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31 ミツキはナショナリストの利用する歴史的メモリーは嘘であると論じます
Mitsuki argues that historical memory used by nationalist is lie

This article is that nationalism take up historical memory.
Mitsuki argues that historical memory used by nationalist is lie.
Nationalist cuts out only convenience of historical memory to make up nationalism in order to create group identity in integral human society.

この論文は,ナショナリズムは主に歴史的メモリーを利用する,です。
ミツキはナショナリストの利用する歴史的メモリーは嘘であると論じます。
ナショナリストは,本当は一体である人類社会の中にグループアイデンティティを生み出すために
歴史的メモリーの都合のいいところだけを切り出します。



(1)
天皇制ナショナリズムという
日本国民が避けて通れないテーマにしぼって
私の考えを述べてみたいとおもいます。

「伊勢白山道さん曰わく、・・・
日本国土には、日本独自の霊的個性があり、
日本で生まれて、たとえキリスト教徒であっても天照太御神の因子があると。
一番感得し易い天照太御神を信仰しないで、
どうして日本人は・・・外国の神様、霊的なものを信仰するのか?
天皇は神の意思であり、日本から天皇を無くすと、
日本は不安定な状態になると言われています。」
(メールグループの投稿からの引用です)

この霊的天皇制ナショナリズムともいうべき見方について
二つの方向からアプローチしてみたいと思います。

一つは、存在の表面から唯物論科学的なアプローチです。
実証的あるいは合理的知性が、資料やデータから
天皇制ナショナリズムについて認識を深める方向です。
もう一つは、存在の裏側から直観的に観てゆくアプローチです。

まず、存在の表面から天皇制ナショナリズム(国民国家意識)を考えてゆきたいと思います。
(『サーカーの思想1、進歩的活用理論(プラウト) 資本主義とナショナリズムを超えて』にも
ユニバーサリストの立場からのナショナリズム論があります)

(2)
近代のナショナリズム(国民国家意識)は、二つの歴史的必要性から生まれ
その必要性が消える時に、消え去る運命にあります。

そしてあらゆるこのコスモスの存在と同じように「生成、発展、消滅」という
GOD(generation.operation.destrucion)の法則から逃れることはできません。
それは、かつての氏族意識、部族意識などの前近代の意識が、
生成、展開、消滅したのと同じことです。

その二つの歴史的必要性とは
近代国民国家における統一市場の形成による資本主義発展に道を開く必要性と
もう一つは、外国勢力の侵略から自分たちの社会を守るために団結をつくり出す必要性です。

この必要のためにナショナリストのイデオローグは
言語、宗教、風俗・習慣、歴史的メモリーの諸要素のいずれかを活用して
国民国家意識(ナショナリズム)の意識をあたかも、歴史的なものではなく
普遍的な永遠なものであるかのように論じ
国家への国民の忠誠意識をひきだします。

1868年の明治維新は、

経済的に見ると
藩を超えるごとに関所がある藩ごとの経済を超えて
資本主義発展に有利な統一した市場を生み出しました。

政治的にみると、
西洋列強のせまり来る植民地化の危機の中で
(インドのセポインの乱、太平天国の乱などの諸列強による鎮圧)
日本を植民地化から守るために生命をかけて戦う意識を
人びとの心にひき出す必要がありました。

そこでリーダーたちは、
歴史的メモリー(記憶)として古代天皇制の記憶をひきだして
国民にひろげてきました。

伊勢白山道さんのように
日本人から神である天皇を失ったら日本の統合がくずれるというのは
天皇制ナショナリストたちが抱いている幻影にすぎません。
江戸時代までの史実は天皇が国民統合の中心にあったわけではないことを
教えています。

(注 歴史的メモリーとしての古代天皇制の成立)
7世紀に天皇中心の古代国家体制がつくられるわけですが
豪族の欲望を抑えて、隋唐のまねをして
公地公民の律令国家体制をつくろうとしていました。
この「公」とは、「天皇=公」にほかなりません。
そして政治的には、百済と連合して白村江で、
唐と新羅の連合軍にぼこぼこにやられました。
唐が攻めてくることに対して、
当時の支配階級は天皇のもとに一つの意識になる必要がありました。

(2)
1945年8月に天皇制軍国主義ナショナリズムが崩壊しました。

マッカーサーと天皇ヒロヒトがいっしょに映っている写真が
1945年からはじまる体制を象徴しています。
一方で、狂気の天皇制原理主義者たちをなだめて
アメリカの占領統治をやりやすくするために
一方で天皇制を残しました。
他方で、天皇制原理主義者が復活して
アメリカに二度と刃向かわないように
日本は永久に戦力を放棄するという
憲法がつくられました。

しかし、時代は変わり、アメリカの支配層は
アフガニスタンやイラクなど世界各地で戦争を続行していますが
日本の自衛隊が、アメリカ軍の目下の同盟者として
血をながしてほしいと欲しています。
財政悪化しているアメリカにとって日本人の血が流れる方が
都合がいいです。
しかし、その邪魔になるのは憲法9条です。

そこで、天皇制原理主義者は穏健なナショナリストも抱き込みつつ
アメリカのバックアップのもとに多額の資金をえて
憲法9条を変えるために、その邪魔となる勢力である日教組や全教などの
様々の民衆運動の力を弱めることに成功してきました。

(3)
他方、日本国憲法は、
アメリカのニューディール政策のもっていた理想をになった知識人たちのスピリット
戦前の軍国主義のもとで抵抗してきた日本の平和と民主主義を求める運動のスピリット
も反映していました。
ただ、単におしつけ憲法ではありませんでした。
残忍な戦争と軍国主義の時代を体験した高いスピリットもつ知識人たちの
平和と民主主義への切望も、憲法制定のプロセスで反映しました。
憲法9条もそうした立場からも支持され
さらに憲法25条の生存権や男女平等のスピリットなどが書き込まれたりしており
私たちは、この日本国憲法から大きな恩恵を被っています。
そこには、普遍的な、すなわちユニバーサルなスピリットが反映しています。

私たちは、1945年の廃墟の中から、平和と民主主義の
ユニバーサルな世界を切望して立ち上がった人びとの
スピリットこそ継承して、現在を超える未来への
「歴史的メモリー」として活用してゆこう。
それをより幅広いグローバルな視界から
今日に生かしてゆこう。
ここに私たちが1945-20??年の破綻しつつある体制を超えて
日本社会を明るい未来につなげる道があると考えるのです。

天皇制ナショナリストは、歴史的メモリーを古代天皇制国家にもとめました。
ユニバーサリスト(普遍主義者)は、
歴史的メモリーは、1945年直後の平和と民主主義の解放感の中で生まれた
日本国憲法をはじめとする戦後の民主的改革のスピリットに
歴史的メモリーをもとめるのが適切であるように思えます。
ここに私はよってたつ多くの人びととの団結の基盤を見るのです。


(注)以下は参考資料です。
伊勢白山道さんの
「日本人から神である天皇を失ったら日本の統合がくずれる」というのは
本当にユニバーサルなスピリットの目から観るとまったくの虚偽であることが
わかります。
彼の頭の中には、アイヌの人びとはドロップしているし、
琉球王国もドロップしています。
天皇による「統合」は、統合(多様性を統一)ではなく
同じ日本国民の存在を抹殺する思想でもあります。
人類社会の「多様性における統一」を妨害する思想でもあるだけでなく
日本社会の「多様性における統一」を妨害し、抑圧を生み出す思想である
ことも見抜く必要があると考えています。
以下
(『サーカーの思想2、ネオ・ヒューマニズム (すべての人類、生命、存在を尊重する意識の形成へ)』の未出版の原稿です。

(1)相対的真理は、人生の最高の目標ではありえない

 サーカーは、形あるものを自分の最高の目的として観念化(意識化)すべきではないと考えます。
形あるものはすべて、時、場所、人の変化に応じて変化する相対的真実であるからです。
 自分の属する国を最高のものとして意識化、観念化するナショナリズムについて次のように述べます。

「多くの人々が、自分の国を崇拝します。
祖国の像を立てたりもします。
しかし、祖国への奉仕が人間の最高の目標ではありえないことを理解する賢明さを持つべきです。
なぜなら、祖国の概念は変化しつつあるリアリティだからです。
今日の祖国は、明日は大洪水で海に沈むかもしれません。・・・
だからある特定の国、地方の領域的な管轄は、将来、変化するかもしれません。
領土的な管轄を争点として激しい戦争を戦い、
それによって人間社会の平和を乱すことは賢明なことではありません。
このような争点はもっと良い方法で
互いにそれぞれの地域の住民によって解決されるべきです」
(Ism and Human Progress)

(2)イズムという心の枠をとっぱらい心を無限に拡張する

 この形ある変化する相対的世界を最高のものと位置づけないとしたら、
何を人生の究極の目標とすべきなのでしょうか。
 サーカーは、万物をその根源にある一つの無限の意識の表現として感じるところまで
心を拡張することを人生の最高の目標としなさいと言います。

「人間の最高のイデオロギー(観念形態) は、非人格的なものであり、時、
場所の領域を超えたところにあるものです。
それは人格的なものではない何かです。
この非人格的な実体は、最高非人格実体Supreme Impersonal Entityです。
もし人間がこの実体を自分の、観念化ideation の唯一の対象として受け入れるなら、
不可避的な堕落への帰結を免れることができます。
社会的、政治的、経済的などんな理論も、時代を限定せずにどの時期にも人類に役立つことはできません。
もし、最高意識Supreme Consciousness以外の実体が、
人間の観念化 ideation の対象として受け止められたならば、
イズムが支配しているとみなすことができます」
(Ism and Human Progress)

   最高意識とは、形がなく、全宇宙そのものをもっとも精妙なレベルで認識したものです。
サーカーの哲学では、自分を含むこの顕現した世界の一切を最高意識(パラマ・プルシャ)のあらわれとして
認識することが、最高意識の観念化です。

 イデオロギーという言葉は
、 一般にはサーカーがドグマ、イズムとして批判している意味として使われています。
しかし、サーカーの用い方は、イデオロギー本来の意味の「観念形態、意識形態」を意味しています。
観念形態すなわち心全体を占める最高の願望、目標がイデオロギーです。

 自分の人生の最高の願望を
自分の所属する民族、所属する党派、所属するカースト、所属する団体などなど、
あるいは尊敬する人に置き、心の観念形態をその有限のものと合体させるのは
人生の目標としてはだめだというのです。
 それは、時、場所、人によって変化をこうむる相対的真理でしかないからです。

 最高のイデオロギー(観念形態)を持つとは、
私たちの周囲のあらゆるもの、存在のすべてが、
全宇宙的表現の一部として感じる意識形態に達することです。
したがって最高のイデオロギーに到達した人は、
全人類、全生命、全存在物がかけがえない尊いものと感じるネオ・ヒューマニストです。




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