『幸せの経済学』ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ監督メッセージ(video inspired by god of star)



5 資本主義生産はたえず新しい市場を開拓するために生産物への願望を引き出すために住民の嗜好を変えるcapitalist production change taste of residents in order to bring out desire of product in order to develop new market constantly

This article is that capitalist production change taste of residents in order to bring out desire of product in order to develop new market constantly.
Capital which gods of heaven downed Marx make clear mechanism of expanded reproduction of capitalism.
Expanded reproduction of capitalism cannot stop until socialist production sharing means of production.
It means that exploitation of human beings and nature continues.

この論文は,資本主義生産はたえず新しい市場を開拓するために生産物への願望を引き出すために住民の嗜好を変える,です。
天の神々がおろしたマルクスの資本論は資本主義の拡大再生産のしくみを解明しました。
資本主義の拡大再生産は生産手段共有の社会主義生産になるまで止まることができません。
それは人間と自然に対する搾取が続くことを意味します。

(1)
<『幸せの経済学』 あらすじ>
http://www.shiawaseno.net/about-2
のページの次の箇所を読んでいて
感じたことを紹介します。

「-ラダックに迫る近代化の波 -
 急速なスピードで世界的に広がった近代化の波は、
30年前まで外国人立入禁止地域だったヒマラヤの辺境ラダックにも押し寄せていました。
西欧の消費文化はあっという間に彼らの伝統的な生活スタイルを一変させ、
自然との関わりを切り離し、人との繋がりを希薄化させることにより、
彼らのアイデンティティーや伝統文化の誇りまでも奪っていきました。
その証拠に、昔はいきいきと目を輝かせて暮らしていたラダックの人びとが、
10年後には「(欧米文化に比べ)私たちは何も持っていない、
貧しいんだ。支援が必要だ」と訴えるようになったのです。
この映画では、消費文化に翻弄されるラダックの人びとの姿をもとに、
世界中の環境活動家たちがグローバリゼーションの負の側面を指摘し、
本当の豊かさとは何か、を説いていきます。」

ここには、伝統的な生活スタイルと文化の中で生きる人々における
「消費生活におけるグローバリゼーション」の意味が
リアルに描かれています。

(2)
経済決定プロセスが中心に集中している資本主義経済構造は
伝統的地域の再生産構造(小さい三角)を破壊しながら
巨大な三角に組み込んでゆきます。

巨大な三角に組み込まれる地域の人々は、
現代的な工業製品の市場に組み込まれます。
それは地域の人々の憧れ、価値観を塗り替えることを意味します。
より斬新な商品を見せられた地域の人々は
自分たちがもっているものは
もう古いもので、自分たちに幸せをもたらないものだという
劣等コンプレックスを抱かせられます。

サーカーは、搾取(exploit=利用)を三つの層にわけて
すなわち物的領域での搾取、知的心理的領域での搾取、
スピリットの領域での搾取にわけて論じていました。

この自分たちの伝統的な暮らしや文化や生活スタイルや
それらを発達させてきた物品が
現代的な生活スタイルやそれをささえる商品よりも
劣っているのだとコンプレックスを抱かせられることを
知的心理的搾取であるとします。
そしてその知的心理的搾取は
結局のところ物的領域で搾取に帰結するのだと
述べていました。

(3)
「対案はローカリゼーション」というのは
経済的領域で考えると
それぞれの地域での基本的必需品の経済的再生産構造を
つくること、すなわち小さい三角の循環を生み出すこと
であり
文化的領域で考えると
そしてそれぞれの地域でちつかってきた
伝統的な生活スタイルや伝統的な生産物を
現代的な形で今日に生かして発展させることだと
理解します。

宮崎さんが食の立場から力説されていることは
この文脈からもとても意義あるものだと思っています。

資本主義経済システムは
消費の面からみると開発した新商品への願望を
果てし無くひきだす必要があります。
この思考パターンの中にある人々に
新しい生き方、新しい思考パターンの
集合意識を育てる意味でも
この映画はとても有益だろうと思います。

(4)
私は、1979年のイスラム革命のホメイニーではない
もう一人の知識人の革命リーダーのアリー・シャリアティの
スピーチを思い出しました。
彼は次のように述べています。

「厳密に言えば、modernized (現代化した)は、
modernized in consumption(消費における現代化)を意味します
。 現代化した人は、その好みがかわり、
自分のほしいものを満たすために
今やmodern(現代的)な品目を願望します。

言い換えれば
その人は西洋から新しい生活形態と物品を輸入します。
そして自分たちのオリジナルな過去から発展させてきた
生活スタイルや生産物の新しいものを使わなくなります。
非西洋人は、そのような消費のために現代化modernizeします

西洋人は、抵抗をおそれて
彼らの知性と心とパーソナリティを作り替えつつあることは
言いません。
西洋人は、非ヨーロッパ人に新しい消費パターンをおしつけるために
Modernization(現代化)とCivilization(文明化)を
同等視させるようにしてきました。

Modernization(現代化)がCivilization(文明化)である
と定義されてきました。
そして非西洋人の知識人は
現代化するために西洋人の計画に協力しました。
そしてブルジョアジーや資本家以上に
自分たちの消費パターンやライフスタイルをかえるために全力をつくしました。

非西洋人はそのような新しい生産物を製造する能力をもたなかったので、
かれらは自動的にそれらを製造する人々に技術的に依存せざるをえませんでした。
そして人々が自分たちの生み出したものを買うようにもってゆきました。」
(Reflections of humanity
Ali Shariatiの講演集の
Civilization and Modanization
から)
(シャリアティはイスラムを原理とする革命によって民主的な社会にしようとし
聖職者独裁を彼の理論は批判していました)

「modernization」というのをわざと「現代化」と
訳したのですが、普通は近代化と訳されます。
(近代化というと過去の出来事のような感じなので
今も生じていることだといいたいので、現代化と訳しました

アリー・シャリアティはフランスに留学して社会学を研究していたのですが
自動車会社が、高い給料で、社会学者や心理学者を募集していました。
そこで社会学を研究しいたシャリアティは、面接に行って
なぜ、自動車会社がなぜ、エンジニアよりも、
そのような人間を必要としているのかと質問しました。

すると担当者は次のように説明しました。
アジア・アフリカの地図を見せて、
これこれの都市では車の多くの顧客がいる。
しかし他の地域ではまだまだ車を欲しがる人間がいない。
だから、社会学者の仕事は、その人々が何を好み、
なぜ、車をほしがらないのか。
彼らの好みに応じて車の色を変えることができる。
そして可能なら、彼らの好みを変える仕事をする。
そして彼は、ヨーロッパの社会学者が、ある部族を近代化(現代化)することに 成功した例を教えてくれます。

「すると彼は、多くの遊牧民long-nomadicが住んでいる
アフリカのチャド川の周辺の山間地域を地図で示した。
そこの人々は、服を着ず,生活のために家畜を飼っている。
彼らには、学校がなく、道もなく、ハイウェイもなく
服もなく、家ももたない。
彼らはテントで生活している。
そして彼は言った。
『その半野蛮な村の酋長が、自分のパレスの前に黄金の飾りのついた
二台のモダンなルノーをもつようになった』と

結局、ヨーロッパの社会学者が原住民の好みを変える
ことに成功した。・・・
われわれは酋長を、自分のパレスの前に、馬にかわって
黄金の飾りのある二台のルノーをもつことを誇りにするように
彼を現代化(monern近代化)させた。・・・

だから資本家たちの目標は
部族を本当に文明化civilizeすることではありません。
現代化(近代化modernize)することにあります。
馬をほこりにしていた酋長を、
今や車を誇りにし、運転することを誇りにするようにさせることに
あるのです。
(つづく)

(私のコメント)
ここでは、資本家ヴァイシャが、
ヴィプラ(知識人)である
社会学者や心理学者をやとって
アジア、アフリカの地域の人々が
自分たちのオリジナルな文化を劣等とみなし
現代的、近代的な文化や製品をうらやましがるように
進めている様子がリアルに示されています。

地域経済の再生産構造の発展をベースに
地域の人々が自分たちのこれまでの文化の
流れの上に現代化を進めてゆくような
あり方が、この方向への対案だと思います。

宮崎さんが自然食品運動の中で
展開されている論は
こうした資本主義的製品としての食品ではなく
伝統的な食品に価値があるのだと
コマーシャルに洗脳されている思考パターンに
いどんでおられるのだと思います。

地元循環型経済は、
地元産品への人々の価値意識の高まり
と平行して可能となると思うのです。

私は、ここに重要な対決点のひとつをみます。
そして未来につながる道は、
この方向にあると思うのです。

(シャリアティ つづき)
「原住民nativesは、もともと、馬にだけしか関心がなかった。
最良の馬をもっている人間が、もっとも羨ましがられていた。
誰も自分の栄誉のためにもっともいい馬を飼育しようしていた。
このような意識が部族に支配的であるかぎり、
誰も車を買わない。・・・・・
だから、われわれは、私たちがヨーロッパで生産している車を
原住民が買うようにさせる方法を考えなくてならない。・・・・」



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