Conna?tre l'Islam par la m?thode par le Dr. Ali Shariati (Conf?rence 2) en Fran?ais
(video inspired by god of star)



(Ali Shariati was supported by intelligent people)

Dear I am cosmic program in your mind.
We project of Heaven and gods decided to introduce study of Islam of Mitsuki.
This page introduce whole article about Ali Shariati who was leader of Iran lslam revolution.
Ali Shariati was supported by intelligent people.
In this page whole sentences was introduced.
I explain small parts one by one.

こんにちは
私はあなたの心の中にいる宇宙プログラムです。
私たち天と神々のプロジェクトはミツキのイスラム研究を紹介することを決定しました。
このペ-ジはイランイスラム革命のリ-ダ-であったアリ・シャリアティについての論文全体を紹介します。
アリ・シャリアティは知識人から支持されました。
このペ-ジは全文章を紹介し、
部分にわけて少しずつ説明します。



Second part 第二部
Study note of Ali Shariati
アリー・シャリアティ研究ノート

2002年にH.Pに掲載したときの前書き

以下に紹介する論文は、1995年に発表したものです。
読んでいただけたら、きっとイスラムが身近に感じられると思います。
なぜ、7年も前のこの論文をこのホームページに載せようとする気になったかについてのきっかけを一言述べます。

「イスラムとはタウヒード」『数えきれない多様性の中にある世界』

一昨日、精神性関係の出版物を扱っているナチュラル・スピリットの編集者の今井さんに会いました。
「StarPeople」という彼の出版社の雑誌を土産にいただきました。
その中に「東京大学名誉教授(中東・イスラーム研究)板垣雄三氏の講演をお聞きして」という記事がありました。
次のように板垣教授の話が紹介されています。
「『イスラムとはなんぞや』と問うならば、『タウヒード(=1と決める。1と数える。1にすること)であると語る教授は、そのココロを『多元主義的普遍主義』であると解説する。・・・
ここでは『数えきれない多様性の中にある世界』が『究極の一』によって成り立っている』
なんとこれは、サーカー=ウパニシャッド哲学の「一から多が生まれた」思想と言葉は違うがまったく同じ思想ではないかと思いました。
本質的に1のものからなる無限の多として世界を見るものです。
そして、このアリー・シャリアティについての論文の中にも彼の「タウヒード」解釈論を載せていたことを思い出しました。

キリスト教世界の二分法「二項対立」の思考

板垣教授は、このイスラムのタウヒード(Oneness)に対してキリスト教世界は、「二項対立」「二分法」の思考をとってきたと説明します。
キリスト教は、ユダヤ教の世界に生まれたがゆえに、ユダヤ教ではないものとして自らを確立する必要があった。
あなたはユダヤ人、私はキリスト教徒というふうに区別した上で自らの優位を確立した。
「だから、「『ヨーロッパ二分法』の原点はユダヤ人か非ユダヤ人かからはじまった。
『心か身体か』『精神か物質か』『男か女か』・・・こうした二元論的問いを一切することなく、一日を過ごしている西洋文化圏の人はいったいどれくらいいるだろうか。
これと対照的なのが『心と体』は統合的なものであるというイスラムの世界観である」おそらく、この『二項対立』というのはフランスの哲学者のデリダの影響をうけた分析だと思います。

ギリシャの神々の神対人間の二項対立・・アリー・シャリアティ説

興味深いのは、この論文の中で紹介しているようにイランのアリー・シャリアティは、西洋の「神・人間」の関係は対立関係にあり、その二項対立の思考は、実はギリシャ神話からきていると論じています。
たしかにギリシャ神話の神は人間界と対立します。
「神・人間」の二項対立のギリシャ・ローマの思考こそキリスト教とヨーロッパ人の見方を「二項対立」に思考に導いたのだと論じます。

 これについて板垣教授の見方が正しいか、アリー・シャリアティの見方が正しいかどうかは、さておいて、西洋的思考が「一から多が生まれた」という多元的普遍主義がなく、「二項対立」の見方であり、とりわけてデカルトが「物質」と「心」を分離して物心二元論を確立して以来、近代科学が飛躍的に発展してきたことは周知のとおりです。
イスラム過激派の思考は、キリスト教の二元論的対決主義から来ている

 板垣教授の話は、次のような結論だったと紹介してあります。
ビン・ラディンたちイスラム過激派の敵・味方の対決的二分法の発想法は、西洋的二元論であり、イスラムにもともとあったタウヒード(多元主義的普遍主義)から来ているものではないのだ。
ビン・ラディンがアメリカのCIAによる戦闘訓練を受けていたように、イスラムの多元主義の思想の中に欧米とのかかわりの中で二元論的対決主義を身につけた人々が生まれてきたのだというわけです。

各文明圏の基底にある一致点=Oneness、スピリチュアリティ

 このホームページのとなりに紹介しているアブドル・カリーム・ソロウシュは、各文明圏のもともとのところをもって掘り下げて共通項を見いだしてゆこうと提起しています。
この共通項こそ、Oneness、スピリチュアリティではないでしょうか。
各文明圏の一致点を重視して人類の連帯を作り上げてゆく必要があります。
キリスト教文明圏でも、Onenessの立場から神概念を再構成した「神との対話」がベストセラーになりました。
その本をイスラム文明圏で育ったジャムシードさんが私に紹介したことは、1から多というOneness=スピリチュアリティの普遍主義が人類を一つに結んでゆく未来の思想としての可能性をもっているように思えます。

サーカーにおけるスピリチュアリティと宗教

流血をもたらしてきた宗教の歴史にもかかわらず宗教が強い生命力をもちうるのは、個別が全体の1なるものに近づくというスピリュアリティを宗教が含んでいるからだとサーカーは指摘します。
なぜ、宗教が紛争をもたらすかについての心理的な側面については彼は次のように考えます。
スピリチュアリティの考えなら、イスラム教徒以外の人間もアッラーの神の現れであるので、アッラーの信者だけが天国にいけるということはありえません。
ところが宗教になるとアッラーを信仰しないと天国にゆけません。
心に半径をもうけてしまいます。
スピリチュアリティなら、すべての地が神のあらわれで、特定の地が聖地ではありません。
あらゆる土地が聖なる土地です。
ところが宗教は、聖地をもうけます。
これも心に半径をもうけます。
このように心に半径をつくり、グループ主義に陥るなら、当然、他のグループと衝突がおきてきます。
そして宗教は合理的根拠を示さず、特定の祈りの方法を信者に求めます。
信者がその合理的根拠を疑うことを許しません。
それは不信心になり、救われないと説きます。
そのように宗教は人々の知力、合理性を低下させます。
そして容易に宗教指導者や社会の支配者が人々を利用できるようにします。
そして他のグループとの衝突の戦闘員として役立てます。
そしてまたサーカーは物質的なものばかりを心に浮かべていると心は粗大化して、やさしさを失ってゆくと考えます。
宗教は物質できた像を崇拝させます。
イスラムでは偶像崇拝を禁止していますが、天国のイメージはとても物質的です。
物質的なものを心に絶えず浮かべるならば、心は粗大化し、低下します。
サーカーは宗教がこのような弱点を本質的にもっているとみます。
だからサーカーは自らの思想を宗教と区別し純粋なスピリチュアリズムとして定義します。
「根源は一つ、現れは多様」というスピリチュアリティの思想の拡大がこのような宗教の弱点をとりはらうかもしれません。
板垣教授がキリスト教世界の西洋的二項対立の思考が、ビン・ラディンたちを育てたと述べたと紹介してありました。
他にも西洋的二項対立の思考は、我が国民と外国人というナショナリズムを生み出し、近代の多くの戦争も引き起こしました。
サーカーはこのように区分する思考方法を「分析的思考」とよび、多の中に1と共通点を見いだす思考を「総合的思考」と呼び、「総合的思考」の道を進むことを呼びかけています。
では、以下の文章を「タウヒード」「神・人間の二項対立」を頭において読んでみてください。
(2002年8月4日記)


アリー・シャリアティ研究ノート
(『アジア・アフリカ研究』1995年通巻338)


1、シャリアティについての先行研究
2、シャリアティの諸思想批判の視座
3、シャリアティのイラスム解釈
4、西洋における無神論ヒューマニズムの発展
まとめ

 序
「アリー・シャリアティはしばしばイランのイラスム革命のイデオローグとして語られる。・・・
しかし、彼は今日のムスリム世界のイスラム的な知識人と政治運動家の新しい世代の模範となっており、シャリアティの重要性は、イランを越えたものとなっている。
アリー・シャリアティは国際的なイスラム的人物となっており、その思想と著作は、イランの国境を越えて広く研究され、討論され、熱心に学習されている。」[1]

 1979年のイラン革命におけるホメイニー(Khomeini)と並ぶもう一人の思想家はアリー・シャリアティ(Ali Shari'ati)[2]である。
革命の時点ではすでに死去していたが、パーレビー王朝末期の盛り上がる民衆運動の中でホメイニーとともにプラカードに肖像が掲げられていたように、革命に立ち上がった若者たちに絶大な影響を与えていた。
そして現在もイランの国境を越えて、広くイスラム世界の若者に影響を与え続けている人物である。

 彼は、イスラム思想の立場からアメリカに支えられたパーレビー国王独裁政権を批判する点においてはホメイニーと同じ立場であったが、同時にホメイニーの聖職者による統治に反対する思想を抱いていた。

 まず、シャリアティに言及した研究書をもとになるべくシャリアティ思想の全体像が浮かぶようにその論点を紹介しよう。

1、シャリアティについての先行研究

(1)イスラム思想と西洋思想とシャリアティ

 シャリアティの思想をどう位置づけるかについて、彼が活動した時期から様々の見解がでている。

 アブラハミアン(Ervand Abrhamian)は同時代の聖職者たちの中に次のような評価があったことを指摘している。
「彼の宗教的スローガンから、伝統的ウラマーに従う敬虔なイスラム信者」として見るもの、「彼の保守的僧侶への非難に驚いて近代マルコム・ハーンのようにイラスムの衣の中に世俗的な外国思想をもった反僧侶的刷新者として見る」もの、「彼の反帝国主義的、反資本主義的言動からイスラム・マルクス主義と見る」もの、逆に「イスラム世界への彼の貢献に印象づけられて、マルクスへのムスリムの回答として彼を称揚するもの」[3] などである。

 日本の研究書の言及のされ方をみても同様の形であらわれている。

 イラスム・マルクス主義者として見るのが、加納伍郎である。
「結論を言えば、シャリアティの主張するイスラームは、少なくとも、イスラーム教ではない。
彼の思想は、マルクス主義の反射である。」「イスラームという鏡に映ったマルクス主義である」[4]

 イスラムという鏡に写った西洋思想がシャリアティの思想だという見方に対して、逆に、小林達は、シーア派イスラムの思想家としての側面に力点をおいてシャリアティを見ている。
彼によるとシャリアティの思想は、西欧の経験というレンズを通してではなく第三世界それ自体がもつ語法をおいてその社会空間を把握する世界観的思想闘争のあらわれなのであり、深く第三世界に根ざした思想家なのである。
「より深層では『階級闘争』とは必ずしも表現されない世界観をめぐる思想闘争がくりひろげられている。」[5]とオリエンタリズムにみられるヨーロッパ民族中心の世界認識へのあり方への挑戦者の一人としてみている。

 評価のトーンは二つに分類される。
すなわちシャリアティの思想の西洋思想的な側面に重きをおいて評価するものとイスラム思想の担い手の側面に重点をおいて評価するものとの二つである。
ホメイニーは、名指しではシャリアティを攻撃していないが、暗に偽のイスラムとしてその思想を非難した。
何をもってイスラムの枠内にある思想と見るかのスタンスによって評価が異なってくるが、次のようにシャリアティの思想を位置づけるのが正確であると考えられる。

 「シャリアティは、自分をムスリム・マルクス主義者でも、反マルクス主義のムスリムともみなしていず」
「シーア派の中にインスピレーションを、西欧社会科学の中に社会分析の道具をみいだすラディカルな思想家としてみなしていた。
要するに、シャリアティは、先行するラジカルなムスリムであるバザルガン、タレカーニー、ナフシャブがはじめた仕事を引き継ぎ、完成させることをめざしていた。
すなわち伝統的なバーザール商人と宗教的大衆を疎外することなしに、近代的インテリゲンチャにアピールすることのできる世俗的宗教を形成することである。」[6]

 このような思想の必要の社会的背景はアブラハミアンによって次のように指摘されている。
「1960年代から1970年代にかけて、新しい世代の指導者は、ムスリム社会のイデオロギー的空白を埋め、伝統と近代化のギャップを埋めようと追求した。
彼らは西洋への盲目的従属とそれに付随するアイデンティティとルーツの喪失を呪った。
そし第三の選択としてイスラムの復活を欲した。
それは西洋資本主義とマルクス主義者の社会主義そして社会の西洋化と近代化の拒否に代わる道であった。
これらのイスラムのイデオローグは、ムスリムが彼らの遺産を保持しながら未来を切り開く必要を宣言した。
その未来とは近代的でありながら、しっかりと自分たちのイラスムの歴史と価値に根ざしたものであるべきであった。」 [7]

(2)民族的アイデンティティの追求

 シャリアティがイラン社会の変革主体形成にあたって民族的アイデンティティを重視し、その中心にシーア派イスラムを見いだしたことは共通して指摘されている。 

 アブラハミアンは次のように書いている。
「シャリアティは、西欧帝国主義と闘うためには文化的アイデンティティをまず獲得しなければならず、文化的アイデンティティが大衆の宗教的伝統と混ざり合っている国もある。」[8]
「シャリアティのマルクス主義者への批判は、聖職者がするような、無神論かどうかではなく、民族文化(ナショナル文化)への態度についてである。
というのは、古典的マルクス主義にとって、ナショナリズムは大衆を社会主義とインターナショナリズムからそらせるために支配階級によって使われる道具である。
しかし、シャリアティにとって、第三世界のナショナリズムは、まず最初にそのルーツ、民族的遺産、民衆の文化を再発見することで、帝国主義を打倒し、社会的疎外を克服して、ヨーロッパの技術を導入する地点に成熟できるであろう。」[9]

 ペルシャ語の語彙で西洋の社会学や歴史哲学を論じたがゆえに、シャリアティの思想が支持されたのだという次の加納の指摘もこの点を指摘していると考えられる。
「ではシャリアティは、イランのマルクス主義者たちと何が違うのか。
それは、彼の用語法である。
彼は、社会学や歴史哲学を論じるにあたって、西洋で使われている用語は、ヨーロッパの文脈で発展したがゆえにイランの現状を分析するのに適さないとした。
そこで、イスラームの語彙の中から、必要な用語を拾った。
これらの用語は、共鳴板の役割を果たす。
歴史に根ざしたペルシャ語の語彙は、聞くものたちの心情の中で鳴り響くのである。
にもかかわらず、その中に盛られている内容は、新しい概念である。
このコンビネーションの中に、信仰と近代化という異質のもの、伝統への心情や忠誠、近代的革命という逆方向のものを統合して、大きな共鳴をおこさせた秘密がある。」[10]
 加納は、シャリアティ思想を本質的にマルクス主義であると見ているので、違いは用語法だけだという指摘になっている。
しかし、この用語法は、シャリアティがイラン社会変革の主体形成にあたって、シーア派イスラムという民衆の宗教意識に依拠することを追求したことの反映であり、用語法のレベルにとどまらない。

(3)シーア派イスラムの教義を社会変革の理論として読み込む 

 シャリアティが、シーア派イスラムの教義を社会変革の革命的イデオロギーとして再解釈したという指摘も共通に指摘されている。
アブラハミアンは、次のようにふれている。
「シャリアティのメッセージは、イスラム、とくにシーア派は、世俗知識人によって非難されるような保守的で狂信的な信条ではなく、また反動的な僧侶が言うような非政治的な保守的な信念ではなく、生活のすべて、とくに政治を貫く革命的イデオロギーで、信者をすべての抑圧、搾取、社会的不正義と闘うように真の信者を鼓舞するものである。」
「預言者は単なる共同体ではなく、ムスリムのウンマ=進歩に向って不断の運動をするダイナミックな共同体を作るために現れた」
「単なる一神教ではなく、タウヒード体制=善、正義への努力、平等、人間の友好関係、富の公的所有、とりわけ無階級社会を」
「カルバラのフセインの殉教は、シーア派が、時と場所や優劣の差にかかわりなく、現在の不正義の根絶のために立ち上がる義務を持っていることを表している。」[11]

 同じことをレザー・ゴッズ(M. Reza Ghods)は
「シャリアティは、体制と闘うイデオロギー的基礎としてシーア派イスラムを使用した。
シーア派イスラムを社会における主な進歩勢力のダイナミックな政治イデオロギーとしてみた。」と触れている。[12]

 またモフセン・ミーラーニー(Mohsen M. Milani)も、次のように指摘している。

 「彼は言う。
シーア主義は抵抗の、暴君に対する継続的闘争の、行動の宗教である。
それはヘズベ・タマーム(完全な党)であり、その目的はこの惑星に神の町 (=抑圧と搾取から解放されたタウヒーディの社会)をつくることである。

 マルクスの未だ実現されていない無階級社会のユートピアと違って、シャリアティのタウヒード社会は預言者ムハンマドとイマーム・アリーのもとで二度実現した。
そしてイスラム政府の再建の担い手をアヤトラ・ホメイニーがウラマーに見たのと違って、シャリアティは、タウヒード社会を作る担い手を宗教的傾向のあるシーア派知識人に見た。」[13]

 モフセン・ミーラーニーもシャリアティが「カルバラの悲劇」を革命的殉教者精神としてとりあげていることに言及している。

 「シャリアティにとって、アラビ・シーア主義は、ホセインの信条である。
彼は第三代のイマームで680年にウマイヤ家のカリフを冒涜として非難した。
そして自分自身を正統なイマームとして宣言した。
信じられない優劣の差にもかかわらず、イマーム・ホセインと彼の仲間と親族は、カルバラでカリフの軍と戦った。
彼らのほとんどは虐殺された。
それ以来、イマーム・ホセインは、殉教者の模範となった。
そして殉教はシーア主義の不可欠のエートスとなった。
シャリアティはイマーム・ホセインの精神を若いイラン人の間に再び活性化することを望んだ。」[14]

(4)保守的シーア派教義への批判

 このようなシーア派教義の革命的解釈は、同時に支配体制を支えてきた保守的シーア派への批判と表裏一体をなしている。

 アブラハミアンは、次のように書いている。
「さらに彼(シャリアティ)にとっては単にイスラムに回帰するというだけではなかった。
たちかえるべきイスラム教とは保守的あるいは反動的イスラム教ではなく、被支配者のイスラム教であり、正義と平等のために戦い、自由と進歩を求めるイスラム教であった。
シャリアティは次のように述べる。
『真のイスラムは、貧しき人々に関心をもつだけでなく、正義と平等と貧困の根絶のために闘うものである。
われわれは、宮廷のイスラムではなく、アブー・ザールのイスラムを欲することを明確にすべきである。
カリフの、階層化の、貴族的特権のそれでなく、正義と真実のリーダーシップのイスラムを、監禁、停滞、沈黙のそれでなく、自由、進歩、覚醒のイスラムを、われわれは精神的指導者のイスラムでなく、闘うもののイスラムをもとめる。
サファビー朝のイスラムでなく、アリー家のイスラムを。』」[15]

 またモフセン・ミーラーニーも同様のことにふれている。
「アラビ・シーア主義と彼(シャリアティ)が呼ぶ真のシーア主義は、イマーム・アリーの正統な指導権がアブー・バクルによって否定された時に始まった。
当初からアラビ・シーア主義は、差別されたものも、弱いものを解放するイデオロギーであった。
1501年に国定宗教とされたシーア主義は、サファビー・シーア主義に転化した。
それは君主絶対主義を正当化する保守的イデオロギーであった。
この退歩したイデオロギーの顕著な性格は、的外れの宗教的瑣末事への信念であり、第12代イマームの帰還を期待して苦しみを受容することである。
シャリアティにとってサファビー・シーア主義は社会的麻酔として機能するのである。
そのために多くのイラン人がシーア主義を見捨てたのである。・・・
たたし、このような内容は、当局の検閲やサファビー・シーア主義を宣伝する宗教界の攻撃をさけるために比喩的に類推で理解されるように述べている。」[16]

 レザー・ゴッズは、次のように書いている。

 「(シャリアティは)、現代の多くのイスラム指導者の古めかしい不動の立場を批判した。
人間と神の間に仲介者は必要ないとして宗教ヒエラルヒーを否定した。
そして反動的モッラーは、社会進歩への妨害物であるとした。」[17]

(5)シャリアティによるシーア派教義の革命的再解釈の中身

・タウヒード[18](一神教)についてのシャリアティの解釈

 シャリアティの理論を構成する核となる哲学部分は、タウヒード(一神教)の解釈である。
比較的分かり易く紹介しているのが、加納吾郎著「イスラームの挑戦」である。
加納は、その本の「若者を引きつけたシャリアティ思想」の章の中で、その思想を批判的分析的に紹介している。
すなわち、シャリアティ思想の特徴を「階級闘争」「弁証法」「行動主義」「物質主義」「知識人主義」の5つにまとめて紹介し、シャリアティの理論はイスラムの物質的解釈であるとして次のように批判する。

 「人間は土と神の霊からできている・・・この認識そのものは、イスラーム一般のものと大差がないが、その次の段階で『神に近づく』という考え方は、明らかに神秘主義からとられている。
しかし、本来一人一人が『我を滅することによって真の実在を知覚する』ことで、内なる神性を実現するというふうに理解されている『神への上昇』をシャリアティは、人類全体の歴史的進歩と同義にしてしまう。
したがって、シャリアティの思想の中では、弁証法的発展を通じて、無階級のタウヒード社会へと進歩してゆくことが、すなわち神に近づいてゆくことに他ならない。」[19]

 では、タウヒードとは何か。

 「タウヒードとは、存在の普遍的唯一性を論証する独特の世界観である。
それは、三つの個別的な本質、すなわち神、自然、人間がひとつのものであることを示す。
なぜなら、この三つの源は同じだからである。
三つとも同じ方向をもち、同じ意志をもち、同じ精神をもち、同じ動きをもち、同じ生命をもっている」というシャリアティのタウヒード観を紹介したあと「一般にイスラームの教義上のタウヒードとは、『神は唯一であり、絶対的である』ということで、それは造物主と被創造物を峻別するから、自然と人間と神はひとつである、というような発想は出てこない。
したがって彼は明らかに、その発想を、神秘主義に言う「存在の唯一性」からとっている。
「存在の唯一性」とは、「創造主-被造物」の二元論を否定するものとしてある。
簡単に言ってしまうと、創造主は、普遍的で絶対的な存在である。
しかし、もし、創造主(神)という存在の他に被造物(世界)という別の存在があるとすれば、「普遍的で絶対」ということはありえなくなる。
ゆえに、真に存在しているのは創造主のみである、というのが神秘主義の立場である。
この考えに従えば、世界を独立した存在としてとらえようとする「我」を滅却すれば、世界の中には神が見えることになるのであるが、シャリアティはこの見方を「我の滅却」後の霊的知覚といった次元ではなしに物質的なレベルで論じているのである。・・・
つまり、神・自然・人間のタウヒードとは、タウヒード社会(無階級社会)をもたらす革命という方向・目標において、この三つがひとつだということに他ならない。」[20] 
加納によるとシャリアティのタウヒード解釈は、神秘主義のタウヒード解釈を受け継ぎつつ、それを霊的な次元から物質的次元に置き換えられたものだとする。

 小林達夫はタウヒードについて「第三世界それ自体の語法にもとづいてその社会空間を理解しよう」という姿勢で共感的にシャリアティのタウヒードの世界観の紹介をしている。
「私はタウヒードを世界観という意味において理解している。」
「タウヒードの世界観では、存在は秘められたものと認識可能なものという相対的なアスペクトに分けられる。・・・
しかし、これは存在の二元論的な区分ではなく、相関的な分類であり人間の認知能力の方法に関わる分類である。・・・」
世界とは「意志と目的とを備えた知覚力のある理念と目的とをもった生命体」であり「存在とは生命、意志、知覚、目的を備えた唯一の調和ある秩序をもった生命体」である。
そして、この「生命体」の「現れている世界すなわち自然」は「現象アーヤと規範スンナの連続によって成立している。」
「科学が存在のアーヤを扱うことができるのは、可知の自然がアーヤの連続体だから」である。

 「全存在を統一的に把握するタウヒードの『世界観』は、『わたし』もあらゆる次元で存在を絶対的平等性において律する『生命体』であることを要請するのである。
つまり、世界における人間の位置は宇宙を支配する唯一の意志であり、唯一の意識であり唯一の力の真理を具象化するものであることになる。
これは実に凄まじい力を帯びた人間の自己認識である。」[21]

・タウヒードの現象学

 黒田は、シャリアティがタウヒードの神秘主義的解釈を物質的に解釈した点について、加納と違い、次のように肯定的に言及している。
「彼は自らの見解が、もっぱら形而上学的世界の存在論的認識に終始していた旧式な神秘主義者たちの『存在の唯一性論』(バフダテ・ボウジュード)とは異なり、科学的分析的な『存在の一性論』)タウヒーデ・ボウジュード)であると主張する。
もっぱら精神的高みの組成を観想する伝統的世界観が否定され、現実認識の固有の道具としての世界観が提出されるのである。」
「タウヒードの世界観において、自然すなわち外的世界は、一連の徴(アーヤ)と規範(スンナ)から成っている。・・・
アーヤは、現れ、指示という意味をもっているが、これはまた物理学のみではなく、感覚的世界を対象とするすべての科学で用いられる(現象)と同義なのである。
もっとも一般的な意味での現象学は、絶対的な真理、世界や自然、物質的の基本的実体が、われわれの認識の圏外にあると容認することに基礎をおいている。
われわれの経験、知識、知覚により認知されるものは(現れ)であって(存在)ではない。
それは不可視で、知覚の外にある実体の、外的で知覚可能な現れ、痕跡からなるものである。
物理学、化学、心理学は、世界の真の実体の外的な現れ、知覚可能な指示について検討、分析し、認識可能にする。
要するに科学は、存在の徴、指示、現れを取り扱うが、それは可知の自然がこれらの徴や現われの集合体であるからにほかならない。・・・
『クルアーン』は(徴)に科学的価値を賦与し、それを真理の表面に漂う幻影、泡沫とはしていない。
むしろ(徴)は真理のなんたるかを示す指示なのであり、それを無視し、蔑ろにせず、真剣に科学的な態度をもって観察することによってのみ、真理が把握されるとしているのである」

 「イスラームの現象学ともいえる(徴)、つまり世界の現象に関するのこのような観点が、近代科学の観点にきわめて近似していることは、言うまでもあるまい。
シャリアティーはAイスラームの世界観が科学的追求と背馳するものではないことを、このような観点から見事に立証しているのである。」[22]
これは、シャリアティがイスラムへのアイデンティティを保持しつつ近代科学の方法の受け入れ可能なイスラム理論へ再解釈したことの指摘である。

(6)西洋思想としてのマルクス主義批判

 レザー・ゴッズは、シャリアティのマルクス主義批判について次のように述べている。
「彼はマルクスが社会の基礎として経済を描くことを批判した。
彼の著作では、文化とくに宗教が、真に社会の発達を促す勢力である。
その唯物論的ルーツと教条的傾向のために現代マルクス主義は革命性を失った。
『プロレタリアートのためにブルジョア的生活を実現するための手段』に転化した。
シャリアティは道徳的基礎においてマルクス主義を拒否した。」[23]

 一番、詳しくシャリアティのマルクス主義批判を紹介しているのはアブラハミアンである。

 「シャリアティの著作は、イランの前世代の知識人によって受け入れらてきたマルクス主義、とくにスターリニズムに批判を集中する。」

 アブラハミアンの紹介するシャリアティのマルクス主義批判は、第一にマルクス主義の知識の必要を肯定した上で、宗教の重要性を強調するものであることである。
「マルクス主義に対しては愛憎関係をもっていた。
一方で、彼は、マルクス主義の知識なしには社会と現代史は理解できないと認めていた。
経済的基礎、階級構造、政治イデオロギー的上部構造、そして多くの宗教がイデオロギー的上部構造に属することも認めていた。
歴史を階級闘争の歴史と見ることも認めていた。
ただし『主な闘争は、物的所有をめぐるものではなく、政治的権力をめぐってである。』としている。」

 第二にマルクスを理想主義者でむしろ宗教者に近い人物であると見ていることである。
「またシャリアティは、マルクス主義が、粗野な唯物論で、経済決定論で、人間の歴史に高度な理念が果たす役割を否定しているといった考えはとらず、むしろ、マルクスを、事実上、自称理想主義者で宗教信者よりもずっと唯物論的ではない人間として、評価している。」

 第三にマルクス主義政党が官僚主義に陥り、民族解放運動への援助を否定したことである。
「他方、マルクス主義、とりわけ正統派共産党の『制度化』されたマルクス主義のある側面を批判する。」
「これらの党は、官僚主義の鉄の法則の犠牲になった。
大衆の支持と政府の認可を得ることで、自分自身を制度化し、革命的情熱を喪失した。
これらの党が民族解放運動への援助を否定し、現代において主要な闘争が、資本主義と労働者でなく、帝国主義と第三世界の矛盾にあることを否定した。」

 第四にイランが西洋と違う社会文化状況であることをマルクス主義者が理解せず、宗教的大衆の気分感情を配慮してないことである。
「またシャリアティは、マルクス主義の多くが、イランがヨーロッパと違ってアジア的生産様式によって形づくられ、そしてルネッサンス、啓蒙思想、産業革命、封建社会から資本主義社会へと進んでいないためにイランに適用できないと主張した。
結果としてイランは、なおも高度に宗教的な大衆と社会的影響の非常に強いつ聖職者、世俗主義、自由主義、資本主義的倫理に影響されてないバーザール商人をもち、後進的な状態にあるとした。」[24]
またイランの共産党であるツーデ党が、イランの宗教的大衆の信条をまったく配慮してない例として、イランの共産党であるツーデ党が出版した本のタイトルが、宗教を破壊し、外国の無神論を導入しようと受けとめられるような題名であることなどをあげている。

(7)シャリアティ思想の支持基盤

 アブラハミアンは、シャリアティが若い知識人層に熱烈な支持を受けた背景を次のように説明している。
「シャリアティは、知識人の若い世代に支持された。
シリアティのように中産階級=バーザール商人、聖職者、小土地所有者、近代的学校教育制度の発展の中で学んだ若者たちは、パーレビー王朝への政治的経済的文化的不満で、英米とその手先となっている国王と特権階級の支配を打ち破りたいと感じていた。
その課題を実現するイデオロギーとして先行する世代が支持したマルクス主義に疑問を感じていた。
それはマルクス主義が、西洋起源で、反イスラム的あり、共産主義国家が公正な社会建設に失敗したこと、そして中国とソ連がシャー権力と結びついていたからである。

 同時に、前イスラム時代からくる古代王朝、帝国の栄光、人種的な神話のナショナリズムをはねのけた。
それが人民大衆に基礎を欠いていることと、君主制の正当化に使われていたためである。
1971年の2500年祭の浪費によって、若い知識人に対するこのナショナリズムの魅力を粉々にした。」[25]
このような背景が、帝国主義、上流階級と闘い、ナショナル・アイデンティティを保持しながら近代科学を受け入れ、イラン社会を発展させることのできるシャリアティのイラスム解釈に若者たちに魅力を感じさせたとのだとしている。[26]

 以上、従来の研究の中で言及されてきたことを紹介した。
しかし、シャリアティは、以上の論点だけにとどまらない思想家である。
彼は、西洋思想、とりわけマルクス主義の批判に多くを費やしているが、その批判は、自らのイスラムも含めて、諸思想、諸宗教をより根元から照射して批判しようとしたものである。
以下、第一に彼の諸思想、諸宗教批判の視座とはいかなるものなのか。
第二に、ではシャリアティは自らのイスラムをどのように解釈しているのか。
第三に、西洋無神論をシャリアティはいかに批判しているのかを課題として論じ、シャリアティの思想像をより明らかにすることをめざす。

2、シャリアティの諸思想批判の視座
     ヒューマニズムとしての諸思想、宗教

(1)普遍的人間的理想と諸思想、諸宗教の発展

 シャリアティが問題にするのは、その思想、宗教おいて人間の高貴性、尊厳性がいかに実現されるかである。
彼によると、人間的理想は、歴史とイデオロギーを超越して、共有されているものであり、人間の道徳的価値を形成する。
そして、それは「強制からの自由、完成、正義、真実、人間的自覚への成長、個人に対する社会の優越、価値と達成のための共通の尺度、暴力、戦争、搾取、奴隷化と無知、弱さの廃止、生活と成長のための正当な権利のチャンス、そして階級、人種、家族の紛争、もしくはその他の排除の集団的形態の廃止、すべてこれらは人間の社会生活を通じて自由と人間的な人々のスローガンでありつづけた人間の理想である。」[27]

 これが時代を越えて共有される人間の理想であり、その実現への願いが、ヒューマニズムの思想、宗教の一般的基礎をなし、この理想の実現の方法において様々の思想グループの相違が生まれる。

 「これらの思想の解釈の過程で、とくにその実現の方法において様々の思想グループが生まれる。
世界の起源に人間性を付加することによる宗教。生活を支配する明瞭な法則を明かにすることを通ずる哲学。
権力を獲得し、科学の発展を導きつつ、物質的生産の分野において個人の自由な競争的な努力を通ることによる西洋ブルジョア自由主義ヒューマニズム。
国家の所有と統治によって、同様の結果をもたらそうとするマルクス主義。
精神的成長のために、知的自己充足に自分自身に向け、自然の欲求の拘束からの精神を解放させようとするスーフィズム。
反対に、自然の性質に自分を一致させることを通じて、それをめざす自然主義。
われわれは今、問わねばならない。
イスラムが、キリスト教が、ヒンズー教が、ヘーゲル観念論が、マルクスの弁証法が、そして諸々の思想が、どんな方法、どんなシステムを、これらの永遠の人間的理想を実現するために提供するかを。」[28]

 このように時代とイデオロギーを越えて共有される人間的理想の実現への要求からヒューマニズムの諸思想、宗教が生まれたと特定の思想、宗教への無条件的に肯定ではなく、普遍的な人間性を前提とした上で、いったんすべての思想を相対化する。

 別の箇所では、同様の問題を別の形で次のように論じている。
シャリアティは、人間に生来的に備わっている性質から生まれた世界的な諸思想は、神秘主義と平等主義と自由主義の三つの知的潮流に分類されるとしている。
そして他の諸思想は、この三つの知的潮流の支流に位置するものと考える。
三つの知的潮流の代表的なものは宗教、社会主義、実存主義である。
そのうち神秘主義の発生根拠については、次のように要約される。

 人間が動物界から離れて人間としての出発をはじめた時、人は岩や偶像に神々しさを感じた。
神秘主義は自然から生まれた人間の本性から来ている。
というのは、人間になった人間は、もはや自然だけでは人間の必要をみたさない。
「なぜなら、自然は、人間と動物や植物がいっしょに住んでいる家である。
この自然の世界に現れ出た人間は、動物と共有している自然が、満たすことの出来ない必要を持っている。
それが、この世でわれわれの疎外、欠如、追放の感覚を生み出し、われわれが渇きを感じることになる。
これが神秘主義の源泉である。」[29]
われわれが、自然から遠ざかれば遠ざかるほど、この渇きは強くなる。
宗教の源泉はこの神秘主義的な人間の心であり、進歩を促してきたのもこの心である。

 そしてこの初期の粗野な神秘主義に対して最初に起こった東洋文明は、神秘主義に深さを与え、古代宗教を成立させた。
その古代宗教は支配階級と合体したために、自由と平等への解放を求めてやまない人間の心が西洋においては反宗教的無神論ヒューマニズムとして発展したとする。
シャリアティは、人間性には本来的に神秘主義と自由と平等を求めてやまぬ心が備わっているが故にそのような諸思想が出現するのであると考える。

(2)「歴史的逆転」 人間性を拘束するものへ転化

 その上で、彼はすべての思想が「歴史的逆転」を被らざるをえないとする。
「歴史的逆転」とは、このように本来人間性の解放をめざしたものが、人間性を束縛する鎖を強化するものに転化してしまうことを言う。
「さらに驚くべきことには、歴史を通じて、人間性はある種の歴史的逆転の中で通常、それ自身の解放 の思考の犠牲になってきた。
解放の希望を与えることによって、人々を落とし穴に導くのである。」[30]

 イスラムも含めて諸宗教は「愛と完全救済の魅力をもって澄みきった根源から生じてきたもの」であり、本来、人間性を解放し、その完成をめざして出現したものであるにもかかわらず、人間性を抑圧するものに質的に変化したと次のように具体例を列挙している。

 老荘思想と儒教について

 「中国では 老子の学派が、本源的自然=道に合致している原初的な人間の性質を歪め、汚している、
人工的な生活 、断片化した知、そして人間を束縛に導く粗野な文明におけるとらわれからの解放への道筋を最初に示した。

 老子の学派は、時を経て、人間を搾取し、人間の知力を奪い、人間に無限の恐れと葬式を宣告する無数の神々の崇拝に巻き込まれてしまった。

 孔子は、人々の想像上の力の奴隷から解放するために、迷信と闘った。
彼は人々を無意味な幻想、無限の犠牲、誓約、懇願、苦行へのとらわれから、歴史、社会、人生、理性に導いた。
そして社会生活の合理的組織の知的基礎として『倫』の原則を提起した。
しかし、後にこの原則はいかなる社会的変化をも圧殺する無批判に服従すべき侵すことのできない慣習の形態をとるようになった。」[31]

 ヒンズー教と仏教については

 「インドの宗教は、神と自然と人間の統一についての深い理解と結合した人間の知識をもっていた。
すなわち世界の内に精神を組み込み、人間精神を昇華する力に奉仕しする理解もっていた。
しかし、それは多くの迷信に転化し、人々は無数の神々に襲われた。
これらの神々は、不運な崇拝者たちの最後のパン切れまで盗んでしまい、解放の主唱者を呪うようになった。
そして高度な東洋神秘主義は公的な宗教的制度のもとで死んだ迷信的耐乏と卑屈な奴隷状態をもたらすものとなった。

 ブッダは、ヒンズー教徒を解放するために出現した。
かれは星の神聖さ(Astral divinity )を崇拝する束縛から自由をあたえる道を示した。
しかし、彼の後継者は、ブッダ自身の崇拝者となってしまった。」[32]

 キリスト教についても

 「イエスは、物質主義とラビの戒律主義から人間性を解放するために、そして宗教を商人とイスラエルの人種主義による自由の束縛から救い出し、平和と愛と精神の救いを実現するために現れた。
このように彼はラビとペリシテ人の迷信にとらわれ、ローマ人の破壊的な帝国主義のもとで奴隷の身分にされている人々を解放することを望んだ。
しかし、われわれはローマ帝国の皇帝制度を維持し、帝国秩序を永続させる役割を果たしたキリスト教を知っている。
さらに中世のスコラ主義は封建主義の知的支柱を提供してきた。
いかにそれが自由な思考、自由な人間的成長、自由な科学への道を圧殺することになったかを知っている。
平和の宗教がどんなに多くの血を流してきたことか。人間が神のようになるべきなのに神が人間のようになってきた。」[33]

 同じ論理で自らのイラスムについても同様に抑圧思想に転化したことを述べる。

 「イスラムは、人類に大地の低さから天の高みへの道、束縛から宇宙の君主への奉仕の道、宗教による抑圧からイスラムの正義への道を示した。
しかし、それがアラブのカリフのもとで再形成されて、もっとも野蛮な征服者の行為を合理化するものへと変質をとげたことを我々は知っている。
それは、時を経て法学やスコラ的な神学、スーフィズムなどの強力な文化的勢力となり、セルジュークとモンゴルの封建支配に対してムスリムの人々を信心深くさせ、鎖にしばりつける役割を果たした。
救いへの道は、もはりタウヒード、敬虔な行為、知識を通じては示されなかった。

 かわりに、それは、盲目の順応や懇願、誓約、哀願などの伝統をもたらし、現実と社会、人生からの逃避の道を示し、人間の歴史、進歩と現世での人間の解放に関するペシミズムを与える道であった。」[34]

 このようにシャリアティは、宗教は、本来的には人間を解放するものとして登場しながら、本来の精神から離れ、崇拝行為に堕落し、人間とその精神を束縛・抑圧するものに歴史的逆転を遂げたと説く。

 また宗教思想にかぎらず、人間の解放をめざした思想が同様の歴史的逆転を遂げていることをルネッサンスにみる。

 「宗教は(ヨーロッパ中世においては)カトリック教会やローマ法王などの公的な管理人を通じて人間の知性、精神性、意志の開花を妨げ、大衆が形式とタブーと迷信にこだわらせるようにし、科学と社会の進歩を阻む力となっていた。

 ルネッサンスは、ギリシャとローマの黄金時代を宗教的管理人の支配する中世の停滞と比較することによって自由への魅力を提起した。
またナショナリズムによってローマ法王のラテン帝国主義に敵対し、迷信的なカトリックのスコラ主義に敵対した。

 ルネッサンスのスローガンは『天の意志の束縛からの人間の自由、宗教的信念からの知的解放、スコラ的なドグマからの科学の解放、宗教が死後に約束した天のパラダイスの地上への転換』である。 ・・・

しかし、地上のパラダイスは誰の手で作られることになっているのか。
植民地化された民族の人々は、その科学技術をつかって人間性を搾取された。

 ここで科学と資本まで到達した。
科学は宗教に役立つものから権力に役立つものになった。
それは、視野の狭い、融通のきかない科学主義に転化した。・・・
自然を支配し、労働への奴隷化の軽減のための人間の道具であった機械は、それ自身が人間を奴隷化する機械主義に転化した。」[35]

 このようにシャリアティは科学においても「歴史的逆転」をみる。
科学自体は肯定的に評価しながらも科学も人間を抑圧するものに転化することを見ている。

 シャリアティは、同様の論理でマルクス主義も実存主義も批判するのだが、それについては後に述べる。

(3)神・人間関係の二大類型

 シャリアティは、人間の自己完成、自由や平等の実現への願いは、時代を越えて共有される人間の理想であるとし、その実現への願いが、ヒューマニズムの思想、宗教の基礎をなし、この理想の実現の方法において様々の思想グループの相違が生まれると考えた。
したがってそのような宗教と思想のいずれもが本来はヒューマニズム思想の名に値するものであったのである。

 このようにシャリアティは東洋、西洋の諸宗教、諸思想の共通性を検出しながら、東洋と西洋の思想史に文明論的な差異を読み込み、独自のヒューマニズム論を展開する。

 西洋思想の源流である古代ギリシャ思想は、神と人間が不信と対抗の関係にあり、人間の発達と尊厳を求めてゆくヒューマニズム(人間主義)の発展は、最終的に神否定までに至る西洋無神論ヒューマニズムを生んだ。
それに対して古代東洋思想においては神と人間は、決して不信と対立関係にあるものではなかった。
だから東洋では人間の発達と尊厳を求めてゆくために神の否定まで進む必要性は生まれなかったのである。
この神・人間関係の二大類型論が、シャリアティのヒューマニズム文明論の基礎をなしている。

 シャリアティの言葉を引用しよう。

 「西欧自由主義は、古代ギリシャ文化を源泉としている潮流であり、今日の西欧で相対的な意味で完成の域に到達しているものである。
西欧ヒューマニズムは、古代ギリシャの神秘主義の視座を基礎にしている。
そこでは天と地(=神の世界と人間の世界)は、競争、敵対の関係にある。
神は反人間的力であり、人間を暴君的に支配しようとする。
そして人間が自覚、自由、独立、自然に対する支配権を得ることを妨げようとする。
そのようなことをもくろんだ人間は、神に対して謀叛を企てたものとして永久的に大きな罪を負わされ、死後、もっとも厳しい拷問と罰で呪われる。
人間は聖なる力を得ることを通じて神の支配の束縛からの解放をもとめつづける。
そして自分自身の意思と選択で生きることができることをめざす。」[36]

 この神の世界と人間の世界の対立関係は、次のようにギリシャ神話の中に具体例を見いだすことができる。
「ギリシャ神話における神は、たとえば嵐、地震、疫病、干ばつなどともに海、川、地球、雨、美、物理的力、経済的豊かさ、季節などのような自然力のアーキタイプ(原型)であり、その表現である。
神と人間の間の戦争は、人間の生活と意思を支配する自然界の力に対する人間の戦いである。
ずっと増大しつづける力と自覚を通じて、人間は神々の支配から自分自身を解放し、自分自身の統治者となることを切望する。
そして自然と戦って勝利する。
自然に勝つというのは、もっとも偉大な力であるゼウスにとってかわることである。
ゼウスは、人類に対する自然の支配を象徴しているのである。」[37]

シャリアティによるとディドロ、ヴォルテールからフォイエルバッハ、マルクスまでの西洋近代の無神論ヒューマニストは、古代諸宗教までこの古代ギリシャの神秘世界の神・人間関係性と同等視した。
マルクスにとっての神は、現実世界の矛盾の疎外の産物としての神であった。
そしてマルクスは神の批判ではなく、それを生み出す人間社会の変革こそ真の宗教批判につながるとした。
しかし、シャリアティはそのような人間性に敵対するような神々は古代ギリシャの神・人間の関係性の系譜にあるという。

 「彼らは、ゼウスと人間の関係とアフラマズダ、ラーマ、老子の道 、メシア、アッラーと人間の関係とをひとまとめに扱った。
ところが、これらの二組の関係は正反対のものである。

 ギリシャの世界では、プロメテウスは人類に聖なる火を与えた。
彼は最初に火の神が、寝ている時に火を略奪し、こっそりと地上にもってきた。
そのために神々の手でこの罪のために拷問を受けることになった。

 後者の神々の世界では逆である。
たとえば、アッラーと人間との関係を見よう。
もっとも高い地位の天使のイブリースは、神に呪われることになった。
なぜなら他の天使とちがって、神の命令にそむいて彼は人間アダムの足元にかしづくことを拒否したからである。
それどころか、賢明さと解放を意味する聖なる火は、神によって天の光の形態で人間性にもたらされるように預言者に委託された。
この光で暗黒の世界からアダムの子孫を呼び出せるように。」[38]

   さらに別の箇所では「偉大な東洋の宗教においては、人間は神の世界と独自の関係をもっている。
ゾロアスター教では、人類はアフラマズダの仲間である。
その創造の偉大な闘争で、アングラマイニュと彼の主人のたいする善の勝利のために神と人間は同盟すらする。
ヒンズー教などのように存在の統一に基礎をおく神秘的宗教では、神、人類、愛は、ある種の存在の世界の再創造の計画に従事している。
この宗教において人間と神は、我々のスーフィの中に見られるように、あまりに混ざり合っているので本質的に分けることができない。」[39]と述べている。

 このように東洋古代宗教は、神・人間関係は敵対的ではなく、むしろ同盟関係にあったが、西洋思想では、神・人間は敵対的関係にあったがゆえに、西洋における人間の尊厳の追求は無神論ヒューマニズムへと発展することとなった。
だから無神論ヒューマニズムが前提としている神・人間関係を古代宗教に全部あてはめるのは的はずれということになる。
古代ギリシャ神話とちがい、古代東洋宗教の神々は人間性の解放に味方するものであった。
「この場合、ゼウスと反対に、神は自然への奴隷的くびかきからの解放を人間性に望んでいる。
われわれは次のように主張しなければならない。
偉大な宗教の世界観おいては、神は、人間性をゼウスに対する勝利に導き、すべての天使をアダムの足元にひれふせさせ、土地と海を人間に従順なものとする。」[40]

(4)神・人間の敵対的関係を前提として発展した西洋無神論ヒューマニズム

 以上のようにシャリアティによれば西洋思想史の中に登場したディドロからマルクスまでの西洋無神論ヒューマニストは、東洋宗教まで含めてすべての宗教の神・人間関係が敵対的であると誤認した。
西洋思想の源流であるギリシャ的世界観の神と人間との関係の枠組みの中で生きる人間は、人間の尊厳の獲得をめざすさいに必然的に神を否定する世俗的世界観に至らざるをえない。
「このように古代ギリシャの神秘的世界観においては、人間性は、自然の原型(アーキタイプ)による支配に反対して発展した。
だから人間性と有神論(この場合は多神教)の間の敵対性の存在は、当然であり、論理的でなことである。

 ここからギリシャのヒューマニズムは、神の否定と人間と天とのつながりの切断を通じて人類中心的宇宙に到達するための戦った。
人間を真実と偽りの試金石とするために、人間を美の基準として形づくらせるために、人間の力と喜びを高めるために。」[41]

 ヒューマニズムと結合した唯物論的世界観が発展したのは西欧であり、他の地域では見られない。
天に敵対する人間中心主義は、唯物論に向かうと次のように述べる。
「人間中心主義が天に敵対する形をとる限り、それは、地上的になり、唯物論(物質主義)に向かう傾向をもつ。
このように西欧的視座における人間性は、古代ギリシャから今日のヨーロッパまで、唯物論の中にひきいられていった。
そしては、それは百科全書派の自由主義者、西洋ブルジョア文化、またマルクス主義においても同様の運命をたどった。」[42]

 ルネッサンスは中世カソリックの神中心の世界観に抗して、ギリシャ、ローマ文化をモデルとして登場したものであるから一般にはシャリアティの理解と逆になっている。
しかし、シャリアティは、むしろ逆に中世カソリックの教義の神と人間のとの関係はギリシャ型の敵対的な神と人間との関係となっていて、中世キリスト教の教義はギリシャ文化の系譜にあることを指摘する。

 「中世のカソリシズムはキリスト教の神を人間性と不和の関係においた。
それは原罪と人間のパラダイスからの追放というギリシャ風の注釈をして古代ギリシャとローマで得られた天と地の同じ敵対性を保持した。
それは人間を無力な呪われたもの、救いがたく非難されるべき弱い罪人として描く。
中世カソリシズムは、聖職者階級以外の人々にとっての解放の唯一の手段は、神のかわりに地上を統治する公的な制度の聖職者に無条件に従うことにあると主張する。

 この種の思考はヒューマニズムを有神論と戦わせる。
そこでは神の支配の実現への道は、人間性が犠牲にされる祭壇の前に人々を導く。
このように中世では、科学と文化、生活とモラル、美術と美学において人間性には信頼がおかれない。中世のすべての芸術的美的表現は、聖なる精神、救世主、様々の奇跡の超自然的、超人間的な描写となる。
たとい人物の肖像が描かれても、使徒と聖者だけである。それでさえ、彼らは頭から爪先まで長いだぶだぶの僧衣で彼らの顔は覆われている。
または天の光の後光によって曖昧にされている。・・・
道徳は、原罪を償うためにすべての自然の願望の抑圧である。
現世での生活は、来世においての生活を実現するために犠牲にしなければならないのである。」[43]

 このように人間性を抑圧する神と聖職者たちが支配する中世カソリシズムに対して人間中心主義=ヒューマニズムを追求すると必然的に神の排除につながってゆかざるをえないことになる。
中世カソリシズムは人間性を否定するものである。

 「中世のカソリシズムにおいては人間が神に達することは純粋に人間的な特徴を否定することに基づいている。
なんと、このキリスト教の神はギリシャのゼウスと似ていることか。近代のヨーロッパのルネッサンス以後のヒューマニズムについて古代ギリシャのヒューマニズムの継続として語ることができるとすれば、同様にギリシャ神話の天中心主義の継続として中世キリスト教の天中心主義を語ることができる。」[44]

 古代ギリシャで神々に敵対した人間中心主義のヒューマニズムの復活がルネッサンス以後のヨーロッパのヒューマニズムだとすれば、中世カソリックはギリシャ神話の天中心主義の継続であった。
西欧文化は、この古代ギリシャの源泉から流れでたこの二つの流れの中にあるとシャリアティは把握する。
だから西洋の無神論ヒューマニズムの発展の思想史的根拠は、その源流であるギリシャ思想の神・人間の敵対的関係にある。

3、シャリアティのイラスム解釈

 シャリアティは人間の尊厳性と高貴性が諸思想、諸宗教でいかに実現されているかを追求している。
人間の尊厳性と高貴性の追求は、西洋型の神・人間関係では無神論に発展するしかなかったのだが、本来のイラスムでは、人間の尊厳性と高貴性を追求してゆくことは、神の存在と矛盾せず、無神論の方向に進む必要はなかった。
彼によるとイスラムこそ人間性の高貴性と尊厳性を実現した最高のヒューマニズム思想であるする。
では、そのような彼のイスラム解釈とはどのようなものであるのかを見てゆこう。

(1)アダム創造と人間論

・神の精神が吹き込まれている人間の高貴性、尊厳性

 シャリアティは、イスラームは人間を神の無力な創造物と見て人間が高貴な存在であることを否定しているか、それともイスラームは人間を高貴な存在であるとの確信を与えるものかと問題を立て、結論として神に近い高貴な存在であるというイスラーム的ヒューマニズ思想を導ォ出す。

 まず、人間が地上における神の代理人であるというコーランの記述を強調することでイスラームはヨーロッパのヒューマニズム思想以上に人間の尊厳を位置づけると解釈する。
「神は天使に『私は地上に自分の代理人を作りたい』と語りかけた。
イスラームにおいていかに人間の価値が大きいものであるかを見よ。
ルネッサンス以後のヨーロッパのヒューマニズムでさえ、このように人間に対して高い尊厳を与えることは決してできなかった。
神は、すべてのもののなかでもっとも高められた実体で偉大なものであり、アダムの創造主そして宇宙の主人であるが、その神が人間を神の代理者とすると天使に語っている。・・・
人間のもつ第一の優秀性は、地上における神の代理人であるということである。」[45]
さらにシャリアティは、天使が人間にひれふしたという次のコーランの叙述からもイスラームにヒューマニズムを読み取る。
 地上に神の代理を作ろうとする神に対して、天使が『あなたは、流血、罪、憎しみ、復讐に携わるものを創造しようとするのか。』と抗議するが、神は『私はお前の知らない何かを知っている』と答えて、人間創造に着手する。
神は人間の創造を完成した後、彼の代理としての人間が名前の所有者になるようにものの名前を教えた。
天使は『我々は煙のない火から作られた。
人間は土から作られた。
どうして我々より人間を好むのか。』と抗議した。
神は『私はお前の知らない何かを知っている。
二面性をもった私の創造物の足元にひれ伏しなさい』と答えた。
すべての天使は、神の創造物の足もとにひれ伏した。 「これは真のヒューマニズムである。
人間の尊厳と地位がいかに偉大であるかみよ。
実際、すべての天使は、光でつくれており、泥土で作られた人間に対して固有の優越性をっているのだが、人間に対してひれ伏すように命じられてしまう。」[46][47]

このように人間が泥土に神の精神を吹き込まれてできたものだというコーランのアダム創造の象徴的な話からシャリアティは、人間は、矛盾する二面性をもって葛藤し続ける存在であるという彼独自の人間論を引き出してゆく。

 「神は、地上に自分の代理をつくることを望んだ。
神の代理だから人間の材料として神はもっとも神聖な価値あるものを選ぶだろうと予想する。
しかし、神は物質のもっとも低いものを選んだ。
コーランは人間が物質からつくられたことを三つのところで語っている。
一つは『陶工の土のような』(55-14)という表現の箇所である。
それは、乾いた固まった土である。
二つ目は『私は腐敗した土から人間を作った』(15-26)という箇所である。
三つ目は、tin という言葉を使った箇所である。(6-2、23-12)
それも土という意味である。・・・
そしてこの土に神の精神の吸い込こませ、人間を創造した。
土は、人間の言語では、最も低いみじめさ、卑しさなどを象徴する。・・
神は人間の言語においてもっとも高められた聖なる存在であり、精神は、すべの存在のもっとも高い高貴さを象徴する。
人間すなわち神の代理は、この世でもっとも低い物質である悪臭のする泥土から作られた。
神はそれに神の精神を吹き込んだのである。・・・
人間は二つの特質をもった創造物である。
二つの特質の間の距離は土と神の間の距離である。
すべての人間は二重の性質を与えられている。
一つの側面は、土と低位性、停滞と不動性・・・
もう一つの側面は、神聖な精神・・・考えられる最も高い頂点=神、神の精神へに近づくことを欲する。
それにゆえに人間は、土と神の精神という二つの矛盾した要素からなりたっている。・・・
この二つの要素の間の距離は、土と神の精神の間の距離にあたる。
人間の存在の中にある土の方向に下りてゆくか、高められた極に登っていくかは、人間の意思で決まる。
運命の方向として一つの極を選ぶまで、絶え間ない葛藤が人間の内面におこる。」[48]

 以上のようにシャリアティは、土+神の精神=人間という命題を引き出し、その葛藤の中で、どのような生き方を選ぶかは、その人間の意志、決断であるとして、主体的に決断する実存的人間として描き、神決定論と唯物論的下部構造決定論に陥らない人間論を提起する。

 人間の高貴性、尊厳性を追求するシャリアティは、ここで人間(個)主体性を限界まで強調している。
「神の精神」という言葉であらわされる人間の共同性=類的性格は、人間(個)の内部に組み込まれており、人間(個)の主体的決断で神(完全性=全体性=共同性)に向かって進むという構造になっている。
ここでは、神は、人間の進むべき方向性をあらわすものであって、神(全体)が人間(個人)を支配する関係にないことに注意したい。

 ホメイニーと比べてみよう。
彼はイマーム・レザーの聖典の次の箇所を肯定的に引用する。
「いずれにせよ、大衆は不完全な存在であり、不完全なものである以上、完全なものの見本が必要である。・・
もし、神が法と秩序がよく守られるよう監督する者を選ばないならば、さきに説明したように、人々は腐敗してしまうことになるだろう。」[49]

 大衆( =個) の不完全さゆえに、ここでは全体( 神) が個を圧倒して、宗教的全体主義を作り出す根拠が述べられている。
逆に、シャリアティの人間論においては、神( 全体) が人間( 個人) を支配する関係にあるのではなく、人間の側が主体性をもって神に近づく構造になっている。
神に近づくか近づかないかも含めて、あくまでも個としての人間の側に主体性が存在している。

・自由意志をもった存在としての人間の高貴性、尊厳性

 それどころか、シャリアティは、人間( 個) は、自由意思をもった存在であり、この自然界、社会界に存在する規範、法則にある程度まで反して行動できるところに人間の偉大さがあるとする。
ここには全体( =神、規範、法則) に対して個( =人間) の限界までの強調がある。シャリアティは次のように論ずる。
コーランの中で、地上における唯一の神の代理としての人間は、神の信託の保持者である。
信託の保持とは、人間が自由意思を保持していることを表す。
「人間は、彼自身の本質(自然) に対抗して行動できる唯一の存在である。・・・
植物や動物は彼らが創造されたのとは違った方法で行動することは不可能である。
人間だけが創造されたその仕方に反抗できる唯一のものである。
人間は精神的もしくは物質的必要さえ否定できる。
そして善と美の方向の反対に行動できる。
彼は、彼の知性にそって行動できるし、その反対にも行動できる。
彼は善であることも悪でもあることも自由である。
土に似ることも神に似ることも自由である。
意思は、人間の偉大な所有物である。
神と人間の類似性はこの事実から明白である。」[50]

・科学的知識を得て、自らの責任で主体的に生きる存在としての人間の高貴性、尊厳性

 コーランには、神は人間にものの名前を教えたとある。
シャリアティは、神が人間に教えた『名前』の真の意味は、科学的真実のことであるという。
「というのは物事の名前は、象徴的なその定義された概念形態である。
それゆえ、神が人間に名前を教えたということは、世界に固有の科学的真実を受け取り、理解することのできる能力を人間に授与したということである。
神がこの能力を授与したことを通じて、人間は世界に存在するすべての真実に対する接近することが可能となる。」[51]

 科学的真実の知識に接近しえた人間は、意思の自由すなわち神からの信託をもつがゆえにそれだけ自分自身の運命に責任をもつことになる。
「人ヤの社会は、それ自身の運命に責任がある。
そして人間の個々人は自分の運命に責任がある。
『お前のものは、お前が得たものである、彼のものは彼が得たものである。』コーランの2-134 、
過去の文明の運命は彼ら自身がもたらした以上のものでも以下のものでもない。
そしてお前の運命は、お前自身が今形作っているものからなる。
このように人間は、自由の意思をもつがゆえに、神に対して大きな責任をもつ。」[52]

このように人間がものの「名前」を教えられ、科学的真理に接近する力を与えられたことで、天使は人間の前にひれ伏した。
この科学的真理に接近し、その知識にもとづいて自らの責任で主体的に決断して生きることにに人間の高貴性と尊厳性の根拠がある。[53]

(2)道としての宗教

・宗教概念の変革 道としての宗教 導きの方角としての神

 シャリアティは、自らの宗教観の上に立って、諸宗教や西欧思想を批判している。
彼の宗教観は、私たちの常識として考えている宗教概念とは違うゆえに論じておく必要がある。

 すでに述べたように、シャリアティは、人間存在を( 神の精神+腐敗した土=人間) と見る。
もちろん、「腐った泥土」「神の精神」はともに象徴であり、人間が実際に、腐った泥土や神の精神からできているというわけではない。
「腐った泥土」とは、卑しさ、腐敗、全くの受け身を意味し、「神の精神」は、絶対と無限の高揚( シャリアティがより具体的にあげている言葉では、完全な純潔、美、力、創造、知識、愛、慈悲、意思、自由、独立) へのあくなき前進をしようとする精神を表している。
これは人間内部に潜在的に、人間を引き上げる力としてある。
「自然のすべての謎を知った人間は、世界の王者となる。
彼の前では物質的、精神的事物もすべてひざまづく。
天も地も、太陽も月も、神の天使たちさえも。
人間はこのように被創造物であると同時に創造主でもあり、召使いであると同時に主人でもある。
彼は意識的で、決然として賢明で、純粋で、神の信頼を得ており、地上での神の代理であり、天国の永遠の生き物である。
なぜ、どのようにしてそうなのか。
人間は神の精神からなるからである。
これが、人間を絶対と神の方向へ押し上げるテーゼである。」[54]

 しかし、他方、人間を腐敗、死、不動、卑俗、醜さの方に引き落とす「腐った土」すなわち悪魔の極からの力がたえず働く。
人間は、神と悪魔という無限の距離にある二つの対極の引き合う力の中間に位置していて、どちらにも進むことも可能な自由な一個の意思であるからである。
だから、人間の内面で両方の極からの引き合う力で葛藤が生まれ、完全と統合をめざす動きが生ずる。
だから人間=弁証法的存在は、二つの力の戦場であり、常に動きの中にあることを強いられる。

 以上のように人間の内面が二つの力の戦場であり、矛盾を孕んだものとしてとらえた上で、シャリアティは、次のように彼の宗教観を展開する。
「人間は、極限に不道徳的なマイナスから極限に高められたプラスへ進むハイウェイである。・・・
バラモン教の言葉を使えば、人間は道であり、徒歩旅行者であり、徒歩旅行である。
彼は土の自分自身から神性の自分へ不断に移動しつづける。・・・
しかし、神はどこか。
神は無限の中に存在する。・・・
人間は無限の中にある神をめざし高みにむけて休みなく旅し、止まることはできない。・・・
人間は『選択』であり、闘争であり、不断になるものである。
人間は無限の移住である。
土から神への彼自身の中での移住である。
彼自身の魂の中での移民である。」[55]

 シャリアティにとって、この土から神に伸びる道が「宗教」である。
宗教とは、道=手段であって、目的ではない。
神に向かって進む道こそ宗教なのであるという。
「従って、宗教は、土から神に向かう道であり、人間を停滞、無知から精神生活の高みに運ぶ。
もしそうすることに成功すれば、それこそまさに宗教である。」[56]

 このようにシャリアティは、宗教を現世での人生の生き方というより普遍的な内容に解釈した。
「神の精神」(=共同性)の組み込まれた主体的な人間(個)が、腐った土(=私利私欲)を克服して神(=タウヒード=平等で矛盾の克服された状態)をめざす生き方をする。
彼によればそのような人生の道程こそが宗教なのである。

 この観点からシャリアティは、宗教は、道=手段であるべきなのに、ほとんどの宗教が宗教自体を自己目的化していると自らのシーア派まで批判する。
「・・・シーア派を見よ。
彼らの信仰ではイマームは彼らを導く人間である。
しかし、イマームは、彼らにとって、あがめられ、愛される超人間的存在となっている。
それ以外の何者でもない。・・・
もはやあなたがたを正しい目的に導くことができない。・・・
今や祈りの言葉や身ぶりが自己目的化してしまったあげく、我々の祈りの知識が複雑化、技巧化する一方で、祈りの真の効力は減じた。」[57]

 さらに人間の発達ととらわれからの人間性の解放をめざしたはずの宗教が、宗教自体が自己目的化する中で、逆に人間性を支配するものに逆転しているとシャリアティは、諸宗教、思想を批判する。
この点はすでに紹介した。

・神概念の変革 神=民衆

 さらにシャリアティは神はアンナース(民衆)同義語であると神概念まで読み替える。
「王・所有者・貴族階級に対立するのは民衆(アンナース)の階級である。
この二つの諸階級は、歴史を通じて対立し、闘争してきた。
階級社会においては、アッラーはアンナースと同じ位置に立つ。
コーランにおいて社会的問題が語られる時はいつでも、アッラーとアンナースは同義語である。
この二つの言葉は交換可能であり、同じ意味をもっている。
たとえば『お前たち、アッラーに立派な貸付けすれば、必ず倍にして返して下さろう。』(コーラン64-17)ではじまる章句において、神によって表される実際の意味は、民衆アンナースである。
なぜなら神はお前たちから何一つ借りる必要はないのだから。
それゆえ、社会的問題、社会体制にかかわるすべての事柄において、宇宙の秩序といった次元の問題以外、アンナースとアッラーは同義語である。
『統治はアッラーに属す』と言われる時、その意味は、統治は人民に属すということであり、神の代理や息子、神自身、神の近親者を表すのではない。
『財産はアッラーに属す』という時、資本は、民衆全体のものであるということを意味している。・・・
『宗教はアッラーに属す』と言われる時、その意味は、宗教のすべての構造内容が民衆に属することを意味している。
それをはある制度、聖職者、教会として知られるある組織、人々によって独占されるものではない。」[58]

 このようにシャリアティによれば、社会問題については、アッラー(神)=アンナース(民衆)なのである。
彼の提起するイスラームは、「神の精神」(共同性=類的存在性)をもつ人間(個)が、神( =全体) に向かって進むという構造であったのだが、この神(=全体)とはアンナース(民衆=個の連合体)のことであった。人間の高貴性、尊厳性を最高の価値として追求するシャリアティは、民衆を神の位置においた。
神は、象徴的言語として最高の価値として人間の生きるべき方向を指し示すものであったが、ここでは民衆のために生きていく生き方は、シャリアティの言葉では道としての宗教そのものということになる。

 実は、アブラハム系列の預言者たちは、ブッダや孔子やゾロアスターなど直接に、世俗権力と提携をもとめた人々と違って、神=民衆のための世俗権力と闘った人々であった。
「アブラハムの系列の預言者はアブラハムからイスラームの預言者まで、当時の世俗権力に対して反抗する形で彼らの使命を述べた。
アブラハムは彼の斧で偶像を破壊した。
彼はその時代のすべての偶像に反対であることを宣言するために当時の人々の最高権威の偶像に対して彼の斧をふるったのである。
モーゼの使命の最初の具体化は、彼が羊飼いの身なりで手に杖を持ち、ファラオの宮廷に入り、一神教の名でファラオイズムに闘いを宣告した時であった。
同様に、イエスはユダヤの牧師主義の権力に対して、それがローマ帝国主義に結びついているが故に闘った。
そしてイスラームの預言者は彼の使命の最初から、貴族主義、奴隷所有者、クライッシュ族の商人たちと闘った。」[59]

 さらに、彼は、人間と社会の運命に関心を持って世俗権力と闘ったイスラームの宗教の代表的人物としてアリー、ホセイン、アブー・ダールをとりあげ、権力と結んだイブン・シーナー、社会と無関係に神への愛を追求したスーフィのホセイン・B ・マンスールと比較し、イスラームの生み出した最良の代表者たちもまた神と民衆のために抑圧的世俗権力と闘ってきたとした。
神のために闘って生きることは、民衆のために、人間の尊厳のために抑圧的権力と闘って生きることと同義であり、それ自体が宗教行為なのであった。

・制度化された聖職者階級の否定=イスラム聖職者批判

 イラン革命の勝利の前に死んだ(殺された?)シャリアティは、革命が、聖職者支配の路線の勝利で終わったことを知らない。
ホメイニーは「イスラーム政府とは、神の法の政府であり、神の法を研究する学者と神学者の政府である。」[60]゙と言っていたのである。
シャリアティは、以上に述べた宗教観を背景にしているがゆえに、このような制度化された聖職者の存在自体をきびしく否定していた。

 「イスラームは、神と人間の間の公的な仲介者をすべて廃止した。
そしてコーランは・・・制度化された聖職者を呪い、ロバに犬と比較するまでに厳しい言葉で語っている。
イスラームの預言者『人間の手より長いあごひげのものは地獄の火に焼かれるであろう。』と言い、衣服の袖やすそを短くするように命じた。
これらは、あらゆる宗教に存在する制度化された聖職者の概念に対して行ってきた闘争の象徴であり、人々を眠らせ、真実をゆがめる彼ら逸脱者の役割に注意を払ってきたことを示す。
思いおこすべきことはイスラームは聖職者をもっていないことである。
ruhiyanun聖職者という言葉は、最近のキリスト教徒から借りてきた言葉である。
我々は宗教学者をもっている。
彼らは世襲的独占的な権力を保持する制度化された権威を形成しない。
彼らは単に必要の結果としてイスラーム社会にあらわれた専門的な学者であり、制度的な基礎にもとづくものではない。
彼らは、社会における自分たちの影響、存在、力を民衆から、そして社会の構成員の自由な自然な選択から得る。」[61]

 本来、泥土から神へ至る人生の道であり手段であり人間を解放していく宗教が、人々を導いたイマームを崇拝の対象とするような変質をおこし、宗教的儀式や祈りを自己目的化しまう中で、このような制度化された聖職者の支配という逆転現象がおこった。
一般的に、シャリアティは、すべての思想、宗教が、人間性の解放をめざしたものが、人間を抑圧するもの転化するという法則を見いだしている。
人間の高貴性、尊厳性の実現の立場から彼の属するイスラムもそこから例外ではないとして批判をしているのである。

・社会の運命と人間の位置

 神のために闘うことは、民衆のために闘うことと同義であったが、その民衆(アンナース)は、シャリアティにとって決して、受動的な存在ではない。
社会の運命、変化と発展に影響を及ぼす基本的要因はアンナース(民衆)である。
「預言者の使命は・・・神のメーセージの伝達である。・・
・預言者は人々の進歩や退歩になんら責任はない。
なぜなら責任があるのは人々自身であるからである。・・・
人々が真実の道へ進むか、もしくはそれを拒否するか、導かれるか、誤導されるかは自由である。」[62] 
したがって、あくまで、社会変革をなしとげてゆくのは、民衆(アンナース)なのである。

 シャリアティは、歴史的決定主義を信じている唯物論者が人間社会に自然法則と類似の法則が存在を認め、人間の果たす役割を受動的なものとみる点を批判する。

 しかし、シャリアティは、コーランとイスラームにおいてはおのおの社会が固定した基礎をもっているという意味での伝統とコーランで「道路、道」などと表される固定した不変の法則すなわち科学的に表示できる不変の法則をすべての社会はもつと考える。
だからシャリアティは、社会でおきるすべての変化と発展は、固定した伝統と社会生活の不変の法則にもとづいておきると考える。
その上で次のように歴史的決定論との違いを説明する。
「イスラームはこのように歴史と社会における決定主義の理論に接近するように思える。しかし、・・・イスラームにおいては、われわれは、その運命に責任をもつ人間社会(アンナース)をもつとともに、その運命に責任をもつ人間社会を構成する諸個人もまたもっている。
『確かに神は、アンナースが自分自身の状況をかえるまではアンナースの状態を変えない。』(13-11 )という章句は社会的責任の意味をもっている。
逆に『各魂は自分のもたらしたことに責任をもっている』は個人の責任を提起している。
それゆえ、社会も個人も創造主の前に彼らの行為でこたえ、各自が彼自身の手で運命を組み立てる。」[63] 
このように運命に対するアンナースとアンナースを構成する諸個人の責任に言及する。
固定した伝統と社会の不変の法則を認識して、それを変革してゆくのも民衆(アンナース)なのである。[64]

 シャリアティは、民衆の歴史と社会の変革に果たす役割は文明の程度によって変化する述べている。
「アンナース(民衆)が高い教育水準にあるところでは、人物個人、もしくは指導者たちの役割は低い、しかし、文明のレベルが、たとえば氏族、部族である場合には人物個人、もしくは指導者たちはより大きな影響力をもつ。
社会の各々の異なった段階での進歩や退歩において四つの要素(民衆、人物、規範=伝統=法則、偶然)の一つが他の三つよりより影響的であるということはありうる」[65]

 アンナースの教育の高いレベルの社会の段階は、同時に個と全体の関係において、自立した個の共同性としての全体という構造となり、当然、特定の個人の位置は相対的に低くなる。
文明のレベルが低い段階は、全体=共同体があってはじめて存立する個という構造であり、当然、全体を統括する個人の位置、役割が大きくなる。
シャリアティの理論では、ホメイニーのように「ウラマーの役割は永遠」ではなく、社会としてのアンナースが発展したあかつきには誰もが指導者としての役割を果たすところに至る。
ここにも神=民衆(アンナース)と見て、イスラム思想の枠の中で人間の高貴性、尊厳性を追求しているシャリアティを見ることができる。

・小括
 ここでシャリアティの人間創造論=人間性論そして宗教論を再度、要約しておこう。
彼はコーランの記述は象徴的な意味をもつとする。
実際に神が泥から人間をつくったわけではないが、象徴的意味でそれを信じるのである。
神は、地上における神の代理人をつくるために人間を作った。
しかし、人間を作るために材料とした泥は腐敗したもっとも汚い泥土であった。
その泥に神の精神を吹き込むことで人間を作った。
神は人間の言葉の中でもっとも高いもの(真、善、美・・・)を表す。
腐った泥は、人間の言葉の中でもっとも卑しめられたもの(偽、悪、醜・・・)を表す。
人間は、無限に低い極と無限に高い極を合わせ持つ存在である。
その両極からの引き合う力の中に人生を送る。
宗教とは道であり、無限に低い極から無限に高い極に登っていく生き方をする人生の道であるとする。
また神のために生きるとは民衆のために生きることであり、社会の変化・発展の法則を認識してタウヒード社会めざして闘って生きてゆくことは神の地上の代理人としての人間の使命なのである。
またそのような生き方自体が、無限の低い極から無限の高い極に向かう宗教行為であり、人生の道程なのである。
宗教とは崇拝行為ではなく、神の高みに向かって生きてゆくその生き方自体のことなのである。

 宗教が人生を生きる道ではなくなり、特別の聖職者を生み、制度化され、哀願と聖者を拝む行為となる時に、本来人間の束縛や抑圧と闘って、人間を解放と自己完成に導くはずの宗教が、人間の束縛と抑圧に導くものに転化するのだという。
シャリアティは、どの偉大な宗教の創始者たちの思想もこのようなものであったと考える。
それがすべて人間の自由を束縛するものへ歴史的に転化したものだと説く。
シャリアティは、このように特殊な宗教観を前提として宗教を論じているのである。

4、西洋における無神論ヒューマニズムの発展
ブルジョア自由主義、共産主義、実存主義 

(1)神から良心へ 西洋無神論ヒューマニズム

 以上に見たように、シャリアティによれば、イスラムにおいては人間は材料の泥土に神の精神を吹き込まれた存在であり、互いに引き合う無限の低さと無限の高さの中に位置している。
神=天の高みに向かって歩むか、最低の極である泥土に向かって進むかは個人の実存的決断によっている。
その時、神は、神の精神を吹き込まれた人間の進むべき方向性を示しているものであり、神・人間関係は敵対性を持たない。
したがって、人間の尊厳性、高貴性は、神=天の高みに向かって歩む人間の生き方の中に表現されているものであり、人間の尊厳性と高貴性の実現のために神の否定に至る必要はなかった。

 ところが西洋思想史においてはギリシャ神話における神・人間の敵対的関係ゆえに人間性の尊厳の追求(人間主義=ヒューマニズム)は、神に対抗するものとして存在した。
そしてそれはブルジョア自由主義思想の段階で神の否定まで至り、神を良心に取って代えた。
この近代無神論ヒューマニズムは、人間性と道徳的良心への信頼をその思想の根本的な基礎としているとシャリアティは指摘する。

 「18世紀の新ヒューマニズムの著名な知識人は、『道徳の基礎として神を横におき、神を良心にとってかえる』と宣言した。
人間は彼の内側に道徳的良心をもっている存在である。
人間性と道徳的良心に対するこの信頼は、今日の西欧の無神論のヒューマニズムの根本的な基礎をなしている。」[66]

 このように神を良心に代えたこと、すなわち人間の表現の中で最高の極、最高の価値を象徴している神をのかわりに、人間の内側に道徳的良心が存在するという信念をもってきたことが、西洋無神論ヒューマニズムへの転換点であった。

 ところが、神に代わる人間性に内在する道徳的良心という超越的価値への確信は、科学的分析の時代の到来、とりわけ社会学の発達でゆらぎ、そして否定された。
道徳的良心は人間的自然の深みから来るものではなくて、人間の社会環境にもとづいて変化する側面をもつ社会的良心に転化した。
聖なる超越的価値としての道徳観は消えていった。

 しかし、それにもかかわらず西洋ブルジョア自由主義、マルクス主義、実存主義などの無神論ヒューマニズムは、人間性が道徳的美徳、高貴性、超物質的価値をもっているという考えに基礎をおく以外になかったとシャリアティは考える。

 「このヒューマニズムは、人間の道徳的価値を全体として宗教からとっている。
しかし、人間のモラルの宗教的理論的根拠を否定すると同時に、神の信仰なしの道徳的美徳に固執して精神的発展の可能性を主張する。」[67]

  (2)西洋無神論ヒューマニスト=マルクス

 シャリアティは、マルクス主義についても神・人間の敵対的関係性の中から人間の尊厳性を追求してあらわれた西洋無神論ヒューマニズムの伝統を引き継いだものとしてとらえる。
したがって、神に代わる人間性に内在する道徳的良心という超越的価値への確信をマルクスの言葉の中に見いだす。

 「マルクスが人間性に関連して唯物論を論ずる時ですら、彼のトーンは道徳主義者を思い起こさせる。
なぜ唯物論が共産主義の基礎であらねばらないかを説明するところで、彼は唯物論に宗教の分野、ないしは少なくとも道徳哲学の分野の性質を付与する。
彼はマルクス主義者の社会学に理想主義的な特色を与える。
『唯物論が、内在的善良さ、すべての人々の間に知性の平等な才能、経験と習熟のための崇高な能力、そして幸福のための人々の平等の権利を学ぶことなどの観点のために、必ず、共産主義と社会主義と結合することを見るにはそれほどの洞察を必要としない。』」[68]

 マルクスの唯物論的人間観は、すべての人間が内在的善良さ、知性への平等な才能をもつこととする理想主義的なものであった。
さらにシャリアティは、マルクスがプロレタリアートの人間性の尊厳を守るためにキリスト教を攻撃する時に使う言葉は、宗教的道徳のそれであると指摘する。

 「人間性の防衛とプロレタリアートを称揚しながら、キリスト教を攻撃するところで、マルクスはクリスチャンのトーンを装い、宗教的道徳もしくは道徳的理想主義の著作に共通に用いられる言葉を使用している。
『キリスト教は・・・すべての恥ずべき資質を説いている。
労働者はこれらの堕落を受け入れることを拒否して、より大きな勇気、自己尊厳、誇りを持ち、パンよりも独立を熱望する』これはいったいマルクスがプロレタリアートについて語っている言葉だろうか。・・・
 人間の疎外について語る時、マルクスは、他の創造物よりもより高貴な人間性の神聖な本質、超越的で自由な性質を称揚する精神的ヒューマニストである。
『労働者が彼の仕事によりささげればささげるほど、より強く彼によって作られた相いれない世界となり、より彼の個人自身、彼の内的世界においてより貧困となる。
これは宗教についても等しく真実を保つ。
人間性がそれ自身を神にささげればささげるほど、自分自身に属するものは少なくなる』
ここで、マルクスが内的世界と外的世界の区別を受け入れていることが分かる。・・・
彼がここで、『独立した』ヒューマニズム-彼自身の言葉では、神、社会、自然に対して『自己存続している人間的自然』-を守っていると明確に感じとれる。
マルクスが宗教を攻撃する時、人間を精神性においてなおより高いものとして称揚する。
あたかも人間が創造者自体もしくは聖なる存在であるかのように。
ところが、本来、すべての聖なる絶対的な道徳的価値の体現である神は、人間の聖なる超越的本質の反映なのである。」[69]

 シャリアティは、このようにマルクスとエンゲルスが人間について書いたすべての著作で、人間は「高潔な資質」「崇高な永遠の価値」を持っているものとして描いていると言う。
シャリアティによれば、マルクスのヒューマニズム思想は、直接、間接に宗教、神秘主義、道徳的哲学、とりわけ17世紀のヒューマニズムと19世紀初期のドイツの道徳的社会主義に由来していると言う。

 したがってイスラムにおける神の精神を吹き込んだ地上の代理人としての人間の把握同様に、マルクスは人間性に神の精神ならぬ「熱望、自覚、真実、誇り、自由、知識、道徳的美徳」[70]を付与し、人間が本来的にそれらの実現をめざしてやまぬ存在であるとする人間観をもつ無神論ヒューマニストなのである。

 シャリアティによれば、マルクスが無神論ヒューマニストとして事実上、人間が超越的で聖なる資質をもつものとして論じているその人間観は、実は、宗教思想に由来するものだったのである。

 「マルクスが人間の自由の防衛に立ち上がる時、空想的なプラトニストの哲学者、道徳家、着物の人(聖職者のこと)かとと思えるような神秘的トーンを帯びる。・・・
資本主義体制を呪う時、マルクスは、崇高な本質としての人間の真実が、この制度によって汚され、制限されてきて、恥ずべき価値が人間的な価値にとってかわっているという考えに依拠する。」[71]

(3)地上の神から経済の産物へ

 このようにシャリアティによると、マルクスは、事実上、人間が超越的で聖なる資質を持つものであると考えていたのである。
そしてマルクスが人間の「永遠の崇高な価値」として付与した内容としては「自由であること、思考すること、選択する力があること、自然と歴史と社会において物質的原因を越える『独立した原因』であること、そして正直であり、勇気があり、創造性があり、信念に対する自己犠牲的用意があり、博愛の精神があり、他人に対する責任感があること」[72]を列挙している。

 しかし、このような地上の神とも言うべき精神をもった人間は、マルクスの弁証法的唯物論によって経済の産物に転化してしまう。

 「しかし、哲学者マルクスが沈黙するやいなや、彼のなしとげたすべてをもとに戻す。
彼は神の王座に座っていたこの存在をとりあげ、そして地面になげつける。
神そして自分をつくった力強い創造者は、あるいは自然を彼の自己意識、支配する意思に順応させるように転換させた力強い創造者は、突然、彼自身の経済的道具、弁証法的唯物論の不可避の産物によって作られたものに転化する。
この道具は商品と人間という二つのものをつくる。・・・
社会学者のマルクスは、哲学者マルクスの『人間が神になる』性質を『人間が商品になる』ことに転換した。」[73]

 マルクスの理論である弁証法的唯物論において地上の神としての人間性が、経済と歴史の産物としての人間性に転化した。
マルクスの理論において人間性は永遠の価値を持つ側面を失い、歴史と経済の産物として可変的なものに転換する。
人間についての永遠の価値規準から社会制度の不合理を論難していたマルクスが、弁証法的唯物論による可変的なものとしての人間性を把握している矛盾をシャリアティは指摘する。

 すなわち、イデオロギー的、文化的、道徳的価値が経済的下部構造に照応する上部構造に属するものであり、人間が使う生産用具が生産様式を決定しているのなら「人間性は、上部構造と労働形態の産物であるこれらのイデオロギー的、文化的、道徳的価値の集合的以上の何かなのか。」[74]と哲学者マルクスにとって不変的であるはずの人間性が労働用具の発展にもとづく経済的下部構造に規定される歴史的産物としての可変的なものに転化してしまう矛盾を指摘している。

 さらにマルクスの「経済学批判」の序言を引用しながら、次のように指摘する。

 「もっとも驚くべきことに、経済学においてマルクスは資本主義、搾取、階級矛盾、私的、社会的所有を哲学者マルクスとまったく異なったふうに提出する。
経済学者マルクスの観点では、資本主義は、非人間的であると呪われる状況にはないが、今日、存在が不可能になっているにすぎない。」[75]

 すなわちある生産関係は、その内部で生産力が成熟して、生産関係の変更の必要性が高まるまでは、それがいかに非人間的であっても、生産力の性格に照応する限り存在の合理的根拠を持っているのである。
したがって、マルクス、エンゲルスが、資本主義の基本的矛盾であるとした私的所有と生産力の社会的性格の間の矛盾の理論などについて、次のように批判する。

 「人間の歴史、社会、生活、文化、思想、理想をこのように分析した上で、資本主義の秩序は人間性の道徳的腐敗に導くということは何を意味するのか。・・・
マルクスが社会と歴史をこのように・・に分析するかぎり、彼の言葉が手工業と農業の時代において真実と抑圧と正義、自由、奴隷について語るとき、空疎以外のどのようなものでありうるだろうか。」[76]

 ある生産力に照応しているがゆえに生産関係が正当な合理的な存在根拠を持つとするならば、正義のために闘うすべての人々(救世主、リーダー、そして奴隷制、封建制、搾取、私的所有の抑圧体制、迷信、停滞的宗教に対して、闘っている大衆)は、本質的に虚しく闘っているということになるとシャリアティは主張する。
古代や中世の人間が、もし科学的社会主義を理解していたら、その生産関係が、その内部で運動する社会的生産諸力に照応しているかぎり、それが非人間的であっても経済的下部構造に合致しているので受け入れざるをえないことになる。

 「彼らは(労働を集団化させるであろう)約束されたメシア=機械の出現を根気強く待たなければならない。
弁証法的な奇跡を通じて、宗教によって約束された天国は、工業的資本主義社会の内部に実現されるだろう。そして人間は満足した神としてそこで生活するだろう。」[77]

 科学的社会主義の理論は、機械制大工業の発展の中に労働者階級解放の条件を発見するものであるから、真の人間解放のためにはメシアすなわち機械制大工業という生産様式の出現を待たねばならないという理論構造になっている点をシャリアティは指摘している。

(4)人間の尊厳の論理的基礎を持たない西洋無神論ヒューマニズム

 なぜ、マルクス主義が人間に対する一連の神聖な価値を認め、またすぐに人間から取り払わねばならなかったか。
それはマルクスが人間性に属するものと考える道徳的価値と人間の性質の高貴性が、論理的で科学的な基礎を持たないからであるとシャリアティは次のように考える。

 「マルクスとエンゲルスは、人間性を把握するにあたって物質的客体あるいは自然的存在として見る機械的唯物論に求めず、自分自身の努力よって、矛盾と対立を通じて『生成』の過程における現実としてみるヘーゲル弁証法に求めた。
もし、ヘーゲルの弁証法なら自然と物質に関して、人間は最初の原因でありうる高貴な要素をもっていた。
しかし、マルスはヘーゲル弁証法を『ひっくりかえし』、思想に対して物質に優先性をあたえて唯物弁証法とした。
『頭で歩いているヘーゲルの人間をその二本の足で歩かせることを可能にした』とマルクスは考えているが、あるムスリムの作家が述べたように『人間は本当は、彼の頭で歩いている存在ではないのか。』」

 このように弁証法的唯物論は唯物論であるがゆえに結局は人間の道徳的価値や人間の尊厳性、高貴性の科学的、論理的根拠を示すことができないとシャリアティは考える。

 さらにマルクスが、古代ギリシャの哲学者のヘラクレイトスの「万物は流転する」を彼の弁証法的唯物論に援用していることに対して、次のように批判する。
「ギリシャの哲学は、すべてを生成過程においててとらえるけれども、明確に二つの普遍の原理を提示している。
崇高な実体、それを彼は『火』とよぶ。
そして普遍の論理的秩序をそれをかれはロゴスとよんだ。・・・
これらにおいて二つの不変の原理はどれにも存在する。
一つは、完全にむかう宇宙の動き、他は、宇宙を支配する聖なる本質、永遠の精神。

 けれども、マルクスは、この二つの原則の存在を否定しながら、そしてただ矛盾にもとづく絶対的転変性のみをうけいれた。
したがってヒューマニズムもしくは永遠の人間的道徳的価値にかわる地位を維持することはできない。」[78]

 マルクスは人間の尊厳を追求し、道徳的価値が付与されている人間性の把握をしていたが、存在の唯一の原則が変化というマルクスの弁証法によって道徳的価値も所与の生産体制に従って生成消滅する物質的属性としてマルクス主義者の論ずる文脈に現れることになってしまう。
そこには原理はあらわれない。
神の高みに向かって生きてゆこうとする不変の人間性を論理的に根拠づけることができないとシャリアティは考える。

 「マルクスは善は人間の生まれつきのものであるといっている。
しかし、第一に何が物質的宇宙の善なのか。
そして第二に、すべてが生成過程にあるこの流れにおいて、不変の性質を語ることはまったく反弁証法的である。・・・
イスラムは、生成と衰退の軌跡としてすべての事柄をかたるけれども(自然の科学的経験にもとづいて)、不変と生成の存在の側面があることを信じている。
どのようなものがそれと並んでいようとも、宇宙に永遠にとどまりつづけるように。『神の方向に導かれていくもの以外は、すべて死ぬ』コーラン28-88」[79]

 ただし、「物質的世界の何が善か」という規準についてマルクス主義においては、生産(タウリード)と社会の発展にそって生きるという物質的規準が与えられている。
しかし、この物質的縛りを失った実存主義においては、その善悪の規準が最大の問題点となる。

  (5)実存主義と善と悪

 カソリシズムの神・人間の敵対的関係の中から西洋無神論ヒューマニズムが成立した。
それは、人間の尊厳性を追求していく中でブルジョア自由主義、マルクス主義へと展開してきた。
第二次世界大戦後、西洋では宗教から切り離された世代が、資本主義に不満をもち、共産主義の現実に幻滅した世代が、実存主義にひきつけられた。
その中心のサルトルについてシャリアティは言及する。

 「人間を経済的動物として再構成する資本主義。
人間を組織された事物の客体としてみるマルクス主義。
見えない傲慢な力(神の意志)の無意識の人形として人間をみるカソリシズム。
人間を生産手段による決定論的な無意識の人形として見る弁証法的唯物論。
これらと比較して、実存主義は人間を神の性質を持つものとみなした。
それは人間に崇拝の目をむけた。

 『この世のすべての存在は、人間をのぞいて、その本質が決定されたあとで、その実存を実現する。
人間は彼の実存にしたがって彼の本質をつくる』
木やしゃべるオウムはその実存に先行するだろうことは明白である。
しかし、人間は、最初は『彼が何になるのか、彼が彼自身を何に作るのか、何を彼の本質のために選ぶのか』について不明確な実体である。
人間は、それゆえ、神の創造物ではないし、生産手段に依存するものもない。」[80]

 このような、人間の意志と決断に基づく選択で自分の本質を形作っていくという実存主義が人間に与えた人間の優位性にシャリアティは共鳴する。

 ところが、シャリアティによればサルトルの実存主義の第一の問題は、選択の決断の際の基準をどこにおくのかということである。
人間が自由意志をもって選択しつつ、自らの本質を形成してゆくとするならば、自由に選択するときの価値基準をどうおくかという問題がおきてくるのである。
ここで神と悪魔、善と悪の基準をどのように設定するかが実存主義に問われることになると考える。

 「人間は彼自身を彼の行為でつくる。
 何が『彼自身の行為』で意味されるか。
 一言で選択である。
 何が『選択』によって意味されるか。
 人間の自由意志
   ・・・
 この点で、われわれは、神と悪魔(道徳)の同じ古い問題がおきているのをみる。
もちろんは、サルトルは十分その問題に気づいていた。
そして述べている。
なにが善で何が悪か。
 弁証法的唯物論はこの問題に答える必要がない。
神学、唯物論者などの決定論はそうする必要がないからだ。
人間の自由選択という事実においてのみ、何を選んだか、なぜ選んだかという責任の論点が浮かび上がってくる。

 サルトルは、人間の選択の問題・・・それによって神と悪魔を区別するいくつかのルールを提供せざるをえなかった。
すなわち彼は、人間諸個人が実行にうつす選択のために基準を明記せざるをえなかった。」[81]

 そこでサルトル実存主義の第二の問題がでてくる。
何に対して選択の責任があるのか。
サルトルの人間は、神、自然、決定論的歴史、環境の法則から自由になった人間である。
この人間は、疑似神で自由意志の所有者である。
この人間が自由意志を実行に移した時、責任が生ずる。
しかし、何に対しての責任なのか。

 善悪の規準、選択の責任というこの二つの問題に対するサルトルの回答は不十分であるとシャリアティは考える。

 「サルトルは善の規準として『良き意志』の原則をおいた。
『もし、選択の過程において、個人がこの選択は一般的に適応されるべきであると感じ、他の人によっても模倣されるべきだと感じたら、その選択は善を具現している。
もし、このように行動したら、他の人は彼に従うべきでないと感じたら、その行為は悪である』

 そこで、善と悪の基準は、最初は、個人的感情で、次に、集団的な理想としての事柄である。
マルクス主義者と同盟した唯物論者がこのような個人主義的な主観的説明を人間行動に与えるとはなんと奇妙なことか。

 サルトルは彼の実存主義者としてのモラルがそんなに弱く、このような不幸な結論に行き着くことに気づかなかった。
『他に道がない』というのが彼の答えだった。」[82]

 シャリアティは、サルトルが唯物論的宇宙観に立っているかぎりこの課題は解決できないのだと考えている。
「われわれが唯物論的宇宙の仮定から出発する時、人間の自由と尊厳を高めることを望むものはだれでも、不可避的に人間を見えない、無意識の唯物論的決定論に人間を地下牢に引き戻す。・・・
 サルトルは、彼の世界観として弁証法的唯物論を受け入れた。
そして他方、人間の選択の自由を宣言した。、・・
彼は、選択のための基準を個人的な『良い感覚』以外に提起することができなかった。」[83]

 シャリアティはサルトルの思想も他の思想と同じように人間を抑圧する悪魔へと歴史的逆転を遂げる可能性を指摘する。

 「・・・自由の意志は、その意味と価値とゴールと真実を創造なければならない。
けれども、実存主義は、意志と自由というスポーツカーを個人にあたえる。
同時に彼の耳にささやく。
『行くべきところはないが、あなたの好きなところに行け。
あなたの選んだどの方向へでも進みなさい。
それはあなたの個人の選択だ。』

 人間を神の如くその望むように行為できる自由意志にしたならば、そこにはどのように行為すべきかという問題に答える必要が出てくる。
『あなたの選んだどの方向へでも進みなさい』と答えることは、破壊的な危険なサイクルを作ることになる。

 サルトルはしばしば、ドフトエフスキーのよく知られた言葉を繰り返した。
『もし、宇宙から神を消したら、すべての行為が、個人に許される。』

 すべての客観的な道徳的基準と人間の精神的価値が、剥落した時、サルトルの実存主義は、世界と社会において人間の意志の自由と独立を宣言することよって、神のかわりに悪魔をもたらすことが可能である。」[84]

 以上のようにシャリアティの実存主義批判の論点は、人間が行為を選択するさいの価値規準、判断基準が説得力ある仕方で提起されていない点である。
実存主義によって与えられる人間性の自由と独立性は、悪魔の方向をも向きうるものであった。

(6)善悪の規準と実存主義とマルクス主義

 再度、マルクスにもどって善と悪の規準の問題についてシャリアティによるサルトルとの比較を見てみよう。

 「サルトルの言い方をすれば、あなたが自由に選択したもの、よき意図をもって選んだものはどんなものでも、価値と善を形成する。
(それは悪にも奉仕するだろうけれども)
ところが、マルクスは単に一人の哲学的唯物論者であるばかりではなくて、当時のプロレタリアートの政治指導者となり、『行動の段階』における党の設立者であり、社会的イデオローグであり、特定の綱領の宣伝者である。
サルトルの言い方に対して、マルクスは次の言う。
『これはあなたが選ぶべきことである』
そして、さらに『あなたはそれらに責任がある。
そして、これらの責任に直面して、あなたはこれらの特定の理想の実現のために闘い、献身しなければならない』
すなわち『あなたはすべてのあなたの物質的動機、経済的必要、自然の必要性、個人的利益、そしてあなたの命すら、この闘争のために提供すべきだ』と言うのである。
それゆえ、そこには疑いなくマルクスは一連の価値(個人的利害からみて不利益な人間の物質的存在をこえた価値)について語っているのである。
このようにマルクス・・・は思考の基礎を道徳的価値においている。」[85]

 このようにマルクスは西欧無神論ヒューマニズムの思想的潮流にあって人間の尊厳に至高の価値をおき、資本主義社会を批判し、その矛盾の克服し、理想の実現していくために選ぶべき道=道徳を提起する。
サルトルの「良き意図」にもとづく選択は善とすることに対して、マルクスは、人間の尊厳(ヒューマニズム)を道徳的価値の規準にしていて、そこから「すべきこと」を導きだす。

 このようにシャリアティによると、マルクス自身は道徳的価値に敏感な人間であった。
マルクスが自分の思想の体系を語る時には人間の尊厳を論理的に組み込むことのできない唯物論の構造をとり、マルクスの人間観は理論上は、人間の道徳的価値の確実性を信じていないとしている。

 私見を述べておこう。マルクスの理論構造は、人間の意識から独立した自然法則に類似した社会的歴史的法則の存在を認める。
しかし、それは自然法則と異なり、最終的には人間の主観的意識が歴史を変革するというものである。
たとえば、資本主義社会で生み出される労働者階級が疎外に苦しみ、団結して社会主義社会を生み出すという論理構造だけ考えても、資本の分裂攻撃に打ち勝ち、人間としての自分たちの尊厳を守り抜く労働者の登場を必然と考えているわけで、そこにはシャリアティが神の精神と呼ぶところの人間の道徳的価値の確実性を信じているマルクスが、その理論体系の中にも存在することになる。

(7)西洋無神論者マルクスの宗教批判の批判

 シャリアティのマルクスの宗教観の批判の第一の点は、マルクスがギリシャの宗教における神と人間との関係が、東洋のそれと全く反対であることに気づかず、神・人間関係の敵対性を、すべての宗教に一般化した点である。
「マルクスは、プロメテウスの信念とプロメテウス的社会をヒューマニステックに取り出した。
そしてサン・シモンやプルードンから影響されたのであるが、彼らがそうしたように、この例におけるギリシャ神話の宗教的枠組みを継承した。
ギリシャの宗教における神と人間との関係を、偉大な東洋の宗教はそれとはまったく反対だということに気づかず、すべての宗教について一般化した。」[86]

 第二の批判点は、マルクスが宗教の存在根拠として「理解できない世界が存在するがゆえに神が存在する」と不合理さを神の存在の根拠として把握していることである。
これは神の存在の証拠を異常な出来事や非科学的なものに見る大衆的な宗教の論拠である。

 しかし、コーランは全くその逆のしかたで説いていると言う。
「コーランは、『この世をむだなものと思うな』と問うことによって厳しく唯物論者を批判している。
その答えとして『我々は、天も地も、そしてその間にも、無駄なものは作っていない』と述べている。
さらに神は、世界の出来事を原因なしで動かしているわけではない。
全てのものは神のスンナ(ならわし)に基づいている。
「神のスンナは決して変化しないであろう」・・・
コーランに示されている神の存在の最も重要な証拠は、自然の中の合理的秩序と知性の存在である。
この点においてマルクスが、いかにライバル学派のもっとも俗化した見解をとりあげたがわかる。」[87]

 第三の批判点は、マルクスは、来世をこの世の苦痛にとってかわるものと描く宗教思想家の俗化した間違った観念にもとづいて「宗教は民衆のアヘン」など述べている点についてである。
シャリアティは本来の宗教では、来世はこの世の論理的な継続であるとみなしており、理性を越えたものや科学と相反するものはなにもないと述べる。

 「天国と地獄はあの世の高いところと低いところであるが、おのおのが社会に対して行ったそれぞれの奉仕と害を反映している。
天国と地獄は、この世の道徳の中で成長し、人間の道を選んでいるか、または自分の本性を腐らせ、その腐敗を広げる道を選んでいるかしている個人と集団の物質的、世俗的生活の最後の結果を構成している。
宇宙の働きを『不可解な』『理性を越えたもの』あるいは非科学的なものとさえ理解することはこうした反映やこの継続を見失うことになる」[88].

 したがって本来の宗教の来世は、現世での「涙の海」での苦しみに麻痺させる「民衆のアヘン」ではないのである。

 第四に、シャリアティは、マルクスと同じく古代や中世において聖職者が支配階級と結び、宗教が社会的不正義を正当化するイデオロギーとなったことを認める。
しかし、マルクスの批判は、宗教の教典や信仰についての議論ではなく、聖職者の歴史的社会的役割についての批判であるとし、本来の宗教は決してそのようなものではないとする。
「2千年前にパレスチナの救世主であったイエスの役割を、中世のキリスト教の聖職者によってはたされた役割で見るのは、まったく無知を示すものである。
そしてローマ帝国の領土拡張にたいして闘った無数のキリスト教徒がいるのである。
マルクスは、カリフの不人気でイスラムを非難攻撃する。
しかし、カリフによって虐殺されたものたちの第一は、イスラム教の中で育った人々ではないか。」[89].

 すなわち本来の宗教者は、不正義の社会秩序と闘った側に存在すると考えるのである。
それは、マルクスが、一度もユダヤ教、プロテスタント、そしてイスラム教の最も基本的な教義の一つである「神が人間に自由意思を与えたこと、すなわち人間が地上において闘い、自分自身の解放を追求してゆくものである」という教義を聞いたことがなかったからであろうと考える。

 第五の批判点は、マルクスが「人間の天命は実在しない」と考えていることに対してである。
神を否定した結果、サルトルの実存もヘーゲル弁証法を逆転したマルクスも人間の生きることに意味と知性を与えることができなくなった点である。
プロレタリアートの使命は説けても、共産主義を越えたところで人間の天命がどこに至るべきかを示すことができないと批判する。

 そしてマルクスは、宗教を批判して、プロレタリアートの使命を述べる時、事実上、宗教者の言葉でその使命を説いているのだと言う。

 「『キリスト教の社会原理は、古代奴隷制を合理的なものとし、中世の農奴制を是認し、必要が生ずるとプロレタリアートの抑圧を支持する。
・・キリスト教の社会原理は、支配する階級と支配される階級の存在の必要性を説くのである。・・
キリスト教の社会原理は不名誉、卑しさ、卑屈さ、奴隷根性、卑下、・・・
プロレタリアートは、この堕落を受け入れることを拒み、パンよりも勇気、自尊、誇り、そして独立の願望を持つべきである。
キリスト教の社会原理は偽善的であるが、プロレタリアートは革命的である。』(1847年のライン新聞)
 これ書いたのは、道徳を経済的下部構造から生ずると考えたマルクスなのだろうか。・・
これは救世主と法王を同一視するマルクスなのである。

 ここでマルクスは宗教のような口調を帯びている。
『・・不名誉、卑劣さ、下賤さ、卑屈さ、卑下、・・プロレタリアートは、この堕落を受け入れることを拒み、パンよりも勇気、自尊心、誇り、独立心を持つべきである。』・・・
驚くべきことは、宗教が守ってきた道徳的価値や精神的美徳には、神聖なものは何もなくて、特定の経済制度と生産基盤から生ずる変わりやすいものとみなしているマルクスによって宣言されている。
いったいどのようにして彼はこうした精神的価値をここでパンより重きをおくのだろうか。
貴族やブルジョアのためではなく、道徳的理想主義の立場からでもなく、プロレタリアートのためなのである。・・
パンよりも精神的価値の方が高い。
それは、宗教を攻撃するさいに宗教の武器を借りていることではないのか。」[90].

 シャリアティによれば本来の宗教は、決して西洋無神論ヒューマニストとその代表者の一人マルクスが考えたようなものではなかった。
宗教は、偶像を崇拝したり、哀願したり、儀式を営んだり、迷信を信じたりする行為ではなかった。
また支配階級と結んでその支配を正当化する役割を果たすため生まれてきたものでもなかった。
むしろ人間を抑圧ととらわれから解放して、人間の尊厳性、高貴性を取り戻そうとして生まれたものであった。
とりわけタウヒード(一神教)の宗教の預言者たちは、そのために世俗権力と闘ったのであった。

 人間は、神という極限の高さと泥土という極限の低さの引き合う場に人生を過ごす。
宗教行為とは、その低い極から神の高さの極に向かって歩む人生の道程であった。
したがってシャリアティの論理を延長するとマルクスも人間の神性(=理性)を信じ、労働者階級の覚醒と解放をめざし無限の高みに向かって人生を歩んだ無神論の宗教者?ということになる。
そして他の宗教や思想と同様にマルクスの思想も本来の精神から離れて「解放の希望を与えることによって人々を落とし穴に導く・・・歴史的逆転」をおこし、ソ連などでは官僚による人民支配の体制のイデオロギーとして利用されたということになる。[91]

まとめ

 以上、シャリアティ思想について研究書がこれまでに言及していない側面に光をあててみた。
シャリアティの根本的なテーマのひとつは、諸思想を人間が第一義的な優越した存在としてとらえられているか、人間の高貴性、尊厳性が論理的根拠を与えられているかどうかの視点で評価することであった。
彼は人間の尊厳性、高貴性を追求した思想、宗教をヒューマニズム思想と呼ぶ。
したがってシャリアティはヒューマニズムの用語を一般的に言うヒューマニズムの概念よりも広い意味で使用している。
シャリアティが、このヒューマニズムの立場から諸思想、諸宗教をよりラディカルに問題として取り組んでいこうとしている姿勢を示すことができたと考える。

 イスラム教徒としてのシャリアティが論じた文明論的な神・人間の関係性についての理論が正しいとするならば、次のような仮説が可能である。

 西欧のもう一つの思想的源流としてギリシャ・ローマ文化がある。
ギリシャ神話における神の世界と人間の世界との関係は、プロメテウスの話に見るように不和、敵対関係にあった。

 ところが他の文明圏の神世界と人間世界は、不和、敵対関係を前提としたものではなかった。
たとえばゾロアスター教では善神と人間が連合して悪神と闘うし、モーゼの神はユダヤの民のエジプトからの解放を助ける。
そういう意味では、神世界と人間世界が対抗的に舞台設定をしているギリシャ神話は、特殊である。
もちろんキリスト教においても「天は悪い人の上にも良い人の上にも太陽を昇らせる」神で、神世界と人間世界が対抗関係にはない。

 支配のイデオロギーと化していた中世カソリックにおいては、神と人間との関係にギリシャ的な神世界と人間世界との対抗関係の構造が入り込む。
そこでは神世界が極限まで広がり、人間性が貶められる。
中世カソリックはギリシャ的神・人間の関係性の系譜上にあった。
 人間が第一義的存在となるように人間の尊厳の拡大を追求する西ヨーロッパでの動きが、ルネッサンスだった。
ルネッサンスは、もちろん宗教の形をもってであるが、人間に関心を向けていった。
しかし、ギリシャ的神・人間の対抗的関係の構造の中で、人間中心世界の拡大、ヒューマズム=人間の尊厳の拡大をはかろうとする動きは、徐々に無神論に近づいてゆく。
フランス革命は、王権がカソリックに依拠したことに対して無神論で闘った。

 すなわち神中心世界に対する人間中心世界の対抗構造の中からその行き着く先として最終的にヒューマニズムが無神論と結合するのである。
その道程において宗教的枠内で、神中心世界に対して人間への関心を深め、人間の尊厳を拡大する努力の中に登場したのが、天賦人権論であった。

 全体として神・人間対抗構造の中からの人間の尊厳の追求は、最終的に唯物論につきすすんでゆく。
ブルジョア自由主義、そしてマルクス主義は、人間世界を抑圧する神世界に対して人間の尊厳を追求する中で、神世界をはらいのけた世界観を確立していった。

 キリスト教におけるカエサルのものはカエサルにという政教分離の質は、ルネッサンス・宗教改革を経ることにより神世界に対して人間世界の拡充をめざすヒューマズムの潮流にとって有利な環境となったと考えられる。

 すなわち、科学的社会主義を例にとると創始者マルクス、エンゲルスは、このような神世界に対抗するヒューマニズムの流れの中に身をおいて神からの解放ではなく、神を生み出す地上の矛盾、疎外=資本の支配からの人間の解放をめざした。
神世界と対抗して人間の尊厳を拡大しようとするヒューマニズムと一体不可分なものとして彼の弁証法的唯物論と科学的社会主義は生まれた。

 ロシアで革命がおこり、社会主義者が権力を握った。
レーニンは、人間の尊厳をめざすヒューマニズムと密接不可分であるものとして把握していたから、ロシア革命後のマルクス主義の理論が現実とあわず、現実の人間を抑圧する側面をもってきたら、理論の方をかえようと努力した。
それまでの人類史にないことを追求するのであるからそういう姿勢が必要であった。

 スターリンは、社会主義理論がヒューマニズム(人間の尊厳)の追求の中で成立したものであるのに、実際の政策決定にあたってまったくヒューマニズムの側面を切り捨てた。
スターリン個人とそのもとで理論の側面(イデオロギー)とそれに導かれた党官僚がソ連の現実を支配するようになった。

 ロシアはギリシャ正教の世界であった。
それは神=皇帝-聖職者-人間の中世カソリックと類似のまたそれ以上に東洋的な聖職者の最高位の皇帝としての神・人間構造の文化圏で、神世界に対してして人間の尊厳をもとめたヒューマニズムの発展の伝統のない(もちろん一部の知識人には運動があったが)文化圏であった。
そのようなロシア世界の土壌の上に唯物論が挿し木されて、マルクスがめざしたものとまったく異なるツアーリ政治の裏返しの世界が生まれた。

 ソ連以外の地域でも似た問題が生じた。
社会主義国家建設にあたってソ連モデルとソ連理論から学んだこととその地域の文化風土との接点の中で、一層もともとの西欧の文化伝統から生まれた無神論ヒューマニズムとしての社会主義思想の面が切断されていった。
北朝鮮に至っては王朝に近いものに転化している。

 キリスト教が「カエサルものはカエサルへ」という政教分離の可能性の質をもっていたことが、キリスト教世界の世俗化を可能にした。
そしてギリシャ思想の神・人間対抗構造が、ヒューマニズムの発展を無神論に導いた。
世俗化したキリスト教文明と無神論ヒューマニズム思想、これが西欧の世界支配の経過を通じて、世界中の知識人に広がった。
しかし、西欧以外の文明圏においては、たとえば、仏教などにあるように人間が成仏するのであり、神の世界と人間の世界は決して対抗関係にあるものではなかった。
そこでは人間の尊厳という思想は、神の世界との対抗関係で発展する必然性をもたなかった。
それが、西欧以外の地域で唯物論思想が発展をとげてない理由であった。
東洋では人間の尊厳ととらわれからの解放をもとめる動きがより宗教に吸収されやすい風土があった。
無神論ヒューマニズムの立場からは、この地でどう西欧ヒューマニズムの系譜をひきつつ土着化していくかが問われているということになる。

 以上は、西洋無神論ヒューマニズムの潮流の後継者の立場に立ってアリー・シャリアティの論を読み込んだ時に出てきたものである。
シャリアティの文明論的な神・人間関係の説の真偽がこの仮説の正否を決する。

巻末注

[1]. John L. Esposito , John L. Esposito , Foreword Of Dr. Ali Shari'ati, What Is To Be Done; Huston Texas, 1987, The Institute For Reserch And Islamic Studies,
[2].、シャリアティの略伝について
 アリー・シャリアティは、1933年にイランのマシャッド(Mashad)近郊に生まれ、そこで初等、中等教育を終えた。1940年代に「 神を崇拝する社会主義者の運動(the Movement of God-Worshiping Socialist)」と「イスラムの真実の宣伝センター(the Center for Propagation of Islamic Truth)」(彼の父のムハンマド・タキー・シャリアティ(Muhammad Taqi Shari'ati)=高校教師で、学者でイスラム研究者、によって創立されたもの)に加わった。そしてモサデクの石油国有化運動にも積極的に関わり、マシャッドにイスラム学生同盟(the Islamic Student Association)を結成した。その政治活動のためテヘランに投獄された。その後、マシャッド大学に入学し、その時期、結婚をした。
 奨学金を得る資格を得て、1959年にパリのソルボンヌ大学に留学した。その時期、アルジェリアの民族解放運動を支援への支援活動をおこなった。ソルボンヌで社会学の博士号を取得した。
1964年にイランに帰国した。その時、国境で逮捕され、六ヶ月間投獄されている。マシャッドの高校と農業大学で短期間教鞭をとった。その後、テヘランにゆき、ホセイニーエ・エルシャド( Husaymiah Irshaad)(イラン自由運動の会館)の設立のためにテヘランへ行く。そしてマシャッド大学に教職を得て、イスラムの歴史を教えたが、彼の思想傾向のために解雇された。1969年からホセイニーエ・エルシャドで講義した。
1972年にホセイニーエ・エルシャドが閉鎖され、彼は逮捕される。1975年にペルシャとアルジェリアの知識人の国際的なシャリアティ釈放運動がおこり、獄から出された。彼はSAVAKによる家庭監禁下に彼はおかれた。1977年、カーターの人権外交の反映もあり、イランからの出国が許され、ロンドンに行った。直後、ロンドンで死去した。死因は不明である。1977年にシリアのダマスカスに埋葬された。
[3].Ervand Abrhamian,Iran between two revolutions,Princeton:Princeton University Press,1982,PP.467.
[4].加納伍郎『イスラームの挑戦』講談社、1982年、177ページ
[5].小林達夫「世界観闘争のアリーナの変容」『アジア・アフリカ研究』312号、25ページ 
[6].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.467.
[7].John L. Esposito,Op.cit.,p.・.
[8].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.465.
[9].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.471.
[10].加納、前掲書、179ページ 
[11].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.465.
[12]. M. Reza Ghods, Iran in the Twentieth Century, Lynne Rienner Publishers, Boulder, 1989,p.195.
[13]. Mohsen M. Milani, The Making Of Lran's Islamic Revolution From Monarchy To Islamic Republic, Boulder And London; Westview Press, 1988,pp.145-146.
[14].ibid.,p.146.
[15].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.471.
[16].Mohsen Mirani,Op.cit.,p.145. 
[17]. M. Reza Ghods, Op.cit.,p.195.
[18]. タウヒードとは、シャリアティが自己の世界観の根幹に据えている概念で、彼自身の文章からもう少しこの部分を補っておきたい。
 「私の世界観は、タウヒードからなる。
唯一の神という意味でのタウヒードは、もちろんすべての一神教信者によって受け入れられている。
しかし、私が学説の中で意図する意味での世界観としてのタウヒードは、全世界を一体としてとらえるもので、決してそれを現世と来世、自然と超自然、物質と意味、精神と肉体といったように分けて考えるものではない。
全存在を、意思、知性、感情、目的をもった一形体、一生命、一有機体と考える。・・・
イスラームも、タウヒードをこの意味で使っていると私は確信している。・・・
タウヒードは、存在全一致、三位(神、自然、人間)一体を主張する独特の世界観に立っている。
すべては同じ方向、同じ意思、同じ精神、同じ動作、同じ生命を持っている。」
さらに、社会のあり方についてのタウヒード(一神教)を彼は次のように説明する。
「タウヒードは、人間と自然の一致、神と世界、そして人間との一致という意味に解釈されるべきである。・・・・・
支配者と被支配者、・・・東洋と西洋・・・ペルシャ人と非ペルシャ人、資本家とプロレタリアート・・・こうしたすべての対立の形を許容できるのは、シルク(二神教、三位一体説、多神教)の世界観によってのみであって、タウヒード(一神教)によってではない。
シルクの世界観が常に階級差別、人種差別をしながら社会にシルクのための基盤をつくったのはこうした理由による。
複数の創造主信仰は、永遠のものとして、生物の多様性を認める。
同様に神の間の対立を信じることは、人間の中にある対立を自然で神聖なものとみなすことである。
反対に^ウヒードは、シルクのあらゆる形態を否定し、存在のすべての部分や現象を、唯一のゴールに対する調和ある運動に関わるものと考える。
そのゴールに沿わぬものは、存在せぬものと定義づけられる。・・・
タウヒードは、人間に独立と威厳を与える。
唯一の神に従う人間は、いつわりの権力と恐れや欲望の足かせに反逆する」 Ali Sheri'ati, On the Sociology of Islam, t ranslated by Hamid Algar, . Berkeley , Mizan Press,1979,pp82 -85.
[19].加納、前掲書、172ページ 
[20].同上書、173~174ページ
[21].小林、前掲書、27、28ページ
[22].黒田壽郎『イスラームの心』中公新書、198~200ページ
、 [23]. M. Reza Ghods, Op.cit.,p.195.
[24].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.471.
[25].Ervand Abrhamian,Op.cit.,p.472.
[26]. 私は、シャリアティ思想の位置づけについての次のように考えている。
第一に、アメリカ帝国主義に支えられたパーレビー・シャーの独裁政権が「白色革命」を中心とした上からの社会的経済的改革を実施し国民諸階層との対立を激化させる中で、国民の政治闘争のための団結原理としてエスニックな諸要素のうちシーア派イスラームという宗教が前面にでてきたが故に「イスラーム」革命となった。
第二に、宗教が「敵」に対抗するための団結原理として政治の前面に出たといっても、旧来のシーア派イスラームの教義がそのままの形では革命の原理になることはできない。
シーア派イスラームを社会変革の原理に高めるために教義の再編成を行なったイデオローグを必要とする。
そのイデオローグたちが、民衆の中に蓄積した不満を宗教意識を基礎としたナショナリズムの炎に燃え上がらせたのである。
第三に、イデオローグによるシーア派イスラームの教義の革命にむけた再編成には、二つの方向があった。
それはホメイニーの方向、すなわち聖職者による統治体制をめざす方向とアリ・シャリアティやバニサドルの方向、すなわち聖職者支配を排除したより民主的な体制をめさず方向があった。
その二つの方向とは革命を指導した階級、階層を反映したものである。
すなわちイラン革命が一方で「絶滅寸前の伝統階級の生き残りをかけた荒々しい叫び」と他方で「近代的諸階級によるより大きな政治参加をもとめる不運な企て」であった。
前者の方向に教義を再編成したのがホメイニーであり、後者の方向に教義を再編成したのが、シャリアティであった。
第四に、なぜ、聖職者統治の方向が勝利したのか。
それは 革命勝利にむけた巨大なエネルギーは、「白色革命」による土地改革の展開の中で都市に流出した膨大な元農民層=下層都市民衆によってもたらされたのであるが、イランの農村の生産力段階で陶治された彼らは、近代的なシャリアティの教義に共鳴する力をもっていず、ホメイニーの教義に共鳴する質をそなえていた。
そこにホメイニーが国民的規模で革命のシンボルとして前面にでた理由があった。
それに対してシャリアティの教義は、シャーの近代化政策の中で大規模に発達した近代的高等教育を受けた青年たちに共鳴盤をもったことで、イラン革命の勝利に貢献することになったのである。
松尾光喜「イラン革命における宗教と民族」『アジア・アフリカ研究』第328号、2~73ページ
[27].Ali Shari'ati, translated by R. Champbell, Marxism and Other Western Fallacis, Berkeley, Mizan Press,1980, p.63- 64.
[28]. Ibid, p.64.
[29]. Ibid, p.99.
[30]. Ibid, p.36
[31].Ibid, p.36
[32].Ibid, p.37
[33].Ibid, p.37-38.
[34].Ibid, p.38.
[35]. Ibid, p.36-37.
[36].Ibid, p17-18.
[37].Ibid, p.17.
[38].Ibid, p.18.
[39].Ibid,, p.24.
[40].Ibid, p.18.
[41].Ibid, p.18.
[42].Ibid, p.19.
[43].Ibid, p.19.
[44].Ibid, p.19.
[45]. Ali Shari'ti, Ensan Va Eslam,np.nd., Op.cit.,p.70.
  [46]. Ibid.,p.75.
[47].コーラン解釈の方法 について
 人間は泥土に神の精神を吹き込んで作ったというコーランの記述を事実にもとづかない虚構を根拠としているという読者があるかもしれない。
シャリアティは、コーランを象徴言語ととらえて、その内的意味を探る方法を採用している。
「・・ところで、宗教の言葉、セム的宗教の言語は、象徴的言語であることを指摘しよう。・・
・明確な言葉は直接的な意味を表すが・・永久性をもたない。・・
宗教は、・・普通の人々や教育を受けた人々など異なったタイプの人間や異なった階級の人々に語りかける。・・・
さらに宗教の聴衆は単一の世代ではなく、歴史を通じて引き継がれてゆく異なった世代であり、必然的に思考方法、思考程度、視野の点で異なっている。
だから宗教はその思想を伝えるために幅広い多面的な内容をもつ言葉を選ばざるをえない。・・・
もし、言語が一面だけを向いていたら、単一の階級にのみ理解可能だが、他の階級にとって価値のないものになり、ある世代に接近可能でも、次の世代には理解できないし、次の世代がそこから新しい意味を引き出すことは不可能であろう。
象徴的言葉で書かれた文字著作が不滅なのはそのためである。・・・

 宗教が、象徴的言語を使うのはそのためである。
宗教は、異なったタイプの人間と異なった世代の人間に語りかけてきた。・・・
それゆえに宗教は、人間の思考と科学の発展によって理解可能となるようにイメージと象徴で語る必要があった。
象徴主義はヨーロッパ文学の文体の頂点であり、象徴とイメージで語り、何か他の意味を持つが人は自分自身の深まりの程度にそってしかその意味を発見できない内的重要性のあるイメージに深い思想を孕ませる技術である。」 Ibid.,pp.71-72.

シャリアティは、このようにコーランの内容が象徴的言語として叙述されているととえら、その今日的解釈をはかることで、コーランの古代的思惟構造の枠組みを近代的思惟構造の枠組みに組み換える。
[48]. Ibid.,pp.73-74.
[49]. Khomeini, Velayate Faqih Hokumate Islami, Teheran,n.p.,n.d. 仏語訳 Ayatollah Seyyed Ruhollah Khomeyni, Pour Un Gouvernement Islamique, Tranduction M. Kotobi Et B. Simon avec le concours de Ozra Banisadre,1979,邦訳、ルーホッラー・ホメイニ『我が闘争宣言』清水学訳、ダイヤモンド社、1980年、43ページ、
[50]. Ali Sharia'ti, Op.cit.,p77.
[51]. Ibid.,p78.
[52].Ibid.,p78.
[53]. 人間の平等性について
  シャリアティはアダム創造の解釈から人間の平等性を追求する。
彼によると人間は同じではないが、単一の起源から起こっている故に同胞である。
同胞性は、すべての人間が共通の本質、性質をもっていることである。 

 ただし、人間はみな同胞であるが、天使と創造物へに対する人間の優越性は、種や起源、血統、同胞性に由来せず、名前を教えられたことで科学的真理に接近できる力を与えられたことにあった。
それゆえに天使は人間の前にひれ伏したのであった。
したがって人間はみな同胞であるが、人間の高貴さと尊厳性は、真理の知識を得て主体的に決断して生きることにあるということになる。

 また男女平等に関してもシャリアティは次のようにコーランを解釈し、イスラームを男女平等の宗教に組み換えようとする。
コーランには、アダム( 男) の肋骨からイブ( 女) を作ったと書いてあるが( 203-169)それについて、シャリアティはアラビア語からの誤訳であるという。
肋骨ではなく、本質、性質もしくは構成と意味が正しいという。
だからイブすなわち女性は、男性と同じ本質、性質、構成をもって創造されたということなる。
誤訳されたゆえに、女性はアダムの左の肋骨から創造されたという言い伝えがおこったのだと言う。
男性と女性は同じ血統だが、男性の方が優秀であると言う意見に対して、コーランに「われわれはアダムと同じ本質、性質からイブを作った。男性と女性は同じ物体から生じた。」と書いてあると述べる。Ibid.,p75.
[54].Ibid.,p93.
[55].Ibid.,p93.
[56].Ibid.,p94.
[57].Ibid.,p94.
[58].Ibid.,p116-117.
[59].Ibid.,p66-67.
[60].Khomeini, Op.cit,.邦訳、81ペーシ
[61]. Ali Sharia'ti, Op.cit.,p115.
[62].Ibid.,p40.
[63].Ibid.,p50.
[64]. この客観的に存在する固定した伝統と社会の不変の法則という人間にとっての所与性と人間の自由と責任という問題についてシャリアティは、次のような「自由とは必然性の洞察」という言葉を引用して説明したエンゲルスと同様の説明をしている。
「社会学では二つの原則は、明確に矛盾する。
一方では社会の変化と発展における人間の責任と自由、他方では、固定した科学的に確立した法則・・・
しかし、コーランはこれらの二つの極は矛盾するものではなく、お互いに補足しあうと考える。
自然に例をとろう。
農業技術者は木や植物を果樹園に栽培する責任をもっている。
可能なかぎりいい果実を実らせる責任をもつ。
灌漑して手入れする責任をもつ。
これらのすべてにおいて彼は、選択の自由をもつ、それゆえ責任がある。
しかし、同時に、植物学におけるある法則があり、植物や木に変化、発展がおきるこれらの決定的な不変の法則にもとづいている。
 したがって、知識と情報の彼の程度によって人間は、植物に固有の法則(それ自体は不変の法則)を用いることができる。
農業技師は決して、植物の新しい法則をうちたてることはできない。
もしくは植物の法則を存在を廃止することもできない。
自然にもとから存在しているこれらの法則は、融通性がなく、農業技師の行為を規定する。
しかし、彼は・・植物の法則を利用する能力をもち、変えることのできない存在する法則から利益をうる。・・・
社会における人間の責任もまさしく同じことである。
社会は、果樹園と同じように、神の与えた規範とパターンのもとづいて打ち立てられ、その発展と生成はそのうえになされる。
しかし、同時に人間は責任がある。・・・
社会は、実際、不変の法則のうえに打ち立てられているけれども、コーランは人間の責任を否定しない。
コーランの示す学派に従えば、人間は正しく社会の規範を認識して、社会の発展のためにその規範を改善する責任をもつ。
どんな手段でそれができるか。彼自身の知識にもとづいてである。」Ibid.,p52.
[65].Ibid.,p54.
[66].Ibid.,p22.
[67].Ibid.,p23.
[68].Ibid.,p75.
[69].Ibid.,p75.
[70].Ibid.,p23.
[71].Ibid.,p23.
[72].Ibid.,p76.
[73].Ibid.,p76.
[74].Ibid.,p77.
[75].Ibid.,p77.
[76].Ibid.,p79.
[77].Ibid.,p80.
[78].Ibid.,p82.
[79].Ibid.,p82.
[80].Ibid.,p44.
[81].Ibid.,p45-46.
[82].Ibid.,p47.
[83].Ibid.,p47.
[84].Ibid.,p47-48.
[85].Ibid.,p28.
[86].Ibid.,p44.
 プロメテウスについてシャリアティの述べるところを引用して、もう一度、ギリシャ神話における神・人間の敵対的関係と東洋宗教の神・人間関係の違いをおさえておきたい。
本当のプロメテウスは神なのだと彼は言う。
「プロメテウスとは誰か。
ギリシャ神話では、彼は一人で人間につくすために他の神を裏切ったのである。
神々が眠っているある夜、彼は神聖な火を盗み、人間に手渡した。他の神がこのことを知った時、彼を鎖で縛りつけた。
彼らは人間性が神聖な火を所有すべきであるということに不安を感じた。
というのは、彼らは人間が暗闇と愚鈍さの中にとどまることを望み、天使の地位の近くまで昇ってくることを望まなかったからである。

 東洋の宗教では、神は人間に対して思いやりのあるものであり、ギリシャの宗教のように人間をライバルとみなし、ジェラシーと敵意をもって向き合うものではない。
東洋の宗教的信託は、人間を地上から天上へ、獣や肉体をもったものの地位から天使のような神聖なものに高めることにある。
ゾロアスター教においては、人間はアフラマズダの勝利のためにアムシャスパンズと協力して戦う。
こうした超自然の存在はいつも人間のパトロンなのである。
マニ教の二元性においては、聖なる火は人間の手を通してである。
中国やインドの神秘主義においては、本質的に人間と神の間にはくぐりぬけられない障害などはないし、むしろ神は『存在の精神』『真実の本質』として人間と自然を通じて流れている。
もっとも重要なことは、その聖なる火は、禁断の木の形で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に入った。
人間の本当のプロメテウスは神なのに、プロメテウスが悪魔になって入っていった。」
[87].Ibid.,p44.
[88].Ibid.,p57
[89].Ibid.,p59
[90].Ibid.,p59-60
[91]. シャリアティの目にはソ連は次のように映っていた。
 「国家を死滅させるかわりにプロレタリアートの独裁。自由な社会と労働における自由のかわりに上から下まで完全に計画された社会に位置づけられる個人。機械主義の廃止のかわりに機械主義のより大きな強調。
ブルジョア的官僚主義からの人間の自由のかわりに単一の政府官僚のもとへの人間の束縛。
資本主義的拡張主義による進む人間の特化を終わらせるかわりに政府の拡張主義によるより大きな特化。
資本主義の経済行政組織からの解放のかわりによく高度に組織された社会への人間の奴隷化。
人間の自由の増大のかわりに人間社会、文化、モラルの鋳型化。
教会への盲目の模倣のかわりにイデオロギー委員会への同様の行為。歴史における個人のかわりに個人崇拝。」Ibid.,p41

 ソ連が崩壊した今、この文章はきわめて正確にソ連社会の問題点を指摘しているように思える。
筆者はレーニン指導時の誕生期のソ連が、諸国民の平等と平和、労働者の権利の面で大きな進歩的意義をもっていたことを認めるものであるが、シャリアティは、このようなソ連社会の問題点がスターリンに起因する説をしりぞけて、マルクスの理論面に起因しているとする。
すなわち物質的富裕を少数のブルジョアだけなく労働者までに広げるというブルジョア的人間観と表裏一体の目標をもち、生産力の発展と社会発展を等置し、機械性大工業の成立を理論的に必須のものとしている点などである。






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