OMAR AKRAM - Angel of Hope (video inspired by god of star)
32 現代文明は普遍的神を視界に入れていないために人々は物質主義資本主義文明を高度に発展させてきた
modern civilization of materialism capitalist civilization has developed highly because people have not put in view of universal god
This article is that modern civilization of materialism capitalist civilization has developed highly because people have not put in view of universal god.
View of this artlcle of Mitsuki is truth from eyes of true gods.
True of god is universal god overlapping on time and space.
Universal god is existence which human soul lives as eternal life with.
Human civilization living with god brings true happiness to human beings.
この論文は,現代文明は普遍的神を視界に入れていないために人々は物質主義資本主義文明を高度に発展させてきた,です。
ミツキのこの論文の見方は,真の神の目から見て真実です。
真の神は時空に重なる普遍的な神です。
普遍的な神こそ人間の魂が永遠の生命としてともに生きる存在です。
神とともに生きる人類文明が真の人間の幸福をもたらします。
前回、次のように書きました。
「この霊的天皇制ナショナリズムともいうべき見方について
二つの方向からアプローチしてみたいと思います。
一つは、存在の表面から唯物論科学的なアプローチです。
実証的あるいは合理的知性が、資料やデータから
天皇制ナショナリズムについて認識を深める方向です。
もう一つは、存在の裏側から直観的に観てゆくアプローチです。」
今回、存在の裏側から直観的に観るアプローチから考えてみたいと思います。
(1)
直観知から現代がどういう時代なのかを論じて
その上で霊的天皇制ナショナリズムがどういう立場に位置づけられるかを
論じます。
原始共産制の無階級社会が否定され、階級社会として人間社会が発展し、さらに
階級社会が否定されて、最初に否定された無階級社会(共産制)が高次元レベルで復活するという
見方を紹介しました。
否定の否定の法則によれば、最初に否定されたものの質がより高次に復活するのです。
歴史のサイクルを一番大きくとらえた時、一回転したら、もとの点にもどりますが
その回転は螺旋的であって、同じところにもどったように見えても
その間の歴史的成果を含んでいるために、高次のレベルでの原点復帰になります。
エンゲルスは、そこから「人間の本史」がはじまると述べました
(2)
私も「否定の否定の法則」をつかって説明したいと思います。
太古のワンネス哲学⇒二元論⇒復活した高次のワンネス哲学
後者のワンネス哲学は、人類社会の多様性における統一をなしとげ
新しい地球惑星文明の時代を開きます。
そこから「人間の本史」がはじまります。
では、ワンネス哲学とは何なのか、
この世界は
Subject visualize Objectです。
最高主観というただ見つめる一なる実体が、
観ることで
この空間、気体、燃体、液体、固体からなる
多なる客観的対象的世界が展開しています。
そして人間構造が成立した時
最高主観のSubjectが人間構造の深部に投影し
subject visualize object(人間)が成立しました。
この哲学には二つの特徴があります。
一つは
この多なる物的世界は、すべて一つの聖なる実体自体が転化したものであることです。
(そこからすべての存在を尊重するネオ・ヒューマニズムの感性が生まれます)
もう一つは
人類64億人のsubjectの根底は、一人残らずすべてSubjectであることです。
人間は一人残らず、その根底に共通の聖なる資質をもっていることです。
道具をつくり、生産が始まり、
支配するものとされるものの階級社会になります。
すべての人間の根底が、等しく、この世における
普遍意識(最高主観)の現れであるならば
支配階級が民衆を支配し、搾取することが
正当化できません。
そこで、ワンネス哲学は、
最高主観Subjectと人間の主観subjectを分離する
二元論の哲学によって否定されます。
最高主観=普遍意識は、
人間がひれふし、嘆願すべき「神」となりました。
物的肉体的なレベルは卑しいこととさげすまれ
民衆すべてに衣食住の生活を保障する義務を
社会のリーダー層はもつ必要がありませんでした。
民衆は「神」を代理するものに服しました。
彼らにマインドコントロールされる存在になりました。
そして、「神」を代理するもの達は、
最高主観Subjectではないところに
非普遍的な神を設定し
自分たちの神のために
他の神々の信徒と戦わせ
多大な流血の惨事をひきおこしてきました。
(イスラムテロリスト、天皇制原理主義者の戦争など)
(3)
西洋ルネッサンスからはじまるヒューマニズム(人間主義)は
そのような普遍意識(神)に人間が服従、従属していることへの
反抗でした。(人間を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチなど)
その流れをくみながら、神(普遍意識)を消し去った
無神論ヒューマニズムが西洋近代思想で展開してきました。
しかし、最高主観Subjectを消し去って
人間の主観subjectを最高のものとする
人間中心思考でした。
その発展の極地として
今日の地球環境の破壊まで至っています。
自然と大地の調和は、考慮にいれない
営利中心の工業文明を築いてきました。
また
人間の主観subjectのベースにある
一つの共通の最高主観Selfを視界にいれていないために
人びとは物質だけが視界に入り、
そこに幸福をみて
資本主義物質文明を高度に発達させてきました。
そして最高主観のSelfと切り離された人間のselfは、
この宇宙全体との分離感、疎外感をもちます。
たくさんの人びとの心の病、うつ、ノイローゼ、引きこもりなどを
生み出します。
さらに最高主観のSelfと切り離された人間のselfは、
他の民族や宗教信者などは、
自分とはつながりのない存在として認識します。
他民族や他宗教の信者は、まったくの他者になります。
口では、洗練されたきれいごとをいいながら
あらゆる残虐非道なことをしても
平気な心性をもつ野蛮極まる自グループ中心の文明を作り出してきました。
(アメリカのベトナムでのソンミ村事件、イラク戦争・・)
今、ワンネス哲学すなわち
自分selfの根底が最高主観Subjectである
という真実に目覚めた人びとが生まれつつあります。
私たちは、一つの普遍意識が、
多なる人間の形をとってあらわれた人類だという自覚をもちます。
それゆえ、地球惑星のすべての資産は、すべての人類の共有財産だという
感覚が広がってゆきます。
今、存在の深部で進みつつあるプロセスはこういうことだと
理解しています。
(4)
この視点からみると、人類社会の多様性における統一を成し遂げることが
時代の要請になっている現在
伊勢白山道さんの説く霊的天皇制ナショナリズム論は
世界と人類の進歩を妨げる反動的思想以外の何者でもありません。
それは一なるコスモスを分離の目でみて
一なる人類を分割の目で見てしまう考えを
人びとにばらまきます。
必要なことは、私たちは一つの人類であり
一つの人類が多様なる現れをしているという
認識です。
たとえて言えば
私たち人類64億人は
一つの太陽の光が64億の
障子の穴からでたものに依拠して
そこに多様な属性を賦与された心と
体をもっているということです。
根底において、「私たち人類は一つ」だという
確たる確信をもたせる論こそ
今、人類社会が必要としているのだと思います。
(参考)
『サーカーの思想(1)』249ページ
人間社会は、多様化の中で統一への努力をしている。
時代遅れのナショナリズムを克服し、普遍的社会をめざして、
心ある人間は「人類社会は1つであり、分割できない」
と主張していこうとサーカーは呼びかけています。
「人間の社会は絶えず多様化を通じたある種の統一に達する努力をしています。
小さな氏族の自然の障害、狭い宗派的利害、
地理的隔たり、手に負えない慣習と慣行――
これらの障害のどれ1つとして
最高のゴールに向かう着実で静かな動きを妨げることはできません。
アパルトヘイト政策、人種的優越のうぬぼれ、民族排外主義、地域主義などの
相対的な教義や社会哲学が人間社会の進歩を妨げられなかったのはそのためです。
ナショナリズムの時代遅れの理想は今日、粉々に砕けつつあります。
新しく目覚めた人間性は、
広大な青空の下に1つの普遍的社会の到来の先触れとなることを切望しています。
すべての国々の高貴で公正な人物人々は、友愛の絆に結ばれて、
1つの声、1つの心、同一のトーンで、
人間社会は1つで分割不能であることを強く主張することを熱望しています。
この全体の統一と雅量の中に
不朽のヒューマニズムの価値とメーセージが横たわっています」
(Human Society is One and Indivisible 1)
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)View of this artlcle of Mitsuki is truth from eyes of true gods.
True of god is universal god overlapping on time and space.
Universal god is existence which human soul lives as eternal life with.
Human civilization living with god brings true happiness to human beings.
この論文は,現代文明は普遍的神を視界に入れていないために人々は物質主義資本主義文明を高度に発展させてきた,です。
ミツキのこの論文の見方は,真の神の目から見て真実です。
真の神は時空に重なる普遍的な神です。
普遍的な神こそ人間の魂が永遠の生命としてともに生きる存在です。
神とともに生きる人類文明が真の人間の幸福をもたらします。
前回、次のように書きました。
「この霊的天皇制ナショナリズムともいうべき見方について
二つの方向からアプローチしてみたいと思います。
一つは、存在の表面から唯物論科学的なアプローチです。
実証的あるいは合理的知性が、資料やデータから
天皇制ナショナリズムについて認識を深める方向です。
もう一つは、存在の裏側から直観的に観てゆくアプローチです。」
今回、存在の裏側から直観的に観るアプローチから考えてみたいと思います。
(1)
直観知から現代がどういう時代なのかを論じて
その上で霊的天皇制ナショナリズムがどういう立場に位置づけられるかを
論じます。
原始共産制の無階級社会が否定され、階級社会として人間社会が発展し、さらに
階級社会が否定されて、最初に否定された無階級社会(共産制)が高次元レベルで復活するという
見方を紹介しました。
否定の否定の法則によれば、最初に否定されたものの質がより高次に復活するのです。
歴史のサイクルを一番大きくとらえた時、一回転したら、もとの点にもどりますが
その回転は螺旋的であって、同じところにもどったように見えても
その間の歴史的成果を含んでいるために、高次のレベルでの原点復帰になります。
エンゲルスは、そこから「人間の本史」がはじまると述べました
(2)
私も「否定の否定の法則」をつかって説明したいと思います。
太古のワンネス哲学⇒二元論⇒復活した高次のワンネス哲学
後者のワンネス哲学は、人類社会の多様性における統一をなしとげ
新しい地球惑星文明の時代を開きます。
そこから「人間の本史」がはじまります。
では、ワンネス哲学とは何なのか、
この世界は
Subject visualize Objectです。
最高主観というただ見つめる一なる実体が、
観ることで
この空間、気体、燃体、液体、固体からなる
多なる客観的対象的世界が展開しています。
そして人間構造が成立した時
最高主観のSubjectが人間構造の深部に投影し
subject visualize object(人間)が成立しました。
この哲学には二つの特徴があります。
一つは
この多なる物的世界は、すべて一つの聖なる実体自体が転化したものであることです。
(そこからすべての存在を尊重するネオ・ヒューマニズムの感性が生まれます)
もう一つは
人類64億人のsubjectの根底は、一人残らずすべてSubjectであることです。
人間は一人残らず、その根底に共通の聖なる資質をもっていることです。
道具をつくり、生産が始まり、
支配するものとされるものの階級社会になります。
すべての人間の根底が、等しく、この世における
普遍意識(最高主観)の現れであるならば
支配階級が民衆を支配し、搾取することが
正当化できません。
そこで、ワンネス哲学は、
最高主観Subjectと人間の主観subjectを分離する
二元論の哲学によって否定されます。
最高主観=普遍意識は、
人間がひれふし、嘆願すべき「神」となりました。
物的肉体的なレベルは卑しいこととさげすまれ
民衆すべてに衣食住の生活を保障する義務を
社会のリーダー層はもつ必要がありませんでした。
民衆は「神」を代理するものに服しました。
彼らにマインドコントロールされる存在になりました。
そして、「神」を代理するもの達は、
最高主観Subjectではないところに
非普遍的な神を設定し
自分たちの神のために
他の神々の信徒と戦わせ
多大な流血の惨事をひきおこしてきました。
(イスラムテロリスト、天皇制原理主義者の戦争など)
(3)
西洋ルネッサンスからはじまるヒューマニズム(人間主義)は
そのような普遍意識(神)に人間が服従、従属していることへの
反抗でした。(人間を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチなど)
その流れをくみながら、神(普遍意識)を消し去った
無神論ヒューマニズムが西洋近代思想で展開してきました。
しかし、最高主観Subjectを消し去って
人間の主観subjectを最高のものとする
人間中心思考でした。
その発展の極地として
今日の地球環境の破壊まで至っています。
自然と大地の調和は、考慮にいれない
営利中心の工業文明を築いてきました。
また
人間の主観subjectのベースにある
一つの共通の最高主観Selfを視界にいれていないために
人びとは物質だけが視界に入り、
そこに幸福をみて
資本主義物質文明を高度に発達させてきました。
そして最高主観のSelfと切り離された人間のselfは、
この宇宙全体との分離感、疎外感をもちます。
たくさんの人びとの心の病、うつ、ノイローゼ、引きこもりなどを
生み出します。
さらに最高主観のSelfと切り離された人間のselfは、
他の民族や宗教信者などは、
自分とはつながりのない存在として認識します。
他民族や他宗教の信者は、まったくの他者になります。
口では、洗練されたきれいごとをいいながら
あらゆる残虐非道なことをしても
平気な心性をもつ野蛮極まる自グループ中心の文明を作り出してきました。
(アメリカのベトナムでのソンミ村事件、イラク戦争・・)
今、ワンネス哲学すなわち
自分selfの根底が最高主観Subjectである
という真実に目覚めた人びとが生まれつつあります。
私たちは、一つの普遍意識が、
多なる人間の形をとってあらわれた人類だという自覚をもちます。
それゆえ、地球惑星のすべての資産は、すべての人類の共有財産だという
感覚が広がってゆきます。
今、存在の深部で進みつつあるプロセスはこういうことだと
理解しています。
(4)
この視点からみると、人類社会の多様性における統一を成し遂げることが
時代の要請になっている現在
伊勢白山道さんの説く霊的天皇制ナショナリズム論は
世界と人類の進歩を妨げる反動的思想以外の何者でもありません。
それは一なるコスモスを分離の目でみて
一なる人類を分割の目で見てしまう考えを
人びとにばらまきます。
必要なことは、私たちは一つの人類であり
一つの人類が多様なる現れをしているという
認識です。
たとえて言えば
私たち人類64億人は
一つの太陽の光が64億の
障子の穴からでたものに依拠して
そこに多様な属性を賦与された心と
体をもっているということです。
根底において、「私たち人類は一つ」だという
確たる確信をもたせる論こそ
今、人類社会が必要としているのだと思います。
(参考)
『サーカーの思想(1)』249ページ
人間社会は、多様化の中で統一への努力をしている。
時代遅れのナショナリズムを克服し、普遍的社会をめざして、
心ある人間は「人類社会は1つであり、分割できない」
と主張していこうとサーカーは呼びかけています。
「人間の社会は絶えず多様化を通じたある種の統一に達する努力をしています。
小さな氏族の自然の障害、狭い宗派的利害、
地理的隔たり、手に負えない慣習と慣行――
これらの障害のどれ1つとして
最高のゴールに向かう着実で静かな動きを妨げることはできません。
アパルトヘイト政策、人種的優越のうぬぼれ、民族排外主義、地域主義などの
相対的な教義や社会哲学が人間社会の進歩を妨げられなかったのはそのためです。
ナショナリズムの時代遅れの理想は今日、粉々に砕けつつあります。
新しく目覚めた人間性は、
広大な青空の下に1つの普遍的社会の到来の先触れとなることを切望しています。
すべての国々の高貴で公正な人物人々は、友愛の絆に結ばれて、
1つの声、1つの心、同一のトーンで、
人間社会は1つで分割不能であることを強く主張することを熱望しています。
この全体の統一と雅量の中に
不朽のヒューマニズムの価値とメーセージが横たわっています」
(Human Society is One and Indivisible 1)
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods