Martin Luther King "I have a dream" with Subtitles (video inspired by god of star)



もしキング牧師が日本の部落解放運動を指導したとしたら部落内外の垣根をつくらない全国部落解放連合会が採用した方針の道を進んでいた
if Martin Luther King led way of Japanese buraku liberation movement, he went on way of buraku kaihou rengoukai which adopted policy to fusion inside and outside of buraku

This article is that if Martin Luther King led way of Japanese buraku liberation movement, he went on way of buraku kaihou rengoukai which adopted policy to fusion inside and outside of buraku.
This idea of Mitsuki is view of gods of star.

この論文は、もしキング牧師が日本の部落解放運動を指導したとしたら部落内外の垣根をつくらない全国部落解放連合会が採用した方針の道を進んでいた、です。
ミツキのこの考えは、星の神々の観点です。



序)

次の問題提起について考えでみたいと思います。
1)「部落民以外は、全員、部落民を差別している」という考えかたを、一概に正しい、あるいは誤っていると言えるのか。
2)「(差別されている存在としての)部落民としての自覚を高める教育」を、一概に正しい、あるいは誤っていると言えるのか。
3)「部落差別かどうかの判定権は部落民のみにある」という考えかたを、一概に正しい、あるいは誤っていると言えるのか。
これについて
キング牧師の「私には夢がある」の有名なスピーチで考えてみたいと思います。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/2431/mlk.html

2)
キング牧師は
1)「黒人以外は、全員、黒人を差別している」と考えたでしょうか。
2)「(差別されている存在としての)黒人としての自覚を高める教育」を進めようとしたでしょうか。
3)「黒人差別かどうかの判定権は黒人のみにある」という考えかたをしたでしょうか。

「私には夢がある」というスピーチをみてみましょう。

(イ)
「私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が」

このスピーチから考えて、もし、キング牧師が部落解放運動の指導者だったら、部落の地域だけ分離する「解放子供会」をつくったでしょうか。
それとも部落内外の子どもたちをいっしょにして仲良く融合させる「地域コミュニティ」のための子供会をつくるでしょうか。
後者ではないでしょうか。
後者の方針をとなえていたのは、国民融合論をとなえていた全国部落解放連合会でした。
解放同盟が攻撃していました。
(私がクラス担任した保護者の家庭が全国部落解放連合会に所属していました)

(ロ)
「アラバマ州にさえ、将来いつか、幼い黒人の子ども達が幼い白人の子ども達と手に手を取って兄弟姉妹となり得る日が来る夢が」

このスピーチから考えて、もし、キング牧師が部落解放運動の指導者だったら、
「部落民としての自覚を高める教育をしようとしたでしょうか」
それとも、部落内外を意識させず、まず共通の人間としての自覚を高める教育を追求したでしょうか。
部落内外の子どもに手に手をとってあそばせるためには、分離せず、同じように扱い、融合させる教育を追求したと私は思います。
部落外の子どもの生活で、部落の子より劣悪な悲惨な環境の子はいくらでもいました。
ですが、部落の子だけには学用品など物品がふんだんに与えられていました。
キング牧師なら、生活の困窮度に応じて部落内外の子を援助しようとしたのではないでしょうか。

(ハ)「私達が自由を鳴り響かせば、すべての村、すべての集落から、すべての州、すべての町から、自由の鐘を鳴らせば、すべての神の民が、黒人も白人も、・・・、すべての人々が手に手を取ってあの古い黒人霊歌を共に歌える日がより早くやって来るのだ。」

このスピーチから考えて「差別かどうかの判定権は黒人のみにある」というような論をとなえたでしょうか。
キング牧師にとって、白人も黒人も、すべての人が神の民でした。
どうして、黒人だけが差別の判定権をもつと考えるでしょうか。


補足
キング牧師はキリスト教の牧師ですから、次の「マタイによる福音書」のスピリチュアルな感情を身につけていたと思います。
小森劉邦氏の自分の属する社会中心思考「私4」のレベルの部落内外に垣根をつくる理論を遠く「含んで超えて」、深いレベルの「私7、8、9」のレベルまで心を拡張していたと思います。

5:43 「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞いた。
5:44 だが,あなた方に告げるが,敵を愛し,のろう者を祝福し,虐待し迫害する者たちのために祈りなさい。
5:45 あなた方が,天におられるあなた方の父の子供となるためだ。
その方は,悪い者の上にも善い者の上にもご自分の太陽を昇らせ,正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからだ。
5:46 自分を愛してくれる者たちを愛したからといって,あなた方に何の報いがあるだろうか。徴税人たちも同じことをしているではないか。
5:47 自分の友人たちだけにあいさつしたからといって,あなた方は何の優れたことをしているのか。
徴税人たちも同じことをしているではないか。
5:48 だから,あなた方の天の父が完全であられるように,あなた方も完全でありなさい

※ ここで「天の父が完全であられるように、あなた方も「完全」をめざしなさいというのは、
「私1」「私2」「私3」の自己中心思考、「私4」の社会中心思考、「私5」の世界中心思考を乗り越えて、「私7、8、9」まで至り、「私10」の「非二元」のレベルまで至りなさいということだと私は解釈します。
「私1」~「私10」とは、ウィルバーの心の発達論を要約したhttp://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shinrigaku/watashitokokoronohattatsu.html の中で説明しています。

「非二元」とはウィルバーの言葉です。
この天地万物のすべての一体化した状態、仏教で言えば、梵我一如の状態です。
それは、すなわち全宇宙が「私」のあらわれであり、存在のすべてが差別なく自分の愛の枠内に入った状態です。

マタイによる福音書のこの箇所では、「敵」、「のろうもの」、「虐待するもの」に対する愛をといています。
自分を愛してくれるものを愛したとて、そんなことは誰でもできると言っています。

無限にまで拡張した愛の心ではいっさいの差別が消えます。
「その方は,悪い者の上にも善い者の上にもご自分の太陽を昇らせ,正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからだ」と無差別の愛の心を説きます。
そして、イエスはこの中で、まさしく、人々に、「その方」になりなさいと説いています。
あなたの心を「敵をも愛する無限の愛」まで拡張しなさいと説くのです。

(「私4」の段階の人々は、この「汝の敵を愛せよ」を鼻で笑います。
キリスト教を信仰しているかどうかではなく
、その人の心がどこまで発達しているのかが問題です。
キリスト教を信仰しているブッシュ氏は、「私4」の段階の人だから、「汝の敵を愛せよ」はお題目としてしか理解できないでしょう)

インドの聖者サーカーは、こういう心をもって、搾取なき世界をめざして、階級闘争をしなさい。闘争をつづけなさいといいます。
イエス・キリストもブッダも、礼拝の対象ではなく、あなたが、その無限にまで拡張した愛の心をもつ存在になりなさいという位置づけです。
その上でマルクスのように、搾取なき社会をめざして闘いなさいというのです。
サーカーが説いた資本主義的搾取を乗り越えたその具体的ビジョンが進歩的社会主義(プラウト)です。









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