Slavoj ?i?ek: Democracy and Capitalism Are Destined to Split Up (video inspired by god of star)
市民社会の合意が政治を動かすようになるべきだ
agreement of civil society should move politics
This article is that agreement of civil society should move politics.
This is politics of true democracy.
この論文は、市民社会の合意が政治を動かすようになるべきだ、です。
これが真の民主主義の政治です。
(Sさん)
「何か民主党の現状や、自民党の支持率を見ていると
新たな政党の出現が望まれているのかと思わせる
ような事態になってきています。」
「そのためには新しい政党がそろそろ生まれてくる
時代に入ったと思いますが、今ある政党では
どこが一番近いのですか?」
(私)
今の日本の現状の打開の方向ですが
政党がとりくむ政治の領域だけでなく
〇〇さんのやっておられる文化領域も含む
多様な領域の心ある活動が、政治に劣らず
それぞれ貴重なのだと思います。
多様な領域のネットワークと連帯づくりが
つまり市民社会の「多様性における統一」が
重要だと考えています。
私の考えでは、このメールのフォーラムにも
多様な党派支持の方がおられると思います。
そしてそれぞれの党派の人の認識が
より高次に発展する思考の場として
役立てばいいと考えています。
なぜ、恒常的に人々の意識覚醒する交流ネットワークが
必要だとそう考えているかですが
ディッド・コーテンDavid C. Korten (U.S.A.),
ニカノル・ペルラス Nicanor Perlas (Philippines),
ヴァンダナ・シヴァVandana Shiva (India)の共同起草の
「グローバル市民社会宣言」にきわめて重要なことを
述べています。
http://universal.raaq.jp/devidkorten/globalcivilsicietysengen.htm
の最後の方です。重要なところなので長い引用となりますのをご容赦下さい。
「市民社会の内部でさえ、生活の積極的なありかたとしての
民主主義の本質についての認識はほとんどありません。
私たちはすでにインド、フィリピン、東欧、南アフリカでの
ピープルズ・パワー(人民の力)の勝利の不運な経験にすでに言及しました。
そこでは市民社会とコミュニティの力が民主主義に向けた
見事な政治的勝利を勝ち取りました。
そして立派な市民社会の指導者たちを重要な政治的役職に就かせました。
いずれの場合にも、市民社会形成の勝利を宣言しました。
しかし、そのエネルギーは解体し、昔ながらのコミュニティ開発と サービス分配機能の方向に向かいました。
人民の意志に責任をもつ政治システムを保持するために
市民の関与を動員する仕事を放棄したのです。
政治参加は死に、民主主義はそれとともに死にました。
そのシステムに不可避的にともなう力にとらえられ、
彼らが置き換えたそれまでの指導者のように活動を始めました」
ここまでの文章は、この前の民主党の
自民党・公明党に勝利した時の期待と
その後の腰砕けへの人々の失望を見ると、
いわんとすることが理解できると思います。
人々の中に
「生活の積極的なありかたとしての民主主義の本質についての認識」
がここで述べられているように
欠けているのだと思います。
「ドイツの緑の(運動)の経験も教訓を提供しています。
環境運動としてドイツの緑(運動)は、
新しい世界観、新しいライフスタイル、
環境とのバランスのとれた関係を表現する
強力な勢力になりました。
それから彼らは、自分たちを緑の党として再編成しました。
そして文化的コンセンサス確立の市民的領域から
公的な交渉に活動舞台を移しました。
そして政治的部署をめぐって闘う政治領域を包含しました。
不可避的に権力めぐる思惑が
自分たちの政治的立場の決定プロセスと選択に影響するようになりました。
緑(の運動)の政策に公的な政治過程を合わせるより、
むしろ、緑(の運動)はシステムの伝統的な要請にとらえられるようになり、
その活力と草の根の支持者を失いました」
「緑」の環境運動が政党をつくって
政党となって政治的地位をかちとった時、
運動が草の根の活力を失ったという教訓から
私たちは学ぶべきものがあると思うのです。
「ここには、政治的、経済的、市民的領域の間の
役割の分担に関して重要でほとんど理解されていない教訓があります。
政治参加とはもっぱら政治領域の制度に属することだという、
広範に広がっている間違った想定があります。
実際は、政治的領域と市民的領域の間には、
政治的役割の本質的区別があります。
政治領域の民主主義的作用は、普及している
文化的コンセンサスにもとづいた価値や基準を
交渉と譲歩を通じて法律に定めることです。・・・
だから、民主主義においては、政治システムの適切な役割は、
政治文脈を定義する文化的コンセンサスを導いたり、
作り出したりすることではなく、
その状況の限界内で可能性を追求することです。
対話のプロセスとコンセンサスの形成における大衆参加は、
生命ある民主主義の中心であり、魂です。
新しい可能性を生み出すための政治状況を再定義する
新しい文化的コンセンサスを創造することは、
市民社会の働きです。
市民社会が、政治的領域、経済的領域に対する
この役割を放棄する時、民主主義は死にます。」
サーカーが歴史貫通的に民衆の意識を覚醒しつづける
サドヴィプラ社会集団をつくることが
急務だと述べているのと同じ考え方があります。
ブラジルの連帯経済運動も非政治組織でありつつ
恒常的な民衆覚醒の役割を果たす運動として
役割を果しているだろうと思います。
私たちが何をなすべきなのか、
最後の方で教えてくれています。
「私たちはエンパイアのためのリーダーシップと
コミュニティのためのリーダーシップの間の
明確なコントラストに気付かねばなりません。・・・
コミュニティに対するリーダーシップは、・・
あらゆる人を激励し、互いに力をつけあうプロセスです。
誰がグローバル市民社会のリーダーかという質問への
もっとも正確な答えは、「すべての参加者」です。
グローバル市民社会の底深い強さは、
数百万のリーダーたちがお互いに強めあい、
自己組織化する運動であるという事実に由来します。・・・
それは個人のリーダーやイデオロギーの産物ではありません。・・
「グローバル市民社会」は、前代未聞の包括性、多様性の尊重、
リーダーシップの共有、個々人のイニシアチブ、
全体に対する深い責任感をもった惑星規模の自己組織化をする
これまでには未知の人間の能力を宣言します。
それは、これまでの人類の経験を超える
民主的自己統治能力に対する人間の可能性を立証します。
相互に学びあい、コンセンサスを形成し、
グローバルな結合をつくるための能力の急速な拡張は、
登場してきた惑星意識の特性を意味しています。
それは人類の経験にないまったく新しい社会組織です。
私たちは、その完全な意味とその潜在的可能性はまだ理解できていません。
今、その性質を理解し始めたばかりです。」
②
これと同じ趣旨の考えについて詳しく次の中に書いています。
「社会サイクルの回転促進の中心軸としての市民社会フォーラム運動」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/altenative/5foramundouigi.html
「私は、この運動は、小さいものであっても
21世紀に生じた民衆の運動の永続的統合の役割を
果たす、日本の歴史上、画期的意義をもつものだと思います」
その中で「世界社会フォーラム運動の原理憲章」を評価してふれています。
「(ア)対立や立場、意見の違いはそのままにする。
多様性を前提とした交流の場を設定するのが目的である。
(イ)一致点の拡大はめざすが決議はとらない。
すなわち多数決はとらない。
(ウ)何人もフォーラムを代表する見解を述べる権限はない。
(フォーラム実行委員会が、会議の開催の日程や場やプログラムは作るけれども
フォーラムの名で統一見解は一切ださないということだと思います)
(エ)非暴力と他人の意見を尊重する姿勢をもつすべての人に開かれている」
「わたしたちは、政党を変えるのではなく、
「含んで超える」新しい「市民社会」をつくってゆくべきだとおもうのです。
その新しい「多様性を認め合った」市民社会が、
政治に影響するようになるときが本当の民主政治だと思います。
政治が市民社会に号令するのではなく、
市民社会の合意が政治に反映するようになるのをめざすのです。
そうなると「市民社会フォーラム」が
多様な立場の人々をのみこんで発展する必要があります。」
③
このように
私はその役割を「市民社会フォーラム」に期待したのですが
ヒーリングなどのスピリチュアリティにかかわる
議論は排除され「多様性における統一」の場としては
成立しなくなりました。
「対立や立場、意見の違いはそのままにする」という原則が
実施されなくなりました。
したがって私は、このユニバーサル・フォーラムの
メールグループに期待するようになりました。
ユニバーサル・フォーラムのメールグループも
「誰がこの会のリーダーかという質問への
もっとも正確な答えは、『すべての参加者』です」
というグローバル市民社会宣言のスピリットに
学んで前進してゆきましょう。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)This is politics of true democracy.
この論文は、市民社会の合意が政治を動かすようになるべきだ、です。
これが真の民主主義の政治です。
(Sさん)
「何か民主党の現状や、自民党の支持率を見ていると
新たな政党の出現が望まれているのかと思わせる
ような事態になってきています。」
「そのためには新しい政党がそろそろ生まれてくる
時代に入ったと思いますが、今ある政党では
どこが一番近いのですか?」
(私)
今の日本の現状の打開の方向ですが
政党がとりくむ政治の領域だけでなく
〇〇さんのやっておられる文化領域も含む
多様な領域の心ある活動が、政治に劣らず
それぞれ貴重なのだと思います。
多様な領域のネットワークと連帯づくりが
つまり市民社会の「多様性における統一」が
重要だと考えています。
私の考えでは、このメールのフォーラムにも
多様な党派支持の方がおられると思います。
そしてそれぞれの党派の人の認識が
より高次に発展する思考の場として
役立てばいいと考えています。
なぜ、恒常的に人々の意識覚醒する交流ネットワークが
必要だとそう考えているかですが
ディッド・コーテンDavid C. Korten (U.S.A.),
ニカノル・ペルラス Nicanor Perlas (Philippines),
ヴァンダナ・シヴァVandana Shiva (India)の共同起草の
「グローバル市民社会宣言」にきわめて重要なことを
述べています。
http://universal.raaq.jp/devidkorten/globalcivilsicietysengen.htm
の最後の方です。重要なところなので長い引用となりますのをご容赦下さい。
「市民社会の内部でさえ、生活の積極的なありかたとしての
民主主義の本質についての認識はほとんどありません。
私たちはすでにインド、フィリピン、東欧、南アフリカでの
ピープルズ・パワー(人民の力)の勝利の不運な経験にすでに言及しました。
そこでは市民社会とコミュニティの力が民主主義に向けた
見事な政治的勝利を勝ち取りました。
そして立派な市民社会の指導者たちを重要な政治的役職に就かせました。
いずれの場合にも、市民社会形成の勝利を宣言しました。
しかし、そのエネルギーは解体し、昔ながらのコミュニティ開発と サービス分配機能の方向に向かいました。
人民の意志に責任をもつ政治システムを保持するために
市民の関与を動員する仕事を放棄したのです。
政治参加は死に、民主主義はそれとともに死にました。
そのシステムに不可避的にともなう力にとらえられ、
彼らが置き換えたそれまでの指導者のように活動を始めました」
ここまでの文章は、この前の民主党の
自民党・公明党に勝利した時の期待と
その後の腰砕けへの人々の失望を見ると、
いわんとすることが理解できると思います。
人々の中に
「生活の積極的なありかたとしての民主主義の本質についての認識」
がここで述べられているように
欠けているのだと思います。
「ドイツの緑の(運動)の経験も教訓を提供しています。
環境運動としてドイツの緑(運動)は、
新しい世界観、新しいライフスタイル、
環境とのバランスのとれた関係を表現する
強力な勢力になりました。
それから彼らは、自分たちを緑の党として再編成しました。
そして文化的コンセンサス確立の市民的領域から
公的な交渉に活動舞台を移しました。
そして政治的部署をめぐって闘う政治領域を包含しました。
不可避的に権力めぐる思惑が
自分たちの政治的立場の決定プロセスと選択に影響するようになりました。
緑(の運動)の政策に公的な政治過程を合わせるより、
むしろ、緑(の運動)はシステムの伝統的な要請にとらえられるようになり、
その活力と草の根の支持者を失いました」
「緑」の環境運動が政党をつくって
政党となって政治的地位をかちとった時、
運動が草の根の活力を失ったという教訓から
私たちは学ぶべきものがあると思うのです。
「ここには、政治的、経済的、市民的領域の間の
役割の分担に関して重要でほとんど理解されていない教訓があります。
政治参加とはもっぱら政治領域の制度に属することだという、
広範に広がっている間違った想定があります。
実際は、政治的領域と市民的領域の間には、
政治的役割の本質的区別があります。
政治領域の民主主義的作用は、普及している
文化的コンセンサスにもとづいた価値や基準を
交渉と譲歩を通じて法律に定めることです。・・・
だから、民主主義においては、政治システムの適切な役割は、
政治文脈を定義する文化的コンセンサスを導いたり、
作り出したりすることではなく、
その状況の限界内で可能性を追求することです。
対話のプロセスとコンセンサスの形成における大衆参加は、
生命ある民主主義の中心であり、魂です。
新しい可能性を生み出すための政治状況を再定義する
新しい文化的コンセンサスを創造することは、
市民社会の働きです。
市民社会が、政治的領域、経済的領域に対する
この役割を放棄する時、民主主義は死にます。」
サーカーが歴史貫通的に民衆の意識を覚醒しつづける
サドヴィプラ社会集団をつくることが
急務だと述べているのと同じ考え方があります。
ブラジルの連帯経済運動も非政治組織でありつつ
恒常的な民衆覚醒の役割を果たす運動として
役割を果しているだろうと思います。
私たちが何をなすべきなのか、
最後の方で教えてくれています。
「私たちはエンパイアのためのリーダーシップと
コミュニティのためのリーダーシップの間の
明確なコントラストに気付かねばなりません。・・・
コミュニティに対するリーダーシップは、・・
あらゆる人を激励し、互いに力をつけあうプロセスです。
誰がグローバル市民社会のリーダーかという質問への
もっとも正確な答えは、「すべての参加者」です。
グローバル市民社会の底深い強さは、
数百万のリーダーたちがお互いに強めあい、
自己組織化する運動であるという事実に由来します。・・・
それは個人のリーダーやイデオロギーの産物ではありません。・・
「グローバル市民社会」は、前代未聞の包括性、多様性の尊重、
リーダーシップの共有、個々人のイニシアチブ、
全体に対する深い責任感をもった惑星規模の自己組織化をする
これまでには未知の人間の能力を宣言します。
それは、これまでの人類の経験を超える
民主的自己統治能力に対する人間の可能性を立証します。
相互に学びあい、コンセンサスを形成し、
グローバルな結合をつくるための能力の急速な拡張は、
登場してきた惑星意識の特性を意味しています。
それは人類の経験にないまったく新しい社会組織です。
私たちは、その完全な意味とその潜在的可能性はまだ理解できていません。
今、その性質を理解し始めたばかりです。」
②
これと同じ趣旨の考えについて詳しく次の中に書いています。
「社会サイクルの回転促進の中心軸としての市民社会フォーラム運動」
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/altenative/5foramundouigi.html
「私は、この運動は、小さいものであっても
21世紀に生じた民衆の運動の永続的統合の役割を
果たす、日本の歴史上、画期的意義をもつものだと思います」
その中で「世界社会フォーラム運動の原理憲章」を評価してふれています。
「(ア)対立や立場、意見の違いはそのままにする。
多様性を前提とした交流の場を設定するのが目的である。
(イ)一致点の拡大はめざすが決議はとらない。
すなわち多数決はとらない。
(ウ)何人もフォーラムを代表する見解を述べる権限はない。
(フォーラム実行委員会が、会議の開催の日程や場やプログラムは作るけれども
フォーラムの名で統一見解は一切ださないということだと思います)
(エ)非暴力と他人の意見を尊重する姿勢をもつすべての人に開かれている」
「わたしたちは、政党を変えるのではなく、
「含んで超える」新しい「市民社会」をつくってゆくべきだとおもうのです。
その新しい「多様性を認め合った」市民社会が、
政治に影響するようになるときが本当の民主政治だと思います。
政治が市民社会に号令するのではなく、
市民社会の合意が政治に反映するようになるのをめざすのです。
そうなると「市民社会フォーラム」が
多様な立場の人々をのみこんで発展する必要があります。」
③
このように
私はその役割を「市民社会フォーラム」に期待したのですが
ヒーリングなどのスピリチュアリティにかかわる
議論は排除され「多様性における統一」の場としては
成立しなくなりました。
「対立や立場、意見の違いはそのままにする」という原則が
実施されなくなりました。
したがって私は、このユニバーサル・フォーラムの
メールグループに期待するようになりました。
ユニバーサル・フォーラムのメールグループも
「誰がこの会のリーダーかという質問への
もっとも正確な答えは、『すべての参加者』です」
というグローバル市民社会宣言のスピリットに
学んで前進してゆきましょう。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods