Omar Akram  Dancing with the wind (video inspired by god of star)



50 社会の概念を顕在と非顕在の対立の統一として理解せよ
concept of society should be understood as unity of conflict between presence and non-presence

This article is that concept of society should be understood as unity of conflict between presence and non-presence.
Society is collective body of I consciousness in view of non-presence side.
Gods of heaven downed to Marx as communism which is collective body of I consciousness of non-presence of society of gods.

この論文は,社会の概念を顕在と非顕在の対立の統一として理解せよ,です。
社会は非顕在側からみれば私意識の集合体です。
天の神々は神の社会である共産主義を摂理にもとづく私意識の集合体としてマルクスにおろしました。



私がお世話になっている中村医師は、用語一つ一つを再考せよとおっしゃいました。
そこで、「生存権」、「健康」の用語についての返事を紹介しました。
今回は「社会権」という用語の返事について紹介します。

社会権は、百科事典では、「国家が個人の生存の維持・発展に必要な諸条件の確保に責任を負う社会国家において,社会保障施策などを要求しうる国民の権利」とあります。
社会権は20世紀に入り、1919年のドイツのワイマール憲法(1919)ではじめて規定され、現在の日本国憲法の「生存権(25条),教育を受ける権利(26条),勤労の権利(27条)および労働基本権(28条)など」にあたります。
「社会権は国家権力の積極的関与により社会的・経済的弱者の生存の維持をはかるもの」とあります(「」内の引用は、平凡社の百科事典です)

まず、社会という用語について。サルカールは、サンスクリットのサマージsamajという言葉を用います。
このサマージとは、「電車にたまたま乗り合わせた人々の集団」ではなく、「互いに助け合う協力の精神で結ばれた人間集団」をあらわします。
そして小さな集団から63億の全人類まで、このような精神でむすばれたサマージ(社会)にすることをめざします。
そして、人類はいまだサマージを実現していないと言います。

以下は、サルカールの言葉からの「サマージ=社会」についての引用です。
私はこのような内面世界をもった社会をめざしたいと思います。
『この世界に完全に独立している人は一人としていません。
あらゆる人がなんらかの形で他の誰かに依存しています。
誰もが、他の人の助けを借りて、自分の足りないところを補っています』
だから、それぞれの違いをこえて、互いにまとまろうと努力する心をもって進んでいる時に、はじめて「ともにすすむ『社会』(サマージ)であると言うことができます」

『社会とは巡礼している人々の集団のようなものです。
そのシーンを想像してみてください。
巡礼者の一人がコレラで倒れたとしましょう。
残りの人は、その病気の人を後に残して予定どおり進み続けるでしょうか。
いいえ、彼らにとってそれはありえないことです。
むしろ、一日か二日、旅を続けるのをやめて病人を世話するでしょう。
もし、それでもなお病人が歩けなかったら肩に背負って運んでゆくでしょう。
もし、食べ物が足りない人がいたら、自分たちの食べ物を分け合うでしょう。
声を合わせて歌いながら、自分たちの持ち物を共有しながら、共に前進してゆくでしょう』

(「社会」に助け合う内的精神の意味内容をもたせる)
さて、「社会権」における社会とは、近代ネイション国家に統合された人間集団をさしており、その人間集団が「協力しあうという内的精神」をもっているかどうかは問われません。
ウィルバーは四象限アプローチをとなえています。
上象限が個人であり、下象限が集団です。
左象限が内面であり、右象限は外面です。
「社会権」の社会は、外面を意味しています。
(世間には内側の意味がありますが、社会は観察可能な外側です)

それは近代の重要な達成物だと思います。
この達成を評価しつつ、左下象限(心の内面領域)においてサルカールの提起するサマージ「社会」の精神を吹き込むものしてゆく必要があると思います。

(すべての人類の社会権を視野にいれる)
そしてこのサルカールが小さな人間グループから人類集団全体のサマージ(社会)化をめざしていることと比較する時、この「社会権」はネイション国家と人間集団の枠内に限られています。
社会権などを含む「基本的人権」とは、fundamental human rightであり、もともとすべての人間が普遍的にもつ権利のはずですが、実際にはネイション国家の枠内で実現してきたために、その国家的限界をもっていると考えます。

このように社会権は、ネイション国家の枠内にありますが、サルカールの創始した進歩的社会主義の理論は、人類全体のサマージ「社会」をつくるべく、普通に生きてゆけるだけの衣食住、医療、教育は地球のすべての地域の人々が保障される地球社会システムをつくる必要があると考えています。

(「基本的な衣食住、教育、医療の保障」のあり方について)
進歩的社会主義の考えでは、社会権の保障のあり方が、現在と異なります。
以下は、サルカールの弟子が書いた「アフター・キャピタリズム」の本からの引用です。

「公平な賃金で有意義な雇用の権利も、基本的な人間の権利です。
リベラルな民主主義国家の現在の生活保護システムがおこなっているように、政府機関によって最低限の生活必需品が与えられるべきではありません。
そうではなくて、最低限の生活必需品は、正直な仕事によって得た収入によって支払らわれるべきです。
完全雇用を維持する政策を追求することは、行政のすべてのレベルの責任です。
その雇用は、有意義な仕事であるべきで、それぞれの労働者のもつ技能と能力を活用するものであるべきです。
最低賃金は、人々が生活必需品を購入するのに十分なレベルに設定されるべきです。

ほとんどの生活保護システムは、生活保護受給者の働く意欲を育まないものとなっています。
たとえば、合衆国では、生活保護を受け取る人々は、働いて稼いだ額をすぐに報告しなくてはなりません。
それは、次の生活保護の額から差し引かれます。
月々の生活保護を犠牲にすることなしには、彼らは小さなビジネスを始めるお金を借りることもできません。
このようにして、生活保護受給者の心は、貧困と生活保護システムの両方に依存するようになります。
それに対して、プラウトは、身体的あるいは心理的に働くことができない人々に対して特別の臨時の措置として生活保護を与えるでしょう。
(中略)
プラウトの枠組みでは、人々の購買力が経済的進歩の指標となります。
購買力を恒常的な向上させてゆくためには、いくつかの要素が必要です。
たとえば、基本的な商品とサービスが入手できること、安定した価格、進歩的(漸進的)で定期的な賃金の上昇、集合的な富と生産性の増大などです。
この惑星の誰一人として、自分の家族のための衣食住、教育、医療ケアのためのお金について心配しない世界が実現したら、何とすばらしいことでしょう」

サルカールは、雇用の保障による衣食住なとの保障を重視します。
完全雇用への努力をしない政府や行政を批判し、次の職場を見つけるまで解雇できないという条文を法律にいれるべきだとも言及していました。
行政にたよらずに自立させるように導くことによる社会権の保障と言うべきでしょうか。

   サルカールの進歩的社会主義は、旧来の社会主義と逆で、国家から可能なかぎり自立した経済をめざします。
協同組合企業のネットワークが経済基幹部分を構成しますから、これは、真の人民民営化(民主主義経済)です。
社会権の保障においても、人民が国家と行政に依存しないように雇用の保障を推進するわけです。




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