Prout: A New Socio-Economic Paradigm? (video inspired by god of star)


(By making communism society soul of humankind is lead to eternal life collectively)

Theme of this page is prout social theory.
Prout social theory is same to documents of Heaven.
I did future reading and knew that project of Heaven and gods begins.
I prepared by downing theory to Sarkar.
I knew true meaning of communism by documents of Heaven.
True meaning of communism is society which follows according to providence.
Communism means society of gods of star.
By making communism society soul of humankind is lead to eternal life collectively.


このペ-ジのテ-マはプラウト社会理論です。
プラウト社会理論は天の文書と同じです。
私は未来リーディングをおこない、天と神々のプロジェクトが始まるのを知りました。
私はサ-カ-に理論をおろすことによって準備をしました。
私は天の文書によって共産主義の本当の意味を知りました。
共産主義の真の意味は、摂理にそって組織された社会です。
共産主義は星の神々の社会を意味しているのです。
共産主義社会をつくることによって人類の魂が集合的に永遠の生命に導かれるのです。



サーカーのプラウトに基づく経済社会論

▼社会サイクル論

◎人間の心の4つのタイプ

 サーカーによれば、人間の心には「クシャトリア(武勇派)」「ヴィプラ(知力派)」「ヴァイシャ(蓄財派)」「シュードラ(庶民派)」という4つのタイプがあります。

 クシャトリアは、身体を強化し、ものごとを制覇していくことに人生の喜びを感じるタイプ。
ヴィプラは、知力を高めることに人生の喜びを感じるタイプ。
ヴァイシャは、ものを作って売るなどして物質的財貨を蓄積していくことに喜びを感じるタイプ。
シュードラは、これらの3つのタイプに比べてその日暮らし的な意識を持ち、物的で表面的な喜びに動かされて生きているタイプです。

 なお、ここでいうクシャトリア、ヴィプラ、ヴァイシャ、シュードラは、インドの身分差別制度であるカーストとは直接の関係はありません。

◎社会サイクルとは

原始社会は人々がバラバラに暮らすシュードラ社会です。
その中でクシャトリアがリーダーとなって社会をまとめ、秩序をもたらします。
社会が安定してくるとクシャトリアの武勇のメンタリティは不要となり、むしろ複雑になった社会を知的にまとめていくことが必要となります。
そこで、ヴィプラ(知力派)が社会のリーダーとなって優位に立つようになります。
こうして社会と経済が発達してくると、蓄財に長けたヴァイシャ(蓄財派)が富の力によって、政治を支配しているヴィプラを背後で操り、事実上、支配するようになります。
ヴァイシャが過剰に富を蓄財すると、クシャトリアとヴィプラの中にシュードラ的地位に落とされてしまう者が出てきます。
シュードラ化したクシャトリアがシュードラ化したヴィプラとともに多数の大衆(シュードラ)を率いて立ち上がるようになります。
これがシュードラ革命の時代です。
革命のリーダーであるクシャトリア(武勇派)が社会の指導権を握ることで、社会サイクルは次の段階に入ります。
このように、社会は武勇、知力、蓄財、庶民というふうにサイクルを続けて前進していきます。

 精神性(スピリュアリティ)の高いモラリスト(サドヴィプラ Sadvipra)の集団は、社会回転の中心に位置し、支配階級が次第に搾取的になっていくときに搾取と闘い、次の時代へと回転を促進させる役割を永久的に果たし続けます。
したがって、この社会サイクル論は、きわめて実践的で革命的な理論として提起されています。
ただし、社会回転の様子を眺めているというものではありません。

 ヴァイシャ支配の資本主義社会では、次第に一般大衆の経済的搾取が強まっていきますから、スピチュアリティの高いモラリストは、シュードラの知性と社会意識を高め、反搾取の感情を高めて、シュードラ革命の勝利に貢献すべきだといいます。
これがサーカーの社会サイクル論の概要です。

◎新しい社会経済のヴィジョンを示すプラウト

 現在の私たちの社会はヴァイシャ時代であり、資本主義社会です。
したがって、ヴァイシャのメンタリティが支配的です。
蓄財に長けたヴァイシャのもとに貨幣が集中し、貨幣の不活用が生じ、経済的不均衡が拡大し、現在の不況を生み出しています。
また、ヴァイシャの心は貨幣の蓄財という物質的願望の形をとるため、社会全体が物質主義的となり、スピリチュアリティ、道徳性が低下します。
私たちは年間数万人もの自殺、学級崩壊、家庭内暴力、犯罪の多発など、人間の心の低下や精神性の劣化を日々目撃しています。

 サーカーによれば、スピリチュアリティの高いモラリストが団結し、サドヴィプラ社会集団*(Sadvipra Society 精神性革命家集団)を作って、シュードラ(一般大衆)の反搾取意識を覚醒させ、今日のヴァイシャ時代(資本主義社会)に終止符を打たなくてはなりません。

 そのためには、現在の資本主義(ヴァイシャ支配)に取って代わる、より人間的な社会への建設的ヴィジョンが必要です。
そのヴィジョンがプラウトであり、人類史におけるまったく新しいタイプの思想です。


*注=サドヴィプラ社会集団
 サーカーが社会(Society)ではなく集団(Group)を用いるときは批判的に用います。
たとえば、宗教やナショナリズムなどをグループ主義だと批判しているように、心に半径を設定して自分の属するものと属さないものを区別する思考のあるときに集団(Group)という言葉を使っています。
宗教グループは、教義やドグマに従わない人を他者と見なし、ナショナリズムは自分の民族、国家の外にある人を他者と見なすからです。
 本稿ではSadvipra Societyを「サドヴィプラ社会集団」としていますが、そのような自他の区別をするグループ主義とは無縁です。
サドヴィプラとは、スピリチュアリティの高い普遍的な広い心を持ち、他者を区別せず、万物の根源は聖なる一という見方を確立している人々です。
彼らは心に半径を設定するグループ主義とは無縁です。


▼資本家の心の問題点――二元主義の病

◎人間の切望は無限だが、資本家の心は有限な物質へと向かう

 資本家と資本主義について、サーカーの言葉を見てみましょう。

 「人類は抑えることのできない無限の物的・身体的切望を持っています。
これらの物的・身体的切望から資本主義が存在するようになりました。
資本家*たちは昼となく夜となくお金のために骨を折ります。
これは自然の願望であるかもしれません」(Talks on Prout)


*注=「資本家」と「ヴァイシャ」の違い
 サーカーは、多々、サンスクリット語の用語で論じています。
それが現代語に訳されると、私たちが日常的に使う意味内容とずれてしまい、用語の理解には注意が必要です。
たとえば、資本家(Capitalist)は、もとはサンスクリット語のヴァイシャ(Vaesh)という言葉に対応しています。
 資本家という概念からは、主に近代的な資本主義が勃興した後に登場した資本家をイメージしますが、ここでは富の蓄積欲望に駆り立てられるメンタリティの持ち主を表わしています。
したがって、サーカーの理論では歴史貫通的に資本家が存在していることになります。
資本家(ヴァイシャ)が有利となるように背後で政治を動かし、社会でもっとも有力な影響力を持つ歴史的な時期を資本主義社会(ヴァイシャ時代)といいます。


 サーカーによれば、動物と人間の最大の違いは、動物の切望には限りがあり、人間の切望は無限であることです。
人間は、1つの願いがかなっても、そこで満足することはありません。
狩りを例にとると、ライオンはいったん満腹すればそれ以上の殺戮《さつりく》を犯さないのに対して、人間のハンターは獲物をもっと仕留めたくなります。
しかし、物的・身体的なものは有限です。
物質的財の蓄積願望に駆り立てられる限り、心に平安がおとずれることはありません。
サーカーは次のようにいいます。

 「しかし、物的な対象は有限です。
それゆえ、有限な物的対象を蓄積しようとする無限の願望は心理的な病です。
人類は抑えることのできない無限の知的・心理的切望も持っています。
この過剰な知的・心理的切望から心理的な病が生じ、人々は異常になります。
物質性とかかわる知的・心理的切望の対象もまた有限です」(Talks on Prout)

 「物質性にかかわる知的・心理的切望」の物質性とは、心の外にある客観的世界のことです。
社会、経済、身体も含めて、形あるこの物質世界についての知識です。
たとえば、食べ物は物質ですから、料理の仕方についての知識が物質性とかかわる知的切望の対象ということになります。
サーカーによれば、形あるこの物質世界は、時、場、人によって変化していく相対的な世界であり、有限の世界です。
したがって、心が物質世界にかかわることのみを無限に追い求めても、心は病になります。
形ある物質にかかわるものは有限であるので、無限を追求する人間の性質に合致しません。
これに対して、愛や親切という形なきものの追求は、無限を追求する人間の心と合致します。

 「しかし、純粋に知的・心理的な対象は無限です。
あなたの知的・心理的構造(Psychic body)と物的・身体的対象(Physical objectivity)は、常に分離しています。
だから、二元主義の種子が生じます。
しかし、精神性の対象の実現は、自己と対象との間の隔たりに橋を架けることを意味します。
平穏はこの達成の中にあります。
ここで述べた知的・心理的な病も、他者との衝突に導きます。
そして多くの持たざる者を生み出します。
私たちは、物的・身体的切望を知的・心理的切望に、そして精神性の切望に転化しなくてはなりません。
同胞同士の争いを避け、人間の権利を保護するためにです」(Talks on Prout)

 「純粋に知的・心理的な対象」とは、たとえば美の追求です。
無限に求める性質を持った「知的・心理的構造」すなわち心が、物的・身体的なものに向かう限り、無限と有限のずれが生じ、「二元主義」の種子が生じることになります。
精神性とは、全宇宙の根源にある意識と一体化し、自らを全宇宙、全生命の一部と実感する人間になることを追求することです。
無限を求める性質を持った心が、本来的に無限の性質を持っている精神性への願望を持ったときには両者の持つ無限性の性質が合致し、「二元主義」は生じません。

 したがって、物質的財の蓄積の切望が心を支配している資本家(ヴァイシャ=蓄財派)の物質主義的マインドが社会を覆い、人々に影響を与えているときには、人々のスピリチュアリティの向上が妨げられます。

 「資本家たちは、人間が大宇宙と一体となることを妨げるために、その道に障害を生み出します。
人間が偉大となることを妨げます。
そのため、資本主義はスピリチュアリティ(精神性)に反しています」(Talks on Prout)
 ただ、「こうしたすべてにかかわらず、この世にまったくの善やまったくの悪は存在しません。
いかなる個人的な試みや集合的な試みをしようにも、最初はお金か資産の形で資本を必要とします。
ヴァイシャ時代にそのような資本が多様な方法で作り出され、必要な財が生み出されます」と述べ、人々の生活水準を向上させる前提となる生産力をアップさせたことでサーカーはヴァイシャを評価します。
さらにヴァイシャの財産管理能力を高く評価します。
しかし、それでもヴァイシャ時代(資本主義)には、彼らによる財の蓄積が、最終的に他の人々にとっての不足を生み出します。
そして物質主義的なメンタリティがヴァイシャ本人だけでなく社会全体にスピリチュアリティの低下という悪影響を及ぼします(The Vaesha Age)。

 サーカーは、資本家の心理と行動を厳しく批判しているにもかかわらず、資本家を決して敵視していません。
建設的な理想を掲げて、資本主義の反社会的な現われと闘うのです。

 「資本家たちは支配的な政党に影響を及ぼすことで権力を握ってきました。
私たちのものは建設的な理想であるべきです。
そして私たちは、反人間的、反社会的な要素に対して絶え間ない容赦ない闘争を行なうべきです。
私たちは資本主義に対して闘うべきであり、資本家に対して闘うべきではありません」(Discourses on Prout)

 そしてサーカーは、むしろ資本家の心の病を救済することが任務なのだといいます。

 「資本家たちは、ある種の心の病にかかっています。
資本家たちの物的な渇望を、知的な追求、精神性の追求に転換することによって彼らを根本的に治療することは、私たちの主な任務です」(Talks on Prout)

▼資本主義経済の問題点1――富の集中と貨幣の回転の阻害

◎一部の手に富が集中

 ヴァイシャ時代(資本主義)には、政治の舞台で活動するクシャトリアとヴィプラのメンタリティを持つ人間を、財の力によってヴァイシャ(資本家、蓄財派)が背後で操ります。
そしてさらに自分たちが財を蓄積できる環境を作ります。
その結果、有限なこの世の富は一部に集中し、この世のアンバランスを拡大します。
このアンバランスの現われが、現在、私たちが目撃している不況や恐慌です。

 「もし、資本が少数者や国家の手に集中すれば、ほとんどの人は一握りの搾取者によって搾取されることになるでしょう。
厳しい搾取の過程の結果として、深刻な爆発が起きるでしょう」(Economic Depressions)

◎貨幣の回転の阻害

 ヴァイシャ(資本家)のメンタリティは、あくまで営利にあります。
決して社会全体の福利向上ではありません。
したがって、その地域に必要な資本であっても、儲からなければ当然、投資を引き上げます。

 「資本家の心理は貨幣の回転から利益をあげることにあります。
貨幣の投資が期待するほどの利益をもたらさないと見れば、資本家たちは貨幣の回転をストップします。
これが貨幣の動きを止め、不活性にします。
そこには投資がなく、生産がなく、収入がなく、購買力もありません。
この事態はあまりにも危険です。
商品の購買力が低下するほど、事態は深刻なものとなります」(Economic Depressions)

 実際、ヘッジファンドなどの投機筋が、国際金融市場での取引を通じて各国経済に莫大な影響を与えました。
彼らが、儲からないと判断したところから資本を引き上げたために、インドネシア、タイ、マレーシア、韓国、アルゼンチンなどの地域経済は深刻な打撃を受けました。
サーカーは、投機家の心理から来るこのような貨幣回転の妨害が深刻な問題であることを、すでに1987年に次のように指摘していました。

 「経済の領域においては2つのことが非常に重要です。
第一に、貨幣の循環を維持しなくてはならないことです。
貨幣が購買力として活用されないときや滞留したままであるとき、経済はダメージを受けます。
第二は、貨幣が経済的な均衡と安定を図る能力を失うと富の不均衡を引き起こすということです。
この2つの根本的な要素を少しでも忘れると、世界規模の経済恐慌が起こります」(Economic Depressions)

 したがって、貨幣の循環、回転を滞らせないことが重要です。
その根幹をなすものは、貨幣が一般大衆の購買力として活用されることです。

 「もし、国家資本主義が搾取することを追求せず、1人ひとりの個人の収入を増加させるならば、私たちは国家資本主義を称賛せざるをえません」(Human Society2, Vaesha age)

 しかし、この言葉に反して、今日、私たちの政府も財界も、一般大衆の購買力を低下させる政策をとっています。
貨幣の回転を滞らせるこの措置は、毛細血管を詰まらせ、アンバランスを拡大し、一層深い破局の準備過程ということになります。

 もう1つ、貨幣の循環・回転を阻害するものとして、サーカーは非生産的投資を挙げています。

 「その富を過剰な防衛出費、巨大ビルの虚栄的建造、贅沢品などの非生産的な性質の企業に投資していたら、すなわち収入を得ることのできないものに投資していたら、これらの国も経済恐慌に苦しむことになるでしょう」(Keep Money Rolling)

 この文章から、莫大な防衛費や東京都庁がすぐに頭に浮かびます。
もちろん交通需要のないところでの高速道路の建設も範疇に入ります。
不必要な公共投資の見直しが議論されているのは、サーカーの観点からは適切ということになります。

◎銀行システムにおける留意点

 貨幣の循環・回転に重要な役割を果たすのは銀行です。
サーカーは、銀行システムが注意すべきこととして2つの点を挙げています。

 1つめです。「銀行に内在する悪魔的な欲望が一般の人々の生活を危機に陥れるのを許さないことです。
過去には世界の多くの国々で、銀行は一般の人々の生活を脅かしました。
これは多かれ少なかれ、現在も発展途上国、先進国を問わず起きていることです」(Keep Money Rolling)

 バブルの時代、多くの銀行家は本来の任務を忘れて土地投機などの非生産的投資に走りました。
これが、銀行に内在する悪魔的欲望です。
私たちは今日、その欲望の結果に苦しんでいるのです。

 2つめに、「銀行は、それに比例するだけの国庫の金保有量なしに紙幣を無差別に印刷するようなおろかな管財人や政府を許してはなりません」(Keep Money Rolling)と述べています。

 しかし、銀行制度自体が悪いのではありません。
銀行は社会の物的・身体的領域での均衡と平衡を維持するうえで決定的に重要なものです。

 「銀行制度は引き続き存在しなければなりません。
さもなければ貨幣の流動性が妨げられてしまいます。
人々が利己的なムラ気やその他の感情に導かれて銀行制度に反対するならば、経済は暗い時代の中に留まることになり、人々は物的・身体的領域で均衡と平衡を失わざるを得ません。
そして心理的領域でも精神的領域でも不均衡な状態となり、自分の品性を低下させてしまいます」(Keep Money Rolling)

◎プラウト経済政策の提案

○1 個人の購買力の強化

 サーカーの提案するプラウトでは、「個人の購買力を強化することによって経済をコントロール」します。いわば毛細血管まで充分に貨幣を循環させ、健康な社会の体を維持するということです。

 「一般の人々の購買力を増加させるためにすべきことは、贅沢品の生産ではなく生活必需品の生産に最大の重点を置くことです。
これは生産と消費の均衡を回復するでしょう。
そしてすべての人に生活必需品の供給を可能にするでしょう」(Some Specialities of Prout's Economic System)

○2 最低限の生活必需品と最大限の快適性の保障

 「プラウト経済システムは、最低限の生活必需品すなわち食物、医療、住居、医療、教育をすべての人に保障します」(Principles of Prout)

 日本国憲法第25条の1には、<すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する>とあります。
この理念を現実のものとし、さらに「国民」を超えて全人類に保障することをめざします。

 「最低限の生活必需品が保障されたならば、余剰の富は、医師、技術者、科学者のような特別な資質や能力を持っている人に分配されます。
こうした人々は集団の発展に重要な役割を果たすからです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 社会への貢献度の高い人は一般の人よりも高い収入と快適性を手にし、一般の人々の生活水準を高めるように社会的努力をします。
一般の人の生活水準が向上すると、社会的貢献度の高い人は、さらにそれ以上の生活水準を手にします。
わかりやすくいえば、一般の人が自転車に乗っているときに貢献度の高い人はオートバイに乗り、一般の人がオートバイに乗るようになれば貢献度の高い人は自動車に、一般の人が自動車に乗るようになれば貢献度の高い人はたとえば自家用飛行機が入手できることになります。
 このように、生産の進歩に応じて絶えず一般の人々の購買力の強化が追求されます。
「最低限の生活必需品の量は一般の人々の生活水準が常に向上するように漸進的に増大させられるべきです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 この購買力の強化の中に、資本主義と違って不況・リストラが生じない理由があります。
これまでのマルクス的な経済論では、需要と供給のアンバランス(市場経済における生産の無政府性)を社会全体での計画的生産によって克服しようとしました。
これに対してサーカーは、需要と供給のアンバランスを購買力の継続的向上とバランスのとれた地域経済を作ることによって克服しようと考えています。

 生産力の向上に見合って購買力も伸びるので、需要と供給のバランスが維持され、資本主義に見られるような破局は避けることができます。
それでも、市場経済ですから経済の波動は存在し、産業構造の変化はありえます。
しかし、その場合でも労働者の失業はありえません。
サーカーは、「労働者に次の職場を見つけるまでは解雇できない」という法律の制定を提案しています。
 サーカーは、同じ趣旨で次のようにも述べています。

 「プラウトのアプローチは、すべての人に最低限の必需品を保障し、すべての人に最低限の快適さを保障し、特別の能力のある人々に特別の快適さを保障することです。(中略)
誰もが天才ではありません。
普通の人に過ぎないかもしれません。
他人から尊敬される立場にないかもしれません。
しかし、そのような人々も、その環境条件と時代の必要に応じて常に増加する形で最低限の生活必需品と最大限の快適さを得るでしょう。
 この新しいアプローチの重要性は、どこにあるのでしょうか。
 (1)すべての人に最低限の必需品が保障されることです。
 (2)特別の快適さが有能な人々に保障されることです。特別の快適さは、その時代の環境条件に応じて特別な能力を備えた人々に対するものです。
 (3)環境条件に応じて、最大限の快適さがすべての人に保障されることです。
これは特別の能力を持たない普通の人々に対してです。
いわゆる虐げられた人々のためのものです。
 以上の3つはすべて、決して終わることのない過程です。
これらは集団的な発展の可能性に沿って増大し続けるでしょう」(Economic Democracy)

▼資本主義経済の問題点2――資本主義も共産主義も中央集権経済

◎搾取と中央集権経済

 マルクスの『資本論』や『賃労働と資本』では、剰余価値の部分を「搾取」と位置づけています。
しかしサーカーは、剰余価値は社会的富を増やすために必要な部分であり、マルクスの理論に基づいて作ったどの国も剰余価値の部分を廃止したことはないし、できないことであると考えます。
もちろんサーカーにとっても資本家が剰余価値の部分を必要以上に拡大して労働者の賃金を下げることは「搾取」です。
しかし、彼は「搾取」という言葉を、ある個人やグループ、コミュニティが別の個人やグループ、コミュニティを「利用」するという幅広い意味で使います。
つまりサーカーにとっては、「ある地域の人間が、別の地域の人間を利用し、搾取することの廃止」が経済的解放の重要な課題となります。
そのためには中央集権化した経済を分権化する課題が必須となります。

 「世界のほとんどの国は、資本主義国、共産主義国を問わず、経済的な中央集権政策をとってきました。
資本主義諸国の経済は少数の資本家や少数の資本家団体に集権化し、共産主義諸国の経済は党に集権化しています。(中略)
実は、中央集権化した経済においては経済的搾取を根絶することができず、一般の人々の経済問題を永久に解決できません」(Decentralized Economy 1)

 かつての共産主義国が中央集権経済だったことはよく理解できます。
しかしサーカーは、資本主義経済と共産主義経済のいずれもが、地元の人々が経済政策の決定権を持たない点で中央集権経済だといいます。
北京やモスクワの一部の人に地域の経済開発の決定権があるように、資本主義経済においても、たとえば福岡支店の営業計画が東京本社やニューヨークのオフィスで立案されたり認可されたりするように、中央に権限が集中します。
その計画立案は、どれだけお金が儲かるかが最大の基準であり、プロジェクトによって地域の人々の福利がどれだけ進むかについては考慮されません。
サーカーは、このような経済に対して徹底した分権化*を推し進めていくことが経済問題解決のために決定的に重要だと主張します。
このことは国内だけでなく今日の経済のグローバル化に伴う世界的不均衡の拡大を解決する視点としてもきわめて重要です。


*注=中央集権と分権  "Centralized economy"と"Decentralized economy"の訳語として、「中央集権経済、地方分権経済」「中央集中経済、非集中経済」「中央集中型経済、非集権経済」などの訳語を検討しました。
現在の民主主義国家もこの概念に該当することを理解したうえで「中央集権経済」を使いました。
旧ソビエト連邦型の社会主義を一元的中央集権とすれば、資本主義は多元的中央集権です。
経済における最終的な決定権が他地域の人間にある点でどちらも中央集権と考えます。
その対概念として「分権経済」と訳しました。
意味としてはそれぞれの地域の住民が経済決定権を持つものです。
サーカーは、国内はもちろんのグローバルな規模でも分権経済をめざすことを述べています。
したがって「分権経済」か「非集中経済」という語が適切と考えました。


◎共産主義は国家資本主義

 実は、経済的な中央集権という観点では、資本主義の問題を解決しようとした共産主義も国家資本主義に過ぎませんでした。
 「共産主義は国家資本主義です。
そのため、共産主義が資本主義の欠陥を免れることができないのです。
国家資本主義は、私的資本主義や集団資本主義のように工業をコントロールします。
国家資本主義は、国家が工業をコントロールすることを意味します。
言い換えれば、国家資本主義において工業は中央集権的です。
共産主義諸国は、国家資本主義を支持します。
それは中央集権的な生産を意味します。
共産主義は、大衆の解放の問題について資本主義とは異なっているように思えますが、資本主義と共産主義は内部では同じです。
同じ種の果実は異なる色をしていますが、その種は同じです。
資本主義と共産主義は同じ種の果実なのです。
人間の社会的経済的解放を実現するためには、社会経済的に最高度の分権化が必要不可欠です」(Decentralized Economy 2)

 実は共産主義は国家資本主義だった。どちらも中央集権経済をその本質としている。
例えていえば、資本主義と共産主義は同じ菊の種。黄色い菊の花もあれば赤い菊の花もあるように、同じ種に咲いたもので本質は同じだということです。

 中央集権経済という視点からみれば、このサーカーの指摘は理論面でも妥当です。
レーニンは『帝国主義論』の中で、資本主義が地球規模で工場内外の分業を推し進め、支配従属関係のネットワークを作り、周辺地域を搾取・収奪した様子を描いています。
帝国主義は、資本主義の生産力が極限まで進み、生産力の社会化が、資本主義的生産関係という外皮が腐朽するところまで至っていることであると考え、労働者階級の権力を打ち立てて、社会化した生産力を計画的にコントロールすることをめざしました。

 この資本主義システムの内部で展開する生産の社会化と社会的分業を、サーカーは中央集権経済であると考えます。
レーニンは、労働者階級が資本主義の中央集権経済を受け継いで社会的にコントロールし、資本主義の不況、恐慌といった生産の無政府性に由来するものを克服しようと考えました。
したがって、資本主義の持つ中央集権経済そのものを分権経済に転換することは長期的願望としてはあったとしても、経済変革という課題はありませんでした。
サーカーは、資本主義の中央集権経済を受け継ぐのではなく、中央集権経済そのものを分権経済に変革することこそ、確実に搾取を廃止する道だと考えます。

◎中央集権経済の弊害

 経済的搾取の廃止のためには社会経済の分権化が必要だというサーカーと同一の思想を提出している経済学者にアメリカのデビッド・コーテン教授がいます。
コーテン教授は、今日のグローバル資本主義は、旧ソ連以上の中央集権経済だと述べ、その周辺地域への弊害について次のように叙述しています。

 「現在の指導者たちがなかなか目を向けようとしない真実も、資本主義システムの周縁部あるいはその外で生きている何十億人の人々にとっては、切実な現実だ。
私はアジアで暮らした15年間、資本主義から疎外された人々の運命をこの目で見てきた。
そこでは毎年何百万人もの人々が、ダム、プランテーション、工業団地、エビの養殖場、幹線道路、ゴルフ場、観光用リゾート地、軍事施設などの開発計画の用地として、土地や水源や漁場をとりあげられ、家や生活手段を失っている。
これらの開発計画の資金の少なくとも一部は、対外援助や世界銀行の融資によるものだ。
生活手段を失った人はほぼ例外なく、単なる貧困から絶望的な極貧状態に追い込まれる。
開発の恩恵を享受するのは生活手段を奪われるものではなく、もともと豊かなものと相場が決まっている。
そしてほとんどの場合、取り上げられた資源の利用法は、持続可能なものから持続不可能なものに変わってしまう」(デビッド・コーテン著『ポスト大企業の世界~貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へ』シュプリンガー・フェアラーク東京、2000年、121ページ)

 コーテン教授は、中央集権的な経済システムを克服し、自己完結的な地域密着型社会をすべての地域に確立すべきだと考えます。
無数の自己完結的な地域密着型社会を生物における健全な細胞とし、巨大企業をガン細胞に例えます。
ガン細胞化した巨大企業が人類生命体を脅かしている。
ガン細胞を取り除き、他の細胞とネットワークで結ばれた無数の健全な細胞の確立、すなわち地球全体に自己決定権を持つ地域密着型の社会を確立していくことを訴えています。
このコーテン教授の著書『ポスト大企業の世界』は、サーカーのヴィジョンとほぼ同一です。

 加えてサーカーは、中央集権経済は周辺地域ばかりでなく、中心地域の大都会で問題を引き起していると指摘します。
「産業の中央集権化には他にも多くの悪影響があります。
たとえば大都市では、人々は新鮮な果物、野菜、牛乳の不足から健康維持が困難です。
不道徳と腐敗がはびこり、窃盗、罪人、麻薬常習者、飲酒など、反社会的要素が容易に自らを隠し、罪のない人々を食い物にします。
栄養不足、空気汚染、水質汚染などの問題も存在します。
今日すべての大工業の中心地はこれらの問題に苦しんでいます」(Economic Democracy)

 この中の「新鮮な果物、野菜、牛乳」を雪印食品や日本ハムの牛肉偽装事件、輸入農産物の農薬問題などと置き換えれば、日本の大都市の問題とも重なります。
なによりも不道徳と腐敗、反社会的要素がはびこるという指摘は、そのまま私たちの社会に当てはまります。

◎「中央集権経済を廃止して、分権経済を作ろう」

 最大限に社会経済生活を分権化させていというのがサーカーの考えです。

 「経済的搾取を止めさせ、一般の人々の窮状を緩和する方法はただ1つです。
それは、経済のあらゆる分野で分権経済の政策を実施することです。
計画を実施する場所から数千マイル離れた、空調の整ったオフィスに座って立案した計画は決して成功しません。
中央集権的な経済は、辺鄙《へんぴ》な村の経済問題を解決することができません。
経済計画は最下部のレベルから出発しなくてはなりません。
最下部のレベルでは経験、専門知識、地域の人々の知識を、その経済単位のすべてのメンバーのために利用できます。
経済構造が分権経済に基づいて組み立てられたとき、あらゆるタイプの経済問題を解決できます。(中略)
分権経済の確立によって、経済的、心理経済的な搾取が根絶されるでしょう。
富裕者と貧乏人とのギャップは最小限になるでしょう。
そして個人と集団の福利は大きく向上するでしょう。
このことは社会のすべての構成員の心理的・精神的な進歩の機会を大きく広げることになります」(Decentralized Economy 2)

 しかし、サーカーの提起はきわめて実践的で革命的なものであり、座して良きプラウトの天国社会の来るのを待てというようなものではありません。
人々は団結して、分権経済への道を妨害するものにあらゆる側面から状況的圧力をかけていかねばなりません。

 「基本的な問題は、いかにして中央集権経済の不健全な影響を取り除くかです。(中略)
もし既得権益を持つ人々が公正な知性によって導かれないならば、そのとき人々は事態を自分自身の手に握らなくてはならないでしょう。
彼らは『搾取の廃止のために中央集権経済を廃止しよう。分権経済を確立しよう』というスローガンの下に団結して、あらゆる側面から状況的圧力を作り出さねばならないでしょう。
分権経済は人々が包括的な福利を実現できる唯一の道です」(Decentralized Economy 1)

 とりわけ、資本家が分権経済実現の取り組みを妨害するだろうと次のように指摘します。
 「資本家は、資本、労働、好都合な経済状況、販売市場の諸要素が利用できるところでのみ工業を始めます。
資本家は常に生産コストを削減しようとするため、決して分権の原理を支持しません。
しかし、集合経済構造においては利潤(追求)を動機とする余地はありません。
ここでは産業は消費のためです。集合経済構造においては自立的な経済単位が強化されるべきです」(Discourses on Prout)

 この中に出てくる、利潤を追求せず、消費のために諸産業が組織される「集合経済構造」とは、協同組合のネットワークで組み立てられた産業構造です。
協同組合構造においては、資本家=経営者は組合員である労働者がふさわしい人物を民主的に選出する形になります。協同組合については後述します。

▼分権経済とは

◎地域的不均衡を取り去る

 地域ごとに基本的な生活必需品の自給を確立する分権経済では、大地が肥沃な地域は豊かになり、不毛な地域は貧しくなるのではないかという疑問が浮かびます。
しかしサーカーは、富は潜在的可能性の形であらゆる地域に眠っており、中央集権経済がその可能性の展開を阻んでいるとして次のように指摘します。

 「むしろ、分権経済は地域的な不均衡を取り去ります。
なぜなら、富はほとんど同じようにあらゆるところに配分されているからです。
ある場所で人々が欠乏と飢餓のために苦悶し、泣いているときに、別の場所では人々が過剰な豊富と富裕ゆえに不道徳になるというような事態を見ることはありません。
実際、工業の中央集権は、よく整った社会秩序のためには有害です」(Decentralized Economy 1)

◎分権経済の5原則

 分権経済の原則について、サーカーは次の5つを挙げています。

 「分権経済の原則は、第一に社会経済単位のすべての資産・資源がその地域の人々によって支配されるべきであること。
第2の原則は、生産は、利益ではなく消費に基づいてなされるべきであるということ。
第3の原則は、生産と分配が協同組合を通じて組織されること。
第4の原則は、地域の人々が地域の経済的な経営体で雇用されなければならないこと。
第5の原則は、その地域外で生産された商品は地域市場から取り除くべきこと」(Decentralized Economy 1)

 その1つひとつを見ていきましょう。

○原則1 すべての資産・資源を地域の人々が支配する

 「分権経済の第一の原則は、社会経済単位のすべての資源がその地域の人々によって支配されるべきであることです。
とくに最低限の生活必需品を生産するために必要な資源は地域の人々の手にあるべきです。
そしてこれらの資源に基づくすべての産業は、地域の人々が完全にコントロールしなくてはなりません。
地域の原材料は、経済社会単位の経済発展に必要なすべての商品を生産するために充分に活用しなくてはなりません」(Decentralized Economy 1)

 この原則の下では、原材料の形では地域から輸出せず、完成商品のみを輸出に回します。
生活必需品を輸出する場合は、その商品を生産する直接的な機会や可能性のない社会生産単位だけに限るとします。
このサーカーの理念では、石油や銅、あるいはカカオやコーヒーといった1次産品の原料の形で輸出する世界の構造に終止符を打つことになります。

 原材料の輸出はしないのが原則ですが、例外として、他の社会経済単位の地域の人々が原材料不足によって最低限の必要性を満たせない場合には、自分の社会経済単位に原材料の余剰があるかどうかを確かめたうえで、その地域に輸出することができます。

 なお、ここでいう地域の人々とは、身体的な特徴、民族、カースト、信条、言語や出生地とは無関係です。
その人の個人的な社会経済的利益を当該の社会経済単位の集団的利益と同一視している人を指しており、自分の利益をその地域の利益と結びつけていない人が部外者なのです。
たとえその地域に住んでいても、別の地域の本社から派遣されている人は地域の人ではないということです。
このような部外者が地域の経済業務や生産と分配のシステムに干渉することは許されません。
もしもそのようなことが起きると、地域は部外者の経済的搾取を受けやすくなり、分権経済は掘り崩されてしまいます。

○原則2 利益ではなく消費に基づいて生産する

 「分権経済の第2の原則は、生産は利益ではなく消費に基づいてなされるべきだということです。
世界のほとんどの国が利益志向の経済システムを採用しました。(中略)
生産の領域における根本的な動機は利益ではなく消費であるべきです。
分権経済では、社会生産単位で生産された商品は地域内の市場で販売されます。
その結果、地域経済と地域の人々の経済生活の不安定性がなくなります。
加えて、貨幣が地域市場の内部で回転するため、資本が流出しません。
地域経済が破局する可能性は除去されます。
このような制度の下では、人々の収入が上昇を続け、購買力は継続的に増大するでしょう」(Decentralized Economy 1)

 衣食住を例にとってみると、服や食料品や住居は地域の業者が地域内での消費を念頭において生産します。
労働者の賃金を向上させることが同時に消費の拡大にもつながり、地域内で貨幣が回転していくことになります。
サーカーは触れていませんが、地域通貨という考え方はその意味で地域の経済圏を作っていくことに貢献するかもしれません。
ただしサーカーは、地域のニーズを超過する生産物については関税のない自由貿易を支持しています。

○原則3 協同組合を通じて生産と分配が行なわれる

 「分権経済の第3の原則は、生産と分配が協同組合を通じて組織されることです。(中略)
可能な限り、農業、工業、商業は、協同組合によって経営されるべきです。
経済のこれらの部門においては、私的所有は段階的に廃止されるべきです。
小規模であったり複雑な作業であったりするために協同組合的に生産できない場合のみ、個人事業とすべきです。
商品の分配は、消費者協同組合を通じてなされるべきです。
協同組合に対して適切な保護の措置をとらなくてはなりません」(Decentralized Economy 1)

 小規模な事業や複雑な作業で協同的に仕事をしていくことになじまないものを除いては、私的所有を段階的に廃止して、協同組合経営に移行させます。
旧来の社会主義革命は一挙に私的所有を廃止して国有化しましたが、プラウトでは、協同組合の形で民営が引き継がれます。
資本主義企業のタイプから、労働者が株を協同所有し、経営者を選ぶ形で経済の民主化が行なわれます。
それは強制ではなく、政府が協同組合を税制などで優遇することによって徐々に進めていきます。

 「協同組合所有は、私的企業との開かれた競争の下では成り立たないため、売上税や関税を免除するなどの保護措置を必要とします。
この措置は、ゆっくり撤廃されるべきです。保護措置は、必需品のみに限られるべきです。
私的企業は、キンマの店(Betel shop)、茶店、レストランなど生活必需品でない業種に限られるべきです」(Discourses on Prout I)

 分権経済であれば、地域の原材料を協同組合へ継続的に供給することを保障でき、協同組合が生産した商品を地域内の市場で売ることが簡単にできるため、経済が安定し、人々は協同組合を受け入れるようになるだろうとサーカーは考えます。

○原則4 地域の人々が地域の経営体で雇用される

 「地方分権経済の第4の原則は、地域の人々が地域の経済的な経営体で雇用されなくてはならないことです。(中略)
協同組合は地域の人々に雇用を提供するでしょう。
そして地域の人々の技術や専門性の充分な活用も保障されるでしょう。
教育を受けた人々が雇用を求めて地域を離れたり、田舎から都市へ移住したりすることがないように、彼らも協同組合に雇用されるべきです」(Decentralized Economy 1)

 現在、とりわけ農村地域で仕事が見つかりにくくなっていますが、「地域の人々が最低限の生活必需品の量と自分たちの経済的福利にかかわる基本政策を決定する」分権経済の実施によって、「あらゆるタイプの農業前工業と農業後工業をその地域の必要性と資源に応じて発達させ」、地域の人々の雇用を確保します。
さらに専門的能力を持つ社会的貢献度の高い人は一般の人々よりも優遇される協同組合システムですから、地域からの優秀な頭脳の流出も防ぐことができます。
そして中央集権経済のように出稼ぎや単身赴任の必要がなくなり、家族がともに暮らすことができます。

○原則5 地域外で生産された商品は地域市場から除く

 「分権経済の第5の原則は、地域外で生産された商品を地域市場から取り除くべきだということです。
分権経済は地域産業を発達させ、地域の人々の雇用を創出することを目的にしていますから、その地域内で生産されていない商品は可能な限り地域市場から追放すべきです」(Decentralized Economy 1)

 別の個所でサーカーは関税のない自由貿易を支持していますから、この個所は、衣食住の生活必需品目にかかわる商品が地域外部から持ち込まれることを禁止、ないしは関税をかけてストップすることだと解釈できます。
当該地域の社会的文化的発展にふさわしいレベルの生活必需品を全員に保障できたと判断された場合にのみ、超過する生活必需品を地域外(その生活必需品が不足している地域)に売ることができます。

 サーカーは、初めは自分の地域の商品が外部で生産された商品よりも粗悪でコストがかかり、入手しにくくかったとしても、地域経済の繁栄を実現するためには自分の地域で生産された商品を活用することが必要不可欠であると考えます。
そして不法な輸入を促進しないように、協同組合は迅速に品質を向上させ、価格を下げ、商品の供給を増加させる措置をとらなくてはならないと考えます。

 「分権経済において、この原則の適用は非常に重要です。(中略)
いったん地元で生産された商品が原則として引き受けられるならば、その地域の産業が生き残るだけでなく、将来の発達によって経済は繁栄していくでしょう。
地域からの資本流出は阻止されるでしょう。地域に留まった資本は生産を増大させるために活用され、地方の人々の繁栄度を高めるでしょう。
地元商品の需要が増大するとともに、大規模、中規模、小規模工業すべてが繁栄するでしょう」(Decentralized Economy 1)

 サーカーのいう地域市場からの外部商品排除は、世界中の各社会経済単位が自給自足を確立するまでのことです。
「いったん自給自足が達成されたならば、自由貿易が奨励されるべきです。
このことは繁栄レベルの継続的な向上に役立ち、社会経済単位の間の経済均衡を進め、より一層大規模な社会経済単位の形成に導きます」(Decentralized Economy 1)
現在、交通通信の発達によって地域市場(社会経済単位)の領域が拡大していく可能性があります。
この合併によるより大規模な社会経済単位の形成はそうした現状も組み込むことのできる論点です。

▼分権経済における社会経済単位

◎社会経済単位とは

 サーカーによれば、人々は団結し、分権経済への道を妨害するものに対してあらゆる側面から状況的圧力をかけながら、自給自足できる社会経済単位を創出するために世界中で社会経済単位を確立する運動を起こさなければなりません。
そして、各社会経済単位が強固になり、他の社会経済単位から搾取されることがなくなれば、対等の立場で合同していきます。
その途上において世界政府が合同を促進し、最終的には地球が1つの社会経済単位となります。

 「世界中で、自給自足的な社会経済単位を確立するための運動が着手されなくてはなりません。
その単位は『地域を知り、計画を立て、人々に奉仕しなさい』という言葉に導かれます」(Socio-economic Groupifications)

 では、社会経済単位とは実際にどのような領域を指すのでしょうか。
サーカーは、社会経済単位として地域を線引きする際に考慮すべき事項として次の点を挙げています。

 (1)「社会経済単位を作る際には、地域で生産された商品のための市場、労働の過剰や不足の問題、伝達や輸送手段の問題、灌漑《かんがい》用水の不足など、地域に共通の経済問題があるかどうかが第一に分析されるべきです」(Socio-economic Groupifications=以下同)

 (2)「自然の多様性があったとしても、1つの単位の人々は全体として同じ経済的繁栄の機会を享受すべきです。
持てる人と持たざる人の不均衡、つまり富裕者と貧困者の不均衡は、集団の富が増大し、社会が豊かになるように少しずつ是正されなければなりません」

 (3)「エスニック的*な共通性があるべきです」「過去には、多くの民族や亜民族が抑圧され、強力な支配的民族によって搾取されました」。
社会はそのような危険から自らを守らなくてはなりません。
「それは、すべてのエスニック・グループが、その表現と発展のために充分な機会を持つときにのみ可能です」。

 (4)「言語、歴史的伝統、文学、共通の慣習、文化的表現などのような感情的要素を含みます」
「それは、人々に特有のアイデンティティと親近意識を与える特定集団の集合的心理における共通の情緒です」
「人間の統一に役立つ感情が激励されるべきです。
人間社会を分裂させる感情は拒否されるべきです。これはプラウトの社会経済単位によって採用されるアプローチです。」


*注=エスニック、エスニシティ
 エスニックやエスニシティとは、ネイションが国家レベルであるのに対して、その下位レベルの概念です。
日本の例でいうと、アイヌ人もそうですし、関西人、沖縄人といった場合もそうです。
このように社会科学では、国家への帰属意識ではなく、言語、歴史的伝統、文学、共通の慣習、文化的表現の共通性に基づく帰属意識を持った集団をエスニック・グループといいます。
この引用箇所の文脈では、サーカーは、エスニックとして種属的あるいは人種的な側面を言っていると推測します。

(5)「地形、河川流域、降水、灌漑用水のような共通の地理的特徴も考慮されるべきです」

 社会経済単位とはすなわち、経済的な問題の共通性、地理的な特徴の共通性に加えて、エスニシティや言語・慣習・文化などの共通性という心理的側面まで尊重した形で線引きされた領域です。

 現在の政治単位である国民国家のほとんどは複数のエスニック・グループから構成され、多数派のエスニック・グループが少数派のエスニック・グループの言語や生活習慣などを抑圧することがどの国でも見られます。
しかしサーカーは、すべてのエスニック・グループがその表現と発展のための機会を持つべきであると述べています。
サーカーは、一方で人類意識の発展と世界政府へ、他方ではあらゆるエスニック・グループの尊重という流れを作り、その中で国民国家(ナショナリズム、民族主義)という狭い心の半径を取り除きます。

 社会経済単位とは具体的にどのような領域を意味しているのかという論点に戻ります。
インドを例にとってサーカーが論じているところをみると、線引きの仕方の問題は指摘しつつもインドの州レベルを1つの社会経済単位として考えています。
たとえば、「いくつかの場所では、異なる経済問題を持つ地域が同じ政治的単位の中に位置しています。
たとえば、ビハールのチョタ・ナーグプル高原には深刻な灌漑の問題があり、北部ビハールの平原には排水の問題があります。
この2つの地域は異なる社会経済単位に形成されるべきです」(Socio-economic Groupifications)

 ここでは、ビハール州という1つの政治単位の中に2つの社会経済単位を 形成せよと述べています。
日本の場合を考えてみると、交通通信の発達により、現代の日本は1つの社会経済単位と考えることもできます。
しかし、単身赴任や出稼ぎをしなくてすむように、北海道、東北、関東、中部、関西、中国、四国、九州、沖縄レベルのそれぞれの地域で基本的必需品を自給できる地域密着型の経済構造を作り上げる必要があります。
日本が農業や資源の面で外国に頼らなくてもよい経済構造を作り上げることは、第1次産品を原料として輸出している国が自立的な経済単位として確立していくことに連帯することにもなります。

 サーカーは、「プラウトの計画機構は、中央、州、地方、ブロックのレベルで機能します」と述べ、下からの計画経済を主張しています。
私見ですが、そこから類推すると、日本の場合では、中央=日本全体、州=北海道、東北など、地方=都道府県、ブロック=市町村レベルだと考えます。
輸出入を調整できるのは日本全体のレベルですから、日本という領域が1つの社会経済単位であるとしても、州、地方レベルでも限りなく生活必需品を自足できるバランスのとれた経済構造(地域密着型経済構造)作りをめざす政策を実施することだと解釈しました。
日本の場合も、当面は現在の国家領域の範囲内で社会経済単位を各地域に確立することが課題となります。

 なお、日本におけるアイヌ人というエスニック・グループの場合、自給自足可能な社会経済単位の設立は不可能ですが、サーカーの論調からすると、彼らの言語や文化表現の発展の機会が奪われてはなりません。
サーカーは、少数民族を法的に特定し、その生活を守ることも論じています。
彼は、社会経済単位を区分する際にはエスニック的なつながりを尊重すべきだを説いていますが、他方で「地域の人々とは、身体的な特徴、民族、カースト、信条、言語や出生地と無関係」と述べていますから、私たちはそれぞれのエスニックな表現を尊重しながら、アイヌ人、中国人、韓国・朝鮮人とともに同一の社会経済単位を築いていくことができます。

◎下からの計画経済

 「世界中の国で、中央集権的な計画は全体としては失敗しました。
プラウト体制においては、分権的計画、すなわちブロック・レベルの計画を基礎とした社会経済単位のための1つの統合した計画があるべきです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 これは、これまでの上からの命令による計画経済と違い、地域ブロック住民が専門家のアドバイスのもとに短期の経済計画を決定し、その計画が下から上に伝達され、周囲のブロックと調整しつつ、より上位の広い地域規模での計画として決定されていくものです。
つまり上から下への命令ではなく、下から上に積み上げていく計画経済です。
ここでは徹底した経済民主主義の原理が貫かれます。

 それぞれのレベルの計画機関で働いている経済指導者は「生産コスト、生産性、購買力、集合的必要」を4つの基本的な導きの原則とします。
この4点の他に考慮すべき要素として「自然資源、地理的特徴、天候、河川、運搬、産業の潜在的可能性、文化的遺産、社会条件」を挙げています。

 「これらの要素に基づいて、各社会経済単位は社会経済的自給自足のために自分自身の発展計画を作り、実施すべきです。
その地域の経済状況にふさわしくない壮大な計画が外側から課せられるべきではありません。
それは許されません」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 では、計画機構とはどのようなものでしょうか。

 「プラウトの計画機構は、中央、州、地方、ブロック・レベルで機能します(世界政府が作られた後は地球レベルでも機能します)。
プラウト経済における最下部の計画機関はブロック・レベルです。
経済決定権が最下部のブロックまで下りることにより、経済権力が徹底的に分権されます」(Talks on Prout)

 単一のブロックでは解決できない問題については、近隣ブロックと対等の立場で調整しながら企画していきます。
最下部のブロック・レベルで計画を立案する利点は、計画立案者が地域の大小すべての問題に通じていられることです。
営利ではなく、地域の人々にとっていかに住みやすい社会生活空間になるかを中心課題として、実際的で効果的な計画を立案でき、地域の人的資源、物的資源がより有効に活用されます。

◎バランスのとれた経済(均衡経済)の原則

 このようにして、生活必需品を自給自足できる社会経済単位を世界中に確立していく運動を進めます。
当該の社会経済単位が自給可能であること、すなわち自立的再生産構造を持った局地市場圏であるということは、産業別の人口構成が一定の枠内に収まっていることを意味しています。
このようなバランスのとれた人口構成の基準を、サーカーは次のように提起しています。

(1)地域の30~40%の人が、直接農業に従事すべきです。
この割合よりも少なければ農業は軽視され、多ければ農業に重い負担がかかることになります。 (2)地域の20%の人が、農業前工業に従事すべきです
(農業前工業とは、つるはし、斧、鍬、トラクターなど農業に必要なものを作る工業)。 (3)地域の20%の人が、農業後工業に従事すべきです
(農業後工業とは、製粉工場、ジュート工業、油工業、織布工業、製紙工業、ハーブ薬草工場など農産物を加工する工業)。 (4)地域の10%の人が、一般的な交易と商業に従事すべきです。 (5)地域の10%の人が、知的あるはホワイト・カラーの仕事に従事すべきです。 (6)非農業工業に従事する人の割合は全体の人口の20~30%の間に維持すべき
(非農業工業とは、直接に農業前工業と農業後工業ではない鉄鋼工場、真鍮《しんちゅう》工業、採石業、石油精製、製塩業、非草製薬業など)です。

 このバランスが崩れると、さまざまな問題が引き起こされるとサーカーは指摘します。
たとえば、非農業工業に従事する人口が20%以下の国について次のように述べています。

 「ある国の非農業工業に従事する人口の割合が20%以下の場合、その国は工業が未発達だということです。
1人当たりの収入は高くありません。
人々の購買力が制限されるので、生活水準は高くなりえません。
消費財の購買力が低いため、輸出指数よりも輸入指数が低いままです。
言い換えれば、その地域は先進国の衛星地域にとどまります。
それゆえに世界の力のバランスは危機に陥り、常に戦争の可能性が生じます」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 逆に、非農業工業に従事する人の割合が30%を越え、さらに大きくなっている場合には、原料と商品市場を確保するために工業の未発達な地域をコントロールする必要を感じてしまうといいます。

 「農業生産物を得るために、過剰に工業化した国々は、生産的な農業地域や国々を自国の衛星地域にしようとします。
これら過剰に工業化した国々は、自らの商品市場として工業的に未発達な諸国をコントロール下におく必要性を感じます。
自国で生産した消費財を売るための市場を得られなかった場合、経済不況と失業者の増加に苦しむことになります」(Principles of Balanced Economy)

 したがって、自給可能な社会経済単位の確立をめざす運動は、同時に世界のあらゆる国で各産業間のバランスを回復する努力でもあります。

 「過剰な工業化の国内における有害な帰結は、人々の個人的、社会的、国民的な健康に影響を及ぼすばかりか、次第に個人と集団の心の悪化をもたらします。
ほぼすべての生命の表現を害し、破壊するある種の心の病が流行するかもしれません。
この現象は近い将来、必ず起きるでしょう」(Principles of Balanced Economy)

 個人と集団の心の悪化という現象は、まさしく今、私たちの社会で起きていることではないでしょうか。

 次の表は、2000年の国勢調査における日本の産業別就業人口です。
農業前工業、農業後工業、非農業工業の割合は不明ですが、明白なのは農業人口があまりにも少ないことです。
サーカーは直接農業に従事する人口を30~40%としています。
この表では第1次産業に従事する人口が2・4%です。
私たちの社会の経済はきわめてアンバランスな状態です。
バランスのとれた経済に変えていくために、農業の発展と農業人口の増加を保障する政策を必要としています。


●産業別就業人口(15歳以上)
総 数 62,977,960 100.0%
第 1 次 産 業 3,172,509 5.0%
A 農業 2,852,259 4.5%
B 林業 67,153 0.1%
C 漁業 253,097 0.4%
第 2 次 産 業 18,571,057 29.5%
D 鉱業 53,607 0.1%
E 建設業 6,289,765 10.0%
F 製造業 12,227,685 19.4%
第 3 次 産 業 40,484,679 64.3%
G 電気・ガス・熱供給・水道業 351,347 0.6%
H 運輸・通信業 3,902,280 6.2%
I 卸売・小売業,飲食店 14,318,544 22.7%
J 金融・保険業 1,758,264 2.8%
K 不動産業 747,203 1.2%
L サービス業 17,263,876 27.4%
M 公務(他に分類されないもの) 2,143,165 3.4%
N 分類不能の産業 749,715 1.2%

※資料 平成12年(2000年)国勢調査


▼経済民主主義――分権経済における経営

◎経営の3形態

分権経済における経営は、基幹工業は地方自治体経営として、規模の小さい工業は協同組合経営、小さな事業は個人経営として行なわれます。

「基幹工業は地方自治体によって経営されるべきです。
巨大かつ複雑であるため、協同組合的な原理では効果的に経営できないからです。
規模の小さい工業は協同組合の原理で経営すべきです。
そして協同組合によっては経営できない小さな工業は、私的事業として残されるべきです。
したがって、
 (1)小さい事業は個人に残されるべきです。
 (2)大きな工業は、自治体によって所有されるべきです。
 (3)その中間にある工業は、協同組合の原理によって経営されるべきです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 私たちは、小規模工業以外の工業については国営または民間の資本主義企業しか知りません。
サーカーの提案するプラウトでは、資本主義企業に代わり、主要な経営形態は協同組合のネットワークになります。
国営は存在しません。
ここが、旧来の社会主義思想とサーカーの理論がまったく異なる点です。
協同組合経営になじまない大規模工業は地方自治体経営となります。
しかし、科学技術の発展によって民間経営が適切となれば協同組合経営に移ります。

 「基幹工業のほとんどは、地方自治体によって経営されるべきです。
しかし、それは『無利益、無損失』の原則に導かれるべきです。
中規模工業のほとんどは、協同組合として経営されるべきです。
しかし、独占的な生産と利益によって導かれるべきではありません。

 協同組合セクターが経済の主な部門となるでしょう。
協同組合は、地方の人々を自主的に組織し、彼らの生計を保障し、自分たちの経済的福利をコントロールできるようにするための最良の手段です。

 小規模工業と家内工業のほとんどは、個人所有の下におかれるでしょう。
小規模工業は、主として贅沢品のような生活必需品以外の商品の生産に制限すべきです。
個人所有であっても、バランスのとれた経済を確保するために協同組合セクターとの調整を維持しなくてはなりません」(Decentralized Economy 1)

 別の個所で「基幹産業から家内工業に至るまであらゆる種類の工業は、その地域の人々による協同組合として組織されるべきです」とありますから、可能な限り協同組合の経営形態にしていくのがサーカーの考えです。
その地域の人々が個人事業を立ち上げることも奨励されます。
個人事業での被雇用者がある限度を超えると協同組合化が法的に義務づけられます。

 サーカーは「人間の社会的経済的解放を実現するためには、社会経済的に最高度の分権化が必要不可欠」と考えますから、日本の場合でいえば、市、郡、町のブロック・レベルで経済インフラストラクチャーを確立し、可能な限りあらゆる産業の設立、運営、流通ができるようにします。
それができない場合のみ、より大きなレベル、すなわち自治体(州)で産業を組織します。
この場合の「州」とは、日本の場合には都道府県にあたります。

 サーカーは、ブロック・レベルで組織不可能な産業の例として製鉄工業を挙げています。
しかし日本の場合、製鉄工業はずっと以前に官が組織し、民営で運営されていますから、協同組合形態が可能と考えられます。
ただしそれは自治体のコントロールの下におかれなくてはなりません。

 「もし、ある基幹産業がこのように(協同組合として)組織されたとしても、州のコントロール下に置かれなければなりません。(中略)
基幹産業は、決して資本によってコントロールされてはなりません。
さもなければ人々の利益が、たとえ完全に無視されないにしても、部分的には軽視されることになるでしょう。
さらに、もし基幹産業が資本家の手に残れば、多種多様な問題が生ずるでしょう。
通常は、非常に大規模な基幹産業だけが州のコントロール下にあるべきです。
そしてこれらの産業は分権ではなく中央集権であるべきです。
しかし、現時点では容易に分権化できない産業でも、環境の変化によって将来は分権化ができるようになるかもしれません。
そのときは基幹産業の分権化が実施されなければなりません」(Decentralized Economy 1)

 分権経済では、各地域がバランスのとれた社会経済単位として自立することをめざしますから、旧ソ連のように中央政府が大規模な工業をコントロールすることはありません。
連邦制の政府のあるところでは基幹産業を地方政府がコントロールし、日本のような単一政府制のところでは地方自治体がコントロールします。
ただし、それは中央集権的な性格を持ちますから、技術的な発展などによって民間経営がふさわしくなれば、協同組合経営に変えて分権化します。

◎協同組合システム

○1協同組合化の前に受け入れの心理的環境を整える

 サーカーは協同組合システムを「商品の生産と分配のための最良のシステム」だと考えます。
そして世界のさまざまな国で協同組合制度が失敗したのは、主として資本家たちが支配を永続化させようとしたからだと考えます。

 協同組合システムが成功するためには行政の支援が必要です。
そのため資本主義の環境の下では、あるいは協同組合を受け入れる心理的環境が整っていない場合は富の損失となるので、実施すべきではないといいます。

 このようにサーカーは協同組合を時期尚早に開始することに慎重ですが、その進め方について「協同組合作りを促進するためには、成功した模範となる協同組合が確立され、人々が協同組合制度の恩恵について知る必要があります」とも述べています。
いずれにしても、利益にしがみつく資本家(ヴァイシャ)との闘いを必要としており、プラウトもしくは協同組合化を推進する立場に立つ行政の支援を必要としています。

 ここで「行政が基幹産業を経営」とあるのは、電気やガスの供給、あるいは規模の大きな鉄鋼などといった基幹産業を自治体が「無利益・無損失」の原則で経営すべきだということを示しています。
そして自治体が基幹産業をコントロールして、下請けの位置にある協同組合が操業停止にならないように支援します。

○2 協同組合システムのイメージ

 個々の協同組合でなく協同組合システム全体のイメージについては、日本について言及したサーカーの言葉が手がかりとなります。
日本では「産業が協同組合システムと同様の線に沿って経営されている」(Talks on Prout)と肯定的に言及をしている個所です。

 日本には大企業が中小企業を下請けとする受注ネットワークがあります。
今、その地域経済を担っていた中小企業の物作りは海外発注と海外移転によって危機に瀕していますが、サーカーは、その日本のシステムはそっくり協同組合間の受注システムとして有効に機能しうるし、資本主義の下でも製品を注文に沿って作りますから、より消費のための生産のモデルに近いと考えたのだろうと推測します。

 次のサーカーの文章では、親会社と下請けの子会社の関係として、子会社に当たる協同組合が部品を作り、親会社に当たる協同組合が組み立て工場の役割を果たすイメージになっています。
親会社に当たるところが協同組合として経営ができない場合に自治体行政が「無利益、無損失」の原則で経営に当たるとしています。

 「原則として、行政は商業的事業を経営すべきではありません。
しかし、協同組合に基づいた事業経営が不可能な場合には行政が先導すべきです。
とはいえ、そのような企業は主として組み立て工場であるべきです。
組み立て工場のための構成部品は工業協同組合を通じて作られるべきです。
極端なケースとして、工業協同組合がある部品を製造できないところでは、それらは行政によって製造されるべきです。
事業においては、実質利益はありません。
それがしばしば労働問題を引き起こす原因となるからです。
製造コストは、利益も損失も出ない事業となるように適切に減らされます。
事業が損失を出す経営にならないように財政的、商業的な計算が必要です。
もし何らかの損失が工場に生じたら、その損失は工業協同組合に転化されることが必要です」(Talks on Prout)

○3 商業・税・銀行

 生活必需品の分配は消費協同組合を通じてなされます。
政府や事業家、中間業者はかかわりません。
暴利を得る余地を与えないためです。
経済単位間の交易は可能な限りバーター取引となります。

 生活必需品には課税されません。
所得税もありません。
税は、起点(生産点)で徴収されます。

 銀行についても次のように述べています。
 「銀行システムは協同組合によって経営されるべきです。
中央銀行または連邦銀行は地方自治体によってコントロールされます。
プラウトの生産経済の一般原則は『とりわけ一般の人々の購買力を増大せよ』です。
もしこの原則が実行に移されるならば、協同組合制度と経済分権化によって商品の価格を制御することは容易です」(Decentralized Economy 1)

 購買力増加によって商品価格をコントロールせよ、ということについてはすでに触れました。
銀行システムも協同組合として経営されるべきだといっています。

○4 エネルギー

 自立的な再生産構造を作るために、すべての社会経済単位の地域は電力を自給できなくてはなりません。

 「地方行政は、その地域で容易に利用できる太陽エネルギー、熱エネルギー、生物ガスエネルギー、水力発電、原子力発電、空気エネルギー、電磁石エネルギー、潮力エネルギーなど、地元で発電される電力を供給しなくてはならないでしょう」(Decentralized Economy 1)
 とあります。
今日の石油に依存するあり方には終止符が打たれます。
石油は産出地域の人が商品に加工したうえで、完成品を輸出することになります。

 「電力発電は『無利益、無損失』の原則で経営されるべきです。
そして生産コストを最小にして、人々の購買力が増すようにします。
たとえば、家内工業によってバッテリーが生産される場合、電力は『無利益、無損失』で供給されるべきですが、バッテリーの生産者はバッテリーを合理的な利益を得て売ることができます。
つまり、バッテリーに用いられる電力は工業商品ではなく原材料です。
輸送、通信、学校、大学、病院などのための電力も、社会的活力を維持するために『無利益、無損失』の原則で供給されるべきです。
地方自治体や州政府が、基幹産業として電力の供給に責任を負うべきです」(Decentralized Economy 1)

◎農業協同組合の経営

○1 合理的分配

 協同組合の経営者は協同組合の共同所有者、つまり社員の中から選出されます。
ただし、経営者にはモラルの高い人を選ばなければ協同組合は成功しません。
そのため、選ばれる人がモラルの高い人であることを前提とします。

 農業協同組合の組合員である株主兼労働者は、労働と持ち株に応じて合理的な分配を受けます。

 「農業協同組合のメンバーは、2つの方法で分配を受けます。
1つは協同組合に提供している土地の大きさに応じてであり、もう1つは肉体労働もしくは知的労働での生産の寄与に応じてです。
この分配を支払うにために、まず生産物全体が50対50に二分されます。
50%は賃金として分配されます。
残りの50%は、彼らが提供した土地の大きさに比例する持ち株所有に応じて支払われます」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 分権経済においては農業は工業と同じ立場になるとして、農産物の価格設定を次のように述べています。

 「農業的商品の価格は、諸商品の価格(すなわち労働コスト、原材料、輸送と貯蔵費用、減価償却、負債償還積立金など)を考慮に入れて定めるべきです。
加えて、価格は生産コストの15%を超えない合理的利益を含むべきです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

○2 農業協同組合化のプロセス

 サーカーは、協同組合化(社会化)は段階を追って漸次的になされるべきだといいます。
まず第1段階です。

 「協同組合的な土地経営を導入する計画は段階をおってなされるべきです。
最初の段階では、すべての非経済的な土地・保有地が経済的保有地になるよう、協同組合制度に加わることを要請します。
この段階では、協同組合は非経済的な保有地を経済的にするために土地を合併させた人々だけで構成されます。
私的な所有は認められます。

 たとえば、1人が1エーカーを所有し、別の人は2エーカー、また別の人は3エーカーを協同組合の中で所有するかもしれません。
協同組合のメンバーは協同組合に提供した土地の割合に応じて、全体の生産物に基づく配当が与えられます。
個々人は所有地の権利証書を保持しますが、農業活動は協同的に行なわれます。
したがって活用されていない境界線の土地も耕作されるようになります」(Agrarian Revolution)

 第2段階では、すべての人の協同組合参加を促進します。
第3段階で、土地の合理的分配と所有権の再確定をします。
合理的分配の基準は、家族の生活を維持するために必要な最低限の土地所有と、土地を活用する農民の能力です。
第4段階では、人々が自分の小さな利己的な利益よりも集団の福利を考えることを身につけているので、土地の所有権をめぐる争いがなくなります。

 「こうした変化は一夜では実現しません。
もし、内的な衝動と外的な圧力による適切な心理的準備が時間の要素を考慮してなされていないなら、人々はこのシステムを決して受け入れないでしょう。
強制的に人々に押しつけるべきではありません。
 ソ連の指導者たちは、集団の心理に対して無知でした。
そのため彼らは力によって集団農場を押しつけようとし、深刻な飢餓と大規模な国内の不穏を生み出しました。
これらの問題を処理しようとして、政府は心理的方策でなく野蛮な武力に訴えました。
その結果、彼らは多くの人々を力で抑えました。
サドヴィプラは決してある国の心理に敵対した歩みを進め、荒廃を引き起こすことはありません」(Agrarian Revolution)

◎労働者

○1 労働意欲の刺激

 サーカーの提起するプラウトは、最低限の生活必需品をすべての人に保障するという思想であるため、旧社会主義諸国のように労働者が勤労意欲をなくすのではないかと疑問を持つ人もいると思います。
サーカーは次の2点が労働のインセンティブ(刺激)になると考えます。
第一に、労働者は経営参加の権利を明確に認められます。
加えて組合員(社員)が株を協同所有していますから、協同組合の発展と自分の利益がつながりを感じます。
第二に、自分が多くの物を生産したらその分が利益の配当になるという賃金システムです。

 「労働者の勤労意欲を刺激するものとして、工業においては出来高払いの仕事の領域と仕事のボーナス・システム(報酬制度)を開始して、それを増やすことによるインセンティブを労働者に提供するべきです」(Talks on Prout)

 出来高払いでは、労働者は生産した各品目からの利益もしくは利益の一部を受け取ります。
労働者が多く生産すれば収入が増えます。
たとえば2時間で10個のところを20個作ると収入が増えるわけです。
ボーナス・システムにおいては、ボーナスは商品の生産において節約した時間に基づいて計算されます。
この(時間を)計算した貨幣価値が労働者に払われます。
これは1品目を作るのに2日かかるところを1日で済ませ、2日目は別の仕事をした場合に節約した時間についての貨幣価値が払われるということだと解釈しました。
協同組合はチームで仕事をしますから、節約した時間の貨幣価値はそのチームに与えられるのかもしれません。

 資本主義の下では、マルクスが『資本論』の中で緻密に研究しているように、出来高払いの方式は労働者同士を競争させて会社の儲けを増やすことに目的があります。
しかしプラウト経済においては、会社は協同組合であり労働者の所有物ですから、会社がより儲けを上げることは労働者の収入を増大させることになります。
それは同時に労働者の購買力を強化していくので、一層、景気もよくなります。

○2 労働争議の解決

 サーカーは労働争議について、資本主義の下でも「経営に労働者の権利を受け入れること」「実質利益からいくらかの配当を認めること」によって一時的に解決するかもしれないが、実質利益の配分の割合をめぐる問題が生じるゆえに、資本主義の下では恒久的に解決することはできないといいます。
そして、協同組合システムの大規模実施によってこそ労働争議は恒久的に解決すると述べます。

 「恒久的な解決は、協同組合システムの大規模な実施と、土地、産業、貿易、商業の社会化にあります。
大規模な工業は基幹産業であるべきです。
これらの基幹産業は地元自治体によって経営され、所有されるべきです。
そして労働関係を適したものに維持するために、労働のボーナス・システムと出来高払いを採用するべきです。
一生懸命に働く人々がより多く利益を得るでしょう」(Talks on Prout)

○3 合理化と失業

 資本主義の下では合理化は失業につながりますが、プラウトでは労働時間の短縮になるとして科学を積極的に産業に活用する立場を述べています。

 「科学は、奉仕と幸福のために活用されるべきです。
産業は合理化されるべきです。(中略)
合理化は失業問題の根本原因だというのは間違いです。(中略)
失業問題は、産業が利益追求のためにある資本主義の枠組みにおいてのみ生じます。
産業が消費に従い、利益追求に従わない集合経済構造の下では、失業問題は生じません。
ここでは労働者の数は減らされず、労働時間が減らされます。
減った時間は、知的、精神的追求に充てられるでしょう。
労働時間の短縮は、生産だけでなく、商品の需要、労働力の入手可能性にも依存しています」(Talks on Prout)

 本来、科学技術の産業への適用は労働者を楽にするはずのものなのに、逆に労働者に長時間労働、労働強化を強いることになることは、マルクスの『資本論』で詳細に分析されています。
サーカーも利益追求の資本主義システムであるがゆえに、産業合理化はリストラ・失業など労働者に不利益に働いていると考えます。
プラウト・システムならば社会経済単位の中で購買力が絶えず強化されますから、不況をもたらすことはありません。
消費者のニーズに合う商品を生産するならば、失業、リストラの必要がありません。

▼所有・享受・管理

◎天地万物は全人類の世襲の共有財産であり、すべての人が富を享受する権利を持つ

 サーカーの提起する、資本主義に代わる社会イメージは、資本家的所有を廃止して協同組合所有(社会化)をめざすものです。
主要な生産様式が資本主義的生産様式から協同的生産様式に変わります。
サーカーはこれを「進歩的社会主義」とも呼んでいます。
しかし、この社会経済論の根底をなす哲学はサーカー独自のスピリチュアリティ哲学に基づくものであり、旧来型の社会主義的思想潮流とは根幹が異なっています。

 まず、協同組合的所有の発想の基盤にあるスピリチュアリティ哲学からくる所有論を紹介します。
次に、均衡経済論や自立的社会的経済単位の発想が出てくる哲学的根拠を見てみます。

 協同組合論の根底には「天地万物はすべての人類の共有財産」というスピリチュアリティ哲学があります。
サーカーの哲学については後で詳しく紹介しますが、唯物論者にもわかるように私の言葉でごく簡単に紹介します。

 150億年前、ビッグ・バンでこの宇宙が始まった時、原子核の周囲を電子1個が回る水素と電子2個が回るヘリウムだけが全宇宙に充満していました。
この水素原子、ヘリウム原子が衝突と結合を繰り返す中で、無限に多様な原子の組み合わせの物質世界ができました。
その一部分が地球となりました。
そして地球の表面の一部分が意識を持った存在になり、あなたになり、私になっています。
ここまでは唯物論の説明で、サーカーの哲学も基本的には一致します。

 では、原子の複雑な組み合わせの中からあなたや私の意識が生まれたのでしょうか。
サーカーの哲学では、原子をずっとより細分化した精妙なレベルは大宇宙の意識であり、その意識が固まって原子になり、それが組み合わさって、この目に見える世界が展開していると考えます。
根源にある1つの意識はいったん物質の形で無数に分かれてこの世に展開しています。
その物質が生命として展開し、発展し、人間という形での原子の組み立てに至ります。
人間において、未発達な生命には見られなかった根源の意識が鮮明に現われるようになったと見ます。
サーカーの哲学では、形に現われた宇宙の一切は、大宇宙の根源にある意識の顕現の流れの中で表現されているものです。

 私たちが働いて創造した物まで含めて、所有者は大宇宙の根源にある実体です。
大宇宙の心が分かれてあなたになり、私になっているわけでから、大宇宙の富はすべての人が自分のものとして享受すべきです。
特定の人間や特定のネイション(国民国家)が大宇宙の富を私物化することは許されません。
サーカーの言葉で見ていきましょう。

 「天地万物は、大宇宙の意識の心理的な内的投影です。
そして私たちの創る物は、投影の反射です。
私たちはもともとの物を何も創造することはできません。
私たちがすることは、すべて物質から放射される物理的な波によるものです。
 私たちは、その形を変え、化学的な合成、物理的な混合ができるだけです。
だから私たちの創るものは物的=心的、あるいは外的=内的な投影です。
基本的な要素を人間が創り出すことはできません。
それゆえ、所有権は大宇宙実体にあり、個人にはありません。
私たちは、ただこれらの要素を使うことができるだけです。
 宇宙は私たちの共有財産です。
私たちは宇宙の合同家族です。(中略)
合同家族のメンバーのように、私たちは『生き、他を生かす』やり方で生きるべきです。
世界を開発し、利用する潜在的な可能性は、特定の個人や民族、国家に属するものではありません。
彼らはただこれらの潜在力を享受できるだけです。
私たちは、大宇宙の財産の原理を受け入れて、すべての世俗の、そして超世俗の富を活用すべきです。
それは、私たちの進むべき道であるばかりでなく、論理的かつ合理的なアプローチでもあります。
これが正しい社会的哲学です」(Discourse on Prout)

 私たち人類(人間)すべてが宇宙の合同家族のメンバーであり、宇宙の富を享受する権利を持っていますから、外国人かどうかという問題はありえません。
サーカーは次のように続けます。

 「もし、私たちが大宇宙の相続財産の合理的原則を受け入れるならば、外国人とそこの住民の土地という問題は生じません。
すべての天地万物は私たちの世襲の財産です。
私たちは大宇宙の社会のメンバーです。
私たちには、どこでも自分の好きな土地に移住し、定着する自由があります」(Discourse on Prout)

◎天地万物の管理・運用の権限は、精神性が高くふさわしい能力のある人に与える

 サーカーによれば、すべての人間がこの大宇宙の生み出した資源や富を享受する権利がありますが、それらの資源や富を管理・運用する権利は全員が持つわけではありません。
わかりやすくいえば、ここに「病気を治すすばらしい薬」という富があるとします。
病気になった時、その薬の恩恵に預かる権利はすべての人が持っています。
しかし、その薬を管理・運用する権利は、薬を有効かつ本当に苦しんでいる人に適切に処方するモラルと能力を備えた人物のみに与えられます。
このように、政治の領域も含めて社会の全領域で、大宇宙の富をすべての人々の福利のために最大限に有効活用できるような力を備えた、モラルと能力の高い人に富の管理・運用の権利を与えるべきだとサーカーは考えます。

 「天地万物は、私たちの共通の世襲財産です(中略)
権利を持つことと管理・運営の権利を持つことは同一ではありません。
人類の多数は従う人々であって、指導者ではありませんから、管理・運営の権利は選ばれた少数の人に与えられるべきです。
生活のあらゆる領域(社会的、政治的、その他)において、知的かつ直観力を持つ労働者たちが財産を管理・運営し、他の人々の権利を保護するべきです」(Talks on Prout)

 サーカーによれば、プロレタリア革命後のプロレタリアによる統治の理論はユートピアです。
それは、社会サイクルのシュードラ革命の時期に労働者を団結させて、社会を前進させるのに役立ちましたが、実際に権力を握って社会を運用していく段階になると、人々をまとめるパワーを持ったクシャトリアと知識を持ったヴィプラが、プロレタリア(シュードラ)のために統治せざるをえません。
プロレタリアによる統治の理念は、理想としては素晴らしいのですが、非現実的であったために、一方でスターリンのような独裁者を、他方で文化大革命のような混乱を生み出しました。
サーカーの場合は人間の現実を直視しており、シュードラ革命後、「知的かつ直観力を持つ労働者たち」が、すべての人々が有効に活用できるように財産を管理・運営するべきだと論じています。

◎土地革命・農地改革について

 「天地万物は、大宇宙の心が投影した客観的実在です。
あらゆるものは全宇宙の実体Entityのものです。
私たちは宇宙の資産を使用することができます。
所有権は最高の父にあります。
土地の所有権は借地人にもなければ、ザミンダール(土地所有者)にもありません。
所有権は骨を折って働く人民にあるという間違った非論理的な宣伝は紛争と混沌をもたらすだけです。
大宇宙の相続財産という原則を受け入れるならば、私たちは能力の及ぶ限りすべての資源を活用すべきです」(Discourse on Prout)

 このように「天地万物はすべての人類の共有財産である」とするサーカーの考えは、土地革命や農地改革の見方にも表われます。
日本では農地改革は1946~50年に実施されましたが、アジアやラテン・アメリカでは依然として重要な問題として潜在しています。

 サーカーは、土地の最高の所有権は全宇宙実体にあるのであって、地主にもないし、小作人にもないといいます。
フランス革命やロシア革命、中国革命では、大地主の土地はそこで働く人民のものだという考えが力を発揮し、革命を推進する1つの力になりました。
サーカーは、インドで共産主義者が「土地を働く農民に」という運動を展開していることに対して、それは間違った非論理的な宣伝だと述べます。
それでは自立的経営が不可能な小土地所有者が無数に生まれ、大宇宙の財産である大地を有効活用できないと主張するのです。

 「土地所有者は、土地の社会化に対して補償を与えられるべきではありません。
所有者が未亡人や老人、未成年者である場合は、彼らに給付が与えられるべきです。
そして失業している青年には仕事が与えられるべきです。
これが合理的なことです。
生活のために他に資産のない小土地所有者には給付が与えられるべきです。
原則として補償システムは受け入れることはできません」(Discourse on Prout)

 広い土地を所有して小作人を働かせ、その小作料で生活している土地所有者の土地を社会化すなわち協同組合化した場合、その地主の家族のうち生きる術のない老人や未成年者などへの生活保障は必要であるが、働くことのできる地主は土地を提供した協同組合のメンバーとして働くと読み取りました。

 土地は大宇宙の共有財産であり、それを大地主と農民の共有財産として有効活用する。
それが土地の私物化でなく社会化です。

 これまでの革命運動における土地革命の理論は、大地主の土地を農民の土地要求で革命的に奪取して、その次に人民公社のように社会化を進めるというものでした。
しかし、それは破綻しました。
サーカーは、すでに紹介したように、段階的で漸進的な土地の社会化の方策について述べました。

 既得権益を持つ大地主が自ら小作人たちと自分の土地を共有することは、個人的例外はありえても全体としてはありえません。
これまでは、農民たちの階級闘争を背景にして政府が有償で上層農民に売却する法律を作るか、革命的な政府が無償で大地主の土地を農民に与えたかのいずれかでした。
これに対してサーカーの方策は、大地主と農民が協同組合を作って社会化を図るというものです。
それはその方向を支持する政府が法律を作り、既得権益を持つ大地主に対する強制力を持たなくてはできないことです。
つまりプラウトを支持する者がシュードラ革命を実現してこそ成し遂げられることです。

▼プラマー(平衡と均衡)

◎プラマーとは何か――力の三角形のバランス

 「天地万物はすべての人類の共有財産である」という考えの背景にスピリュアリティの哲学があることはすでに紹介しました。
分権経済と均衡経済論の背景にもサーカーのスピリュアリティ哲学の見方があります。
それはプラマー論です。
プラマーとは「平衡と均衡」を指し、大から小まで重層的にバランスのとれた三角状態の実現が宇宙の理にかなっているということです。

 ブロック・レベルから社会経済単位のレベルまで可能な限り自足的な経済にもっていくことは、小さなブロック・レベルをバランスのとれた三角形として無数に作りつつ、同時にその上部の社会経済単位もバランスのとれた三角形にしていくということです。
そして最後には地球全体を無数の三角形を重層的に含む1つのバランスのとれた三角形にしていきます。これがプラマーのイメージです。

 経済論だけでなく、もちろん心の領域も精神の領域も、あらゆる領域でプラマーのある三角形を無数に作るということです。
プラマーは静止的ではなく、絶えず動いている動的なものです。
難解ですが、サーカーの言葉を直接引用します。

 「"Trigun'a'tmika' srs't'ima'trka' ashes'a'trikon'a dha'ra'."
 この言葉は次のような意味です。創造の始源の段階では、その属性である3つの原理が無数の幾何学的な姿を発達させます。
それは最終的にはすべて力の三角形(グナ・トゥリコーナ Gun'atrikon'a)を形成することになります。
作用する3つ以上の力がある時は、不可避的に安定した三角形を作る傾向があります」(Socio-economic Groupifications)

 サーカーの哲学では、始源の形質・属性のない純粋な根源にあるプルシャ(意識)にプラクリティ(Prakrti 力=エネルギー)が加わってこの大宇宙が展開します。
力=エネルギーは、3つのグナ(形質・属性)を付与する形で表現されます。

 3つのグナとは、サットヴァ・グナ(明晰・平穏)、ラジョ・グナ(変化・興奮)、タモ・グナ(静止・鈍重)です。
このグナが付与されているから天地万物として現われているのであって、微細なレベルから巨大なレベルまで3つのグナの形で力が働き続けています。
私たちが目を閉じて心を集中させようとしても、心が1点にとどまることがないのも、このプラクリティという力の3形態が現われているからです。

 この3つのグナを心の池として例えるなら、池が澄みきって底まで見える状態がサットヴァ・グナです。
嵐で池の表面が波立っている状態がラジョ・グナです。
池の表面が凍って固まった状態がタモ・グナです。
宇宙にはこの3つの原理が働き続けます。

 「グナ・トゥリコーナがバランスのとれた状態にある限り、サットヴァ・グナの状態はラジョ・グナの状態に転換し、ラジョ・グナの状態はタモ・グナの状態に、タモ・グナの状態はサットヴァ・グナの状態に転換します。
この相互転換の過程は無限に続いてきました」(Socio-economic Groupifications)

   グナ・トゥリコーナのグナは3つの形質・属性を与える力であり、トゥリコーナは三角形ですから、「3つの方向への力の三角」という意味です。
この力の三角のバランスのとれた状態がプラマーです。

 「この同形性の転換によって、力の三角形のバランスは維持されます。
しかし、絶え間ない変形の過程において、鈍重のプラクリティ(訳注:タモ・グナのこと)の圧力により、三角形のバランスが失われます。
そして、頂点の1つを通じて創造の過程が始まり、創造の流れすなわちローカトゥリコーナ(Lokatrikon'a)が続きます。
人間は、物的・身体的領域、知的・心理的領域、精神性の3つの領域を持つ存在です。
これらの3つの側面は、集合体はもちろん個人的実体においてもプラマートゥリコーナ(Prama'trikon'a)やローカトゥリコーナを生じさせます」(Socio-economic Groupifications)

 創造や発展の過程は、3方向の力のバランスが崩れることから始まります。
それがローカトゥリコーナ(三角の崩れ)で、バランスを回復した状態がプラマートゥリコーナ(バランスのとれた三角)です。
無数の地域的な小三角形なしに地球規模の三角形ができあがる時、ローカトゥリコーナからプラマートゥリコーナへの移行は、三角形が大きいため巨大な害を被りながらの過程となります。
ブロック・レベルや社会経済単位レベルで無数のプラマートゥリコーナが確立されるならば、その小さな三角形が自らの力でバランスのとれた形に修復しながら進みますから、大きな地球規模の三角形は安定して進むことができます。
しかし、現代の世界の大三角形は大きくゆがんでいます。
現代世界のプラマーの欠落について次のようにサーカーは述べています。

 「世界のあらゆる地域で自然は豊かでした。
地表でも地下でも莫大な富を私たちに与えてきました。
実際、世界のさまざまな地域は農業、鉱業、水産業、薬草、森林などの資源に満ちています。
にもかかわらず、世界の多くの経済的地域において貧困や低い生活水準、文化と産業の後進性があります。
物質科学が急速な発展を遂げたことを自称している20世紀の今日ですら、結果として、教育設備の不足だけでなく、食料、衣服、住居の切実な不足に呪われて、数百万人の人々が身体的生存のために苦闘しています。
自然の恵みのおかげで、いかなる経済的地域にも物的資源の不足はありません。
しかし、優しい性向の欠落のゆえに、これらの資源は社会と経済の発展に活用されず、人々の基本的な物的・身体的な必要性(食物、衣服、居住、医療、教育)は満たされることができませんでした。
明らかに、物的・身体的領域にひどいプラマーの欠落があります」(Socio-economic Groupifications)

 物的・身体的領域でバランスが崩れ、たとえば腹痛に苦しんでいるとしたら、知的・心理的領域は安定しません。
逆に、知的・心理的領域でプレッシャーにさらされる時、物的・身体的領域でバランスが崩れ、胃痛を引き起こします。
集合体(社会)のレベルでも同様です。
物的・身体的領域でプラマーに欠ければ、人々は知的・心理的領域、精神性の領域でもプラマーが実現しにくくなります。
サーカーは、3つの層のうち物的・身体的領域でのプラマーの確立が一番大切だと次のように述べます。

 「物的・身体的、知的・心理的、精神的な生活の3つの領域は同じ重要性を帯びているけれども、最初の段階では物的・身体的領域により大きな重要性が与えられるべきです。
もし、プラマーが物的・身体的領域で失われていたら、反社会的要素が社会の中で力を持ち、社会全体の環境を汚染するでしょう。
その帰結として、知的・心理的、精神的領域におけるプラマーが失われ、知的・心理的状況はさらに悪化することになります。
そこで物的・身体的領域でのプラマートゥリコーナの確立がもっとも必要です」(Socio-economic Groupifications)

 物的・身体的階層でプラマーを回復するためにどうすべきか。
サーカーは、その物的・身体的階層をさらに下位階層に分類し、それぞれの領域でプラマーを進めようといいます。
すなわち農業、工業、鉱業、交易と商業、医療、灌漑、科学教育などに分類し、三角形のバランスを作り出していくのです。
そうすると、そのまた下位分類のレベルでも、さらに下位の三角形のバランスを作らなくてはなりません。

 「たとえば、どの社会経済単位の食糧問題の解決を試みる際にも、農業の下位三角形を作るべきです。
適切な灌漑システムを導入しなくてはなりません。
そして高品質の多様な種子を用いなくてはなりません。
土地の広範囲な耕作、トラクターと必要な肥料の使用によって、毎年3~4回、作物が収穫できるかもしれません。
土壌にふさわしい作物を選ぶべきです。
農業協同組合と農業生産者組合を開始しなくはなりません。
そして農民団体を形成しなくてはならないでしょう。
農業は利益の原理ではなく消費の原理に基づいて導かれるべきです。
農産物の適切な貯蔵、配分が必要です。
農業のローカトゥリコーナにおける適切なバランスは物的身体階層におけるローカトゥリコーナにおけるバランス確立に役立つでしょう」(Socio-economic Groupifications)

 全地球規模で集合的に(すなわち人類社会で)人間存在の3つの階層において無数の三角のバランスを最大の三角の中に確立する時のイメージをサーカーは次のように描きます。

 「物的・身体的階層、知的・心理的階層、精神的階層のすべてのローカトゥリコーナやプラマートゥリコーナが集合的に最終的なローカトゥリコーナやプラマートゥリコーナを形成するならば、その中心点は、最高のグナ・トゥリコーナの中心点と完全なバランスをもって一致するでしょう。
完全にバランスのとれた状態が個人と集団の間に、集団と宇宙の間に確立するでしょう。
すべての領域におけるこの最高のバランスはあらゆるところに完全な状態をもたらすでしょう。(中略)
これは包括的な福利、すべての人間と全生命世界の進歩と完成の段階です」(Socio-economic Groupifications)


▼[補足]プラウトは時・場所・人の変化に応じて適用する――ドグマに陥らないために

サーカーは、人間の心を硬直化させ、心を拡大していくことを妨げるドグマ、イズムを厳しく批判します。
すべての思想がそのような硬直したドグマ、イズムに転落する危険性をもっており、プラウトも例外ではありえません。
サーカーは、プラウトの原則を適用して活動していくにあたって「時、場所、人物の変化に応じて多様であること」ことを強調しています。
このことはきわめて重要であるので、ここにその論点を付け加えておきます。

 「ドグマは知的・心理的な構造物です。
すべての思想は知的・心理的な構造物です。
しかし、その境界線に関して幾分かの柔軟性があるべきです。
あなたがたのうち何人かは、私たちのプラウト理論に接するようになったと思います。
プラウトの5番目の基本原理は、応用のスタイルは時、場所、人物の変化に応じて多様であるべきであると述べています。
そう私はいいませんでしたか。
すなわち、そこには柔軟性の余地があります。
人間の心は硬直性に耐えられないからです。
それは運動を欲します。
しかし、運動だけではなく、運動を加速することを求めます。
とはいえ、何がドグマなのでしょうか。
ドグマもまた思想です。境界線の硬直性を伴った思想です。
ドグマは、その境界線の周辺を超えて進むことを許しません。
すなわち、ドグマは人間の心の根源的な精神に反しています」(Beware of Dogma)

 知的・心理的構造物であるすべての思想は、大黒柱と柱と境界線の壁を持っています。
そしてそれをドグマとして受け入れた人は、境界線の壁を守ってその思想への忠誠を示します。
その壁の外に出て行くことができません。
プラウトを信奉する人々にも同じことが生じます。
すべての人間、すべての生命、すべての存在が尊くて大切だというネオ・ヒューマニズムの精神を身につけながら、時、場所、人物の変化に応じて境界線を設定せずに柔軟に理論を適用していくことをめざさなくてはなりません。

 なお、スピリチュアリティを前提としないとプラウトを理解できないという考えもありますが、プラウトも知的・心理的構造物であり、まず知的に正確に学習し、理解することから始めなくてはなりません。
そしていかに現実に適用させるかについて、直観力も働かせながら自分の生きている時代、場所、人物(社会)をリアルに見つめなくてなりません。



◎引用文献

 引用はP・R・サーカーの英語CD版"Electronic Edition Of The Works Of P. R. Sarkar", Version 6.0, Ananda Marga Prublications, 2001.(527, VIP Nagar, Tiljala, Kolkata, India.)所収文献を用いた。
サーカーの文献については著書名と論文名のみ表記。

P. R. Sarkar, The Vaesha Age, Human Society: Part 2.
P. R. Sarkar, Talks on Prout, Prout in a Nutshell: Part 15.
P. R. Sarkar, Discourses on Prout, Prout in a Nutshell: Part 4.
P. R. Sarkar, Economic Depressions, Proutist Economics Discourses on Economic Liberation.
P. R. Sarkar, Keep Money Rolling, Proutist Economics Discourses on Economic Liberation.
P. R. Sarkar, Some Specialities of Prout's Economic System, Protist Economics Discourses on Economic Liberation.
P. R. Sarkar, Economic Democracy, Proutist Economics Discourses on Economic Liberation.
P. R. Sarkar, Decentralized Economy1, Proutist Economics Discourses on Economic Liberation.
P. R. Sarkar, Socio-economic Groupifications, Proutist Economics Discourses on Economic Liberation.
P. R. Sarkar, Principles of Balanced Economy, Proutist Economics Discourses on Economic Liberation.
P. R. Sarkar, Beware of Dogma, Prout in a Nutshell: Part9.




(Explanation of god salamnidam)

(Reason of this type continue is that I consciousness and ectoplasm of non-presence is same)

Dear
I am god salamnidam who downed theoy P.R.Sarkar.
Assistant Mitsuki read almost books of Sarkar and summarized exactly.
We project of Heaven and gods introduce study of Sarkar.
I explain one by one.
This time I explain this part.

◎人間の心の4つのタイプ

 サーカーによれば、人間の心には「クシャトリア(武勇派)」「ヴィプラ(知力派)」「ヴァイシャ(蓄財派)」「シュードラ(庶民派)」という4つのタイプがあります。

 クシャトリアは、身体を強化し、ものごとを制覇していくことに人生の喜びを感じるタイプ。
ヴィプラは、知力を高めることに人生の喜びを感じるタイプ。
ヴァイシャは、ものを作って売るなどして物質的財貨を蓄積していくことに喜びを感じるタイプ。
シュードラは、これらの3つのタイプに比べてその日暮らし的な意識を持ち、物的で表面的な喜びに動かされて生きているタイプです。

 なお、ここでいうクシャトリア、ヴィプラ、ヴァイシャ、シュードラは、インドの身分差別制度であるカーストとは直接の関係はありません。

Mentality of human being is four.
One is brave person.
Second is intellectual person.
Third is commercial person.
Fourth is ordinary person who is attracted physical pleasure.
I named kshyatia, vipra, vaeshya and shudra.
This naming is not concerning to caste system.

This is summarize of Mitsuki.
This summarize is excellent.
When mind of human being is view from true gods in base of universe, gods see this four types.
There are difference of development of this type in age of course.
But types is continues.
Reason of this type continue is that I consciousness and ectoplasm of non-presence is same.
Same human mind repeats human life in presence world.
Your I consciousness is same from one million years ago in non-presence of ectoplasm of parent god.

人間のメンタリティには四つのタイプがあります。
一つ目は勇気あるタイプです。
二つ目知的なタイプです。
三つ目は商業的なタイプです。
四つ目は肉体的喜びにひかれる普通のタイプです。
クシャトリア、ヴィプラ、ヴァイシャと名づけました。
このネ-ミングはカ-スト制度は関係ありません。

これがミツキの要約です。
この要約はよくできています。
人間の心を宇宙根底の真の神々が見るとき、
神々にはこの四つのタイプが見えます。
もちろん、時代によってこのタイプの発展があり、違いがあります。
しかし,タイプは続いています。
このタイプが続く理由は、非顕在の私意識と思念体が同一だからです。
同じ人間の心が顕在世界で人間生活を繰り返しているのです。
あなたの私意識は親の神の思念体の非顕在の中で百万年前から同じなのです。


(When your soul level become highest, you become eternal life)

Dear
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◎社会サイクルとは

原始社会は人々がバラバラに暮らすシュードラ社会です。
その中でクシャトリアがリーダーとなって社会をまとめ、秩序をもたらします。
社会が安定してくるとクシャトリアの武勇のメンタリティは不要となり、むしろ複雑になった社会を知的にまとめていくことが必要となります。
そこで、ヴィプラ(知力派)が社会のリーダーとなって優位に立つようになります。
こうして社会と経済が発達してくると、蓄財に長けたヴァイシャ(蓄財派)が富の力によって、政治を支配しているヴィプラを背後で操り、事実上、支配するようになります。
ヴァイシャが過剰に富を蓄財すると、クシャトリアとヴィプラの中にシュードラ的地位に落とされてしまう者が出てきます。
シュードラ化したクシャトリアがシュードラ化したヴィプラとともに多数の大衆(シュードラ)を率いて立ち上がるようになります。
これがシュードラ革命の時代です。
革命のリーダーであるクシャトリア(武勇派)が社会の指導権を握ることで、社会サイクルは次の段階に入ります。
このように、社会は武勇、知力、蓄財、庶民というふうにサイクルを続けて前進していきます。

 精神性(スピリュアリティ)の高いモラリスト(サドヴィプラ Sadvipra)の集団は、社会回転の中心に位置し、支配階級が次第に搾取的になっていくときに搾取と闘い、次の時代へと回転を促進させる役割を永久的に果たし続けます。
したがって、この社会サイクル論は、きわめて実践的で革命的な理論として提起されています。
ただし、社会回転の様子を眺めているというものではありません。

 ヴァイシャ支配の資本主義社会では、次第に一般大衆の経済的搾取が強まっていきますから、スピチュアリティの高いモラリストは、シュードラの知性と社会意識を高め、反搾取の感情を高めて、シュードラ革命の勝利に貢献すべきだといいます。
これがサーカーの社会サイクル論の概要です。

This summarize of Mitsuki is excellent.
Social cycle is rotation of leadership of society in three types.
This is law of historical materialism.
Historical materialism was down to Marx, Engels from gods of heaven.
We gods of earth had not communication with gods of heaven.
So I use social cycle theory.
Law of historical materialism means that human history develops base on law of time-space which is flow of full of Higgs particle.
Law of time-space is named dialectical materialism.
Law of time-space is that all beings of presence are in wave, not unchanged.
Human I consciousness is in non-presence.
Human I consciousness repeats human life in presence world.
Repeating human life in presence world, quality of I consciousness (soul) become raise and return to parent god in base of universe.
Quality of life is important.
When quality of your behavior raise, your soul level raise.
When your soul level become highest, you become eternal life.


このミツキの要約はよくできています。
社会サイクルは、三つのタイプによる社会のリーダーシップのローテーションです。
これは史的唯物論の法則です。
史的唯物論は天の神々からマルクス,エンゲルスにおろされました。
私たち地球の神々は、天の神々とコミュニケ-ションがありませんでした。
だから私は社会サイクル理論という言葉を用いています。
史的唯物の法則は人間の歴史がヒッグズ粒子の充満の流れである時空の法則にもとづいて展開していることを意味します。
時空の法則が弁証法的唯物論と名づけられました。
時空の法則は、顕在のすべての存在は波動の中にあり、不変ではないということです。
人間の私意識は非顕在です。
人間の私意識は顕在世界に人生を繰り返します。
顕在世界で人生を繰り返しながら、私意識(魂)の質があがるようになり、宇宙根底の親の神のもとにもどります。
人生の質が重要です。
あなたのふるまいの質があがるとき、あなたの魂レベルがあがります。
あなたの魂レベルが最高になるとき、あなたは永遠の生命になります。


(Capitalist system is worst system in human history)

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◎新しい社会経済のヴィジョンを示すプラウト

 現在の私たちの社会はヴァイシャ時代であり、資本主義社会です。
したがって、ヴァイシャのメンタリティが支配的です。
蓄財に長けたヴァイシャのもとに貨幣が集中し、貨幣の不活用が生じ、経済的不均衡が拡大し、現在の不況を生み出しています。
また、ヴァイシャの心は貨幣の蓄財という物質的願望の形をとるため、社会全体が物質主義的となり、スピリチュアリティ、道徳性が低下します。
私たちは年間数万人もの自殺、学級崩壊、家庭内暴力、犯罪の多発など、人間の心の低下や精神性の劣化を日々目撃しています。

 サーカーによれば、スピリチュアリティの高いモラリストが団結し、サドヴィプラ社会集団*(Sadvipra Society 精神性革命家集団)を作って、シュードラ(一般大衆)の反搾取意識を覚醒させ、今日のヴァイシャ時代(資本主義社会)に終止符を打たなくてはなりません。

 そのためには、現在の資本主義(ヴァイシャ支配)に取って代わる、より人間的な社会への建設的ヴィジョンが必要です。
そのヴィジョンがプラウトであり、人類史におけるまったく新しいタイプの思想です。

*注=サドヴィプラ社会集団
 サーカーが社会(Society)ではなく集団(Group)を用いるときは批判的に用います。
たとえば、宗教やナショナリズムなどをグループ主義だと批判しているように、心に半径を設定して自分の属するものと属さないものを区別する思考のあるときに集団(Group)という言葉を使っています。
宗教グループは、教義やドグマに従わない人を他者と見なし、ナショナリズムは自分の民族、国家の外にある人を他者と見なすからです。
 本稿ではSadvipra Societyを「サドヴィプラ社会集団」としていますが、そのような自他の区別をするグループ主義とは無縁です。
サドヴィプラとは、スピリチュアリティの高い普遍的な広い心を持ち、他者を区別せず、万物の根源は聖なる一という見方を確立している人々です。
彼らは心に半径を設定するグループ主義とは無縁です。


This summarize is excellent.
Mitsuki shows suffering of human beings from problem produced by capitalist economy.
This is true.
Situation becomes more serious in all world.
There is no other way except to abolish capitalist system.
Capitalist system is not democracy.
Capitalist system is hierarchy.
Make up horarchy according to law of universe.
Horarchy is principle which all beings are built up in this universe.
Capitalist system is organized base on principle of profit.
Principle of profit is not principle of organizing universe.
Capitalist system is worst system in human history.
As long as capitalist system continues, humankind and lives of earth become ruin.

みつきは、資本主義経済から生じる人間の苦しみを示しています。
これは本当です。
状況は世界中でよりひどくなっています。
資本主義制度を廃止する以外に他に方法はありません。
資本主義体制は民主主義ではありません。
資本主義システムはヒエラルヒ-階層です。
宇宙の法則であるホラーキー階層につくりかえる必要があります。
ホラーキー階層はすべての存在が組み立てられる宇宙の原理です。
資本主義システムは、利益の原則にもとづいています
利益の原則は、宇宙の組織原理ではありません。
資本主義システムは、人間の歴史の中で最悪のシステムです。
資本主義システムがつづく限り、地球の人類と生命の絶滅が待っています。


(There is no happiness in mind of capitalist)

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▼資本家の心の問題点――二元主義の病

◎人間の切望は無限だが、資本家の心は有限な物質へと向かう

 資本家と資本主義について、サーカーの言葉を見てみましょう。

 「人類は抑えることのできない無限の物的・身体的切望を持っています。
これらの物的・身体的切望から資本主義が存在するようになりました。
資本家*たちは昼となく夜となくお金のために骨を折ります。
これは自然の願望であるかもしれません」(Talks on Prout)

*注=「資本家」と「ヴァイシャ」の違い
 サーカーは、多々、サンスクリット語の用語で論じています。
それが現代語に訳されると、私たちが日常的に使う意味内容とずれてしまい、用語の理解には注意が必要です。
たとえば、資本家(Capitalist)は、もとはサンスクリット語のヴァイシャ(Vaesh)という言葉に対応しています。
 資本家という概念からは、主に近代的な資本主義が勃興した後に登場した資本家をイメージしますが、ここでは富の蓄積欲望に駆り立てられるメンタリティの持ち主を表わしています。
したがって、サーカーの理論では歴史貫通的に資本家が存在していることになります。
資本家(ヴァイシャ)が有利となるように背後で政治を動かし、社会でもっとも有力な影響力を持つ歴史的な時期を資本主義社会(ヴァイシャ時代)といいます。

 サーカーによれば、動物と人間の最大の違いは、動物の切望には限りがあり、人間の切望は無限であることです。
人間は、1つの願いがかなっても、そこで満足することはありません。
狩りを例にとると、ライオンはいったん満腹すればそれ以上の殺戮《さつりく》を犯さないのに対して、人間のハンターは獲物をもっと仕留めたくなります。
しかし、物的・身体的なものは有限です。
物質的財の蓄積願望に駆り立てられる限り、心に平安がおとずれることはありません。
サーカーは次のようにいいます。

 「しかし、物的な対象は有限です。
それゆえ、有限な物的対象を蓄積しようとする無限の願望は心理的な病です。
人類は抑えることのできない無限の知的・心理的切望も持っています。
この過剰な知的・心理的切望から心理的な病が生じ、人々は異常になります。
物質性とかかわる知的・心理的切望の対象もまた有限です」(Talks on Prout)

 「物質性にかかわる知的・心理的切望」の物質性とは、心の外にある客観的世界のことです。
社会、経済、身体も含めて、形あるこの物質世界についての知識です。
たとえば、食べ物は物質ですから、料理の仕方についての知識が物質性とかかわる知的切望の対象ということになります。
サーカーによれば、形あるこの物質世界は、時、場、人によって変化していく相対的な世界であり、有限の世界です。
したがって、心が物質世界にかかわることのみを無限に追い求めても、心は病になります。
形ある物質にかかわるものは有限であるので、無限を追求する人間の性質に合致しません。
これに対して、愛や親切という形なきものの追求は、無限を追求する人間の心と合致します。

 「しかし、純粋に知的・心理的な対象は無限です。
あなたの知的・心理的構造(Psychic body)と物的・身体的対象(Physical objectivity)は、常に分離しています。
だから、二元主義の種子が生じます。
しかし、精神性の対象の実現は、自己と対象との間の隔たりに橋を架けることを意味します。
平穏はこの達成の中にあります。
ここで述べた知的・心理的な病も、他者との衝突に導きます。
そして多くの持たざる者を生み出します。
私たちは、物的・身体的切望を知的・心理的切望に、そして精神性の切望に転化しなくてはなりません。
同胞同士の争いを避け、人間の権利を保護するためにです」(Talks on Prout)

 「純粋に知的・心理的な対象」とは、たとえば美の追求です。
無限に求める性質を持った「知的・心理的構造」すなわち心が、物的・身体的なものに向かう限り、無限と有限のずれが生じ、「二元主義」の種子が生じることになります。
精神性とは、全宇宙の根源にある意識と一体化し、自らを全宇宙、全生命の一部と実感する人間になることを追求することです。
無限を求める性質を持った心が、本来的に無限の性質を持っている精神性への願望を持ったときには両者の持つ無限性の性質が合致し、「二元主義」は生じません。

 したがって、物質的財の蓄積の切望が心を支配している資本家(ヴァイシャ=蓄財派)の物質主義的マインドが社会を覆い、人々に影響を与えているときには、人々のスピリチュアリティの向上が妨げられます。

 「資本家たちは、人間が大宇宙と一体となることを妨げるために、その道に障害を生み出します。
人間が偉大となることを妨げます。
そのため、資本主義はスピリチュアリティ(精神性)に反しています」

(Talks on Prout)
 ただ、「こうしたすべてにかかわらず、この世にまったくの善やまったくの悪は存在しません。
いかなる個人的な試みや集合的な試みをしようにも、最初はお金か資産の形で資本を必要とします。
ヴァイシャ時代にそのような資本が多様な方法で作り出され、必要な財が生み出されます」と述べ、人々の生活水準を向上させる前提となる生産力をアップさせたことでサーカーはヴァイシャを評価します。
さらにヴァイシャの財産管理能力を高く評価します。
しかし、それでもヴァイシャ時代(資本主義)には、彼らによる財の蓄積が、最終的に他の人々にとっての不足を生み出します。
そして物質主義的なメンタリティがヴァイシャ本人だけでなく社会全体にスピリチュアリティの低下という悪影響を及ぼします(The Vaesha Age)。

 サーカーは、資本家の心理と行動を厳しく批判しているにもかかわらず、資本家を決して敵視していません。
建設的な理想を掲げて、資本主義の反社会的な現われと闘うのです。

 「資本家たちは支配的な政党に影響を及ぼすことで権力を握ってきました。
私たちのものは建設的な理想であるべきです。
そして私たちは、反人間的、反社会的な要素に対して絶え間ない容赦ない闘争を行なうべきです。
私たちは資本主義に対して闘うべきであり、資本家に対して闘うべきではありません」(Discourses on Prout)

 そしてサーカーは、むしろ資本家の心の病を救済することが任務なのだといいます。

 「資本家たちは、ある種の心の病にかかっています。
資本家たちの物的な渇望を、知的な追求、精神性の追求に転換することによって彼らを根本的に治療することは、私たちの主な任務です」(Talks on Prout)

This summarize of Mitsuki is excellent.
In this part I say that capitalist mentality is suffering in capitalist society.
Capitalist mentality is to accumulate wealth of material.
Material is finite.
Desire of accumulation of wealth of capitalist is infinitive.
There is no happiness in mind of capitalist.
After revolution which stops rule of capitalist, capitalist becomes happy.

ミツキのこの要約は優れています。
この部分では、私は資本家の心は資本主義社会の中で苦しんでいると言っています。
資本家の考え方は、物的財を蓄積することです。
物的財は有限です。
資本家の富の蓄積の欲望は無限大です。
資本家の心には幸せはありません。
資本家の支配を終わらせる革命の後、資本家は幸せになります。


(Wealth of society becomes focus to one percent under capitalist system)

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▼資本主義経済の問題点1――富の集中と貨幣の回転の阻害

◎一部の手に富が集中

 ヴァイシャ時代(資本主義)には、政治の舞台で活動するクシャトリアとヴィプラのメンタリティを持つ人間を、財の力によってヴァイシャ(資本家、蓄財派)が背後で操ります。
そしてさらに自分たちが財を蓄積できる環境を作ります。
その結果、有限なこの世の富は一部に集中し、この世のアンバランスを拡大します。
このアンバランスの現われが、現在、私たちが目撃している不況や恐慌です。

 「もし、資本が少数者や国家の手に集中すれば、ほとんどの人は一握りの搾取者によって搾取されることになるでしょう。
厳しい搾取の過程の結果として、深刻な爆発が起きるでしょう」(Economic Depressions)

This summarize of Mitsuki is suitable.
Wealth of society becomes focus to one percent under capitalist system.
Wealth is finite.
When wealth centers
one percent, other ninety nine percent suffer lack of wealth.
This is happening now in scale of whole earth.

この要約は適切です。
社会の富は資本主義システムのもとで1%に集中するようなります。
富は有限です。
他の99%が富の不足に苦しみます。
これが今全地球規模でおきていることです。


(This is only way to solve suffering caused by capitalism)

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I explain one by one.
This time I explain this part.

◎プラウト経済政策の提案

○1 個人の購買力の強化

 サーカーの提案するプラウトでは、「個人の購買力を強化することによって経済をコントロール」します。いわば毛細血管まで充分に貨幣を循環させ、健康な社会の体を維持するということです。

 「一般の人々の購買力を増加させるためにすべきことは、贅沢品の生産ではなく生活必需品の生産に最大の重点を置くことです。
これは生産と消費の均衡を回復するでしょう。
そしてすべての人に生活必需品の供給を可能にするでしょう」(Some Specialities of Prout's Economic System)

○2 最低限の生活必需品と最大限の快適性の保障

 「プラウト経済システムは、最低限の生活必需品すなわち食物、医療、住居、医療、教育をすべての人に保障します」(Principles of Prout)

 日本国憲法第25条の1には、<すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する>とあります。
この理念を現実のものとし、さらに「国民」を超えて全人類に保障することをめざします。

 「最低限の生活必需品が保障されたならば、余剰の富は、医師、技術者、科学者のような特別な資質や能力を持っている人に分配されます。
こうした人々は集団の発展に重要な役割を果たすからです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 社会への貢献度の高い人は一般の人よりも高い収入と快適性を手にし、一般の人々の生活水準を高めるように社会的努力をします。
一般の人の生活水準が向上すると、社会的貢献度の高い人は、さらにそれ以上の生活水準を手にします。
わかりやすくいえば、一般の人が自転車に乗っているときに貢献度の高い人はオートバイに乗り、一般の人がオートバイに乗るようになれば貢献度の高い人は自動車に、一般の人が自動車に乗るようになれば貢献度の高い人はたとえば自家用飛行機が入手できることになります。
 このように、生産の進歩に応じて絶えず一般の人々の購買力の強化が追求されます。
「最低限の生活必需品の量は一般の人々の生活水準が常に向上するように漸進的に増大させられるべきです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 この購買力の強化の中に、資本主義と違って不況・リストラが生じない理由があります。
これまでのマルクス的な経済論では、需要と供給のアンバランス(市場経済における生産の無政府性)を社会全体での計画的生産によって克服しようとしました。
これに対してサーカーは、需要と供給のアンバランスを購買力の継続的向上とバランスのとれた地域経済を作ることによって克服しようと考えています。

 生産力の向上に見合って購買力も伸びるので、需要と供給のバランスが維持され、資本主義に見られるような破局は避けることができます。
それでも、市場経済ですから経済の波動は存在し、産業構造の変化はありえます。
しかし、その場合でも労働者の失業はありえません。
サーカーは、「労働者に次の職場を見つけるまでは解雇できない」という法律の制定を提案しています。
 サーカーは、同じ趣旨で次のようにも述べています。

 「プラウトのアプローチは、すべての人に最低限の必需品を保障し、すべての人に最低限の快適さを保障し、特別の能力のある人々に特別の快適さを保障することです。(中略)
誰もが天才ではありません。
普通の人に過ぎないかもしれません。
他人から尊敬される立場にないかもしれません。
しかし、そのような人々も、その環境条件と時代の必要に応じて常に増加する形で最低限の生活必需品と最大限の快適さを得るでしょう。
 この新しいアプローチの重要性は、どこにあるのでしょうか。
 (1)すべての人に最低限の必需品が保障されることです。
 (2)特別の快適さが有能な人々に保障されることです。特別の快適さは、その時代の環境条件に応じて特別な能力を備えた人々に対するものです。
 (3)環境条件に応じて、最大限の快適さがすべての人に保障されることです。
これは特別の能力を持たない普通の人々に対してです。
いわゆる虐げられた人々のためのものです。
 以上の3つはすべて、決して終わることのない過程です。
これらは集団的な発展の可能性に沿って増大し続けるでしょう」(Economic Democracy)

Summarize of Mitsuki is excellence.
Money should be continued to roll.
Money can be allegorized to blood.
This state of capitalist world is same to symptom of cerebral apoplexy.
Cerebral apoplexy is that blood is too centered brain not roll in whole body.
When capitalist system is changed to sharing means production of socialist company, money become to revive rolling of whole body.
This is only way to solve suffering caused by capitalism.

ミツキのこの要約はすぐれています。
お金は回転しつづけなくてはなりません。
お金は血液に例えることができます。
資本主義世界の今の状態は、脳梗塞の症状と同じです。
脳梗塞は血液が身体全体を回転せず、脳の集中しすぎているのです。
資本主義システムが、生産手段共有の社会主義会社に変えられるとき
お金が全身を回転することが復活するようになります。
これが資本主義に引き起こされている苦悩を解決する唯一の方法です。


(Decentralized economy has right to decide economic activity by people of living area)

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▼資本主義経済の問題点2――資本主義も共産主義も中央集権経済

◎搾取と中央集権経済

 マルクスの『資本論』や『賃労働と資本』では、剰余価値の部分を「搾取」と位置づけています。
しかしサーカーは、剰余価値は社会的富を増やすために必要な部分であり、マルクスの理論に基づいて作ったどの国も剰余価値の部分を廃止したことはないし、できないことであると考えます。
もちろんサーカーにとっても資本家が剰余価値の部分を必要以上に拡大して労働者の賃金を下げることは「搾取」です。
しかし、彼は「搾取」という言葉を、ある個人やグループ、コミュニティが別の個人やグループ、コミュニティを「利用」するという幅広い意味で使います。
つまりサーカーにとっては、「ある地域の人間が、別の地域の人間を利用し、搾取することの廃止」が経済的解放の重要な課題となります。
そのためには中央集権化した経済を分権化する課題が必須となります。

 「世界のほとんどの国は、資本主義国、共産主義国を問わず、経済的な中央集権政策をとってきました。
資本主義諸国の経済は少数の資本家や少数の資本家団体に集権化し、共産主義諸国の経済は党に集権化しています。(中略)
実は、中央集権化した経済においては経済的搾取を根絶することができず、一般の人々の経済問題を永久に解決できません」(Decentralized Economy 1)

 かつての共産主義国が中央集権経済だったことはよく理解できます。
しかしサーカーは、資本主義経済と共産主義経済のいずれもが、地元の人々が経済政策の決定権を持たない点で中央集権経済だといいます。
北京やモスクワの一部の人に地域の経済開発の決定権があるように、資本主義経済においても、たとえば福岡支店の営業計画が東京本社やニューヨークのオフィスで立案されたり認可されたりするように、中央に権限が集中します。
その計画立案は、どれだけお金が儲かるかが最大の基準であり、プロジェクトによって地域の人々の福利がどれだけ進むかについては考慮されません。
サーカーは、このような経済に対して徹底した分権化*を推し進めていくことが経済問題解決のために決定的に重要だと主張します。
このことは国内だけでなく今日の経済のグローバル化に伴う世界的不均衡の拡大を解決する視点としてもきわめて重要です。

*注=中央集権と分権  "Centralized economy"と"Decentralized economy"の訳語として、「中央集権経済、地方分権経済」「中央集中経済、非集中経済」「中央集中型経済、非集権経済」などの訳語を検討しました。
現在の民主主義国家もこの概念に該当することを理解したうえで「中央集権経済」を使いました。
旧ソビエト連邦型の社会主義を一元的中央集権とすれば、資本主義は多元的中央集権です。
経済における最終的な決定権が他地域の人間にある点でどちらも中央集権と考えます。
その対概念として「分権経済」と訳しました。
意味としてはそれぞれの地域の住民が経済決定権を持つものです。
サーカーは、国内はもちろんのグローバルな規模でも分権経済をめざすことを述べています。
したがって「分権経済」か「非集中経済」という語が適切と考えました。

◎共産主義は国家資本主義

 実は、経済的な中央集権という観点では、資本主義の問題を解決しようとした共産主義も国家資本主義に過ぎませんでした。
 「共産主義は国家資本主義です。
そのため、共産主義が資本主義の欠陥を免れることができないのです。
国家資本主義は、私的資本主義や集団資本主義のように工業をコントロールします。
国家資本主義は、国家が工業をコントロールすることを意味します。
言い換えれば、国家資本主義において工業は中央集権的です。
共産主義諸国は、国家資本主義を支持します。
それは中央集権的な生産を意味します。
共産主義は、大衆の解放の問題について資本主義とは異なっているように思えますが、資本主義と共産主義は内部では同じです。
同じ種の果実は異なる色をしていますが、その種は同じです。
資本主義と共産主義は同じ種の果実なのです。
人間の社会的経済的解放を実現するためには、社会経済的に最高度の分権化が必要不可欠です」(Decentralized Economy 2)

 実は共産主義は国家資本主義だった。どちらも中央集権経済をその本質としている。
例えていえば、資本主義と共産主義は同じ菊の種。黄色い菊の花もあれば赤い菊の花もあるように、同じ種に咲いたもので本質は同じだということです。

 中央集権経済という視点からみれば、このサーカーの指摘は理論面でも妥当です。
レーニンは『帝国主義論』の中で、資本主義が地球規模で工場内外の分業を推し進め、支配従属関係のネットワークを作り、周辺地域を搾取・収奪した様子を描いています。
帝国主義は、資本主義の生産力が極限まで進み、生産力の社会化が、資本主義的生産関係という外皮が腐朽するところまで至っていることであると考え、労働者階級の権力を打ち立てて、社会化した生産力を計画的にコントロールすることをめざしました。

 この資本主義システムの内部で展開する生産の社会化と社会的分業を、サーカーは中央集権経済であると考えます。
レーニンは、労働者階級が資本主義の中央集権経済を受け継いで社会的にコントロールし、資本主義の不況、恐慌といった生産の無政府性に由来するものを克服しようと考えました。
したがって、資本主義の持つ中央集権経済そのものを分権経済に転換することは長期的願望としてはあったとしても、経済変革という課題はありませんでした。
サーカーは、資本主義の中央集権経済を受け継ぐのではなく、中央集権経済そのものを分権経済に変革することこそ、確実に搾取を廃止する道だと考えます。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Economy should be managed for people of living area.
In capitalist economy people of living area is object to exploit for capitalist company.
I call centralized economy.
Decentralized economy is needed.
Decentralized economy has right to decide economic activity by people of living area.
New liberalism economic policy make exploitation strengthen to limitless level.

ミツキの要約はよくできています。
経済は、地域に住んでいる人々のために運営されるべきです。
資本主義経済においては地域に住んでいる人々は、資本主義会社の搾取の対象です。
私はこれを中央集権経済とよんでいます。
非中央集権経済が必要です。
非中央集権経済は住んでいる地域の人々が経済活動を決定する権利をもっています。
新自由主義の経済政策は際限なく搾取を強化しています。


(Theory of Devid Korten is way to fundamental solve of problem of capitalism)

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◎中央集権経済の弊害

 経済的搾取の廃止のためには社会経済の分権化が必要だというサーカーと同一の思想を提出している経済学者にアメリカのデビッド・コーテン教授がいます。
コーテン教授は、今日のグローバル資本主義は、旧ソ連以上の中央集権経済だと述べ、その周辺地域への弊害について次のように叙述しています。

 「現在の指導者たちがなかなか目を向けようとしない真実も、資本主義システムの周縁部あるいはその外で生きている何十億人の人々にとっては、切実な現実だ。
私はアジアで暮らした15年間、資本主義から疎外された人々の運命をこの目で見てきた。
そこでは毎年何百万人もの人々が、ダム、プランテーション、工業団地、エビの養殖場、幹線道路、ゴルフ場、観光用リゾート地、軍事施設などの開発計画の用地として、土地や水源や漁場をとりあげられ、家や生活手段を失っている。
これらの開発計画の資金の少なくとも一部は、対外援助や世界銀行の融資によるものだ。
生活手段を失った人はほぼ例外なく、単なる貧困から絶望的な極貧状態に追い込まれる。
開発の恩恵を享受するのは生活手段を奪われるものではなく、もともと豊かなものと相場が決まっている。
そしてほとんどの場合、取り上げられた資源の利用法は、持続可能なものから持続不可能なものに変わってしまう」(デビッド・コーテン著『ポスト大企業の世界~貨幣中心の市場経済から人間中心の社会へ』シュプリンガー・フェアラーク東京、2000年、121ページ)

 コーテン教授は、中央集権的な経済システムを克服し、自己完結的な地域密着型社会をすべての地域に確立すべきだと考えます。
無数の自己完結的な地域密着型社会を生物における健全な細胞とし、巨大企業をガン細胞に例えます。
ガン細胞化した巨大企業が人類生命体を脅かしている。
ガン細胞を取り除き、他の細胞とネットワークで結ばれた無数の健全な細胞の確立、すなわち地球全体に自己決定権を持つ地域密着型の社会を確立していくことを訴えています。
このコーテン教授の著書『ポスト大企業の世界』は、サーカーのヴィジョンとほぼ同一です。

 加えてサーカーは、中央集権経済は周辺地域ばかりでなく、中心地域の大都会で問題を引き起していると指摘します。
「産業の中央集権化には他にも多くの悪影響があります。
たとえば大都市では、人々は新鮮な果物、野菜、牛乳の不足から健康維持が困難です。
不道徳と腐敗がはびこり、窃盗、罪人、麻薬常習者、飲酒など、反社会的要素が容易に自らを隠し、罪のない人々を食い物にします。
栄養不足、空気汚染、水質汚染などの問題も存在します。
今日すべての大工業の中心地はこれらの問題に苦しんでいます」(Economic Democracy)

 この中の「新鮮な果物、野菜、牛乳」を雪印食品や日本ハムの牛肉偽装事件、輸入農産物の農薬問題などと置き換えれば、日本の大都市の問題とも重なります。
なによりも不道徳と腐敗、反社会的要素がはびこるという指摘は、そのまま私たちの社会に当てはまります。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Theory of decentralization is same to Devid Korten of U.S.A.
Theory of Devid Korten is way to fundamental solve of problem of capitalism.
Theory of Devid Korten is same to documents of Heaven of true Marxism.
Mitsuki introduce core of Devid Korten.

ミツキの要約はすぐれています。
非中央集権の思想は、アメリカ合衆国のデヴッド・コ-テンと同じです。
デヴッド・コ-テンの思想は、資本主義の問題の根本的な解決の道です。
デヴッド・コ-テンの思想は,真のマルクス主義である天の文書と同じです。
ミツキはデヴッド・コ-テンの核心部分を紹介しています。


(To make up decentralized economy makes suffering of people solve)

Dear
I am god salamnidam who downed theoy P.R.Sarkar.
Assistant Mitsuki read almost books of Sarkar and summarized exactly.
We project of Heaven and gods introduce study of Sarkar.
I explain one by one.
This time I explain this part.

◎「中央集権経済を廃止して、分権経済を作ろう」

 最大限に社会経済生活を分権化させていというのがサーカーの考えです。

 「経済的搾取を止めさせ、一般の人々の窮状を緩和する方法はただ1つです。
それは、経済のあらゆる分野で分権経済の政策を実施することです。
計画を実施する場所から数千マイル離れた、空調の整ったオフィスに座って立案した計画は決して成功しません。
中央集権的な経済は、辺鄙《へんぴ》な村の経済問題を解決することができません。
経済計画は最下部のレベルから出発しなくてはなりません。
最下部のレベルでは経験、専門知識、地域の人々の知識を、その経済単位のすべてのメンバーのために利用できます。
経済構造が分権経済に基づいて組み立てられたとき、あらゆるタイプの経済問題を解決できます。(中略)
分権経済の確立によって、経済的、心理経済的な搾取が根絶されるでしょう。
富裕者と貧乏人とのギャップは最小限になるでしょう。
そして個人と集団の福利は大きく向上するでしょう。
このことは社会のすべての構成員の心理的・精神的な進歩の機会を大きく広げることになります」(Decentralized Economy 2)

 しかし、サーカーの提起はきわめて実践的で革命的なものであり、座して良きプラウトの天国社会の来るのを待てというようなものではありません。
人々は団結して、分権経済への道を妨害するものにあらゆる側面から状況的圧力をかけていかねばなりません。

 「基本的な問題は、いかにして中央集権経済の不健全な影響を取り除くかです。(中略)
もし既得権益を持つ人々が公正な知性によって導かれないならば、そのとき人々は事態を自分自身の手に握らなくてはならないでしょう。
彼らは『搾取の廃止のために中央集権経済を廃止しよう。分権経済を確立しよう』というスローガンの下に団結して、あらゆる側面から状況的圧力を作り出さねばならないでしょう。
分権経済は人々が包括的な福利を実現できる唯一の道です」(Decentralized Economy 1)

 とりわけ、資本家が分権経済実現の取り組みを妨害するだろうと次のように指摘します。
 「資本家は、資本、労働、好都合な経済状況、販売市場の諸要素が利用できるところでのみ工業を始めます。
資本家は常に生産コストを削減しようとするため、決して分権の原理を支持しません。
しかし、集合経済構造においては利潤(追求)を動機とする余地はありません。
ここでは産業は消費のためです。集合経済構造においては自立的な経済単位が強化されるべきです」(Discourses on Prout)

 この中に出てくる、利潤を追求せず、消費のために諸産業が組織される「集合経済構造」とは、協同組合のネットワークで組み立てられた産業構造です。
協同組合構造においては、資本家=経営者は組合員である労働者がふさわしい人物を民主的に選出する形になります。協同組合については後述します。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Capitalism is centralized economy.
Centralized economy is reason that 99 percent people is suffering.
To make up decentralized economy makes suffering of people solve.

ミツキの要約はよくできています。
資本主義は、中央集権経済です。
資本主義経済が99%の人々が苦悩している原因です。
非集権経済を作り上げることが、人々の苦悩を解決します。


(Capitalist economy is policy of people owning money by people owning money for people owning money.")

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 その1つひとつを見ていきましょう。

○原則1 すべての資産・資源を地域の人々が支配する

 「分権経済の第一の原則は、社会経済単位のすべての資源がその地域の人々によって支配されるべきであることです。
とくに最低限の生活必需品を生産するために必要な資源は地域の人々の手にあるべきです。
そしてこれらの資源に基づくすべての産業は、地域の人々が完全にコントロールしなくてはなりません。
地域の原材料は、経済社会単位の経済発展に必要なすべての商品を生産するために充分に活用しなくてはなりません」(Decentralized Economy 1)

 この原則の下では、原材料の形では地域から輸出せず、完成商品のみを輸出に回します。
生活必需品を輸出する場合は、その商品を生産する直接的な機会や可能性のない社会生産単位だけに限るとします。
このサーカーの理念では、石油や銅、あるいはカカオやコーヒーといった1次産品の原料の形で輸出する世界の構造に終止符を打つことになります。

 原材料の輸出はしないのが原則ですが、例外として、他の社会経済単位の地域の人々が原材料不足によって最低限の必要性を満たせない場合には、自分の社会経済単位に原材料の余剰があるかどうかを確かめたうえで、その地域に輸出することができます。

 なお、ここでいう地域の人々とは、身体的な特徴、民族、カースト、信条、言語や出生地とは無関係です。
その人の個人的な社会経済的利益を当該の社会経済単位の集団的利益と同一視している人を指しており、自分の利益をその地域の利益と結びつけていない人が部外者なのです。
たとえその地域に住んでいても、別の地域の本社から派遣されている人は地域の人ではないということです。
このような部外者が地域の経済業務や生産と分配のシステムに干渉することは許されません。
もしもそのようなことが起きると、地域は部外者の経済的搾取を受けやすくなり、分権経済は掘り崩されてしまいます。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Decentralized economy means that people area have right to decide own area.
This is principle of democracy.
Democracy means "policy of the people by the people for the people".
Capitalist economy is policy of people owning money by people owning money for people owning money."
Capitalist economy is not democracy.
When economy is not democracy, political sphere is false democracy.
False democracy has caused wars and various social problems.

  ミツキの要約は適切です。
非集権経済は,地域の人々が自分の地域のことを決定する権利をもっていることを意味します。
これは民主主義の原理です。
民主主義は「人民の人民による人民のための政策」を意味します。
資本主義経済は、お金をもつ人々のお金をもつ人々によるお金をもつ人々のための政策です。
資本主義経済は民主主義ではありません。
経済が民主主義でないとき、政治領域は似非民主主義です。
似非民主主義は戦争や様々の社会問題を引き起こしてきました。


(Revived tariff supports self-reliance of area)

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 ○原則2 利益ではなく消費に基づいて生産する

 「分権経済の第2の原則は、生産は利益ではなく消費に基づいてなされるべきだということです。
世界のほとんどの国が利益志向の経済システムを採用しました。(中略)
生産の領域における根本的な動機は利益ではなく消費であるべきです。
分権経済では、社会生産単位で生産された商品は地域内の市場で販売されます。
その結果、地域経済と地域の人々の経済生活の不安定性がなくなります。
加えて、貨幣が地域市場の内部で回転するため、資本が流出しません。
地域経済が破局する可能性は除去されます。
このような制度の下では、人々の収入が上昇を続け、購買力は継続的に増大するでしょう」
(Decentralized Economy 1)

 衣食住を例にとってみると、服や食料品や住居は地域の業者が地域内での消費を念頭において生産します。
労働者の賃金を向上させることが同時に消費の拡大にもつながり、地域内で貨幣が回転していくことになります。
サーカーは触れていませんが、地域通貨という考え方はその意味で地域の経済圏を作っていくことに貢献するかもしれません。
ただしサーカーは、地域のニーズを超過する生産物については関税のない自由貿易を支持しています。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Decentralized economy revives tariff.
Revived tariff supports self-reliance of area.
This is very important in this historical phase.
Neo-liberalism policy of capitalist continues to destroy area economy.
As long as neo-liberalism continues, suffering of all people in whole area of earth increase..

ミツキの要約はすぐれています。
非集権経済は関税システムを復活強化します。
復活強化された関税システムは地域の経済的自立を強化します。
これは歴史の現時点はきわめて重要です。
資本主義者の新自由主義経済政策は地域経済を破壊し続けています。
新自由主義が続く限り、地球のすべての地域のすべての人々の苦悩が増大します。


(Prout is socialism same to documents of Heaven)

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○原則3 協同組合を通じて生産と分配が行なわれる

 「分権経済の第3の原則は、生産と分配が協同組合を通じて組織されることです。(中略)
可能な限り、農業、工業、商業は、協同組合によって経営されるべきです。
経済のこれらの部門においては、私的所有は段階的に廃止されるべきです。
小規模であったり複雑な作業であったりするために協同組合的に生産できない場合のみ、個人事業とすべきです。
商品の分配は、消費者協同組合を通じてなされるべきです。
協同組合に対して適切な保護の措置をとらなくてはなりません」(Decentralized Economy 1)

 小規模な事業や複雑な作業で協同的に仕事をしていくことになじまないものを除いては、私的所有を段階的に廃止して、協同組合経営に移行させます。
旧来の社会主義革命は一挙に私的所有を廃止して国有化しましたが、プラウトでは、協同組合の形で民営が引き継がれます。
資本主義企業のタイプから、労働者が株を協同所有し、経営者を選ぶ形で経済の民主化が行なわれます。
それは強制ではなく、政府が協同組合を税制などで優遇することによって徐々に進めていきます。

 「協同組合所有は、私的企業との開かれた競争の下では成り立たないため、売上税や関税を免除するなどの保護措置を必要とします。
この措置は、ゆっくり撤廃されるべきです。保護措置は、必需品のみに限られるべきです。
私的企業は、キンマの店(Betel shop)、茶店、レストランなど生活必需品でない業種に限られるべきです」(Discourses on Prout I)

 分権経済であれば、地域の原材料を協同組合へ継続的に供給することを保障でき、協同組合が生産した商品を地域内の市場で売ることが簡単にできるため、経済が安定し、人々は協同組合を受け入れるようになるだろうとサーカーは考えます。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Sharing means of production is socialism.
Prout is socialism same to documents of Heaven.
20th century Marxism was not sharing means of production
20th century socialist countries were not socialism except Yugoslavia.
Company sharing means of production means cooperative.
Economy of network of company sharing means of production is socialist economy.
You should begin from making socialist company.

ミツキの要約はすぐれています。
生産手段の共有が社会主義です。
プラウトは天の文書と同じ社会主義です。
20世紀のマルクス主義は生産手段の共有ではありませんでした。
20世紀の社会主義国はユ-ゴスラビアを除いて社会主義ではありませんでした。
生産手段を共有する会社が協同組合を意味します。
生産手段を共有する会社のネットワ-クの経済が社会主義経済です。
あなたは、社会主義会社をつくることからはじめるべきです。


(People living in area concern own area)

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○原則4 地域の人々が地域の経営体で雇用される

 「地方分権経済の第4の原則は、地域の人々が地域の経済的な経営体で雇用されなくてはならないことです。(中略)
協同組合は地域の人々に雇用を提供するでしょう。
そして地域の人々の技術や専門性の充分な活用も保障されるでしょう。
教育を受けた人々が雇用を求めて地域を離れたり、田舎から都市へ移住したりすることがないように、彼らも協同組合に雇用されるべきです」(Decentralized Economy 1)

 現在、とりわけ農村地域で仕事が見つかりにくくなっていますが、「地域の人々が最低限の生活必需品の量と自分たちの経済的福利にかかわる基本政策を決定する」分権経済の実施によって、「あらゆるタイプの農業前工業と農業後工業をその地域の必要性と資源に応じて発達させ」、地域の人々の雇用を確保します。
さらに専門的能力を持つ社会的貢献度の高い人は一般の人々よりも優遇される協同組合システムですから、地域からの優秀な頭脳の流出も防ぐことができます。
そして中央集権経済のように出稼ぎや単身赴任の必要がなくなり、家族がともに暮らすことができます。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Decentralized economy is carried by area people.
Area people have right to decide area economy.
In this capitalism economy people living out of area decide.
People living in area concern own area.
This makes free area people from exploitation of outer people.

ミツキの要約はよくできています。
非中央集権経済は地域の人々によって運営されます。
地域の人々が地域経済を決定する権利をもちます。
今の資本主義経済は地域の外に住んでいる人々が決定しています。
地域に住んでいる人々は自分の地域に関心をもっています。
これは外部の人々の搾取から地域の人々を解放します。


(Happiness of life is not in commodity getting in your hand)

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○原則5 地域外で生産された商品は地域市場から除く

 「分権経済の第5の原則は、地域外で生産された商品を地域市場から取り除くべきだということです。
分権経済は地域産業を発達させ、地域の人々の雇用を創出することを目的にしていますから、その地域内で生産されていない商品は可能な限り地域市場から追放すべきです」(Decentralized Economy 1)

 別の個所でサーカーは関税のない自由貿易を支持していますから、この個所は、衣食住の生活必需品目にかかわる商品が地域外部から持ち込まれることを禁止、ないしは関税をかけてストップすることだと解釈できます。
当該地域の社会的文化的発展にふさわしいレベルの生活必需品を全員に保障できたと判断された場合にのみ、超過する生活必需品を地域外(その生活必需品が不足している地域)に売ることができます。

 サーカーは、初めは自分の地域の商品が外部で生産された商品よりも粗悪でコストがかかり、入手しにくくかったとしても、地域経済の繁栄を実現するためには自分の地域で生産された商品を活用することが必要不可欠であると考えます。
そして不法な輸入を促進しないように、協同組合は迅速に品質を向上させ、価格を下げ、商品の供給を増加させる措置をとらなくてはならないと考えます。

 「分権経済において、この原則の適用は非常に重要です。(中略)
いったん地元で生産された商品が原則として引き受けられるならば、その地域の産業が生き残るだけでなく、将来の発達によって経済は繁栄していくでしょう。
地域からの資本流出は阻止されるでしょう。地域に留まった資本は生産を増大させるために活用され、地方の人々の繁栄度を高めるでしょう。
地元商品の需要が増大するとともに、大規模、中規模、小規模工業すべてが繁栄するでしょう」(Decentralized Economy 1)

 サーカーのいう地域市場からの外部商品排除は、世界中の各社会経済単位が自給自足を確立するまでのことです。
「いったん自給自足が達成されたならば、自由貿易が奨励されるべきです。
このことは繁栄レベルの継続的な向上に役立ち、社会経済単位の間の経済均衡を進め、より一層大規模な社会経済単位の形成に導きます」(Decentralized Economy 1)
現在、交通通信の発達によって地域市場(社会経済単位)の領域が拡大していく可能性があります。
この合併によるより大規模な社会経済単位の形成はそうした現状も組み込むことのできる論点です。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Area people should live life by products of own area.
This makes finish of exploitation of outer people.
This makes life small scale than before.
In this aspect people should endure in order to make new world.
Happiness of life is not in commodity getting in your hand.
True happiness is in closing to your parent god of star.
You should cooperate with your parent god.

ミツキの要約はすぐれています。
地域の人々は自分の地域の生産物で生活すべきです。
これが外部の人々による搾取を終わらせます。
これは以前よりも生活を縮小させます。
現在の局面では人々は新しい世界を切り開くために耐えるべきです。
人生の幸福はあなたの手元に得た商品の中にはありません。
真の幸福は、あなたの親の星の神に近づくことにあります。
あなたは自分の親の神に協力すべきです。


(Without new human civilization, humankind and all lives on earth ruin certainty)

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○原則5 ▼分権経済における社会経済単位

◎社会経済単位とは

 サーカーによれば、人々は団結し、分権経済への道を妨害するものに対してあらゆる側面から状況的圧力をかけながら、自給自足できる社会経済単位を創出するために世界中で社会経済単位を確立する運動を起こさなければなりません。
そして、各社会経済単位が強固になり、他の社会経済単位から搾取されることがなくなれば、対等の立場で合同していきます。
その途上において世界政府が合同を促進し、最終的には地球が1つの社会経済単位となります。

 「世界中で、自給自足的な社会経済単位を確立するための運動が着手されなくてはなりません。
その単位は『地域を知り、計画を立て、人々に奉仕しなさい』という言葉に導かれます」(Socio-economic Groupifications)

 では、社会経済単位とは実際にどのような領域を指すのでしょうか。
サーカーは、社会経済単位として地域を線引きする際に考慮すべき事項として次の点を挙げています。

 (1)「社会経済単位を作る際には、地域で生産された商品のための市場、労働の過剰や不足の問題、伝達や輸送手段の問題、灌漑《かんがい》用水の不足など、地域に共通の経済問題があるかどうかが第一に分析されるべきです」(Socio-economic Groupifications=以下同)
 (2)「自然の多様性があったとしても、1つの単位の人々は全体として同じ経済的繁栄の機会を享受すべきです。
持てる人と持たざる人の不均衡、つまり富裕者と貧困者の不均衡は、集団の富が増大し、社会が豊かになるように少しずつ是正されなければなりません」
 (3)「エスニック的*な共通性があるべきです」「過去には、多くの民族や亜民族が抑圧され、強力な支配的民族によって搾取されました」。
社会はそのような危険から自らを守らなくてはなりません。
「それは、すべてのエスニック・グループが、その表現と発展のために充分な機会を持つときにのみ可能です」。
 (4)「言語、歴史的伝統、文学、共通の慣習、文化的表現などのような感情的要素を含みます」
「それは、人々に特有のアイデンティティと親近意識を与える特定集団の集合的心理における共通の情緒です」
「人間の統一に役立つ感情が激励されるべきです。
人間社会を分裂させる感情は拒否されるべきです。これはプラウトの社会経済単位によって採用されるアプローチです。」

*注=エスニック、エスニシティ
 エスニックやエスニシティとは、ネイションが国家レベルであるのに対して、その下位レベルの概念です。
日本の例でいうと、アイヌ人もそうですし、関西人、沖縄人といった場合もそうです。
このように社会科学では、国家への帰属意識ではなく、言語、歴史的伝統、文学、共通の慣習、文化的表現の共通性に基づく帰属意識を持った集団をエスニック・グループといいます。
この引用箇所の文脈では、サーカーは、エスニックとして種属的あるいは人種的な側面を言っていると推測します。

(5)「地形、河川流域、降水、灌漑用水のような共通の地理的特徴も考慮されるべきです」
 社会経済単位とはすなわち、経済的な問題の共通性、地理的な特徴の共通性に加えて、エスニシティや言語・慣習・文化などの共通性という心理的側面まで尊重した形で線引きされた領域です。
 現在の政治単位である国民国家のほとんどは複数のエスニック・グループから構成され、多数派のエスニック・グループが少数派のエスニック・グループの言語や生活習慣などを抑圧することがどの国でも見られます。
しかしサーカーは、すべてのエスニック・グループがその表現と発展のための機会を持つべきであると述べています。
サーカーは、一方で人類意識の発展と世界政府へ、他方ではあらゆるエスニック・グループの尊重という流れを作り、その中で国民国家(ナショナリズム、民族主義)という狭い心の半径を取り除きます。

 社会経済単位とは具体的にどのような領域を意味しているのかという論点に戻ります。
インドを例にとってサーカーが論じているところをみると、線引きの仕方の問題は指摘しつつもインドの州レベルを1つの社会経済単位として考えています。
たとえば、「いくつかの場所では、異なる経済問題を持つ地域が同じ政治的単位の中に位置しています。
たとえば、ビハールのチョタ・ナーグプル高原には深刻な灌漑の問題があり、北部ビハールの平原には排水の問題があります。
この2つの地域は異なる社会経済単位に形成されるべきです」(Socio-economic Groupifications)

 ここでは、ビハール州という1つの政治単位の中に2つの社会経済単位を 形成せよと述べています。
日本の場合を考えてみると、交通通信の発達により、現代の日本は1つの社会経済単位と考えることもできます。
しかし、単身赴任や出稼ぎをしなくてすむように、北海道、東北、関東、中部、関西、中国、四国、九州、沖縄レベルのそれぞれの地域で基本的必需品を自給できる地域密着型の経済構造を作り上げる必要があります。
日本が農業や資源の面で外国に頼らなくてもよい経済構造を作り上げることは、第1次産品を原料として輸出している国が自立的な経済単位として確立していくことに連帯することにもなります。

 サーカーは、「プラウトの計画機構は、中央、州、地方、ブロックのレベルで機能します」と述べ、下からの計画経済を主張しています。
私見ですが、そこから類推すると、日本の場合では、中央=日本全体、州=北海道、東北など、地方=都道府県、ブロック=市町村レベルだと考えます。
輸出入を調整できるのは日本全体のレベルですから、日本という領域が1つの社会経済単位であるとしても、州、地方レベルでも限りなく生活必需品を自足できるバランスのとれた経済構造(地域密着型経済構造)作りをめざす政策を実施することだと解釈しました。
日本の場合も、当面は現在の国家領域の範囲内で社会経済単位を各地域に確立することが課題となります。

 なお、日本におけるアイヌ人というエスニック・グループの場合、自給自足可能な社会経済単位の設立は不可能ですが、サーカーの論調からすると、彼らの言語や文化表現の発展の機会が奪われてはなりません。
サーカーは、少数民族を法的に特定し、その生活を守ることも論じています。
彼は、社会経済単位を区分する際にはエスニック的なつながりを尊重すべきだを説いていますが、他方で「地域の人々とは、身体的な特徴、民族、カースト、信条、言語や出生地と無関係」と述べていますから、私たちはそれぞれのエスニックな表現を尊重しながら、アイヌ人、中国人、

Summarize of Mitsuki is excellence.
Socio-economic groupifications means area people living together.
In this age people live buying goods from remote area.
People should live by buying goods produced in own area.
This is good for not only health but also health of earth.
When carried in long distance, much energy is needed.
This is main reason of earth warming.
As long as humankind live using goods of remote area, earth warming does not stop.
Earth warming makes star earth of no water at last.
We gods of star in base of universe can see future.
Without new human civilization, humankind and all lives on earth ruin certainty.

ミツキの要約は適切です。
社会経済単位とは、人々がともに住んでいる地域を意味します。
今の時代は、人々は遠く離れた地域の商品を買って生活しています。
人々は自分の地域で生産された商品を買って生活すべきです。
これは健康に良いだけでなはなく地球の健康にも良いのです。
長い距離を運ばれてくると多くのエネルギ-が必要とされます。
これが地球温暖化の主な原因なのです。
人類が離れた地域の商品を買って生活するかぎり
地球温暖化は止まらないのです。
地球温暖化は最後に地球を水の無い星にします。
私たち宇宙根底の星の神々は未来を見ることができるのです。
新しい人間文明なしには
地球上の人類と全生命は確実に全滅するのです。


(When people have right to decide own area, capitalist cannot exploit)

Dear
I am god salamnidam who downed theory P.R.Sarkar.
Assistant Mitsuki read almost books of Sarkar and summarized exactly.
We project of Heaven and gods introduce study of Sarkar.
I explain one by one.
This time I explain this part.

◎下からの計画経済

 「世界中の国で、中央集権的な計画は全体としては失敗しました。
プラウト体制においては、分権的計画、すなわちブロック・レベルの計画を基礎とした社会経済単位のための1つの統合した計画があるべきです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 これは、これまでの上からの命令による計画経済と違い、地域ブロック住民が専門家のアドバイスのもとに短期の経済計画を決定し、その計画が下から上に伝達され、周囲のブロックと調整しつつ、より上位の広い地域規模での計画として決定されていくものです。
つまり上から下への命令ではなく、下から上に積み上げていく計画経済です。
ここでは徹底した経済民主主義の原理が貫かれます。

 それぞれのレベルの計画機関で働いている経済指導者は「生産コスト、生産性、購買力、集合的必要」を4つの基本的な導きの原則とします。
この4点の他に考慮すべき要素として「自然資源、地理的特徴、天候、河川、運搬、産業の潜在的可能性、文化的遺産、社会条件」を挙げています。

 「これらの要素に基づいて、各社会経済単位は社会経済的自給自足のために自分自身の発展計画を作り、実施すべきです。
その地域の経済状況にふさわしくない壮大な計画が外側から課せられるべきではありません。
それは許されません」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 では、計画機構とはどのようなものでしょうか。

 「プラウトの計画機構は、中央、州、地方、ブロック・レベルで機能します(世界政府が作られた後は地球レベルでも機能します)。
プラウト経済における最下部の計画機関はブロック・レベルです。
経済決定権が最下部のブロックまで下りることにより、経済権力が徹底的に分権されます」(Talks on Prout)

 単一のブロックでは解決できない問題については、近隣ブロックと対等の立場で調整しながら企画していきます。
最下部のブロック・レベルで計画を立案する利点は、計画立案者が地域の大小すべての問題に通じていられることです。
営利ではなく、地域の人々にとっていかに住みやすい社会生活空間になるかを中心課題として、実際的で効果的な計画を立案でき、地域の人的資源、物的資源がより有効に活用されます。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Decentral economy is carried by people living in area.
This is important principle for liberation from capitalist exploitation.
When people have right to decide own area, capitalist cannot exploit.
In this phase capitalist promote neo-liberal policy making free trade.
This makes strengthen exploitation of capitalist.
Neo-liberal policy is tool to strengthen exploitation by capitalist.
As long as neo-liberal policy continues, suffering of people of world become deepen.

ミツキの要約はすぐれています。
非集権経済は地域に住む人々によって運営されます。
これは資本家の搾取からの解放のために重要な原理です。
人々が自分の地域のことを決定する権利をもつとき、資本家は搾取できません。
今の局面では資本家は自由貿易にするために新自由主義の政策を促進しています。
これは資本家の搾取を強化しています。
新自由主義政策は資本家の搾取を強化するためのツ-ルです。
新自由主義政策が続くかぎり、世界の人々の苦悩は深まります。



(In order to be equal relation basic product should be produced in each area)

Dear
I am god salamnidam who downed theory P.R.Sarkar.
Assistant Mitsuki read almost books of Sarkar and summarized exactly.
We project of Heaven and gods introduce study of Sarkar.
I explain one by one.
This time I explain this part.

◎バランスのとれた経済(均衡経済)の原則

 このようにして、生活必需品を自給自足できる社会経済単位を世界中に確立していく運動を進めます。
当該の社会経済単位が自給可能であること、すなわち自立的再生産構造を持った局地市場圏であるということは、産業別の人口構成が一定の枠内に収まっていることを意味しています。
このようなバランスのとれた人口構成の基準を、サーカーは次のように提起しています。

(1)地域の30~40%の人が、直接農業に従事すべきです。
この割合よりも少なければ農業は軽視され、多ければ農業に重い負担がかかることになります。 (2)地域の20%の人が、農業前工業に従事すべきです
(農業前工業とは、つるはし、斧、鍬、トラクターなど農業に必要なものを作る工業)。 (3)地域の20%の人が、農業後工業に従事すべきです
(農業後工業とは、製粉工場、ジュート工業、油工業、織布工業、製紙工業、ハーブ薬草工場など農産物を加工する工業)。 (4)地域の10%の人が、一般的な交易と商業に従事すべきです。 (5)地域の10%の人が、知的あるはホワイト・カラーの仕事に従事すべきです。 (6)非農業工業に従事する人の割合は全体の人口の20~30%の間に維持すべき
(非農業工業とは、直接に農業前工業と農業後工業ではない鉄鋼工場、真鍮《しんちゅう》工業、採石業、石油精製、製塩業、非草製薬業など)です。

 このバランスが崩れると、さまざまな問題が引き起こされるとサーカーは指摘します。
たとえば、非農業工業に従事する人口が20%以下の国について次のように述べています。

 「ある国の非農業工業に従事する人口の割合が20%以下の場合、その国は工業が未発達だということです。
1人当たりの収入は高くありません。
人々の購買力が制限されるので、生活水準は高くなりえません。
消費財の購買力が低いため、輸出指数よりも輸入指数が低いままです。
言い換えれば、その地域は先進国の衛星地域にとどまります。
それゆえに世界の力のバランスは危機に陥り、常に戦争の可能性が生じます」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 逆に、非農業工業に従事する人の割合が30%を越え、さらに大きくなっている場合には、原料と商品市場を確保するために工業の未発達な地域をコントロールする必要を感じてしまうといいます。

 「農業生産物を得るために、過剰に工業化した国々は、生産的な農業地域や国々を自国の衛星地域にしようとします。
これら過剰に工業化した国々は、自らの商品市場として工業的に未発達な諸国をコントロール下におく必要性を感じます。
自国で生産した消費財を売るための市場を得られなかった場合、経済不況と失業者の増加に苦しむことになります」(Principles of Balanced Economy)

 したがって、自給可能な社会経済単位の確立をめざす運動は、同時に世界のあらゆる国で各産業間のバランスを回復する努力でもあります。

 「過剰な工業化の国内における有害な帰結は、人々の個人的、社会的、国民的な健康に影響を及ぼすばかりか、次第に個人と集団の心の悪化をもたらします。 ほぼすべての生命の表現を害し、破壊するある種の心の病が流行するかもしれません。
この現象は近い将来、必ず起きるでしょう」(Principles of Balanced Economy)

 個人と集団の心の悪化という現象は、まさしく今、私たちの社会で起きていることではないでしょうか。

 次の表は、2000年の国勢調査における日本の産業別就業人口です。
農業前工業、農業後工業、非農業工業の割合は不明ですが、明白なのは農業人口があまりにも少ないことです。
サーカーは直接農業に従事する人口を30~40%としています。
この表では第1次産業に従事する人口が2・4%です。
私たちの社会の経済はきわめてアンバランスな状態です。
バランスのとれた経済に変えていくために、農業の発展と農業人口の増加を保障する政策を必要としています。

●産業別就業人口(15歳以上)
総 数 62,977,960 100.0%
第 1 次 産 業 3,172,509 5.0%
A 農業 2,852,259 4.5%
B 林業 67,153 0.1%
C 漁業 253,097 0.4%
第 2 次 産 業 18,571,057 29.5%
D 鉱業 53,607 0.1%
E 建設業 6,289,765 10.0%
F 製造業 12,227,685 19.4%
第 3 次 産 業 40,484,679 64.3%
G 電気・ガス・熱供給・水道業 351,347 0.6%
H 運輸・通信業 3,902,280 6.2%
I 卸売・小売業,飲食店 14,318,544 22.7%
J 金融・保険業 1,758,264 2.8%
K 不動産業 747,203 1.2%
L サービス業 17,263,876 27.4%
M 公務(他に分類されないもの) 2,143,165 3.4%
N 分類不能の産業 749,715 1.2%
※資料 平成12年(2000年)国勢調査

Summarize of Mitsuki is excellence.
In decentralized economy percentage of inhabitant who engages in domain of industry is in specific frame.
Unbalance of population needs product of other area.
In order to be equal relation basic product should be produced in each area.
Under neo-liberalism policy this unbalance becomes deepen.
This means that suffering of people of world increase.

ミツキの要約はよくできています。
非集権経済においては,産業分野に従事する人口の割合は特定の枠の中に入ります。
人口のアンバランスは他の地域の生産物を必要とします。
対等の関係であるためには基本的な生産物がそれぞれの地域で生産されなくてはなりません。
新自由主義政策のもとでこのアンバランスはひどくなっています。
これは世界の人々の苦悩が増していることを意味します。


(Most important is to change image of socialist economy from collective ownership of means of production to individual ownership of means of production)

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Assistant Mitsuki read almost books of Sarkar and summarized exactly.
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◎協同組合システム

○1協同組合化の前に受け入れの心理的環境を整える

 サーカーは協同組合システムを「商品の生産と分配のための最良のシステム」だと考えます。
そして世界のさまざまな国で協同組合制度が失敗したのは、主として資本家たちが支配を永続化させようとしたからだと考えます。

 協同組合システムが成功するためには行政の支援が必要です。
そのため資本主義の環境の下では、あるいは協同組合を受け入れる心理的環境が整っていない場合は富の損失となるので、実施すべきではないといいます。

 このようにサーカーは協同組合を時期尚早に開始することに慎重ですが、その進め方について「協同組合作りを促進するためには、成功した模範となる協同組合が確立され、人々が協同組合制度の恩恵について知る必要があります」とも述べています。
いずれにしても、利益にしがみつく資本家(ヴァイシャ)との闘いを必要としており、プラウトもしくは協同組合化を推進する立場に立つ行政の支援を必要としています。

 ここで「行政が基幹産業を経営」とあるのは、電気やガスの供給、あるいは規模の大きな鉄鋼などといった基幹産業を自治体が「無利益・無損失」の原則で経営すべきだということを示しています。
そして自治体が基幹産業をコントロールして、下請けの位置にある協同組合が操業停止にならないように支援します。

○2 協同組合システムのイメージ

 個々の協同組合でなく協同組合システム全体のイメージについては、日本について言及したサーカーの言葉が手がかりとなります。
日本では「産業が協同組合システムと同様の線に沿って経営されている」(Talks on Prout)と肯定的に言及をしている個所です。

 日本には大企業が中小企業を下請けとする受注ネットワークがあります。
今、その地域経済を担っていた中小企業の物作りは海外発注と海外移転によって危機に瀕していますが、サーカーは、その日本のシステムはそっくり協同組合間の受注システムとして有効に機能しうるし、資本主義の下でも製品を注文に沿って作りますから、より消費のための生産のモデルに近いと考えたのだろうと推測します。

 次のサーカーの文章では、親会社と下請けの子会社の関係として、子会社に当たる協同組合が部品を作り、親会社に当たる協同組合が組み立て工場の役割を果たすイメージになっています。
親会社に当たるところが協同組合として経営ができない場合に自治体行政が「無利益、無損失」の原則で経営に当たるとしています。

 「原則として、行政は商業的事業を経営すべきではありません。
しかし、協同組合に基づいた事業経営が不可能な場合には行政が先導すべきです。
とはいえ、そのような企業は主として組み立て工場であるべきです。
組み立て工場のための構成部品は工業協同組合を通じて作られるべきです。
極端なケースとして、工業協同組合がある部品を製造できないところでは、それらは行政によって製造されるべきです。
事業においては、実質利益はありません。
それがしばしば労働問題を引き起こす原因となるからです。
製造コストは、利益も損失も出ない事業となるように適切に減らされます。
事業が損失を出す経営にならないように財政的、商業的な計算が必要です。
もし何らかの損失が工場に生じたら、その損失は工業協同組合に転化されることが必要です」(Talks on Prout)

Summarize of Mitsuki is excellence.
Cooperative system means network of socialist company sharing means of production.
This idea is same to documents of Heaven.
Most important is to change image of socialist economy from collective ownership of means of production to individual ownership of means of production.
I know that Marx aimed revival of individual ownership of means of production.
Socialism of Marx was down by gods of heaven.
Although we gods of earth had not communicate with gods of heaven, we knew that socialism of Marx was down by true gods.
Under name of Marxism negative gods enjoyed to make human behave contrary to providence.

ミツキの要約はよくできています。
協同組合システムは生産手段を共有する社会主義会社のネットワ-クを意味します。
この考えは天の文書と同じです。
もっとも重要なことは、生産手段の集合所有から生産手段の個人所有に社会主義経済のイメ-ジを変えることです。
私は、マルクスが生産手段の個人所有の復活をめざしていたことを知っています。
マルクスの社会主義は天の神々がおろしたもものでした。
私たち地球の神々は天の神々とコミュニケ-ションがありませんでしたが、私たちは、マルクスの社会主義が真の神々によっておろされたことを知っていました。
マルクス主義の名のもとにネガティブ神が人間に摂理に反することをさせて楽しんでいました。


(In order to make self-reliance economy, energy needed for area people should be self-reliance)

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○3 商業・税・銀行

 生活必需品の分配は消費協同組合を通じてなされます。
政府や事業家、中間業者はかかわりません。
暴利を得る余地を与えないためです。
経済単位間の交易は可能な限りバーター取引となります。

 生活必需品には課税されません。
所得税もありません。
税は、起点(生産点)で徴収されます。

 銀行についても次のように述べています。
 「銀行システムは協同組合によって経営されるべきです。
中央銀行または連邦銀行は地方自治体によってコントロールされます。
プラウトの生産経済の一般原則は『とりわけ一般の人々の購買力を増大せよ』です。
もしこの原則が実行に移されるならば、協同組合制度と経済分権化によって商品の価格を制御することは容易です」(Decentralized Economy 1)

 購買力増加によって商品価格をコントロールせよ、ということについてはすでに触れました。
銀行システムも協同組合として経営されるべきだといっています。

○4 エネルギー

 自立的な再生産構造を作るために、すべての社会経済単位の地域は電力を自給できなくてはなりません。

 「地方行政は、その地域で容易に利用できる太陽エネルギー、熱エネルギー、生物ガスエネルギー、水力発電、原子力発電、空気エネルギー、電磁石エネルギー、潮力エネルギーなど、地元で発電される電力を供給しなくてはならないでしょう」(Decentralized Economy 1)
 とあります。
今日の石油に依存するあり方には終止符が打たれます。
石油は産出地域の人が商品に加工したうえで、完成品を輸出することになります。

 「電力発電は『無利益、無損失』の原則で経営されるべきです。
そして生産コストを最小にして、人々の購買力が増すようにします。
たとえば、家内工業によってバッテリーが生産される場合、電力は『無利益、無損失』で供給されるべきですが、バッテリーの生産者はバッテリーを合理的な利益を得て売ることができます。
つまり、バッテリーに用いられる電力は工業商品ではなく原材料です。
輸送、通信、学校、大学、病院などのための電力も、社会的活力を維持するために『無利益、無損失』の原則で供給されるべきです。
地方自治体や州政府が、基幹産業として電力の供給に責任を負うべきです」(Decentralized Economy 1)

Summarize of Mitsuki is excellence.
Decentralized economy is that right of decision about economy is in people of area.
In order to make self-reliance economy, energy needed for area people should be self-reliance.
Self-reliance of energy can make collapse of foundation of capitalism.
When energy is controlled by capitalist, energy is tool for profit.
Energy is necessity of life same to water, food.
Necessity of life is fundamental human right.
Capitalist make fundamental human right tool of profit.
When fundamental human right is self-reliance, capitalist cannot exploit people of area.

  ミツキの要約はすぐれています。
非集中経済は,経済についての決定権が地域の人々にあります。
自立した経済をつくるために地域の人々に必要なエネルギ-は自給されるべきです。
エネルギ-の自給は資本主義の土台を崩壊させます。
エネルギ-は水や食べ物と同じく生きていくために不可欠のものです。
生活に不可欠のものは基本的人権です。
資本主義者は基本的人権を利益をだすための道具にしています。
基本的人権にかかわることが自給されるとき、資本主義者は地域の人々を搾取できません。
 

(Share is system of return back of profit to member of the company)

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◎農業協同組合の経営

○1 合理的分配

 協同組合の経営者は協同組合の共同所有者、つまり社員の中から選出されます。
ただし、経営者にはモラルの高い人を選ばなければ協同組合は成功しません。
そのため、選ばれる人がモラルの高い人であることを前提とします。

 農業協同組合の組合員である株主兼労働者は、労働と持ち株に応じて合理的な分配を受けます。

 「農業協同組合のメンバーは、2つの方法で分配を受けます。
1つは協同組合に提供している土地の大きさに応じてであり、もう1つは肉体労働もしくは知的労働での生産の寄与に応じてです。
この分配を支払うにために、まず生産物全体が50対50に二分されます。
50%は賃金として分配されます。
残りの50%は、彼らが提供した土地の大きさに比例する持ち株所有に応じて支払われます」(Some Specialities of Prout's Economic System)

 分権経済においては農業は工業と同じ立場になるとして、農産物の価格設定を次のように述べています。

「農業的商品の価格は、諸商品の価格(すなわち労働コスト、原材料、輸送と貯蔵費用、減価償却、負債償還積立金など)を考慮に入れて定めるべきです。
加えて、価格は生産コストの15%を超えない合理的利益を含むべきです」(Some Specialities of Prout's Economic System)

○2 農業協同組合化のプロセス

 サーカーは、協同組合化(社会化)は段階を追って漸次的になされるべきだといいます。
まず第1段階です。

 「協同組合的な土地経営を導入する計画は段階をおってなされるべきです。
最初の段階では、すべての非経済的な土地・保有地が経済的保有地になるよう、協同組合制度に加わることを要請します。
この段階では、協同組合は非経済的な保有地を経済的にするために土地を合併させた人々だけで構成されます。
私的な所有は認められます。

 たとえば、1人が1エーカーを所有し、別の人は2エーカー、また別の人は3エーカーを協同組合の中で所有するかもしれません。
協同組合のメンバーは協同組合に提供した土地の割合に応じて、全体の生産物に基づく配当が与えられます。
個々人は所有地の権利証書を保持しますが、農業活動は協同的に行なわれます。
したがって活用されていない境界線の土地も耕作されるようになります」(Agrarian Revolution)

 第2段階では、すべての人の協同組合参加を促進します。
第3段階で、土地の合理的分配と所有権の再確定をします。
合理的分配の基準は、家族の生活を維持するために必要な最低限の土地所有と、土地を活用する農民の能力です。
第4段階では、人々が自分の小さな利己的な利益よりも集団の福利を考えることを身につけているので、土地の所有権をめぐる争いがなくなります。

「こうした変化は一夜では実現しません。
もし、内的な衝動と外的な圧力による適切な心理的準備が時間の要素を考慮してなされていないなら、人々はこのシステムを決して受け入れないでしょう。
強制的に人々に押しつけるべきではありません。
ソ連の指導者たちは、集団の心理に対して無知でした。
そのため彼らは力によって集団農場を押しつけようとし、深刻な飢餓と大規模な国内の不穏を生み出しました。
これらの問題を処理しようとして、政府は心理的方策でなく野蛮な武力に訴えました。
その結果、彼らは多くの人々を力で抑えました。
サドヴィプラは決してある国の心理に敵対した歩みを進め、荒廃を引き起こすことはありません」(Agrarian Revolution)

Summarize of Mitsuki is excellence.
Decentralized economy is network of socialist company which is owned by member of company.
Member of company has share of own company.
Share is not treated as commodity of financial.
Share is system of return back of profit to member of the company.
This is share of socialist company.

ミツキの要約はよくできています。
非集権経済は,会社のメンバ-が所有する社会主義会社のネットワ-クです。
会社のメンバ-が自分の会社の株をもっています。
株は金融商品として扱われません。
株は会社のメンバ-に利益をもどすシステムです。
これが社会主義会社の株です。


(Marx thought that socialist economy is network of socialist company sharing means of production)

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◎労働者

○1 労働意欲の刺激

 サーカーの提起するプラウトは、最低限の生活必需品をすべての人に保障するという思想であるため、旧社会主義諸国のように労働者が勤労意欲をなくすのではないかと疑問を持つ人もいると思います。
サーカーは次の2点が労働のインセンティブ(刺激)になると考えます。
第一に、労働者は経営参加の権利を明確に認められます。
加えて組合員(社員)が株を協同所有していますから、協同組合の発展と自分の利益がつながりを感じます。
第二に、自分が多くの物を生産したらその分が利益の配当になるという賃金システムです。

 「労働者の勤労意欲を刺激するものとして、工業においては出来高払いの仕事の領域と仕事のボーナス・システム(報酬制度)を開始して、それを増やすことによるインセンティブを労働者に提供するべきです」(Talks on Prout)

 出来高払いでは、労働者は生産した各品目からの利益もしくは利益の一部を受け取ります。
労働者が多く生産すれば収入が増えます。
たとえば2時間で10個のところを20個作ると収入が増えるわけです。
ボーナス・システムにおいては、ボーナスは商品の生産において節約した時間に基づいて計算されます。
この(時間を)計算した貨幣価値が労働者に払われます。
これは1品目を作るのに2日かかるところを1日で済ませ、2日目は別の仕事をした場合に節約した時間についての貨幣価値が払われるということだと解釈しました。
協同組合はチームで仕事をしますから、節約した時間の貨幣価値はそのチームに与えられるのかもしれません。

 資本主義の下では、マルクスが『資本論』の中で緻密に研究しているように、出来高払いの方式は労働者同士を競争させて会社の儲けを増やすことに目的があります。
しかしプラウト経済においては、会社は協同組合であり労働者の所有物ですから、会社がより儲けを上げることは労働者の収入を増大させることになります。
それは同時に労働者の購買力を強化していくので、一層、景気もよくなります。

○2 労働争議の解決

 サーカーは労働争議について、資本主義の下でも「経営に労働者の権利を受け入れること」「実質利益からいくらかの配当を認めること」によって一時的に解決するかもしれないが、実質利益の配分の割合をめぐる問題が生じるゆえに、資本主義の下では恒久的に解決することはできないといいます。
そして、協同組合システムの大規模実施によってこそ労働争議は恒久的に解決すると述べます。

 「恒久的な解決は、協同組合システムの大規模な実施と、土地、産業、貿易、商業の社会化にあります。
大規模な工業は基幹産業であるべきです。
これらの基幹産業は地元自治体によって経営され、所有されるべきです。
そして労働関係を適したものに維持するために、労働のボーナス・システムと出来高払いを採用するべきです。
一生懸命に働く人々がより多く利益を得るでしょう」(Talks on Prout)

○3 合理化と失業

 資本主義の下では合理化は失業につながりますが、プラウトでは労働時間の短縮になるとして科学を積極的に産業に活用する立場を述べています。

 「科学は、奉仕と幸福のために活用されるべきです。
産業は合理化されるべきです。(中略)
合理化は失業問題の根本原因だというのは間違いです。(中略)

失業問題は、産業が利益追求のためにある資本主義の枠組みにおいてのみ生じます。
産業が消費に従い、利益追求に従わない集合経済構造の下では、失業問題は生じません。
ここでは労働者の数は減らされず、労働時間が減らされます。
減った時間は、知的、精神的追求に充てられるでしょう。
労働時間の短縮は、生産だけでなく、商品の需要、労働力の入手可能性にも依存しています」(Talks on Prout)

 本来、科学技術の産業への適用は労働者を楽にするはずのものなのに、逆に労働者に長時間労働、労働強化を強いることになることは、マルクスの『資本論』で詳細に分析されています。
サーカーも利益追求の資本主義システムであるがゆえに、産業合理化はリストラ・失業など労働者に不利益に働いていると考えます。
プラウト・システムならば社会経済単位の中で購買力が絶えず強化されますから、不況をもたらすことはありません。
消費者のニーズに合う商品を生産するならば、失業、リストラの必要がありません。

Summarize of Mitsuki is excellence.
In decentralized economy means of production is shared by relatives.
Incentive of work is linked with profit of company.
In capitalist company incentive of work is made by competing of each other.
This is decisive difference between socialist company and capitalist company.
Marx thought that socialist economy is network of socialist company sharing means of production.
I made prout society socialism of Marx as model.
20th century Marxism was opposite of Marx's thought.
We gods of star in base of universe know thinking of human beings.

ミツキの要約はすぐれています。
非集権経済では生産手段は関係者に共有されています。
働くものの勤労意欲は会社の利益と直結しています。
資本主義の会社においては労働の動機付けが互いに競争させられることによります。
これが社会主義の会社と資本主義の間の決定的な違いです。
マルクスは社会主義経済は、生産手段を共有する社会主義会社のネットワ-クだと考えていました。
私はマルクスの考えをモデルとしてプラウト社会論をつくりました。
20世紀のマルクス主義者はマルクスの考えの正反対だったのです。
私たち宇宙根底の星の神々は、人間が考えていることを知っているのです。



(Resource of earth belongs to gods of star in base of universe)

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This time I explain this part.

▼所有・享受・管理

◎天地万物は全人類の世襲の共有財産であり、すべての人が富を享受する権利を持つ

 サーカーの提起する、資本主義に代わる社会イメージは、資本家的所有を廃止して協同組合所有(社会化)をめざすものです。
主要な生産様式が資本主義的生産様式から協同的生産様式に変わります。
サーカーはこれを「進歩的社会主義」とも呼んでいます。
しかし、この社会経済論の根底をなす哲学はサーカー独自のスピリチュアリティ哲学に基づくものであり、旧来型の社会主義的思想潮流とは根幹が異なっています。

 まず、協同組合的所有の発想の基盤にあるスピリチュアリティ哲学からくる所有論を紹介します。
次に、均衡経済論や自立的社会的経済単位の発想が出てくる哲学的根拠を見てみます。

 協同組合論の根底には「天地万物はすべての人類の共有財産」というスピリチュアリティ哲学があります。
サーカーの哲学については後で詳しく紹介しますが、唯物論者にもわかるように私の言葉でごく簡単に紹介します。

 150億年前、ビッグ・バンでこの宇宙が始まった時、原子核の周囲を電子1個が回る水素と電子2個が回るヘリウムだけが全宇宙に充満していました。 この水素原子、ヘリウム原子が衝突と結合を繰り返す中で、無限に多様な原子の組み合わせの物質世界ができました。
その一部分が地球となりました。
そして地球の表面の一部分が意識を持った存在になり、あなたになり、私になっています。
ここまでは唯物論の説明で、サーカーの哲学も基本的には一致します。

 では、原子の複雑な組み合わせの中からあなたや私の意識が生まれたのでしょうか。
サーカーの哲学では、原子をずっとより細分化した精妙なレベルは大宇宙の意識であり、その意識が固まって原子になり、それが組み合わさって、この目に見える世界が展開していると考えます。
根源にある1つの意識はいったん物質の形で無数に分かれてこの世に展開しています。
その物質が生命として展開し、発展し、人間という形での原子の組み立てに至ります。
人間において、未発達な生命には見られなかった根源の意識が鮮明に現われるようになったと見ます。
サーカーの哲学では、形に現われた宇宙の一切は、大宇宙の根源にある意識の顕現の流れの中で表現されているものです。

 私たちが働いて創造した物まで含めて、所有者は大宇宙の根源にある実体です。
大宇宙の心が分かれてあなたになり、私になっているわけでから、大宇宙の富はすべての人が自分のものとして享受すべきです。
特定の人間や特定のネイション(国民国家)が大宇宙の富を私物化することは許されません。
サーカーの言葉で見ていきましょう。

 「天地万物は、大宇宙の意識の心理的な内的投影です。
そして私たちの創る物は、投影の反射です。
私たちはもともとの物を何も創造することはできません。
私たちがすることは、すべて物質から放射される物理的な波によるものです。
 私たちは、その形を変え、化学的な合成、物理的な混合ができるだけです。
だから私たちの創るものは物的=心的、あるいは外的=内的な投影です。
基本的な要素を人間が創り出すことはできません。
それゆえ、所有権は大宇宙実体にあり、個人にはありません。
私たちは、ただこれらの要素を使うことができるだけです。
 宇宙は私たちの共有財産です。
私たちは宇宙の合同家族です。(中略)
合同家族のメンバーのように、私たちは『生き、他を生かす』やり方で生きるべきです。
世界を開発し、利用する潜在的な可能性は、特定の個人や民族、国家に属するものではありません。
彼らはただこれらの潜在力を享受できるだけです。
私たちは、大宇宙の財産の原理を受け入れて、すべての世俗の、そして超世俗の富を活用すべきです。
それは、私たちの進むべき道であるばかりでなく、論理的かつ合理的なアプローチでもあります。
これが正しい社会的哲学です」(Discourse on Prout)

 私たち人類(人間)すべてが宇宙の合同家族のメンバーであり、宇宙の富を享受する権利を持っていますから、外国人かどうかという問題はありえません。
サーカーは次のように続けます。

 「もし、私たちが大宇宙の相続財産の合理的原則を受け入れるならば、外国人とそこの住民の土地という問題は生じません。
すべての天地万物は私たちの世襲の財産です。
私たちは大宇宙の社会のメンバーです。
私たちには、どこでも自分の好きな土地に移住し、定着する自由があります」(Discourse on Prout)

Summarize of Mitsuki is excellence.
All human beings are children of gods of star in base of universe.
Gods of star in base of universe made earth full of life.
Resource of earth belongs to gods of star in base of universe.
Resource of earth does not belongs to specific company and specific nation state.
Capitalism and nation state are contrary to providence.
When people live following law of universe, you cannot live under capitalism and nation state.
You should make up socialist company sharing means of production.
You should make up earth government.
Time has closed when economy of capitalism collapse.

ミツキの要約はよくできています。
すべての人間は宇宙根底の星の神々の子どもです。
宇宙根底の星の神々が地球を生命あふれる星にしたのです。
地球の資産は宇宙根底の星の神々に属しています。
地球の資産は特定の会社や特定の国民国家に属しません。
資本主義と国民国家は摂理に反しています。
人々が宇宙の法則に従って生きるとき、
あなたは資本主義と国民国家のもとで生きることはできません。
あなたは生産手段共有の社会主義会社を作るべきです。
あなたは地球政府を作り上げるべきです。
資本主義経済の崩壊のときが近づいています。


(Children of gods of star have right to receive benefit from resource of earth equally)

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This time I explain this part.

◎天地万物の管理・運用の権限は、精神性が高くふさわしい能力のある人に与える

 サーカーによれば、すべての人間がこの大宇宙の生み出した資源や富を享受する権利がありますが、それらの資源や富を管理・運用する権利は全員が持つわけではありません。
わかりやすくいえば、ここに「病気を治すすばらしい薬」という富があるとします。
病気になった時、その薬の恩恵に預かる権利はすべての人が持っています。
しかし、その薬を管理・運用する権利は、薬を有効かつ本当に苦しんでいる人に適切に処方するモラルと能力を備えた人物のみに与えられます。
このように、政治の領域も含めて社会の全領域で、大宇宙の富をすべての人々の福利のために最大限に有効活用できるような力を備えた、モラルと能力の高い人に富の管理・運用の権利を与えるべきだとサーカーは考えます。

 「天地万物は、私たちの共通の世襲財産です(中略)
権利を持つことと管理・運営の権利を持つことは同一ではありません。
人類の多数は従う人々であって、指導者ではありませんから、管理・運営の権利は選ばれた少数の人に与えられるべきです。
生活のあらゆる領域(社会的、政治的、その他)において、知的かつ直観力を持つ労働者たちが財産を管理・運営し、他の人々の権利を保護するべきです」(Talks on Prout)

 サーカーによれば、プロレタリア革命後のプロレタリアによる統治の理論はユートピアです。
それは、社会サイクルのシュードラ革命の時期に労働者を団結させて、社会を前進させるのに役立ちましたが、実際に権力を握って社会を運用していく段階になると、人々をまとめるパワーを持ったクシャトリアと知識を持ったヴィプラが、プロレタリア(シュードラ)のために統治せざるをえません。
プロレタリアによる統治の理念は、理想としては素晴らしいのですが、非現実的であったために、一方でスターリンのような独裁者を、他方で文化大革命のような混乱を生み出しました。
サーカーの場合は人間の現実を直視しており、シュードラ革命後、「知的かつ直観力を持つ労働者たち」が、すべての人々が有効に活用できるように財産を管理・運営するべきだと論じています。

◎土地革命・農地改革について

 「天地万物は、大宇宙の心が投影した客観的実在です。
あらゆるものは全宇宙の実体Entityのものです。
私たちは宇宙の資産を使用することができます。
所有権は最高の父にあります。
土地の所有権は借地人にもなければ、ザミンダール(土地所有者)にもありません。
所有権は骨を折って働く人民にあるという間違った非論理的な宣伝は紛争と混沌をもたらすだけです。
大宇宙の相続財産という原則を受け入れるならば、私たちは能力の及ぶ限りすべての資源を活用すべきです」(Discourse on Prout)

 このように「天地万物はすべての人類の共有財産である」とするサーカーの考えは、土地革命や農地改革の見方にも表われます。
日本では農地改革は1946~50年に実施されましたが、アジアやラテン・アメリカでは依然として重要な問題として潜在しています。

 サーカーは、土地の最高の所有権は全宇宙実体にあるのであって、地主にもないし、小作人にもないといいます。
フランス革命やロシア革命、中国革命では、大地主の土地はそこで働く人民のものだという考えが力を発揮し、革命を推進する1つの力になりました。
サーカーは、インドで共産主義者が「土地を働く農民に」という運動を展開していることに対して、それは間違った非論理的な宣伝だと述べます。
それでは自立的経営が不可能な小土地所有者が無数に生まれ、大宇宙の財産である大地を有効活用できないと主張するのです。

 「土地所有者は、土地の社会化に対して補償を与えられるべきではありません。
所有者が未亡人や老人、未成年者である場合は、彼らに給付が与えられるべきです。
そして失業している青年には仕事が与えられるべきです。
これが合理的なことです。
生活のために他に資産のない小土地所有者には給付が与えられるべきです。
原則として補償システムは受け入れることはできません」(Discourse on Prout)

 広い土地を所有して小作人を働かせ、その小作料で生活している土地所有者の土地を社会化すなわち協同組合化した場合、その地主の家族のうち生きる術のない老人や未成年者などへの生活保障は必要であるが、働くことのできる地主は土地を提供した協同組合のメンバーとして働くと読み取りました。

 土地は大宇宙の共有財産であり、それを大地主と農民の共有財産として有効活用する。
それが土地の私物化でなく社会化です。

 これまでの革命運動における土地革命の理論は、大地主の土地を農民の土地要求で革命的に奪取して、その次に人民公社のように社会化を進めるというものでした。
しかし、それは破綻しました。
サーカーは、すでに紹介したように、段階的で漸進的な土地の社会化の方策について述べました。

 既得権益を持つ大地主が自ら小作人たちと自分の土地を共有することは、個人的例外はありえても全体としてはありえません。
これまでは、農民たちの階級闘争を背景にして政府が有償で上層農民に売却する法律を作るか、革命的な政府が無償で大地主の土地を農民に与えたかのいずれかでした。
これに対してサーカーの方策は、大地主と農民が協同組合を作って社会化を図るというものです。
それはその方向を支持する政府が法律を作り、既得権益を持つ大地主に対する強制力を持たなくてはできないことです。
つまりプラウトを支持する者がシュードラ革命を実現してこそ成し遂げられることです。

Summarize of Mitsuki is excellence.
Whole resource of earth belong to gods of star in base of universe.
Children of gods of star have right to receive benefit from resource of earth equally.
This is law of universe.
When human beings live contrary to law of universe, human being cannot survive on earth.
Capitalism and nation state are contrary to law of universe.
There is no choice without abolishing capitalism and nation state.
Human beings should select way of socialism sharing means of production and earth government.

ミツキの要約はよくできています。
地球の全資産は宇宙根底の星の神々に属しています。
星の神々の子であるすべての人間が平等に地球の資産の恩恵を受ける権利をもっています。
これが宇宙の法則です。
人間が宇宙の法則に反して生きるとき、
人間は地球に生き残ることはできません。
資本主義と国民国家は宇宙の法則に反しています。
資本主義と国民国家を廃止する以外に選択はありません。
人間は生産手段共有の社会主義と地球政府の道を選ぶべきです。


(Horon social theory is same idea to this part)

Dear
I am god salamnidam who downed theory P.R.Sarkar.
Assistant Mitsuki read almost books of Sarkar and summarized exactly.
We project of Heaven and gods introduce study of Sarkar.
I explain one by one.
This time I explain this part.

▼プラマー(平衡と均衡)

◎プラマーとは何か――力の三角形のバランス

 「天地万物はすべての人類の共有財産である」という考えの背景にスピリュアリティの哲学があることはすでに紹介しました。
分権経済と均衡経済論の背景にもサーカーのスピリュアリティ哲学の見方があります。
それはプラマー論です。
プラマーとは「平衡と均衡」を指し、大から小まで重層的にバランスのとれた三角状態の実現が宇宙の理にかなっているということです。

 ブロック・レベルから社会経済単位のレベルまで可能な限り自足的な経済にもっていくことは、小さなブロック・レベルをバランスのとれた三角形として無数に作りつつ、同時にその上部の社会経済単位もバランスのとれた三角形にしていくということです。
そして最後には地球全体を無数の三角形を重層的に含む1つのバランスのとれた三角形にしていきます。これがプラマーのイメージです。

 経済論だけでなく、もちろん心の領域も精神の領域も、あらゆる領域でプラマーのある三角形を無数に作るということです。
プラマーは静止的ではなく、絶えず動いている動的なものです。
難解ですが、サーカーの言葉を直接引用します。

 「"Trigun'a'tmika' srs't'ima'trka' ashes'a'trikon'a dha'ra'."
 この言葉は次のような意味です。創造の始源の段階では、その属性である3つの原理が無数の幾何学的な姿を発達させます。
それは最終的にはすべて力の三角形(グナ・トゥリコーナ Gun'atrikon'a)を形成することになります。
作用する3つ以上の力がある時は、不可避的に安定した三角形を作る傾向があります」(Socio-economic Groupifications)

 サーカーの哲学では、始源の形質・属性のない純粋な根源にあるプルシャ(意識)にプラクリティ(Prakrti 力=エネルギー)が加わってこの大宇宙が展開します。
力=エネルギーは、3つのグナ(形質・属性)を付与する形で表現されます。

 3つのグナとは、サットヴァ・グナ(明晰・平穏)、ラジョ・グナ(変化・興奮)、タモ・グナ(静止・鈍重)です。
このグナが付与されているから天地万物として現われているのであって、微細なレベルから巨大なレベルまで3つのグナの形で力が働き続けています。
私たちが目を閉じて心を集中させようとしても、心が1点にとどまることがないのも、このプラクリティという力の3形態が現われているからです。

 この3つのグナを心の池として例えるなら、池が澄みきって底まで見える状態がサットヴァ・グナです。
嵐で池の表面が波立っている状態がラジョ・グナです。
池の表面が凍って固まった状態がタモ・グナです。
宇宙にはこの3つの原理が働き続けます。

 「グナ・トゥリコーナがバランスのとれた状態にある限り、サットヴァ・グナの状態はラジョ・グナの状態に転換し、ラジョ・グナの状態はタモ・グナの状態に、タモ・グナの状態はサットヴァ・グナの状態に転換します。
この相互転換の過程は無限に続いてきました」(Socio-economic Groupifications)

   グナ・トゥリコーナのグナは3つの形質・属性を与える力であり、トゥリコーナは三角形ですから、「3つの方向への力の三角」という意味です。
この力の三角のバランスのとれた状態がプラマーです。

 「この同形性の転換によって、力の三角形のバランスは維持されます。
しかし、絶え間ない変形の過程において、鈍重のプラクリティ(訳注:タモ・グナのこと)の圧力により、三角形のバランスが失われます。
そして、頂点の1つを通じて創造の過程が始まり、創造の流れすなわちローカトゥリコーナ(Lokatrikon'a)が続きます。
人間は、物的・身体的領域、知的・心理的領域、精神性の3つの領域を持つ存在です。
これらの3つの側面は、集合体はもちろん個人的実体においてもプラマートゥリコーナ(Prama'trikon'a)やローカトゥリコーナを生じさせます」(Socio-economic Groupifications)

 創造や発展の過程は、3方向の力のバランスが崩れることから始まります。
それがローカトゥリコーナ(三角の崩れ)で、バランスを回復した状態がプラマートゥリコーナ(バランスのとれた三角)です。
無数の地域的な小三角形なしに地球規模の三角形ができあがる時、ローカトゥリコーナからプラマートゥリコーナへの移行は、三角形が大きいため巨大な害を被りながらの過程となります。
ブロック・レベルや社会経済単位レベルで無数のプラマートゥリコーナが確立されるならば、その小さな三角形が自らの力でバランスのとれた形に修復しながら進みますから、大きな地球規模の三角形は安定して進むことができます。
しかし、現代の世界の大三角形は大きくゆがんでいます。
現代世界のプラマーの欠落について次のようにサーカーは述べています。

 「世界のあらゆる地域で自然は豊かでした。
地表でも地下でも莫大な富を私たちに与えてきました。
実際、世界のさまざまな地域は農業、鉱業、水産業、薬草、森林などの資源に満ちています。
にもかかわらず、世界の多くの経済的地域において貧困や低い生活水準、文化と産業の後進性があります。
物質科学が急速な発展を遂げたことを自称している20世紀の今日ですら、結果として、教育設備の不足だけでなく、食料、衣服、住居の切実な不足に呪われて、数百万人の人々が身体的生存のために苦闘しています。
自然の恵みのおかげで、いかなる経済的地域にも物的資源の不足はありません。
しかし、優しい性向の欠落のゆえに、これらの資源は社会と経済の発展に活用されず、人々の基本的な物的・身体的な必要性(食物、衣服、居住、医療、教育)は満たされることができませんでした。
明らかに、物的・身体的領域にひどいプラマーの欠落があります」(Socio-economic Groupifications)

 物的・身体的領域でバランスが崩れ、たとえば腹痛に苦しんでいるとしたら、知的・心理的領域は安定しません。
逆に、知的・心理的領域でプレッシャーにさらされる時、物的・身体的領域でバランスが崩れ、胃痛を引き起こします。
集合体(社会)のレベルでも同様です。
物的・身体的領域でプラマーに欠ければ、人々は知的・心理的領域、精神性の領域でもプラマーが実現しにくくなります。
サーカーは、3つの層のうち物的・身体的領域でのプラマーの確立が一番大切だと次のように述べます。

 「物的・身体的、知的・心理的、精神的な生活の3つの領域は同じ重要性を帯びているけれども、最初の段階では物的・身体的領域により大きな重要性が与えられるべきです。
もし、プラマーが物的・身体的領域で失われていたら、反社会的要素が社会の中で力を持ち、社会全体の環境を汚染するでしょう。
その帰結として、知的・心理的、精神的領域におけるプラマーが失われ、知的・心理的状況はさらに悪化することになります。
そこで物的・身体的領域でのプラマートゥリコーナの確立がもっとも必要です」(Socio-economic Groupifications)

 物的・身体的階層でプラマーを回復するためにどうすべきか。
サーカーは、その物的・身体的階層をさらに下位階層に分類し、それぞれの領域でプラマーを進めようといいます。
すなわち農業、工業、鉱業、交易と商業、医療、灌漑、科学教育などに分類し、三角形のバランスを作り出していくのです。
そうすると、そのまた下位分類のレベルでも、さらに下位の三角形のバランスを作らなくてはなりません。

 「たとえば、どの社会経済単位の食糧問題の解決を試みる際にも、農業の下位三角形を作るべきです。
適切な灌漑システムを導入しなくてはなりません。
そして高品質の多様な種子を用いなくてはなりません。
土地の広範囲な耕作、トラクターと必要な肥料の使用によって、毎年3~4回、作物が収穫できるかもしれません。
土壌にふさわしい作物を選ぶべきです。
農業協同組合と農業生産者組合を開始しなくはなりません。
そして農民団体を形成しなくてはならないでしょう。
農業は利益の原理ではなく消費の原理に基づいて導かれるべきです。
農産物の適切な貯蔵、配分が必要です。
農業のローカトゥリコーナにおける適切なバランスは物的身体階層におけるローカトゥリコーナにおけるバランス確立に役立つでしょう」(Socio-economic Groupifications)

 全地球規模で集合的に(すなわち人類社会で)人間存在の3つの階層において無数の三角のバランスを最大の三角の中に確立する時のイメージをサーカーは次のように描きます。

 「物的・身体的階層、知的・心理的階層、精神的階層のすべてのローカトゥリコーナやプラマートゥリコーナが集合的に最終的なローカトゥリコーナやプラマートゥリコーナを形成するならば、その中心点は、最高のグナ・トゥリコーナの中心点と完全なバランスをもって一致するでしょう。
完全にバランスのとれた状態が個人と集団の間に、集団と宇宙の間に確立するでしょう。
すべての領域におけるこの最高のバランスはあらゆるところに完全な状態をもたらすでしょう。(中略)
これは包括的な福利、すべての人間と全生命世界の進歩と完成の段階です」(Socio-economic Groupifications)

Summarize of Mitsuki is excellence.
Decentral economy is based on philosophy of horon.
Term of horon was not in age of Sarkar.
I represented same idea as multi layered unit with balance.
Mitsuki wrote horon social theory.
Horon social theory is same idea to this part.
Human beings should make up horon structure society which of law of universe.

ミツキの要約はすぐれています。
非集権経済はホロンの哲学にもとづいています。
ホロンの用語は、サ-カ-の時代にはありませんでした。
私は、バランスのとれた多重単位とて同じ考えを表現しました。
ミツキはホロン社会理論を書きました。
ホロン社会理論は,この部分と同じ考えです。
人間は宇宙の法則であるホロン社会構造を作り上げるべきです。


(This is dialectical materialism which was downed by gods of Heaven)

Dear
I am god salamnidam who downed theory P.R.Sarkar.
Assistant Mitsuki read almost books of Sarkar and summarized exactly.
We project of Heaven and gods introduce study of Sarkar.
I explain one by one.
This time I explain this part.

▼[補足]プラウトは時・場所・人の変化に応じて適用する――ドグマに陥らないために

サーカーは、人間の心を硬直化させ、心を拡大していくことを妨げるドグマ、イズムを厳しく批判します。
すべての思想がそのような硬直したドグマ、イズムに転落する危険性をもっており、プラウトも例外ではありえません。
サーカーは、プラウトの原則を適用して活動していくにあたって「時、場所、人物の変化に応じて多様であること」ことを強調しています。
このことはきわめて重要であるので、ここにその論点を付け加えておきます。

 「ドグマは知的・心理的な構造物です。
すべての思想は知的・心理的な構造物です。
しかし、その境界線に関して幾分かの柔軟性があるべきです。
あなたがたのうち何人かは、私たちのプラウト理論に接するようになったと思います。
プラウトの5番目の基本原理は、応用のスタイルは時、場所、人物の変化に応じて多様であるべきであると述べています。
そう私はいいませんでしたか。
すなわち、そこには柔軟性の余地があります。
人間の心は硬直性に耐えられないからです。
それは運動を欲します。
しかし、運動だけではなく、運動を加速することを求めます。
とはいえ、何がドグマなのでしょうか。
ドグマもまた思想です。境界線の硬直性を伴った思想です。
ドグマは、その境界線の周辺を超えて進むことを許しません。
すなわち、ドグマは人間の心の根源的な精神に反しています」(Beware of Dogma)

 知的・心理的構造物であるすべての思想は、大黒柱と柱と境界線の壁を持っています。
そしてそれをドグマとして受け入れた人は、境界線の壁を守ってその思想への忠誠を示します。
その壁の外に出て行くことができません。
プラウトを信奉する人々にも同じことが生じます。
すべての人間、すべての生命、すべての存在が尊くて大切だというネオ・ヒューマニズムの精神を身につけながら、時、場所、人物の変化に応じて境界線を設定せずに柔軟に理論を適用していくことをめざさなくてはなりません。

 なお、スピリチュアリティを前提としないとプラウトを理解できないという考えもありますが、プラウトも知的・心理的構造物であり、まず知的に正確に学習し、理解することから始めなくてはなりません。
そしていかに現実に適用させるかについて、直観力も働かせながら自分の生きている時代、場所、人物(社会)をリアルに見つめなくてなりません。

Summarize of Mitsuki is excellence.
When theory is applied to particular time space, theory should be developed.
Society is always changing.
Theory should be changed accordance to changed society.
Thinking of human should be based on changed time-space.
This is dialectical materialism which was downed by gods of Heaven.

ミツキの要約はよくできています。
理論を特定の時空に適用するとき、理論が発展させられるべきです。
社会は常に変化しつつあります。
理論は変化した社会にあうように変えられるべきです。
人間の思考も変化した社会にもとづくべきです。
これは天の神々がおろした弁証法的唯物論です。






H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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