Mount Kurama (鞍馬山), Kyoto (video inspired by god of star)
12 鞍馬寺の教義は宇宙中心思考にもとづいている
doctrine of Kurama temple is based on universe center thinking
This article is that doctrine of Kurama temple is based on universe center thinking.
Mitsuki found point of view of same universe center thinking in philosophy of P.R. Sarkar and doctrine of Kurama.
Both of doctrine of Kurama and philosophy of P.R. Sarkar were down by gods of earth's star.
Although gods of earth's star had no exchanges with gods of heaven until December 2012,
Gods of earth has supported humankind while doing close communication each other.
この論文は,鞍馬寺の教義は宇宙中心思考にもとづいている,です。
ミツキは鞍馬寺の教義にP.R.サーカーの哲学と同じ宇宙中心思考の観点を見いだします。
鞍馬寺の教義をおろしたのもP.R.サーカーの哲学をおろしたものを地球の星の神です。
地球の星の神は2012年12月まで天の星の神と交流がありませんでしたが
地球の星の神同士は密接なコミュニケーションを図りながら人類をサポートしてきました。
(1)
1868-1945年のサイクルは天皇制軍国主義国家となり
最後にこの世の地獄絵を描いて崩壊しました。
本来はあらゆる生命を尊重する意識を広めるべき宗教界が
天皇制軍国主義に屈伏し、迎合したことを反省して
より高いレベルの信仰に至ろうという動きが発生しています。
その流れは「宗教者九条の和」というページなどにみることができます。
http://www.shukyosha9jonowa.org/minasama.html
「私たちは、9条と自らの信仰・信心を重ねるとともに、
この賛同者をさらに大きくひろげたいとの願いを一致点として、
宗教界のすみずみにアピールが届くよう、呼びかけをさせていただくことといたしました」
その宗教界の中でも、京都の鞍馬寺は注目に値します。
日本国憲法の平和精神を擁護する
次のようなメッセージを境内に貼っておられます。
鞍馬寺のメッセージ
「永久に戦わないと誓った日本国憲法は世界に誇る宝」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/59kuramaderasensouhouki.html
その昔
一の谷 屋島 壇の浦
戦って 戦って 戦った義経は
戦いのむごさむなしさに気づき
平泉では戦いませんでした
すこし前
真珠湾 硫黄島 沖縄
戦って 戦って 戦ったわが国は
戦争の悲惨さ理不尽さを知り
永久に戦わないと誓いました
戦争で悲しまないために
戦争で悲しませないために
平和の道をめざしたのです
「日本国憲法」は平和の基盤
日本が世界に誇れる宝です
(鞍馬寺)
(2)
鞍馬寺は、古代からの伝統あるお寺です。
平安時代末期に牛若丸こと源義経が剣の修業をしたのもこのお寺でした。
昭和20年、鞍馬寺は火災で消失しました。
その年は、沖縄戦、広島、長崎の原爆、空襲、敗戦に象徴されます。
敗戦と寺の消失を機に、
鞍馬寺は、信楽香雲のリーダーシップのもと
仏教の枠を超えた新しい教義を確立し
天台宗から離れ、鞍馬弘教の総本山として確立します。
その教義は世界中心思考、宇宙中心思考に特徴があります。
国境も人種の垣根も超えて、全人類の深部の知性の目覚めを促す
「統一的世界観実体宗教」というネーミングです。
ワンネス哲学の二つの柱は、次の二つです。
(1)一なる形と属性なき普遍意識がこの物的宇宙として展開している。
(2)すべての人類の心の根底に普遍意識が投影している
信楽香雲氏が刷新した鞍馬寺の教義はこの二つの柱を根幹としています。
もちろん、宗教と同じく、祈るための像やお経や教義をもっており、
外から見ると普通の仏教のお寺ですが、
その有形の教義や像の部分をはぎ取るとワンネス哲学の教義が浮かびあがります。
(3)
「尊天」が鞍馬寺の教える中心点にあります。
「尊天とは、人間をはじめ、この世に存在するものすべてを生み出している宇宙生命、
宇宙エネルギーです。真理そのもので、神仏の区別を超えてひとつの形に固定されず
しかも、その本質を保ちつつ、
森羅万象、日月星辰、あらゆる神、あらゆる仏の姿となって顕現します」(パンフレット『鞍馬寺』)
つまり一なる普遍意識が形質を賦与され、多となってこの宇宙が展開しているという
考えです。
「私たち一人ひとりの人間の体、心、魂は、すべて尊天の顕現ですから
大海原とそこにたつ白い波頭のように本質はひとつのものです。・・・
どんな人も、本質においてはみんなが尊天の慈愛と光明と活力-
無垢で清らかな心を秘めもっているということです。
その心とは「霊性」「内なる尊天」と呼ばれます。」(『鞍馬寺』)
ここでいう霊性はサーカーのスピリチュアリティの定義とまったく同じであり
究極の属性ゼロポイントの普遍意識(尊天)の資質を誰もが潜在的に
秘めているんだよということです。
ここでは、日本国や天皇に神聖を与えるナショナリズムではなく
人類64億人すべてに平等に聖なる資質を与えています。
(4)
そして、その信仰は、彼岸に存在する神(普遍意識)に救いを願う
宗教的二元論ではありません。
究極の宇宙全体の実体である「尊天」の資質をそなえた人間性へと発達してゆく
人間発達の道が信仰にほかなりません。
「鞍馬山の信仰の根本は、ひとりひとりが世界に近づき
ついには尊天に合一するために、自分の霊性に目覚め
自分に与えられた生命を輝かせながら、
明るく正しく力づよく生きてゆくことにあります」(『鞍馬寺』)
「尊天に合一」とは、もっとも高次意識レベルで生きる時に可能になります。
昨日紹介したウィルバー的な人間の意識レベル発達論でいうと
「自己中心思考⇒自グループ中心思考⇒世界中心思考⇒生命中心思考⇒宇宙中心思考」
になります。
「自分が神だ、自分だけが真実を知っている。」
という聖なるメッセージを伝える人は自己中心思考のある人です。
「自分の国は聖なる神の国だ」「自分の宗教だけが聖なる真実だ」
というのは自グループ中心思考のある人です。
「魔界と神界」を設定したりするメッセージを述べる人も、
二元論の世界に存在して、無属性の時空を超えたゼロポイントに
アクセスしていないことを意味しています。
無属性のゼロポイントまで達した人は、
自分だけが聖なる真実を知っているとか言わないはずです。
自分の国は聖なる神の国だとコスモスの一部分に
他の部分よりも神聖性を与えるとかはしないはずです。
なぜなら、形と属性なき存在が多なるこの全宇宙として展開していますから、
すべてが聖なる存在だという意識をもち、そのような意識を人びとの心に育てます。
(5)
鞍馬寺は
「尊天に合一」するため、
「すべては尊天におわします」という言葉をとなえます。
実はサーカーのヨガを学ぶとサンスクリットのマントラを教えてくれるわけですが
奇しくもまったく同じ「このコスモスのすべては尊天(ブラフマ)です」
という趣旨のマントラを学びます。
サーカーは繰り返し、すべてを「ブラフマ(尊天)のあらわれとみよ」といいます。
なぜなら、その人の心のレベルは、念じる対象の性質を反映するからです。
自分が活動や仕事の対象としているものを、
単に個別の人間であり、出来事だとみず、一なる究極存在だとみることで
少しずつその人は究極存在の資質を身につけてゆくわけです。
サーカーは
「すべては尊天のあらわれ」と観ることをつづけてゆくことが
マントラ=念仏よりも高いレベルのスピリチュアル・レッスンであり
瞑想よりも高いレベルの最高のスピリチュアル・レッスンなのだと
述べています。
もちろん、鞍馬寺は宗教の形式をとり、
寺をもたないヨガとはもちろん大きく異なります。
(ヨガ系は人間の物的肉体を寺とみるようです)
しかし、その根幹のワンネス哲学の類似点には
興味深いものがあります。
その鞍馬寺が、日本国憲法の普遍的平和のスピリットを
強く支持しているメッセージを放っていることは世界中心思考段階まで
発達した心の人を強く励ましていると考えます。
ウィクペディア「鞍馬寺」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E9%A6%AC%E5%AF%BA
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Mitsuki found point of view of same universe center thinking in philosophy of P.R. Sarkar and doctrine of Kurama.
Both of doctrine of Kurama and philosophy of P.R. Sarkar were down by gods of earth's star.
Although gods of earth's star had no exchanges with gods of heaven until December 2012,
Gods of earth has supported humankind while doing close communication each other.
この論文は,鞍馬寺の教義は宇宙中心思考にもとづいている,です。
ミツキは鞍馬寺の教義にP.R.サーカーの哲学と同じ宇宙中心思考の観点を見いだします。
鞍馬寺の教義をおろしたのもP.R.サーカーの哲学をおろしたものを地球の星の神です。
地球の星の神は2012年12月まで天の星の神と交流がありませんでしたが
地球の星の神同士は密接なコミュニケーションを図りながら人類をサポートしてきました。
(1)
1868-1945年のサイクルは天皇制軍国主義国家となり
最後にこの世の地獄絵を描いて崩壊しました。
本来はあらゆる生命を尊重する意識を広めるべき宗教界が
天皇制軍国主義に屈伏し、迎合したことを反省して
より高いレベルの信仰に至ろうという動きが発生しています。
その流れは「宗教者九条の和」というページなどにみることができます。
http://www.shukyosha9jonowa.org/minasama.html
「私たちは、9条と自らの信仰・信心を重ねるとともに、
この賛同者をさらに大きくひろげたいとの願いを一致点として、
宗教界のすみずみにアピールが届くよう、呼びかけをさせていただくことといたしました」
その宗教界の中でも、京都の鞍馬寺は注目に値します。
日本国憲法の平和精神を擁護する
次のようなメッセージを境内に貼っておられます。
鞍馬寺のメッセージ
「永久に戦わないと誓った日本国憲法は世界に誇る宝」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/shiminshakaiforum/59kuramaderasensouhouki.html
その昔
一の谷 屋島 壇の浦
戦って 戦って 戦った義経は
戦いのむごさむなしさに気づき
平泉では戦いませんでした
すこし前
真珠湾 硫黄島 沖縄
戦って 戦って 戦ったわが国は
戦争の悲惨さ理不尽さを知り
永久に戦わないと誓いました
戦争で悲しまないために
戦争で悲しませないために
平和の道をめざしたのです
「日本国憲法」は平和の基盤
日本が世界に誇れる宝です
(鞍馬寺)
(2)
鞍馬寺は、古代からの伝統あるお寺です。
平安時代末期に牛若丸こと源義経が剣の修業をしたのもこのお寺でした。
昭和20年、鞍馬寺は火災で消失しました。
その年は、沖縄戦、広島、長崎の原爆、空襲、敗戦に象徴されます。
敗戦と寺の消失を機に、
鞍馬寺は、信楽香雲のリーダーシップのもと
仏教の枠を超えた新しい教義を確立し
天台宗から離れ、鞍馬弘教の総本山として確立します。
その教義は世界中心思考、宇宙中心思考に特徴があります。
国境も人種の垣根も超えて、全人類の深部の知性の目覚めを促す
「統一的世界観実体宗教」というネーミングです。
ワンネス哲学の二つの柱は、次の二つです。
(1)一なる形と属性なき普遍意識がこの物的宇宙として展開している。
(2)すべての人類の心の根底に普遍意識が投影している
信楽香雲氏が刷新した鞍馬寺の教義はこの二つの柱を根幹としています。
もちろん、宗教と同じく、祈るための像やお経や教義をもっており、
外から見ると普通の仏教のお寺ですが、
その有形の教義や像の部分をはぎ取るとワンネス哲学の教義が浮かびあがります。
(3)
「尊天」が鞍馬寺の教える中心点にあります。
「尊天とは、人間をはじめ、この世に存在するものすべてを生み出している宇宙生命、
宇宙エネルギーです。真理そのもので、神仏の区別を超えてひとつの形に固定されず
しかも、その本質を保ちつつ、
森羅万象、日月星辰、あらゆる神、あらゆる仏の姿となって顕現します」(パンフレット『鞍馬寺』)
つまり一なる普遍意識が形質を賦与され、多となってこの宇宙が展開しているという
考えです。
「私たち一人ひとりの人間の体、心、魂は、すべて尊天の顕現ですから
大海原とそこにたつ白い波頭のように本質はひとつのものです。・・・
どんな人も、本質においてはみんなが尊天の慈愛と光明と活力-
無垢で清らかな心を秘めもっているということです。
その心とは「霊性」「内なる尊天」と呼ばれます。」(『鞍馬寺』)
ここでいう霊性はサーカーのスピリチュアリティの定義とまったく同じであり
究極の属性ゼロポイントの普遍意識(尊天)の資質を誰もが潜在的に
秘めているんだよということです。
ここでは、日本国や天皇に神聖を与えるナショナリズムではなく
人類64億人すべてに平等に聖なる資質を与えています。
(4)
そして、その信仰は、彼岸に存在する神(普遍意識)に救いを願う
宗教的二元論ではありません。
究極の宇宙全体の実体である「尊天」の資質をそなえた人間性へと発達してゆく
人間発達の道が信仰にほかなりません。
「鞍馬山の信仰の根本は、ひとりひとりが世界に近づき
ついには尊天に合一するために、自分の霊性に目覚め
自分に与えられた生命を輝かせながら、
明るく正しく力づよく生きてゆくことにあります」(『鞍馬寺』)
「尊天に合一」とは、もっとも高次意識レベルで生きる時に可能になります。
昨日紹介したウィルバー的な人間の意識レベル発達論でいうと
「自己中心思考⇒自グループ中心思考⇒世界中心思考⇒生命中心思考⇒宇宙中心思考」
になります。
「自分が神だ、自分だけが真実を知っている。」
という聖なるメッセージを伝える人は自己中心思考のある人です。
「自分の国は聖なる神の国だ」「自分の宗教だけが聖なる真実だ」
というのは自グループ中心思考のある人です。
「魔界と神界」を設定したりするメッセージを述べる人も、
二元論の世界に存在して、無属性の時空を超えたゼロポイントに
アクセスしていないことを意味しています。
無属性のゼロポイントまで達した人は、
自分だけが聖なる真実を知っているとか言わないはずです。
自分の国は聖なる神の国だとコスモスの一部分に
他の部分よりも神聖性を与えるとかはしないはずです。
なぜなら、形と属性なき存在が多なるこの全宇宙として展開していますから、
すべてが聖なる存在だという意識をもち、そのような意識を人びとの心に育てます。
(5)
鞍馬寺は
「尊天に合一」するため、
「すべては尊天におわします」という言葉をとなえます。
実はサーカーのヨガを学ぶとサンスクリットのマントラを教えてくれるわけですが
奇しくもまったく同じ「このコスモスのすべては尊天(ブラフマ)です」
という趣旨のマントラを学びます。
サーカーは繰り返し、すべてを「ブラフマ(尊天)のあらわれとみよ」といいます。
なぜなら、その人の心のレベルは、念じる対象の性質を反映するからです。
自分が活動や仕事の対象としているものを、
単に個別の人間であり、出来事だとみず、一なる究極存在だとみることで
少しずつその人は究極存在の資質を身につけてゆくわけです。
サーカーは
「すべては尊天のあらわれ」と観ることをつづけてゆくことが
マントラ=念仏よりも高いレベルのスピリチュアル・レッスンであり
瞑想よりも高いレベルの最高のスピリチュアル・レッスンなのだと
述べています。
もちろん、鞍馬寺は宗教の形式をとり、
寺をもたないヨガとはもちろん大きく異なります。
(ヨガ系は人間の物的肉体を寺とみるようです)
しかし、その根幹のワンネス哲学の類似点には
興味深いものがあります。
その鞍馬寺が、日本国憲法の普遍的平和のスピリットを
強く支持しているメッセージを放っていることは世界中心思考段階まで
発達した心の人を強く励ましていると考えます。
ウィクペディア「鞍馬寺」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%8D%E9%A6%AC%E5%AF%BA
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods