Big Bang Theory - Beyond The Big Bang Explosion (Space Documentary) (video inspired by god of star)
9 生成発展消滅の弁証法的唯物論の見方から国民国家を考える
thinking about nation-state from view of dialectical materialism of generation development destrution
This article is thinking about nation-state from view of dialectical materialism of generation development destrution.
This article is extremely important in understanding documents of Heaven.
This article shows that Mitsuki had already understood principle view of documents of Heaven which Mitsuki is downed includes not only socialist idea of sharing means of production but also way to end nation-state.
In age of Marx only small part of earth reaced nation-state.
Gods of heaven could not down way to end of nation-state.
Mitsuki argues in this point very precisely.
この論文は,生成発展消滅の弁証法的唯物論の見方から国民国家を考える,です。
この論文は,天の文書を理解する上できわめて重要です。
この論文は,ミツキが天の文書を受け取る前に神々がマルクスにおろした時にはまだ地球のほんの一部しかか国民国家が成立していなかったので生産手段共有の社会主義思想の側面しか人類におろすことができなかったが生産力がIT生産力段階を迎え,今回ミツキにおろした天の文書でマルクスにおろすことができてかった国民国家を超える道がきわめて正確に論述されています。
序章 近代国民国家を考える
ハワイ先住民やアメリカのインディアン先住民に
主権をもった「ネイション国家」として独立運動が見られます。
チベット、ウィグルにも主権をもった「ネイション国家」独立運動が見られます。
私はその解放への志に共感します。
しかし、
21世紀を迎えた今、
ワン・ワールド、ワン・ストラグルのもとに
一つの地球惑星社会を構想する必要があると
考えています。
人類はたった一つのネイションであり
たった一つのネイション国家をもつという
人類ナショナリストの立場から
先住民族の独立運動をどう考えるか
考えてみたいと思います。
そのためには、
近代ネイション(国民国家)とは何であり
どのように成立してどのように消滅してゆくかの
アウトラインを理解する必要があります。
理屈っぽくなりますがお許しください。
(1)マルクスは人類史的立場から「近代資本主義の生成、発展、消滅」を見た。
近代ナショナリズム(国民国家主義)と近代キャピタリズム(資本主義)は双子の兄弟です。(と考えています)
マルクスの時代は、イギリスやフランスという
地表のごく限られた地域で
近代資本主義的生産様式が始まった時代でした。
マルクスはマクロな観点から
近代資本主義が歴史的に成立し、展開し、
最後に資本主義時代の成果を「含んで超えて」
次の民主主義経済へ進化してゆかざるをえないことを
『資本論1巻』で、彼の時代の事実をもとに
論証しようとしたのだと考えています。
マルクスの社会主義は、
資本主義を「必須の通過点」
とする理論構造をもっていました。
そもそも資本主義が未発展だった
ロシア、東欧、中国などで、マルクスのイメージする
「社会主義」は成立するはずのないものだったことを
理解する必要があります。
レーニンは、マルクスが分析した「パリコミューン」を
イメージして社会主義革命を訴えて成功しましたが、
彼は、すぐに、ロシアでは、本来の
マルクスのイメージする正確な用語としての「社会主義」は
不可能であることを悟り、ロシアでは当面
「国家資本主義」で十分だと方針を変えた
ところで亡くなったのでした。
以後、スターリンは、レーニンの同志をほとんど殺し
「社会主義」という看板の゜国家に経済権力を集中させる
「国家社会主義(=国家資本主義)」を作り上げ、
マルクスとレーニンの言葉を散りばめて
それらしく見せたのでした。
マルクスは『資本主義』を必須の通過点として成立する
『社会主義』を展望したことを、まず確認したいと思います。
(2)人類史の進歩発展という問題意識と近代国民国家
経済の分析にあたって唯物論的方法を
マルクスは厳格に適用しましたが、
彼は国家主義者でもなく民族主義者でなく、
むしろ、ユニバーサリスト(普遍主義者)、
人類主義者のとして思考の枠組みをもっていました。
(注、マルクスとエンゲルスとレーニンまでは、真剣に
人類社会の進歩発展という大事業の中に自分たちの
仕事を位置づける高邁なスピリットがありました。
スターリンにそんなスピリットは毛頭ないことは
言うまでもありません。)
しかし、マルクスの生きた時代は、
近代国民国家は、イギリス、フランスなど少数で
世界史的には未展開でした。
その後の国民国家主義(ナショナリズム、愛国主義)が
大量に人類を殺しまくった破壊的な要素になることなど、
彼の問題意識にのぼるよしもありませんでした。
近代国民国家の生成、発展、消滅の弁証法的プロセスは、
マルクスの視角外にならざるをえなかったわけです。
その問題意識を先駆的にもっていたと思われるのが
カントの「永遠平和のために」だと思われます。
その問題意識を受け継いで柄谷行人の
『世界共和国へ 資本=ネーション=国家を超えて』
がマルクスの流れから書かれたと思われます。
高田求というマルクス主義哲学の人が
『世界市民』という本をだしていることからして、
マルクス的な流れからも、多なる現れとしての
一なる人類を考える思想家は多々出てきていると思います。
しかし、20世紀は、
ロシア革命のレーニンの「民族解放」の呼びかけ、
アメリカのウィルソンの「民族自決の原則」の提案
からはじままったように
植民地にされて主権を失った諸民族の
「『民族』解放闘争」の時代でした。
そしてほとんどの民族解放闘争が勝利することで、
193の国連加盟国家による主権国家体制として
全地球の国際社会が運営されるようになりました。
しかし、主権国家として成立している
近代国民国家(ネイション)とは一体何なのか。
近代資本主義の双子の兄弟として成立しており、
「永遠平和のために」は、どうしても
ネイションとナショナリズムとは何なのか
を考察する必要があります。
簡単にネイションの問題点を触れますと
一つはネイションとネイションの対立です。
一つは、ネイション国家の中の
マイノリティや非ネイション的思考への抑圧です。
一つ目の説明です。
資本主義的生産様式が絶えず植えつける「競争原理」の思考パターンは、
ネイションとネイションの「競争」として対立する
相互不信の世界像を人々に育みます。
それは橋下氏に典型的なように愛国主義と戦争への備え、
命を捨てる覚悟の強調に導きます。
二つ目の説明です。
ネイションを形作るのは、
領域、言語、宗教、文化や生活習慣、歴史的記憶の
いずれかを共有するマジョリティ(多数派)のグループの集合心理です。
そうするとそのネイション国家の中の
マイノリティ(少数派)グループへの無視、軽視、抑圧が必ず生じます。
私たちは20世紀という帝国主義と戦争の時代を体験し、
ナショナリズム(愛国主義)が
流血を促進してきたことを知っています。
今日では、近代国民国家(ネイション)が、
歴史的に生成し、消滅してゆく存在であることを
明らかにした思想家たちがでてきました。
アメリカのケン・ウィルバーやアーヴィン・ラズロや
インドのP.R.サーカーです。
それらについて紹介してゆきたいと思います。
ただその前に19世紀と20世紀を、
ネイションの展開という角度から、
簡単にスケッチしたいと思います。
第一章
私たちは、2012年5月の地球で呼吸をしています。
1912年、すなわち100年前の地球をふりかってみましょう。
20世紀初頭に幸徳秋水は「帝国主義」、
レーニンは「帝国主義論」を書きます。
「文明世界の正義人道は、
決して愛国心の跋扈を許さないだろう。
必ずや、これを退けるだろう。
しかし、如何せん。
この卑しむべき愛国心は、
今や軍国主義となれり」(幸徳秋水)
当時、資本主義の双子の兄弟である愛国主義(ナショナリズム)は
その軍事力をもちいて、帝国主義となり
あたかも、囲碁のように、自分たちのネイションの拡大を追求しました。
(この地図は1888年ですからこれからどんどん分割が進む時期です)
イギリス、フランス、ロシア、
アメリカ、ドイツ、イタリア、
オランダ、(日本)など
僅かの数の「国民国家=ネイション」が、
地表のほとんどをその軍事力で占領しました。
この時期には、イギリス、フランス、ロシアの領域が
やたら広いことにきづくと思います。
アメリカ、ドイツ、イタリア、日本が、自分の領域の拡大に
踏み出すという時期です。
レーニンは『帝国主義論』の中で、
20世紀初頭の第一次世界大戦の本質を見事に解明しました。
少数の資本主義を発達させた国々が他の地域を
植民地、半植民地、従属国にしてして自分の勢力を拡張している。
地球の広さは有限であり、20世紀初頭にはもうこれ以上、
領土を拡張する余白がなくなってしまっている。
しかし、資本家とその政府の貪欲は限りがない。
急速に工業力、軍事力を高めてきた新入り資本主義のドイツが
帝国主義としてふるまおうとすると
すでに多くの領域を制覇している
イギリス、フランス、ロシアの領域から
奪うしかありません。
ついに強盗同士が二つのグループにわかれて、
地球表面の分捕り合戦が始まった。
ここに第一次世界大戦の本質がある。
「労働者、農民、兵士諸君、これは政府が
言っているような祖国擁護戦争ではない。
騙されていはけない。
戦争を続ける政府を倒して、
平和とパンが保障される国につくりかえようではないか」
と訴えて、ロシアを戦争の輪から脱出させました。
そしてロシアがイギリスやフランスと結んでいた
オスマントルコ帝国の領土をどう分け合うかの
密約を世界にばらします。
怒った各国はロシア革命をつぶすために軍隊を送り、
せっかく第一次世界大戦から抜けたのに
ロシアは今度は味方のだった国々の干渉戦争に苦労します。
(第一章の)まとめ
今から100年前の地球は、
少数の資本主義の帝国主義国が
どんどん植民地や従属国をふやして
他の国の勢力範囲(なわばり)に
なぐりこみをかけるしか、
自分の領土をさらに広げてゆくことが
できない段階にきていました。
当然、植民地分捕り合戦の戦争になります。
第一次世界大戦です。
第二次世界大戦はその第二回戦です。
第二次世界大戦には、植民地や従属国に
された国が、自分の国民国家ネイションを打ち立てる
という側面もあります。
100年後の2012年の今日も、戦争がつづき
うめき声や悲鳴が聞こえています。
この100年間に戦争で亡くなった魂は
たぶん一億人は超えるでしょう。
彼らが生まれ変わってこの地に現れた時
今度は戦争に怯えることのない人生を
送れようにしてあげる必要があります。
正常な正気の人間が
仕事として人間を殺さないと
いけないような
野蛮な文明の時代を終わらせ
新しい地球惑星社会を
実現してあげる必要があると
思うのです。
第一章の補足
「この100年間に戦争で亡くなった人は
たぶん一億人は超えるでしょう。」
と書いたのですが、
9318万人でした。
しかし、戦争が原因での飢餓や病気なども
広く犠牲者とカウントし、
最近のイラク戦争、アフガン戦争も
含めると本当に一億人を超えるかもしれません。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5228.html
の統計グラフによれば
第一次大戦 2600万人
第二次大戦 5355万人
この二つの戦争だけで7955万人
中国国共内戦 100万
朝鮮戦争 300万
ベトナム戦争 236万
ビアフラ内戦(ナイジェリア)200万人
カンボジア内戦 122万人
アフガン内戦 ソ連介入 150万人
モザンビーグ内戦 105万人
スーダン内戦 150万人
総計 9318万人
第二章 生成・発展・消滅の中に国民国家体制を位置づけたケン・ウィルバー
(1)
近代資本主義と近代国民国家、すなわちキャピタリズムとナショナリズムは
双子の兄弟であるという私の仮説を論じさせてもらっています。
マルクスの時代、彼の地域で、働く人々を劣悪な状態においていたのは
産業革命期の資本主義経済構造でした。
まだ双子の兄弟である国民国家(ネイション)が、全世界的な
展開をしていない時期であり、彼の念頭にはありませんでした。
しかし、近代国民国家は、彼の死後の今日までの
百数十年で、一億人もの人類の死をもたらす主体に
なりました。
マルクスが、近代資本主義を生成・発展・消滅の視野の中で見たように
近代国民国家主義を生成・発展・消滅の視野の中でとらえた思想を
紹介させてもらいます。
(2)
ケン・ウィルバーは、国民国家を次のように歴史的に位置づけます。
「集団・家族⇒部族⇒部族的村落⇒初期国家・帝国⇒国民国家⇒全地球的」
『進化の構造』305ページ
「今、私たちが立っているところはここである。・・・・
世界・地球的な社会制度の中に位置づけようと苦闘している
全世界的な変容の淵にたっているのである」
「この変容は、それがもっている地球的な方向へ、
とくにテクノロジー、経済的な基盤において、
三つの関連する要素によって動かされている。
(1)地球的資源の保護
生物圏は共有されており、どの国家、
どの人種、どの信条の集団にも属していない。
(2)世界金融システムを統制する必要性
金融システムは国境と対応していない。
(3)国際的な平和と安全を維持する必要性
・・・
これらは、文字どおり、国家を超えた
世界中心的な対応を必要とする
超国家的危機なのである。
こうした危機に対応するには
国家はその主権の一部を全世界的な
改善のために提供する必要がある。
・・・・
状況ははっきりしている。
国家による対応を遺物とするような
超国家的危機が存在するということである。
・・・
地球的変容、多元的な世界連合は
普遍的地球的な視界をもった個人によってのみ
展望され、理解され、実行されうる。
(ビジョンロジックという言葉を「視界」におきかえました)
そこでは、・・・共通の人間性という血が流れる
世界中心的な抱擁の中に・・・・・
人生の意味が見いだされるのである。」
(3)
労働者の労働条件や境遇、あるいは
帝国主義的な支配抑圧、
他地域の経済的搾取といったテーマに
光をあてようとするとウィルバーの議論からは
見えてきません。
しかし、ウィルバーは、すべての領域を
弁証法的発達の中でとらえようとしており
マルクスの視角からドロップしている
「国民国家」の歴史的な生成・発展・消滅をとらえており、
現在は国民国家を乗り越える苦闘の時期であると
いう観点があります。
国民国家の枠組みを超えて
世界中心思考の中で生きよう。
普遍的地球的な視界から現在の様々な
問題への対処を考えよう。
ウィルバーが問題意識としている
このような集合意識が広がることが
次の時代への展開のために
とても大切なことだと考えられます。
第三章 アーヴィン・ラズロ も生成・発展・消滅の中に国民国家体制を見る。
近代国民国家は、ここ百数十年で、一億人もの
人類の死をもたらす主体になりました。
マルクスが、
近代資本主義を生成・発展・消滅の視野の中で見たように
ケン・ウィルバーは
近代国民国家主義を生成・発展・消滅の視野の中でとらえていることを
紹介しました。
アーヴィン・ラズロもまた国民国家を
「生成・発展・消滅」の視野の中でとらえています。
「親族制(家族、氏族、部族)
→村落制→
→帝国制(神権政治、貴族制)→
→国民国家制(民主主義)→
→全地球的体制 」
『カオス・ポイント』191ページの図
「この1万年に起こった一連の社会文化的な変異によって、
旧石器時代の部族や新石器時代の農業共同体から、
バビロニア、エジプト、インド、中国の古代国家を経て、
ヨーロッパの封建国家・公国に至る、
さまざまな形態の組織が順次出現した。
今から、300年前あたりまで時代が下がったころ、
国民国家というシステムが生まれた。
このとき、同時に工業化社会も登場したのだ。
そして、今、わたしたちは、国民国家を超えて、
より包括的な、ポスト工業化文明へと至る、
社会文化的な変異が起こる臨界点まで達しているのである。」
189ページ
アーヴィン・ラズロは、生産力の新しい段階である
「情報革命」という新しい技術革新に注目します。
「情報や通信の技術は、
既存の工業化社会の構造を安定にしているが、
これは地球規模の影響をもたらし、
それによってひきおこされる「革命」は、
最初の産業革命を起こした蒸気や化石燃焼に基づく技術よりも、
何桁も早い速度で展開するだろう。
情報・通信分野において
驚異的な速度で進んでいる技術革新に駆り立てられて、
古典的な工業文明を超える社会文化的変異が
すぐそこまで迫ってきていることに、
わたしたち人間は気づいている。
システムが崩壊してしまわなければ、
次の変異によって、工業化時代の社会、経済、企業を
ゆさぶる「騒乱」に対処できる力をそなえた
地球文明・・・ホロス文明・・・が誕生するだろう。
わたしたちは、今、工業化時代のロゴスの文明と、
これから達成するはずのホロスの文明の間にある。
時の流れの中にある「決断期」に生きている。」
194ページ
私は、アーヴィン・ラズロのこの部分から、
マルクスの生産力と生産関係についての言葉を思い出します。
「人間は・・・かれらの物質的生産諸力の
一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。
この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、
これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、
また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している」
『経済学批判』序言
アーヴィン・ラズロの見方だと
機械制工業にもとづく文明は
国民国家(ネイション)とともにあります。
情報通信技術にもとづく文明は
地球惑星システムとともにあります。
つまり、われわれは、あたらしい生産力段階に達しており
それに照応する新しい生産関係(人間と人間との関係)が
必要ということです。
より高次の広域の地球規模の社会組織と
民主主義的生産関係に移行することが
必要な時代に生きていると考えられます。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)This article is extremely important in understanding documents of Heaven.
This article shows that Mitsuki had already understood principle view of documents of Heaven which Mitsuki is downed includes not only socialist idea of sharing means of production but also way to end nation-state.
In age of Marx only small part of earth reaced nation-state.
Gods of heaven could not down way to end of nation-state.
Mitsuki argues in this point very precisely.
この論文は,生成発展消滅の弁証法的唯物論の見方から国民国家を考える,です。
この論文は,天の文書を理解する上できわめて重要です。
この論文は,ミツキが天の文書を受け取る前に神々がマルクスにおろした時にはまだ地球のほんの一部しかか国民国家が成立していなかったので生産手段共有の社会主義思想の側面しか人類におろすことができなかったが生産力がIT生産力段階を迎え,今回ミツキにおろした天の文書でマルクスにおろすことができてかった国民国家を超える道がきわめて正確に論述されています。
序章 近代国民国家を考える
ハワイ先住民やアメリカのインディアン先住民に
主権をもった「ネイション国家」として独立運動が見られます。
チベット、ウィグルにも主権をもった「ネイション国家」独立運動が見られます。
私はその解放への志に共感します。
しかし、
21世紀を迎えた今、
ワン・ワールド、ワン・ストラグルのもとに
一つの地球惑星社会を構想する必要があると
考えています。
人類はたった一つのネイションであり
たった一つのネイション国家をもつという
人類ナショナリストの立場から
先住民族の独立運動をどう考えるか
考えてみたいと思います。
そのためには、
近代ネイション(国民国家)とは何であり
どのように成立してどのように消滅してゆくかの
アウトラインを理解する必要があります。
理屈っぽくなりますがお許しください。
(1)マルクスは人類史的立場から「近代資本主義の生成、発展、消滅」を見た。
近代ナショナリズム(国民国家主義)と近代キャピタリズム(資本主義)は双子の兄弟です。(と考えています)
マルクスの時代は、イギリスやフランスという
地表のごく限られた地域で
近代資本主義的生産様式が始まった時代でした。
マルクスはマクロな観点から
近代資本主義が歴史的に成立し、展開し、
最後に資本主義時代の成果を「含んで超えて」
次の民主主義経済へ進化してゆかざるをえないことを
『資本論1巻』で、彼の時代の事実をもとに
論証しようとしたのだと考えています。
マルクスの社会主義は、
資本主義を「必須の通過点」
とする理論構造をもっていました。
そもそも資本主義が未発展だった
ロシア、東欧、中国などで、マルクスのイメージする
「社会主義」は成立するはずのないものだったことを
理解する必要があります。
レーニンは、マルクスが分析した「パリコミューン」を
イメージして社会主義革命を訴えて成功しましたが、
彼は、すぐに、ロシアでは、本来の
マルクスのイメージする正確な用語としての「社会主義」は
不可能であることを悟り、ロシアでは当面
「国家資本主義」で十分だと方針を変えた
ところで亡くなったのでした。
以後、スターリンは、レーニンの同志をほとんど殺し
「社会主義」という看板の゜国家に経済権力を集中させる
「国家社会主義(=国家資本主義)」を作り上げ、
マルクスとレーニンの言葉を散りばめて
それらしく見せたのでした。
マルクスは『資本主義』を必須の通過点として成立する
『社会主義』を展望したことを、まず確認したいと思います。
(2)人類史の進歩発展という問題意識と近代国民国家
経済の分析にあたって唯物論的方法を
マルクスは厳格に適用しましたが、
彼は国家主義者でもなく民族主義者でなく、
むしろ、ユニバーサリスト(普遍主義者)、
人類主義者のとして思考の枠組みをもっていました。
(注、マルクスとエンゲルスとレーニンまでは、真剣に
人類社会の進歩発展という大事業の中に自分たちの
仕事を位置づける高邁なスピリットがありました。
スターリンにそんなスピリットは毛頭ないことは
言うまでもありません。)
しかし、マルクスの生きた時代は、
近代国民国家は、イギリス、フランスなど少数で
世界史的には未展開でした。
その後の国民国家主義(ナショナリズム、愛国主義)が
大量に人類を殺しまくった破壊的な要素になることなど、
彼の問題意識にのぼるよしもありませんでした。
近代国民国家の生成、発展、消滅の弁証法的プロセスは、
マルクスの視角外にならざるをえなかったわけです。
その問題意識を先駆的にもっていたと思われるのが
カントの「永遠平和のために」だと思われます。
その問題意識を受け継いで柄谷行人の
『世界共和国へ 資本=ネーション=国家を超えて』
がマルクスの流れから書かれたと思われます。
高田求というマルクス主義哲学の人が
『世界市民』という本をだしていることからして、
マルクス的な流れからも、多なる現れとしての
一なる人類を考える思想家は多々出てきていると思います。
しかし、20世紀は、
ロシア革命のレーニンの「民族解放」の呼びかけ、
アメリカのウィルソンの「民族自決の原則」の提案
からはじままったように
植民地にされて主権を失った諸民族の
「『民族』解放闘争」の時代でした。
そしてほとんどの民族解放闘争が勝利することで、
193の国連加盟国家による主権国家体制として
全地球の国際社会が運営されるようになりました。
しかし、主権国家として成立している
近代国民国家(ネイション)とは一体何なのか。
近代資本主義の双子の兄弟として成立しており、
「永遠平和のために」は、どうしても
ネイションとナショナリズムとは何なのか
を考察する必要があります。
簡単にネイションの問題点を触れますと
一つはネイションとネイションの対立です。
一つは、ネイション国家の中の
マイノリティや非ネイション的思考への抑圧です。
一つ目の説明です。
資本主義的生産様式が絶えず植えつける「競争原理」の思考パターンは、
ネイションとネイションの「競争」として対立する
相互不信の世界像を人々に育みます。
それは橋下氏に典型的なように愛国主義と戦争への備え、
命を捨てる覚悟の強調に導きます。
二つ目の説明です。
ネイションを形作るのは、
領域、言語、宗教、文化や生活習慣、歴史的記憶の
いずれかを共有するマジョリティ(多数派)のグループの集合心理です。
そうするとそのネイション国家の中の
マイノリティ(少数派)グループへの無視、軽視、抑圧が必ず生じます。
私たちは20世紀という帝国主義と戦争の時代を体験し、
ナショナリズム(愛国主義)が
流血を促進してきたことを知っています。
今日では、近代国民国家(ネイション)が、
歴史的に生成し、消滅してゆく存在であることを
明らかにした思想家たちがでてきました。
アメリカのケン・ウィルバーやアーヴィン・ラズロや
インドのP.R.サーカーです。
それらについて紹介してゆきたいと思います。
ただその前に19世紀と20世紀を、
ネイションの展開という角度から、
簡単にスケッチしたいと思います。
第一章
私たちは、2012年5月の地球で呼吸をしています。
1912年、すなわち100年前の地球をふりかってみましょう。
20世紀初頭に幸徳秋水は「帝国主義」、
レーニンは「帝国主義論」を書きます。
「文明世界の正義人道は、
決して愛国心の跋扈を許さないだろう。
必ずや、これを退けるだろう。
しかし、如何せん。
この卑しむべき愛国心は、
今や軍国主義となれり」(幸徳秋水)
当時、資本主義の双子の兄弟である愛国主義(ナショナリズム)は
その軍事力をもちいて、帝国主義となり
あたかも、囲碁のように、自分たちのネイションの拡大を追求しました。
(この地図は1888年ですからこれからどんどん分割が進む時期です)
イギリス、フランス、ロシア、
アメリカ、ドイツ、イタリア、
オランダ、(日本)など
僅かの数の「国民国家=ネイション」が、
地表のほとんどをその軍事力で占領しました。
この時期には、イギリス、フランス、ロシアの領域が
やたら広いことにきづくと思います。
アメリカ、ドイツ、イタリア、日本が、自分の領域の拡大に
踏み出すという時期です。
レーニンは『帝国主義論』の中で、
20世紀初頭の第一次世界大戦の本質を見事に解明しました。
少数の資本主義を発達させた国々が他の地域を
植民地、半植民地、従属国にしてして自分の勢力を拡張している。
地球の広さは有限であり、20世紀初頭にはもうこれ以上、
領土を拡張する余白がなくなってしまっている。
しかし、資本家とその政府の貪欲は限りがない。
急速に工業力、軍事力を高めてきた新入り資本主義のドイツが
帝国主義としてふるまおうとすると
すでに多くの領域を制覇している
イギリス、フランス、ロシアの領域から
奪うしかありません。
ついに強盗同士が二つのグループにわかれて、
地球表面の分捕り合戦が始まった。
ここに第一次世界大戦の本質がある。
「労働者、農民、兵士諸君、これは政府が
言っているような祖国擁護戦争ではない。
騙されていはけない。
戦争を続ける政府を倒して、
平和とパンが保障される国につくりかえようではないか」
と訴えて、ロシアを戦争の輪から脱出させました。
そしてロシアがイギリスやフランスと結んでいた
オスマントルコ帝国の領土をどう分け合うかの
密約を世界にばらします。
怒った各国はロシア革命をつぶすために軍隊を送り、
せっかく第一次世界大戦から抜けたのに
ロシアは今度は味方のだった国々の干渉戦争に苦労します。
(第一章の)まとめ
今から100年前の地球は、
少数の資本主義の帝国主義国が
どんどん植民地や従属国をふやして
他の国の勢力範囲(なわばり)に
なぐりこみをかけるしか、
自分の領土をさらに広げてゆくことが
できない段階にきていました。
当然、植民地分捕り合戦の戦争になります。
第一次世界大戦です。
第二次世界大戦はその第二回戦です。
第二次世界大戦には、植民地や従属国に
された国が、自分の国民国家ネイションを打ち立てる
という側面もあります。
100年後の2012年の今日も、戦争がつづき
うめき声や悲鳴が聞こえています。
この100年間に戦争で亡くなった魂は
たぶん一億人は超えるでしょう。
彼らが生まれ変わってこの地に現れた時
今度は戦争に怯えることのない人生を
送れようにしてあげる必要があります。
正常な正気の人間が
仕事として人間を殺さないと
いけないような
野蛮な文明の時代を終わらせ
新しい地球惑星社会を
実現してあげる必要があると
思うのです。
第一章の補足
「この100年間に戦争で亡くなった人は
たぶん一億人は超えるでしょう。」
と書いたのですが、
9318万人でした。
しかし、戦争が原因での飢餓や病気なども
広く犠牲者とカウントし、
最近のイラク戦争、アフガン戦争も
含めると本当に一億人を超えるかもしれません。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5228.html
の統計グラフによれば
第一次大戦 2600万人
第二次大戦 5355万人
この二つの戦争だけで7955万人
中国国共内戦 100万
朝鮮戦争 300万
ベトナム戦争 236万
ビアフラ内戦(ナイジェリア)200万人
カンボジア内戦 122万人
アフガン内戦 ソ連介入 150万人
モザンビーグ内戦 105万人
スーダン内戦 150万人
総計 9318万人
第二章 生成・発展・消滅の中に国民国家体制を位置づけたケン・ウィルバー
(1)
近代資本主義と近代国民国家、すなわちキャピタリズムとナショナリズムは
双子の兄弟であるという私の仮説を論じさせてもらっています。
マルクスの時代、彼の地域で、働く人々を劣悪な状態においていたのは
産業革命期の資本主義経済構造でした。
まだ双子の兄弟である国民国家(ネイション)が、全世界的な
展開をしていない時期であり、彼の念頭にはありませんでした。
しかし、近代国民国家は、彼の死後の今日までの
百数十年で、一億人もの人類の死をもたらす主体に
なりました。
マルクスが、近代資本主義を生成・発展・消滅の視野の中で見たように
近代国民国家主義を生成・発展・消滅の視野の中でとらえた思想を
紹介させてもらいます。
(2)
ケン・ウィルバーは、国民国家を次のように歴史的に位置づけます。
「集団・家族⇒部族⇒部族的村落⇒初期国家・帝国⇒国民国家⇒全地球的」
『進化の構造』305ページ
「今、私たちが立っているところはここである。・・・・
世界・地球的な社会制度の中に位置づけようと苦闘している
全世界的な変容の淵にたっているのである」
「この変容は、それがもっている地球的な方向へ、
とくにテクノロジー、経済的な基盤において、
三つの関連する要素によって動かされている。
(1)地球的資源の保護
生物圏は共有されており、どの国家、
どの人種、どの信条の集団にも属していない。
(2)世界金融システムを統制する必要性
金融システムは国境と対応していない。
(3)国際的な平和と安全を維持する必要性
・・・
これらは、文字どおり、国家を超えた
世界中心的な対応を必要とする
超国家的危機なのである。
こうした危機に対応するには
国家はその主権の一部を全世界的な
改善のために提供する必要がある。
・・・・
状況ははっきりしている。
国家による対応を遺物とするような
超国家的危機が存在するということである。
・・・
地球的変容、多元的な世界連合は
普遍的地球的な視界をもった個人によってのみ
展望され、理解され、実行されうる。
(ビジョンロジックという言葉を「視界」におきかえました)
そこでは、・・・共通の人間性という血が流れる
世界中心的な抱擁の中に・・・・・
人生の意味が見いだされるのである。」
(3)
労働者の労働条件や境遇、あるいは
帝国主義的な支配抑圧、
他地域の経済的搾取といったテーマに
光をあてようとするとウィルバーの議論からは
見えてきません。
しかし、ウィルバーは、すべての領域を
弁証法的発達の中でとらえようとしており
マルクスの視角からドロップしている
「国民国家」の歴史的な生成・発展・消滅をとらえており、
現在は国民国家を乗り越える苦闘の時期であると
いう観点があります。
国民国家の枠組みを超えて
世界中心思考の中で生きよう。
普遍的地球的な視界から現在の様々な
問題への対処を考えよう。
ウィルバーが問題意識としている
このような集合意識が広がることが
次の時代への展開のために
とても大切なことだと考えられます。
第三章 アーヴィン・ラズロ も生成・発展・消滅の中に国民国家体制を見る。
近代国民国家は、ここ百数十年で、一億人もの
人類の死をもたらす主体になりました。
マルクスが、
近代資本主義を生成・発展・消滅の視野の中で見たように
ケン・ウィルバーは
近代国民国家主義を生成・発展・消滅の視野の中でとらえていることを
紹介しました。
アーヴィン・ラズロもまた国民国家を
「生成・発展・消滅」の視野の中でとらえています。
「親族制(家族、氏族、部族)
→村落制→
→帝国制(神権政治、貴族制)→
→国民国家制(民主主義)→
→全地球的体制 」
『カオス・ポイント』191ページの図
「この1万年に起こった一連の社会文化的な変異によって、
旧石器時代の部族や新石器時代の農業共同体から、
バビロニア、エジプト、インド、中国の古代国家を経て、
ヨーロッパの封建国家・公国に至る、
さまざまな形態の組織が順次出現した。
今から、300年前あたりまで時代が下がったころ、
国民国家というシステムが生まれた。
このとき、同時に工業化社会も登場したのだ。
そして、今、わたしたちは、国民国家を超えて、
より包括的な、ポスト工業化文明へと至る、
社会文化的な変異が起こる臨界点まで達しているのである。」
189ページ
アーヴィン・ラズロは、生産力の新しい段階である
「情報革命」という新しい技術革新に注目します。
「情報や通信の技術は、
既存の工業化社会の構造を安定にしているが、
これは地球規模の影響をもたらし、
それによってひきおこされる「革命」は、
最初の産業革命を起こした蒸気や化石燃焼に基づく技術よりも、
何桁も早い速度で展開するだろう。
情報・通信分野において
驚異的な速度で進んでいる技術革新に駆り立てられて、
古典的な工業文明を超える社会文化的変異が
すぐそこまで迫ってきていることに、
わたしたち人間は気づいている。
システムが崩壊してしまわなければ、
次の変異によって、工業化時代の社会、経済、企業を
ゆさぶる「騒乱」に対処できる力をそなえた
地球文明・・・ホロス文明・・・が誕生するだろう。
わたしたちは、今、工業化時代のロゴスの文明と、
これから達成するはずのホロスの文明の間にある。
時の流れの中にある「決断期」に生きている。」
194ページ
私は、アーヴィン・ラズロのこの部分から、
マルクスの生産力と生産関係についての言葉を思い出します。
「人間は・・・かれらの物質的生産諸力の
一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。
この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、
これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、
また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している」
『経済学批判』序言
アーヴィン・ラズロの見方だと
機械制工業にもとづく文明は
国民国家(ネイション)とともにあります。
情報通信技術にもとづく文明は
地球惑星システムとともにあります。
つまり、われわれは、あたらしい生産力段階に達しており
それに照応する新しい生産関係(人間と人間との関係)が
必要ということです。
より高次の広域の地球規模の社会組織と
民主主義的生産関係に移行することが
必要な時代に生きていると考えられます。
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