1a: Technology, Evolution, and God (Kevin Kelly and Ken Wilber - Exploring the Technium) (video inspired by god of star)
人間の意識発達を資本主義は妨げている
capitalism prevent human consciousness development
This article is that capitalism prevent human consciousness development.
Capitalist economy is to strengthen selfishness and own group center consciousness and I consciousness of human being is prevented to return to god.
Socialist economy sharing means of production return I consciousness of human being to hod.
この論文は、人間の意識発達を資本主義は妨げている、です。
資本主義経済は利己主義と自分のグループ中心意識を強化し、人間の私意識が神のもとにもどることを妨げています。
生産手段共有の社会主義経済は人間の私意識を神のもとにもどします。
なぜ、社会矛盾の深化という
同じ状況を目の前にしているのに
に「在特会」のように
排外的な悪質な行動をする人びとも
いれば
この市民社会フォーラムの人びとの
ような心ある取り組みをする人びとがいるのでしょうか。
その違いはどこから生まれているのでしょうか。
(1)
私は、それはモラリティの意識発達レベルにあると思います。
①自己中心思考段階・・・・自分個人を中心に考える
②自グループ中心思考段階・・・自分の所属する社会を中心に考える
③合理的論理的思考段階・・・客観的真理は一つという科学的精神
④多元的思考段階・・・・・真理が複数ありうることに気づく
⑤統合的多元思考段階・・・複数ある真理を一つに統合する
これは、山に登るようなもので
人間は心に可能性としてどの段階ももっていて
どの段階が前面に出ているかの違いです。
しかし、表面にでる意識レベルには
発達の順番があります。
①の最初の段階の自己中心思考はすべての人間がもっており
それを土台として第二段階の自グループ中心段階に進みます。
第三段階の合理的論理的段階も第二段階を経ないと
達することができません。
山に登るようなもので
先行する段階をとばして高い段階に進むことはできません。
山の低いレベルにいる人が高いレベルの視界をもてないように
低い意識段階の人は高い意識段階を理解できません。
電車の中でマナーの悪い①の自己中心思考の高校生を注意すると
怒ってくると思います。
より高次の②の段階以後が理解できないからです。
②の自グループ中心思考段階が社会で多数を占めますが
その人たちの所属意識が国家中心であった場合
③④⑤段階の人びとが
「国旗」「国家」の国家主義教育反対の活動すると
彼らは、
③より上の高次のモラリティの意識から国家主義教育に
反対していることが理解できません。
したがってより低次の①の自己中心段階の意識レベルから
反対しているとしか理解できません。
(2)
「在特会」やヒトラーのナチスのような意識は
①の自己中心段階に
人種・民族に自分の意識を帰属させた
②の自グループ中心思考で
味付けしたものだと思われます。
低次の意識レベルに社会のリーダーシップが握られた時
その社会は破局に導かれます。
何千万人の死を目の前にしてきた戦後すぐの
知識人の意識が作った日本の教育基本法は
「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」をめざしていて
③④⑤の高い意識レベルの質をもっていました。
それが②の段階の自グループ中心思考段階の安倍元首相などのリーダーシップで
より低次のものに変えられました。
マルクスやレーニンは③の合理的論理的思考段階の
頭のよい人でしたが
スターリンは、明らかに
①の病的自己中心段階が
②の自グループ中心思考に達したものでした。
すなわち①+②でした。
グルジア人でしたが、
ロシア人以上にロシア中心主義でした。
つまりスターリンの意識発達レベルは
「在特会」やヒトラーと同質だったわけです。
歴史を振りかえると
より高次の意識レベルがリーダーシップを握る時
事態の打開に進み
より低次の意識レベルがリーダーシップを握る時
社会が崩壊して、無数の人びとの悲劇が生まれているのを
見いだします。
(3)
今日の資本主義である新自由主義経済は
自由に企業間競争をやり、勝ち組みが残りなさいという思考です。
企業内部では成績評価によって個人間の競争をあおります。
このシステムは、人間の意識の中の低次の思考を助長します。
すなわち①の自己中心思考と②の自グループ中心主義です。
自分の利益+自分の所属する会社の利益が
人生目標の最高のものとなってしまいます。
つまり企業人間のリーダーが政治にかかわると
①の自己中心思考(自助努力)+
②の自グループが自分の会社から
国家におきかわります。
したがって今日の政治指導者がテレビで
いつも国益を語ります。
彼らのバックにあり、
彼らが奉仕している企業人の意識が反映しています。
資本主義のシステムは
①の自己中心思考と
②の自グループ中心思考の質に
支えられており
資本主義企業人のマインドが
リーダーシップを握っている
社会であるかぎり
私たちの社会の数多くの問題は
解決できないと考えています。
(3)
したがって
①の自己中心思考と②の自社中心思考を肥大化させる
資本主義の上位下達型労働システムを
③、④の意識レベルに導かれた民主主義的な協同労働のシステムに
生産様式を置き換えてゆく必要があります。
カール・マルクスは
「国際労働者協会創立宣言」(1864年9月28日)の中で
資本主義のもとでも
労働時間の短縮を法的に勝ち取り、労働者の地位を向上させることに
加えて、労働者による協同労働の発展を大きく評価しています。
「われわれが言うのは、協同組合運動のこと、
とくに少数の大胆な「働き手」が外部の援助を受けずに
自力で創立した協同組合工場のことである。
これらの偉大な社会的実験の価値は
いくら大きく評価しても
評価しすぎることはない」
①の自己中心思考と
②の自グループ中心思考が主流の経済システムのもとでは
もちろん協同組合運動も
それに飲み込まれて
①と②の資本主義企業と同じ意識レベルに
堕してしまう状況の中にあります。
しかし、
③④⑤の人びとが
安定的に社会でリーダーシップを握るためには
オルタナティブ探求の「偉大な社会的実験」が
その経済基盤確保のためにも
必要だと思います。
そして資本主義を超えて
民主主義的な企業形態になり
協同組合(民主主義的企業)の
ネットワーク社会が経済の基礎として
安定した時
社会を悲惨に導く
①の自己中心思考のマインドと
②の自グループ中心主義のマインドは
後景に退くと思うのです。
(ちなみに
非民主的資本主義経済を克服し
公的経営、個人経営、協同組合経営の三形態の
経営形態にして
資本主義企業にかわる協同組合経営のネットワークを
提案しているサーカーは
資本主義の体制のもとでも
マスター・ユニットとして
新しい経営形態の模範的ネットワークを
地域でつくってゆきなさいと
言います。
彼の弟子か書いた『資本主義を超えて』世界文化社
の第五章108ページにはオーストラリアのマレニーの
協同組合地域ネットワーク例が書かれています。
(次のアドレスのページの後半分に紹介してあります)
http://universal.raaq.jp/theory/prout/5shouaftercapitalism.html
「協同組合企業は、将来の社会・経済socio-economiシステムです。
グローバル資本主義システムへの自主的な対案としての
協同組合を発達させることは、大きな意味があります。
モンドラゴンにおいて、マレニーにおいて、未来は、今、展開しています。」
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)Capitalist economy is to strengthen selfishness and own group center consciousness and I consciousness of human being is prevented to return to god.
Socialist economy sharing means of production return I consciousness of human being to hod.
この論文は、人間の意識発達を資本主義は妨げている、です。
資本主義経済は利己主義と自分のグループ中心意識を強化し、人間の私意識が神のもとにもどることを妨げています。
生産手段共有の社会主義経済は人間の私意識を神のもとにもどします。
なぜ、社会矛盾の深化という
同じ状況を目の前にしているのに
に「在特会」のように
排外的な悪質な行動をする人びとも
いれば
この市民社会フォーラムの人びとの
ような心ある取り組みをする人びとがいるのでしょうか。
その違いはどこから生まれているのでしょうか。
(1)
私は、それはモラリティの意識発達レベルにあると思います。
①自己中心思考段階・・・・自分個人を中心に考える
②自グループ中心思考段階・・・自分の所属する社会を中心に考える
③合理的論理的思考段階・・・客観的真理は一つという科学的精神
④多元的思考段階・・・・・真理が複数ありうることに気づく
⑤統合的多元思考段階・・・複数ある真理を一つに統合する
これは、山に登るようなもので
人間は心に可能性としてどの段階ももっていて
どの段階が前面に出ているかの違いです。
しかし、表面にでる意識レベルには
発達の順番があります。
①の最初の段階の自己中心思考はすべての人間がもっており
それを土台として第二段階の自グループ中心段階に進みます。
第三段階の合理的論理的段階も第二段階を経ないと
達することができません。
山に登るようなもので
先行する段階をとばして高い段階に進むことはできません。
山の低いレベルにいる人が高いレベルの視界をもてないように
低い意識段階の人は高い意識段階を理解できません。
電車の中でマナーの悪い①の自己中心思考の高校生を注意すると
怒ってくると思います。
より高次の②の段階以後が理解できないからです。
②の自グループ中心思考段階が社会で多数を占めますが
その人たちの所属意識が国家中心であった場合
③④⑤段階の人びとが
「国旗」「国家」の国家主義教育反対の活動すると
彼らは、
③より上の高次のモラリティの意識から国家主義教育に
反対していることが理解できません。
したがってより低次の①の自己中心段階の意識レベルから
反対しているとしか理解できません。
(2)
「在特会」やヒトラーのナチスのような意識は
①の自己中心段階に
人種・民族に自分の意識を帰属させた
②の自グループ中心思考で
味付けしたものだと思われます。
低次の意識レベルに社会のリーダーシップが握られた時
その社会は破局に導かれます。
何千万人の死を目の前にしてきた戦後すぐの
知識人の意識が作った日本の教育基本法は
「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」をめざしていて
③④⑤の高い意識レベルの質をもっていました。
それが②の段階の自グループ中心思考段階の安倍元首相などのリーダーシップで
より低次のものに変えられました。
マルクスやレーニンは③の合理的論理的思考段階の
頭のよい人でしたが
スターリンは、明らかに
①の病的自己中心段階が
②の自グループ中心思考に達したものでした。
すなわち①+②でした。
グルジア人でしたが、
ロシア人以上にロシア中心主義でした。
つまりスターリンの意識発達レベルは
「在特会」やヒトラーと同質だったわけです。
歴史を振りかえると
より高次の意識レベルがリーダーシップを握る時
事態の打開に進み
より低次の意識レベルがリーダーシップを握る時
社会が崩壊して、無数の人びとの悲劇が生まれているのを
見いだします。
(3)
今日の資本主義である新自由主義経済は
自由に企業間競争をやり、勝ち組みが残りなさいという思考です。
企業内部では成績評価によって個人間の競争をあおります。
このシステムは、人間の意識の中の低次の思考を助長します。
すなわち①の自己中心思考と②の自グループ中心主義です。
自分の利益+自分の所属する会社の利益が
人生目標の最高のものとなってしまいます。
つまり企業人間のリーダーが政治にかかわると
①の自己中心思考(自助努力)+
②の自グループが自分の会社から
国家におきかわります。
したがって今日の政治指導者がテレビで
いつも国益を語ります。
彼らのバックにあり、
彼らが奉仕している企業人の意識が反映しています。
資本主義のシステムは
①の自己中心思考と
②の自グループ中心思考の質に
支えられており
資本主義企業人のマインドが
リーダーシップを握っている
社会であるかぎり
私たちの社会の数多くの問題は
解決できないと考えています。
(3)
したがって
①の自己中心思考と②の自社中心思考を肥大化させる
資本主義の上位下達型労働システムを
③、④の意識レベルに導かれた民主主義的な協同労働のシステムに
生産様式を置き換えてゆく必要があります。
カール・マルクスは
「国際労働者協会創立宣言」(1864年9月28日)の中で
資本主義のもとでも
労働時間の短縮を法的に勝ち取り、労働者の地位を向上させることに
加えて、労働者による協同労働の発展を大きく評価しています。
「われわれが言うのは、協同組合運動のこと、
とくに少数の大胆な「働き手」が外部の援助を受けずに
自力で創立した協同組合工場のことである。
これらの偉大な社会的実験の価値は
いくら大きく評価しても
評価しすぎることはない」
①の自己中心思考と
②の自グループ中心思考が主流の経済システムのもとでは
もちろん協同組合運動も
それに飲み込まれて
①と②の資本主義企業と同じ意識レベルに
堕してしまう状況の中にあります。
しかし、
③④⑤の人びとが
安定的に社会でリーダーシップを握るためには
オルタナティブ探求の「偉大な社会的実験」が
その経済基盤確保のためにも
必要だと思います。
そして資本主義を超えて
民主主義的な企業形態になり
協同組合(民主主義的企業)の
ネットワーク社会が経済の基礎として
安定した時
社会を悲惨に導く
①の自己中心思考のマインドと
②の自グループ中心主義のマインドは
後景に退くと思うのです。
(ちなみに
非民主的資本主義経済を克服し
公的経営、個人経営、協同組合経営の三形態の
経営形態にして
資本主義企業にかわる協同組合経営のネットワークを
提案しているサーカーは
資本主義の体制のもとでも
マスター・ユニットとして
新しい経営形態の模範的ネットワークを
地域でつくってゆきなさいと
言います。
彼の弟子か書いた『資本主義を超えて』世界文化社
の第五章108ページにはオーストラリアのマレニーの
協同組合地域ネットワーク例が書かれています。
(次のアドレスのページの後半分に紹介してあります)
http://universal.raaq.jp/theory/prout/5shouaftercapitalism.html
「協同組合企業は、将来の社会・経済socio-economiシステムです。
グローバル資本主義システムへの自主的な対案としての
協同組合を発達させることは、大きな意味があります。
モンドラゴンにおいて、マレニーにおいて、未来は、今、展開しています。」
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods