OS CINCO PRINC?PIOS FUNDAMENTAIS DE PROUT V-1.0 (video inspired by god of star)
真の神々は時空の法則(史的唯物論)に従って人間社会に働きかけているのであってネガティブ神のように神々が人間を操作して人間の歴史をつくるのではありませんTrue gods work on human society base on law of time-space ( historical materialism), does not make human history by manipulating human as like negative gods did
This article is that it needs to understand social cycle theory which god salamnidam downed to PR Sarkar to understand that human is in flow of social cycle.
Idea that human does not need nothing to do is injected idea by negative god.
True gods work on human society base on law of time-space ( historical materialism), does not make human history by manipulating human as like negative gods did.
Will of gods is realized base on law of time-space.
この論文は、神サラムニダムがP.R.サーカーにおろした社会サイクル論の正確な理解のためには人間が社会サイクルの流れの中にあることを理解することが必要だ、です。
人間は何もしなくても神がすべてを動かしているというのはネガティブ神が注入した考えです。
真の神々は時空の法則(史的唯物論)に従って人間社会に働きかけているのであってネガティブ神のように神々が人間を操作して人間の歴史をつくるのではありません。
時空の法則に従って神々の意志を現実化するのです。
1)社会サイクル論と無常観との違いについて
人間が構成する集合体も他のこのコスモスのすべての実体と同じく 脈動し、波うち、回転しています。
この宇宙に何一つ停止しているものはありません。
この宇宙のすべてが変化の中にあるというとらえ方は、不変の真理だと思います。
仏教の無常観は、常ならざるもの(固定して動かないもの)なしと
そのコスモスの真理をついていると思います。
しかし、仏教的無常観との違いにもふれておかねばなりません。
無常観は、外側からコスモスの流れ、社会の流れをただ傍観しているだけで
自分はコスモスの外(川の流れの外)にいます。
しかし、実際には私たちは、川の流れの水の分子の一員であり
間違った方向に流れてゆきそうなら
自ら立ち上がり、流れの方向を変化させてゆく主体です。
現実は絶えず変化し、無常だと思います。
だからある時点で存在根拠があり、人間の福利の前進に役立ったものが
次の時点では、人間の福利の前進を妨げるものに転化します。
私は、あらゆるものを固定した枠組みの中でみずに
これまでの自分が築き上げてきたものごとをみる枠組みを絶対化せずに 変化する現実の中において考察すること
自分も「これまでの自分を含んで超える」前進を遂げてゆくこと
が必要だと思うのです。
2)予定調和説とプラウト
サルカールのプラウト思想を日本にはじめて紹介したアメリカのラビ・バトラ教授は
歴史は神の意図で動いているから、
人間はただ神のシナリオを傍観してみていればいいという趣旨を書いていました。
サーカーの弟子たちの多くもそう解釈する人もいるような気がします。
以下に、ユニヴァーサル・ジャパンの仲間の文章を紹介します。
20代の青年がこのように考えてくれていることをとても心強く思っています。
「私はこの前、会って話した時に予定調和についての質問をしましたが
、 その事についてあの後、ずっと考えていました。
そして、ホームページのアドレスhttp://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/batracycle.htm
を見るとこういう文が出てきました。
「武勇の力をもつクシャトリアのリーダーシップのもとに打ち立てられた社会構造は、
構造が安定してくると知力にまさるヴィープラが社会運営の面で優位に立つようになります。
その安定の中で経済活動が活発になり、
財力を蓄えたヴァイシャが
統治の座にあるクシャトリアやヴィープラのメンタリティの持ち主を
財の力で動かす時代がやってきます。
このヴァイシャ優位の時代の末期には、
彼らのもとに富が集中するために、
一般大衆であるシュードラの貧窮化が生じます。
ヴァイシャの僕となって自らの武勇と知力を売り渡すことを潔しとしない
クシャトリアとヴィープラの生活水準はシュードラ化します。
そのクシャトリアたちが一般大衆を率いて革命に立ち上がります。
そしてその革命のリーダーとなったクシャトリアが新しい社会構造を打ち立てます。
これがシュードラ革命を含む社会サイクルの全周進化です。
ラビ・バトラ教授の議論は、
このシュードラ革命の局面を社会サイクルからドロップさせているために
アメリカの戦争指導指者であるパウエル国務長官やブッシュ大統領を 次の社会サイクルへの道を開くクシャトリアとして美化する言葉がでてきます。
日本にかかわっては小泉純一郎、小沢一郎、石原慎太郎を
現在のヴァイシャ支配にかわるクシャトリアとして美化します。
彼らが危機深まるヴァイシャ支配を建て直すためにでてきたヴァイシャに奉仕するクシャトリアである側面がまったくドロップしています。
第二に、「シュードラ革命が自動的に起きるわけではありません」というサルカールの言葉に反して、
ラビ・バトラ教授の周期説では革命の準備なしに自動的に社会回転が進んでゆく印象を受けます。
サルカールは、インド独立の時の指導者を、
一つには大衆を反搾取の経済的な闘争に導かなかったこと、
もう一つは、全国隅々にわたる大衆的革命組織を作ることに失敗したこと、
そうしたことのために独立後もヴァイシャによる支配を続かせてしまったと批判しています。
サルカールによれば、ヴァイシャ支配を打ち倒すには徹底した準備が必要です。
ラビ・バトラ教授は、銀行倒産の時にどのように自分の財産を守るかについては教えてくれますが、
革命の準備の必要は説かず、
神の書いたシナリオによるドラマとしてヴァイシャ時代の成り行きを興味深く見ておればいいと説きます」
そうです、革命は自動的に勝手に始まる訳ではなかったのです。
革命は自分たちの力で、始めなければ何も起こらないという事です。
もちろん、社会サイクル的に暴動や新たな武の支配は起こるかも知れませんが、
それは真の意味での民衆革命ではないのです。
ラビ・バトラ氏はそこを見誤ったのではないでしょうか。
「そのクシャトリアたちが一般大衆を率いて革命に立ち上がります。
そしてその革命のリーダーとなったクシャトリアが新しい社会構造を打ち立てます」
私は、この個所を再び読み、やはり夏に読んだ時と同じく胸がいっぱいになりました。
多分、クシャトリアたちは革命を起こすでしょう。
しかし、それをプラウト社会に持って行けるかどうかは、 私たちの肩に掛かっているといっても過言ではないでしょう
。 私たちは、真の革命(そしてそれは予定調和ではなく、ぎりぎりの線である)の為に、その力を注がなければならないのだと再確認しました。
3)補足 ・・・・この世に自分たちは100%に正しいということはありえない。
〇〇さんより
「サルカール師の言っている事も相対的真理で、絶対ではないと考えている」
ことをつけくわえて市民社会フォーラムに投稿する了解を得ています。
私は
「サルカールの論を徹底すると
サルカールだけでなくどんな聖者であっても、口にだした瞬間に、
形ある言葉となっており、時、場所、人の影響をうけた相対的真理です。
形あるものに永遠の真理はないというのがサーカー哲学の論点ですから」
と返事しました。
私たちは、どの党派もグループも学派も宗派も思想も聖者も
形あるこの世の存在であり、
絶対的真理とはなりえないというところから
出発する必要があります。
この哲学的立場にたった上で、
互いに学びあい、さらに深いレベルへと追求してゆく必要があります。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Idea that human does not need nothing to do is injected idea by negative god.
True gods work on human society base on law of time-space ( historical materialism), does not make human history by manipulating human as like negative gods did.
Will of gods is realized base on law of time-space.
この論文は、神サラムニダムがP.R.サーカーにおろした社会サイクル論の正確な理解のためには人間が社会サイクルの流れの中にあることを理解することが必要だ、です。
人間は何もしなくても神がすべてを動かしているというのはネガティブ神が注入した考えです。
真の神々は時空の法則(史的唯物論)に従って人間社会に働きかけているのであってネガティブ神のように神々が人間を操作して人間の歴史をつくるのではありません。
時空の法則に従って神々の意志を現実化するのです。
1)社会サイクル論と無常観との違いについて
人間が構成する集合体も他のこのコスモスのすべての実体と同じく 脈動し、波うち、回転しています。
この宇宙に何一つ停止しているものはありません。
この宇宙のすべてが変化の中にあるというとらえ方は、不変の真理だと思います。
仏教の無常観は、常ならざるもの(固定して動かないもの)なしと
そのコスモスの真理をついていると思います。
しかし、仏教的無常観との違いにもふれておかねばなりません。
無常観は、外側からコスモスの流れ、社会の流れをただ傍観しているだけで
自分はコスモスの外(川の流れの外)にいます。
しかし、実際には私たちは、川の流れの水の分子の一員であり
間違った方向に流れてゆきそうなら
自ら立ち上がり、流れの方向を変化させてゆく主体です。
現実は絶えず変化し、無常だと思います。
だからある時点で存在根拠があり、人間の福利の前進に役立ったものが
次の時点では、人間の福利の前進を妨げるものに転化します。
私は、あらゆるものを固定した枠組みの中でみずに
これまでの自分が築き上げてきたものごとをみる枠組みを絶対化せずに 変化する現実の中において考察すること
自分も「これまでの自分を含んで超える」前進を遂げてゆくこと
が必要だと思うのです。
2)予定調和説とプラウト
サルカールのプラウト思想を日本にはじめて紹介したアメリカのラビ・バトラ教授は
歴史は神の意図で動いているから、
人間はただ神のシナリオを傍観してみていればいいという趣旨を書いていました。
サーカーの弟子たちの多くもそう解釈する人もいるような気がします。
以下に、ユニヴァーサル・ジャパンの仲間の文章を紹介します。
20代の青年がこのように考えてくれていることをとても心強く思っています。
「私はこの前、会って話した時に予定調和についての質問をしましたが
、 その事についてあの後、ずっと考えていました。
そして、ホームページのアドレスhttp://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/batracycle.htm
を見るとこういう文が出てきました。
「武勇の力をもつクシャトリアのリーダーシップのもとに打ち立てられた社会構造は、
構造が安定してくると知力にまさるヴィープラが社会運営の面で優位に立つようになります。
その安定の中で経済活動が活発になり、
財力を蓄えたヴァイシャが
統治の座にあるクシャトリアやヴィープラのメンタリティの持ち主を
財の力で動かす時代がやってきます。
このヴァイシャ優位の時代の末期には、
彼らのもとに富が集中するために、
一般大衆であるシュードラの貧窮化が生じます。
ヴァイシャの僕となって自らの武勇と知力を売り渡すことを潔しとしない
クシャトリアとヴィープラの生活水準はシュードラ化します。
そのクシャトリアたちが一般大衆を率いて革命に立ち上がります。
そしてその革命のリーダーとなったクシャトリアが新しい社会構造を打ち立てます。
これがシュードラ革命を含む社会サイクルの全周進化です。
ラビ・バトラ教授の議論は、
このシュードラ革命の局面を社会サイクルからドロップさせているために
アメリカの戦争指導指者であるパウエル国務長官やブッシュ大統領を 次の社会サイクルへの道を開くクシャトリアとして美化する言葉がでてきます。
日本にかかわっては小泉純一郎、小沢一郎、石原慎太郎を
現在のヴァイシャ支配にかわるクシャトリアとして美化します。
彼らが危機深まるヴァイシャ支配を建て直すためにでてきたヴァイシャに奉仕するクシャトリアである側面がまったくドロップしています。
第二に、「シュードラ革命が自動的に起きるわけではありません」というサルカールの言葉に反して、
ラビ・バトラ教授の周期説では革命の準備なしに自動的に社会回転が進んでゆく印象を受けます。
サルカールは、インド独立の時の指導者を、
一つには大衆を反搾取の経済的な闘争に導かなかったこと、
もう一つは、全国隅々にわたる大衆的革命組織を作ることに失敗したこと、
そうしたことのために独立後もヴァイシャによる支配を続かせてしまったと批判しています。
サルカールによれば、ヴァイシャ支配を打ち倒すには徹底した準備が必要です。
ラビ・バトラ教授は、銀行倒産の時にどのように自分の財産を守るかについては教えてくれますが、
革命の準備の必要は説かず、
神の書いたシナリオによるドラマとしてヴァイシャ時代の成り行きを興味深く見ておればいいと説きます」
そうです、革命は自動的に勝手に始まる訳ではなかったのです。
革命は自分たちの力で、始めなければ何も起こらないという事です。
もちろん、社会サイクル的に暴動や新たな武の支配は起こるかも知れませんが、
それは真の意味での民衆革命ではないのです。
ラビ・バトラ氏はそこを見誤ったのではないでしょうか。
「そのクシャトリアたちが一般大衆を率いて革命に立ち上がります。
そしてその革命のリーダーとなったクシャトリアが新しい社会構造を打ち立てます」
私は、この個所を再び読み、やはり夏に読んだ時と同じく胸がいっぱいになりました。
多分、クシャトリアたちは革命を起こすでしょう。
しかし、それをプラウト社会に持って行けるかどうかは、 私たちの肩に掛かっているといっても過言ではないでしょう
。 私たちは、真の革命(そしてそれは予定調和ではなく、ぎりぎりの線である)の為に、その力を注がなければならないのだと再確認しました。
3)補足 ・・・・この世に自分たちは100%に正しいということはありえない。
〇〇さんより
「サルカール師の言っている事も相対的真理で、絶対ではないと考えている」
ことをつけくわえて市民社会フォーラムに投稿する了解を得ています。
私は
「サルカールの論を徹底すると
サルカールだけでなくどんな聖者であっても、口にだした瞬間に、
形ある言葉となっており、時、場所、人の影響をうけた相対的真理です。
形あるものに永遠の真理はないというのがサーカー哲学の論点ですから」
と返事しました。
私たちは、どの党派もグループも学派も宗派も思想も聖者も
形あるこの世の存在であり、
絶対的真理とはなりえないというところから
出発する必要があります。
この哲学的立場にたった上で、
互いに学びあい、さらに深いレベルへと追求してゆく必要があります。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods