(Introduction of life of assistant Mitsuki)

上山八幡神社 (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.
Project of Heaven and gods decided to make born in village of Hiroshima prefecture of Japan.
Mitsuki was meditating everyday twice a day.
Gradually Mitsuki became to be able to see clear sight of age of childhood.
One day Mitsuki remind first thinking when noticing existence of I consciousness.


目を閉じて黙想しながら昔のことを思い出して出してみました。
少しずつ、過去に遡りました。
すると赤ん坊としてこの世に生まれて最初に私の心が思ったことが突然浮かび上がってきました。

『あれっ、身体が自由に動かない』

いつものように手足が動かないという感じがしました。
束縛(そくばく)されたような不自由な感じでた。

『あっ、そうか、おれ、生まれたばかりの赤ん坊なんだ。
少し、待てば、動けるようになるはずだ』

それだけ思って、私の心は消えました。

手足が不自由に感じたのは、母親の胎内で自由に動けた日のことを覚えていたのでしょうか。
でも、『赤ん坊だから、まだ動けない。待とう』と思ったのも事実です。
どうしてそんなことを思ったのでしょうか。

生まれたばかりの私はふとんに寝ていました。
(ふとんといってもきっと小さくて薄いものだったでしょう)
よく泣きました。
おちんちんがかゆくなった時に、おしめをはずして、母が白い「てんかふ」をもって、おちんちんのまわりにぱっぱっとあてました。
おちんちんのまわりがあせもだらけだったのでしょう。

おしめは、今と違いました。
私がしていたおしめは、白くて長い布でした。
それをまかれていました。
おんぶひもを思い出します。
おんぶひもで母親の背中にいた覚えがあります。

私には九つ上の兄がいます。
彼は、私が生まれたころは、小学校3年生くらいでした。
「赤ん坊の私をよくおんぶしていた。
おしっこを背中にかけられたことがある」と言っていました。
きっと、何度か私をおんぶしたのでしょう。・・・・
私の赤ん坊時代の記憶の中には母親しかありません。

母親のおっぱいをすった記憶があります。
おっぱいを吸いたい時に「うま、うま」と言って求めていました。
「うま、うま」が、私の最初に覚えた言葉だったかもしれません。
最近は、プラスックの哺乳器で赤ん坊がお乳を飲まされます。
赤ん坊の気持ちからするとやはり母親のおっぱいを吸いたいと思います。

それまでふとんに寝ていて動けなかった私は、ハイハイをして、みんなのいる方向に向かいました。
母親が「おー、みつき、はいはいできるようになったんか」とやさしく笑顔で声をかけてくれました。
赤ん坊の時、母親以外に私に声をかけた人を思い出せません。

おんぶひもで私は母親の背中にいました。
はじめて外の世界を見ました。
山道でした。
木々に囲まれた道でした。
視野が広がり、緑の谷が見えました。
それが、それから15年間住むことになる私のふるさとでした。
はじめて見る家の外の世界は幻想的でした。

(Mitsuki saw fire of neighbor house two years old)

Trial By Fire Journey Lyrics (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.

Mitsuki saw fire of neighbor house two years old.
First memory with strong impression.
This is also reminded in everyday meditaion.

赤く燃えていました。
わらぶきの屋根が大きく赤くめらめらと炎をあげて、火は大きくなっていきました。
美して迫力がありました。
こわいとは感じませんでした。
燃えているのは私の家のとなりのおうちでした。

最近、この火事について年老いた母に確認してみました。
なんとその日は、4月7日で、五つ年上の姉の小学校の入学式の日でした。
赤ん坊の私をおぶって、山の上にある小学校にいって式に参加していたそうです。
その時、「おたくのとなりの真丸さんの家が火事で燃えている」と教えてくれた人があったそうです。
『火がうつるかもしれんから、早く家にもどらんと』と、背中に私をおんぶして、家に急いで戻り、とてもしんどかったそうです。

わらぶきの屋根だから火の粉がとんでくると簡単に燃えうつるので、近所のみんなが手伝って、家の屋根に水をかけたくれたそうです。
そしてタンスの中のものを(貧乏であまりないのだが)急いで、安全なところに運んだそうです。
結局、私の家の古い建物に燃え移り、焼けているところを見た覚えがありますが、私の家自体は焼けずに住みました。

はじめて見た家の外の世界、わらぶきの家がすごい迫力で燃えている、その二つのイメージはまったく別の出来事として私の心に残っていました。
しかし、それは、五才上の姉が小学校の入学式の同じ日の出来事でした。

Human memory is ordinary related between memories.
But memory of baby age is not related.
This is because ectoplasm does not form structure yet.

(Reason of disease of tooth of Mitsuki was attack of super negative god)

GIOVANNI MARRADI - Snowfall (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.

Mitsuki experienced first snow in life.


「みつき、雪がつもっとるで、来てみい」と母親の声がした。
母が長靴をはかせてくれた。
外にでるとはじめてみる雪がまぶしかった。
一面が真っ白だった。
雪は分厚く積もっているように見えた。
そおっと、軒下から雪の中におそるおそる足を入れた。
足のももの部分まで雪の中にずぼっと入った。

ちょっとだけ楽しむと家の中にもどされた。

子どもの時にずっと不思議だったことがある。
最初は、雪が、もものところまで積もっていたのに、次の年は、ぼうずのところまでで、次第に雪の深さが浅くなっていった。
「毎年どうして雪の量が減るんだろう」と不思議だった。
最近、そのなぞがとけた。雪のつもった深さは同じでも、私の足が伸びていったために、雪が浅く感じられたのだ。

Mitsuki thought why every year accumulation of snow becomes small.
Mitsuki noticed in meditation that foot of Mitsuki became long.

みなさんは、はじめて自分で顔を洗った日のことを覚えているだろうか。
今は、たいてい洗面所の水道のところで顔を洗うのではなかろうか。

私の家の前を山から流れてくる小さな小川(幅一メートルくらいだから「溝=みぞ」と呼ぶべきでしょうか)がありました。
家の玄関を出て3メートルくらいのところです。
流れがせきとめられて水が溜まっていました。
母がそこに私を連れていって、よちよち歩きの私に、こう洗うのだと教えました。
そこで水を両手ですくって顔につけました。
私の洗面のはじまりでした。

ところが、今、考えると私の母親は大切なことを教えませんでした。
そのとき、私に歯磨きを教えませんでした。
だから、私は小学校に入学して学校で教えてもらうまで歯磨きを知りませんでした。
小学校入学前一年間通った保育園では三時のおやつのお菓子がでました。
ところが、歯磨きの習慣がないものですから、どんどん虫歯がでてゆき、歯医者さんに通うことになります。

私の兄や姉は、病気をしません。
もちろん虫歯もありませんでした。
もう、60才近くなる姉は一度も医者にいったことがありません。
兄もそうです。
まったく医者に行ったことがありません。
それなのに、私は小さいときから身体が弱く風邪などをひいてよく医者にいっていました。

姉と兄の時には保育園がまだありませんでした。
だから、姉も兄も保育園でお菓子を食べて、虫歯になることがありませんでした。
歯は健康にとって大切です。
歯茎のばい菌が身体に入り、また虫歯になることで歯でしっかり噛まないとかで、私は、身体が弱くなったのかもしれません。

みなさんも、自分の赤ちゃんができたとき、歯磨きと口のなかを清潔にすることをしっかり教えましょう。

This is memory of first washing face.
Mitsuki"s memory about teeth washing is wrong.
Mother of Mitsuki taught teeth washing.
Reason of disease of tooth of Mitsuki was attack of super negative god.
Super negative god has attacked Mitsuki whole life.

(Mitsuki noticed from this memory that human being from baby to old should be respected)

A song from a secret garden (piano cover) (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.

 よちよち歩けるようなったころのことでした(たぶん3才)。
どうも私は命にかかわるような危険に出会ったようです。

家の前の庭から竹藪に向かって小道があり、右側にもみじの木が植えてありました。
急勾配になっている左側には、いちごの木やつつじが植えてありました。
薄赤くそこに白いまだらのある7ミリくらいのいちごがたくさん枝についていました。

九つ年上の兄、一つ上のかずたかちゃん、彼の兄の三人についていって、小道を上がり、少し急な坂に植えてあるそのいちごを食べました。
少し甘いけど、ひどくすっぱいという記憶まであり、突然、その後の記憶がとだえています。

私は、いちごの木のところの崖からおちて気を失ったのです。
崖の下は、小さなどぶ池になっていましたから、その中に落ちたかもしれません。遠くにある病院に連れていかれたようです。
その後は、ふとんの上に寝ていたのだと思います。
よっぽどのケガだったのでしょう。
その時、私に何がおきたのか誰も語ってくれませんでした。
私の尾てい骨のところで肉がもりあがっていて、その時のケガの証拠となっています。

何日かして、私が意識をとりもどした時、もう一度、あのいちごを食べたくなりました。
いちごの木の場所にいってみると、いちごの木は無くなっていました。
父が、いちごの木を切ってしまったのです。
いちごの木がないので、がっかりしたことを覚えています。
(今では、その時、いちごの木を切った亡き父の気持ちはわかります)

When three years old, Mitsuki fell from small cliff to take strawberries.
This was danger when brain was hit.
Mitsuki has not memory several days.

3、4、5才の頃、いつもいっしょに遊んでいたのは、一つ年上のかずたかちゃんでした。
かずたかちゃんの家は山の下の小道を歩いて200メートルくらい向こうにありました。
かずたかちゃんが、私の家に来るか、私が彼の家に行くかして、いつもいっしょにいました。

かずたかちゃんとは、はじめはいつもいっしょにいただけでしたが、そのうちパッチン(絵のついたカードを奪い合う。
カードをたたきつけて、カードを裏返したら、その絵カードを自分のものにすることができる)をよくやりました。

記憶からまったく消えていたエッチな出来事があります。
その日は晴れていました。
私は4才で、かずたかちゃんは5才、そして、キヨちゃんは3才、それに女の子と男の子がいました。
私の家の前に集まっていました。

かずたかちゃんが「〇〇〇しよう」と言いました。
その「〇〇〇」の意味はなんのことだかわかりませんでした。
かずたかちゃんは、こぶしをつくって、人指し指と中指の間に親指をとおして、私に見せました。
なんのことだかわかりませんでした。
たぶんなんかおもしろいことだろうとかずたかちゃんについていきました。

近くに農具などをおいてあるわらぶきの建物がありました。
その中の奥の方の板の床の上に上がっていきました。

ムシロで仕切ったような狭いところがありました。
そこでかずたかちゃんがキヨちゃんをつれてはいりました。
ちょっとしてから、かずたかちゃんが、そこから出て、私に入るように言いました。
キヨちゃんは、よつんばいにさせられ、スカートをおろし、お尻を出さされていました。
キヨちゃんのお尻の穴が見えました。

その時、「何しとるんか」と建物の持ち主のおじさんの大きな声がしました。
「逃げろ」とたぶんかずたかちゃんの合図があったと思います。
わたしたちは、いっせいに逃げました。

キヨちゃんが遊びにきたのはその一回だけで、その後、キヨちゃんと遊ぶことはありませんでした。

(今、これを書いていて思います。
あの時、みんな逃げたと思っいていましたが、キヨちゃんは逃げていなかったかもしれません。
おじさんは、スカートをおろされていたキヨちゃんにわけをきいたと思います。
そしてキヨちゃんのお母さんにそのことを伝えたでしょう。
キヨちゃんのお母さんは、あの日、はじめてキヨちゃんをわたしたちのところに遊びにゆかせたのですが、それをきいて、キヨちゃんに、もう、わたしたちのところには遊びにゆくなと言ったのかもしれません。
ただし、キヨちゃんの家のすぐ下の家にキヨちゃんと同い年の女の子がいましから、わたしたちのところに遊びにくる必要もなかったのかなとも思います。

とこのように推理しましたが、わたしの記憶では、やっぱり、あの時、キヨちゃんもいっしょに逃げたことになっていいます。
そして、この出来事は、何十年間も忘れていました。
心を静かにしていた時に、突然、思い出しました)

この「かずたかちゃんとエッチな出来事」は、読んでもらうために、おもしろいことはないかと、心を静かにしていたら、突然、思い出したものです。
その日以来この出来事はまったく忘れていました。だから、深く考えたことがありません。

2年5組の生徒のみなさんと話していて気付いたことがあります。

そのひとつは、人間は、この世に生まれた一歳の時から老人なって死ぬまで、大切にあつかわれなくてはならないことです。
その意味で「キヨちゃん、かわいそうや」という意見は、そのとおりだと思いました。
やはり、3才でも彼女は傷ついたんだとおもいます。
私がまだ歩くことができなかった赤ちゃんの時のとなりの家の火事をおぼえていたように3才だったキヨちゃんの心も、この事件で傷ついたと思います。

もうひとつ気づきました。
「かずたかちゃんは、ままごとのかんじでやったんではなかろうか」とみんなに言うと「逃げたということは悪いことをしていることを分かってやったのではないか」という意見がありました。
たしかに、そうだと思います。
かずたかちゃんは、やはり悪いことだとわかっていたから、逃げたとおもいます。
ままごとだったら逃げません。

This memory is sexual naughty.
Mitsuki noticed from this memory that human being from baby to old should be respected.

(Mitsuki wrote that human being should be taught to live accordance to providence as early age as possible)

This Providence: My Beautiful Rescue (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.

小さい時は、かずたかちゃんといつもいっしょにいました。
前にいったようにパッチンをよくやりました。
絵のついたカードを地面にぶつけて相手のをひっくりかえしたら、自分のものになるのです。
かずたかちゃんがひとつ上でしたから、いつも私の方が負けて、パッチンをとられていました。

ある時、かずたかちゃんが、プラスチックの黒い小さなおまけみたいな望遠鏡をもっていました。
彼の家の庭の木のそばにその望遠鏡をおいて、パッチンをしていました。
パッチンが終わると私は、木のそばのその望遠鏡をひろいあげました。
「落ちてたから、ひろった」と言いました。
彼は悔しそうでした。
で、その時は持ってかえりました。
でも、持って帰りながら、私の気分は悪かったです。
その日の夕方だったか、翌日だったか、私の家の庭でパッチンをしました。
木のそばにおいてあった、彼の望遠鏡を「落ちてたからひろった」といって彼はもって帰りました。
自分でも「落ちてたからひろった」というのはなんか間違っている理屈だと感じていましたので、それでよかったとおもいました。

ほんとうは、落ちていたものは、「持ち主に返す」べきなのです。
欲しいと思ったので、盗む言い訳にそういう理屈をとっさに考えたのだと思います。

Mitsuki the first time was a steal.
This event was caused by super negative god to make failure of life of Mitsuki so that Mitsuki does not reach assistant of project of Heaven and gods.

私は、小さい時に父親から「一寸の虫にも五分の魂」とういう言葉を教えてもらい、どんな小さな虫の命も大切にすべきだということは聞かされました。
「暴力はいけない」というのも父から聞かされました。

ただ、「人のものを自分のものにしてはいけない」「盗んではいけない」というのは、聞かされませんでした。
あまりにあたりまえのことだったので、親は言わなかったのでしょう。

今は、できるだけ早い時期、2才、3才の子にもわかるように次のことを教えるべきだと思います。

1. 他の人を傷つけない。
人だけなく、できるだけ「虫」にいたるまで生き物も傷つけない。
(ほかの人を傷つけた痛みだけ、あとで自分が苦しむことになるんだよ)

2. 他の人のものを自分のものにしない。盗らない。
(他の人のものを自分のものにしたら、あとで、自分が、相手に損させた分だけ、自分が損するんだよ。
小さい時に相手がいちばん大切にしているものを損させたら、年取って1000万円を損することになるかもしれないよ)

3. うそをつかない。ほんとうのことを言う。
ただし、ほんとうのことを言って相手の心を傷つけたり、不安にさせる場合は、ほんとうのことは言わない。
(「うそはどろぼうのはじまり」と言われている。
うそをついたら信用を失うから、その場は逃れることができても、いずれ、自分がひどい目にあうから、うそをつかずに正直に生きなさい。
ただし、本当にそう思ったとしても、人を傷つけるようなことは言ったらだめだよ)

4. 自分ばかり得をしようとせずに、みんなと仲よく分け合いなさい。
助け合って生きてゆきなさい
(自分だけ得をしようと欲張っているとみんなから反発され、結局、おもしろくない人生を送ることになるよ)

この、四つは、赤ちゃんが少しでも、理解できるようになったら、少しずつ教えていって、私のように「ひろったんだから自分のもんだ」というまちがった理屈を考えないように、なるべく早い時期に教えてあげた方がいいと思います。

I recommend you to read this part by translating.
Mitsuki wrote that human being should be taught to live accordance to providence as early age as possible.

(Mitsuki was happy to live with lover of previous life)

Hillsong - Jesus, Lover of My Soul (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.

田んぼを二つへだてた山側にみさこちゃんの家がありました。
みさこちゃんは三つ上でした。
みさこちゃんには、私より六つ年上の姉のせっちゃんがいました。
五つ年上の姉が、せっちゃん、みさこちゃんと遊ぶために、みさこちゃんの家に私を連れていきました。
その時、私は二才でした。はじめて私を見た五才のみさこちゃんが「かわいー」と言ってくれたのを覚えています。
気にいったのか私と遊んでくれました。

その日から、私は毎日、みさこちゃんの家に遊びにいきました。
(みさこちゃんが保育園に行っていなかなかったとしたら、私が2才と3才の時、みさこちゃんが保育園に行っていたら、私が2才の時の毎日です)

あそびはみさこちゃんがリードしました。
地面に円を書いて、豆粒大の石のかけらをおいて、ジャンケンして勝った方が、親指を軸にして円を書いて陣地をひろげてゆく遊びでした。
最初は、そればかりして遊んでいました。
しばらくしてビー玉をころがす遊びをしました。
そのうち、地面に円を書いて、その上をケンケンとびする遊びもしました。

いつもふたりで遊んでいましたが、たまに私の姉とせっちゃんがいた時はおじゃみとか竹ひごみたいなもので遊んでいました。
数回、四人で近くの山の中に百合の花をとりに行きました。

2才から3才、みさこちゃんは私の毎日でした。
ある日から、家に行ってもみさこちゃんはいなくなりました。
彼女は保育園か、小学校にゆきはじめたのだと思います。
みさこちゃんの家に遊びに行ってもいないので、私は、少し離れたかずたかちゃんの家に毎日遊びにゆくようになりました。

みさこちゃんは、中学の時、心臓弁膜症とかで、学校を休みがちになり、高校に行かなかったと聞いています。
みさこちゃんについて知っていたことはそれだけでした。

40年の時が過ぎました。私が、盆に田舎の兄夫婦の家に行った時、散歩にみさこちゃんの家の前を通りかかると、みさこちゃんがいました。
私より三つ年上なのに若く感じましだ。
私が2才の時に遊んでいた5才のまま、45才になったみさこちゃんがいました。

「心臓悪かったってきいたけど、大丈夫?」ときくと、「大丈夫、悪くない」と彼女は言っていました。
今、広島市に住んでいて、理容師をしているとのことでした。
まるで友だちだったかのように話がはずみました。
なんか楽しく感じました。
夕暮れでした。
みさこちゃんの姉が、ちょっと疑いのまなざしで、私たちをみて、話を終わるように促しました。

その後、田舎にいったら、みさこちゃんのわらぶきの家はありませんでした。
火事で燃えたそうです。
彼女の兄夫婦がちいさな家を建て、たまに来るそうです。
しかし、みさこちゃんが、来ることはなくなりました。
みさこちゃんの兄夫婦の家の郵便受けにみさこちゃんへのメッセージを届けてもらうようにいれておきましたが、みさこちゃんからの返事はありませんでした。

(みさこちゃんは、幼児の時のままの顔をしていました。
ずっといっしょに遊んでいたかずたかちゃんともやはり40年たって顔をあわせました。
私が川で、子どもと魚をつかまえていた時、かずたかちゃんが橋の上から私たちを見ていました。
挨拶をしました。
ところが、かずたかちゃんの顔は、まったく彼の厳しそうなお父さんと同じになっていました。
だからどう話しかけるか困りました。
そうしているうちに橋の上から彼は立ち去りました)

Misakochan is girl friend of Mitsuki two and three years old.
Misakochan is lover of previous life of Mitsuki in Spain.
Misakochan was killed in bombing of rebellion General Franco.
Project of Heaven and gods placed Misakochan to support life of Mitsuki in infant age.
Mitsuki was happy to live with lover of previous life.

前世の恋人 みさこちゃんのページ

(Memory of death of goat made suffering in deep mind)

The Little Goat (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.

3才の時でした。「みさこちゃーん」、みさこちゃんの家の前で、子やぎにひかせた木製の乳母車にのって、私は、はずんだ声でみさこちゃんを呼びました。
みさこちゃんは顔をだして子やぎを見てくれました。
私は家にもどり、子やぎを小屋につなぎましだ。
ロープの結び方がわからなかったので、ぐるぐるとなんども柱と柱のまわりにロープをまわして、家に入りました。

しばらくすると、九つ上の兄が「やぎが死んどるようや」と父に言ました。
私も子やぎのところに行ってみました。
子やぎは、逃げようとしているうちロープがぐるぐると首にまきついて死んで横になっていました。
私がロープの結び方を知らなかったので、こうなったのです。
父も兄も私を責めませんでした。

「みさこちゃーん」と子やぎにひかせた車で、みさこちゃんの家の前で叫んだこと、ロープで首をしてめて横になっているヤギさん、このふたつの場面がくっきりと頭に残っています。

話はこうです。

みさこちゃんの家には大人のやぎがいました。
やぎはお乳をだしました。
私の家のすぐ下にある家には馬がいました。
私の家には牛がいました。
牛はどこの家にもいましたが、近くの家でやぎと馬のいる家は他にはありませんでした。

たった一日だけ、私の家にやぎがいた日、それがこの日でした。

朝、兄が、「みつきのヤギや」と言ました。
たぶん、当時6年生の兄に飼わせるために、父がどこかでもらってきたのでしょう。

赤ちゃんの私のために近くの大工さんか作ってくれた長方形の木の箱に車をつけたものがありました。
たぶん、兄は子やぎをその乳母車につないで、私をその上に乗せてくれたと思います。
私はうれしくて、自分が乗った車でその子やぎを見せるためにとなりのみさこちゃんのところまで行ったのでした。

ところが、家にもどっても、ヤギさんのつなぎ方がわからなかったので、ヤギさんは私がつないだロープで死んでしまったのです。

私の家でほんの数時間の命だった子やぎさんの話でした。

ヤギさん、ごめんなさい(‥;)

Mitsuki went to Misakochan to show goat which was given to Mitsuki.
But goat died because of attack of super negative god.
Super negative god always attacked to make fail life of Mitsuki.
Memory of death of goat made suffering in deep mind.

(Mitsuki wrote that to live is to struggle)

Motivational Video - Overcoming Adversity (video inspired by god of star)



Dear
I am cosmic program in your mind.
I introduce this life of assistant Mitsuki.

田舎の私の家の近くにひできちゃんの家族の名前を書いたお墓があります。
ひできちゃんは、数え年が4才とありますから、満3才で亡くなったことになります。
ひできちゃんは、私より一つ年が上でした。
だから、私が満2才の時にひできちゃんと遊んでいたことになります。
ひできちゃんと遊んだのは、たった2、3回でした。
でも、とても楽しかったことを覚えています。
ひできちゃんの家に行って、また遊べるのを楽しみにしていました。

ひできちゃんの家は、少し川下の郵便局の近くに3軒店が並んでいる酒屋で、ひできちゃんは私のいとこでした。
ひできちゃんのお父さんは、私の父の兄だから自分の家のように家の中に入れてもらえました。
ひできちゃんと自分の家にはない階段をいっしょに二階に上がって遊び、心がはずみました。

いつも遊んでいたみさこちゃんとかずたかちゃんの家では、玄関を入っても、ぞうりをぬいで上に上がることはありませんでした。
ひできちゃんの家では、上にあげてもらえて、ひできちゃんと遊べたので、かずたかちゃんとみさこちゃんと遊ぶ時と違う興奮がありました。

大人たちが、田の草取りをしていた時期でした。
ひできちゃんがおかしいと連絡があり、大人たちが、ひできちゃんの家にかけつけました。

しばらくして、「ひできちゃんは死んだそうじゃ」と母が言いました。
「どうして死んだん?」と聞くと、「パンパン菓子を食べて、お腹をこわして死んだんじゃ」と母は答えました。

私は、ひできちゃんはパンパン菓子を食べて死んだとずっと信じていました。
(パンパン菓子とは、今でも店屋に売っている米菓子のことです。
自転車の上にバーナーであたためる筒を載せたパンパン菓子屋さんが時々村に来ました。
その筒に米を入れて、バーナーで温めながら筒を回転させます。
筒のフタを開ける時、ものすぐ大きな爆発音がするので、「パンパン菓子」と言っていました)

それから、数年してひできちゃんのお母さんが、山を一つ越えたところにある「ため池」に身を投げて自殺しました。
酒屋の前に棺桶が置かれていました。
「みつき、最後じゃけん、おばさんの顔を見とけ」と母が言ました。
私は、木でつくった長い箱に横たわっているおばさんの顔を見ました。
おばさんは、安らかな顔をして、目を閉じていました。

みんなについて、私も、山の中にある焼き場まで行きました。
山の中から煙がでて、おばさんは煙になりました。

わたしが、3才の時、おじさんの子で、一つ年上の(いとこの)ひできちゃんは亡くなりました。
数年すると、おばさん、すなわち、ひできちゃんのお母さんが亡くなりました。
おばさんは、真夜中に家を出て、一つ山を越えて、小さいため池に身を沈めました。

おばさんが身を沈めた池を見るたびに、夜中におばさんが水の中に入ってゆくイメージが頭に浮かびました。
しかし、わたしは高校の時から、下宿して、田舎をでて、一人で生活していましたから、すっかり、ひできちゃんとおばさんのことは忘れていました。

それから40年後のことです。
もう、わたしの父もおじさんも亡くなっていた時のことです。
おじさんの家の前を、85才くらいだった岡本のこみっつぁんが、乳母車にたくさんの荷物をのせて押しておられました。
山側に少しのぼったところにある彼女の家へは坂道になっています。
わたしは「押してあげましょう」といって、家まで荷物を押してゆきました。
こみっつぁんは、独り暮らしで、いろんな家の農業の手伝いをたのまれて、生計をたてておられました。
わたしの家にもときどき手伝いにきてもらいました。
こみっつぁんが茶をつんでいる姿をスケッチして、彼女に見せたら、「とてもよくかけている」とほめてくれて、「この絵、ちょうだい」と言われて、あげたことがあります。
だから、こみっつぁんも、わたしをおぼえてくれていました。
「まあ、お茶でも飲みなさい」こみっつぁあんの家の縁側で、少し話をしました。

その時、わたしは、ひできちゃんのことを話しました。
こみっつあんは、驚くべきことを語りました。
「わたしゃ、ひできちゃんは、局長さんの子だと思う」
おじさんの家は、郵便局の前にありました。
局長さんとは、当時の郵便局長さんのことです。
「わたしらは、暗がりで、物陰に隠れてみとったんじゃ。
局長さんが、おばさんのところにゆくのを」
「『ひできちゃんは、次第に局長さんに似てきたのう』と話とったんじゃ」

家にもどって、わたしの年老いた母にききました。
「こみっつぁんが、ひできちゃんは局長さんの子じゃと言うとったで」
「そんなことはないよ。
おばさんは、まじめないい人じゃったけえ。・・・・
『局長さんが、いいよってきて困るんじゃ』とはゆうとったのう」

ひできちゃんは、ひょっとしたらこみっつあんの言うように局長さんの子なんだろうか。
もし、そうだとするとひできちゃんは、ほんとうにパンパン菓子食べ過ぎて死んだんだろうかとふと疑惑を抱いてしまった。
そして、おばさんの死ぬほどの悩みが何なのかが少し見えてきた気がした。

夜に局長さんがおばさんの家に入るのを、こみっつぁんがかげに隠れて見ていたことと、おばさんがわたしの母に「局長から言いよられて困る」と言っていたことからすると、ひできちゃんが生まれる前に、局長さんがおばさんに言い寄っていたことは事実だとおもう。
彼女が局長さんを受け入れて関係をもったかもたなかったかはわからない。
しかし、もし、積極的に受け入れていたら、わたしの母に「言い寄られて困っている」とはこぼさずに二人の関係を秘密にしようとしただろうとおもう。

こみっつぁんは、よくしゃべる人だった。
いろんな家の手伝いをしながらうわさ話をしていた。
だから局長さんとおばさんの不倫があったといううわさをこみっつぁんが、村じゅうにひろげたに違いない。
ひそひそかげでうわさされていても、おばさんは、身の潔白を村人に説明するすべはなかった。
最後に、そのうわさは、おじさんの耳にも入っただろう。
夫のおじさんさえ、おばさんを信じて、支えてあげていたらおばさんは死ぬことはなかったろう。
たぶん、おじさんも、おばさんを責めたとおもう。
行き場のなくなったその夜が、おばさんが山を越えて、ため池に身を沈めた日だったのではなかろうか。

わたしは、どんなに苦しく、つらくても自殺すべきではないとおもう。
自分を殺すことは、自分だけを殺すことではなく、自分の大切な人々を深く傷つけることだ。
実は、ひできちゃんには、二人のおねえさんがいた。
当時は小学生だった。
二人はたぶんすべてを知っていて深く傷ついた。
妹の方はほとんどしゃべらない人になってしまった。
そして、お姉さんの方は、おばさんと同じように娘たちをおいて、おばさんが死んだあのため池に身を沈めて死んだ。
そして妹の方は、結婚して子どもたちを残して、嫁いだ先で、首吊り自殺をしてしまった。

ひどいことに出会って、つらくなった時、それと「闘って生きる」のではなく、「生きる闘い」を放棄して死んでしまったおばさんから、当時、小学生だったわたしのいとこの姉妹は「闘いの放棄」を心の奥深くに身につけてしまった。

わたしは、生きるとは「闘い」だとみんなに言いたいです。
戦いではありません。
戦いはケンカやいざこざのことです。
「闘い」とは、どんなつらいことも、それと闘ってうちかってゆくことです。
人生とは闘いです。
最後まで闘いを放棄してはいけません。

Cousin of Mitsuki died three year old.
Mother of cousin killed herself.
Two sisters of ant killed themselves after adult.
Mitsuki wrote that to live is to struggle.
You should not abandon to struggle.
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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