24 テロをなくす道は社会主義地球政府を実現する渦の中に人々を巻き込んでいくことのなかにある
way to eliminate terrorism is in involving people in vortex to achieve socialist global government
This article is that way to eliminate terrorism is in involving people in vortex to achieve socialist global government.
Mitsuki thinks that terrorist is mass of hatred against exploitation and war by capitalism who are in group center thinking stage.
Way to eliminate generation of terrorists is in development of socialist earth government movement led by true gods
この論文は,テロをなくす道は社会主義地球政府を実現する渦の中に人々を巻き込んでいくことのなかにある,です。
ミツキはグループ中心思考の段階にある人が資本主義による搾取と戦争に対する憎しみのかたまりになった存在がテロリストだと考えています。
テロリストの発生をなくす道は真の神に導かれる社会主義地球政府運動の展開の中にあります。
(1)
2001年12月のアメリカと諸外国軍隊のアフガニスタン戦争と占領の継続は
アフガニスタンにおけるタリバン勢力をかえって強化してきました。
アフガニスタン戦争は無駄に数多く犠牲者を出しただけでなく
かえってイスラム原理主義テロリストを増大させ
世界をより不安定にしてきました。
私たちはアフガニスタンからアメリカ軍が事実上敗北し、
撤退する日を見ることになります。
アフガニスタンで米軍のwinはあっても、
victoryはないからです。
そしてアフガニスタンは、イスラム原理主義者タリバンが何らかの
強い影響力をもつことになります。
(2)
かつて、アメリカは、ベトナム侵略戦争(1964-73年)において
ベトナム占領軍を撤退させました。
その時、ベトナム勝利後に不安はありませんでした。
ベトナム民族解放戦線は、自爆テロで無実の民間人を殺傷するような
集団ではありませんでした。
タリバンは違います。
米軍撤退後は、米軍と外国協力者たちを大量処刑するでしょうし
米軍や米軍に協力する国際勢力には継続してテロ活動をするでしょう。
その中で無実の一般市民にも危害を与えるでしょう。
(米軍のアフガニスタン侵略に協力をつづけ
さらに日米軍事同盟関係を強化してゆけば
日本人もそのうちテロの危険にさらされることになります。)
私たちはアフガニスタン戦争後に
どう平和な未来を展望すべきでしょうか。
「テロとの戦い」の名目で
残虐非道なことを行ない
憎しみの固まりとしての
宗教テロリストを増やすような愚とは
別の賢明な道を探らねばなりません。
(3)
人間の意識の発達レベルの②グループ中心思考の人間が
「B橙、宗教原理」のドグマを身につけて
リーダーとなってグループを率いる時
宗教原理主義運動が成立します。
宗教的ドグマ(集合意識)に②の自グループ(イスラム)中心主義が結合していますから
彼らは自分たちのイスラム信仰の内と外を極端にわけ
また、日常の信仰生活でも自分たちの原理主義的な生活スタイルに
反するものに対してひどいしうちをします。
自分たちの心の半径の外にあるものに対してはひどい扱いをするわけです。
その根拠をイスラム教の宗教的ドグマが与えるわけです。
(4)
イスラム教の教義はどのような特質をもつか考えみましょう。
日本人作成とおもわれる学習映像「Islam birth イスラム誕生」
このムハンマドとイスラム誕生についての映像をみて
イスラム教徒の集合意識の潜在部分に組み込まれる
思考パターンを考えてみましょう。
当時のアラビア半島は、
①貧富の格差が極端になる富めるものは貧しい人々のことを
考えず、この世での自分たちの享楽を追求していた。
②血を血で洗う部族間抗争がつづいていた。
一人殺されたら、二人殺しかえすというふうに。
こうしたことに疑問を感じたムハンマドは
ヒラー山の洞窟で瞑想をしているうちに
啓示が浮かびます。
部族ごとの偶像崇拝をやめ、唯一の神アッラーのもとに
人種や部族などを超えて、みんなが平等な社会にする
ウンマ共同体(イスラム共同体)をつくります。
そして右手に剣、左手にコーランをもって
戦い続けて、ウンマ(イスラム共同体)を
拡大してゆきます。
王族としての政治と社会生活を放棄したところから
出発した仏教のゴウタマ・シッダールタ
あるいは民衆の間にスピリチュアルな教えだけ説いて
政治的支配者に処刑されたキリスト教のイエス
と正反対に
政治的闘争を含む、
社会的経済的な領域での人間のあり方をもつ
宗教共同体として成立しましたから
社会生活が祈りと同等の宗教行為として含まれることになります。
そこにイスラム教がキリスト教や仏教と識別される特徴があると考えられます。
(5)
上記の映像の中でムハンマドは
極端な格差社会の中で富裕なものは
貧苦の中で苦しむ人のことを視界にいれず、
享楽的な人生を送っていることへを疑問に感じます。
これは、時代を超え、
一部の人間に富が集中しすぎる時代には、
心ある人間に当然わき上がる疑問です。
私たちの時代も
現在のアメリカを中心とする資本主義世界は
一部の富裕者が多数のホームレスや生活困窮者を
生み出すシステムであり
中東が石油資源獲得の地と位置づけられ
物的渇望の場としてとらえます。
自分たちの利権を脅かす政府を
転覆させるなど
(例、1953年イランのモサディク政権転覆)
まさしくアメリカや欧米「帝国主義」の所業は
イスラエル・パレスチナ問題とあわせて
中東の地域の心ある人々に
耐えがたいだろうと思われます。
(6)
次の文章は1979年2月のイラン革命におけるホメイニーの訴えです。
「植民地主義者は、特定の諸民族に対する政治的支配ばかりか、
従属化させた自らの手先を通じて、経済的抑圧体制を押しつけてきた。
そうして、抑圧者と被抑圧者という二つのグループに世界を分割したのである。
一方では、一握りの金持ちが存在し、連中は政治権力を握り、
大部分腐敗した放蕩な生活を送り、
他方では何億ものイラスム教徒が飢餓状態にさせられ、
すべての健康条件と文化を奪われている。……
これら不幸な人々を抑圧と貧困から解放するのはわれわれの義務である。
われわれには抑圧されたものを守り、抑圧者と闘う義務があるからだ。……
独占資本主義と闘い、不当な利潤を反対するのはウラマーの使命である。
一握りの略奪者、抑圧者が贅沢三昧の生活している一方、
そのたかわらで他のものが飢えのために死んでいくような状況を、
ウラマーは絶対に容認することができない。
(ルーホッラー・ホメイニ著・清水学訳『我が闘争宣言』ダイアモンド社)
このホメイニーの認識する私たちの時代は
ムハンマドによるイスラム誕生時のアラビア半島の社会を
拡大したものにほかなりません。
そしてこの課題は、世界中の心ある人が手をつないで
解決してゆくべき課題でもあります。
「一握りの略奪者、抑圧者が贅沢三昧の生活している一方、
そのたかわらで他のものが飢えのために死んでいくような状況」
を変革するのは、イスラムの「ウラマーの使命」ではなく
「私たちの使命」なのではないでしょうか。
イスラム原理主義者の要求は
イスラエルの占領と戦うガザの原理主義者ハマスにしても
アメリカと外国勢力による占領と戦うアフガニスタンのタリバンにしても
ナチスドイツに占領されたフランスでレジスタンスがおきたように
正当なレジスタンスの面をもっています。
私たちはイスラム原理テロリストの要求の正当な面を見抜き
富が一部に集中しすぎるシステムを変革し
広範な多元統合(多様性における統一)運動を展開し
イスラムテロリストの方に引き寄せられるイスラム大衆を
惑星地球社会をつくる方向への
渦に巻き込む必要があります。
(世界社会フォーラム運動はその可能性をもっていると
見ています)
そしてモラレス大統領たちが提唱するような
21世紀型の社会主義運動を前進させることによって
「一握りの略奪者、抑圧者が贅沢三昧の生活している一方、
そのたかわらで他のものが飢えのために死んでいくような状況」
が変革され、
イスラムテロリストの発生根拠を
地上から消滅させてゆくことができます。
その消滅までは、警察の国際的連携強化によって
テロリストから市民生活を守る必要があります。
(軍事力の行使によってテロリストを撲滅し
市民生活を守ることはできません)
(7)
イスラム教が社会的経済的な領域を
含んでいるという特質を述べました。
イスラム文化圏の中でも
②の自グループ中心主義でなく
③の世界中心、④生命中心、⑤宇宙中心への
心の発達レベルを進化させた人々が登場しています。
イスラムを宗教領域のみに縮小する歴史的課題に
取り組む知識人も出現してきています。
たとえば、元テヘラン大学、今アメリカに亡命している
「アブドル・カリーム・ソロウシュ」
http://universal.raaq.jp/personal/soroush1.htm
は、ホメイニーの革命に協力し
左翼や知識人の血の処刑にかかわった責任者ですが
のちにイスラム教を社会や経済の領域から
切り離し、宗教領域のみに縮小することを
説いて、弾圧されます。
この論文の最後にソロウシュの支持者による
次の文章を引用しています。
ソロウシュの支持者は言う。
「私も、大学閉鎖へのソロウシュの貢献は、間違っていると思う。
しかし、それがどうしたというんだ。
われわれは別の完璧な人物を探すのか。
われわれがソロウシュに信頼のすべてを預けて彼が別のミスをしないかと案ずるのか。
私は、彼のアプローチはイランにおける宗教の役割を変革するもっともよい企てだと思う。
信仰において宗教の役割を変えることは、
われわれの抱えているもっとも大きな問題の一つだ。
われわれは一夜にして宗教を殺すことではできない。
(そしてまたわれわれはそうは望んでいない。)
われわれは、それが実際に属するところ、
すなわち政治と法的制度の外に位置づける必要がある。
私は、ソロウシュのアプローチが、
この目標をもっとも効果的に現実的に成し遂げるものであることを見いだす。」
イスラム世界において
このような政教分離をなしとげることは
イスラム世界の人々自身の課題です。
私たちの課題ではないことを認識する必要があります。
そのことで、私たちの方が勝っているとかの
優劣の問題ではありません。
民主主義の押しつけ意識は厳に慎まなくてはなりません。
(8)
私たちにとって重要なことは、
イスラム世界の中にいる
③の世界中心思考、④の生命中心思考、
⑤の宇宙中心思考の発達レベルの人々を
世界社会フォーラム運動的なものに巻き込んで
ボリビアのモラレス大統領たちとともに
資本主義を超え、
地球惑星社会を形成する全人類的運動を
「多様性における統一」のもとに発展させることだと
思うのです。
一つの民主的人類社会の形成という目標は
③、④、⑤の発達レベルのイスラム教徒知識人には
より受け入れ可能な目標と思えます。
イスラムのキー概念に
「タウヒード」=「一化、一に帰す」
「シルク」=多元性があります。
すなわち「シルク」なる世界は
一者(アッラー)の顕現です。
したがって、
一者アッラーは、人間、社会、自然の全コスモスとして
顕現しています。
マヘル・ザインの「神に常にそこに」
maher zain always be there .flv (video inspired by god of star)
アラー・アクバル(偉大なるアッラー)は、この映像のように自然のすべてとして顕現しているわけです。
ここに、私はイスラム圏の③世界中心、④生命中心、⑤宇宙中心思考まで
進化した知識人たちと手を結んで、資本主義を超えた人類惑星社会を
探求できる可能性を見るのです。
もちろん、イスラム教徒も含めて
世界の圧倒的多数の住民は、自グループ中心の意識レベルです。
ですから、
イスラム教の特質からイスラム世界が
トルコのように政教分離に進むことは困難だとは
思います。
しかし、その当面の成否は今進んでいる
イランの民主主義革命運動の勝利が
どういう展開になるかが注目されます。
私たちはイスラム世界の先進的な意識部分と
手をつなぐことができ、
またそれを実現しなくてはなりません。
(9)
人類社会の「多様性における統一」と平和な地球惑星社会への
ハードルの一つに「イスラム」と「西洋世界」の「文明の衝突」があり
それをより高次なレベルで「多元統合」する課題があります。
そのためには
②の自グループ中心主義意識もとづく反社会的運動である
原理主義テロリストを人類史的に克服することは不可欠です。
(参考)
『文明の衝突』論については
「文明の活断層とサルカール・・・イラク攻撃を考える」
昨日(2003年1月12日)、
NHKで「ユーラシア」という番組が報道されました。
パキスタンで取材中に三人の記者が交通事故でなくなる
という悲劇をともなってつくられたもので、力作でした。
アメリカによるイラク攻撃がどれだけ不穏な世界をつくるか、
アメリカの力によるイラク粉砕が、テロや戦争をなくすどころか、
よりこわい世界を生み出すか、をリアルに描いたものでした。
もちろんアメリカがイラクを攻撃しなくても、
不穏な状況はすすんでいますが、
アメリカのイラク攻撃はそれに火をつけることになるでしょう。
(アメリカのアフガニスタンの爆撃も、
それによって家や家族をうしなった犠牲者の子どもたちたちが
タリバンの学校で勉強している様子も描かれていました。
武力による解決は未来に結実する反作用の種を着実に生み出しています)
(『文明の衝突』論は「二項対立」=「分割的アプローチ」)
批判されているように「文明間の衝突」から「文明の活断層」をみてゆく視点は、
「二項対立」的な見方であり、「分割的アプローチ」です。
サルカールは、人類の「分割的アプローチ」がこれまで不幸をまねいてきた、
「分割的アプローチ」ではなく、「統合的アプローチ」をすべきだと言います。
世界の政治をみてゆく場合における「分割的アプローチ」でなく「総合的なアプローチ」とは
、 多様な文明のあらわれの中の根本に共通のものをさぐり、
人類は一つだという視点につなげること、
あるいは、最終的に一つの人類政府が必要だという論につながるものです。
昨日の「ユーラシア」という番組(03年1月13日NHK)には
多様な文明の根本に共通のものをさぐる視点は、まったくありませんでした。
しかし、そのような「統合的アプローチ」をする人は、
まだほんの少数の人しかいないとおもいます。
それを浸透させるのはこれからの課題です。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Mitsuki thinks that terrorist is mass of hatred against exploitation and war by capitalism who are in group center thinking stage.
Way to eliminate generation of terrorists is in development of socialist earth government movement led by true gods
この論文は,テロをなくす道は社会主義地球政府を実現する渦の中に人々を巻き込んでいくことのなかにある,です。
ミツキはグループ中心思考の段階にある人が資本主義による搾取と戦争に対する憎しみのかたまりになった存在がテロリストだと考えています。
テロリストの発生をなくす道は真の神に導かれる社会主義地球政府運動の展開の中にあります。
(1)
2001年12月のアメリカと諸外国軍隊のアフガニスタン戦争と占領の継続は
アフガニスタンにおけるタリバン勢力をかえって強化してきました。
アフガニスタン戦争は無駄に数多く犠牲者を出しただけでなく
かえってイスラム原理主義テロリストを増大させ
世界をより不安定にしてきました。
私たちはアフガニスタンからアメリカ軍が事実上敗北し、
撤退する日を見ることになります。
アフガニスタンで米軍のwinはあっても、
victoryはないからです。
そしてアフガニスタンは、イスラム原理主義者タリバンが何らかの
強い影響力をもつことになります。
(2)
かつて、アメリカは、ベトナム侵略戦争(1964-73年)において
ベトナム占領軍を撤退させました。
その時、ベトナム勝利後に不安はありませんでした。
ベトナム民族解放戦線は、自爆テロで無実の民間人を殺傷するような
集団ではありませんでした。
タリバンは違います。
米軍撤退後は、米軍と外国協力者たちを大量処刑するでしょうし
米軍や米軍に協力する国際勢力には継続してテロ活動をするでしょう。
その中で無実の一般市民にも危害を与えるでしょう。
(米軍のアフガニスタン侵略に協力をつづけ
さらに日米軍事同盟関係を強化してゆけば
日本人もそのうちテロの危険にさらされることになります。)
私たちはアフガニスタン戦争後に
どう平和な未来を展望すべきでしょうか。
「テロとの戦い」の名目で
残虐非道なことを行ない
憎しみの固まりとしての
宗教テロリストを増やすような愚とは
別の賢明な道を探らねばなりません。
(3)
人間の意識の発達レベルの②グループ中心思考の人間が
「B橙、宗教原理」のドグマを身につけて
リーダーとなってグループを率いる時
宗教原理主義運動が成立します。
宗教的ドグマ(集合意識)に②の自グループ(イスラム)中心主義が結合していますから
彼らは自分たちのイスラム信仰の内と外を極端にわけ
また、日常の信仰生活でも自分たちの原理主義的な生活スタイルに
反するものに対してひどいしうちをします。
自分たちの心の半径の外にあるものに対してはひどい扱いをするわけです。
その根拠をイスラム教の宗教的ドグマが与えるわけです。
(4)
イスラム教の教義はどのような特質をもつか考えみましょう。
日本人作成とおもわれる学習映像「Islam birth イスラム誕生」
このムハンマドとイスラム誕生についての映像をみて
イスラム教徒の集合意識の潜在部分に組み込まれる
思考パターンを考えてみましょう。
当時のアラビア半島は、
①貧富の格差が極端になる富めるものは貧しい人々のことを
考えず、この世での自分たちの享楽を追求していた。
②血を血で洗う部族間抗争がつづいていた。
一人殺されたら、二人殺しかえすというふうに。
こうしたことに疑問を感じたムハンマドは
ヒラー山の洞窟で瞑想をしているうちに
啓示が浮かびます。
部族ごとの偶像崇拝をやめ、唯一の神アッラーのもとに
人種や部族などを超えて、みんなが平等な社会にする
ウンマ共同体(イスラム共同体)をつくります。
そして右手に剣、左手にコーランをもって
戦い続けて、ウンマ(イスラム共同体)を
拡大してゆきます。
王族としての政治と社会生活を放棄したところから
出発した仏教のゴウタマ・シッダールタ
あるいは民衆の間にスピリチュアルな教えだけ説いて
政治的支配者に処刑されたキリスト教のイエス
と正反対に
政治的闘争を含む、
社会的経済的な領域での人間のあり方をもつ
宗教共同体として成立しましたから
社会生活が祈りと同等の宗教行為として含まれることになります。
そこにイスラム教がキリスト教や仏教と識別される特徴があると考えられます。
(5)
上記の映像の中でムハンマドは
極端な格差社会の中で富裕なものは
貧苦の中で苦しむ人のことを視界にいれず、
享楽的な人生を送っていることへを疑問に感じます。
これは、時代を超え、
一部の人間に富が集中しすぎる時代には、
心ある人間に当然わき上がる疑問です。
私たちの時代も
現在のアメリカを中心とする資本主義世界は
一部の富裕者が多数のホームレスや生活困窮者を
生み出すシステムであり
中東が石油資源獲得の地と位置づけられ
物的渇望の場としてとらえます。
自分たちの利権を脅かす政府を
転覆させるなど
(例、1953年イランのモサディク政権転覆)
まさしくアメリカや欧米「帝国主義」の所業は
イスラエル・パレスチナ問題とあわせて
中東の地域の心ある人々に
耐えがたいだろうと思われます。
(6)
次の文章は1979年2月のイラン革命におけるホメイニーの訴えです。
「植民地主義者は、特定の諸民族に対する政治的支配ばかりか、
従属化させた自らの手先を通じて、経済的抑圧体制を押しつけてきた。
そうして、抑圧者と被抑圧者という二つのグループに世界を分割したのである。
一方では、一握りの金持ちが存在し、連中は政治権力を握り、
大部分腐敗した放蕩な生活を送り、
他方では何億ものイラスム教徒が飢餓状態にさせられ、
すべての健康条件と文化を奪われている。……
これら不幸な人々を抑圧と貧困から解放するのはわれわれの義務である。
われわれには抑圧されたものを守り、抑圧者と闘う義務があるからだ。……
独占資本主義と闘い、不当な利潤を反対するのはウラマーの使命である。
一握りの略奪者、抑圧者が贅沢三昧の生活している一方、
そのたかわらで他のものが飢えのために死んでいくような状況を、
ウラマーは絶対に容認することができない。
(ルーホッラー・ホメイニ著・清水学訳『我が闘争宣言』ダイアモンド社)
このホメイニーの認識する私たちの時代は
ムハンマドによるイスラム誕生時のアラビア半島の社会を
拡大したものにほかなりません。
そしてこの課題は、世界中の心ある人が手をつないで
解決してゆくべき課題でもあります。
「一握りの略奪者、抑圧者が贅沢三昧の生活している一方、
そのたかわらで他のものが飢えのために死んでいくような状況」
を変革するのは、イスラムの「ウラマーの使命」ではなく
「私たちの使命」なのではないでしょうか。
イスラム原理主義者の要求は
イスラエルの占領と戦うガザの原理主義者ハマスにしても
アメリカと外国勢力による占領と戦うアフガニスタンのタリバンにしても
ナチスドイツに占領されたフランスでレジスタンスがおきたように
正当なレジスタンスの面をもっています。
私たちはイスラム原理テロリストの要求の正当な面を見抜き
富が一部に集中しすぎるシステムを変革し
広範な多元統合(多様性における統一)運動を展開し
イスラムテロリストの方に引き寄せられるイスラム大衆を
惑星地球社会をつくる方向への
渦に巻き込む必要があります。
(世界社会フォーラム運動はその可能性をもっていると
見ています)
そしてモラレス大統領たちが提唱するような
21世紀型の社会主義運動を前進させることによって
「一握りの略奪者、抑圧者が贅沢三昧の生活している一方、
そのたかわらで他のものが飢えのために死んでいくような状況」
が変革され、
イスラムテロリストの発生根拠を
地上から消滅させてゆくことができます。
その消滅までは、警察の国際的連携強化によって
テロリストから市民生活を守る必要があります。
(軍事力の行使によってテロリストを撲滅し
市民生活を守ることはできません)
(7)
イスラム教が社会的経済的な領域を
含んでいるという特質を述べました。
イスラム文化圏の中でも
②の自グループ中心主義でなく
③の世界中心、④生命中心、⑤宇宙中心への
心の発達レベルを進化させた人々が登場しています。
イスラムを宗教領域のみに縮小する歴史的課題に
取り組む知識人も出現してきています。
たとえば、元テヘラン大学、今アメリカに亡命している
「アブドル・カリーム・ソロウシュ」
http://universal.raaq.jp/personal/soroush1.htm
は、ホメイニーの革命に協力し
左翼や知識人の血の処刑にかかわった責任者ですが
のちにイスラム教を社会や経済の領域から
切り離し、宗教領域のみに縮小することを
説いて、弾圧されます。
この論文の最後にソロウシュの支持者による
次の文章を引用しています。
ソロウシュの支持者は言う。
「私も、大学閉鎖へのソロウシュの貢献は、間違っていると思う。
しかし、それがどうしたというんだ。
われわれは別の完璧な人物を探すのか。
われわれがソロウシュに信頼のすべてを預けて彼が別のミスをしないかと案ずるのか。
私は、彼のアプローチはイランにおける宗教の役割を変革するもっともよい企てだと思う。
信仰において宗教の役割を変えることは、
われわれの抱えているもっとも大きな問題の一つだ。
われわれは一夜にして宗教を殺すことではできない。
(そしてまたわれわれはそうは望んでいない。)
われわれは、それが実際に属するところ、
すなわち政治と法的制度の外に位置づける必要がある。
私は、ソロウシュのアプローチが、
この目標をもっとも効果的に現実的に成し遂げるものであることを見いだす。」
イスラム世界において
このような政教分離をなしとげることは
イスラム世界の人々自身の課題です。
私たちの課題ではないことを認識する必要があります。
そのことで、私たちの方が勝っているとかの
優劣の問題ではありません。
民主主義の押しつけ意識は厳に慎まなくてはなりません。
(8)
私たちにとって重要なことは、
イスラム世界の中にいる
③の世界中心思考、④の生命中心思考、
⑤の宇宙中心思考の発達レベルの人々を
世界社会フォーラム運動的なものに巻き込んで
ボリビアのモラレス大統領たちとともに
資本主義を超え、
地球惑星社会を形成する全人類的運動を
「多様性における統一」のもとに発展させることだと
思うのです。
一つの民主的人類社会の形成という目標は
③、④、⑤の発達レベルのイスラム教徒知識人には
より受け入れ可能な目標と思えます。
イスラムのキー概念に
「タウヒード」=「一化、一に帰す」
「シルク」=多元性があります。
すなわち「シルク」なる世界は
一者(アッラー)の顕現です。
したがって、
一者アッラーは、人間、社会、自然の全コスモスとして
顕現しています。
マヘル・ザインの「神に常にそこに」
maher zain always be there .flv (video inspired by god of star)
アラー・アクバル(偉大なるアッラー)は、この映像のように自然のすべてとして顕現しているわけです。
ここに、私はイスラム圏の③世界中心、④生命中心、⑤宇宙中心思考まで
進化した知識人たちと手を結んで、資本主義を超えた人類惑星社会を
探求できる可能性を見るのです。
もちろん、イスラム教徒も含めて
世界の圧倒的多数の住民は、自グループ中心の意識レベルです。
ですから、
イスラム教の特質からイスラム世界が
トルコのように政教分離に進むことは困難だとは
思います。
しかし、その当面の成否は今進んでいる
イランの民主主義革命運動の勝利が
どういう展開になるかが注目されます。
私たちはイスラム世界の先進的な意識部分と
手をつなぐことができ、
またそれを実現しなくてはなりません。
(9)
人類社会の「多様性における統一」と平和な地球惑星社会への
ハードルの一つに「イスラム」と「西洋世界」の「文明の衝突」があり
それをより高次なレベルで「多元統合」する課題があります。
そのためには
②の自グループ中心主義意識もとづく反社会的運動である
原理主義テロリストを人類史的に克服することは不可欠です。
(参考)
『文明の衝突』論については
「文明の活断層とサルカール・・・イラク攻撃を考える」
昨日(2003年1月12日)、
NHKで「ユーラシア」という番組が報道されました。
パキスタンで取材中に三人の記者が交通事故でなくなる
という悲劇をともなってつくられたもので、力作でした。
アメリカによるイラク攻撃がどれだけ不穏な世界をつくるか、
アメリカの力によるイラク粉砕が、テロや戦争をなくすどころか、
よりこわい世界を生み出すか、をリアルに描いたものでした。
もちろんアメリカがイラクを攻撃しなくても、
不穏な状況はすすんでいますが、
アメリカのイラク攻撃はそれに火をつけることになるでしょう。
(アメリカのアフガニスタンの爆撃も、
それによって家や家族をうしなった犠牲者の子どもたちたちが
タリバンの学校で勉強している様子も描かれていました。
武力による解決は未来に結実する反作用の種を着実に生み出しています)
(『文明の衝突』論は「二項対立」=「分割的アプローチ」)
批判されているように「文明間の衝突」から「文明の活断層」をみてゆく視点は、
「二項対立」的な見方であり、「分割的アプローチ」です。
サルカールは、人類の「分割的アプローチ」がこれまで不幸をまねいてきた、
「分割的アプローチ」ではなく、「統合的アプローチ」をすべきだと言います。
世界の政治をみてゆく場合における「分割的アプローチ」でなく「総合的なアプローチ」とは
、 多様な文明のあらわれの中の根本に共通のものをさぐり、
人類は一つだという視点につなげること、
あるいは、最終的に一つの人類政府が必要だという論につながるものです。
昨日の「ユーラシア」という番組(03年1月13日NHK)には
多様な文明の根本に共通のものをさぐる視点は、まったくありませんでした。
しかし、そのような「統合的アプローチ」をする人は、
まだほんの少数の人しかいないとおもいます。
それを浸透させるのはこれからの課題です。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods