Humanistic Approach (video inspired by god of star)



人間の努力で人間を完全に解放することができる時代がやってきました
Age has come that human can release completely by human effort

This article is that force is three kinds which are physical level, intellectual level and spirit level.
We project of Heaven and gods erased negative gods who are force to down spirit level of human.
Age has come that human can release completely by human effort.

この論文は、強制力には物的レベル、知的レベル、スピリットレベルがある、です。
人間をスピリットレベルで低下させる強制力であったネガティブ神を天と神々のプロジェクトが消去しました。
人間の努力で人間を完全に解放することができる時代がやってきました。



1)
東京での企画が成功されたようですね。
異なる知の潮流の方が同席して現状打開の方向をさぐっている姿自体の中に未来の方向を見いだします。

いつものパターンで、サーカーが、知識人(ヴィプラ)の弱点について触れている文章を紹介させていただきます。

それは「知識人は、数多くのグループ、亜グループに分裂し、他のグループの見解に寛容であることができない」という弱点をもちがちだという指摘です。
わたしたちが、その弱点を克服して進んでいるということです。

「ヴィプラは、たいていは威張り散らす初老の叔父さんのようにふるまいます。・・
その結果、ヴィプラ社会は、それぞれが異なる見解をもった数多くのグループや亜グループに分裂します。
誰も他のものに寛容であることできません。
そしておのおのグループが、他のものの考えを論駁するのに忙しくしています。
これらの内部の衝突は、ある程度、社会の知的進歩の原因になってきました。
しかし、彼らは、心の雅量(度量、広さ)の発達にはまったく寄与しませんでした」
(The Vipra Age2)

2)
ようだいさん、コメントありがとうございました。
ようだいさんは、集団的な心理の雰囲気の中で、少数の人の思いが表現しにくくなる危惧をもっておられます。
私もそれを共有するものです。

たぶん、それを「暴力」として広い概念でくくられておられるのだろうと思います。

昔の日本は、いったん多数の人が「天皇、国体」意識に流れると、それとは別の意識をもった人が「非国民」として排除されました。

今日の「日の丸・君が代」の押しつけも「・・・教育」の押しつけも、どちらも、行政と結びつき、現場の多様性(相違)を尊重する雰囲気を破壊しました。

どちらも行政権力と民間運動が結びついたものでした。

私は、どのような立場の運動が、力を得て、権力をとっても、行政と結びつくとそのような危険性があるのではないかと思っています。

その意味で「多様性(difference=相違)を前提とした統一」のこのフォーラムにおけるような社会のあり方を日本に登場させることはとても大切だと感じています。

3)
そこで本題です。
まず、「暴力」の定義です。

Force(力、強制力)の一部分としてviolence(暴力)があります。

そして強制力forceには、物的レベル、心理的レベル、スピリットのレベルがあります。
(スピリットのレベルはややこしくなるので話から省略します)

物的レベルの強制力force

つまり、警察が、法にもとづいて泥棒や強盗を逮捕するのは強制力Forceです。強盗がピストルで脅すのもforceです。

1970年にチリにアジェンデ大統領の統一戦線政府が選挙で成立しました。アメリカ企業の銅山を国有化したり、大地主制の解体にとりくみました。
ところが、1973年にアメリカにバックアップされた軍人ピノチェトが武装蜂起し、大統領をはじめ沢山の人を殺害して、軍事独裁政府をつくりました。

「サンチアゴに雨が降る」という映画がそれを描いたものでした。
アジェンデたちは、屈することなく、銃をもって、ピノチェトたちの暴力に抵抗かしました。

どちらもForce です。
物的なレベルのforceとforceが衝突したものでした。

「可能なかぎりぎりぎりまで、説得しなくてはなりません」
しかし、それでもピノチェトたちは、平然と大量虐殺を行う粗野な心の持ち主で、ようだいさんのような細やかな感情をもっていない人々でした。

この世の人間存在は多様であり、平然と人殺しができる人もわずかだが、存在すること、そして、普通の人も訓練しだいで平然と人殺しができる人間にすることができることを忘れてはならないと思います。
だから、どんな時代になっても警察のforceは、必要だし、・・・と考えます。

心理的レベルの強制力force

次に心理的波動による強制力forceです。

ガンジーの非暴力不服従によって、幅広い共感を勝ち取り、インドを支配するイギリス軍に心理的な集合的圧力をかける戦略でした。

前回、論じましたように、ガンジーの非暴力も、塩の行進などに有名なように数百万の人々を非暴力の抵抗運動に駆り立てることによって、インドを支配するイギリス人に心理的な圧力をかけて、インドからイギリスの撤退をもとめる戦略でした。

サーカーは、この心理的な圧力もforce(強制力)ですよと言うのです。
しかし、相手がヒトラーやピノチェトの場合、あるいは、インドのアムリッツァー虐殺の時のダイヤー将軍のような粗大な心の人物だったら、非暴力の訴え、すなわち心理的圧力による強制力forceは届かず、あなたが抵抗のために動員した大衆は虐殺され、結果として無責任なことになりますよ。

と、こういうとだと思います。

すなわち、「心理的波動によって圧力をかけること」は、ようだいさんのおっしゃるようにforceです。

私は、現在の局面において、集合的パワーをアップして、日本を戦争の道、経済的な二極分解の道においやっている勢力に対して「集合的な心理的波動による圧力force」をパワーアップすることが必要だと考えています。

3)
私たちのユニヴァーサル・ジャパンの会にEM菌によって、道頓堀などの水浄化などにとりくんでおられる人がいます。

彼の話によると
「善玉菌、悪玉菌、日和見菌」というのがあります。
1割の善玉菌
1割の悪玉菌
に対して8割が日和見菌です。

ちょっとだけ、悪玉菌を増やすとバランスがくずれて、いっきに日和見菌が悪玉菌になります。
ちょっとだけ、effective micro菌?(善玉)を加えて増やすと
バランスがくずれて、いっきに日和見菌が善玉菌になります」

今、財ある勢力が4億円を「新しい教科書つくる会」を支援したり、あるいは、靖国勢力などにも莫大な資金援助をしているでしょう。

それによって、この悪玉菌が強化されて、バランスがくずれて、日和見菌がいっきに小泉派の方に流れているように見えます。

インターネットなどで見ると、日本社会の中で無数に善玉菌があるのを見いだします。
この善玉菌を「多様性のもとに統一」して、善玉菌をパワーアップするのです。
(それが私のイメージする「地域社会フォーラム準備実行委員会」の任務です)

バランスがくずれて、8割をしめる日和見菌は、いっきに善玉菌になる可能性があります。

多様な善玉菌があるけれども、多様な善玉菌は、「多様な菌のままで一つ」になってパワーアップしよう。
これが、わたしのイメージです。

しかし、現在の実体は、悪玉菌のパワーアップにより、社会全体が、お互いを蹴落とすようなことを是とする日和見菌の悪玉菌化現象に見舞われているように思えます。

しかし、ホリエモン逮捕後に、もりあがってきていた金権崇拝が多少覚めてきたかなとも思えます。

(なお、厳密に言うと、悪玉菌も善玉菌も、本当は一つなのです。光と闇も、本当は一つなのです。
そして圧倒的多数の人は、悪玉菌の人生を送りたいとは、本当には願っていないと思います)




H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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