Part 3. Planet Earth. The unique laboratory of Spirit's Transformation (video inspired by god of star)



4心は人間の物的身体の基底の生体マトリクスに重なる私意識の思念体です
Mind is ectoplasm of I consciousness which overlaps on bio-matrix of base of human physical body

This article is that physical body, mind, spirit have relation for health.
Toxin for physical body is dirty to mind and spirit.
This argument of Mitsuki was close to truth about human that is unity of conflict between physical body of presence and I consciousness of non-presence.
Mind is ectoplasm of I consciousness which overlaps on bio-matrix of base of human physical body.
Human being is composed of three layers of physical body, I conscious and mind.
It is needed in order to improve health to pursue in unified three-layer.

この論文は、健康について物的身体、心、スピリットは関連している、です。
物的身体に有毒なものは心とスピリットまで汚している。
ミツキのこの議論は、人間は顕在の物的身体と非顕在の私意識の対立の統一であるという真理に近づいています。
心は人間の物的身体の基底の生体マトリクスに重なる私意識の思念体です。
人間は私意識、心、物的身体の三層から成り立っているのです。
健康の向上のためにはこの三層の統一的な追求が必要なのです。



サルカールの用語には、人間の価値を論じる時に、「カーディナル・ヒューマン=基本的な人間」の存在価値と、評価価値が出てきます。
すべての人間は、今、活躍している一国の指導者も今動けなくなって亡くなろうしている老人も、同一の基本的な人間的存在価値があると言います。
しかし、評価価値(訳語の検討が必要ですが)については、その人の働きによる社会への貢献度をあらわしますから、その人の有能さによって違いがあると言います。

ネオ・ヒューマニズムにまで発達した精神から言いますと、「大は恐竜から小はアリさんまで同じ「生命の価値」があります。
さらにスピリチュアルに発達した精神から言うと、大は太陽から小は、砂粒に至るまで同じ存在価値があります。
人間を中心にした時には、太陽と砂粒の価値は異なりますが、コスモスの中心点から顕現した世界を見る時、すべては尊い存在価値があります。

ケン・ウィルバーの「ホロン階層」の考えから言いますと、訳語を忘れましたが、やはり二つの価値があります。
一つは「深さ」とかかわる価値です。
一つは「存在」を支える価値です。
ホロン階層を大きくみてみます。
物質圏⇒生物圏⇒人間(言葉)圏⇒  です。
「深さ」の価値は、物質圏より生物圏が、生物圏より人間圏があります。
「深い」レベルに達したものほど少数です。

しかし、物質圏のバランスの上に生物圏が、生物圏のバランスの上に人間圏が存在しています。
物質圏が、中村先生の言葉では「土壌のミネラルバランス」が崩れると、その上に立つ生物圏、人間圏は悪影響を受けます。
「深さ」の価値は、物質圏や生命圏が人間圏よりも低次にありますが、「存在」価値は、いずれも同じようにあります。

私たちは、「全存在するもの、全生命、全人類を尊重する精神」を養う必要があります。
これはサルカールの言うネオ・ヒューマニズムの精神であり、ケン・ウィルバーは、こうした論理で事実上、同じ言葉を語っています。

とりあえず、「存在価値」だけ、論じさせてもらいました。


「健康的で文化的な最低限度の生活」という用語に
「健康とは、身体的精神的社会的そして霊的にバランスがとれた良好な状態に至るまでの動的過程を言い、単に病気でないとか災害を被っていないというだけのことではない」とコメントされています。
これについて、市民社会フォーラムに投稿するつもりで私の考えをコメントさせていただきます。

1)
私もこの「健康」のとらえ方に賛成です。
(実は、8年くらい前に中村クリニックで漢方処方を一年間していただくなかで、クリニックの本棚にある本を読んで、私の視界が拡大したもので、それまでの私には、健康と病気の二元論の見方しかありませんでした)

2)
物的身体的領域、心(知的心理的)領域、スピリットの領域として、個人をとらえ、その各レベルのバランス、さらに社会的という用語を入れて、その個人をとりまく人間関係、社会関係のバランス、それぞれのレベルのバランスとれていることを健康な状態とされています。
私もまったくそのとおりだと思います。
この三領域は密接に関連しているように思えます。

3)
健康ということについてこのような積極的な見方は大切だと思います。
私は、喉の扁桃腺が弱く、すぐに腫れていたので、医者にいって抗生物質の薬をもらってなおして翌日の仕事にそなえていました。 そのうち、抗生物質ですから、腸内の「善玉菌」も殺すのでしょう。
よく下痢になりました。
そして内科で腹薬をもらいました。
そうこうしているうちにとてもこのままでは動けないというまでになり、普通の医者にいったらたいへんなことになる気がして、保険のきく漢方と看板があったので、中村クリニックにゆきました。
「未病でしょうか」ときくと、先生は「病気です。木、金、土、水のうち、土すなわち体液が汚れているのです」と言われ、その後、一年間の漢方薬でよくなりました。
そして「肉は毒ですよ」と言われ、野菜などからミネラルを摂取することの大切さ、食事や運動の大切さを知りました。
中村クリニックをおとずれる時の私は、ただ単に「しんどい」という身体の状態でしたが、身体的なバランスはくずれて,健康ではなかったのです。

4)
心理的領域においても、当時、頭が疲れた時など、「自己嫌悪」感情が吹きでていました。
その嫌な感情が、中村先生から勧められたアメリカの古代の樹木の化石からとりだしたミネラル摂取で偶然に低下しました。
「自己肯定感」の育成がよく言われますが、子どもたちのミネラル摂取のアンバランスの問題の背景にあると思いました。
(心の内側と外側からのアプローチに共感するのはそういう体験をもっているからです)

5)
スピリットの領域においても、過去に犯した失敗などが「自己嫌悪」感情として当時吹き出していましたが、ミネラル摂取に加えて、朝晩、短時間、ヨーガと瞑想をする中ですっかり消えてゆきました。

6)
以上のことから、体験的にも私は人間をトータルに見る時、身体、心、スピリットの三層で見ることを支持するようになりました。
したがって、中村先生がおっしゃるように「健康」という状態とは何かについて積極な意味内容を押し出す必要があると思います。
体調をこわさず、可能なかぎり健康保険の世話にならないようにするにはどうしたらいいかを追求する必要があります。

7)
しかしながら、アスベストの被害で明確なように、私たちの周囲は、病気に導くものに満ちています。
農薬に汚染されている輸入野菜、洗剤などの経皮毒なども言われます。
こうしたことへの社会的取り組みの前進のためにも、中村先生のおっしゃるような健康観が必要とされていると思います。
肉体の汚染は同時に心とスピリットまでも汚染します。
その三つは別々に存在せず、ひとつのものとして存在するからです。

8)
個人の健康への努力は大切で、前提としなくてはなりません。
そのためこのような健康観が広がる必要があると思っていますが、しかし、個人的努力には限界があります。
健康保険制度が維持され、金持ちはよい医療を受けることができるというようなシステムへ進み、医療を受ける貧富の格差が拡大することは防ぐべきだと思います。
したがって、この市民社会フォーラムの若者たちが、「色平先生」を呼んで話を聞くとりくみを私は支持しています。

9)
「サーカーの思想1」の「進歩的活用理論」では、衣食住、教育、医療、基本的に生活に必要ものは、それぞれの地域で自給できるシステムをめざします。
その視点では、医療の自給は、薬草栽培や民間療法も含めたものになるだろうと思います。 





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