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資本主義と共産主義の批判とサーカー
Economic system managed base on agreement of workers by sharing means of production should be pursued

レオニードさんのコメント
「共産主義への批判は、実際、共産主義の失敗例についての批判であり、同じように、資本主義への批判も、資本主義の失敗例への批判です。しかしこれだけでは、共産主義そのものが悪いとか、資本主義そのものが悪いとか、最終的な結論を出すことはできません」


資本主義と共産主義の理論的批判については、以下のページに原理的に書いています。長いので題目だけ知ってもらうと雰囲気がわかっていただけるかなとおもいます。

http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/theory/prout/shihonshugimondai1.htm

ここまでを、投稿とさせていただきます。

以下は参考資料です。

資本主義と共産主義の批判についてのサーカーの言葉を直接に引用させていだきます。
関心がある方がおられたら目をとおしてみてください。サーカーは、1921年に生まれて1990年に亡くなりました。
1960年代から、進歩的社会主義を説き、インドで100万人近い支持者を得たと言われます。
1971年にインドに戒厳令がしかれ、彼は、まったくの無実の罪で獄中につながれ、78年まで獄中にありました。
彼の革命的思想の影響力がおそれられたと考えられます。
ここで言う中央集権経済としての共産主義批判は、ソ連モデルと考えられます。
彼は、ソ連共産主義と共産主義体制は必ず崩壊すると言っていました。
そして資本主義体制も、必ず滅びてゆくと述べています。
どのように滅びてゆくといっているのか紹介しようとさがしたのですが、でてこなかったので、また今度いつか紹介させていただきます。
私も、このコスモスに展開しているあらゆるものは誕生があり、展開があり、消滅の時期が来ると考えています。したがって、資本主義システムもその例外ではありえないと哲学的に認識しています。


参考資料(1)中央集権経済としての資本主義と共産主義の批判、対案は分権経済

「非集中経済においては、人々は、働くために自分の家を離れなくてはならないことはありません。
したがって、彼らは二つの住居を維持する出費を節約できます。
さらに、地方分権化では、労働力を節約するsaving可能性が増えます。
なぜなら、人々は、一家の責任を引き受けながら 、同時に生活費を稼ぐことができるからです。

このようなあり方は、資本主義の下では不可能です。
資本主義は決して地方分権を支持しないでしょう。
なぜなら、資本主義生産は利益を最大化するためにあるからです。
中央集権化は利益のための産業を意味します。
そして地方分権化は消費のための産業を意味します。
プラウトのアプローチは消費のための生産であり、すべての合理的な人々によって支持されるでしょう。
プラウトのモットーは、「利益のための生産ではなく、消費のための生産」です。

資本家は、最小のコストでの商品の製造と最高の価格での売却を望みます。
商品を安く製造するためには、効率のいい輸送、安い原材料、安い労働力、安いエネルギー、十分な水の供給などがなくてはなりません。
個人資本主義 individual capitalism、集団資本主義group capitalism、国家資本主義など資本主義がどんな形態をとろうとも、資本かは常に中央集権の生産を好むでしょう。
これら資本主義の諸形態は本質的に同一です。数千の工業が、この資本主義的なメンタリィの結果、カルカッタ、ボンベイ、アーメダバードAhmedabad,、デリー、カーンプルKanpur、マドラスなどのまわりに急成長しました。
遠隔地、たとえば、Birbhum 地方の Khairasol, Purulia 地方のPunchaArambagh地方のGoghatand 、 Nadia地方のNakashipara は、無視されてきたました。
彼らは、眠りに入り、真っ暗闇の中で泣いています。
たぶん、これらの場所の名前を聞いたことがある人はごくわずかでしょう。彼らが何ができるでしょうか。
そこに住んでいる人々は極端に貧困です。
彼らは冬用のウールの外套を買うことができません。ましてや高価なウールの衣服が買えないのは言うまでもありません。

インドでは、地域的な不均衡が増大しています。
カルカッタの一人あたりの収入は、他のベンガルの地域よりも20パーセント高いです。
他方、パンジャーブの一人あたりの収入は、Haryana とOrissaよりも高いです。
デリーの人々は、プルリアPurulia (ベンガルの町)地方の村人よりも一層大きな自由と快適さを享受しています。
地域的な不均衡は、健全な社会秩序のためには有害です。プラウトは唯一の万能薬です。他に解決策はありません。

共産主義は国家資本主義です。
だから、共産主義が資本主義の欠陥を免れることができないのです。
国家資本主義は、個人資本主義や集団資本主義のように工業をコントロールします。
国家資本主義は、国家が工業をコントロールすることを意味します。
言い換えれば、国家資本主義においては工業は中央集権的です。
共産主義諸国は、国家資本主義を支持します。それは中央集権的な生産を意味します。
共産主義は、大衆の解放の問題について資本主義とは異なっているように思えますが、資本主義と共産主義は内部では同じです。
同じ種の果実は異なる色をしていますが、その種は同じです。資本主義と共産主義は同じ種の果実なのです。

人間の社会的経済的解放を実現するためには、社会経済的に最高度の非集中が必要不可欠です。
今日、村落レベルでの経済インフラストラクチャーの確立は難しいこととはいえ、私たちがブロックレベルで経済インフラストラクチャーを確立するために乗り越えることのできない障害はありません。
可能なかぎり、あらゆる産業の設立、運営、流通は、ブロックレベルでなされるべきです。
これを実現することができない時にのみ、より広域の範囲のレベルで産業を組織すべきです。
明らかに、製鋼iron and steel 工場は、 村、ブロック、地方では稼働できません。だから、それはより大きな領域で稼働するべきです。

 小規模工業もしくは中規模の協同組合工業の方が都合よく稼働できるいくつかの特別のタイプの基幹産業があります。
もし、ある基幹産業が、このように組織されたとしても、それは国家のコントロールのもとに置かれなくてはなりません。
それらの適切な組織化と普及のための注意が払われるべきです。
そのような基幹産業は、決して資本かによってコントロールされてはなりません。
さもないと、人々の利益が、たとい完全に無視されないにしても、部分的には軽視されることになるでしょう。
さらに、もし、それが資本家の手に残るならば、多くの異なる種類の問題が生ずるでしょう。
通常は、非常に大規模な基幹産業だけが、国家のコントロールのもとにあるべきです。
そしてこれらの産業は、非集中ではなく中央集権であるべきです。
しかし、今日、容易に地方分権化できない産業が、環境の変化によって将来非集中化ができるようになるかもしれません。
その時には、基幹産業の非集中化が実施されなくてはなりません。

産業の中央集権化には他の多くの悪影響もあります。
たとえば、大都市では、人々は新鮮な果物、野菜、牛乳の不足から健康を維持するのが困難です。
不道徳と腐敗がはびこります。窃盗、罪人、麻薬常習者 、飲酒など、反社会的要素が容易に、自らを隠し 、罪のない人々を食い物にします。
栄養不足、空気汚染、水汚染などの問題も存在します。今日すべての大工業の中心地はこれらの問題に苦しんでいます」


参考資料(2) 人間心理の観点からの資本主義と共産主義の批判

「資本主義も共産主義も反人間的です。
これら両方のシステムにおいて、心理的衝動とパブラは、正しく方向づけられるかわりに、有害な物的身体的、心理・身体的、知的心理的な相互作用に巻き込まれ、プラティ・サインチャラPrati-saincaraすなわち心の否定的運動をひきおこします。

資本主義においては、富裕者は、その裕福さの中で、彼らの心理的衝動を誤用し、その心理的パブラを物質的利得の追求に向けます。
そして貧しいものは、ひどい貧困の中で、自分たちの生存のための闘いの中で心理的衝動を間違った方に導き、心理的パブラを反社会的活動に集中させます。
共産主義においては、エリートと党の指導者(新しい階級)が、その心理的衝動を誤用し、心理的パブラを政治的小細工と全体主義的な抑圧に向けます。
共産主義支配のもとで、一般の人々の心理的パブラは、抑圧されて、沈滞します。

どちらの場合も、心理的衝動が、物的身体的physical、心理・身体的psycho-physical、知的心理的psychicな領域における人間の下位のsub-human活動のために誤って活用されます。
これは止めなくてはなりません。」


This article is words of criticism about capitalism and 20th centuries socialism from P.R. Sarkar that god salamnidam downed.
Both are non-democratic economy and top down hierarchy system.
Economic system managed base on agreement of workers by sharing means of production should be pursued.




H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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