"Revolution In You" SGI-USA Music Video  (video inspired by god of star)



34 これは,みつきの親族の被爆体験です
This is atomic-bomb experience of relatives of Mitsuki

This is atomic-bomb experience of relatives of Mitsuki.
Mitsuki grew up hearing from familiar person what atomic bomb was.
He grew up to human beings having strong desire of free of nuclear weapons in world.
Project of Heaven and gods do to save lives and humanity of earth from extinction which all gods of star of whole universe join.
If capitalism and nation-state system continues, lives and humankind extinct.
Testimony which Mitsuki heard from relatives should beknown by all of humanity together with testimony of many of other survivors, weapons which can exitinct whole humankind and lives on earth should be known.

これは,みつきの親族の被爆体験です。
みつきは原爆がどんなものであるか身近な人からきいて育ちました。
核兵器のない世界を強く望む人間に育ちました。
天と神々のプロジェクトは地球の生命と人類を絶滅から救うために全宇宙のすべての星の神々が参加して進められています。
このまま資本主義と国民国家システムをつづけるならば確実に地球の人類と生命は絶滅します。
ミツキが親族から聞いた証言は他の多くの被爆者の証言とともにすべての人類が知り,人類絶滅の兵器をもっていることを知る必要があります。



今日は8月6日(金)です。2004年です。
1945年の8月6日朝8時45分に広島市に原子爆弾が投下されました。
広島・長崎の原爆犠牲者の方々、
そして世界中の戦争犠牲者の方々の冥福(めいふく)を祈ります。

昨日のNHKのクローズ・アップ現代に大江健三郎がでて、広島の被爆体験の継承について語っていました。
その中で被爆者の話に耳をかたむけること、亡くなった方を「祈る」こと、すなわち「祈る」ことで、その人を念じ、その人に関係をもつ・・というようなことを語っていました。
そして、被爆者が高齢化して被爆体験の継承がむずかしくなってきたことについて「被爆者から聞いた人が伝えればいい、キリスト教のバイブルだって、キリストはこう言ったと、それぞれの人が、聞いた話を後世に伝えています」と大江氏は語りました。
私は、いろいろ被爆体験を聞いて育ちましたが、キリストの弟子のつもりで、被爆体験について、「私は被爆者からこう聞いた」と伝えてゆけばいいんだとおもいました。

それで、まず、私の「こう聞いた」話をみなさんに紹介します。


1 8月6日

おはよう

今日は8月6日(金)です。2004年です。
1945年の8月6日朝8時45分に広島市に原子爆弾が投下されました。
広島・長崎の原爆犠牲者の方々、
そして世界中の戦争犠牲者の方々の冥福(めいふく)を祈ります。


今朝の新聞を見て驚きました。
「翌々日広島入り兵士、下痢・脱毛、13日後の救援団にがん・白血病」という見出しがあります。
原爆投下された日の後から広島市に入った人々も、いろいろ原爆症の症状がでていて、被爆者として認めよという動きがあるのだそうです。


もし、後から広島市に救援に入った人々も被爆者に認定されるなら、私も被爆二世ということなります。
私の父はすでに脳梗塞で亡くなっており、生きている間は原爆症というような病気はありませんでした。


2 (広島市から逃れてきた人々が次々に死んでいった)

私の生まれた家は、広島県の地図の真ん中あたりの三和町上山というところにあります。
父母は、田の草をとっていたそうです。
すると山の向こうが明るく見えたそうです。
そして、翌日、父の同い年の近くの友人で兵隊にとられ、広島にいた前川君が歩いてもどってきているのに出会いました。
「疲れた。しんどい」と言っていたそうです。
そして自宅で翌日亡くなりました。

さらに地元の人ではないけれども、広島市から大勢の人が逃げてきて近くのお寺に泊まったそうです。
そしてどんどん死んでいったそうです。

翌日に広島市に様子を見に行った人も帰って来て死んだそうです。


3 (広島市の片づけの手伝いに行った父)

父は、上山村の青年団として広島市の後片付けにゆきました。
原爆が投下されて数日後だったそうです。
まだ焼け残った木のてっぺんから煙がでていたそうです。
焼け残ったものを組み立てた小屋に住んでいた人に、もっていったおにぎりをあげたら、たいへん喜ばれたそうです。
父の話からするとどうもそれ以上、被爆した人々にしてあげることはできなかったようです。


4 (広島駅にいた母の兄)

母の兄は、国鉄(今のJR)の広島市駅に勤めていました。
原爆の投下の8時15分に、たまたま建物の中にいました。
突然の爆風で気を失い、気づいてみると崩れた壁の隙間(すきま)で助かっていました。
外にでるとすごい状態になっていました。
駅の建物の横に水道がありました。
たくさんの人が、水を飲ませてほしいとやってきました。
「どうぞ」といって水を飲ませてあげました。
すると水を飲んだ人はすべて、すぐに息をひきとったそうです。
『ああ、水を飲んだら死ぬ』とおもって、おじさんは、水を飲むのをがまんしたそうです。
(そのおかげかどうかわかりませんが、被爆者手帳はもっていましたが、天寿を全うすることができました)

広島駅のプラットホームにあがると、駅にいた大勢の人がそのまま折り重なって倒れて死んでいました。
悲惨でした。


5 (姉の結婚した相手とそのお母さんの話)

姉の結婚相手は、小学校の5年でした。
本当は、広島もあぶなかったので、疎開(つまり)小さい子は非難しないといけなかったのですが、おねしょするから疎開していなかったそうです。

8時5分に50メートル離れたとなりの家に遊びにゆきました。
そして「8時15分に窓が黄色の色をはりつけたようになった。
意識がなくなった。
気がついて、家にもどると母親がタンスの下敷きになって、助けてと言っていた。
(母親によると掃除をしていたときだったそうです)
もちろん、家はつぶれていた。
「お母さんを助けて」と言っても誰も自分のことで一生懸命でそれどころではなかった。
そうしているうちに近くの人が手伝ってくれた。
となりの人が大八車をかしてくれたので姉と、腰を痛めて動けなくなった母をひっぱって小学校の校庭に逃げた。

(母親は、この時の様子を
『本当の地獄だった。
道の両脇の商店街はぼうぼうと燃えていた。
逃げる人たちは、全員手を前にだしていた。
顔や手はささったガラスだらけだった。
顔や手全体が火傷して皮膚が大きく垂れ下がっていた。
この世の地獄だった』
とおっしゃっていました)

 そこから東の方に逃げて山を越えた。
姉がひっぱって、私が後ろからおした。
たくさんの人が逃げていた。
顔の皮膚が垂れ下がっていた、
その垂れ下がっている皮膚の中には火傷の時の体液があった。
私の顔を穴のあくようにみつめた女の人がいた。
自分に子どもがいたのかれしれない。

 途中に負傷者がたくさんいた。
横になっていた母のとなりの人が死んだと思ったら、蛆虫がわいていた。
という姉の結婚相手の話でした。

 「リンがもえていた。ガスの炎のように燃えていた」とおっしゃっていましたから、本当に人が死んだら、リンが燃えるンでしょうか。
たぶん線路の木で死体を焼いた時の話だったと思います。
肉親をさがしにきていた人もどんどん亡くなったそうです。



私は小さい時、身近な人たちから、普通の話の中で広島原爆の様子を聞いて育ちました。
毎年の8月6日の広島市の原爆慰霊の記念式典には関心をもっていませんでしたが、
昨年の広島の秋葉市長の今日の世界の危険な動きを愁(うれ)うスピーチに感動して、
秋葉市長にメールを送りました。
市長室からメールで返事がきました。
今朝も秋葉市長のスピーチ、小学六年生の千羽鶴のサダコについてのスピーチはよかったです。


もうひとこと

なんと一昨日のHNKのクローズアップ現代によれば、1954年3月1日のビキニ諸島のアメリカの核実験で、その地域の島の人々をわざと被爆させて、人体実験としていたとの証拠資料がでてきたそうです。
その地域で漁業をおこなっていた日本の五福竜丸の船員も、すぐに亡くなったり、原爆の病気で苦しむなどの被害を受けています。
今回のイラク戦争でもアメリカが使っている劣化ウラン弾によってたくさんの白血病患者が生まれているようです。


もうひとこと

昨日、テレビで「ディスクロージャー」という番組で稲垣吾朗が司会をしている番組で、興味深い指摘でありました。
ビートルズのジョン・レノン(イマンジンを歌った人)を、ピストルで殺した青年は、CIA(アメリカ秘密警察)のMKプログラムという催眠誘導によってマインド・コントロールされて、ジョン・レノンを殺したというのです。
当時のニクソン大統領はベトナムで戦争をしており、戦争のない世界をもとめる青年たちの中心として「愛と平和」を訴えていたジョン・レノンがじゃまで消したかったというわけです。
この番組であげられていた証拠には説得力がありました。
アメリカでは戦争を進めるようという勢力の謀略が暗殺を含めてこれまでにも数多くありました。

私は、スマップがきらいというのではないですが、スマップの政治、社会感覚はもうひとつかなとおもっていました。 でもディスクロージャーという番組で稲垣吾朗が
「アメリカは世界の警察になっています。
それでいいのか。私たちは何ものも恐れず、
真実をディスクロージャー(暴露)してゆきたい」
と言っていたので、うれしくなって、
稲垣吾朗と番組スタッフに激励のメールをおくりたくなりました。

みなさんも「何ものも、恐れず真実をもとめる」人に成長してほしいとおもいます。
でも、でも、やりすぎると、番組のスポンサー(財の力)が反対して、番組自体がなくなるとおもいます。
たぶん番組スタッフがしょうもない内容もいれて、時々、大切なことを混ぜるようにして工夫するだろうとおもいます。
(ま、ジョン・レノンの話はよかったけど、たぶん、今後はしょうもないものになるだろうとおもいます。スポンサーに気をつかわないといけないシステムだからです)


もうひとこと

憲法9条には、日本は「戦力」をもたないい、「交戦権」(戦闘を交えること)をもたないと決めてあります。
「戦力」はもたないとありますが、事実上、自衛隊という「戦力」を、日本を自衛(まもる)ための目的でものみもってきました。
ところが交戦(戦闘をじっさいにすること)までいっていません。
だから、イラクに行っても、テロリストが攻撃してくるまで、自衛隊は戦闘に参加できません。
だから、〇〇首相たち、〇〇党も〇〇党も、政治の指導者たちはどうしても、憲法9条をかえて、戦闘にも参加するようにしたいのです。
〇〇党の方は国連の指揮下に自衛隊が活動するとしていますが、交戦権(戦闘に加わる権利)が認められたら、今回のイラクの戦争のようなどんな無法なアメリカの戦争だって日本の自衛隊をアメリカの一翼として参加させることになります。


人間のどん欲はかぎりがありません。
日本一国の首相になって、国内でみとめられても人間の心は満足できません。
世界(アメリカ)からほめてもらいたいのです。

憲法に「世界平和のために名誉ある地位を得る」ことが書かれています。
アメリカのテロなどとの戦争に協力、参加すること、「名誉ある地位を得る」と小泉首相は解釈していますが、「武力で国際紛争を解決できない」という精神をつらぬいて、世界に「名誉ある地位」を築くこともできます。
そしてそれが本当の憲法の精神だとおもいます。

今、日本を攻めようとている国はありません。
テロが生じ、世界では核兵器の拡散などあります。
テロや核兵器に対して、憲法9条をかえて、世界の紛争地に自衛隊を派遣して戦争に参加できるようにしたからといって問題を解決できるでしょうか。
テロや核兵器を軍隊の武力で解決できるでしょうか。
そのあたり、みなさん、今日、8月6日、そして8月9日、8月15日に、考えてみませんか。


8月6日の広島原爆の日に、私が父やおじさん、義母たちから聞いた原爆投下の時の様子をメールしました。
そのメールに看護学校に行っている人から、次のようにメールもらいました。



「毎日朝から学校や実習に行っていて、帰ってからは記録に追われて、テレビも新聞もしばらく見ていませんでした。
忙しく、日にちの感覚もほとんどない毎日でした。
しかし今、先生のメールを見て今日が8月6日である事、そして広島に原爆が投下された日だと実感する事ができました。
まだ小・中学校の頃は原爆や戦争についての話しを聞いたり考えたりする機会がありましたが、今では全くありません。
その為年月が経つにつれて、戦争や原爆への意識が薄れてきているな、と感じました。
多分私以外にも、このように先生が教えて下さった事によって気付いた人はいると思います。
忘れてはいけない世界の歴史を再認識する事ができました」

ああ、わかってくれる人がいるんだとおもって、たいへんうれしかったです。

2004年8月



H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

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