The Universal Declaration of the Rights of Mother Earth (video inspired by god of star)
13 人類は資本主義による自然破壊を続ける臨界点に達している
humankind has reached critical point to continue destruction of nature by capitalism
This article is that humankind has reached critical point to continue destruction of nature by capitalism.
This aticle of Mitsuki is extremely important.
Beginning of 21st century has reached critical point now, as territorial expansion had reached catastrophe of two Great War 100 years ago.
It points out correctly that now is era which economic expansion has reached critical point jeopardizing human survival by destruction of nature.
この論文は,人類は資本主義による自然破壊を続ける臨界点に達している,です。
ミツキのこの論文はきわめて重要です。
21世紀初頭の今を100年前の領土的拡張が臨界点に達して二度の大戦争の破局を迎えたように
経済的拡張が臨界点に達して自然破壊が進み人間の存続が危うくなっている時代であることを正確に指摘しています。
(1)
「収縮と拡張」の繰り返しは、このコスモスの存在形式です。
心臓も、歩く時の筋肉も、エンジンも、
たえざる運動過程の中にあるわけですが
それは「収縮と拡張」の脈動の中に存在します。
太陽系は銀河系が楕円でまわっている事は
半径が「収縮と拡張」を繰り返していることです。
ひょとしたら太陽系も銀河系も、
何百億年、何千億年の単位で「収縮と拡張」を繰り返しているのかもしれません。
拡張の時期はいずれ、縮小の時期をむかえざるをえません。
このコスモスはその脈動の中で、より高次の存在を生み出しながら
拡張していっているように思えます。
(2)
どんなに大きくても物的領域は有限です。
限りがあります。無限ではありません。
コップにストローで水をいれると、あふれる時がきます。
コップに入る水の量が有限だから、入れ続けたら
どんなに少量ずつでも、あふれる時がくるのです。
地球も有限な球体です。
100年前、20世紀初頭、
地球は有限という点を重視して
第一次大戦の本質を見抜いた人がいます。
レーニンの『帝国主義論』です。
強い国家が、自分の領土を広げる「競争原理」の世界でした。
その「競争原理」を続けて、
今、少数の強国によって地球分割が完了した。
したがって、他国を併合している強盗同士の戦争が
この第一次大戦だど、その時代の戦争の本質を暴いたのです。
レーニンのように地球の有限性を自覚して
そのようにとらえることのできた人が当時
一体、何人いたでしょう。
ソ連崩壊やレーニン批判の中で
「産湯とともに赤子を流す」ような愚かなことを
してはいけないと思います。
地球の有限性を自覚的にとらえたレーニンから
学ぶ点はあると思います。
レーニン率いたロシア革命が呼びかけた植民地の政治的独立は
20世紀後半にほぼ完了しました。
(またレーニン率いるロシア革命が世界に反搾取意識を広げた
という功績があったと思います)
ヨーロッパでのカトリック中世文明の統合が
世俗王権の強化で崩れ、フランス革命などネイション国家が成立します。
そしてネイション国家の領土的「拡張」の時代があり
資本主義列強は「競争原理」のもとで植民地分割争いをしました。
そしてコップの水のあふれる時点に登場したレーニンが
地球規模で、水があふれているという本質を見抜いたと思います。
そして20世紀はネイション国家の領土的「収縮」の時期を迎えました。
なんと数多くの血が無駄に流れたでしょう。
日本は1868-1945年の政治的な「拡張」の時期から
1945年の政治的領土「縮小」の時を劇的に迎えます。
(3)
さて、20世紀の資本主義国は、領土的には収縮の時期でしたが
経済的には、資本主義経済はさらなる「拡張」の時期となりました。
この外需中心で資源、市場、労働力を外部にもとめて
資本主義企業が互いに経済「競争」しあってきました。
しかし、地球規模でみると
その資本主義経済「競争」が限界的に達し
コップから水があふれんとする時点に
今日、達してつつあるのだと思います。
国際経済競争に勝つためには、
口先の企業イメージ宣伝文句とは逆に
労働者をより低賃金ではらかせて
自然は無限のものとして
開発してゆかざるをえません。
100年前の
レーニンの『帝国主義論』は国家による政治的領土拡張が
限界点に達して人間の生命を殺し合う戦争をしていることを
暴露したものでした。
その100年後
モラレス大統領たちの『コチャバンバ宣言』は
企業による地球的経済競争が限界点に達して
人間と自然を破壊し、
もうこれ以上は、コップから水があふれるよーという
南からの叫びと考えられます。
経済危機により世界の飢餓状況は悪化し、
今や世界飢餓人口は64億人中10億2000万人だそうです。
コチャンバンバ宣言は言います。
「母なる大地は傷つき、人類の未来は危機に瀕しています。
人類は大きな選択を迫られています。
資本主義の道を続け、略奪と死を選ぶのか、
自然との調和と命の尊重という道へ踏み出すのか。
人間と自然との間の調和、
人々の間での調和を再び成り立たせる新しいシステムを、
生み出すことが求められているのです。
世界中の人々に対して、
日々の生活と「善き生き方」という提案の中で確認されてきた
先住民族の知識や知恵、伝統的な実践の回復と再評価そして強化を提起します。
母なる大地を生きるものと考え、
私たちはその母なる大地と不可分の、
相互に依存した、補完的そして精神的な関係を保っているのです。」
(4)
私は、このコチャバンバ宣言に応える道の一歩は
旧来型の資本主義パターンである
外需中心の国際競争をやめて
内需中心の国内再生産構造の方向に
切り換えることにあると思います。
「自然との調和と命の尊重という道へ踏み出す」
一歩を内需中心経済へ転換することから
着手することだと思うのです。
それは1868年以来歩んできた
日本の外需中心経済を「収縮」させることです。
外部依存を「収縮」させる道は
1945年に領土拡張を「縮小」し、
よりよい社会になったように
私たちにとってよりベターな生活をもらたす道です。
今という時期は、
これまで「拡張」してきた資本主義経済が
「収縮」期を迎える時期だと思います。
そして新しい質の民主主義経済に変わるという
地球惑星的転換点にあると考えられます。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Beginning of 21st century has reached critical point now, as territorial expansion had reached catastrophe of two Great War 100 years ago.
It points out correctly that now is era which economic expansion has reached critical point jeopardizing human survival by destruction of nature.
この論文は,人類は資本主義による自然破壊を続ける臨界点に達している,です。
ミツキのこの論文はきわめて重要です。
21世紀初頭の今を100年前の領土的拡張が臨界点に達して二度の大戦争の破局を迎えたように
経済的拡張が臨界点に達して自然破壊が進み人間の存続が危うくなっている時代であることを正確に指摘しています。
(1)
「収縮と拡張」の繰り返しは、このコスモスの存在形式です。
心臓も、歩く時の筋肉も、エンジンも、
たえざる運動過程の中にあるわけですが
それは「収縮と拡張」の脈動の中に存在します。
太陽系は銀河系が楕円でまわっている事は
半径が「収縮と拡張」を繰り返していることです。
ひょとしたら太陽系も銀河系も、
何百億年、何千億年の単位で「収縮と拡張」を繰り返しているのかもしれません。
拡張の時期はいずれ、縮小の時期をむかえざるをえません。
このコスモスはその脈動の中で、より高次の存在を生み出しながら
拡張していっているように思えます。
(2)
どんなに大きくても物的領域は有限です。
限りがあります。無限ではありません。
コップにストローで水をいれると、あふれる時がきます。
コップに入る水の量が有限だから、入れ続けたら
どんなに少量ずつでも、あふれる時がくるのです。
地球も有限な球体です。
100年前、20世紀初頭、
地球は有限という点を重視して
第一次大戦の本質を見抜いた人がいます。
レーニンの『帝国主義論』です。
強い国家が、自分の領土を広げる「競争原理」の世界でした。
その「競争原理」を続けて、
今、少数の強国によって地球分割が完了した。
したがって、他国を併合している強盗同士の戦争が
この第一次大戦だど、その時代の戦争の本質を暴いたのです。
レーニンのように地球の有限性を自覚して
そのようにとらえることのできた人が当時
一体、何人いたでしょう。
ソ連崩壊やレーニン批判の中で
「産湯とともに赤子を流す」ような愚かなことを
してはいけないと思います。
地球の有限性を自覚的にとらえたレーニンから
学ぶ点はあると思います。
レーニン率いたロシア革命が呼びかけた植民地の政治的独立は
20世紀後半にほぼ完了しました。
(またレーニン率いるロシア革命が世界に反搾取意識を広げた
という功績があったと思います)
ヨーロッパでのカトリック中世文明の統合が
世俗王権の強化で崩れ、フランス革命などネイション国家が成立します。
そしてネイション国家の領土的「拡張」の時代があり
資本主義列強は「競争原理」のもとで植民地分割争いをしました。
そしてコップの水のあふれる時点に登場したレーニンが
地球規模で、水があふれているという本質を見抜いたと思います。
そして20世紀はネイション国家の領土的「収縮」の時期を迎えました。
なんと数多くの血が無駄に流れたでしょう。
日本は1868-1945年の政治的な「拡張」の時期から
1945年の政治的領土「縮小」の時を劇的に迎えます。
(3)
さて、20世紀の資本主義国は、領土的には収縮の時期でしたが
経済的には、資本主義経済はさらなる「拡張」の時期となりました。
この外需中心で資源、市場、労働力を外部にもとめて
資本主義企業が互いに経済「競争」しあってきました。
しかし、地球規模でみると
その資本主義経済「競争」が限界的に達し
コップから水があふれんとする時点に
今日、達してつつあるのだと思います。
国際経済競争に勝つためには、
口先の企業イメージ宣伝文句とは逆に
労働者をより低賃金ではらかせて
自然は無限のものとして
開発してゆかざるをえません。
100年前の
レーニンの『帝国主義論』は国家による政治的領土拡張が
限界点に達して人間の生命を殺し合う戦争をしていることを
暴露したものでした。
その100年後
モラレス大統領たちの『コチャバンバ宣言』は
企業による地球的経済競争が限界点に達して
人間と自然を破壊し、
もうこれ以上は、コップから水があふれるよーという
南からの叫びと考えられます。
経済危機により世界の飢餓状況は悪化し、
今や世界飢餓人口は64億人中10億2000万人だそうです。
コチャンバンバ宣言は言います。
「母なる大地は傷つき、人類の未来は危機に瀕しています。
人類は大きな選択を迫られています。
資本主義の道を続け、略奪と死を選ぶのか、
自然との調和と命の尊重という道へ踏み出すのか。
人間と自然との間の調和、
人々の間での調和を再び成り立たせる新しいシステムを、
生み出すことが求められているのです。
世界中の人々に対して、
日々の生活と「善き生き方」という提案の中で確認されてきた
先住民族の知識や知恵、伝統的な実践の回復と再評価そして強化を提起します。
母なる大地を生きるものと考え、
私たちはその母なる大地と不可分の、
相互に依存した、補完的そして精神的な関係を保っているのです。」
(4)
私は、このコチャバンバ宣言に応える道の一歩は
旧来型の資本主義パターンである
外需中心の国際競争をやめて
内需中心の国内再生産構造の方向に
切り換えることにあると思います。
「自然との調和と命の尊重という道へ踏み出す」
一歩を内需中心経済へ転換することから
着手することだと思うのです。
それは1868年以来歩んできた
日本の外需中心経済を「収縮」させることです。
外部依存を「収縮」させる道は
1945年に領土拡張を「縮小」し、
よりよい社会になったように
私たちにとってよりベターな生活をもらたす道です。
今という時期は、
これまで「拡張」してきた資本主義経済が
「収縮」期を迎える時期だと思います。
そして新しい質の民主主義経済に変わるという
地球惑星的転換点にあると考えられます。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods