この日本語の碑文を刻んだ石はもともとフトマニ文字を刻んだフトマニ文明のものです
天と神々のプロジェクトは地球規模でフトマニ文明の復活をめざしています。
フトマニ文明とは神とともに生きる文明だったのです。
今週の金曜日にフトマニ文明の痕跡を探ります。
9時に近鉄桜井駅改札口
大神神社
檜原神社
箸墓古墳
の予定です。
9時に近鉄桜井駅改札口にいますので
もし同行を希望する人があればフェイスブックの松尾光喜のページから申し込んでください。私の携帯番号を伝えます。
もしうまくであえなかったとき用です。
ソルタナテラミスの事前の説明です。
大神神社は本当はフトマニ文明の「みや」という地域のリーダーの家で同時に地域の公民館の役割をしていました。
日本語の宮という言葉はこのフトマニ文明の宮を起源としています。
大神神社で四カ所フトマニ文明の痕跡があるところを紹介します。
檜原神社も同じようにフトマニ文明のリーダーの家兼地域の公民館でした。
フトマニ文明における地域のリーダーは地域の人々の中から民主的に選出されていました。
檜原神社では三カ所フトマニ文明の痕跡を紹介します。
箸墓古墳は、フトマニ文明の古墳です。
フトマニ文明にもとづいていますから古墳とはフトマニ図を立体的に表現したものだったのです。
箸墓古墳では三カ所フトマニ文明の痕跡を紹介します。
こんにちは
アシスタントみつきからフトマニ文明の痕跡をさぐるシリーズ3回目を発信します。
9月9日の金曜日は、桜井市の桜井駅と三輪駅の近くに絞ってフトマニ文明の痕跡を探しました。
ソルタナテラミスが案内した痕跡と写真を紹介します。
(1)
桜井798番地の民家の塀の外側においてあった石にはフトマニ文字の「あ」と「う」の部分が刻まれた断片が残っていました。
このフトマニ文字の断片の意味は「あ」がものごとの出発点を示し、曲がり角に使う石の立て札のような役割をしていたそうです。
(この石にはフトマニ文字のきざまれた「よ」と「う」の断片がのこっていました。
これはノートにメモした「よ」と「う」です。
右下のフトマニ文字の「よ」と「う」はもともとの文字の形です。
(2)
法然寺の近くの民家に庭のコンクリートにはめ込んだ石にもフトマニ文字の「あ」が計八つの石にみられた。
(3)
三輪駅の近くの大神神社の鳥居をくぐって進む道の右側の溝の石の壁面にも「あ」のフトマニ文字が二つの石に刻まれていた。
(4)
山の辺の道の茅原あたりの溝の石にも六つの石にフトマニ文字あの文字が刻まれていた。
(5)「 檜原神社の石垣の石もあの字が刻んだのを二つ見つけた。
それだけではなくここにはとても貴重なフトマニ文明の石に刻んだ碑文が見つかった。
ソルタナテラミスに解説してもらいます。
「この日本語の碑文を刻んだ石はもともとフトマニ文字を刻んだフトマニ文明のものです。
正面から見ると日本語の碑文ですが
左右両側からみるとフトマニ文字の碑文がきざんであります。
左側から見るとフトマニ文字で
私たちは奈良盆地にやってきた祖先に感謝すると書かれています。
右側から見るとフトマニ文字で
私たちに導きと恩恵を与えてくれる星の神に感謝しますと書かれています。」
檜原神社を少しおりたところにある石にもフトマニ文字の「あ」がきざまれた石がありました。
(6)
織田小学校の石垣をみると古い感じのする石にはほとんどフトマニ文字の「あ」が見つかります。
(7)
箸墓古墳にいってソルタナテラミスの指示どおりに歩いたが、目的のところにいきつかないようでしたので。
そこで「ここはいったい誰の墓か」とききました。
ソルタナテラミスによると
「フトマニ文明をになったリーダーの墓です。
古墳はフトマニ図を立体的にあらわしたものです。
古墳がフトマニ図を立体的にあわらしたことがわかる場所にいって写真をとってもらいます。」
とうことてした。
箸墓古墳のまわりをへとへとになりながら歩きましたが
目的にする場所にはいけませんでした。
よく見ると「陵墓地には許可なく入らぬこと 宮内庁」という立て札がありました。
(8)補足 石切ヒーリングルームの近くの石にも
数多くの「あ」のフトマニ文字が刻まれていた石は訪れたどの箇所にも古い石垣などにたくさんあり写真に写しました。
この文章はホームページをつくって撮影してきた写真とともにフトマニ文明の痕跡として紹介する予定です
石切ヒーリングルームのある石切も奈良盆地から生駒山を超えたところにあり、翌日の朝ヒーリングルームにいく途中の石垣をみるとたくさんの「あ」の字を発しました。
フトマニ文字を研究していたころに友人の高校国語の教師は、「石に刻まれた文字が残っているはずなのにまったくそれがないことはひらがな以前に文字があった」というのは考えられないと言っていた。
しかし、ひらがな以前に文字は日本になかったという思い込みが石に刻まれた多くのフトマニ文字を人々に見えなくさせていたのだと思いました。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)フトマニ文明とは神とともに生きる文明だったのです。
今週の金曜日にフトマニ文明の痕跡を探ります。
9時に近鉄桜井駅改札口
大神神社
檜原神社
箸墓古墳
の予定です。
9時に近鉄桜井駅改札口にいますので
もし同行を希望する人があればフェイスブックの松尾光喜のページから申し込んでください。私の携帯番号を伝えます。
もしうまくであえなかったとき用です。
ソルタナテラミスの事前の説明です。
大神神社は本当はフトマニ文明の「みや」という地域のリーダーの家で同時に地域の公民館の役割をしていました。
日本語の宮という言葉はこのフトマニ文明の宮を起源としています。
大神神社で四カ所フトマニ文明の痕跡があるところを紹介します。
檜原神社も同じようにフトマニ文明のリーダーの家兼地域の公民館でした。
フトマニ文明における地域のリーダーは地域の人々の中から民主的に選出されていました。
檜原神社では三カ所フトマニ文明の痕跡を紹介します。
箸墓古墳は、フトマニ文明の古墳です。
フトマニ文明にもとづいていますから古墳とはフトマニ図を立体的に表現したものだったのです。
箸墓古墳では三カ所フトマニ文明の痕跡を紹介します。
こんにちは
アシスタントみつきからフトマニ文明の痕跡をさぐるシリーズ3回目を発信します。
9月9日の金曜日は、桜井市の桜井駅と三輪駅の近くに絞ってフトマニ文明の痕跡を探しました。
ソルタナテラミスが案内した痕跡と写真を紹介します。
(1)
桜井798番地の民家の塀の外側においてあった石にはフトマニ文字の「あ」と「う」の部分が刻まれた断片が残っていました。
このフトマニ文字の断片の意味は「あ」がものごとの出発点を示し、曲がり角に使う石の立て札のような役割をしていたそうです。
(この石にはフトマニ文字のきざまれた「よ」と「う」の断片がのこっていました。
これはノートにメモした「よ」と「う」です。
右下のフトマニ文字の「よ」と「う」はもともとの文字の形です。
(2)
法然寺の近くの民家に庭のコンクリートにはめ込んだ石にもフトマニ文字の「あ」が計八つの石にみられた。
(3)
三輪駅の近くの大神神社の鳥居をくぐって進む道の右側の溝の石の壁面にも「あ」のフトマニ文字が二つの石に刻まれていた。
(4)
山の辺の道の茅原あたりの溝の石にも六つの石にフトマニ文字あの文字が刻まれていた。
(5)「 檜原神社の石垣の石もあの字が刻んだのを二つ見つけた。
それだけではなくここにはとても貴重なフトマニ文明の石に刻んだ碑文が見つかった。
ソルタナテラミスに解説してもらいます。
「この日本語の碑文を刻んだ石はもともとフトマニ文字を刻んだフトマニ文明のものです。
正面から見ると日本語の碑文ですが
左右両側からみるとフトマニ文字の碑文がきざんであります。
左側から見るとフトマニ文字で
私たちは奈良盆地にやってきた祖先に感謝すると書かれています。
右側から見るとフトマニ文字で
私たちに導きと恩恵を与えてくれる星の神に感謝しますと書かれています。」
檜原神社を少しおりたところにある石にもフトマニ文字の「あ」がきざまれた石がありました。
(6)
織田小学校の石垣をみると古い感じのする石にはほとんどフトマニ文字の「あ」が見つかります。
(7)
箸墓古墳にいってソルタナテラミスの指示どおりに歩いたが、目的のところにいきつかないようでしたので。
そこで「ここはいったい誰の墓か」とききました。
ソルタナテラミスによると
「フトマニ文明をになったリーダーの墓です。
古墳はフトマニ図を立体的にあらわしたものです。
古墳がフトマニ図を立体的にあわらしたことがわかる場所にいって写真をとってもらいます。」
とうことてした。
箸墓古墳のまわりをへとへとになりながら歩きましたが
目的にする場所にはいけませんでした。
よく見ると「陵墓地には許可なく入らぬこと 宮内庁」という立て札がありました。
(8)補足 石切ヒーリングルームの近くの石にも
数多くの「あ」のフトマニ文字が刻まれていた石は訪れたどの箇所にも古い石垣などにたくさんあり写真に写しました。
この文章はホームページをつくって撮影してきた写真とともにフトマニ文明の痕跡として紹介する予定です
石切ヒーリングルームのある石切も奈良盆地から生駒山を超えたところにあり、翌日の朝ヒーリングルームにいく途中の石垣をみるとたくさんの「あ」の字を発しました。
フトマニ文字を研究していたころに友人の高校国語の教師は、「石に刻まれた文字が残っているはずなのにまったくそれがないことはひらがな以前に文字があった」というのは考えられないと言っていた。
しかし、ひらがな以前に文字は日本になかったという思い込みが石に刻まれた多くのフトマニ文字を人々に見えなくさせていたのだと思いました。
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