Sleepsong (lyrics) Secret Garden (video inspired by god of star)
6 ,集合意識がより高次の観念形態に発達することになしに資本主義的生産様式を乗り越えることはできない
you can't get over capitalist mode of production without ideological development of collective consciousness
This article is that you can't get over capitalist mode of production without ideological development of collective consciousness.
This view pointed out by Mituki is important.
Marxism of 20th century was no understanding of this point.
Therefore Marxism of 20th century was not Marxism.
この論文は,集合意識がより高次の観念形態に発達することになしに資本主義的生産様式を乗り越えることはできない,です。
みつきのこの指摘は重要です。
20世紀のマルクス主義はこの点の理解が皆無でした。
したがって20世紀のマルクス主義はマルクス主義ではなかったのです。
(1)
前回の投稿
「マルクスを考える 7 方法としての唯物論と世界観としての唯物論」
http://raaq.jp/universaljapan/2010/03/marx7
の最後に
「今日の支配階級との対抗関係においては
資本主義物質文明に対して
人間の心の高貴さ、
人間存在のありようの深さを
を対置しながら
闘ってゆくべきだと思うのです。」
と書きました。
科学的な研究方法として唯物論の重要性は
支持できますが、
物質が根源で心を物質が生み出したとする
唯物論的世界観は、無意識的に
人間存在に欠くことができない観念形態を
個人においても集合体においても
より高次のものに置き換えてゆく
取り組みを軽視させてゆきます。
(と私は思うのです)
(2)
大雑把に人間の心(観念形態)の発達段階を
その思考の質から
① 自己中心思考,
② 自グループ中心思考、
③ 世界中心思考(合理主義的思考)
④ 多元相対、
⑤ 多元統合
と特徴づけました。
資本主義は、その集合体のリーダーシップが
① と②の自己中心と自グループ中心思考段階に
ある限り、決して乗り越えることはできません。
資本主義生産様式は、
わが社の利益とそこから得る報酬のアップのために
社員の自グループ中心思考を引き出しながら存在します。
そして報酬に差をつけて競争させ
自己中心思考を引き出しながら成り立ちます。
すなわち社会主義者が権力を握ろうが
住民、市民の運動の中で
①②を乗り越えて、
③の世界中心思考、④の多元統合への
たえざる意識発達の運動を生み出さないかぎり
①②段階の人々の意識に適応する
資本主義生産様式は復元力をもちます。
もし、市民、住民の観念形態の系統的な発達に
とりくまないかぎり、
①と②の意識レベルの人々が住民の中で
力をもち、その人々を弾圧せざるをえなくなるでしょう。
(こんど3月21日、22日におおさか社会フォーラムが
開催されますが、私はすべての町や地域で
このような社会フォーラム運動が展開してゆくことが
住民の観念形態を③の世界中心思考以上に高めてゆく
ことに貢献してゆくだろうと思っています)
(3)
観念形態をサーカーはイデオロギーと読んでいます。
したがって、諸個人の観念形態をより高次のものに発達させてゆくことを
イデオロギー闘争と呼びます。
二元論の問いの一方に真理を設定するようなものが
これまでのイデオロギー闘争の理解であったように思います。
それに対して、観念形態をより高次なものにしてゆく取り組みとしての
イデオロギー闘争はとても重要なものであると思います。
人々の観念形態がより高次のもの発達してゆかないかぎり
資本主義を超えることができません。
ですから、唯物論と観念論を統一するマルクスの自然主義の立場なら
資本主義を超える観念形態の論を挿入することが可能です。
⑤の多元統合の観念形態が最高の段階まで達したら
天地万物は
私たちがその一員である
形無き一なる無限のものからできています。
したがって
天地万物も人間のつくったものも
すべては私たち地球人の共有財産です。
たくさんの貨幣をもっている人々の私有物ではなく
強大な軍隊をもっている国の私有物でもありません。
すべては共有財産であり
その財産を人類と生命の福利にために
有効活用できる能力をもった人々に
その管理運営の指揮を選んでゆだねるシステムが
適切です。
人類の観念形態が最高次元まで発達する時
資本主義とネイション国家体系は
ちょうど江戸幕藩体制が消えたように
消滅する運命にあります。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)This view pointed out by Mituki is important.
Marxism of 20th century was no understanding of this point.
Therefore Marxism of 20th century was not Marxism.
この論文は,集合意識がより高次の観念形態に発達することになしに資本主義的生産様式を乗り越えることはできない,です。
みつきのこの指摘は重要です。
20世紀のマルクス主義はこの点の理解が皆無でした。
したがって20世紀のマルクス主義はマルクス主義ではなかったのです。
(1)
前回の投稿
「マルクスを考える 7 方法としての唯物論と世界観としての唯物論」
http://raaq.jp/universaljapan/2010/03/marx7
の最後に
「今日の支配階級との対抗関係においては
資本主義物質文明に対して
人間の心の高貴さ、
人間存在のありようの深さを
を対置しながら
闘ってゆくべきだと思うのです。」
と書きました。
科学的な研究方法として唯物論の重要性は
支持できますが、
物質が根源で心を物質が生み出したとする
唯物論的世界観は、無意識的に
人間存在に欠くことができない観念形態を
個人においても集合体においても
より高次のものに置き換えてゆく
取り組みを軽視させてゆきます。
(と私は思うのです)
(2)
大雑把に人間の心(観念形態)の発達段階を
その思考の質から
① 自己中心思考,
② 自グループ中心思考、
③ 世界中心思考(合理主義的思考)
④ 多元相対、
⑤ 多元統合
と特徴づけました。
資本主義は、その集合体のリーダーシップが
① と②の自己中心と自グループ中心思考段階に
ある限り、決して乗り越えることはできません。
資本主義生産様式は、
わが社の利益とそこから得る報酬のアップのために
社員の自グループ中心思考を引き出しながら存在します。
そして報酬に差をつけて競争させ
自己中心思考を引き出しながら成り立ちます。
すなわち社会主義者が権力を握ろうが
住民、市民の運動の中で
①②を乗り越えて、
③の世界中心思考、④の多元統合への
たえざる意識発達の運動を生み出さないかぎり
①②段階の人々の意識に適応する
資本主義生産様式は復元力をもちます。
もし、市民、住民の観念形態の系統的な発達に
とりくまないかぎり、
①と②の意識レベルの人々が住民の中で
力をもち、その人々を弾圧せざるをえなくなるでしょう。
(こんど3月21日、22日におおさか社会フォーラムが
開催されますが、私はすべての町や地域で
このような社会フォーラム運動が展開してゆくことが
住民の観念形態を③の世界中心思考以上に高めてゆく
ことに貢献してゆくだろうと思っています)
(3)
観念形態をサーカーはイデオロギーと読んでいます。
したがって、諸個人の観念形態をより高次のものに発達させてゆくことを
イデオロギー闘争と呼びます。
二元論の問いの一方に真理を設定するようなものが
これまでのイデオロギー闘争の理解であったように思います。
それに対して、観念形態をより高次なものにしてゆく取り組みとしての
イデオロギー闘争はとても重要なものであると思います。
人々の観念形態がより高次のもの発達してゆかないかぎり
資本主義を超えることができません。
ですから、唯物論と観念論を統一するマルクスの自然主義の立場なら
資本主義を超える観念形態の論を挿入することが可能です。
⑤の多元統合の観念形態が最高の段階まで達したら
天地万物は
私たちがその一員である
形無き一なる無限のものからできています。
したがって
天地万物も人間のつくったものも
すべては私たち地球人の共有財産です。
たくさんの貨幣をもっている人々の私有物ではなく
強大な軍隊をもっている国の私有物でもありません。
すべては共有財産であり
その財産を人類と生命の福利にために
有効活用できる能力をもった人々に
その管理運営の指揮を選んでゆだねるシステムが
適切です。
人類の観念形態が最高次元まで発達する時
資本主義とネイション国家体系は
ちょうど江戸幕藩体制が消えたように
消滅する運命にあります。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods