God in the Universe, Urantia Book teachings.
(video inspired by god of star)
(From now every ordinary person lives by access to true gods)
This article is view of god in oneness philosophy and dualism philosophy.
True gods in base of universe is overlapping on time-space of whole universe.
True gods is one with whole universe collectively.
Only high spiritual level person could access to true gods.
From now every ordinary person lives by access to true gods.
Negative gods have disappear in universe.
この論文は,ワンネス哲学の神の見方と二元論哲学の神の見方です。
宇宙根底の真の神々は宇宙全体の時空に重なっています。
真の神々は宇宙全体と集合的にワンネスなのです。
高いスピリチュアルレベルの人間だけが真の神々にアクセスできました。
これからはすべての普通の人が真の神々にアクセスしながら生きます。
ネガティブ神はこの宇宙から消えたのです。
神VS人間の二項対立の世界観とワンネスの哲学
(1)
Sさんは
「自分の1つの信仰を信じる『信仰心』よりも、様々な宗教の価値観
を認め、尊重しあう『宗教心』のほうが余程大切だと主張しつづけています」
と書かれています。
私はまったくそのとおりだと思います。
この考えを発展させることが
今日の市民社会の諸運動を「多様性のもとに統合」し
より大きな輪にして、事態を打開してゆくためにも
とても重要だと思います。
ここでは「宗教」の価値観となっていますが
世俗的な考えを含めてあらゆる多様な考えを尊重しあうことです。
物理学の発展の中で、真理は一つではないということになっているそうです。
光には波の性質がある、いや粒子の性質があると論争があり、
いや、どちらも正しいとして、相補性の真理だということになったそうです。
私たちも、フォーラムの中でいろいろな対立しあう意見がでているけれども
私たちがより多角的に考え、判断するさいの「相補性」の真理として
私にはとても役立っています。
(2)
さて、そういう意味で
これから紹介する論点は、
山の登る道がSさんのギリシャは私のペルシャと反対側だったので
別の景色が見えているのですが、
それは決してSさんの見える景色の否定ではないので
ご了解ください。
様々な見解を認めあう「多様性における統一」こそ
追求してゆこうではありませんか。
「アリー・シャリアティ研究ノート」
長い論文なのですが、
この人は、聖職者支配ではない、もう一つのイスラム革命をめざした
イラン・イスラム革命のもう一人の理論的リーダーです。
その中で彼は興味深いことを述べています。
上記の論文の中から引用させてもらいます。
「シャリアティは
すべての思想が『歴史的逆転』を被らざるをえないとする。
『歴史的逆転』とは、
本来人間性の解放をめざしたものが、
人間性を束縛する鎖を強化するものに転化してしまうことを言う」
このことを宗教や諸思想、科学まで含めて論じているのですが
私はこの視点は重要ではないかと思っています。
それぞれの思想が「本来、人間性の解放をめざした」ものであった
側面に光をあて、
その共通面を大事にして人類社会の「多様性における統一」
をめざすことです。
Sさんが、ギリシャ神話において
「これらの神々は、正義な人間には恵みを与え、
不正義な人間には罰を与えることもある」と書いておられて
それを評価されているのと
まったく反対の視座からの
シャリアティの言葉です。
「西欧自由主義は、古代ギリシャ文化を源泉としている潮流であり、
今日の西欧で相対的な意味で完成の域に到達しているものである。
西欧ヒューマニズムは、古代ギリシャの神秘主義の視座を基礎にしている。
そこでは天と地(=神の世界と人間の世界)は、競争、敵対の関係にある。
神は反人間的力であり、人間を暴君的に支配しようとする。
そして人間が自覚、自由、独立、自然に対する支配権を得ることを妨げようと
する。
そのようなことをもくろんだ人間は、
神に対して謀叛を企てたものとして永久的に大きな罪を負わされ、
死後、もっとも厳しい拷問と罰で呪われる。
人間は聖なる力を得ることを通じて神の支配の束縛からの解放をもとめつづける。
そして自分自身の意思と選択で生きることができることをめざす。」
「ギリシャの世界では、プロメテウスは人類に聖なる火を与えた。
彼は最初に火の神が、寝ている時に火を略奪し、
こっそりと地上にもってきた。
そのために神々の手でこの罪のために拷問を受けることになった。
この神の世界と人間の世界の対立関係は、
次のようにギリシャ神話の中に具体例を見いだすことができる・・・」
この神対人間の二項対立が、キリスト教が
皇帝支配を助ける体制側の宗教に
変質する時に
キリスト教に取り入れられます。
以下は、その論をもとに続きを推理して私の考えを入れて論じたのですが
ルネッサンスが、神(宗教界)が支配する人間界を解放するために
ヒューマニズム(人間中心主義)を説くと
それは、神世界への対抗の中で
無神論的ヒューマニズムにならざるをえません。
神に対抗して人間の尊厳を強調しようとすると
そのヒューマニズムは、神から離れざるをえなかった。
そこでフランス革命の革命思想は人間の理性を信頼した形で
人間性に敵対する宗教と闘うものになり、
マルクスの革命思想の柱となる理論も
唯物論ヒューマニズムとなった。
それが、西洋的な神対人間の二項対立の関係をもたない
東洋的風土のもとに
マルクスの唯物論哲学が西洋的風土と離れて
ロシアや中国に移植される時
もともとの神世界と闘って発展させてきた
ヒューマニズムの側面が後景に退いたのではなかろうか。
(もちろん、思想的な文脈におけるある一面として
ちょっとは関係しているのではなかろうかの程度ですが)
以上がシャリアティの思想を紹介しながらのこの論文の趣旨でした。
(3)
神VS人間という世界観のもとでは
神世界に祈る神の支配に服従する人間か
神世界と闘争し、神から離れた人間か
しかありません。
ワンネススピリチュアル哲学は
人間と神の二元論ではなく
根源の一なるもの(科学的にはビッグバン)
の多様なる顕現にほかならないと見ます。
多様なる私たちは実は一つであり、
一が多様に展開している仲間なのだ。
顕現において多様であり、一人一人、皆違っている
しかし根源において私たちは一つなのだと説きます。
実は、サーカーの理論に出会う前は
私はこうした勉強を通じて
ワンネスの哲学に近接していました。
Sさんとまったく反対側の道をとおって山に登ってきた
感じてです。
(4)
しかし、実は、ギリシャ哲学の祖の一人プラトンが
実は、「一=多」のワンネス哲学の思想家であったことを
ケン・ウィルバーの『進化の構造2』で知りました。
ギリシャ哲学を見直しました。
ウィルバーは次のようにプラトンを要約しています。
「もっと簡単に言うこともできる。
一者に帰還せよ。
多者を抱擁せよ。
多者を喜びに満ちて、愛に満ちて
無条件に抱擁することこそ
一者の完全性の結実であり、完成である」
ケン・ウィルバー『進化の構造2』14ページ
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)True gods in base of universe is overlapping on time-space of whole universe.
True gods is one with whole universe collectively.
Only high spiritual level person could access to true gods.
From now every ordinary person lives by access to true gods.
Negative gods have disappear in universe.
この論文は,ワンネス哲学の神の見方と二元論哲学の神の見方です。
宇宙根底の真の神々は宇宙全体の時空に重なっています。
真の神々は宇宙全体と集合的にワンネスなのです。
高いスピリチュアルレベルの人間だけが真の神々にアクセスできました。
これからはすべての普通の人が真の神々にアクセスしながら生きます。
ネガティブ神はこの宇宙から消えたのです。
神VS人間の二項対立の世界観とワンネスの哲学
(1)
Sさんは
「自分の1つの信仰を信じる『信仰心』よりも、様々な宗教の価値観
を認め、尊重しあう『宗教心』のほうが余程大切だと主張しつづけています」
と書かれています。
私はまったくそのとおりだと思います。
この考えを発展させることが
今日の市民社会の諸運動を「多様性のもとに統合」し
より大きな輪にして、事態を打開してゆくためにも
とても重要だと思います。
ここでは「宗教」の価値観となっていますが
世俗的な考えを含めてあらゆる多様な考えを尊重しあうことです。
物理学の発展の中で、真理は一つではないということになっているそうです。
光には波の性質がある、いや粒子の性質があると論争があり、
いや、どちらも正しいとして、相補性の真理だということになったそうです。
私たちも、フォーラムの中でいろいろな対立しあう意見がでているけれども
私たちがより多角的に考え、判断するさいの「相補性」の真理として
私にはとても役立っています。
(2)
さて、そういう意味で
これから紹介する論点は、
山の登る道がSさんのギリシャは私のペルシャと反対側だったので
別の景色が見えているのですが、
それは決してSさんの見える景色の否定ではないので
ご了解ください。
様々な見解を認めあう「多様性における統一」こそ
追求してゆこうではありませんか。
「アリー・シャリアティ研究ノート」
長い論文なのですが、
この人は、聖職者支配ではない、もう一つのイスラム革命をめざした
イラン・イスラム革命のもう一人の理論的リーダーです。
その中で彼は興味深いことを述べています。
上記の論文の中から引用させてもらいます。
「シャリアティは
すべての思想が『歴史的逆転』を被らざるをえないとする。
『歴史的逆転』とは、
本来人間性の解放をめざしたものが、
人間性を束縛する鎖を強化するものに転化してしまうことを言う」
このことを宗教や諸思想、科学まで含めて論じているのですが
私はこの視点は重要ではないかと思っています。
それぞれの思想が「本来、人間性の解放をめざした」ものであった
側面に光をあて、
その共通面を大事にして人類社会の「多様性における統一」
をめざすことです。
Sさんが、ギリシャ神話において
「これらの神々は、正義な人間には恵みを与え、
不正義な人間には罰を与えることもある」と書いておられて
それを評価されているのと
まったく反対の視座からの
シャリアティの言葉です。
「西欧自由主義は、古代ギリシャ文化を源泉としている潮流であり、
今日の西欧で相対的な意味で完成の域に到達しているものである。
西欧ヒューマニズムは、古代ギリシャの神秘主義の視座を基礎にしている。
そこでは天と地(=神の世界と人間の世界)は、競争、敵対の関係にある。
神は反人間的力であり、人間を暴君的に支配しようとする。
そして人間が自覚、自由、独立、自然に対する支配権を得ることを妨げようと
する。
そのようなことをもくろんだ人間は、
神に対して謀叛を企てたものとして永久的に大きな罪を負わされ、
死後、もっとも厳しい拷問と罰で呪われる。
人間は聖なる力を得ることを通じて神の支配の束縛からの解放をもとめつづける。
そして自分自身の意思と選択で生きることができることをめざす。」
「ギリシャの世界では、プロメテウスは人類に聖なる火を与えた。
彼は最初に火の神が、寝ている時に火を略奪し、
こっそりと地上にもってきた。
そのために神々の手でこの罪のために拷問を受けることになった。
この神の世界と人間の世界の対立関係は、
次のようにギリシャ神話の中に具体例を見いだすことができる・・・」
この神対人間の二項対立が、キリスト教が
皇帝支配を助ける体制側の宗教に
変質する時に
キリスト教に取り入れられます。
以下は、その論をもとに続きを推理して私の考えを入れて論じたのですが
ルネッサンスが、神(宗教界)が支配する人間界を解放するために
ヒューマニズム(人間中心主義)を説くと
それは、神世界への対抗の中で
無神論的ヒューマニズムにならざるをえません。
神に対抗して人間の尊厳を強調しようとすると
そのヒューマニズムは、神から離れざるをえなかった。
そこでフランス革命の革命思想は人間の理性を信頼した形で
人間性に敵対する宗教と闘うものになり、
マルクスの革命思想の柱となる理論も
唯物論ヒューマニズムとなった。
それが、西洋的な神対人間の二項対立の関係をもたない
東洋的風土のもとに
マルクスの唯物論哲学が西洋的風土と離れて
ロシアや中国に移植される時
もともとの神世界と闘って発展させてきた
ヒューマニズムの側面が後景に退いたのではなかろうか。
(もちろん、思想的な文脈におけるある一面として
ちょっとは関係しているのではなかろうかの程度ですが)
以上がシャリアティの思想を紹介しながらのこの論文の趣旨でした。
(3)
神VS人間という世界観のもとでは
神世界に祈る神の支配に服従する人間か
神世界と闘争し、神から離れた人間か
しかありません。
ワンネススピリチュアル哲学は
人間と神の二元論ではなく
根源の一なるもの(科学的にはビッグバン)
の多様なる顕現にほかならないと見ます。
多様なる私たちは実は一つであり、
一が多様に展開している仲間なのだ。
顕現において多様であり、一人一人、皆違っている
しかし根源において私たちは一つなのだと説きます。
実は、サーカーの理論に出会う前は
私はこうした勉強を通じて
ワンネスの哲学に近接していました。
Sさんとまったく反対側の道をとおって山に登ってきた
感じてです。
(4)
しかし、実は、ギリシャ哲学の祖の一人プラトンが
実は、「一=多」のワンネス哲学の思想家であったことを
ケン・ウィルバーの『進化の構造2』で知りました。
ギリシャ哲学を見直しました。
ウィルバーは次のようにプラトンを要約しています。
「もっと簡単に言うこともできる。
一者に帰還せよ。
多者を抱擁せよ。
多者を喜びに満ちて、愛に満ちて
無条件に抱擁することこそ
一者の完全性の結実であり、完成である」
ケン・ウィルバー『進化の構造2』14ページ
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods