ヤンキー母校に帰る Yankee Bokou ni Kaeru Episode 04 (video inspired by god of star)



低い段階にある人は高い段階の心理が理解できません
Person who is in low stage of holon cannot understand mind higher development of holon

This article argues that human development to go up to higher-order stage takes form of holon development.
Form of holon development means that upper stage includes previous factors.
Person who is in low stage of holon cannot understand mind higher development of holon.

この論文は、人間の発達はホロン的発達の形をとる。
ホロン的発達とは前の段階を含んで高次の段階に進みます。
低い段階にある人は高い段階の心理が理解できません。



(1)
「ヤンキー先生」こと義家弘介氏が、なんと参議院選挙で自民党から立候補するという報道が流れました。
私は、ヤンキー先生の教育への情熱を支持していたので、政治の世界に出るということを聞いて残念でした。
政治の世界は、椅子とりゲームであり、謙虚の美徳というスピリチュアリティを低下させざるえないところです。
そして自分は偉いという有名になって傲慢になる自己肥大化をいかに縮小させるかが、氏のさらなるスピリュアリティの発達のために必要なことですが、政治の場はそれにふさわしくないと思うのです。
ヤンキー先生が現在の社会で多くの人々から評価された根拠はどこにあるのか見ておく必要があります。


(2)
人間の発達段階は、大まかに分けて、①自己中心思考→②社会中心思考→③世界中心思考(普遍思考)→・・・・と発展してゆきます。
言い換えたら、①前慣習道徳段階→②慣習道徳段階→③後慣習道徳段階→④後後慣習道徳段階・・です。
(詳しくは、http://auwa.sakura.ne.jp/wakusei1/11universe/stageofmoralitywhole.html
に説明しています。)

(3)
前慣習道徳段階の①人々とは、かつて不良少年であった義家氏、あるいは彼が教育にとりくんだ社会ルールを無視する生徒たちです。
電車の中で平気で化粧したりする少女たち、成人式に反社会的な振る舞いをする青年たちです。自己中心的な子どもたちは、いじめなどにも走り、前慣習段階①の青少年は、社会問題になっています。
私たち圧倒的多数は、②の慣習道徳段階と③の後慣習道徳段階にあります。
そのような②と③の人々は、①の前慣習道徳段階の人々を何とかして欲しいという人々の願いがあります。
国家主義思想の人々がその願いを上手に利用しています。
安部自民党がヤンキー先生を参議院選挙候補者に取り込んだのはその流れにあると見ています。

(3)
社会の圧倒的多数の人々は、②の社会中心思考です。
自分が恩恵を受けて所属しているグループの利益を中心に考える思考です。
段階②の人々は、段階①からすると成長し、自分のグループ内の他の人の痛みは理解できます。
とてもその社会に忠実な良い人です。
ところが問題点もあります。
その段階②の人が会社に帰属意識をもてば、会社が牛肉と称して、豚肉や鶏肉を入れて、会社以外の人を偽っても、会社にそむきません。
その思考の段階の人が、自分の主な帰属意識を国家にもった場合は、他の国家の人々の心の痛みとかは後景になり、自分の国中心に考えます。
安部政権の従軍慰安婦は日本軍の強制ではないという発言、沖縄の集団自決が日本軍が命じたという書き方を教科書から削除させたこと、これらは、安部首相の意識が②の社会中心思考の人間の中で、自分の帰属意識が自分の国家にある自国中心思考であることを意味しています。
これは、②の段階の人々の問題点です。
この自国中心思考の意識は、「国旗、国歌」の教育行政による押しつけを推進してゆきます。
社会中心思考の②の慣習道徳段階にある人々は、「国旗、国歌」の強制に反対する人々の意識も、①の自己中心思考のレベルと同列に見えてしまうのです。

(4)
世界中心思考③、すなわち普遍的な思考レベルに達した人間は、アジアの女性を従軍慰安婦にしたことも、沖縄戦で、住民を自決に追い込んだのも、当時の日本軍の関与なしにありえなかったことは明らかに思えます。
普遍的な目で歴史に学び、歴史を国家主義のドグマで汚すことの方を後世の人々に禍根を残すと考えます。
「国旗」「国歌」を教育の場で日本全国の学校に画一的に強制するあり方に疑問を感じ、多様な人間のあり方を認めない②の意識レベルの人々の方が不道徳だと考えます。
(ちなみに女王のいるイギリスの学校では、「国歌」を学校教育に持ち込んでいないそうです。
③の意識レベルの人が教育行政にかかわっているのでしょうか)

後慣習道徳段階③の人々の弱点は、自分が③の意識レベルに発達したのは、①、②を経由したことを忘れがちのことです。
発達はタマネギの皮のようになっており、①の段階なくして、②はなく、②の段階なくして、③の段階はないことです。
したがって、①に段階の人々を②に引き上げるアプローチについて、③の意識レベルからのよりすぐれたアプローチを示してゆく必要があり、かつ、②から③へのアプローチのあり方の検討が必要です。
(ここでは、すくなくも、③のレベルの人々が②の段階の人々に共感的アプローチしつつ、③に高めてゆく必要があるということだけ指摘しておきたいと思います。
政府の座にある人々ではなく、一般の②の人々で国家中心思考のドグマにある人を③のレベルに高めてゆくためです)

(5)
ヤンキー先生は、①のレベルの人間を②の段階に高めたいという教育的情熱をもった人間でした。
そこにヤンキー先生が社会から期待され、受け入れられる根拠がありました。
その情熱で多くの生徒を①から②に成長させてきたと思います。
しかし、ヤンキー先生のレベルは、②の社会中心思考段階にとどまっていました。
「国旗、国歌」の教育行政による押しつけを肯定するコメントを新聞で読みました。
彼には、「国旗、国歌」の強制に反対する③の意識レベルの人は、社会的ルールを破る①の子どもたちを②に成長させる上で妨害になると見えるのです。
今回、国家中心思考の安部政権の申し出に応えて、参議院選挙に立候補するというニュースを見て、ヤンキー先生の社会中心思考が、安部政権の国家中心思考と波長を共にしていることがわかり、きわめて残念に思いました。
なせなら、②の社会中心思考にあるヤンキー先生の意識レベルは、
③の道徳段階にある平和と民主主義、格差是正を押し進めて、教育環境をよくしてゆくという総合的なアプローチの人々を抑圧する立場に立ってしまうからです。
自己中心思考の①の人間の道徳意識が、②と③の段階の人々の道徳意識を理解できないのと同様に、②の段階の道徳意識は、③の道徳意識レベルが理解できないので、悪気なく抑圧する方向に動いてしまいます。
イラク戦争反対の人々を写真までとって調査しても、まったく悪びれていないのは、その人々が、②の道徳意識レベルにあるから、普遍的な人類意識に立って、日本がイラクの罪なき人々の殺害に手を貸すことは許せないという人びとの道徳意識にあるからです。
ヤンキー先生には教育者であってほしく、政治家にはなってほしくなかったですが
ヤンキー先生が、政治の舞台で、②の立場から、③の人びとを抑圧することに加担しないように願うばかりです。




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