We are the New Civilization (video inspired by god of star)
14 ユニバーサルとは普遍的という意味であるのは,ユニバーサルという名前の施設が特殊アメリカ文化の施設となっている
under name of universal , facility named Universal becomes facility of special American culture
This article is that under name of universal , facility named Universal becomes facility of special American culture.
Mitsuki argues that cultural policy is base on principle of unity in diversity.
Culture continues to create collective consciousness of non-presence.
In order to form one human society of eternal peace,collective consciousness need to feel own culture of all cultures of earth.
この論文は,ユニバーサルとは普遍的という意味であるのは,ユニバーサルという名前の施設が特殊アメリカ文化の施設となっている,です。
文化政策は多様性における統一の原理で進めるべきだとミツキは論じています。
文化は非顕在の集合意識をつくっていきます。
永遠平和の人類社会を形成していくためには地球のあらゆる文化を自分たちの文化だと感じる集合意識が発達させられる必要があります。
先日、(2005年10月7日)は、高校三年の遠足につきそって、ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンにゆきました。
連休前なので、本当に大勢の小、中、高校生たちがいました。
まるでアメリカの町に旅行したような錯覚になります。
すべてアメリカです。
そして異国にいった感じもするし、いろんな設備は最新の機器をつかって楽しませるもので、子どもから大人まであそべる遊園地でした。
行かれた方はいかがでしたでしょうか。
私には、アメリカの財力によってつくられた文化植民地だと思えました。
ハリウッド映画の普及によって可能になっている施設です。
アメリカの大衆娯楽映画によって楽しみながら、多様な世界の中で、アメリカへの親近感が育てられます。
巧妙な文化政策で、楽しみを通じて日米が軸であることを心の奥に刻みます。
(サルカールは、こういうことを知的exploitation(利用、搾取)と言い、それは最終的には、経済的な、あるいは軍事的な物的領域での支配、exploitation(利用、搾取)につながるとしています。
ちなみに、9条が変えられて、日本人が兵士としてアメリカ軍の手先として戦わせられるようになることは、これも日米支配者による命のexploitation利用・搾取です)
大阪再生ビジョンを考える会ができたとして、地域住民が経済的決定権をもってゆく方向の長期的ビジョンの中で、ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンの存続を前提として、その文化施設のありようについて、私が、この文化的政策に対案としての意見を述べるとしたら、次のようになります。
①
アメリカの大衆文化を排除する姿勢はとらない。
人類の文化はすべて私たちの文化である。
②
ユニヴァーサルとは普遍的という意味であるが、その名に反して、特殊アメリカ文化の施設である。
真に普遍の名に値するものにするには、U.S.A.的だけでない、もっと多種多様な人類文化を「多様性のもとに統一」した文化施設に変革してゆくべきである。
③
「楽しい」というコンセプトのもとに、主だったすべての地球の地域の文化を、「私たちの文化」と感じるように導く施設とする。
遊園地であるから楽しいというコンセプトがないと大衆は入らない。
したがってアフリカ文化のコーナーで飢餓問題などはあつかいません。
しかし、現在のUSJに楽しむうちにいつのまにかアメリカ文化を私たちの文化と思い込んでしまうように、楽しくアフリカ、アジア、ラテンアメリカ、ヨーロッパの文化も「私たちの文化」と思うようになる施設とする。
↓
アメリカ映画で先に大衆の頭を洗脳しているから、人類文化を多様性のもとに統合する施設とした場合、アミューズメント=楽しさの点で大衆を満足させる施設にするのは、実際には難しいと思います。
しかし、私たちの文化政策が最終的に進む方向は、アメリカ文化だけなく、地球すべての地域の文化を大衆が「私たちの文化」と感じる方向にもってゆくことだと思います。
「人間の文化は、一つであり、分割できません。
ヒンドゥー文化、ムスリム文化、インド文化、ヨーロッパ文化というような表現を用いることは不合理なことです。
これらの党派的な考えを抱いている人々は、人類の幸いを祈る人ではありません」P.R.Sarkar
「外見的には、文化は地域による相違があります。
しかし、人間社会の地下水脈での文化的流れに違いはありません。
違いは外面なもので、内面的なものではありません。
文化は、世界中で一つです」P.R.Sarkar
USJにあるETやバックツウザフューチャーやジュラッシック・パークが低俗な映画とは思いませんが、青少年が遠足で多数訪れる教育的施設としては、見事にアメリカ文化を「私たちの文化」と考え、別の地域の文化を異文化として特殊な目で見る心を育てているように思えます。
これは、アメリカのヴァイシャ(財)による経済的搾取に対して日本の人々が抵抗できなくさせている巧妙な文化戦略であるように思えます。
「麻痺し背骨のない人々は、将来、文化的搾取あるいは他のタイプの搾取に対して決して立ち上がることはできません。
的に彼らは完全に死んでいるゆえに、決して立ち上がることができません。
頭を上げて抗議する能力は永久に押しつぶされてしまいます。
どのようにして彼らはふたたび頭を上げることができるでしょうか。
・・・人類が政治的自由、社会的解放を求めて闘うのは適切なことです。
しかし、もし、彼らの文化的バックボーンが破壊されていたら、彼らの闘争すべてが、何もできずに終わるでしょう」P.R.Sarkar
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Mitsuki argues that cultural policy is base on principle of unity in diversity.
Culture continues to create collective consciousness of non-presence.
In order to form one human society of eternal peace,collective consciousness need to feel own culture of all cultures of earth.
この論文は,ユニバーサルとは普遍的という意味であるのは,ユニバーサルという名前の施設が特殊アメリカ文化の施設となっている,です。
文化政策は多様性における統一の原理で進めるべきだとミツキは論じています。
文化は非顕在の集合意識をつくっていきます。
永遠平和の人類社会を形成していくためには地球のあらゆる文化を自分たちの文化だと感じる集合意識が発達させられる必要があります。
先日、(2005年10月7日)は、高校三年の遠足につきそって、ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンにゆきました。
連休前なので、本当に大勢の小、中、高校生たちがいました。
まるでアメリカの町に旅行したような錯覚になります。
すべてアメリカです。
そして異国にいった感じもするし、いろんな設備は最新の機器をつかって楽しませるもので、子どもから大人まであそべる遊園地でした。
行かれた方はいかがでしたでしょうか。
私には、アメリカの財力によってつくられた文化植民地だと思えました。
ハリウッド映画の普及によって可能になっている施設です。
アメリカの大衆娯楽映画によって楽しみながら、多様な世界の中で、アメリカへの親近感が育てられます。
巧妙な文化政策で、楽しみを通じて日米が軸であることを心の奥に刻みます。
(サルカールは、こういうことを知的exploitation(利用、搾取)と言い、それは最終的には、経済的な、あるいは軍事的な物的領域での支配、exploitation(利用、搾取)につながるとしています。
ちなみに、9条が変えられて、日本人が兵士としてアメリカ軍の手先として戦わせられるようになることは、これも日米支配者による命のexploitation利用・搾取です)
大阪再生ビジョンを考える会ができたとして、地域住民が経済的決定権をもってゆく方向の長期的ビジョンの中で、ユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンの存続を前提として、その文化施設のありようについて、私が、この文化的政策に対案としての意見を述べるとしたら、次のようになります。
①
アメリカの大衆文化を排除する姿勢はとらない。
人類の文化はすべて私たちの文化である。
②
ユニヴァーサルとは普遍的という意味であるが、その名に反して、特殊アメリカ文化の施設である。
真に普遍の名に値するものにするには、U.S.A.的だけでない、もっと多種多様な人類文化を「多様性のもとに統一」した文化施設に変革してゆくべきである。
③
「楽しい」というコンセプトのもとに、主だったすべての地球の地域の文化を、「私たちの文化」と感じるように導く施設とする。
遊園地であるから楽しいというコンセプトがないと大衆は入らない。
したがってアフリカ文化のコーナーで飢餓問題などはあつかいません。
しかし、現在のUSJに楽しむうちにいつのまにかアメリカ文化を私たちの文化と思い込んでしまうように、楽しくアフリカ、アジア、ラテンアメリカ、ヨーロッパの文化も「私たちの文化」と思うようになる施設とする。
↓
アメリカ映画で先に大衆の頭を洗脳しているから、人類文化を多様性のもとに統合する施設とした場合、アミューズメント=楽しさの点で大衆を満足させる施設にするのは、実際には難しいと思います。
しかし、私たちの文化政策が最終的に進む方向は、アメリカ文化だけなく、地球すべての地域の文化を大衆が「私たちの文化」と感じる方向にもってゆくことだと思います。
「人間の文化は、一つであり、分割できません。
ヒンドゥー文化、ムスリム文化、インド文化、ヨーロッパ文化というような表現を用いることは不合理なことです。
これらの党派的な考えを抱いている人々は、人類の幸いを祈る人ではありません」P.R.Sarkar
「外見的には、文化は地域による相違があります。
しかし、人間社会の地下水脈での文化的流れに違いはありません。
違いは外面なもので、内面的なものではありません。
文化は、世界中で一つです」P.R.Sarkar
USJにあるETやバックツウザフューチャーやジュラッシック・パークが低俗な映画とは思いませんが、青少年が遠足で多数訪れる教育的施設としては、見事にアメリカ文化を「私たちの文化」と考え、別の地域の文化を異文化として特殊な目で見る心を育てているように思えます。
これは、アメリカのヴァイシャ(財)による経済的搾取に対して日本の人々が抵抗できなくさせている巧妙な文化戦略であるように思えます。
「麻痺し背骨のない人々は、将来、文化的搾取あるいは他のタイプの搾取に対して決して立ち上がることはできません。
的に彼らは完全に死んでいるゆえに、決して立ち上がることができません。
頭を上げて抗議する能力は永久に押しつぶされてしまいます。
どのようにして彼らはふたたび頭を上げることができるでしょうか。
・・・人類が政治的自由、社会的解放を求めて闘うのは適切なことです。
しかし、もし、彼らの文化的バックボーンが破壊されていたら、彼らの闘争すべてが、何もできずに終わるでしょう」P.R.Sarkar
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods