Secrets Of Heaven , Mystery Teachings Of The Angels (Part Eighteen)
68 これは神々の考えと100%一致しているのです
This idea is same to gods perfectly
This article is content which is pre-issued of assistant of project of Heaven and gods and is very highest level.
Project of Heaven and gods decided to spread this point of view in whole human society.
Socialist earth government realizes by efforts to reduce nationalism in appropriate sized holon which is written here by Mitsuki
Mitsuki appeals to organize human society on basis of law of entire universe.
This idea is same to gods perfectly.
この論文は,みつきの天と神々のプロジェクトのアシスタントとしての発信を先取りした内容となっており,きわめてレベルの高いものであり,天と神々のプロジェクトは全面的にこの観点を普及することを決定しています。
社会主義地球政府は,ここにみつきが書いているナショナリズムを適切な大きさのホロンに縮小させる取り組みによって実現します。
みつきの議論は人類社会を,宇宙全体を貫く法則にもとづいて組織することを訴えたものです。
これは神々の考えと100%一致しているのです。
論点Ⅰ
「松尾さんはナショナリズムを批判されるけれど、対米従属のままで日本国家を解体したら、日本の個人や集団は孤立分断され無力となり米帝に良いようにされるだけなのではないでしょうか。はっきり言って、いまは、国共合作」に倣った方法をもって対米従属からの脱出を図らないと、日本にいる私たちの未来は開けにくいのでは?」
(1) わたしは、ネイション単位としての実体の解体を主張しているのではありません。
イ) ネイションとナショナリズムの違い
誤解があるのではないかとおもうのです。
ネイションとナショナリズム[国家と国家主義(民族と民族主義)]はちがうのです。
サルカールの用語法では、イズムとはドグマの集積したもので、それ以上、心が拡張してゆくことを妨げる「思い込み」です。
心は、その枠組みから外にでることができません。
したがって、ナショナリズムを批判するからといってネイション(国家)の単位としての実体を否定するのではないのです。
したがって、ナショナリズム批判とは、ネイションというものを心理面的で実体面で肥大化させてゆくことを批判するのであって、ネイションの単位としての実体の必要を否定するものでありません。
したがって、ナショナリズム批判は日本国家の解体を主張しているのではありません。
「含んで超える」ことを論じているのです。
ロ) ホラーキー階層制について
ウィルバーの「ホラーキー階層制」の概念で説明するとわかりやすいとおもいます。
ホロンとは、存在単位であり、「部分・全体」という意味で、個体ホロンは集合ホロンの中にのみ存在します。
原子はそれ自体ひとつの実体であり、全体ですが、分子の部分です。
分子はそれ自体全体ですが、細胞の部分です。
どこまでいってもこの世に存在する単位は、ホロン(部分・全体)です。
さらに細胞はひとつの全体ですが。臓器、身体を構成する部分です。
病理現象は、ホロンが肥大化し、不均衡が極端になることから生じます。
たとえば、ガンは、肥大化した細胞です。
適切なホロンの位置にもどさなくてはなりません。
万物の「進化の構造」はホラーキー構造になっているではないかというのがケン・ウィルバーの指摘です。
ホラーキー階層構造は、上意下達のヒエラルヒー構造ではないことに注意が必要です。
(2) ネイション・ホロンは解体できない
「多様性における統一」をめざす人類意識の立場からのナショナリズム批判も、ネイション・ホロンを対外的にも対内的にも適切な位置にすえる作業です。
すなわち、家族ホロン、地域社会ホロン、地方行政単位のホロン、国のホロン、(地域連邦政府のホロン、世界連邦政府のホロン)という集合ホロンを考えてみましょう。
マイ・ホーム主義を批判する人もマイ・ホームを解体しようとはしないでしょう。
(天皇家という血縁家族を国の根幹にすえた天皇制を廃止することは、天皇家を普通の家族ホロンにもどすことだとおもいます。
戦前は天皇家の家族ホロンが肥大化したとおもいます。
天皇家を普通の家族ホロンにもどす場合、天皇の家族を分散させ、解体することではありません)
国のホロンの内面的位置づけを肥大化させることがナショナリズムです。
その肥大化は、ネイション以下の下位ホロンに対してはヒエラルヒー構造を強めます。
対外的には他のネイションを下位にみようという衝動をともないます。
他のネイションと衝突を生みます。
だから、「多様性のもとで統一」をめざす人類の一員としての意識からのナショナリズム批判は、国を、ネイションを適切なホロンの位置におく作業なのです。
(井筒俊彦の「イスラーム生誕」という本によれば、ムハンマド出現以前のアラビア半島では、家族・部族という血縁集団のイズムの中に生きていました。
自分の血縁部族に命をかけた忠誠をすることが最高のほこりある生き方だったのです。
自分の部族のだれかが殺されたから、相手の部族の罪のない人を何人殺したたが誇りだったのです。
ムハンマドは、アラビア半島の部族の神々を、ひとつのアラーの神のもとに統一しました。
それは、部族の血縁イズムを超えたウンマ共同体という宗教教団をつくったことです。
この場合、部族イズムは批判されていますが、部族自体は解体されていません。
同じように、ネイションのイズムは批判されても、ネイション自体はなんからの形で残るのです。
ネイションを人類的規模で「含んで超える」闘いが必要な段階に世界史は入ってきたとわたしはみています)
(3) 上位ホロンを生み出すことと下位ホロンのホラーキー階層化のふたつの課題
世界連邦政府の樹立をめざしたネイション批判は、「日本国家の解体」をめざすのではなく、たとえて言えば、明治維新で廃藩置県をおこなったように、軍事・行政を兼ね備えていた藩が、日本政府という上位ホロンの下位ホロンである県になり、上位ホロンの部分になるようなものです。
(ただし、明治の時は、ホラーキー構造ではなく、ヒエラルヒー構造になってしまいました)
ホラーキー構造のもとに国が軍事を上位ホロンの世界政府に集中し、国は自分たちが決定権をもつ行政機構になるのです。
以下に、州や県といった下位の行政機構、さらにその下位の市町村も自分たちがそれぞれのホロン・レベルでの決定権をもつのです。
決定は下部から上部へ、上部は下部のより広域にわたる問題について調整して決定してゆきます。
これが、ホラーキー型民主主義です。
(サルカールは、こうしたシステムを、企業内の民主化による協同組合化とあわせて、経済民主主義とよびます。
サルカールのいう経済民主主義は、経済をホラーキー階層制で組織することです。
政治民主主義については、サルカールは、今は考えられる最善のものだが、将来よりベターな統治システムを人類は考案するであろうとサルカールは述べています。
わたしは、ホラーキー階層構造型の統治システムが、今日の民主主義を超えるシステムになるのではないかという直観を感じています)
現在、ホラーキー階層制の最高位に国民国家がありますが、国民国家を超えるホロン・レベルの出現をめざすナショナリズム批判なのです。
だから、ホラーキー階層制にもとづくナショナリズムの批判は、ネイションホロンを「含んで超える」より上位のホロンをつくる闘いです。
しかし、ホラーキー階層制にもとづくナショナリズム批判は、同時に、下位ホロンの諸階層をヒエラルヒー型からよりホラーキー型に変革し、下位の決定権を強める闘いをともないます。
今日、下位ホロンレベルの町や村の学校にまで、数段階上位ホロンである国の歌や旗を強制することが、ナショナリズムのひとつのあらわれとなっています。
このようなナショナリズムは上からのヒエラルヒーを強化しています。
心までどっぷりとナショナリズムにつかってしまった人ばっかりになったら、たとえば、学校内の教員組織のあり方までどんどんヒエラルヒー構造化してしまうでしょう。
ナショナリズム批判は、ヒエラルヒー階層構造に対してホラーキー階層構造の対案を掲げて闘うものでなくてはなりません。
(・・・・わたしの兄のつとめていた会社では、毎朝、東方礼拝といって、皇居に礼拝することがあったそうです。
それは会社のヒエラルヒー構造の強化にも役だったでしょう)、・・・・・
なお、経済の側面から考えると下部ホロンである地域経済単位が可能なかぎり、衣食住と教育、医療の最低限の必要について自給できることをめざします。
自給できる時、下部ホロンの力が高まります。
自己決定権が実体化します。
(4) ホラーキー階層制でこそ「自立と連帯」がすべての人に可能になり、個人は無力化から脱して連帯のもとで生活できます
家族⇒市町村⇒県⇒州⇒国⇒地域連邦政府⇒世界政府という集合ホロンのホラーキー階層構造は、心の外側です。
今度は心の内側を考えてみましょう。
市町村の地域文化があります。
わたしが子どものころ、たとえば境内で神楽がありました。
それなりの地域文化がありました。
沖縄などの文化には明確に地域的特徴があります。
それぞれの地域の多様な文化を保護育成します。
ネイション・ホロンを肥大化させるナショナリズムは、文化的単一化です。
地域的文化の多様性を尊重することは、ホラーキー階層構造の観点から可能です。
ネイション・ホロンを肥大化して、それに従順な人間をつくる方が、「日本の個人や集団は孤立分断され無力」となるとおもいます。
ホラーキー階層制においては、各ホロン・レベルの集団のオリジナルな文化を尊重されます。
また逆に、各ホロン・レベルのオリジナルな文化を尊重することにより各ホロンレベルの集団への帰属意識が高まり、結束力が強化されるでしょう。
他地域のホロンによって搾取・利用されることに対して闘う集団ができるでしょう。
そしてホラーキー階層構造には、出発点に個人ホロンの尊重があり、個人が連帯する形で各ホロンレベルの集合体が形成されます。
アメリカのよさのひとつは、開拓の中で自立した自足的なコミニティ・ホロンをつくり、コミュニティが文化や学校を育んできたところにあります。
今だに州によって法律がちがうのも、州がホロンとしての独立性を維持していることです。
地方自治というものをホラーキー階層構造の目でみなおす必要があります。
アメリカのよさと書きましたが、そのホラーキー的構造が、インディアンを排除するなどの問題をはらんでつくられていったことはあきらかです。
それは、すべての人間は平等といいながら、キリスト教プロテタント優位、WASP優位の思考をもっていて、真に普遍的なものでありませんでした。
しかし、わたしたちがめざすホラーキー階層構造は、「多様性にもとづく統一」、真に多を一に統合することをめざすものであり、排斥する部分の人類がいません。
(5) 「対米従属」「国共合作」について
対米従属からの自立は、アメリカの経済(多国籍企業)と軍事という肥大化ホロンを適切な大きさに縮小させる世界的な取り組みの中で実現してゆかねばなりません。
それには、チョムスキーたちがやっている「世界社会フォーラム」、これはイラク戦争反対でも大きなパワーを発揮しましたが、ここに結集する世界中の仲間とともに、世界全体のホラーキー階層化をめざしつつ、その視界の中で追求してゆくべきだとおもいます。
インターネットのネット・ワークなど、わたしたちがその気になれば、世界全体の人々と手をつなぐ基盤もできてきているとおもいます。
同じ課題を追求する人々と幅広く連帯することが必要なことはいうまでもありませんが、世界全体の地域の自立を共同してめざさず、アメリカに対して、ナショナリズムを発揚して、ひとまず、日本の完全自立だけを目標として、「国共合作」のように、たとえば石原慎太郎のようなナショリストと手をむすんで、幅広い戦線をつくったとしても、それはいっそう危険な結果をもたらすようにおもいます。
意に反して、ヒエラルヒー構造の強化、軍事強化、周辺諸国の対立激化をもたらすでしょう。
論点2
「私は、アメリカが日本に対しても、そんなに善良だったとは考えていません。きわめて狡猾な世界戦略が基本にあったのだったと思います。まあ、原爆、沖縄、東京、大阪その他の空襲が証例でしょう。
しかも、松尾さんの今回の記述では、先に悪しきイスラム・テロリストが居て、ブッシュが乗せられた。違うでしょう。英仏帝国主義があってアメリカがその跡を継いで、「中近東」、アジア、アフリカ、南米はその被害者で、その恨みから「テロリスト」も生じたのではないですか」
(1) 先生に紹介された「ジョン・ダワー 敗北を抱きしめて」の290ページの前後には、アメリカ占領時の対日方針をめぐる理想主義的なニューデーラーや左翼がかかわったことがかかれており、興味深いです。
わたしの記述は、アメリカが善良だったとは論じていません。
先にイスラム・テロリストがいて、ブッシュが乗せられているという記述にはなっていますが、ニューヨーク・テロからの現在の歴史の局面をきりとって論じているのであり、歴史の全体は、まさしく先生のおっしゃるようにわたしもとらえています。
中東に対する英仏帝国主義、それに対する解放闘争の勝利で政治的に独立した。
そこにアメリカ帝国主義が巧妙に石油支配とからめて、進出してきた。
それに対する反作用が生じているというのはまったくそのとおりです。
たとえば、1979年のホメイニーたちの宗教原理主義の勝利は、1953年のモサデク政権の石油国有化に対するアメリカCIAによるクーデターそのその後のシャーをつかった野蛮な統治が先にあります。
10月28日におくらせてもらった「テロリストは誰?と民主的世界政府」の文章に「歴史的な全体の文脈からみるとまさしく、アメリカへの第三世界の人々の憎悪とテロは、アメリカが世界を支配する搾取構造を維持しようとして、おこなってきたその悪行への反作用といえます」とわたし自身も指摘しています。
民族解放闘争として、住民が武器をとって闘うことは20世紀の3分1の時期に世界史を前進させた形式として評価できます。
ファルージャの住民の徹底抗戦もその意味では評価できます。
そして無実の人を多数殺しているアメリカの野蛮なやり方こそ悪魔であるという立場にわたしもたっています。
しかし、イスラム・テロリストとして無差別テロに走っている部分部分は、帝国主義に対する反作用、怨念のかたまりとして登場してきたことは認めますが、だからといって、彼らは無実の人々に野蛮な殺戮をおこなっている為に、どこからみても評価できません。
ヒトラーがベルサイユ体制のドイツいじめの反作用からでてきたものだとしても、ヒトラーとナチスをみとめることができないのと同じです。
ビン・ラディンたち無差別テロリストが、イスラム世界全体を西側に対して戦争に立ち上がらせようとしている、それに対してブッシュは、テロリストが期待するように、イスラム世界を攻撃している。
それは集合的心理に反作用を蓄積させるおろかな対処であるとのべているのです。
ビン・ラディンたちの所業は、これまでの民族解放闘争とは質的に異なった犯罪集団とみることが必要だとわたしはおもっています。
逮捕して法で裁くべき対象であるとおもいます。
チェチェンの小学校での殺戮も、ロシアのイスラム世界征服の反作用ですが、だからといって彼等の所業を認めるわけにはゆきません。
毛沢東は、闘争をすすめてゆく時に「有理、有利、有節」と述べたそうです。
彼等の闘いが歴史的な進歩の役割を果たしている時の言葉として評価できます。
闘争には、道理があって、利益かあって、節度がなくてはならないということです。
無差別テロリストたちには道理も利益も節度もありません。
人類解放の理念ではなく、むしろ反作用の怨念の固まりとなった犯罪者集団です。
もちろん、アメリカのやり方がよけいにそのようなテロにはしる人々を生み出す基盤を提供しており、そして世界経済のあり方もそうした基盤を提供しているゆえに、基盤自体をなくす取り組みが世界的に必要です。
それは、「世界社会フォーラム」などに結集しながら、追求することが必要だとおもいます。
わたしたちは、肥大化したネイション・ホロンを普通のホロンにもどす闘いをしなくはなりません。
しかし、相手のホロンレベルと同じレベルにたって闘争を導くならば、自分たちの仲間集団にも、次なる反作用の潜在力を蓄積していまいます。
だから、わたしたちは反作用の潜在力の蓄積から脱却する方向性を示しながら、闘わなくはなりません。
ネイションを「含んで超える」方向性を提起しなくては、作用と反作用がつづきます。
論点3 インド独立をめぐるサルカールの言及とナショナリズム
全領域にわたる総合的な闘争ではなく、ナショナリズムが反米権力闘争のみを突出させることの問題点について、思い出したことがあるので、論じさせてもらいます。
(1) 反搾取の意識を高める闘争を重視すべきだ
サルカールは「To the patriot」というナショナリズム論を含むスピーチの中で、インド独立闘争の間違い(搾取が継続したこと、インド・パキスタンに分裂したこと)は、反搾取の意識と闘争をひろげるのではなく、イギリスからの独立闘争に焦点をしぼったことにあるとガンジーも含めて国民会議派の指導者たちを批判していました。
サルカールは、繰り返し「搾取(exploitation=利用)の世界をめざしない」(No more exploitation)と強調します。
搾取には、経済的搾取、政治的搾取、そして知的心理的搾取、スピリチュアルな搾取の三領域にわたっており、自分は劣っていると思わせて支配的立場にたつ心理的搾取も最終的には、物的領域の経済的搾取に収斂すると述べています。
イギリスの植民地支配下で大衆の闘争が高まっている時、指導者たちは大衆に反搾取の意識、とりわけ経済的反搾取の意識を高めるべきだったとのべます。
反搾取の意識が高まらないと、インド人による搾取が白人の搾取にとってかわります。
大衆の意識を政治的独立にもってゆくことによって、つまりナショナリズムによって、反搾取感情を大衆にひろげることを妨げたわけです。
本質は、イギリス人が搾取するか、インド人が搾取するかではなく、搾取をなくすことにあります。
反搾取の意識をたかめることに、真の社会進歩の道があったわけです。
インドの独立は、独立に焦点をあてずに反搾取の総合的なとりくみの中で実現できたはずだといいます。
私自身の言い方をすれば、反搾取の意識を高めて実現する社会構造は、ホラーキー階層構造の社会です。
それぞれの地域が基本的生活必需品については自給し、他地域を搾取する必要のない構造づくりです。
そして各地域の下位ブロックと上位ブロックとの関係は、ホラーキー階層構造になり、下部が自己決定権をもちます。
インド人の反搾取意識が高揚するならば、経済的搾取の背景にあるイギリスの軍事的政治的支配も廃止することになります。
それは、イギリスをイギリスという島の適切なホロンの位置と大きさにもどす闘いでもあります。
(このレベルでは、ホラーキースト[ホラーキー社会をめざす人々=松尾の造語]もナショナリストも同じです。
しかし、ホラーキーストの場合は、インドでホラーキー階層構造のそれぞれのレベルに、定住したイギリス人がいても、同じ仲間として扱いますが、ナショナリズムではイギリス人をおいだすことになります)
(2) 権力闘争に重点をおくことで運動が分裂
ついでに言えば、サルカールは、ガンジーたち国民会議派が、反搾取に重点をおかず、独立闘争に重点をおく方針をとったことに、パキスタンとインドに分裂した原因があるとみています。
反搾取に重点をおいた経済民主主義の確立(これは経済のホラーキー構造です)は、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立を表面化させません。
ホラーキー階層構造では、イスラム教徒の住民の地域は、イスラム教徒住民が決定権をもっていますから、たとえば、多数派のヒンズー教徒が国家権力もったとしても、問題ではありません。
しかし、独立は、イギリス植民地権力機関にとってかわって、ヒンズー教徒が権力を掌握するならば、イスラム教徒にとっては、イギリス植民地時代と同じことになります。
つまり、イギリスから独立してインド人の権力掌握に焦点をあてたために、イスラム教徒とヒンズー教徒の非和解的対立を生み出し、インドが、パキスタンとインドに分裂したのです。
(3) 日本においても大衆の反搾取の意識を高めることに重点を
さて、もとの論点にもどります。
日本は、アメリカに軍事的、政治的、経済的に従属しながら、アメリカの軍事的政治的傘のもとで、アジア地域他へ経済的に進出し、その地域の資源を搾取(利用する)道を進み、それが構造化しています。
軍事的には、アメリカは沖縄などの日本の米軍基地を出撃拠点としてアフガニスタンやイラクを攻撃し、殺戮をおこなっています。
また日本は政治的にもアメリカに従属した役割を果たしています。
自衛隊のイラク派遣は、人道支援の名のもとに米軍の軍事的世界支配の片棒をかついでいます。
さらに米軍の世界支配の補完勢力としての役割を十全に果たすために9条を変えて戦争をできる国家にしようしています。
経済的には単純ではありません。
日本は基本的にエネルギーと食料という基本的な必需品においてアメリカに従属していることはあきらかです。
たとえば、日本は中東の石油に依存していますが、そのことは、経済の根幹がアメリカの多国籍企業に依存していることです。
同時にアメリカも含めて、中国などのアジア、また世界中に日本も経済進出をしています。
それは、資源のない日本の国是のようになっています。(文化的分析は省略します)
こうした状況のもとで、反搾取の意識を全領域にわたって高める努力をせずに、軍事的政治的に対米従属から脱却することにのみ人々の意識を導くならば、容易にナショナリストの支持基盤をひろげることになります。それは対外的には周辺諸国との紛争と国内的にヒエラルヒー構造強化の道です。
だから、今日の局面では、権力奪取に重点をおくよりも、(権力をめぐる闘争は、かならず、誰が権力の座につくかによって分裂が生じます)全領域レベルで対案をもったアプローチをしつつ、反搾取の意識を発達させることで、広範な人々の団結をつくりあげることが必要です。
反搾取の意識の広まりがないならば、たとえば、アメリカ軍の基地は日本軍(自衛隊)の基地にとってかわるだけのことになるでしょう。
アメリカ・ネイション・ホロンの肥大化にかわり、日本・ネイション・ホロンの肥大化の結果となるでしょう。私たちは、反米意識よりも反搾取意識を高めなくてはなりません。
集合ホロンの全レベル・全領域での反搾取の構造を実現してゆくとりくみが、必要だとおもいます。
政治的には、ネイションを超える世界政府ホロンの提起の中で、肥大化しているアメリカ・ネイション・ホロンを適切な大きさにしてゆく闘いをしてゆく。
世界政府をつくり、そこに軍隊を集中させるという思想を普及しつつ、米軍の撤退と9条の維持の考えを広げる。
もちろん、ときどきの重点はあるでしょう。
たとえば、現局面の重点は、アメリカ軍のファルージャへの猛攻撃の批判です。
(この方向で合意を得るためには、拉致や不審船で国民の不信感のたかまっている北朝鮮への見方、今回の国籍不明の原子力潜水艦で不信感をもたれている中国への見方、・・とりわけ北朝鮮への見方と対処を同時に論じないといけないとおもいますが、ひとまず、ここでおいておきます)
(4) 搾取のない世界への私見
反搾取の意識を高めるためには、搾取の解消の道筋を示す必要があります。
決定権を下位ホロンにおろしてゆくことが反搾取闘争のポイントとなります。
たとえば私見として経済的な対案を述べてみます。
① 自給的な地域経済圏をめざし、決定権を下位におろし、ホラーキー階層化をめざす、他の地域に従属せず、他の地域を従属させない
②小経営はそのままで、企業の経済民主化(協同組合化=ホラーキー構造化)をめざす、
③地方自治体経営のものは経営の透明化をする。(非生産的投資をした箱もの行政の批判をしつつ、住民による有効活用の道をさぐることもふくめて)
④ 世界社会フォーラムなどで、世界の他の地域で自給的なホラーキー経済をめざしている部分と連携する、搾取と従属の協力ではなく、自給できた上での余剰を交換し、協力しあう新しいタイプの協力のネット・ワークづくり
⑤基本的生活必需品をすべての人に保障する、そしてそれは雇用の保障を通じての実現をめざす。(ただし、病人や障害があり、働けない状況にある人は、従来型の給付で)
これは小泉改革としてなされている新自由主義的改革にまっこうからはむかう方向性です。
とりわけ、現在の局面は、購買力の強化が決定的に大切であるが、小泉改革には国民の購買力強化の観点が欠落しているために、日本以外の他の地域を搾取(利用)する方向をめざさざるをえません。
たとえば、より低賃金の地域に工場を進出させ、国内のリストラや賃金低下はすすみ、購買力さらに低下します。一般の人々は経済的にさらにひどいことになります。
決定権を下位におろしてゆくことと平行して、集合ホロンの各レベルでの内的な統合力を強化してゆくことが必要です。
それは下位ホロンの結束力を強化します。
そのために各地域の固有の文化を継承し、発展させます。
たとえば、ヨサコイ・ソーランなど若者を引き付ける祭りの新しいスタイルも発達しつつあります。
それはネイション・ホロン・レベル以下の市町村、県など各ホロンレベルでの文化の固有の文化の保護・継承発展です。
すなわち、ネイション・レベルの文化だけでなく、各ホロン・レベルで、それぞれの文化を尊重することです。
文化は、各レベルのホロン集団の団結と意識をたかめ、他のホロンによる搾取を許さない力となります。
世界の他地域の文化も、「人類としての自分たちの文化」という意識を養い、文化交流を活発にする中で、自分たちの固有の文化を人類文化のひとつとして感じるようにもってゆくことも同時に必要です。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Project of Heaven and gods decided to spread this point of view in whole human society.
Socialist earth government realizes by efforts to reduce nationalism in appropriate sized holon which is written here by Mitsuki
Mitsuki appeals to organize human society on basis of law of entire universe.
This idea is same to gods perfectly.
この論文は,みつきの天と神々のプロジェクトのアシスタントとしての発信を先取りした内容となっており,きわめてレベルの高いものであり,天と神々のプロジェクトは全面的にこの観点を普及することを決定しています。
社会主義地球政府は,ここにみつきが書いているナショナリズムを適切な大きさのホロンに縮小させる取り組みによって実現します。
みつきの議論は人類社会を,宇宙全体を貫く法則にもとづいて組織することを訴えたものです。
これは神々の考えと100%一致しているのです。
論点Ⅰ
「松尾さんはナショナリズムを批判されるけれど、対米従属のままで日本国家を解体したら、日本の個人や集団は孤立分断され無力となり米帝に良いようにされるだけなのではないでしょうか。はっきり言って、いまは、国共合作」に倣った方法をもって対米従属からの脱出を図らないと、日本にいる私たちの未来は開けにくいのでは?」
(1) わたしは、ネイション単位としての実体の解体を主張しているのではありません。
イ) ネイションとナショナリズムの違い
誤解があるのではないかとおもうのです。
ネイションとナショナリズム[国家と国家主義(民族と民族主義)]はちがうのです。
サルカールの用語法では、イズムとはドグマの集積したもので、それ以上、心が拡張してゆくことを妨げる「思い込み」です。
心は、その枠組みから外にでることができません。
したがって、ナショナリズムを批判するからといってネイション(国家)の単位としての実体を否定するのではないのです。
したがって、ナショナリズム批判とは、ネイションというものを心理面的で実体面で肥大化させてゆくことを批判するのであって、ネイションの単位としての実体の必要を否定するものでありません。
したがって、ナショナリズム批判は日本国家の解体を主張しているのではありません。
「含んで超える」ことを論じているのです。
ロ) ホラーキー階層制について
ウィルバーの「ホラーキー階層制」の概念で説明するとわかりやすいとおもいます。
ホロンとは、存在単位であり、「部分・全体」という意味で、個体ホロンは集合ホロンの中にのみ存在します。
原子はそれ自体ひとつの実体であり、全体ですが、分子の部分です。
分子はそれ自体全体ですが、細胞の部分です。
どこまでいってもこの世に存在する単位は、ホロン(部分・全体)です。
さらに細胞はひとつの全体ですが。臓器、身体を構成する部分です。
病理現象は、ホロンが肥大化し、不均衡が極端になることから生じます。
たとえば、ガンは、肥大化した細胞です。
適切なホロンの位置にもどさなくてはなりません。
万物の「進化の構造」はホラーキー構造になっているではないかというのがケン・ウィルバーの指摘です。
ホラーキー階層構造は、上意下達のヒエラルヒー構造ではないことに注意が必要です。
(2) ネイション・ホロンは解体できない
「多様性における統一」をめざす人類意識の立場からのナショナリズム批判も、ネイション・ホロンを対外的にも対内的にも適切な位置にすえる作業です。
すなわち、家族ホロン、地域社会ホロン、地方行政単位のホロン、国のホロン、(地域連邦政府のホロン、世界連邦政府のホロン)という集合ホロンを考えてみましょう。
マイ・ホーム主義を批判する人もマイ・ホームを解体しようとはしないでしょう。
(天皇家という血縁家族を国の根幹にすえた天皇制を廃止することは、天皇家を普通の家族ホロンにもどすことだとおもいます。
戦前は天皇家の家族ホロンが肥大化したとおもいます。
天皇家を普通の家族ホロンにもどす場合、天皇の家族を分散させ、解体することではありません)
国のホロンの内面的位置づけを肥大化させることがナショナリズムです。
その肥大化は、ネイション以下の下位ホロンに対してはヒエラルヒー構造を強めます。
対外的には他のネイションを下位にみようという衝動をともないます。
他のネイションと衝突を生みます。
だから、「多様性のもとで統一」をめざす人類の一員としての意識からのナショナリズム批判は、国を、ネイションを適切なホロンの位置におく作業なのです。
(井筒俊彦の「イスラーム生誕」という本によれば、ムハンマド出現以前のアラビア半島では、家族・部族という血縁集団のイズムの中に生きていました。
自分の血縁部族に命をかけた忠誠をすることが最高のほこりある生き方だったのです。
自分の部族のだれかが殺されたから、相手の部族の罪のない人を何人殺したたが誇りだったのです。
ムハンマドは、アラビア半島の部族の神々を、ひとつのアラーの神のもとに統一しました。
それは、部族の血縁イズムを超えたウンマ共同体という宗教教団をつくったことです。
この場合、部族イズムは批判されていますが、部族自体は解体されていません。
同じように、ネイションのイズムは批判されても、ネイション自体はなんからの形で残るのです。
ネイションを人類的規模で「含んで超える」闘いが必要な段階に世界史は入ってきたとわたしはみています)
(3) 上位ホロンを生み出すことと下位ホロンのホラーキー階層化のふたつの課題
世界連邦政府の樹立をめざしたネイション批判は、「日本国家の解体」をめざすのではなく、たとえて言えば、明治維新で廃藩置県をおこなったように、軍事・行政を兼ね備えていた藩が、日本政府という上位ホロンの下位ホロンである県になり、上位ホロンの部分になるようなものです。
(ただし、明治の時は、ホラーキー構造ではなく、ヒエラルヒー構造になってしまいました)
ホラーキー構造のもとに国が軍事を上位ホロンの世界政府に集中し、国は自分たちが決定権をもつ行政機構になるのです。
以下に、州や県といった下位の行政機構、さらにその下位の市町村も自分たちがそれぞれのホロン・レベルでの決定権をもつのです。
決定は下部から上部へ、上部は下部のより広域にわたる問題について調整して決定してゆきます。
これが、ホラーキー型民主主義です。
(サルカールは、こうしたシステムを、企業内の民主化による協同組合化とあわせて、経済民主主義とよびます。
サルカールのいう経済民主主義は、経済をホラーキー階層制で組織することです。
政治民主主義については、サルカールは、今は考えられる最善のものだが、将来よりベターな統治システムを人類は考案するであろうとサルカールは述べています。
わたしは、ホラーキー階層構造型の統治システムが、今日の民主主義を超えるシステムになるのではないかという直観を感じています)
現在、ホラーキー階層制の最高位に国民国家がありますが、国民国家を超えるホロン・レベルの出現をめざすナショナリズム批判なのです。
だから、ホラーキー階層制にもとづくナショナリズムの批判は、ネイションホロンを「含んで超える」より上位のホロンをつくる闘いです。
しかし、ホラーキー階層制にもとづくナショナリズム批判は、同時に、下位ホロンの諸階層をヒエラルヒー型からよりホラーキー型に変革し、下位の決定権を強める闘いをともないます。
今日、下位ホロンレベルの町や村の学校にまで、数段階上位ホロンである国の歌や旗を強制することが、ナショナリズムのひとつのあらわれとなっています。
このようなナショナリズムは上からのヒエラルヒーを強化しています。
心までどっぷりとナショナリズムにつかってしまった人ばっかりになったら、たとえば、学校内の教員組織のあり方までどんどんヒエラルヒー構造化してしまうでしょう。
ナショナリズム批判は、ヒエラルヒー階層構造に対してホラーキー階層構造の対案を掲げて闘うものでなくてはなりません。
(・・・・わたしの兄のつとめていた会社では、毎朝、東方礼拝といって、皇居に礼拝することがあったそうです。
それは会社のヒエラルヒー構造の強化にも役だったでしょう)、・・・・・
なお、経済の側面から考えると下部ホロンである地域経済単位が可能なかぎり、衣食住と教育、医療の最低限の必要について自給できることをめざします。
自給できる時、下部ホロンの力が高まります。
自己決定権が実体化します。
(4) ホラーキー階層制でこそ「自立と連帯」がすべての人に可能になり、個人は無力化から脱して連帯のもとで生活できます
家族⇒市町村⇒県⇒州⇒国⇒地域連邦政府⇒世界政府という集合ホロンのホラーキー階層構造は、心の外側です。
今度は心の内側を考えてみましょう。
市町村の地域文化があります。
わたしが子どものころ、たとえば境内で神楽がありました。
それなりの地域文化がありました。
沖縄などの文化には明確に地域的特徴があります。
それぞれの地域の多様な文化を保護育成します。
ネイション・ホロンを肥大化させるナショナリズムは、文化的単一化です。
地域的文化の多様性を尊重することは、ホラーキー階層構造の観点から可能です。
ネイション・ホロンを肥大化して、それに従順な人間をつくる方が、「日本の個人や集団は孤立分断され無力」となるとおもいます。
ホラーキー階層制においては、各ホロン・レベルの集団のオリジナルな文化を尊重されます。
また逆に、各ホロン・レベルのオリジナルな文化を尊重することにより各ホロンレベルの集団への帰属意識が高まり、結束力が強化されるでしょう。
他地域のホロンによって搾取・利用されることに対して闘う集団ができるでしょう。
そしてホラーキー階層構造には、出発点に個人ホロンの尊重があり、個人が連帯する形で各ホロンレベルの集合体が形成されます。
アメリカのよさのひとつは、開拓の中で自立した自足的なコミニティ・ホロンをつくり、コミュニティが文化や学校を育んできたところにあります。
今だに州によって法律がちがうのも、州がホロンとしての独立性を維持していることです。
地方自治というものをホラーキー階層構造の目でみなおす必要があります。
アメリカのよさと書きましたが、そのホラーキー的構造が、インディアンを排除するなどの問題をはらんでつくられていったことはあきらかです。
それは、すべての人間は平等といいながら、キリスト教プロテタント優位、WASP優位の思考をもっていて、真に普遍的なものでありませんでした。
しかし、わたしたちがめざすホラーキー階層構造は、「多様性にもとづく統一」、真に多を一に統合することをめざすものであり、排斥する部分の人類がいません。
(5) 「対米従属」「国共合作」について
対米従属からの自立は、アメリカの経済(多国籍企業)と軍事という肥大化ホロンを適切な大きさに縮小させる世界的な取り組みの中で実現してゆかねばなりません。
それには、チョムスキーたちがやっている「世界社会フォーラム」、これはイラク戦争反対でも大きなパワーを発揮しましたが、ここに結集する世界中の仲間とともに、世界全体のホラーキー階層化をめざしつつ、その視界の中で追求してゆくべきだとおもいます。
インターネットのネット・ワークなど、わたしたちがその気になれば、世界全体の人々と手をつなぐ基盤もできてきているとおもいます。
同じ課題を追求する人々と幅広く連帯することが必要なことはいうまでもありませんが、世界全体の地域の自立を共同してめざさず、アメリカに対して、ナショナリズムを発揚して、ひとまず、日本の完全自立だけを目標として、「国共合作」のように、たとえば石原慎太郎のようなナショリストと手をむすんで、幅広い戦線をつくったとしても、それはいっそう危険な結果をもたらすようにおもいます。
意に反して、ヒエラルヒー構造の強化、軍事強化、周辺諸国の対立激化をもたらすでしょう。
論点2
「私は、アメリカが日本に対しても、そんなに善良だったとは考えていません。きわめて狡猾な世界戦略が基本にあったのだったと思います。まあ、原爆、沖縄、東京、大阪その他の空襲が証例でしょう。
しかも、松尾さんの今回の記述では、先に悪しきイスラム・テロリストが居て、ブッシュが乗せられた。違うでしょう。英仏帝国主義があってアメリカがその跡を継いで、「中近東」、アジア、アフリカ、南米はその被害者で、その恨みから「テロリスト」も生じたのではないですか」
(1) 先生に紹介された「ジョン・ダワー 敗北を抱きしめて」の290ページの前後には、アメリカ占領時の対日方針をめぐる理想主義的なニューデーラーや左翼がかかわったことがかかれており、興味深いです。
わたしの記述は、アメリカが善良だったとは論じていません。
先にイスラム・テロリストがいて、ブッシュが乗せられているという記述にはなっていますが、ニューヨーク・テロからの現在の歴史の局面をきりとって論じているのであり、歴史の全体は、まさしく先生のおっしゃるようにわたしもとらえています。
中東に対する英仏帝国主義、それに対する解放闘争の勝利で政治的に独立した。
そこにアメリカ帝国主義が巧妙に石油支配とからめて、進出してきた。
それに対する反作用が生じているというのはまったくそのとおりです。
たとえば、1979年のホメイニーたちの宗教原理主義の勝利は、1953年のモサデク政権の石油国有化に対するアメリカCIAによるクーデターそのその後のシャーをつかった野蛮な統治が先にあります。
10月28日におくらせてもらった「テロリストは誰?と民主的世界政府」の文章に「歴史的な全体の文脈からみるとまさしく、アメリカへの第三世界の人々の憎悪とテロは、アメリカが世界を支配する搾取構造を維持しようとして、おこなってきたその悪行への反作用といえます」とわたし自身も指摘しています。
民族解放闘争として、住民が武器をとって闘うことは20世紀の3分1の時期に世界史を前進させた形式として評価できます。
ファルージャの住民の徹底抗戦もその意味では評価できます。
そして無実の人を多数殺しているアメリカの野蛮なやり方こそ悪魔であるという立場にわたしもたっています。
しかし、イスラム・テロリストとして無差別テロに走っている部分部分は、帝国主義に対する反作用、怨念のかたまりとして登場してきたことは認めますが、だからといって、彼らは無実の人々に野蛮な殺戮をおこなっている為に、どこからみても評価できません。
ヒトラーがベルサイユ体制のドイツいじめの反作用からでてきたものだとしても、ヒトラーとナチスをみとめることができないのと同じです。
ビン・ラディンたち無差別テロリストが、イスラム世界全体を西側に対して戦争に立ち上がらせようとしている、それに対してブッシュは、テロリストが期待するように、イスラム世界を攻撃している。
それは集合的心理に反作用を蓄積させるおろかな対処であるとのべているのです。
ビン・ラディンたちの所業は、これまでの民族解放闘争とは質的に異なった犯罪集団とみることが必要だとわたしはおもっています。
逮捕して法で裁くべき対象であるとおもいます。
チェチェンの小学校での殺戮も、ロシアのイスラム世界征服の反作用ですが、だからといって彼等の所業を認めるわけにはゆきません。
毛沢東は、闘争をすすめてゆく時に「有理、有利、有節」と述べたそうです。
彼等の闘いが歴史的な進歩の役割を果たしている時の言葉として評価できます。
闘争には、道理があって、利益かあって、節度がなくてはならないということです。
無差別テロリストたちには道理も利益も節度もありません。
人類解放の理念ではなく、むしろ反作用の怨念の固まりとなった犯罪者集団です。
もちろん、アメリカのやり方がよけいにそのようなテロにはしる人々を生み出す基盤を提供しており、そして世界経済のあり方もそうした基盤を提供しているゆえに、基盤自体をなくす取り組みが世界的に必要です。
それは、「世界社会フォーラム」などに結集しながら、追求することが必要だとおもいます。
わたしたちは、肥大化したネイション・ホロンを普通のホロンにもどす闘いをしなくはなりません。
しかし、相手のホロンレベルと同じレベルにたって闘争を導くならば、自分たちの仲間集団にも、次なる反作用の潜在力を蓄積していまいます。
だから、わたしたちは反作用の潜在力の蓄積から脱却する方向性を示しながら、闘わなくはなりません。
ネイションを「含んで超える」方向性を提起しなくては、作用と反作用がつづきます。
論点3 インド独立をめぐるサルカールの言及とナショナリズム
全領域にわたる総合的な闘争ではなく、ナショナリズムが反米権力闘争のみを突出させることの問題点について、思い出したことがあるので、論じさせてもらいます。
(1) 反搾取の意識を高める闘争を重視すべきだ
サルカールは「To the patriot」というナショナリズム論を含むスピーチの中で、インド独立闘争の間違い(搾取が継続したこと、インド・パキスタンに分裂したこと)は、反搾取の意識と闘争をひろげるのではなく、イギリスからの独立闘争に焦点をしぼったことにあるとガンジーも含めて国民会議派の指導者たちを批判していました。
サルカールは、繰り返し「搾取(exploitation=利用)の世界をめざしない」(No more exploitation)と強調します。
搾取には、経済的搾取、政治的搾取、そして知的心理的搾取、スピリチュアルな搾取の三領域にわたっており、自分は劣っていると思わせて支配的立場にたつ心理的搾取も最終的には、物的領域の経済的搾取に収斂すると述べています。
イギリスの植民地支配下で大衆の闘争が高まっている時、指導者たちは大衆に反搾取の意識、とりわけ経済的反搾取の意識を高めるべきだったとのべます。
反搾取の意識が高まらないと、インド人による搾取が白人の搾取にとってかわります。
大衆の意識を政治的独立にもってゆくことによって、つまりナショナリズムによって、反搾取感情を大衆にひろげることを妨げたわけです。
本質は、イギリス人が搾取するか、インド人が搾取するかではなく、搾取をなくすことにあります。
反搾取の意識をたかめることに、真の社会進歩の道があったわけです。
インドの独立は、独立に焦点をあてずに反搾取の総合的なとりくみの中で実現できたはずだといいます。
私自身の言い方をすれば、反搾取の意識を高めて実現する社会構造は、ホラーキー階層構造の社会です。
それぞれの地域が基本的生活必需品については自給し、他地域を搾取する必要のない構造づくりです。
そして各地域の下位ブロックと上位ブロックとの関係は、ホラーキー階層構造になり、下部が自己決定権をもちます。
インド人の反搾取意識が高揚するならば、経済的搾取の背景にあるイギリスの軍事的政治的支配も廃止することになります。
それは、イギリスをイギリスという島の適切なホロンの位置と大きさにもどす闘いでもあります。
(このレベルでは、ホラーキースト[ホラーキー社会をめざす人々=松尾の造語]もナショナリストも同じです。
しかし、ホラーキーストの場合は、インドでホラーキー階層構造のそれぞれのレベルに、定住したイギリス人がいても、同じ仲間として扱いますが、ナショナリズムではイギリス人をおいだすことになります)
(2) 権力闘争に重点をおくことで運動が分裂
ついでに言えば、サルカールは、ガンジーたち国民会議派が、反搾取に重点をおかず、独立闘争に重点をおく方針をとったことに、パキスタンとインドに分裂した原因があるとみています。
反搾取に重点をおいた経済民主主義の確立(これは経済のホラーキー構造です)は、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立を表面化させません。
ホラーキー階層構造では、イスラム教徒の住民の地域は、イスラム教徒住民が決定権をもっていますから、たとえば、多数派のヒンズー教徒が国家権力もったとしても、問題ではありません。
しかし、独立は、イギリス植民地権力機関にとってかわって、ヒンズー教徒が権力を掌握するならば、イスラム教徒にとっては、イギリス植民地時代と同じことになります。
つまり、イギリスから独立してインド人の権力掌握に焦点をあてたために、イスラム教徒とヒンズー教徒の非和解的対立を生み出し、インドが、パキスタンとインドに分裂したのです。
(3) 日本においても大衆の反搾取の意識を高めることに重点を
さて、もとの論点にもどります。
日本は、アメリカに軍事的、政治的、経済的に従属しながら、アメリカの軍事的政治的傘のもとで、アジア地域他へ経済的に進出し、その地域の資源を搾取(利用する)道を進み、それが構造化しています。
軍事的には、アメリカは沖縄などの日本の米軍基地を出撃拠点としてアフガニスタンやイラクを攻撃し、殺戮をおこなっています。
また日本は政治的にもアメリカに従属した役割を果たしています。
自衛隊のイラク派遣は、人道支援の名のもとに米軍の軍事的世界支配の片棒をかついでいます。
さらに米軍の世界支配の補完勢力としての役割を十全に果たすために9条を変えて戦争をできる国家にしようしています。
経済的には単純ではありません。
日本は基本的にエネルギーと食料という基本的な必需品においてアメリカに従属していることはあきらかです。
たとえば、日本は中東の石油に依存していますが、そのことは、経済の根幹がアメリカの多国籍企業に依存していることです。
同時にアメリカも含めて、中国などのアジア、また世界中に日本も経済進出をしています。
それは、資源のない日本の国是のようになっています。(文化的分析は省略します)
こうした状況のもとで、反搾取の意識を全領域にわたって高める努力をせずに、軍事的政治的に対米従属から脱却することにのみ人々の意識を導くならば、容易にナショナリストの支持基盤をひろげることになります。それは対外的には周辺諸国との紛争と国内的にヒエラルヒー構造強化の道です。
だから、今日の局面では、権力奪取に重点をおくよりも、(権力をめぐる闘争は、かならず、誰が権力の座につくかによって分裂が生じます)全領域レベルで対案をもったアプローチをしつつ、反搾取の意識を発達させることで、広範な人々の団結をつくりあげることが必要です。
反搾取の意識の広まりがないならば、たとえば、アメリカ軍の基地は日本軍(自衛隊)の基地にとってかわるだけのことになるでしょう。
アメリカ・ネイション・ホロンの肥大化にかわり、日本・ネイション・ホロンの肥大化の結果となるでしょう。私たちは、反米意識よりも反搾取意識を高めなくてはなりません。
集合ホロンの全レベル・全領域での反搾取の構造を実現してゆくとりくみが、必要だとおもいます。
政治的には、ネイションを超える世界政府ホロンの提起の中で、肥大化しているアメリカ・ネイション・ホロンを適切な大きさにしてゆく闘いをしてゆく。
世界政府をつくり、そこに軍隊を集中させるという思想を普及しつつ、米軍の撤退と9条の維持の考えを広げる。
もちろん、ときどきの重点はあるでしょう。
たとえば、現局面の重点は、アメリカ軍のファルージャへの猛攻撃の批判です。
(この方向で合意を得るためには、拉致や不審船で国民の不信感のたかまっている北朝鮮への見方、今回の国籍不明の原子力潜水艦で不信感をもたれている中国への見方、・・とりわけ北朝鮮への見方と対処を同時に論じないといけないとおもいますが、ひとまず、ここでおいておきます)
(4) 搾取のない世界への私見
反搾取の意識を高めるためには、搾取の解消の道筋を示す必要があります。
決定権を下位ホロンにおろしてゆくことが反搾取闘争のポイントとなります。
たとえば私見として経済的な対案を述べてみます。
① 自給的な地域経済圏をめざし、決定権を下位におろし、ホラーキー階層化をめざす、他の地域に従属せず、他の地域を従属させない
②小経営はそのままで、企業の経済民主化(協同組合化=ホラーキー構造化)をめざす、
③地方自治体経営のものは経営の透明化をする。(非生産的投資をした箱もの行政の批判をしつつ、住民による有効活用の道をさぐることもふくめて)
④ 世界社会フォーラムなどで、世界の他の地域で自給的なホラーキー経済をめざしている部分と連携する、搾取と従属の協力ではなく、自給できた上での余剰を交換し、協力しあう新しいタイプの協力のネット・ワークづくり
⑤基本的生活必需品をすべての人に保障する、そしてそれは雇用の保障を通じての実現をめざす。(ただし、病人や障害があり、働けない状況にある人は、従来型の給付で)
これは小泉改革としてなされている新自由主義的改革にまっこうからはむかう方向性です。
とりわけ、現在の局面は、購買力の強化が決定的に大切であるが、小泉改革には国民の購買力強化の観点が欠落しているために、日本以外の他の地域を搾取(利用)する方向をめざさざるをえません。
たとえば、より低賃金の地域に工場を進出させ、国内のリストラや賃金低下はすすみ、購買力さらに低下します。一般の人々は経済的にさらにひどいことになります。
決定権を下位におろしてゆくことと平行して、集合ホロンの各レベルでの内的な統合力を強化してゆくことが必要です。
それは下位ホロンの結束力を強化します。
そのために各地域の固有の文化を継承し、発展させます。
たとえば、ヨサコイ・ソーランなど若者を引き付ける祭りの新しいスタイルも発達しつつあります。
それはネイション・ホロン・レベル以下の市町村、県など各ホロンレベルでの文化の固有の文化の保護・継承発展です。
すなわち、ネイション・レベルの文化だけでなく、各ホロン・レベルで、それぞれの文化を尊重することです。
文化は、各レベルのホロン集団の団結と意識をたかめ、他のホロンによる搾取を許さない力となります。
世界の他地域の文化も、「人類としての自分たちの文化」という意識を養い、文化交流を活発にする中で、自分たちの固有の文化を人類文化のひとつとして感じるようにもってゆくことも同時に必要です。
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all H.P. of project of Heaven and gods