To Where You Are (Lyrics) - JOSH GROBAN   (video inspired by god of star)



この視点は宇宙根底の神々の考えです
This point of view is idear of gods in base of universe

This article is that social policy should not be made as to foster self-reliance and solidarity of people.
This point of view is idear of gods in base of universe.
Gods in base of universe live in society of self-reliance and solidarity and communism which was downed to Marx means gods society of human relations of self-reliance and solidarity.
この論文は,、社会政策は人々の自立と連帯を育むものとしてなされなくてならない、です。
この視点は宇宙根底の神々の考えです。
宇宙根底の神々は自立と連帯の社会の中に生きており、マルクスにおろした共産主義とは人間関係が自立と連帯の神々の社会を意味します。



レオニードさん、コメントありがとうございます。
提案された税制のイメージなどなるほどと思いました。
終わりの方に資料として「After Capitalism」の税制論を紹介します。

1)進歩的社会主義の原理は「時、人、場所」に応じて具体化される
マルクス自身は「私はマルクス主義者」ではないと言いました。
しかしながら、その後、マルクスが提出したアイデアは、○○○○イズム(主義)というドグマとなりました。
サルカールは、ドグマやイズムは、その人の心が、その知的構築物の枠を超えて、拡張し、自由に思考することを妨げると指摘します。
「知性の解放」という一連のスピーチで、ドグマからの解放を訴えています。

サルカールの進歩的社会主義(プラウト)も、知的構造物です。
しかし、境目は漠然としていて、こうあらねばならないということはないのです。
そして、プラウトの原理も「時、場所、人に応じて具体化しなさい」と繰り返し述べています。
たとえば、協同組合を軸とした社会を構想していますが、人々の支持が広がらず、それを実現する条件が熟さない時は、協同組合を設立するなと言います。
かつてマルクス主義者が、国家権力を握って企業の国有化による社会主義化や農業の集団化をしましたが、サルカールの進歩的社会主義は、そのようなことをしません。
各領域のモデル的協同組合を政策的に支持し、あくまで人々の協同的精神の広がりと自発性にもとづいて、協同組合化を進めてゆきます。
もちろん今日のグローバル経済の下でも条件のあるところでは既存の協同組合の連携を強化するとともに協同組合をつくってゆきます。
したがってどのような経済社会をつくってゆくのかについても合意によって進めてゆく社会主義です。
従来のタイプの社会主義とまったく異なります。

私はこの進歩的活用理論(Progressive Utilization Theory)は、現状にかわる対案の一例としてみなさんに提起し、ともに創造的な未来を構想してゆくのに役立たせたいと思っています。
チョムスキーを市民社会フォーラムの参加者の方々が日本に呼ぶことが話題になっていましたが、チョムスキーは、「プラウトの協同組合モデルは、・・・すべての人の福利のために地球惑星の資産の共有にもとづいており、慎重な検討に値します」と「アフター・キャピタリズム」に文章を寄せています。
私もチョムスキーと同じく、これは「検討に値する思想だ」と思い、僣越ながら紹介させていただいています。
したがって、レオニードさんのようなコメント、たいへんうれしく思います。
その上で、レオニードさんのコメントに私の考えを述べさせていただきます。

2)近代の達成物を「含んで超えて」いるか
私たちは、思想を評価する場合、「近代の達成物」を「含んで超え」ようとしているかを重視します。
ですから、社会権、生存権といった近代の達成物を「含んで超えよう」としている考えなのかです。
(ケン・ウィルバーを勉強していて、それが大切と思うようになりました)
この進歩的社会主義の原理は、「時、人、場所に応じて適応しなさい」ですから、その時の周囲の状況と調整しながら実施に映されます。
しかし、「すべての人間が基本的な衣食住と医療、教育を受けなくてもよい」という考えとは調整の余地はないと考えます。
これは、社会権、生存権という近代的思想を「含んで」います。
さらに国民国家の枠を超えて全人類の社会を構想しますから、「超えて」います。

さらに構想にあたっては、個人も地域も基本的なレベルで「自立」することをめざします。
世界の各「地域」が衣食住、教育、医療を自給できるようにします。
そのためには、輸入関税が必要であり、今日のグローバル経済に対して、「世界社会フォーラム」に結集して闘わなくてはなりません。 その上にたつ自由貿易をめざします。
依存は従属です。
相手は自立させる援助とは、たとえば、インドネシアの田んぼをつぶしてエビを養殖させ、日本がそのエビを買ってあげることではありません。
それは相手を依存と従属の関係におきます。
そのためにインドネシアはそのために米の自給ができなくなりました。
援助は、世界の各地域が、衣食住、教育、医療を自給できるようにするものでなくてはなりません。

同じように社会保障にあたって、可能なかぎり、「自立」を促すものとなることが必要です。
「アフター・キャピタリズム」の引用の中で、雇用を保障し、それによって得る賃金による社会保障の考えは、「自立」を促す点で重要であると思います。
それは、20世紀が到達した「社会権」の思想を「含んで超え」ようとするものだと私は評価しています。
依存と従属の関係は、「利用exploit」の基盤となります。

雇用確保について、国家や行政による「弱者」のための雇用確保は、「弱者」を戦争などに「利用exploitする」かどうかは、そうなる場合もあるだろうし、そうならない場合もあるだろうと思います。
私たちは、「exploitative搾取的でない」社会のリーダーを生み出す必要があります。
そして進歩的社会主義は、国家・行政が経済を運営しません。
協同組合という民営です。
行政は、調整します。
したがって雇用は、その地域の最低賃金の上昇による経済効果を主たる手段によって生み出します。(と私は理解しています)

3)身近な例から
「働く意欲のない人を無理に働かせよう」というのは強制労働ですが、今日の大多数の失業者は働く意欲がないのかというと決してそうではないと思います。
さらにホームレスの人たちの調査でも多くの人が働きたいと思っています。(ネット資料)
大阪の釜ヶ崎のNPOがかかわりなりがら、ホームレスの人が大阪の公園などの掃除という仕事を提供している活動も、私は単なる給付よりもベターだと評価しています。
(「自立」というのは、他との「協力」の中でしかありません。)

進歩的社会主義の創始者のサルカール自身の雇用に関連する言葉を直接に紹介させていただきます。
たぶん、「After Capitalism」を書いたサルカールの弟子は、この文章からインスピレーションを得ていると思います。

安定の保障
Security

すべての個人が国家stateに安定の保障securityを求めます。
安定の保障に対する必要は常に増大します。
責任の増大は、権威authorityの増大を意味します。
古代の国家stateの唯一の任務は、内部と外部の混乱から人々を守ることにありました。
さて、必要性が絶えず増大するために国家の責任が大きくなり、国家の権威も増大しました。
古代には、誰も政府に食べ物や雇用を要求しませんでした。
ストライキも大衆の集会もありませんでした。
今日、人々は国家にその責任を実行することを求めます。
しかし、人々は、どんなことにでも国家が干渉することは望みません。

プラウトの見方からすると、私たちは大衆の基本的な利益、基本的な理論に背いて進んではいけません。
基本的な理論とは、責任の増大によって国家の権威も増大すべきではあるが、その権威の行使にあたっては国家は大衆の感情に背いて進んではならないということです大衆の基本的利益とは、最低限の生活に必要なものが保障されるべきであることです。

いかなる政府も、最低限、生活に必要なものを保障することが賢明なことかどうか問わねばなりません。
もし、国家が、穀物、豆、 塩、 グラムgram, ギー、バターなどをすべての人々に供給すべきだとしたら、当然、政府は、人々が好まないコントロールのプロセスを設けなくてはなりません。
それゆえ、プラウトの見解では、これらの必要性を満たすに十分な購買力の提供が保障されるべきであるということです。
そのようにするならば、国家は人々をコントロールする必要はありません。
最低限必要なものを提供することのもう一つの不都合な点は、もし、消費財がすべての人に提供されたら、人々が無気力になるということです。
それゆえ、人々の物的身体的能力、知的心理的能力、精神性の能力に応じた労働との引き換えに購買力が提供されるべきです

多様性は自然の法則です。
だから、保障される最低限の必要性について堅く固定したルールがあるべきではありません。
それは時、場所、人に応じて変化するでしょう。
並外れた身体的能力、形而上metaphysical的な能力、あるいは知的能力をもった少数の人々は、普通の人よりも多くのものを要求するかもしれません。
特別な快適性が彼らに提供されなくてはなりません。
食べ物、住居、教育、衣服、医療施設のような項目が、最低限の必要性です。

何も静止したものはありません。
あらゆるものが動きつつあります。
だから、最低限の必要性と特別の快適性は、時、場所、人物の変化によって変化を被ります。
プラウティストのアプローチはどうあるべきでしょうか。
最低限の必要性と特別の快適性の間のギャップを最小限にするための終わることのない努力がなされるべきです。
特別な快適性だったものが最低限の必要性となるでしょう。
そして並外れた人物は特別の快適性としてさらにそれ以上を得ることになるでしょう。
インドの計画委員会によって用意された第三次五カ年計画は有害な叙述をしています。
それは、非系統的で非計画的な政府の活動であり、既得権益によって計画された搾取を表しています。
異常に高い投資がなされてきましたが、労働者の購買力は最低限の必要性を満たすのに十分ではありませんでした。
それゆえ、一方で、労働者は、少ない購買力のために少ない消費財を受け取ります。
他方で企業家は、過剰な購買力と消費財を獲得しました。
そして富の不均衡のゆきすぎを生み出しました。
経済的均衡がくつがえされました。
資本投資の大部分は企業家の方にゆき、ごくわずかの部分が労働者にゆきました。
それゆえ、独立以前に存在したタイプのインドの中間階級の人々はいなくなりました。
現在では、身なりのいい労働者が「中間階級」となりました。


次にチョムスキーが推薦文を寄せているサルカールの弟子の「After Capitalism」より、徴税システムの箇所を紹介させてもらいます。

税制改革にむけたプラウティストの努力

原則として、消費税sale taxと所得税income taxは廃止されるべきです。
収入が人々の購買力の向上を保障することを前提としている時、収入に税をかけることは意味がありません。
しかし、収入と富に対する上限が、プラウトによってしっかり確立するまで、すべての人に対する所得税はすぐに廃止されるべきではありません。
それは政府の歳入を減らすだけです。
すでに十分な財産をせっている高所得税の階層の人々に恩恵をもたらすだけです。

最初のステップとして、新しく、適切な最低限の賃金を稼ぐ人々すべてが、所得税を免除されるべきです。
それからその無税の閾値が徐々に上げられるべきです。
(無税の範囲が徐々に拡大されるべきです)
そしてそのレベルよりすぐ上の所得層の人は減税されるべきです。
このようにして一歩一歩、所得税をなくしてゆき、賃金の最低限と賃金と給料の合理的な最大限を定めた賃金と給料の体系を導入することが可能となります。
そしてそれは、その最低限と最大限の適切な比率をもったものになります。

より高い所得税の階層には、合理的な財の上限が設定されなくてはなりません。
オーストラリアのプラウティストたちは、実質資産が最低賃金の年平均の1000倍以上に設定されるべきではないと提案しました。
この上限を超える実質資産をもっている人々は、この上限に従うように自分の実質資産を減らすことを強いられます。
こうして所得税は、次第に定められた上限に個々人の財を制限するメカニズムへと転化します。





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