RANA FARHAN - VOICES (video inspired by god of star)



イスラム原理主義成立の背景と世界と日本
Article of this Mitsuki is analysis of true Marxism

A イスラム原理主義の成立の背景、土壌

(1)

イスラム原理主義も、宗派主義も、ナショナリズムも、どういう集団をベースとして生じるかは違いがありますが
共通しているのは、自分の所属する集団中心思考の人々のうち
知的に優秀なイデオローグが、
自分の所属する集団への忠誠を高める教義(ドグマ)をつくり、
人々の頭に注入して対立をつくりだすことです。

(私は、国家や教義などの形あるものではなく、
形無きものに個人の追求する至高の価値を設定する必要があると考えています。)

(2)
イスラム原理主義といわれているものの勃興の背景に
1979年のイラン・イスラム革命があります。
イランのシーア派教徒がおこした革命ですが、
スンニ派の地域にも大きな影響を与えたと思います。
イスラム原理主義を考えるにあたってこのことは重要です。

1951年に登場したイランのモサディク政権は、
イギリスが支配していたイランの石油国有化をめざします。
最初はアメリカも支持していましたが、
1953年にアメリカのCIAは貧民にお金をまいて暴動をおこさせ、
1953年にモサディク政権を倒させ、
イタリアに亡命していたパーレビー国王を支配の座につけます。
そしてイギリスが支配していたイランの石油をアメリカ系石油会社が握ることになります。
以後、アメリカは、イランから石油を得ながら、兵器を売りつけ、イラン国王政府をペルシャ湾の憲兵にします。

アメリカの指導下で国王は、1963年から白色革命とよばれる農地改革を中心とした改革をやらせます。
(中国革命のような農民革命の展開を阻止したい意図がありました)
改革によって農村で生きてゆけなくなった貧しい農民がテヘランなどの大都市にでてきます。

アメリカとその手先の国王のイラン国民の独裁的支配いう構図が出来上がります。
「アメリカ打倒、パーレビー国王打倒、自由で民主主義のイランを」という
革命運動が巨大な規模で盛り上がります。
そして革命後は、ホメイニー派の復古的な原理主義勢力が権力を握ったことは承知のとおりです。

(3)
しかし、ここまで紹介したのは、イスラム原理主義なるものの勃興は、
アメリカの石油支配というアメリカ中心主義(帝国主義)への反作用であることです。
原理主義が、アメリカ型支配への反作用であるがゆえに、
原理主義の鎮静化のためには、反作用の原因である中東におけるアメリカ型支配をやめさせなくてはなりません。

アメリカは、自分の石油支配を守るために、
イラクのクウェート進出や過激派のテロを口実に、
アメリカ軍を出動させました。
そしてアメリカは国際貢献として同盟国の日本が
血も流さずに中東の石油の恩恵になっているのだから
9条をかえて兵士を戦争に出せよという構図になっていると思います。

昨日のNHKの討論番組で、9条をかえようという人の発言を聞いていて、
「日本も経済大国なんだから、
外国にもっている権益を責任も自分で守らないといけない」という趣旨の意見がありました。
これは、明確に帝国主義者としての考えで、それを平気で述べているので
背筋が寒くなりました。
それは、まさしく戦争(争い)への危険な道です。

昨日、NHKの討論番組で一橋大学の渡辺教授が述べていましたが、
「アメリカの新自由主義経済政策で
中東の人々の生活や文化が低下させられていることを背景に
イスラム原理主義の過激派がでてきているのである。
それを軍事的にアメリカといっしょにやっつけようとしていうよりも
そうしたテロに走る土壌をなくすということが大切なのであって
武力に頼らない平和的アプローチがありうる」
という趣旨を 述べていました。
そのとおりだと思いました。

アメリカ型支配への反作用として登場してきている原理主義テロの鎮静化は、
アメリカ型軍事経済支配を世界からやめさせてゆくしかありません。
日本が9条を維持しながらそれを追求することは、世界から支持される道だと思います。

(4)
少し専門的になりますが、
なぜ、イラン革命の中で、ホメイニーの率いる原理主義派が登場し、勝利したのでしょうか。
イラン革命は、原理主義的なホメイニー派だけでなく
知識人に支持されたシャリアティの民主的革命派、
イスラム的自由主義派、
左翼勢力としてイスラム型左翼モジャッヘディン・ハルク、独立共産主義フェダヤーネ・ハルク、親ソ連のツーデ党などがありました。

これらの諸勢力の大団結のもとにイラン革命は勝利します。
ホメイニーはその団結の象徴的存在で、革命中は、自由やすべての党派を尊重するようなことを言っていましたが
彼の基本的な思想は「ホクマーテ・イスラム(イスラム共和国)」「ベラーヤテ・ファギー(イスラム法学者の統治」でした。

もう一人のイスラム教にもとづく革命家のアリー・シャリアティは、
聖職者統治に反対していました。

なぜ、民主主義派が勝利できずに、原理主義派が勝利したのかについては
マルクスの考える「意識と存在の対応関係」があると見ています。

1963年から多くの小作人農民(ライーヤット)が農村を離れ、
都市の下層住民になります。
この部分をイラン全国に散らばるモスクのネットワークで
ホメイニーの支持者の聖職者が生活の援助をしたりして心をつかみます。

イランの小作農民の3分2は私たち日本人がイメージする農家ではありません。
五人家族があるとして
家族の一人にナサク権という耕作に参加する権利を与えられます。
ナサク権をもつものが各家族から畑にでて
地主の手先の指示のもとで、5人組にさせられて、
今日はこの畑、明日はあっちの畑と労働させられます。

少しでも反抗するナサク権を奪われ、貧しい惨めな「ホシュネシーン(よいご身分)」という生活がまっています。
そこには生産における主体性はなく、
自らの頭を使って判断してゆくレッスン
民主主義につながる思考レッスンの場はまったく存在しようがありません。

日本では重い小作料を払うにしても、
同じ場所の土地を家族で安定して耕すことができましたから、
少しでも工夫して、来年はもっと収穫があるようにしようという
思考レッスンが働きました。

江戸時代も家族単位の経営でしたから、
日本で寺子屋のような教育が普及していたのは、
そのような生産における工夫の必要という主体性の必要が
あったからだと思います。

ホメイニー派の教えは、神に直接アクセスする聖職者が統治して、
人々はそれにしたがうべきだという神権原理主義の思考は、
農民の思考に対応するものでした。

自分で考えること、判断することが必要な民主主義派の主張は、
それまで思考レッスンのなかった農民にはとても面倒で
受け入れることのできないものだったと思います。

イランのカスピ海沿岸地方は、日本の農家とそっくりの風景で、日本と同じタイプの小作制だろうとおもいます。
地域によって違いがありますが、
私の調べた記憶ではライーヤット小作農民の3分2はこうした農民です。


(参照
「アブドル・カリーム・ソロウシュとイランにおけるイスラム型民主主義の探求」

砂漠地帯の中東では、このような低い生産力段階に規定されて
自分の頭で判断することを必要とする民主主義思考を
受け入れるには困難な土壌があると考えます。

ブッシュのように武力でフセインを倒せば、
民主主義が実現するというきわめて短絡的などうしようもない発想ではなく、
国内の民主主義派を強化するような平和的で多角的な援助が
必要なのだと思います。
武力は逆効果しか生まないことは明白です。)

このような思考状態の人々に
武力による攻撃で、憎しみを植え付けたことによって
より容易に残忍な方向に走らせるテロリストの養成が
可能になったのだと思います。

おおよそ、近代的な民主主義を理解できない段階にある人々に
武力で民主主義を押しつけようとするのは、
まったくもって危険な世界を生み出すことにほかなりません。

(5)
私は、この自分の相違や工夫が、一定の労働現場で実りをもつ場をもつが大切だと思います。
これは、民主主義を担う人間を生み出すベースを提供します。

ところが、今日、日本での資本主義者たちによる労働法の改悪で成立した 派遣労働という労働形態は、
イランの小作農民に似て、自分の工夫や 相違が、
自らの成果として蓄積してゆく場を失っています。

したがって、長時間他人の指示のもとで考えることなく作業させらるという劣悪な労働環境も加わって
その思考形態は、自立した創意・工夫の主体的な個による連帯という
民主主義的な方向に向かいにくい質をもちます。

それは、日本の民主主義を前進させる上でゆゆしき問題であり、
民主主義の土台を大きく後退させことにほかなりません。
民主主義は、経済的土台の部分からつくってゆかなくてはなりません。
私は、従来の社会変革論は、この点が弱いのではないかと思うので
進歩的社会主義の「民主主義経済」論に共感するわけです。
(民主主義経済宣言http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/91minshushugikeizaisengen.html)

B、国民国家体系を超えてゆこう

(6)
私たちはこのコスモスのすべてを生成・発展・消滅、そしてさらに高次のものへと進む 絶えず変化・運動する仮定とみる必要があります。
私たちが、自明のものとしてみている191の国民国家体系も歴史的に生成し、
発展し、より高次のものにとって変わる歴史的過程にある存在であり、
国民国家も生成、発展、消滅の例外にあるものではありません。

西洋の国民国家体系は、中世のカトリック教の普遍的ヨーロッパ世界が
ルネッサンス、宗教改革などによって崩壊する中から現れました。
それは、国王主権のヨーロッパの国際関係でした。

その絶対主義的な国王主権をフランス革命が典型であるように
国民(民族)が市民革命で打ち破りました。
ここに国民国家の国際関係が生じます。

この国民(ネイション)国家は、勢力均衡のもとに「平和」を維持し、
定期的に均衡が崩れては、その「平和」は瓦解しました。

さらに勢力均衡の下での「平和」は、真の意味で平和ではありませんでした。
たえず国外に植民地、反植民地などをもとめて
かつ、ポーランドなど狭間にある弱小民族や小国家への抑圧をともなっていました。

そして国内においては、産業革命に典型的なように働くものへの搾取と抑圧, そしてマイノリティへの抑圧をはらみながらの歴史展開でした。

(この歴史把握は、前に紹介した巣山靖司『勢力均衡論と世界平和』新日本出版社 1985の視点です。http://nori-formosa227.at.webry.info/200608/article_5.html)

大国間の「勢力均衡」は波のように崩壊しては再構成されを繰り返しています。
第一次大戦、第二次大戦、そして大国の狭間の弱小民族のベトナム、アフガニスタンなどに、自分の勢力圏意識をもったアメリカやソ連が侵略しました。

今日の世界は、またしても「勢力均衡」が崩れ、
アメリカという大国が一極突出して
現在見ているようなイラク侵略が行われています。
その国家権力をもちいて武力を行使している背景に、
富を集中させている「財」の勢力があります。

(7)結論

私たちは、地球惑星を念頭において戦略をたてる時期にきていると思います。
それが定期的に「勢力均衡」の破局の訪れない永続的平和の実現の道です。
その一つは、諸民族を「多様性のもとに統一」する人類社会の形成
もう一つは、それぞれの国の諸地域の人々が自分たちで決定する経済(非集中経済)
そして、企業を労働者が共有する協同組合経営(民主主義経営)ネットワーク社会を実現し、
人々の合意によって経済を運営し、
現在のような一部に富が集中しすぎる形を克服することです。


This article is explanation of historical background which Islamic terrorists occur and way to world without war and terror.
Article of this Mitsuki is analysis of true Marxism.
Project of Heaven and gods recommends to read this article by translating.




H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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