World Peace Day (video inspired by god of star)



わたしのイメージする「平和」
argument what peace is in view of four quadrants of Ken Wilber

ようだいさん、「平和」について私のイメージを論じさせていただきます。

ようだいさんの理想、
「<平和的な>社会の状態とは、 <一人一人の個人の意思が尊重される>」 は、大切な考えだと思います。

サーカーの理論では、肉体は宇宙の物質の一部分からできています。
なんと心も宇宙の物質に固まる以前の心の材料をきりとってできています。
したがって、心も肉体も客観的に存在するのです。

相手の肉体を尊重し、傷つけてはいけないように、心も尊重して傷つけてはいけないのです。

そして肉体、すなわち顔や形がすべての人が異なるように、心もすべての人が異なるのです。まったく同じ考えの人は、この世に存在しないのです。

だから、どんなに親しくても、「多様性difference を前提」として友好を発達させなくてはなりません。

サーカーは、多様性はこのコスモスの法則である、なのに、同一性を押しつけ、画一化を押しつける勢力とは闘いなさいと言います。

ある程度の経済格差は、コスモスの多様性の原理と合致しています。
しかし、今日、一部に富が集中し、他方に不安定な生活が強いられている状態は、多様性の領域を超えて、不均等disparityとなっています。
サーカーは、常に不均等disparityと闘いつづけなさいと言います。

すなわち、同一化、画一化を押しつけるものと闘うと同時に不均等を克服し、バランスの回復のために絶えず闘う必要があるのです。

さて、私の「平和」について論を述べたいと思います。

四象限から考えます。(個人の心の内側、外側、集合体の心の内側、外側)

1)個人の心の内側

どんなに社会的に「平和」な時代でも、殺人、強盗事件はありました。
犯人の心の中は、peaceではありません。
被害者の心の中もpeaceではありません。

個人の心の中の平穏の度合いの発達は、どんな時期にも必要です。・・・
私はスピリチュアリティのテーマでこの問題を考えています。
(いつかみなさんにわかりやすく説明してみたいと思います)

心の平穏の度合いをアップするスピリチュアル・プラクティスを私たちの研究会ではやっているわけです。

中国の毛沢東たちは、日本の侵略から中国を解放して、「平和」をもたらしました。
しかし、文化大革命が終わるまで、中国の人民や指導者の心は「平穏」ではありませんでした。

2)個人の心の外側

心の外側とは、物的な肉体や摂取する栄養、運動、行いなど、外側から観察できる世界を言います。

心の内側は、その人と対話しないとわかりませんが、心の外側は観察できます。

どんな「平和」な時代でも、たとえば、四日市ぜんそくや水俣病、アスベスト・・・などに苦しみ、亡くなった人々にとっては、peaceではありません。 心は、痛みの波の中に揺られています。

アメリカの栄養学者シャウスは、「栄養と暴力行動」と本を書いて、私たちが摂取する栄養の中に粗暴な暴力の中に駆り立てるものがあると言います。

3)集合体の心の内側(文化)

今朝のニュースによると、デンマークの新聞に載せたイスラム教の教祖のムハンマドを鉄砲もたせたテロリストと描き、それを英などの新聞が転載したことにイスラム世界の怒りが燃え上がっています。
西洋のマスコミは言論の自由を守ると言っています。
イスラム世界全体、西はモロッコ、ヨーロッパ諸国、東はインドネシアまで、膨大な数の大衆が抗議行動に立ち上がっています。

すべての文化は、私たち人類の文化であり、自分の文化と同じように他の文化も尊重することをサーカーは訴えています。
私たち人類は一つであるが、文化が多様であることが人類文化を豊かにしていると考えます。
そこからはすべての文化への敬意が生まれます。

文部省の学習指導要領が「日本人としての自覚」を育てよと言いますが、
人類が年に2億人も国外移住している今日のグローバリゼーションの中では、
私たちは、「人類64億人の一員としての自覚」を育て、その中の多様性の中の私たちという意識を育成してゆくことが大切だと思います。

サーカーは、他民族をおとしめ、自己の優越性を感じるのは、心理的搾取(利用=exploitation)と言います。
そしてそうした搾取と闘い、新しいネオ・ヒューマニズムにもとづく文化を創造してゆきなさいと言います。
(私は、ようだいさんの繊細な詩は、そうしたあたらしいヒューマニズムの文化の一翼を担うものだと思っています)

私は、エログロ・ビデオなどの中に、女児殺しの犯罪を促進しているものがあると思います。
アメリカ独立宣言でも、日本国憲法でも「生命、自由、および幸福追求の権利」という言葉の順になっています。
他人の生命をあやめるような文化をつくる「自由」があるのだろうか。
そうしたものに一定の規制が必要だと私は思っています。

しかし、サーカーは、心の自由に対する権力的な規制はやめなさいといいます。
むしろ、あなたがたが、大衆をひきつけるだけの新しいネオ・ヒューマニズムの文化をつくりなさいといいます。

集合的心理としての文化も、すべてに敬意を払い、人類社会の「多様性の統一」を推進するような文化を作る必要があります。

これは、イスラエルとパレスチナ、北アイルランド紛争、世界各地で広がる民族紛争を沈潜化させてゆく上で、あるいは、私たちの身近な諸グループを統一する上でも、このことは必要だと思います。

4)集合体の心の外側 (政治、経済、社会)

拡大した経済的不均衡を力で抑えても、一見、世界は「平和」に見えます。
アメリカのブッシュ大統領一味の頭の中は、新自由主義政策で拡大する世界の経済的不均衡は、アメリカの突出した軍事力をみせつけることで、押さえ込めるし、それにもとづく世界平和が可能だと見ているのではないかと推測します。
今日の核兵器の問題、経済、環境、貧困、伝染病、災害・・・様々の問題を考えるに、世界連邦政府をつくり、その中の一員としてアメリカを組み込むしか、本当の平和の道はないのではないかと思っています。


This article is argument what peace is in view of four quadrants of Ken Wilber.
View of Mitsuki for peace is shared by project of Heaven and gods.




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