ヲシテ国学 第01講「写本と時代把握」 (video inspired by god of star)
10 4500年前に揚子江下流域から奈良盆地に渡り,日本に古代フトマニ文明を築きました
4500 years ago moved to Nara Basin from Yangtze River area, formed ancient hutomani civilization in Japan
This article is record when Mitsuki got hutomani literature and began to study.
Mitsuki discussed to see these literature not with eye of nation state, to watch throughout Asian region.
Hutomani characters were downed to proto-Japanese who lived middle area of Yangtze River 6000 years ago by god Anahita.
Downed as healing character so people formed hutomani language before Japan language while utilizing healing.
4500 years ago moved to Nara Basin from Yangtze River area, formed ancient hutomani civilization in Japan.
この論文は,みつきがフトマニ文献を入手して検討をはじめたときの記録です。
フトマニ文献を国民国家からの目で観ず,アジア地域全域で観る必要を論じています。
フトマニ文字は6000年前に揚子江中流域に住んでいた原日本人に星の神アナヒタがおろしました。
ヒーリング文字としておろされたので人々はヒーリングに活用する中で前日本語であるフトマニ語が形成されました。
4500年前に揚子江下流域から奈良盆地に渡り,日本に古代フトマニ文明を築きました。
補論 検討が必要なオシテ(ホツマ)文献
『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』の三文献を
古神道として『古事記』『日本書記』より古いものとして紹介し、論じました。
しかし学問世界の共通合意となっておらず、
見解が大きくわかれるところなので、少し説明が必要です。
(1)
漢字到来以前の文字だと池田氏らの考えるオシテ文字(ホツマ文字)による文献が、
いつ作成されたものかは
今後、学問界や専門家の間で議論がなされてゆくことにると思います。
私自身も、古代文字で書かれたとされる三文献を入手したばかりのところであり
これから検討してゆくところです。
しかし、私は池田満氏が松本善之助氏に師事し、
30年以上の膨大な年月をかけて偽物かもと疑われている文献を精査し、
『古事記』、『日本書紀』よりも古いものであることを確信し、
世の中に提起されていることを高く評価するものです。
読んでみると次の池田氏と同じような感じをもちました。
「真贋を見極めてゆく際に、私の気持ちの原動力となったのは、オシテ文献の文章には古格があり
言葉が美しいと看守した感性からだった。どんな古語辞典にも載っていない言葉の数々、
そして楽しい言葉のメロディ。この感触は偽作のものではない、と」
池田満「『ホツマツタヱ』を読み解く」展望社、18ページ
そして研究の成果を三文献全文掲載した資料として
松本善之助監修、池田満編著『定本ホツマツタヱ 日本書紀・古事記との対比』展望社
によって、後をつづく人が検討しやすいようにしてくれています。
(2)
紹介してきたように『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』の三文献では、
一なる形なき非人格神のアメミオヤが、太陽と地球に転化し、多なる世界があらわれ、人間が生まれました。
それは『古事記』『日本書記』のように天皇だけを神聖視することにつながりません。
タミモミナ クニトコタチノ
コスエナリ ソノモトフツク
アメミヲヤ アメツチヒトモ
『定本ホツマツタヱ 日本書紀・古事記との対比』219ページ
インターネットの中にある高畠精二訳では次のようになっています。
「何万年の寿命ある御子と彦(臣)達、又何千年生きる万民も
皆大元の祖先は同じクニトコタチ(国常立)の子孫である。
その元をさらにさかのぼれば大宇宙神のアメミオヤ(天御祖神)が分け降ろした子の種である。」
原文は省略しますが、
高畠精二訳では、このつづきは次のようになっています。
「天も地も人もまだ分かれる以前、渾沌としたアワウビ(カオス・エネルギー)の中にアメミオヤが最初の一息を吹き込むと、
天空は静かに動き出し東から昇り西に降(くだ)り丸く回りだしました。
やがてアワウビの中心から一本のアメノミハシラ(天の御柱)が立ち昇り、
次にミハシラが二本に裂けてメ(女、陰)とヲ(男、陽)に分かれ、
ヲ(男)は清く軽く回って天となり、メ(女)は中心が重く濁って地球となりました。
メ(女)の気は天の波動により
ミツ(水)とハニ(土)に別れ水、土の二つとなり、
ヲ(男)の気のウツホ(空)はカゼ(風)を生み、そのカゼも又ホ(火)を生んで、空、風、火の三つを構成しました。
オセ(陽背・男)のムナモト(宗元)を火と丸めて太陽とし、イモ(陰妹・女)のミナモト(源)は凝り固まって月となりました。
このウツホ(空)、カゼ(風)、ホ(火)、ミヅ(水)、ハニ(土)の五元素が混じり合ってこの時初めて人体が生まれました。
アメナカヌシ(天御中主)とはこの神のことです。」
したがって
アメミオヤという神は、全宇宙の根底にある形無き一者です。
アメノナカヌシという神は、全人類の共通の祖先です。
この箇所は、誰もが神の子孫であるので、重要な点だと思います。
(2)
天地ができ人間が登場してどうなるでしょう。
「アウノメヲ ヲハアメトナリ
ヒノワナル メハクニトナリ
ツキトナル カミソノナカニ
アレマシテ クニトコタチノ
トコヨクニ ヤモヤクダリノ
ミコウミテ ミナソノクニオ
ヲサメシム コレクニキミノ
ハヂメナリ ヨツギノカミハ
クニサツチ サキリノミチオ
ウケザレバ サツチニヲサム
ヤミコカミ オノオノミコオ
イタリウム ヤモノヨツギハ
トヨクンヌ アメヨリミツノ
ワザオワケ キミトミタミノ
ミクタリノ カミハモフソノ
ミコアリテ アメナリミチハ 」
『定本ホツマツタヱ 日本書紀・古事記との対比』31-32ページ
高畠精二訳です。
「清く軽く巡れるものは陽(ヲ・男)となって、
左巻に廻り天となり太陽が生まれました。
重く濁れるものは、右巻に巡り陰(メ・女)となり、
このクニタマ(地球)となり、後に月を生みました。
さてこの地球に最初にお生まれになられた神のお名前を、クニトコタチと申し、
花タチバナの木を植えて理想郷トコヨの国を建国しました。
クニトコタチは八人の御子を産んで、
その御子達を世界の八方に派遣し、
それぞれの国を建てて治めさせたので、
この八人をヤモヤクダリ(八面八降)の御子といいます。
後にこのヤミコ(八御子)はそれぞれの国の国王の先祖となりました。
この二代目の世嗣(よつぎ)の八御子を総称してクニサッチといいます。
そのいわれは、クニトコタチは始め自分同様サギリ(厳選)の道を以て全世界を一人に統治させようとしましたが、
各々譲り合ってお互いを立てたので、
やむなくサッチ(分割)の道で国を与え治めさせました。」
高畠精二訳 出典(株式会社 日本翻訳センター URL:http://www.jtc.co.jp URL:http://www.hotsuma.gr.jp)
私の解釈では、 クニトコタチという神は、「ホツマツタヱ」の作者が属している部族の最初のリーダーです。
(カミはリーダーと読むことができます)
8人の子どもに、わけて統治させます。
そのあと部族は八つにわかれます。
ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの八つです。
部族はト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの八つの氏族にわかれたと理解できます。
次に
「ヤモノヨツギハ トヨクンヌ」とあり、
三代目トヨクンヌが、再び八つを統治したことなりますが
もし、現実をいささかでも反映していると考えると、
トヨクンヌは、八つのうちの一つのトの氏族を率いたと考える方が自然です。
(そして後ろの方をみていだたくとなんとトヨクンヌは、
「カ(夏)の地の民との間に一子を儲(もう)けて代々その国を治めてきました」
と高畑訳は、大陸中国の一地方のカの部族の長として位置づけています。)
ちなみに、高畠精二訳では、次のように興味深いことが書かれています。
「トヨクンヌの神は男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、
各々がお一人でお暮らしになり、
男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっていませんでした。
こんな訳で、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます。」
なんと、神代の一人神の時代というのは、群婚で結婚制度がなかった時代です。
トヨクンヌの部族には120人子どもができていますが、
個別家族をもたない血縁集団である氏族全体の共同生活だったと思われます。
(3)
私自身は、これから検討してゆくところですが、今の段階で問題意識を感じたのは次の点です。
①現代の国民国家の意識をもって、この文献をとらえないほうがいいのではないか。
古代は、部族と氏族の世界です。
また文献を考察する視界も東アジア全域に広げるべきだと思うことのです。
宇宙と地球規模の議論からいきなり、日本列島だけの論点に絞るのは
国家が形成されていない古代であることを考えると不自然でもあります。
とりわけ、縄文時代の終わりから弥生、古墳時代にかけて、
波のように新型モンゴロイドが朝鮮半島や中国から日本列島に渡ってきていることが、
骨や遺伝子の研究から明らかになっています。
ですから縄文時代に日本国家が建国されたすることとそのことは矛盾します。
もちろん、『ホツマツタヱ』の部族が縄文時代に日本列島にわたってきた可能性も捨てきれませんが。
②
古墳の壁画が東北アジアと共通であったり、
韓国の古墳の出土品があまりに日本の古墳の出土品と似ているものがあったりするので
私は、やはり東アジア領域で支配者同士が親戚関係があったと考えていました。
その点で゛騎馬民族説が言うようになんからの形で大陸からやってきた人々が日本列島の支配者になった
と考えていました。
『ホツマツタヱ』を見ると、「長生きのため肉食」を厳格にやめよと出てきます。
そうすると、騎馬民族説とは矛盾しています。
(そのあたりは、考えてみたい課題です)
⑤縄文時代の日本列島に高度文化があったことは事実です。
私は、青森県の縄文時代の三内丸山遺跡出土の土器を自宅近くの展示会でみた時、そのすばらしさに驚きました。
そして日本の歴史展開においても日本列島が小さいながらも独自の文明圏的様相があることは私も感じます。
しかし、三内丸山の縄文土器は古モンゴロイドのもので、
新しく大量にやってきた新型モンゴロイドたる弥生人のものとは文化的切断があるのではないかと思います。
だから『ホツマツタヱ』の世界は、大陸からやってきた新型モンゴロイドによるものではないかと思います。
オシテ文献は、大陸からやってきた弥生人の部族グループに属するものではないかと思うのです。
⑦オシテ文字(ホツマ文字)は、私たちが考えるような行政的に活用される コミュニケーションのための文字ではなかったと考える方がいいのではないかと思います。
それは精霊とつながり、神意を神に訊ね、また病気や災害を防ぐための パワーを引き出すための呪文のためものだったと思います。
だから、五・七調で書かれているそれらの文献は、一般の人々に知らしめることを想定した歴史書ではなく、
読み上げることによって精霊と対話できる変成意識状態を形成するための
シャーマン用レッスンの書だったのではないかと私は思うのです。。
オシテ三文献は、古代の特別なシャーマン家系につながるいわば秘教文献だった。
そのために、一般的に文字が残っておらず、一部の神社から発見されることになった。
そう思うのです。
(4)
変成意識状態を促進するシャーマン用レッスンの書だとしても
記述はある程度現実を反映せざるをえません。
この文献を書いたものが所属するグループが
大陸からやってきたことを暗示する箇所があるかもしれないと
探したら、ありました。
次の箇所です。
クスヒヨクキケ
ココリヒメ カタレルコトハ
トコタチノ ヤモオメグリテ
ニシノクニ クロソノツミテ
カニアタル ナモアカカタノ
トヨクンヌ ヨヨヲサムレト
トシオヘテ ミチツキタルオ
ウケステメ ネノクニニキテ
タマキネニ ヨクツカフレハ
ミニコタエ ココリノイモト
ムスハセテ ヤマノミチノク
サスケマス ヨロコビカエル
ウケステメ コロビンキミト
チナミアイ クロソノツモル
ミコウミテ ニシノハハカミ
マタキタリ コロヤマモトハ
オロカナリ シシアシタシミ
ハヤカレシ モモヤスモモゾ
タマユラニ チヨロアレトモ
ヒヒノシシ シナキミイデテ
チヨミグサ タズヌトナゲク
高畠精二訳です。
「クスヒ良く聞きなさい。
ココリ姫(菊理姫・くくり姫、現・白山姫神社祭神、石川)が語るところによると、
遠い古(いにしえ)の昔、クニトコタチ(国常立、天神一代目)は
地球の八方の地を巡り廻って西方の地に至り、
彼の地の荒野を苦労して開拓してクロソノツミ国(玄圃積国・ゲンポ、崑崙山にあるという仙人のいる地)を建国しました。
元々この地方全体を力(夏、中国)と通称していたところから
、一般にアカガタの神州(赤県神州・せきけんしんしゅう、中国の古名)と呼ばれる様になりました。
後にクニトコタチの三代目に当たるトヨクンヌ(豊斟渟、天神三代)は
カ(夏)の地の民との間に一子を儲(もう)けて代々その国を治めてきました。
ところが長い年月を経るうちに神代の神典アメナルミチ(天成道)の教えも風化し尽きて、
地理的環境から風俗習慣はもとより食物や言葉まですっかり変わってしまいました。
トヨクンヌの血筋を引いた子孫のウケステメ(西王母の真名・中国に古く信仰された女仙)は
アメナルミチ(天成道)の衰えを深く案じて、
遥かに遠い崑崙山(こんろんさん)の麓(ふもと)から
はるばる大陸を横断して海を渡りコエネ(扶桑北国、現・白山、北陸)の国に
タマキネ(伊勢外宮祭神 豊受神の真名)を慕(した)って来朝し、
実父の様に仕えて孝行を尽しました。
君(豊受・東王父、中国の伝説上の仙人、西王母と対置される)は
ウケステメが一心に良く仕えたので心底から感動し、
ついにココリ姫(菊理姫)の義理の妹として契らせて
両人にヤマノミチノク(神仙の道奥、陸奥の語源)を
ヤマテ宮(仙台宮、仙台、宮城)に於て授与しました。
大層喜んで帰国したウケステメは、
後に彼の地でコロヒン君(崑崙王、こんろん)と結婚して愛の一子を儲け、
その子の名をクロソノツモル(玄圃積)王と命名しました。
ウケステメはコンロン王の后となって皇子に恵まれ、
クロソノツモル王を擁立(ようりつ)した後に
ニシノハハカミ(西王母)と呼ばれるようになりました。
ニシノハハカミ(西王母)は、再び苦難を押してコンロン(崑崙)山の本宮から来朝して
トヨケ(東王父)の君に再会を果たすと、
思いの丈(たけ)を一気にぶちまける娘の様に、
救い難き国情を涙ながらに訴えました。」
「コロヤマ(崑崙山本)国の民は愚かにも
、シシ(獣肉)を日常好んで食べ肉の味を嗜(たしな)んでいます。
日々の肉食に汚れた国民は皆短命で、百歳か長くて二百歳位で亡(な)くなります。
稀(まれ)には、たまに幸運に恵まれた千歳、万歳の神もいるにはいますが、
私がいくら肉食を止めるよう禁じても長い悪習はすぐには止まりません。
なんとか人々を長生きで清い神ながらの道に戻したいと日夜悩み心配しています。
カ(夏)の国にシナ(支那)君という王様が現れて久しくなりますが、
聞くところによるとシナ君も又、チヨミ草(千代見草、不老長寿の仙薬)を尋ね探し求め
今だ入手出来ず常々嘆いています。
どうか私の国の民に健康と長寿のオクノリ(奥法)をお授け下さい。」
高畠精二訳 出典(株式会社 日本翻訳センター URL:http://www.jtc.co.jp URL:http://www.hotsuma.gr.jp)
以上のように高畑訳は
「ニシノクニ クロソノツミテ
カニアタル ナモアカカタノ
トヨクンヌ ヨヨヲサムレト」
のニシノクニを大陸中国の地域だと見ています。
ニシノクニは、九州や本州の西なのか
高畑訳のように4000年前の中国大陸の古代夏王朝の夏なのか。
いずれにしても「ホツマツタヱ」は、東アジア全域を視野に入れて検討する必要があります。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Mitsuki discussed to see these literature not with eye of nation state, to watch throughout Asian region.
Hutomani characters were downed to proto-Japanese who lived middle area of Yangtze River 6000 years ago by god Anahita.
Downed as healing character so people formed hutomani language before Japan language while utilizing healing.
4500 years ago moved to Nara Basin from Yangtze River area, formed ancient hutomani civilization in Japan.
この論文は,みつきがフトマニ文献を入手して検討をはじめたときの記録です。
フトマニ文献を国民国家からの目で観ず,アジア地域全域で観る必要を論じています。
フトマニ文字は6000年前に揚子江中流域に住んでいた原日本人に星の神アナヒタがおろしました。
ヒーリング文字としておろされたので人々はヒーリングに活用する中で前日本語であるフトマニ語が形成されました。
4500年前に揚子江下流域から奈良盆地に渡り,日本に古代フトマニ文明を築きました。
補論 検討が必要なオシテ(ホツマ)文献
『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』の三文献を
古神道として『古事記』『日本書記』より古いものとして紹介し、論じました。
しかし学問世界の共通合意となっておらず、
見解が大きくわかれるところなので、少し説明が必要です。
(1)
漢字到来以前の文字だと池田氏らの考えるオシテ文字(ホツマ文字)による文献が、
いつ作成されたものかは
今後、学問界や専門家の間で議論がなされてゆくことにると思います。
私自身も、古代文字で書かれたとされる三文献を入手したばかりのところであり
これから検討してゆくところです。
しかし、私は池田満氏が松本善之助氏に師事し、
30年以上の膨大な年月をかけて偽物かもと疑われている文献を精査し、
『古事記』、『日本書紀』よりも古いものであることを確信し、
世の中に提起されていることを高く評価するものです。
読んでみると次の池田氏と同じような感じをもちました。
「真贋を見極めてゆく際に、私の気持ちの原動力となったのは、オシテ文献の文章には古格があり
言葉が美しいと看守した感性からだった。どんな古語辞典にも載っていない言葉の数々、
そして楽しい言葉のメロディ。この感触は偽作のものではない、と」
池田満「『ホツマツタヱ』を読み解く」展望社、18ページ
そして研究の成果を三文献全文掲載した資料として
松本善之助監修、池田満編著『定本ホツマツタヱ 日本書紀・古事記との対比』展望社
によって、後をつづく人が検討しやすいようにしてくれています。
(2)
紹介してきたように『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』の三文献では、
一なる形なき非人格神のアメミオヤが、太陽と地球に転化し、多なる世界があらわれ、人間が生まれました。
それは『古事記』『日本書記』のように天皇だけを神聖視することにつながりません。
タミモミナ クニトコタチノ
コスエナリ ソノモトフツク
アメミヲヤ アメツチヒトモ
『定本ホツマツタヱ 日本書紀・古事記との対比』219ページ
インターネットの中にある高畠精二訳では次のようになっています。
「何万年の寿命ある御子と彦(臣)達、又何千年生きる万民も
皆大元の祖先は同じクニトコタチ(国常立)の子孫である。
その元をさらにさかのぼれば大宇宙神のアメミオヤ(天御祖神)が分け降ろした子の種である。」
原文は省略しますが、
高畠精二訳では、このつづきは次のようになっています。
「天も地も人もまだ分かれる以前、渾沌としたアワウビ(カオス・エネルギー)の中にアメミオヤが最初の一息を吹き込むと、
天空は静かに動き出し東から昇り西に降(くだ)り丸く回りだしました。
やがてアワウビの中心から一本のアメノミハシラ(天の御柱)が立ち昇り、
次にミハシラが二本に裂けてメ(女、陰)とヲ(男、陽)に分かれ、
ヲ(男)は清く軽く回って天となり、メ(女)は中心が重く濁って地球となりました。
メ(女)の気は天の波動により
ミツ(水)とハニ(土)に別れ水、土の二つとなり、
ヲ(男)の気のウツホ(空)はカゼ(風)を生み、そのカゼも又ホ(火)を生んで、空、風、火の三つを構成しました。
オセ(陽背・男)のムナモト(宗元)を火と丸めて太陽とし、イモ(陰妹・女)のミナモト(源)は凝り固まって月となりました。
このウツホ(空)、カゼ(風)、ホ(火)、ミヅ(水)、ハニ(土)の五元素が混じり合ってこの時初めて人体が生まれました。
アメナカヌシ(天御中主)とはこの神のことです。」
したがって
アメミオヤという神は、全宇宙の根底にある形無き一者です。
アメノナカヌシという神は、全人類の共通の祖先です。
この箇所は、誰もが神の子孫であるので、重要な点だと思います。
(2)
天地ができ人間が登場してどうなるでしょう。
「アウノメヲ ヲハアメトナリ
ヒノワナル メハクニトナリ
ツキトナル カミソノナカニ
アレマシテ クニトコタチノ
トコヨクニ ヤモヤクダリノ
ミコウミテ ミナソノクニオ
ヲサメシム コレクニキミノ
ハヂメナリ ヨツギノカミハ
クニサツチ サキリノミチオ
ウケザレバ サツチニヲサム
ヤミコカミ オノオノミコオ
イタリウム ヤモノヨツギハ
トヨクンヌ アメヨリミツノ
ワザオワケ キミトミタミノ
ミクタリノ カミハモフソノ
ミコアリテ アメナリミチハ 」
『定本ホツマツタヱ 日本書紀・古事記との対比』31-32ページ
高畠精二訳です。
「清く軽く巡れるものは陽(ヲ・男)となって、
左巻に廻り天となり太陽が生まれました。
重く濁れるものは、右巻に巡り陰(メ・女)となり、
このクニタマ(地球)となり、後に月を生みました。
さてこの地球に最初にお生まれになられた神のお名前を、クニトコタチと申し、
花タチバナの木を植えて理想郷トコヨの国を建国しました。
クニトコタチは八人の御子を産んで、
その御子達を世界の八方に派遣し、
それぞれの国を建てて治めさせたので、
この八人をヤモヤクダリ(八面八降)の御子といいます。
後にこのヤミコ(八御子)はそれぞれの国の国王の先祖となりました。
この二代目の世嗣(よつぎ)の八御子を総称してクニサッチといいます。
そのいわれは、クニトコタチは始め自分同様サギリ(厳選)の道を以て全世界を一人に統治させようとしましたが、
各々譲り合ってお互いを立てたので、
やむなくサッチ(分割)の道で国を与え治めさせました。」
高畠精二訳 出典(株式会社 日本翻訳センター URL:http://www.jtc.co.jp URL:http://www.hotsuma.gr.jp)
私の解釈では、 クニトコタチという神は、「ホツマツタヱ」の作者が属している部族の最初のリーダーです。
(カミはリーダーと読むことができます)
8人の子どもに、わけて統治させます。
そのあと部族は八つにわかれます。
ト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの八つです。
部族はト・ホ・カ・ミ・エ・ヒ・タ・メの八つの氏族にわかれたと理解できます。
次に
「ヤモノヨツギハ トヨクンヌ」とあり、
三代目トヨクンヌが、再び八つを統治したことなりますが
もし、現実をいささかでも反映していると考えると、
トヨクンヌは、八つのうちの一つのトの氏族を率いたと考える方が自然です。
(そして後ろの方をみていだたくとなんとトヨクンヌは、
「カ(夏)の地の民との間に一子を儲(もう)けて代々その国を治めてきました」
と高畑訳は、大陸中国の一地方のカの部族の長として位置づけています。)
ちなみに、高畠精二訳では、次のように興味深いことが書かれています。
「トヨクンヌの神は男女合わせて百二十人もの御子に恵まれましたが、
各々がお一人でお暮らしになり、
男女が一緒に暮らす夫婦(めおと)の道はまだ定まっていませんでした。
こんな訳で、三代目までの神様を独神(ひとりかみ)といいます。」
なんと、神代の一人神の時代というのは、群婚で結婚制度がなかった時代です。
トヨクンヌの部族には120人子どもができていますが、
個別家族をもたない血縁集団である氏族全体の共同生活だったと思われます。
(3)
私自身は、これから検討してゆくところですが、今の段階で問題意識を感じたのは次の点です。
①現代の国民国家の意識をもって、この文献をとらえないほうがいいのではないか。
古代は、部族と氏族の世界です。
また文献を考察する視界も東アジア全域に広げるべきだと思うことのです。
宇宙と地球規模の議論からいきなり、日本列島だけの論点に絞るのは
国家が形成されていない古代であることを考えると不自然でもあります。
とりわけ、縄文時代の終わりから弥生、古墳時代にかけて、
波のように新型モンゴロイドが朝鮮半島や中国から日本列島に渡ってきていることが、
骨や遺伝子の研究から明らかになっています。
ですから縄文時代に日本国家が建国されたすることとそのことは矛盾します。
もちろん、『ホツマツタヱ』の部族が縄文時代に日本列島にわたってきた可能性も捨てきれませんが。
②
古墳の壁画が東北アジアと共通であったり、
韓国の古墳の出土品があまりに日本の古墳の出土品と似ているものがあったりするので
私は、やはり東アジア領域で支配者同士が親戚関係があったと考えていました。
その点で゛騎馬民族説が言うようになんからの形で大陸からやってきた人々が日本列島の支配者になった
と考えていました。
『ホツマツタヱ』を見ると、「長生きのため肉食」を厳格にやめよと出てきます。
そうすると、騎馬民族説とは矛盾しています。
(そのあたりは、考えてみたい課題です)
⑤縄文時代の日本列島に高度文化があったことは事実です。
私は、青森県の縄文時代の三内丸山遺跡出土の土器を自宅近くの展示会でみた時、そのすばらしさに驚きました。
そして日本の歴史展開においても日本列島が小さいながらも独自の文明圏的様相があることは私も感じます。
しかし、三内丸山の縄文土器は古モンゴロイドのもので、
新しく大量にやってきた新型モンゴロイドたる弥生人のものとは文化的切断があるのではないかと思います。
だから『ホツマツタヱ』の世界は、大陸からやってきた新型モンゴロイドによるものではないかと思います。
オシテ文献は、大陸からやってきた弥生人の部族グループに属するものではないかと思うのです。
⑦オシテ文字(ホツマ文字)は、私たちが考えるような行政的に活用される コミュニケーションのための文字ではなかったと考える方がいいのではないかと思います。
それは精霊とつながり、神意を神に訊ね、また病気や災害を防ぐための パワーを引き出すための呪文のためものだったと思います。
だから、五・七調で書かれているそれらの文献は、一般の人々に知らしめることを想定した歴史書ではなく、
読み上げることによって精霊と対話できる変成意識状態を形成するための
シャーマン用レッスンの書だったのではないかと私は思うのです。。
オシテ三文献は、古代の特別なシャーマン家系につながるいわば秘教文献だった。
そのために、一般的に文字が残っておらず、一部の神社から発見されることになった。
そう思うのです。
(4)
変成意識状態を促進するシャーマン用レッスンの書だとしても
記述はある程度現実を反映せざるをえません。
この文献を書いたものが所属するグループが
大陸からやってきたことを暗示する箇所があるかもしれないと
探したら、ありました。
次の箇所です。
クスヒヨクキケ
ココリヒメ カタレルコトハ
トコタチノ ヤモオメグリテ
ニシノクニ クロソノツミテ
カニアタル ナモアカカタノ
トヨクンヌ ヨヨヲサムレト
トシオヘテ ミチツキタルオ
ウケステメ ネノクニニキテ
タマキネニ ヨクツカフレハ
ミニコタエ ココリノイモト
ムスハセテ ヤマノミチノク
サスケマス ヨロコビカエル
ウケステメ コロビンキミト
チナミアイ クロソノツモル
ミコウミテ ニシノハハカミ
マタキタリ コロヤマモトハ
オロカナリ シシアシタシミ
ハヤカレシ モモヤスモモゾ
タマユラニ チヨロアレトモ
ヒヒノシシ シナキミイデテ
チヨミグサ タズヌトナゲク
高畠精二訳です。
「クスヒ良く聞きなさい。
ココリ姫(菊理姫・くくり姫、現・白山姫神社祭神、石川)が語るところによると、
遠い古(いにしえ)の昔、クニトコタチ(国常立、天神一代目)は
地球の八方の地を巡り廻って西方の地に至り、
彼の地の荒野を苦労して開拓してクロソノツミ国(玄圃積国・ゲンポ、崑崙山にあるという仙人のいる地)を建国しました。
元々この地方全体を力(夏、中国)と通称していたところから
、一般にアカガタの神州(赤県神州・せきけんしんしゅう、中国の古名)と呼ばれる様になりました。
後にクニトコタチの三代目に当たるトヨクンヌ(豊斟渟、天神三代)は
カ(夏)の地の民との間に一子を儲(もう)けて代々その国を治めてきました。
ところが長い年月を経るうちに神代の神典アメナルミチ(天成道)の教えも風化し尽きて、
地理的環境から風俗習慣はもとより食物や言葉まですっかり変わってしまいました。
トヨクンヌの血筋を引いた子孫のウケステメ(西王母の真名・中国に古く信仰された女仙)は
アメナルミチ(天成道)の衰えを深く案じて、
遥かに遠い崑崙山(こんろんさん)の麓(ふもと)から
はるばる大陸を横断して海を渡りコエネ(扶桑北国、現・白山、北陸)の国に
タマキネ(伊勢外宮祭神 豊受神の真名)を慕(した)って来朝し、
実父の様に仕えて孝行を尽しました。
君(豊受・東王父、中国の伝説上の仙人、西王母と対置される)は
ウケステメが一心に良く仕えたので心底から感動し、
ついにココリ姫(菊理姫)の義理の妹として契らせて
両人にヤマノミチノク(神仙の道奥、陸奥の語源)を
ヤマテ宮(仙台宮、仙台、宮城)に於て授与しました。
大層喜んで帰国したウケステメは、
後に彼の地でコロヒン君(崑崙王、こんろん)と結婚して愛の一子を儲け、
その子の名をクロソノツモル(玄圃積)王と命名しました。
ウケステメはコンロン王の后となって皇子に恵まれ、
クロソノツモル王を擁立(ようりつ)した後に
ニシノハハカミ(西王母)と呼ばれるようになりました。
ニシノハハカミ(西王母)は、再び苦難を押してコンロン(崑崙)山の本宮から来朝して
トヨケ(東王父)の君に再会を果たすと、
思いの丈(たけ)を一気にぶちまける娘の様に、
救い難き国情を涙ながらに訴えました。」
「コロヤマ(崑崙山本)国の民は愚かにも
、シシ(獣肉)を日常好んで食べ肉の味を嗜(たしな)んでいます。
日々の肉食に汚れた国民は皆短命で、百歳か長くて二百歳位で亡(な)くなります。
稀(まれ)には、たまに幸運に恵まれた千歳、万歳の神もいるにはいますが、
私がいくら肉食を止めるよう禁じても長い悪習はすぐには止まりません。
なんとか人々を長生きで清い神ながらの道に戻したいと日夜悩み心配しています。
カ(夏)の国にシナ(支那)君という王様が現れて久しくなりますが、
聞くところによるとシナ君も又、チヨミ草(千代見草、不老長寿の仙薬)を尋ね探し求め
今だ入手出来ず常々嘆いています。
どうか私の国の民に健康と長寿のオクノリ(奥法)をお授け下さい。」
高畠精二訳 出典(株式会社 日本翻訳センター URL:http://www.jtc.co.jp URL:http://www.hotsuma.gr.jp)
以上のように高畑訳は
「ニシノクニ クロソノツミテ
カニアタル ナモアカカタノ
トヨクンヌ ヨヨヲサムレト」
のニシノクニを大陸中国の地域だと見ています。
ニシノクニは、九州や本州の西なのか
高畑訳のように4000年前の中国大陸の古代夏王朝の夏なのか。
いずれにしても「ホツマツタヱ」は、東アジア全域を視野に入れて検討する必要があります。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods