Light of the world - Hillsong Kids (with Lyrics/Subtitles) (Best Worship Song) (video inspired by god of star)



この哲学を身につけて生きるとき宇宙根底の神に近づきます
When living learning this philosophy, you close to god in base of universe

This article writes significance of social forum movement from view of dialectic.
Dialectic is truth of base of universe and philosophy of true gods in base of universe.
When living learning this philosophy, you close to god in base of universe.

この論文は、弁証法的世界観から社会フォーラム運動の意義を述べています。
弁証法は宇宙根底の真理であり、宇宙根底の真の神々の哲学です。
この哲学を身につけて生きるとき宇宙根底の神に近づきます。



1) マザー・テレサから学ぶ

レオニードさんに議論の相手になっていただいたことで、いろいろインスピレーションが湧きました。ありがとうございました。

たとえば、
マザー・テレサを宗教のよき例としてだしたのですが、マザー・テレサは、すべての宗教グループのもっている悪い点(宗派主義)を超えたスタンスに立っていました。
路上で死んでゆく人々を面倒みながら、自分のカトリックの葬儀方法ではなく、その人の希望を聞いて、ヒンズー教徒、イスラム教徒などなどその人の宗派の葬儀方法で弔いました。

私たちが、(多様な立場の人々の学習と交流に任務とする)このフォーラムにおいて、このマザー・テレサの「愛」のスピリットを現世的に適用するならば、すなわち、互いにその人の信じる党派やグループや思想的立場をまず尊重するということになります。
その上で、その人と見解の違いがあれば、ぶつけることで、その人の視野が広がり、その人の人生を豊かなものになる援助となります。
愛は、相手の本質にそってその人を発達させることだとは、よく言われます。
この「愛」のスタンスは、私たちのフォーラム発展のインスピレーションになると思うのです。

そして、このフォーラムがもっともっと大きくなり、共産党員、社民党員、緑の党員、新社会党員、民主党員、公明党員、自民党員が、参加されたとします。
党と関係なしに自由に議論する中で、今の日本と世界のありようをともに深め、活動情報の交流をします。
その中で、認識を深めたそれぞれの党員が、それぞれの党派の中で活躍し、党派の中で影響力をましたとします。
そして指導部についたとします。
その時、日本の政治情勢は一変するでしょう。
尊皇倒幕の下級武士が薩摩と長州で政権を握って、それらが結びついたように、
過去の対立のしがらみを超えて、新しい時代をもたすために協力する時代が来るでしょう。

いや、別に党派に属さない多様な諸グループも同じことで、視野を広げ、自分の活動領域と違う、より幅広い情報を知ることで、自分たちの活動の目標をより幅広いネットワークの中で実現できるようになります。

2) マルクス、エンゲスの弁証法の世界観の意義

レオニードさんの提起で、マルクスの思想のよい点を考えることで、あらためて、ヘーゲル弁証法をひきついだ意義を見直しました。

「この弁証法哲学は、一定の認識段階と社会の段階とが、それぞれの時代と実情に対しては正当なものだと認める」
けれども
「究極的な絶対的真理や、それに対応する人類の絶対的状態という考えをすべて解体させてしまう。
この哲学のまえには、なんらの究極的なもの、絶対的なものは存在しない。
それは、ありとあらゆるものについて、それらが消滅するものであることあきらかにし、生成と消滅の不断の過程、低いものから高いものへのかぎりない上昇の不断の過程のほかには、なにも存在しない」
エンゲルス『フォイエルバッハ論』

実は、私は、はじめて弁証法の考えを知った若いころから、今日まで、この考えはずっと正しいと思ってきました。
それは、P.R.サーカー、そして表現は違いますが、ケン・ウィルバーの最近の著書の考えでもあります。

「アフター・キャピタリズム」の中で、社会サイクルの弁証法を説明した箇所を後ろに貼り付けておきます。(参考資料1)

3) サーカーの社会サイクル論と社会フォーラム運動の意義

前に、サーカーの社会サイクル論を紹介したことがあります。

それは、社会サイクルを、たとえば、⇒江戸時代の約260年間⇒1869~1945の77年間⇒1945~20??の??年間というものでした。

サーカーはメンタリティから人間を四つに分類します。
武、知、財、大衆です。
そのうち、リーダーとなり、社会を動かすのは、武、知、財です。
学級会のリーダーを考えてみましょう。
学級では、けんかが強くスポーツができる武のタイプか、頭の優秀なタイプが学級委員長になります。そして学級では目だたなくても、社会にでて、あいつ社長になって経営に成功しているタイプがいます。

新しいサイクルがはじまり、新しいシステムを固める時は、武がリーダーシップをにぎり、知と財を配下に大衆を支配します。
体制が安定すると知が武の子孫をたてつつ、リーダーシップを握ります。
そのうち、蓄財に長けた商人が背後で、お金の力で、武と知をあやつるようになります。
そして一方に少数者に富が集中し、多数の生活が悪化します。
武と知も大衆の生活レベルに転落するものがでてきます。
大衆の生活レベルにおちた武と知は、財の支配に矛盾を感じ、周囲の大衆を率いて財の支配を倒そうとするようになります。
そして大衆反乱revoltの時代がやってきます。
しかし、大衆反乱にみえるけれども実際には、知と武のメンタリティのものが大衆をひきいているのです。

したがって、革命成功のかぎは、大衆の苦境を救おうというマインドの知と武を「多様性のもとに統一」し、幅広い大衆に影響力を与えることです。


(「金で買えるアメリカ民主主義」によると、ベネズエラで反チャベスのデモが20万人がアメリカで報道された時、チャベス支持派の50万人のデモは放送されなかったそうです。
そして50万人の反チャベスのデモが報道された時、80万人のチャベス支持のデモは報道されなかったそうです。
着ているものからはっきりと英語を話す富裕者たちが反チャベスであり、スペイン語の貧しい層がチャベス支持派のデモで歴然とわかったそうです)

サーカーによれば、最終的には、富裕者の側に奉仕する武と知と大衆に対して、大衆の生活向上の側につく武と知と大衆に二極分解してゆくといいます。

その一方の極が人数において圧倒的多数ですから、マスコミのコントロールを乗り越える時、必ず勝利することになります。

大衆の苦境に味方する武と知のマインドのものの集まりが「世界社会フォーラム」や「地域社会フォーラム」「市民社会フォーラム」だと考えます。
このフォーラムは永久的に存在しづけて、オピニオン・リーダーとして大衆の苦境を救う役割を発揮しつづけます。

4) 現在、人類史の大サイクルの一回転が終わりに近づいている

さて、アフター・キャピタリズムには、次のように書かれています。
(サイクルというのは正確にはスパイラル(らせん)です)

「それぞれのスパイラルの内部にも、ある時期の生成、発展、消滅を表し、次の時期の生成、発展、消滅へと導く弁証法的運動があります」
この前の色平先生の紹介された「もう一つの海洋大循環」の中には、巨大な海洋の循環の中に海流の循環があるとありました。
海流の中には渦もあれば、波もあります。
音波のグラフにも大きな波の中に中くらいの波、小さい波があります。

サーカーによれば、実は、人類史規模の大きなスパイラルが存在するのです。
大きな社会サイクルは次のようになります。
原始=シュードラ支配、古代=クシャトリア支配、中世=ヴィプラ時代、近現代=ヴァイシャ時代⇒これから=シュードラ革命⇒クシャトリア支配⇒・・・と永久にらせん的に繰り返します。

そして、サーカーの弟子の「アフター・キャピタリズム」の中の記述では、今日、人類史は、ヴァイシャ時代の末期、シュードラ革命期を迎えようとしている、ロシア革命のようなことが、人類的規模で生じつつあると次のように述べています。

「ロシアではじまった共産主義革命は、社会サイクルのこの段階を示しています。すなわち、シュードラ革命によるヴァイシャの支配が終わり、新しいクシャトリア支配の社会をもたらしました。
世界全体が、このプロセスを再現する運命にあります。その中で、(大文字の)社会サイクルSocial Cycleの第二のスパイラルに入ります」(後ろに参考資料2として、もう少し長い引用をつけます)

すなわち、今日、人類は第一のスパイラルを終わり、第二のスパイラルに入る時期を迎えているのです。
たとえば、ベネズエラ革命はそれを示しています。

5)世界社会フォーラム運動の意義

「アフター・キャピタリズム」には、
人類史の第二のスパイラルを実現する高貴な仕事にあなた方はすぐにとりかかりなさいというサーカーの次のメッセージが紹介されています。

「人類はいまだによく統合された普遍的な人間社会を作ることができていません。
これは、決して人間の知性、学識の栄誉を示すものではありません。
あなた方は、人々の苦境と切迫性を理解し、悪のむき出しのダンスを見、分裂勢力の偽善的で騒々しい笑いを聞いてきました。
もう、遅れることなく、この高貴な仕事に全力を投入すべきです」P.R.サルカール

そして、地球規模のビジョンをもって、「アフター・キャピタリズム」の著者は、次のように、世界社会フォーラムへ結集して、ともにこの事業をおこなおうではないかとよびかけています。

「社会を変えることは困難なことです。
人類だけでなくこの惑星自体にも全体的な変容transformationを引き起こしてゆくことを、サーカーは中心軸革命nuclear revolutionと呼びましたが、多大な努力を必要とします。
しかし、すばらしいことが努力と闘争によって成し遂げられています。
2001年、スイスのダヴォスで開催された富裕な国々の「世界経済フォーラム」に反対して、
それと同じ時期に、第一回目の「世界社会フォーラム」が、ブラジルのポルト・アレグレPorto Alegre で組織されました。
ほぼ千のNGOを代表する二万人の人々が、そのフォーラムに参加しました。
2002年の第二回目の「世界社会フォーラム」には、三倍以上の人が参加しました。
131の国々から186の異なる言語を話し、5000の様々な組織を代表する6万人以上の参加者がありました。
このフォーラムの力は、共有された夢です。
すなわちすべての人にとって公正なもうひとつの世界を建設することは可能だという夢です。」

この世界社会フォーラムの様子は、市民社会フォーラムに参加されている藤岡先生のhttp://homepage3.nifty.com/civilsocietyforum/page140.html
に描かれています。

今年は、たしかアフリカとベネズエラの二カ所にわけて実施され、それぞれ7万人が集まったそうです。

世界社会フォーラムと同じ原理で進んでいるこの市民社会フォーラムも急速に輪を広げているように感じます。
この社会フォーラム運動が、世界と日本の明日のサイクルへ前進させる震源地となってゆきます。

5) 歴史は永久にスパイラルを続ける

ヨハン・ガルツングが「アフター・キャピタリズム」の中で、サーカーの永久的にサイクル(スパイラル)する史観を支持して、「歴史に終わりはない」と次のように書いています。

「非西洋人は循環的に見る傾向があります。
西洋人だけが、線形に、そして終止状態への約束としてものごとを考えます。
終止状態を差し迫ったものとして考えることもあります。
これは西洋人を危険なものにもしました。
なぜなら、すぐ間近に最終状態があるという考えをもつ人が出てくるからです。
そこからユートピアの伝統が生まれました。
その結果がスターリンやヒトラーであり、彼らは20世紀において最終状態をめぐって闘いました。
勝利者は、グローバル市場と自由で公平な選挙をもって「歴史の終わり」だと主張する人たちになりました。
しかし、それが幻想であることはすぐに判明しました」

アメリカの大学で「グローバル市場と自由で公平な選挙をもって「歴史の終わり」」だという考えを教えられたデヴィッド・コーテンという学者は、アジア諸国の開発につくしました。

ところが、そのグローバル自由市場が人々を悲惨な状態に陥らせていることに気づきます。
そして、資本主義を乗り越える決意をします。
そしてグローバル経済が人間の役に立つという「幻想」の暴露から始めます。

※「グローバル経済という怪物・・・人間不在の世界から市民社会の復権へ」シュプリンガー東京
マルクスの系譜とまったく別のところからでてきたあらたな資本主義批判です。

ヨハン・ガルツングは、ハワイ大学の大学院のテキスト「Macrohistory and Mactohistorians」 の中で、20人のすぐれたマクロ歴史家をあげ、その中にサーカーをいれています。
すなわち、アウグスチヌス、イブン・ハルドーン、ツウンビー、マルクス、スペンサー、マックス・ウェーバー、グラムシなどの中の一人として、P.R.サーカーの社会サイクル論を紹介しています。

私も、マルクス、サーカー、ケン・ウィルバーなどと同じく、歴史に終わりはなく、サイクルはラセン的に永久に続くと考えています。

以上です。
長くなりまして、失礼しました。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。
以下は、付録ですので、また暇なときに、関心があれば、ご覧ください。


参考資料1
サーカーの弟子の「アフター・キャピタリズム」の中での、社会サイクル弁証法の説明

現実には、社会サイクルは、常にスムーズに前に進みません。
むしろ、拡張、停止、収縮をともなって進みます。
激しい社会運動の時期の後に、相対的に休止の時期が続きます。

新しい思想(アイデア)が、社会を変革する運動を鼓舞する時、それは、「アンチ・テーゼ」(反定立)と呼ばれます。
それはダイナミズムと強さを発現させ、「はっきり現れた運動manifestive motion」を生み出します。
最終的に、その運動が成功して、現在の社会構造を根本的に変革し、新しい統合(シンセシス)に至ります。
これは「はっきり現れた休止 manifestive pause」と呼ばれます。
この休止は社会運動の頂点であり、その活力が最大の時期です。
この統合の強さは、統合に根拠を与えた思想(アイデア)の強さに依存しています。

しかし、結局は、新しい秩序も低下し、収縮contractします。
支配的階級が他の階級を抑圧し、搾取するからです。
社会は最終的に活力やダイナミズムをほとんどもたない停滞stagnationの状態に低下します。
それは、「systolic pause」と呼ばれます。
この段階では、人々の苦しみが増大していくゆえに、新しいインスピレーションや思想(アイデア)が現れます。
現在の停滞した(stagnantよどんだ)秩序に反対する新しい「アンチ・テーゼ」です。

このように、社会サイクルのあらゆる時代が、建設的なformativeダイナミックな段階で始まります。
その中で社会構造に新しい活力が吹き込まれます。
そして社会は活力あるsustained頂点を達成し、その後に低下と不活性が続きます。
それは、たいてい、激しい搾取(利用)を伴います。
そして、社会サイクルの次の段階を支配するヴァルナからsystolic pauseの段階へのアンチ・テーゼが出現します。


参考資料2、
ヴァイシャ支配の特徴と人類史的シュードラ革命へ

政治の支配も、真の権力を握る「カーテンの後ろ(黒幕)」の資本家によってなされます。
すべての資本主義社会は、今、この状態にあります。
これは、政治指導者が、選挙運動の資金調達のため「大金」に依存するからです。
立憲民主主義は、商業時代(ヴァイシャ時代)の肯定的発展ですが、それ実行されている今日は、主に金融的強者が国民経済をコントロールするための道具になっています。

今日、資本主義者の時代は衰退しつつあります。
資本主義者の経済競争は、企業が継続的な成長を遂げ、利益を高めてゆくことを強制します。
その結果、失業者が増え、働く人々の購買力が減少します。
自然環境は、利益に対する飽くなき貪欲によって破壊されつつあります。
貨幣は富裕者のともに蓄積、蓄蔵され、経済の中を循環する貨幣が少なくなっています。
知者(ヴィプラ)と武勇(クシャトリア)の人々は、シュードラの経済状態に陥っています。

プラウトの社会サイクル理論によれば、増大する搾取と結果として生ずる市場の破綻のために、大衆は、これらの不満をもった知者と武勇(disgruntled intellectuals,warriors)に導かれて、最終的に立ち上がって、経済と政治の権力を自分たちの手にします。
これが、商人時代(ヴァイシャ)時代の終わりと新しいシュードラ時代の開始です。

厳密に言えば、シュードラ社会は、ヴァイシャの秩序の転覆による目覚めの中に登場します。
このシュードラ時代は(本質的にアナーキイですが)、革命におけるクシャトリアのリーダー(ksattriya-dominated leadership)が、権力を固めるまでしか続きません。

ロシアではじまった共産主義革命は、社会サイクルのこの段階を示しています。
すなわち、シュードラ革命によるヴァイシャの支配が終わり、新しいクシャトリア支配の社会をもたらしました。
世界全体が、このプロセスを再現する運命にあります。
その中で、(大文字の)社会サイクルSocial Cycleの第二のスパイラルに入ります」
(アフター・キャピタリズムから)




H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

このページの先頭へ