あわのうた (video inspired by god of star)
神々はここでミツキが解明したフトマニ文明の本質を地球規模で復活させた新しいフトマニ文明を実現します
Gods of star realize new hutomani civilization which revive essence of hutomani civilization that Mitsuki make clear here on global scale
This article argues revival of hutomani civiliation beyond capitalism base on philosophy of Japan's ancient hutomani civilization.
View of this hutomani civilization is truth.
Gods of star realize new hutomani civilization which revive essence of hutomani civilization that Mitsuki make clear here on global scale.
この論文は、日本の古代フトマニ文明の哲学を今日に復活させ資本主義を超えたフトマニ文明の復活を論じています。
このフトマニ文明の見方は真実です。
神々はここでミツキが解明したフトマニ文明の本質を地球規模で復活させた新しいフトマニ文明を実現します。
(1)
人間の心理の特質は「拡張」を求めるところにあります。
人間の心は際限なく限りなくinfinitiveに「拡張」を求めます。
「収縮」の言葉を領域の限定なく聞くと
人間の潜在意識に反発を生むだろうと思います。
その理由は、人間の心理的本性が縮小ではなく拡張を欲するから
「収縮」という語は、人間が自己を否定されたように
感じると私は見ています。
ライオンは必要なだけ食べるために殺します。
人間は、必要なだけでなくは、楽しむために動物をレジャーとして
殺戮したりします。
明らかに食べるため以上であり、その貪欲は終るところがありません。
人間は必要量だけでは満足しないのです。
際限なく幸せ、楽しさを求めるのは
人間の本性が、無限に際限なく求めるところにあります。
(2)
なぜでしょう。
太古のフトマニ哲学を再現したワンネス哲学で説明したいと思います。
人間存在は、モノ+シヰ+タマです。
すなわち物的肉体的領域+知的心理的領域+タマです。
タマとは、障子の穴からさしているアメミヲヤなる太陽の光です。
アメミヲヤとは無限の意識です。
人間の心を成立させる基底部分の「意識」とはタマであり、
アメミヲヤなる太陽の光(無限の意識)です。
したがって、人間の本質は無限性から成り立っており
絶えず、無限に拡張しようという衝動からなっています。
「これで満足した。ここで終りにしよう」ということはありません。
次々と次の対象を求めて、心の流れは終るところを知りません。
これは資本主義生産と同じです。
人間の無限に求める心を物的領域に表現したものが
資本主義生産であり、
そのリーダーは、他の人間の仲間を自分の無限の渇望を満たすための
「資源」として利用(exploit)してゆきます。
(これは中小企業で経済苦境の中でがんばっておられる経営者のことを 言っているのではありません)
(3)
モノの世界(物的領域)は有限の世界です。
競争原理で勝ち続けなくてはならない資本主義システムは
一部の勝者に有限の世界の富が集中し
他方の一般大衆に不安定な生活と労働を強いてゆきます。
人間を人材(資源)と見て企業のために雇ってやっているという
指導層の搾取的意識によって、劣悪な状態におかれる人々がでてきます。
したがって、資本主義経済はルールによって
その経済活動の自由を規制される必要があります。
規制のためには反搾取の意識をもって連帯した民衆勢力と
その支持基盤の上にたつ政治家によって資本主義の経済活動を
規制する法律をつくることが必要です。
モノの世界は、大地とその自然を含みます。
ボリビアのコチャバンバ宣言は次のように言います。
「母なる大地は傷つき、人類の未来は危機に瀕しています。
人類は大きな選択を迫られています。
資本主義の道を続け、略奪と死を選ぶのか、
自然との調和と命の尊重という道へ踏み出すのか。
人間と自然との間の調和、
人々の間での調和を再び成り立たせる新しいシステムを、
生み出すことが求められているのです。」
すなわち地球の自然環境の面からも、南の国から
資本主義の自由な経済活動への規制への叫びを求める声が
上がっているのです。
有限なるモノの世界(物的領域)では
無限に求める人間性は、他者(人間と自然)の
搾取(exploit利用)を生みます。
無限に求める資本主義システムは
人類に多数の飢餓を生み、母なる大地に異変をもたらしています。
(4)
私たちはこの文明から脱出する方途を探らなくてはなりません。
人間は無限に渇望してゆく本性をもっています。
その無限に渇望するエネルギーを物的領域ではない方向に
方向転換させてゆく必要があります。
それはモノ⇒シヰ⇒タマの方向の文明を築くことです。
それはバランスあるモノ(物的肉体的領域)の上に
バランスあるシヰ(知的文化的心理的領域)がのっている
という形の階段状であって
すべての人間の衣食住教育医療という生活必需品が
保障されて、
社会的合意を超えてたくさん蓄積する人がでないように
法的制約がかけられます。
モノが不足する人は、日々モノを念願せざるをえず
シヰ⇒タマの方向に人間性を発達させることができません。
(「衣食足りて礼節を知る」とかあるように
まず物的領域での安心した暮らしと適度な労働です。
しかし、「ヒトはパンのみにて生きるにあらず」です。
人間の無限の願望をモノの領域でなく
シヰ(知的文化的)の方向に導くように社会が組織されます。
しかし、シヰ(知的文化的)に人々を導いても十分ではありません。
なぜなら、知的文化的な発達をとげた国々の方が
心理的病が多い現実がそれを教えています。
さらにタマの領域の探求に人々を導く必要があります。
古来「汝自身を知れ」と言われてきたように
自分がタマ=アメミヲヤであることを知ることです。
それは障子の穴からの太陽の輝きがその人の人生で輝く
もっとも幸福な道にほかなりません。
(5)
これをフトマニ哲学では「アメナルミチ」と言います。
自分もカミであり、64億人類が全員カミであり
一つの普遍意識であり、一つの太陽の輝きであり
その輝きが自分なのだという自覚をもつことです。
すべての人類がカミにふさわしい扱いを受けて
この世を終る必要があります。
人間の体はモノです。
人間の心はシヰです。
不完全な様々な汚れた行いや考えをもった存在です。
人間のタマは、アメミヲヤ(普遍意識)であり
完全なる存在です。
タマとシヰの接合面をタマノヲといいます。
汚れた行いや物的貪欲な生き方をしていたら
完全なるタマの性質と不完全なるシヰとの
接合面のずれがひどくなり
タマノヲが苦しみます。
物的貪欲の生き方をススクラのミチといいます。
物的貪欲から解放され、クリーンな心と体をもって生きることを
ススカのミチと言います。
今日の資本主義文明は、ほとんどの人々に
ススクラのミチを歩ませ、タマノヲをひどく汚し
心の内奥に隠れた苦悩を持ちながらの人生を送らせます。
資本主義物質文明を超えるススカのミチの生き方とは
モノ(物的肉体)領域とシヰ(知的心理的領域)で
クリーンな生き方をします。
そのクリーンな生き方によって
タマが全面的に輝く人生となります。
そしてそういう人々が増えて
現在のススクラのミチ中心の文明から
ススカのミチを生きる人々が新しいタイプの
人類文明を担ってゆきます。
(6)
結論的にもう一度言いますと
「物的領域」では、
今日の富裕層は「収縮」した生活をしてもらうように
法的な規制がかかります。
そして労働者の労働条件などの保護が強まります。
そして大衆の暮らしと労働は安定します。
そして際限なく生産を拡張する資本主義経済のリーダー層の願望は、
人々への搾取の強化につながるので
物的領域の拡張へと向かわないように
知的文化的領域への願望へと導きます。
しかし、その領域でも
人間の心の傲慢さなどが表面化したりします。
さらに自分自身がタマであり、
障子の穴からの無限の太陽の光(一者)自体である
ことに気づくタマの探求へと導きます。
だから新しい人類文明は、誰もが自分がカミであり
すべての人間がカミとして尊重されなくてはならないことを
知っている文明です。
社会のリーダー層は、ススカのミチを生きる人々になります。
無限なる輝きを探求することで、
人間の本性である際限のない探究心が満足させられます。
モノ(物的肉体)領域とシヰ(知的心理的領域)を
クリーンにしますから
タマの障子の穴から
アメミヲヤなる普遍的意識の輝きが
人格全体ににじみ出す人生になります。
資本主義を超えた新しい人類文明では
輝きをました人々が増え
本当の意味で豊かな社会になります。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)View of this hutomani civilization is truth.
Gods of star realize new hutomani civilization which revive essence of hutomani civilization that Mitsuki make clear here on global scale.
この論文は、日本の古代フトマニ文明の哲学を今日に復活させ資本主義を超えたフトマニ文明の復活を論じています。
このフトマニ文明の見方は真実です。
神々はここでミツキが解明したフトマニ文明の本質を地球規模で復活させた新しいフトマニ文明を実現します。
(1)
人間の心理の特質は「拡張」を求めるところにあります。
人間の心は際限なく限りなくinfinitiveに「拡張」を求めます。
「収縮」の言葉を領域の限定なく聞くと
人間の潜在意識に反発を生むだろうと思います。
その理由は、人間の心理的本性が縮小ではなく拡張を欲するから
「収縮」という語は、人間が自己を否定されたように
感じると私は見ています。
ライオンは必要なだけ食べるために殺します。
人間は、必要なだけでなくは、楽しむために動物をレジャーとして
殺戮したりします。
明らかに食べるため以上であり、その貪欲は終るところがありません。
人間は必要量だけでは満足しないのです。
際限なく幸せ、楽しさを求めるのは
人間の本性が、無限に際限なく求めるところにあります。
(2)
なぜでしょう。
太古のフトマニ哲学を再現したワンネス哲学で説明したいと思います。
人間存在は、モノ+シヰ+タマです。
すなわち物的肉体的領域+知的心理的領域+タマです。
タマとは、障子の穴からさしているアメミヲヤなる太陽の光です。
アメミヲヤとは無限の意識です。
人間の心を成立させる基底部分の「意識」とはタマであり、
アメミヲヤなる太陽の光(無限の意識)です。
したがって、人間の本質は無限性から成り立っており
絶えず、無限に拡張しようという衝動からなっています。
「これで満足した。ここで終りにしよう」ということはありません。
次々と次の対象を求めて、心の流れは終るところを知りません。
これは資本主義生産と同じです。
人間の無限に求める心を物的領域に表現したものが
資本主義生産であり、
そのリーダーは、他の人間の仲間を自分の無限の渇望を満たすための
「資源」として利用(exploit)してゆきます。
(これは中小企業で経済苦境の中でがんばっておられる経営者のことを 言っているのではありません)
(3)
モノの世界(物的領域)は有限の世界です。
競争原理で勝ち続けなくてはならない資本主義システムは
一部の勝者に有限の世界の富が集中し
他方の一般大衆に不安定な生活と労働を強いてゆきます。
人間を人材(資源)と見て企業のために雇ってやっているという
指導層の搾取的意識によって、劣悪な状態におかれる人々がでてきます。
したがって、資本主義経済はルールによって
その経済活動の自由を規制される必要があります。
規制のためには反搾取の意識をもって連帯した民衆勢力と
その支持基盤の上にたつ政治家によって資本主義の経済活動を
規制する法律をつくることが必要です。
モノの世界は、大地とその自然を含みます。
ボリビアのコチャバンバ宣言は次のように言います。
「母なる大地は傷つき、人類の未来は危機に瀕しています。
人類は大きな選択を迫られています。
資本主義の道を続け、略奪と死を選ぶのか、
自然との調和と命の尊重という道へ踏み出すのか。
人間と自然との間の調和、
人々の間での調和を再び成り立たせる新しいシステムを、
生み出すことが求められているのです。」
すなわち地球の自然環境の面からも、南の国から
資本主義の自由な経済活動への規制への叫びを求める声が
上がっているのです。
有限なるモノの世界(物的領域)では
無限に求める人間性は、他者(人間と自然)の
搾取(exploit利用)を生みます。
無限に求める資本主義システムは
人類に多数の飢餓を生み、母なる大地に異変をもたらしています。
(4)
私たちはこの文明から脱出する方途を探らなくてはなりません。
人間は無限に渇望してゆく本性をもっています。
その無限に渇望するエネルギーを物的領域ではない方向に
方向転換させてゆく必要があります。
それはモノ⇒シヰ⇒タマの方向の文明を築くことです。
それはバランスあるモノ(物的肉体的領域)の上に
バランスあるシヰ(知的文化的心理的領域)がのっている
という形の階段状であって
すべての人間の衣食住教育医療という生活必需品が
保障されて、
社会的合意を超えてたくさん蓄積する人がでないように
法的制約がかけられます。
モノが不足する人は、日々モノを念願せざるをえず
シヰ⇒タマの方向に人間性を発達させることができません。
(「衣食足りて礼節を知る」とかあるように
まず物的領域での安心した暮らしと適度な労働です。
しかし、「ヒトはパンのみにて生きるにあらず」です。
人間の無限の願望をモノの領域でなく
シヰ(知的文化的)の方向に導くように社会が組織されます。
しかし、シヰ(知的文化的)に人々を導いても十分ではありません。
なぜなら、知的文化的な発達をとげた国々の方が
心理的病が多い現実がそれを教えています。
さらにタマの領域の探求に人々を導く必要があります。
古来「汝自身を知れ」と言われてきたように
自分がタマ=アメミヲヤであることを知ることです。
それは障子の穴からの太陽の輝きがその人の人生で輝く
もっとも幸福な道にほかなりません。
(5)
これをフトマニ哲学では「アメナルミチ」と言います。
自分もカミであり、64億人類が全員カミであり
一つの普遍意識であり、一つの太陽の輝きであり
その輝きが自分なのだという自覚をもつことです。
すべての人類がカミにふさわしい扱いを受けて
この世を終る必要があります。
人間の体はモノです。
人間の心はシヰです。
不完全な様々な汚れた行いや考えをもった存在です。
人間のタマは、アメミヲヤ(普遍意識)であり
完全なる存在です。
タマとシヰの接合面をタマノヲといいます。
汚れた行いや物的貪欲な生き方をしていたら
完全なるタマの性質と不完全なるシヰとの
接合面のずれがひどくなり
タマノヲが苦しみます。
物的貪欲の生き方をススクラのミチといいます。
物的貪欲から解放され、クリーンな心と体をもって生きることを
ススカのミチと言います。
今日の資本主義文明は、ほとんどの人々に
ススクラのミチを歩ませ、タマノヲをひどく汚し
心の内奥に隠れた苦悩を持ちながらの人生を送らせます。
資本主義物質文明を超えるススカのミチの生き方とは
モノ(物的肉体)領域とシヰ(知的心理的領域)で
クリーンな生き方をします。
そのクリーンな生き方によって
タマが全面的に輝く人生となります。
そしてそういう人々が増えて
現在のススクラのミチ中心の文明から
ススカのミチを生きる人々が新しいタイプの
人類文明を担ってゆきます。
(6)
結論的にもう一度言いますと
「物的領域」では、
今日の富裕層は「収縮」した生活をしてもらうように
法的な規制がかかります。
そして労働者の労働条件などの保護が強まります。
そして大衆の暮らしと労働は安定します。
そして際限なく生産を拡張する資本主義経済のリーダー層の願望は、
人々への搾取の強化につながるので
物的領域の拡張へと向かわないように
知的文化的領域への願望へと導きます。
しかし、その領域でも
人間の心の傲慢さなどが表面化したりします。
さらに自分自身がタマであり、
障子の穴からの無限の太陽の光(一者)自体である
ことに気づくタマの探求へと導きます。
だから新しい人類文明は、誰もが自分がカミであり
すべての人間がカミとして尊重されなくてはならないことを
知っている文明です。
社会のリーダー層は、ススカのミチを生きる人々になります。
無限なる輝きを探求することで、
人間の本性である際限のない探究心が満足させられます。
モノ(物的肉体)領域とシヰ(知的心理的領域)を
クリーンにしますから
タマの障子の穴から
アメミヲヤなる普遍的意識の輝きが
人格全体ににじみ出す人生になります。
資本主義を超えた新しい人類文明では
輝きをました人々が増え
本当の意味で豊かな社会になります。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods