Japan's growing communist movement - 26 Sept 08  (video inspired by god of star)



彼は高いレベルのスピリチュアリストであったために20世紀の社会主義国がマルクスの社会主義ではないことに気づいていました
He noticed that socialist countries of 20th century were not socialism of Marx because He had high level of spirituality

This article argues that Kenji Mityamoto who was one of the Japanese Communist Party leader was Spiritualist.
He noticed that socialist countries of 20th century were not socialism of Marx because He had high level of spirituality.

この論文は、日本共産党のリーダーの一人が亡くなったときにその人がスピリチュアリストであったことを述べています。
彼は高いレベルのスピリチュアリストであったために20世紀の社会主義国がマルクスの社会主義ではないことに気づいていました。



宮本顕治逝去のニュースが流れました。

いろんな方がおられ、とりわけ、
共産党の外だけでなく、内部からも宮本顕治を悪く言う人はけっこういたですから
このフォーラムの中にも嫌いな方もたくさんおられると思います。
たぶん、悪口の方がたくさんでるとは思います。

サーカーのスピリチュアリティを学んでみて、
こう感じている人間もいるということで
宮本氏が亡くなられた今日、一言述べさせていただきます。

私は「12年の手紙」筑摩書房、「日本革命の展望」新日本新書、
「赤旗」でたまに彼の文章を読んだことがある程度なのですが
私の印象では、彼の文章は「マルクス主義者」の文章の範疇を超えているように思えます。
「12年の手紙」をぱらっとみるだけで「マルクス主義者」の文章ではないことがよくわかります。
つまり、マルクスをドグマ化することからは解放されていて、
それを超えることができた人物だったと思います。

(1)
私がすごいと思ったのは、大韓航空機事件の時に
キムヒョンヒが犯人かどうか分からないと書かれた「赤旗」の社説を
すぐに書き換えさせて、キムヒョンヒ犯人説に書き換えさせたと聞いたことです。
それをもって非民主的だと友人が批判していましたが
私はどっちかわからない説だったので
私は宮本顕治の高い直観力におどろきました。

(2)
日教組の労働運動の中で、宮本顕治が
「教師は聖職者としての側面がある」と論じたことが話題になった時期がありました。
この本当の意味は、「聖なるものを認めない唯物論者」には理解できないと思います。

「12年の手紙」をぱらっとみると「俗物的生き方」の批判がありますが、
宮本には俗と聖すなわち「ウィルバーの意識の深度」の視点、
すなわち生き方にはレベルの高い生き方もあるし、低い生き方もあるという
存在レベルの低さと高さの問題意識があり
自分は存在レベルを高く生きるのだという気概があったと思います。
だから、教育というものに、より高い存在レベルへ至らしめるという「聖職」としての役割があることを適切に述べたのだと思います。

(3)
宗教は、共産主義社会(つまり将来の無階級の理想社会)になった段階においても、無くならないというコメントを読んだことがあります。
人間の生死や病とか社会矛盾以外の苦悩は存続するからだというようなことを述べていました。
宗教の見方は、彼がスピリチュアリストに近い位置にいたことを暗示しています。

創価学会の池田大作と松本清張の世話で毎日新聞で対談した記事が載り、創価学会と協定を結びました。
その時の対談の中でも言葉は違うけれども、スピリチュアルな価値は肯定しているように思いました。

(4)
彼は、宮本日共修正主義集団と罵倒されながら、中国共産党、ソ連共産党と闘いつづけました。
ソ連覇権主義と闘うために、ソ連の言うことを聞かなかったル-マニアの独裁者チャウシェスクと結ぼうとしたのは、彼の失敗だったと思います。
しかし、当時の最大の害悪であったソ連をいかに包囲するかを考えていた論点から、
インドのチャンドラ・ボースがイギリス帝国主義と闘うために日本軍国主義と手を結ぼうとしたのと同じで、
許せる範囲だと思います。
そして、ソ連が崩壊した時にソ連崩壊を歓迎する声明を出しました。
世界の共産党の中でソ連崩壊はいいことだと自信をもってとなえたのは宮本顕治だけだったのではないでしょうか。

(5)
「宮本日共修正主義」などと名指しで、罵詈雑言を受けながら、
俗的な生き方でなく、ゆらぐことなく信念をもって高いレベルの生き方をしようとした宮本顕治氏の逝去にあたって、
私は、敬意をもってその人生をたたえたいと思います。
どの党派の人であっても、重要なのは人間としての存在レベル、生き方の高さではないでしょうか。

(7)
サーカーの言葉です。
レーニンたちをあげて、
「彼らはその歩みのあらゆる段階で理由なく反対され、口汚く罵られました」とあります。
私は、宮本氏が、宮本修正主義だとマルクス主義者たちから非難され、
あるいは独裁者だと様々なところから悪罵をかけられた宮本氏に
サーカーと同じ言葉を捧げたいと思います。

「今日、モラルある指導者として私たちの前に現われた人々の中で有力な慣習や迷信に対して抵抗した人々、
たとえばレーニンやジョージ・バーナード・ショー、マナヴェンドラ・ローイ(Manavendra Roy)は、非難され、
嘘の宣伝の犠牲となっています。
彼らはその歩みのあらゆる段階で理由なく反対され、口汚く罵られました。
彼らの唯一の罪は、ヴィプラの搾取機構に打撃を加えなかったことでした」(The Vipra Age)

(8)
マルクスについてのサーカーのコメントです。
「搾取から人々を救おうとする意図をもってカール・マルクスが唱えた理論は、
ヴァイシャと多くの程度の低いヴィプラによって迫害されました。
マルクス主義者の教義は、ヴィプラに社会的働き手としての余地を与えますが、
ヴィプラが社会的寄生者となる余地はないからです」(The Vipra Age)

 「ある搾取者のグループは、宗教に関するマルクスの意見に大声で反対します。
しかしマルクスは精神性(スピリチュアリティ)、道徳性、適切な振る舞いに反対しなかったことを覚えておくべきです。
彼の発言は、彼の時代の宗教に向けられたものでした。
宗教が人々を心理的に麻痺させ、罪人のグループに身を任せるように説得することで人々を無力化することに気づき、理解していたからです」(The Vipra Age)

(9)
サーカーは理想をもって信念ある生き方を選択しなさいと言います。
「献身の理想(イデオロギー)から知性の輝きが切り離されたままであることはできません。
イデオロギーに執着しない知性は、その輝きを長くは維持できないからです。
輝きは利己主義の暗がりの中に失われていきます」(The Vipra Age)

イデオロギーというのはここではアイデアル(理想)オロジーで、自分の心の中にドグマでなく理想をもつという意味で、イデオロギーという用語をサーカーは用います。
普通にイデオロギーとして批判的に用いる場合は、サーカーはドグマとイズムという言葉で批判します。

「政治的圧迫や迫害者からの暴力の脅しに屈せずに、
自分たちの信念や宗教を保持しようとしてきた人々、
そのために生命を失った人やその用意のある人々は、
知的に発達していようがいまいが、
心の性質から見るとヴィプラと見なされるべきです。
特定の教義の強制的に押し付けに対して抵抗や抗議の願望を持つ人々もまたヴィプラと見なされるべきです。
これらの教義には宗教の教義が含まれるだけでなく、
社会的、経済的、政治的教義も含まれます」(The Vipra Age)

ただ、ここでいう信念とは、思い込みの信念(ドグマ)のことではありません。
「12年の手紙」を見ても、その後の人生をみても、宮本氏は思い込みのドグマから解放されていたと思います。
常に自分の限界(ドグマ化)を打ち破り、
私たちはより高い存在レベルをめざすべきだと
私は考えます。

(このコスモスは多様であり、たまたま私が生きているスタンスからは そう見えたとうことで、ご了解願います。
そして、私自身は、政治は必要であるが、政治だけでは社会はよくならず
3・3統合アプローチで述べましたように
多様なアプローチが協力しあうことが必要だと考えています)

付記
宮本顕治逝去について、政界の談話を見ると、社交辞令以上のコメントがしてあったのは
社民党の福島瑞穂党首と自民党の中曽根康弘元首相でした。

福島社民党党首
「・・・戦前は治安維持法、日本の軍事国家化に反対し、戦後は共産党の立役者として頑張ってきた人だ」
中曽根元首相
「・・・かなりよく準備された質問で、論理的に攻めてきた。敵ながらあっぱれだと感じていた」

福島社民党党首のコメントは、めざすものの共通性から社交儀礼を超えたものになっていることは理解できます。

中曽根氏のナショナリストとしての側面や国労解体の攻撃を支持するわけではありませんが、
テレビで、彼は、半眼の瞑想をしながら、国労解体攻撃の作戦を練ったと語っているのをみたことがあります。

瞑想してスピリチュアルな直観力を生かし、労働者攻撃に活用したわけです。
(サーカーの進歩的社会主義(プラウト)はその反対の立場から、すなわち、一般大衆に真に貢献できるように直感力を高めるために瞑想などのスピリチュアル・プラクティスを勧めます。)

宮本顕治の獄中12年は、彼のスピリチュアル・プラクティスの実践となり、彼の直観力を高めたのではなかろうかと思うのです。
中曽根氏が社交辞令以上のコメントをしたのは、スピリチュアルな点で相通じるものがあったのではなかろうかと思うのです。

私は、平和と民主主義をめざす勢力が、スピリチュアル・プラクティスを行い、個人としての存在レベルを向上させ、パワーを強めることを期待しています。
このことは新しい人類文明へとつながると考えています。




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