようになるなら、
人類は新しい次元の賢明さを持つことになります。
それは、すべての生命に対して同情的であるべきだという
私たち人間の義務感とより高い知力のためです」
(Prout and Neohumanism)
肉食をやめる利点は、人間がやさしくなる他にも多々あります。
〇屠殺牛の数を減らし、牛のゲップを減らすから、地球温暖化を防ぐことに貢献できる
〇トウモロコシなどの人類の食料を牛の飼料とすることで、多くの人の食料を奪っている。
7)参考までに
以下は、肉食再考委員会のホームページです。
http://japanesefood.blog14.fc2.com/
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods