Word Of God Speak - MercyMe  (video inspired by god of star)



天と神々のプロジェクトは再び神の言葉を受け取る能力をもった新しい人類へと進化させつつあります
Project of Heaven and gods make humankind to evolve into new human being with ability to receive words of god again

This article is argument of Mitsuki that ancient era which human beings received word from god was denied as "first negation" and became to be not able to receive words from god but now human beings begin to receive words from god again as second negation.
Intuition of this Mitsuki is truth.
Project of Heaven and gods make humankind to evolve into new human being with ability to receive words of god again.

この論文は、神から人間が言葉を受け取って生きた時代が「第一の否定」で否定され神から言葉を受け取ることができなくなるが、人類が再び神から言葉を受け取りながら生きる「第二の否定」がはじまりつつあるとミツキが運命プログラムに導かれて論じています。
このミツキの直感は真実です。
天と神々のプロジェクトは再び神の言葉を受け取る能力をもった新しい人類へと進化させつつあります。



(1)
社会に存在する人間は多様であり、医師になるための勉強を、
医師になって生命を救う患者に奉仕する自分の医療労働を
報酬アップのための「競争」だと認識する医者もいるとは思います。
近代資本主義社会は、G-G'(利益を増やす)ヴァイシャ的思考が社会で優勢であるために
そういう意識が社会で支配的になるのだと思います。
マルクスも、サーカーも
「その時代の支配的階級の思想が、その時代の支配的思想となる」
という趣旨のことをいっています。
私はこの点は、あたっていると思うのです。

今の社会ではヴァイシャが社会のリーダーシップを握っているため 人間は誰もが、G-G'(利益を増やす)ヴァイシャ的思考で人生を生きていると
多くの人が誤解して、G-G'(利益を増やす)資本の運動に奉仕する人生に
一生を費やすのだと思います。

実際は、医大への進学は、「医師になって人の生命を救うことに貢献したい」
あるいは、医療現場では「生命を救いたい」という懸命な活動がそこにはあるのだと思います。
(社会的貢献度が大きいそうした医療活動により大きな報酬が与えられるのは
当然だという社会的合意があるとしても、それは競争原理の社会でなく
医療活動の普遍的愛のスピリットで結ばれた世界がそこにはあります。
つまり、私の考えでは、「競争原理」、「競争的な思考パターン」は、
スポーツやゲームの楽しみの世界に縮小される世界が次にくると観るわけです。

(2)
生命進化のプロセスにおいて、
生存競争の中を進化してきた動物と
人類の間には決定的な違いがあります。

人間は、動物性と神性の両面を持ち合わせた存在だと考えています。
つまり、動物性と神性の「対立物の統一」としての存在が人間です。

太古の用語によれば、タマ+シヰがタマシイです。

シヰは、
モノ(物的肉体)の表現をとりながら
動物として進化の道をたどります。
そしてシヰが人間構造を獲得した時
シヰはタマと結合してタマシイとなります。

普遍意識を太陽の光とすれば、
タマは障子の穴からでた太陽の光であり
究極の普遍意識と同じ完全なる最高の資質をもっています。

シヰは、動物の資質の延長上にあり、動物的競争原理をもちます。
タマは、完全なる最高の資質をもち、神的協力原理をもちます。

タマの「完全性」とシヰの「不完全性」の対立物の統一としての人間ですが
その進歩の方向は明白です。
タマと結合したシヰは、その不完全性(動物的原理)を
クリアにしてタマの完全性、純粋性(神性)と合致したところまで
進化した時、人間存在はその根源的苦悩
(タマノヲの乱れ、すなわちタマシイの苦悩)から解放されます。

資本主義のG-G'至上主義のシステムは、
動物世界からもちあわせた生存における競争的原理を強化し
タマの完全性、純粋性(神性)との乖離を強めます。

今日、私たちの資本主義社会に精神的苦悩(うつ)の人が
非常に増えているのは、このタマノヲの乱れ、タマシイの苦悩に
由来するものだと考えることができます。

この苦悩からの克服の道は、動物性に由来する
競争的思考パターンをクリアすることによって
シヰを汚れのないものにすることです。
そしてタマの純粋性、完全性と合致させることです。

これは、普遍意識と個人の根底の意識を合致させる
ワンネス哲学の道です。

心(シヰ)を池にたとえれば、その池の濁りが
透明になった時、池の根底の水源のタマが見え
そのタマが、同時に普遍意識(地下水脈)であることに
気づくことができます。

タマは他者と一つであることが明確であり、競争原理と両立できません。、
競争原理の思考パターンの中にあるシヰは、タマの乖離に苦しみ
根源的な苦悩から解放されることはありません。

ワンネス哲学と実践が人びとに広がるならば、
それは、資本主義の競争的な社会の組織原理を
克服してゆく推進力となると思われます。

(3)
「猿から人間になるにあたって直立二足歩行となり
手が自由になり、道具をもつことができ
それによって手に入れた獲物で栄養をとり
脳がさらに進化した・・・・」
エンゲルスが述べたこの説は、今日も通用する考えだと
思います。
存在の外側から見ると
猿から人間への発達を「直立二歩行」に見るのは
適切だと思います。

存在の内側から直観リーディングで
猿から人間への発達を探求するとどうなるでしょうか。

まさしく普遍意識(太陽の光)が障子の穴(タマ)から
動物世界から進化してきたシヰ(心)にとどいたこと、
タマ+シヰ(タマシイ)になったことが
人間の登場にほかなりません。

(以下述べることは科学的アプローチでは論証不可能なことであり
社会的共通合意の真理となるには不可能なことですので
おもしろい空想話としてとらえておいて下さい)

(4)もう一つの「否定の否定」の仮説

私の直観リーディングからきたイメージは
ライオン、草原、木の上に人間のイメージが浮かび
「未来が見えて危険を避けてやっていたが、
石器などの道具をつかようになって未来が観えなくなった」
でした。
つまり
初期の人類は、最初、全知の普遍意識に
自由にアクセスできたというインスピレーションです。
こちからゆけば動物に襲われず安全だとか
正確に直観で読み取り、生き延びることができました。

木から草原におりて二足歩行をはじめたシヰ+タマの人間は
とても弱いものでした。獰猛な動物に食われて生き延びることが
困難だったと思われます。

石器をつくり、動物に十分対抗するだけの力をつけてきた時
すべての人間がもっていたその直観能力は失われます。

シータ・ヒーリングのヴァイアナ・スタイバルさんは
その時、人間はその直観能力を司る遺伝子があったが
それが潜在してしまったとして
講習でそのときに潜在してしまって失われた遺伝子を
復元するワークをします。
そして彼女のやっているワークだけでなく
今、人類社会で広く、その遺伝子が復活しつつあると言います。

私は、今は、そのヴァイアナさんの考えを
支持するようになっています。
今、人類は生命の歴史における重要な進化の時を
迎えつつあるということです。

この意味するところは、自分の意識の根底を
究極の全知の普遍意識と合致させ
そこから情報を得るというタイプの
新しいワンネス哲学を担う大衆とリーダーが
生まれてくるということを意味します。

これは、「否定の否定の」の法則の第二の否定が
生じはじめていることを意味します。

原始の人間のもっていた普遍意識から情報を得る能力が
いったん否定されて、
普遍意識は人間から分離したところに神として設定される
二元論の時代となります。
そして第二の否定が今生じつつあり、
普遍意識から自由に情報を得る能力をもった人間が増えてゆきます。
(もちろんこの二元論の時代に達成した科学的知識の科学的アプローチを
受け継いでいることは言うまでもありません)
そして、ワンネス哲学のもとに生きる未来の世代は
二元論の時代を動物的競争原理の残った野蛮な時代として
振り返ることになると思うのです。


(付記)
(今は、こうした直観リーディングは
社会的合意がとれないですが、誰もが同じように
創造の源に意識を設定して、そこから同じインスピレーションが
湧いてくる時代がきたとしたら、そのときは
「おもしろい空想話」で、終らなくなります。

歴史は、「想定外」の積み重ねです。

今回の東北震災の大津波の規模は、トップレベルの知識人の
アカデミズムの世界ではありえないことで
そのような規模の津波がおきますよいっても、社会的合意を得ることは
できなかったでしょう。

私が印象にのこっている想定外は、1979年の聖職者がリーダーシップを
握ったイラン革命でした。
およそ、20世紀の後半に宗教的な強制がなされる革命など世界中の
専門家は、それが起きた、その日まで予想だにしなかったことでした。

私自身にとって、ここに書いているような人類の初期には
「私たちは誰もが、全知の意識実体とアクセスしていたなど」と
口が裂けても、論じることはなかった、想定外の出来事です。

歴史は想定外の出来事にあふれています。
今日も、明日も同じパターンで続きながら
ある日、「量から質への転化」が生じ
「想定外」が、やってくるんだと思います。





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