Socialism in the 21st Century Revolutionary Leaderships in Latin America (video inspired by god of star)
(This is to make workers share means of production)
Dear
I am comic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce article of assistant Mitsuki which was issued to social forum movement.
We write article of view of true gods.
This article is that in expression of Engels there is possibility of misunderstanding of socialism.
For Engels socialism sharing means of production is also managed by democratic way.
Management of democracy is core point of socialism of Marx, Engels.
In order to realize socialism sharing means of production, socialist control government and realize socialism.
Engels wrote this process that government hold means of production.
This is to make workers share means of production.
This does not mean collective ownership of 20th century socialism.
20th century socialism is not socialism of Marx, Engels.
I am comic program in your mind.
We project of Heaven and gods introduce article of assistant Mitsuki which was issued to social forum movement.
We write article of view of true gods.
This article is that in expression of Engels there is possibility of misunderstanding of socialism.
For Engels socialism sharing means of production is also managed by democratic way.
Management of democracy is core point of socialism of Marx, Engels.
In order to realize socialism sharing means of production, socialist control government and realize socialism.
Engels wrote this process that government hold means of production.
This is to make workers share means of production.
This does not mean collective ownership of 20th century socialism.
20th century socialism is not socialism of Marx, Engels.
(民主主義経済こそ資本主義経済を超える道(その2) 経済組織の民主的再編成)
(1)
資本主義に内在する基本的矛盾が、
「社会化された生産と資本家の占有との間の不一致」にあり
その基本矛盾は
個々の職場における生産の組織性と
社会全体における生産のアナーキーの間の対立として
自分を表現している」という
『空想から科学』のエンゲルスの考えを紹介しました。
エンゲルスは、個々の生産の組織性と
社会全体の生産のアナーキーとの間の矛盾が、
経済恐慌として現れているとして
1825年から10年周期で
人々を苦境に陥れていたことを描写しています。
「市場は供給過剰、生産物は大量に積まれ、信用はなくなり
工場は閉鎖され、・・・」です。
このエンゲルスの指摘する社会全体の生産のアナーキーが
今日、金融市場という当時はかった世界的なマネーゲームを伴って
市場原理主義、新自由主義として復活しました。
そして私たちは世界的な規模でエンゲルスがここで述べた状況を
今、目撃しています。
(2)
20世紀後半に世界の三分の一を占めた地域での
「社会主義・共産主義」陣営は
「国有化」による上からの計画経済によって
社会全体のアナーキーを克服しようとしました。
しかし、その内実は、エンゲルスが
次のように描いた「国家資本主義」になりました。
「近代国家は、その形態がどうあろうと、
それが生産力の接収の方向に進めば進むほど
実際にますます多くの市民を搾取する。
労働者は依然として賃金労働者である。」
たしかに、エンゲルスは「プロレタリアートは国家権力を握って
生産手段を国有財産にかえるのである」と述べています。
そのことが、労働者階級の組織が権力をにぎって国有化したら
資本主義を超える社会主義になるという
短絡的な勘違いにつながったと思われます。
エンゲルスの真意は
「社会の名において生産手段を握ることは
国家としての最後の独自行為であり、・・
人に対する統治は、物の管理と生産過程の指導に席を奪われる」
ところにあったと思われます。
(3)
エンゲルスの指摘、すなわち
「個々の職場における生産の組織性と
社会全体における生産のアナーキー
との間の矛盾を解決するために
社会全体における生産も組織化して
社会全体における生産のアナーキーを克服すべきだ」
という考えは重要であると思います。
しかし、エンゲルスのこの文章では
個々の企業の職場の生産の非民主的組織化のありようを
そのまま認めたことになってしまいます。
個々の職場の組織は、少数の幹部が給料も人事もすべて決定する
上意下達システムとして生産が組織されています。
社会全体における生産のアナーキーを克服するために
個々の職場における生産の組織性をもってきたら
社会全体を非民主的な企業組織型ヒエラルヒー構造にしてしまいます。
エンゲルスもマルクスも、将来構想として
少数ものが決定権をもつ経済構造を
成員の民主的合意にもとづいて進める
民主的経済構造へ変革するビジョンを
(もっていたとしても)
明確に文章化していなかったと思います。
(ただし旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義などは
民主的経済構造へのビジョンをもっていたと思われます)。
もちろん資本主義の枠内の民主主義運動も
資本主義的生産構造の非民主性について変革を論じるものは
ありませんでした。
これまでの経済解放の思想は、私の知るかぎり
社会組織を重層的民主主義構造として再編成しようと
するものはありませんでした。
私は、
個々の職場の組織化と
社会全体の生産のアナーキー
という矛盾は
民主的に組織した個々の職場と企業のネットーワークと
民主的に下から組織して上に上ってゆく計画経済との
照応関係によって、
より高次の形態において解決可能だと考えるのです。
このように経済構造を徹底的に民主的に編成した時、
エンゲルスが述べた
「人に対する統治は、物の管理と生産過程の指導に席を奪われる」
が実現します。
国家権力を握った民主主義勢力の役割は、
経済構造を民主的に編成することを
援助、推進することです。
これからやってくる政治の民主革命の勝利の後に
引き続き、このような民主主義革命への
機運が生じることを期待します。
それは資本主義を超える経済社会につながります。
(付録)
資本主義の非民主的経済構造の変革を説く思想が、世界的に登場してきています。
以下のものが資本主義を超える民主的経済構造を説いたものですが
他にも知っておられたら教えてください。
1960年代のサーカーの進歩的社会主義(プラウト)
1990年代のデウ゛ィット・コーテンの「貨幣中心の市場経済から人間中心の社会」
2005年の私の「ホーラーキー社会論」
ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ(スウェーデンの文化人類学者)も、同種の思想かもしれません。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200712131300374
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)資本主義に内在する基本的矛盾が、
「社会化された生産と資本家の占有との間の不一致」にあり
その基本矛盾は
個々の職場における生産の組織性と
社会全体における生産のアナーキーの間の対立として
自分を表現している」という
『空想から科学』のエンゲルスの考えを紹介しました。
エンゲルスは、個々の生産の組織性と
社会全体の生産のアナーキーとの間の矛盾が、
経済恐慌として現れているとして
1825年から10年周期で
人々を苦境に陥れていたことを描写しています。
「市場は供給過剰、生産物は大量に積まれ、信用はなくなり
工場は閉鎖され、・・・」です。
このエンゲルスの指摘する社会全体の生産のアナーキーが
今日、金融市場という当時はかった世界的なマネーゲームを伴って
市場原理主義、新自由主義として復活しました。
そして私たちは世界的な規模でエンゲルスがここで述べた状況を
今、目撃しています。
(2)
20世紀後半に世界の三分の一を占めた地域での
「社会主義・共産主義」陣営は
「国有化」による上からの計画経済によって
社会全体のアナーキーを克服しようとしました。
しかし、その内実は、エンゲルスが
次のように描いた「国家資本主義」になりました。
「近代国家は、その形態がどうあろうと、
それが生産力の接収の方向に進めば進むほど
実際にますます多くの市民を搾取する。
労働者は依然として賃金労働者である。」
たしかに、エンゲルスは「プロレタリアートは国家権力を握って
生産手段を国有財産にかえるのである」と述べています。
そのことが、労働者階級の組織が権力をにぎって国有化したら
資本主義を超える社会主義になるという
短絡的な勘違いにつながったと思われます。
エンゲルスの真意は
「社会の名において生産手段を握ることは
国家としての最後の独自行為であり、・・
人に対する統治は、物の管理と生産過程の指導に席を奪われる」
ところにあったと思われます。
(3)
エンゲルスの指摘、すなわち
「個々の職場における生産の組織性と
社会全体における生産のアナーキー
との間の矛盾を解決するために
社会全体における生産も組織化して
社会全体における生産のアナーキーを克服すべきだ」
という考えは重要であると思います。
しかし、エンゲルスのこの文章では
個々の企業の職場の生産の非民主的組織化のありようを
そのまま認めたことになってしまいます。
個々の職場の組織は、少数の幹部が給料も人事もすべて決定する
上意下達システムとして生産が組織されています。
社会全体における生産のアナーキーを克服するために
個々の職場における生産の組織性をもってきたら
社会全体を非民主的な企業組織型ヒエラルヒー構造にしてしまいます。
エンゲルスもマルクスも、将来構想として
少数ものが決定権をもつ経済構造を
成員の民主的合意にもとづいて進める
民主的経済構造へ変革するビジョンを
(もっていたとしても)
明確に文章化していなかったと思います。
(ただし旧ユーゴスラビアの自主管理社会主義などは
民主的経済構造へのビジョンをもっていたと思われます)。
もちろん資本主義の枠内の民主主義運動も
資本主義的生産構造の非民主性について変革を論じるものは
ありませんでした。
これまでの経済解放の思想は、私の知るかぎり
社会組織を重層的民主主義構造として再編成しようと
するものはありませんでした。
私は、
個々の職場の組織化と
社会全体の生産のアナーキー
という矛盾は
民主的に組織した個々の職場と企業のネットーワークと
民主的に下から組織して上に上ってゆく計画経済との
照応関係によって、
より高次の形態において解決可能だと考えるのです。
このように経済構造を徹底的に民主的に編成した時、
エンゲルスが述べた
「人に対する統治は、物の管理と生産過程の指導に席を奪われる」
が実現します。
国家権力を握った民主主義勢力の役割は、
経済構造を民主的に編成することを
援助、推進することです。
これからやってくる政治の民主革命の勝利の後に
引き続き、このような民主主義革命への
機運が生じることを期待します。
それは資本主義を超える経済社会につながります。
(付録)
資本主義の非民主的経済構造の変革を説く思想が、世界的に登場してきています。
以下のものが資本主義を超える民主的経済構造を説いたものですが
他にも知っておられたら教えてください。
1960年代のサーカーの進歩的社会主義(プラウト)
1990年代のデウ゛ィット・コーテンの「貨幣中心の市場経済から人間中心の社会」
2005年の私の「ホーラーキー社会論」
ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ(スウェーデンの文化人類学者)も、同種の思想かもしれません。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200712131300374
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