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三者に共通するのは生産手段共有の社会主義を目指していることです。
Common to three is aiming for socialism sharing means of production

This article is that theory of Marx, Lenin, Sarkar reflects challenges of era.
Common to three is aiming for socialism sharing means of production.
It is socialist thought downed by true god to make democratic economic society base on sharing means of production.

この論文は、マルクス、レーニン、サーカーの理論は時代の課題を反映している、です。
三者に共通するのは生産手段を共有の社会主義を目指していることです。
生産手段を共有することをベースとして民主主義の経済社会をつくることが真の神がおろした社会主義思想です。


「資本主義によって世界が統合され、世界において労働階級が普遍化したときに、ようやく世界は資本主義から脱却する道を選ぶことができるようになります。」
「弁証法を基礎としているため、マルクスは事物クラスの設計と事物インスタンスの生成という方法論を取らない。マルクスの思想を社会主義の設計図と考えるのは誤りで、人類が封建的抑圧、資本主義の近代、修正、世界統合を経て、到達する社会こそ社会主義の社会です。」(レオニードさん)

大枠の理解は一致していますが、私の問題意識をのべさせてもらいます。

(1)
マルクスは、レオニードさんがおっしゃるように
インド植民地化に前近代的抑圧構造の破壊になる点をみて
資本主義の前近代的抑圧に対する進歩的側面をみていたと思います。

(当時イギリスのとなりのアイルランドは、かつての日本と朝鮮のようなもので
イギリスがアイルランドを植民地にしアイルランドの民族解放闘争が発展していました。
エンゲルスは「他民族を抑圧するかぎり、イギリスの労働者の解放はない」というようなことを述べていたと思います。しかし、彼らは、アジア・アフリカの植民地化の進展についてそれは前近代的抑圧構造の破壊の側面をもっていましたから、社会進歩の立場から肯定的にみていたと思います。

(マルクス『経済学哲学草稿』をみても、資本主義の発展の延長上に資本主義を超える社会を展望しているというのがわかります)

(2)
つまり、私はマルクスの弱点として、地域間搾取について認識はしていたとしても、
それを社会変革の重要な論点する位置づけがなかったと考えるのです。

つまり、労働者による民主的共同経営のビジョンはマルクスからでてくるけれども
「地域住民の住民に住民のための民主主義経済」という地域経済のビジョンは
マルクスをインスピレーションの源泉とした時にドロップしがちだと思います。。

資本主義を超える立場に立って、明確に小地域経済の重要性
すなわち小三角復活のビジョンを提出したのは
アメリカのデビッド・コーテン、インドのベンガルP.R.サーカーであり、
彼らの出現をまたねばならなかったと私は見ています。
(他にもいるんでしょうが、私の知る範囲でのことです)

(3)
すべての思想家が「時代」の制約を免れないと思います。
マルクスの普遍主義では、「民族」問題の把握が後景にしりぞきます。
大民族が弱小民族を支配すること対してマルクスたち西洋社会主義者たちは
「普遍主義」の立場から鈍感であった。
第二インターナショナルの中心のドイツ社会民主党が、
第一次大戦を祖国防衛戦争として戦争に賛成してしまったのも
その側面もあっただろうとと思います。

それに対峙したのが、ロシアのマルクス主義者たちであり、
被抑圧民族の「民族」解放闘争を視界にいれた闘争を組みます。
レーニンは、第一次大戦は祖国防衛戦争なんかではなく
どちらからみても不正義の植民地再分割戦争であることを
『帝国主義論』で解明します。
帝国主義によって地球全体の植民地が完了し
植民地再分割戦争として第一次大戦が、はじまったと見破るわけです。
進んだ先進資本主義諸国が、植民地にした
アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々を搾取していることを
明確に見抜いていました。

これは、地域間搾取を視界に入れているので、その点では
レーニンは、マルクスの植民地肯定の立場を超えた思想家だったと見ています。
彼は、戦争をやめさせるロシア革命をおこし、
植民地の人びとに民族解放を訴えました。

それに対して、
マルクスは『資本論』で資本主義という経済システムを解明したわけですが
民族が他民族を抑圧し、中心の資本主義が周辺の地域を搾取するという
テーマについては、実践的研究の対象にしませんでした。
つまり、それが実践的課題となる時代ではなかったのだと思います。

(4)
サーカーは、全地球規模で、それぞれの地域で生活必需品については
自給的生産圏として組織せよとよびかけ、そういう運動をつくりなさいといいます。
日本では地産地消の流れなどがそれ含まれると思います。
そうしたことが、資本主義の中央集中経済に対して脱集中として
資本主義を克服する戦略的に位置づけになります。

他地域を中央地域が搾取するというテーマが
後景に下がっていたマルクスに対して
レーニンたちロシア革命を用意した思想家たちはそれが明確に見えていた。
しかし、レーニンたちの時代は、その地域間搾取からの解放は
「民族nation」解放として位置づけるしかなかった。
それも時代の限界だったと思います。

(5)
マルクスは資本主義的生産様式を克服して共同的所有による生産様式にすることで
一部の人に富が集中しすぎて、労働者の劣悪な状況になることを防ごうとする
問題意識だったと思います。

しかし、今日、私たちが資本主義的中央集中経済の主な問題点として
地方がさびれ、山河がさびれ、という経済をいかに克服するかを
見つめた資本主義の克服論が必要だと思うのです。
それは、中央地域の人に富が集中することを示し
貨幣が末端の毛細血管を循環していないことを意味していると思います。

地方の農林業の地域に、そこからとれる産物を原材料として
その地域で加工し、その地域に雇用をつくり、
再生産構造を形成してゆくという政策が必要だと私は思うのです。

これは中央集中経済を非集中することです。

経済などの物的レベルで、ここまで生産力が発達しているのに
人類社会は、地球規模でみると、いずれの時期におとらず
問題を多々、抱えています。
だから、資本主義という「定立」に「反定立」のビジョンを
提出つづけることに意義があると考えているわけです。




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