日本共産党創立93周年記念講演会*
(video inspired by god of star)



(Soul level of Miyamoto was equal to soul of leader of ancient hutomani civilization which was leaded by gods of star)

This article is about leader of Japanese Communist party.
Way of Japanese communist party was made by Kenji Miyamoto.
Mitsuki respected Miyamoto Kenji.
Way of life of Miyamoto Kenji was based on high level spirituality.
Mitsuki noticed that Miyamoto had high level spirituality.
Gods of heaven saved life of Miyamoto when he was going to be killed by negative gods in jail.
Mitsuki noticed that soul of Miyamoto Kenji is rare in Japanese history.
Soul level of Miyamoto was equal to soul of leader of ancient hutomani civilization which was leaded by gods of star.

この論文は日本共産党の指導者についてです。
日本共産党の道は宮本顕治によってつくられました。
ミツキは宮本顕治を尊敬していました。
宮本顕治の生き方は高いスピリュアリティにもとづいていました。
ミツキは宮本が高いレベルのスピリュアリティの持ち主であることに気づいていました。
天の神々は,宮本が獄中でネガティブ神に殺されそうになったときに生命を救いました。
ミツキは宮本顕治の魂が日本の歴史上まれであることに気づいていました。
宮本の魂は,星の神々によって導かれた古代フトマニ文明の指導者の魂に匹敵するレベルでした。





宮本顕治(前半)  マルクス主義の枠を超える自主的解釈、民主主義革命

普遍思想としてのマルクスの理論の具体化についで、
世界の共産党がソ連崩壊以後に瓦解してゆくなかで
日本共産党だけが陣地を維持し、
青年層にも支持を伸ばしつつある状況すらあります。
私は、ソ連派と中国派の二つに分かれた世界の共産主義運動に抗して
日本共産党を自主独立の立場から導いた宮本顕治の役割は大きかったと
見ています。
そこで、マルクスの思想の日本に現状に適用するに当たって
彼の思想をみてみたいと思います。
(宮本顕治は日本共産党の指導部であったので
中央委員会の合意で発表されたものであるので
宮本の立案したものだと確定ができませんが、
彼の立案だろうと推定されるものについて述べます)


私は、宮本顕治は、核心部分は残しながらマルクス主義の定義を変えていったリーダーだったと思います。
サーカーは7年近く殺人に関わったとして投獄されましたが、宮本顕治は12年獄中にいました。
二人とも信念による獄中生活だったと見ています。

サーカーは、次のようにマルクス主義を批判しています。
「マルクス主義者は革命が資本主義搾取の唯一の解決だといいます。
これは建設的な考えですが、
弁証法的唯物論、史的唯物論、国家の廃止、プロレタリアート独裁、
無階級社会などの観念には欠陥があり、決して実行することはできません。
すべての共産主義国が革命後に騒乱と抑圧に苦しんだのはそのためです」
(Shudra Revolution and Sadvipra Society)
と述べています。

このサーカーの批判は、宮本顕治にはあてはまりません。
一つ一つ見てゆきます。


まず「弁証法的唯物論、史的唯物論」です。
サーカーの社会サイクル論は徹頭徹尾、弁証法的であり、史的であり
マルクスからとりいれたアイディアにも思えます。
したがって、唯物論の論点にしぼって考えます。

(理想主義)
サーカーの直接的な唯物論materialism批判の内容は、
物質主義批判であり、理想主義は称揚しています。
宮本顕治の『12年の手紙』を読むと彼が徹底した理想主義idealism
の人間であったことが分かります。
いかに心に普遍的な理想主義idealismを培うかは、
ワンネス哲学から見た重要課題です。

(宗教の見方)
宗教についての見方も宮本は唯物論的見方を超えていました。
「社会矛盾が無くなった理想の社会になったとしても、宗教は無くならないだろう。
愛する人の死など人間個人の苦悩は無くならないからだ」という趣旨のことを述べていました。
これは、マルクスの著書『ドイツイデオロギー』の中で、
宗教は、地上の苦しみの天上への反映である。
経済搾取がなくなり、地上の苦しみが無くなれば、
天上への投影である宗教は消滅する」という考えを
受け入れないとする宮本の考えを述べたものだと思います。

このことからすると宮本はマルクスの意見を参考にしながら、
まったくマルクスから独立した思考のできる人だったと思います。
私はこの資質はどんな思想を信じる人にとっても重要だと考えます。

マルクス自身が「私はマルクス主義者」ではないと述べたそうです。
特定の道を歩むしか人間の成長はありませんから
どれか一つをまずは信奉して謙虚に学ぶ必要があります。
しかし、どんな考えを信奉するに当たっても、
その思考の枠組みだけに納まる「主義者」にならないよう
自己の視界を拡張する努力をする必要があります。
(注1)


「プロレタリア独裁、国家の廃止、無階級社会」について見て見ましょう

もともとレーニンの著書『国家と革命』によって、
マルクス主義としてこれが定式化されたと理解しています。
マルクス主義のテキストでは次のような説明だったと思います。
原始無階級社会が非和解的な階級対立の中で
被抑圧階級を支配する暴力装置として国家は成立した。
資本主義の発達の中で増えてゆく労働者階級
すなわちプロレタリアを団結させて
革命をおこし、プロレタリアの権力を確立し
社会主義革命をおこして
工場などの生産手段を社会化する。
そうするともはや資本家はいないから、
国家が抑圧すべき階級が残っていないので
国家は消滅する。
無階級社会がやってくる。」

実際のロシア革命後の展開は、プロレタリア独裁は
スターリンのもとで共産党一党独裁として定式化され
国家の廃止どころか、国家は肥大化し
無階級社会どころか、特権官僚、秘密警察の支配の
社会になったことはよく知られています。

宮本顕治が、「プロレタリア独裁のもとの用語は
プロレタリアディクタツーラであり、労働者の政治権力を意味し
執権と訳す方がいい」と提案したように赤旗で読んだ記憶があります。
その後、日本共産党がプロレタリア・ディクタツーラを放棄したのも
宮本の役割があっただろうと推測します。

革命後に社会の状況を見ながら合意で社会主義は進めてゆくべきものだから
青写真を描くべきではないという「青写真」論も宮本が
最初述べていたように赤旗を読んだように思います。
それは「国家の廃止」とか「無階級社会」も含めて青写真を戒めた発言だと思います。
たしかに歴史の現実の展開の中で対案して出される様々なビジョンの中で
合意のとれたアルタナティブな対案を具体化してゆくのがベターであると思います。

あらかじめ作り上げた青写真を権力をとって押しつけるスタイルが
これまでの社会主義、共産主義の革命でした。
そうしたスタイルにならざるをえなかったのは
ロシア革命や中国革命など成功した社会主義者の革命がすべて武力によらざるをえなかったためだと思います。

議会を通じた平和的革命は、チリ革命のアジェンデ政権のように反革命の暴力でつぶされてきました。
それがこれまで革命後にビジョンを出し合って合意で進めるスタイルの革命がなかった理由の一つだと思います。
ベネズエラ革命は、はじめて議会を通じた革命として成功しつつあります。

(国家の廃止については、世界政府論のところで論じます)

④革命論・・・その1

「革命が資本主義搾取の唯一の解決だ」という考えは、建設的な考えだとサーカーが述べていることを紹介しました。

宮本顕治は、その著書の一つが『日本革命の展望』であるように建設的な立場を堅持しています。
彼の日本革命の展望と特徴は
、 社会主義革命を展望せずに、日本は民主主義革命が歴史的課題となっているとしました。
それは賢明なことであったと私は考えています。

それは資本主義を克服して「人民の人民による人民のための民主主義経済」をめざす大衆革命をめざす私たちの立場とも共通します。

私たちの立場からする政治の課題としての革命は
極端な富裕者からの財の僕(しもべ)たちが動かしている議会に
財によってコントロールされない
大衆のための政治経済を作る勢力を押し出すことです。
それは、人民の人民による人民ための民主主義経済をめざす
民主主義革命です。

その民主主義経済の内容は、小規模経営や公営を部門以外は、
企業が協同組合に類似した民主主義経営体のネットワークを軸としたものになります。
そして地域コミュニティを基盤とした下からの合意にもとづく計画経済であり
生活必需品に関しては、小地域での再生産構造の確立をめざします。
このような民主主義経済は、決して権力をとって
社会に押しつける性格のものではありません。
このような経済システムの完成をもって社会主義とネーミングすることができますが、
国民多数の合意で進めてゆく必要があります。
民主主義経済は合意による個々人の自発性を最大限に重視しなくてはならないからです。
たとえば協同組合化は合意が広がっていないのに拙速するならば必ず失敗します。

したがって、私たちがめざす日本革命のネーミングは
社会主義革命ではなく、民主主義をめざす大衆革命となります。
まず、人民の人民による人民ための民主主義経済をめざす人を政治権力につける
民主主義革命をおこします。
その次にさらに民主主義経済についての合意を広げ
協同組合化などの民主主義企業づくりを促進してゆきます。
もしその民主主義企業化を社会主義と名付けるなら
その社会主義化は、民主主義革命で権力を握った後、合意によって段階的に進めるべきだと思うのです。

この人民の人民による人民のための民主主義経済をめざす
この道は、右から左までどんな立場の人にも共有できるビジョンだと思うのです。
ただし、中央集権的非民主主義経済システムによって
莫大な貨幣と富を自分達のもとに集中できなくなる超富裕者と
その人々の利益に奉仕する人々は、このビジョンに抵抗すると思います。

⑤革命論 その2

『日本革命の展望』の中で宮本顕治は
日本の課題は、日米の支配層の手にある権力を
人民の側にもってゆく民主主義的性格をもった革命が
日本の政治変革の課題であって、
社会主義革命が日本革命の課題ではないと論じていたと思います。
この見地は、私たちの社会サイクル的見方とも一致しています。

社会の基本構造は成立、維持、展開、崩壊を繰り返してゆきます。
1603-1868年の基本構造の大黒柱は徳川幕藩体制でした。
1868-1945年の基本構造の大黒柱は、絶対主義的な天皇制でした。
1945-20??年の基本構造の大黒柱は、
日本国憲法の背後でそれに制約をかけている日米軍事同盟体制です。
20??-からの基本構造は、日米体制によって制約をかけられている日本国憲法が
名実とともに大黒柱となり、日本は、平和主義、基本的人権、民主主義の具体化を国内外で押し進めます。

この日米軍事同盟の制約から日本国憲法を解放し、
そのビジョンを積極的に内外に実現してゆく課題をもった革命は、
社会主義革命というよりも民主主義革命の性格をもっていると思います。
もちろん、民主主義革命の段階でも、
合意をつくって民主主義経済を推進してゆく段階でも
「多様性にもとづく統一」の立場で
社会主義をめざす人々とも資本主義社会を改良する立場の人とも
ともにネットワークを組んで進んでゆくことが可能だと思います。

以上、革命論についてでした。
この文章のテーマは、普遍思想をいかに現代日本の時、場所、人という相対的要素に応じて適用するかです。
その点で、自分たちの思想潮流であるいわゆるマルクス「主義」にこだわらない宮本の姿勢には学ぶべき点があります。


宮本顕治(後半)  存在の深み、スピリチュアリティの背景

⑥「存在の深みへの道」

宮本顕治氏は、「宗教は将来のいかなる社会の発展段階になってもなくならないだろう」
という趣旨のことを言った他に
通常のマルクス「主義」の枠にはまらない発言をいくつかしています。

1970年代の毎日新聞紙上で松本清張が司会をし
宮本氏と池田大作氏との討論が掲載されていました。
その中で、「中道」という用語について右と左の真ん中という意味ではないいう話題があり
当時の公明党の「中道」路線とは違う意味として
両者が合意した議論が乗っていたので印象に残っています。

当時は私は意味が解りませんでしたが、
「サルカールと仏教 中道と八正道」
などを書くなかで、右か左かという問題ではなく、より深い存在次元に達するということを
意味していることがわかりました。
宮本氏は、そのことを理解していたのです。

彼はまた教育の仕事は聖職者に似た性質があるという「教師聖職者論」的な意見を述べたことがあります。
教育は, 今は、統一学力テストとか称していい成績をあげるを目標にさせたり、あるいは実学的な要素だけが 強調されたりしています。
しかし、教育の根幹部分には、生徒の心を拡張し、
より深い意識レベルに達することを導くことを置かねばなりません。
これは事実上、心を無限大に拡張することをめざしますから、
無限の一者に近づくことを促進する聖職者の仕事と共通します。
宮本氏は、そのことを指摘していたのであり、私は今日の教育を考える際に重要な指摘だと考えています。

こうした宮本氏の発言は、近代的フラットランド(ウィルバーの言葉で形而上学的深みを忘れてしまった近代知識人への批判的用語です)を 超えたものです。
つまり人間存在の三層のスピリットの層を、宮本は事実上指摘しているのです。
河上肇の指摘している三層目です。
「われわれ人間にとってたいせつなものはおよそ三ある。
その一は肉体《ボディ》であり、その二は知能《マインド》であり、その三は霊魂《スピリット》である」(河上肇)

⑦中曽根康弘氏の評価

宮本顕治が亡くなった時、対極の政治的立場にあった
中曽根元首相が次のように弔電をおくっています。

「戦争が終わってから、いろいろな困難や妨害にも遭遇しながら共産党の骨組みを作り、力を伸ばしていった。
国会では野党として自民党内閣に一番厳しい態度を取ってこられた。
考え方、政策は違うが、信念を貫いて堂々とおやりになる姿を見て敬意を表していた。
私が首相になって間もなく国会で質問を受けたが、かなりよく準備された質問で論理的に攻めてきた。
敵ながらあっぱれだと感じていた」「ウィクペディアより」

中曽根元首相は宮本のスピリチュアリティの深さに気づくことができた数少ない政治家だったと思います。
中曽根が、国鉄分割民営化を成し遂げる様子を映像にした番組がありました。
彼は、国鉄分割民営化という労働者への攻撃をかけるにあたって、
半眼の瞑想レッスンをおこなって、
静かな精神的境地をつくりだして
労働組合を敵とする闘争への勝利の策を練っていました。
対する労働組合の側には、スピリチュアリティの深いレベルから
策をねる人物はいなかっただろうと思います。

問題は保守層や反動層に瞑想レッスンをする人がいるが
平和、進歩、民主主義勢力の中に日々、瞑想レッスンをして「私」を「無」にする努力をする人が
ほとんど見当たらないことです。(注2)
真の社会進歩のためには、私たちはその点を学ぶべきだと思いました。
私たちが心を無にするレッスンをすると
より深部からつぎつぎとアイディアが湧くようになります。
知的理屈を超えたところから生じるアイディアこそ
学ぶべきものが多くあります。

中曽根氏は日本列島を浮沈空母にすると発言したように、
日米軍事同盟による一層の対米従属的軍拡を進めました。
また国鉄分割民営化、福祉、教育、医療を削減する行政改革を
推進し、今日破綻している新自由主義改革の先行者でもあります。
瞑想レッスンをし、一者のエネルギーにアクセスする人が
そのまま人民のために良い人だということはできないのです。
聖書にイエスは「天(一者)はよい人の上にも悪い人の上にも差別なく実りの雨をもたらす」
とあるように人民に不都合な立場にも恩恵をもたらすのです。
(スピリチュアリティと善悪とは別次元のテーマなのです)
(注3)


宮本顕治は、積極的に瞑想、黙想レッスンをしていたわけではないのに
政治的に正反対の中曽根靖弘氏からまで弔電で評価されるような資質をどこで身につけたのでしょうか。
私は12年の獄中生活が、事実上の黙想レッスンになり、
スピリチュアル・プラクティスになったのではないかと思います。

『十二年の手紙』を読むと何度も病気になりながら絶食をして自然治癒力を引き出して回復しています。
1934年12月13日の手紙では
「一月末熱病にかかって40日余りここに来ていたが、・・・・
夏頃軽い脚気の気味があったが・・・
精神上の確固とした安定性が、健康の前提条件である点はもちろんだが、自分は、よく食事を噛むこと
冷水摩擦、手足の神経の摩擦、できるだけ姿勢正しく丹田に力を入れて座ることなどを心がけた。」
丹田は、タオ・ヒーリングにおいて重要な場所でへその下あたりにある精妙なエネルギーボディのセンターです。
そこに力を入れることで気がたくわえられて健康回復のパワーにつながると考えられています。
1936年11月21日の手紙には
「盲腸あたりが痛み、・・9度ばかり熱がでたが、翌朝から幸い高熱が続く痛みはとれ、
二日ばかり絶食したり、冷やしたので、割りに順調によくなり・・・」
絶食が自然治癒力を強化し、肉体と精神を超えた深部から生命の回復力をひきだすことは
断食療法で有名な大阪の甲田光雄医師が実践的に証明しています。
日本総合医学会の後援会で、甲田病院で回復した難病の人たちが何人も
絶食指導で病気が良くなったことを証言したのを聞きました。
こうした獄中での自然治癒力の深部の力の体験は、人間存在の「深部」からの力への確信につながったと思います。

それは、社会のゆがみや闇からの回復への「深部」の力への確信にもつながっていると思います。
34年12月13日の手紙のつづきには
「さて、この間に、外でも色々変わったことがあったろう。
歴史の歯車はその細微な音響をここには伝えてこないが、
この点に関しては、何らの懸念もない」
とあります。
このように歴史の歯車の回転を確信をもって見ている人は
今日、何人いるでしょうか。

宮本氏本人は「科学的世界観」による確信が獄中生活を支えたと述べていしまたが
甲田光雄医師の断食療法が自然治癒力をひきだしていることが「科学的世界観」の医師たちによって
まだ十分に評価研究されていないように、宮本氏が確信していた「深部」の力を
解明する科学は今後の課題だと見ています。

歴史のうねりの深部からの力に確信をもつことは重要です。
歴史の波の表面にいる指導者は波といっしょに流されていますから、方向性を見失います。
指導者は歴史の波の深部に座す必要があります。
サーカーの社会サイクル論 の中心軸革命necleus revolution の中心とは
波の深部で座して波を促進してゆく革命です。
当然指導者は、歴史の深部に座し、表面の波に飲まれません。


宮本氏は22才の時の『敗北の文学』という文学評論からデヴューしています。

宮本氏の獄中での絶食などの自己統制ある生活をあげましたが
さらにもう一つ、私は、彼が文学畑を深め、文芸評論を書くことが
スピリチュアル・プラクティスになっていたと思うのです。

スピリチュアル・プラクティスは、「私」という意識の中心を、
肉体や感情の表層、あるいは知的活動や心理活動のレベルよりも
さらに深部にもってゆくことです。
私の心の動きを観察しているより深い「私」こそスピリットにほかなりません。
文学作品をつくったり、評論することは心の世界をより深部から見る「私」を確立する作業にほかなりません。

文学史に「近代的自我」という言葉があります。
前近代共同体の自我は、自分の属する集団にアイデンティティをもつことで安定します。
しかし、内面を深くから見つめるスタンスに立った作家は、
周囲の人々の意識レベルよりも深いレベルに達します。
(注4)

『12年の手紙』を読むと、宮本氏は人間存在の深みを人生目標にしていたように思えます。
それはワンネス哲学の人生観と一致します。
個人の人生の目標は、人間存在の深みを押し進め、究極のポイントをめざすことです。
そしてその自己の完成の道程で社会変革やその個々の人がかかわる課題で
社会的貢献してゆくことと統一させて生きることです。

(なお、この視点とかかわって
私は人間存在の深部に少しでも進める教育をするために
「綴り方教育」を重要な教育方法の財産だと考えています。)


(注1)
日本の文化の伝統に守破離という言葉があります。
「守破離」http://www9.ocn.ne.jp/~kihunkan/syu_ha_ri.htm
最初、教えを学び「守」ります。
次に応用していって教えの範囲を逸脱し、「破」ります。
さらに教えの根本を身につけて教えの形の部分から「離」れて
教えのスピリットの部分を生かしながら自由な応用をして
さらに発展させてゆきます。
これは、それぞれの地域に
普遍思想を具体化するために重要なことだと思います。
このコスモスは、時、場所、人の要素によって変化する世界だからです。
これを忘れるなら、普遍思想はドグマとなって
私たちの心を柵で囲むものになっしまいます。

(その点で、市民社会フォーラムなどでさまざな意見や活動を知るのは
とても有意義だなあと思います)

(注2)
スピリチュアル・プラクティスをする人に保守的な立場の人が多く、
社会進歩を真剣に追求する人がスピリチュアル・プラクティスに目もくれない傾向があります。
それは、古神道、仏教、儒教という前近代思想が迷信的あるいは身分的ドグマと一緒になった形で
スピリチュアル・プラクティスがあったからだと思います。
近代の人権、自由、民主主義や社会主義の思想はそうしたドグマと闘って前進してきたために、
前近代のドグマの核心部分にあった人間存在を深めるスピリチュアル・プラクティスまで
近代思想が捨ててしまいました。
私たちは、近代思想の自由、人権、民主主義、社会主義の思想を「含んで超え」る立場から
非宗教的スピリチュアル・プラクティスをつくりだすことが必要だと思います。

(注3)私の考えでは身体をバランスを整えるストレット、ヨガ、太極拳などの動的瞑想も必要です。
ボディを使う動的瞑想のない静止的スピリチュアル・プラクティスは、物的(肉体的)レベルの重要性に 目覚めないので、世の中を良くするには物的基礎が重要だということに気づかないのではないかと思います。
サーカーは身体プラクティスをもっているヨガ系だから経済的にレベルですべての人に物的(肉体的)レベルの安定を 保障すべきだという発想が生まれたのではないかと思います。

宮本顕治とスピリチュアリティ(存在レベルの高い生き方)

宮本顕治氏逝去にあたって投稿した文章

宮本顕治逝去のニュースが流れました。。

いろんな方がおられ、とりわけ、
共産党の外だけでなく、内部からも宮本顕治を悪く言う人はけっこういたですから
このフォーラムの中にも嫌いな方もたくさんおられると思います。
たぶん、悪口の方がたくさんでるとは思います。

サーカーのスピリチュアリティを学んでみて、
こう感じている人間もいるということで
宮本氏が亡くなられた今日、一言述べさせていただきます。

私は「12年の手紙」筑摩書房、「日本革命の展望」新日本新書、
「赤旗」でたまに彼の文章を読んだことがある程度なのですが
私の印象では、彼の文章は「マルクス主義者」の文章の範疇を超えているように思えます。
「12年の手紙」をぱらっとみるだけで「マルクス主義者」の文章ではないことがよくわかります。
つまり、マルクスをドグマ化することからは解放されていて、
それを超えることができた人物だったと思います。

(1)
私がすごいと思ったのは、大韓航空機事件の時に、
キムヒョンヒが犯人かどうか分からないと書かれた「赤旗」の社説を
すぐに書き換えさせて、キムヒョンヒ犯人説と書き換えさせたと聞いたことです。
それをもって非民主的だと友人が批判していましたが
私はどっちかわからない説だったので
私は宮本顕治の高い直観力におどろきました。

(2)
日教組の労働運動の中で、宮本顕治が
「教師は聖職者としての側面がある」と論じたことが話題になった時期がありました。

この本当の意味は、「聖なるものを認めない唯物論者」には理解できないと思います。

「12年の手紙」をぱらっとみると「俗物的生き方」の批判がありますが、
宮本には俗と聖
すなわち「ウィルバーの意識の深度」の視点、
すなわち生き方にはレベルの高い生き方もあるし、ひくい生き方もある
存在レベルのひくさと高さの問題意識があり
自分は存在レベルを高く生きるのだという気概があったと思います。
だから、教育というものに、より高い存在レベルへ至らしめるという「聖職」としての役割があることを適切に述べたんだと思います。

(3)
宗教は、共産主義社会(つまり将来の無階級の理想社会)になった段階においても、無くならないというコメントを読んだことがあります。
人間の生死や病とか社会矛盾以外の苦悩は存続するからだというようなことを述べていましたが、
宗教の見方は、彼がスピリチュアリストに近い位置にいたことを暗示しています。

創価学会の池田大作とも松本清張の世話で毎日新聞で対談し、創価学会と協定を結びました。
その時の対談の中でも言葉は違うけれども、スピリチュアルな価値は肯定しているように思いました。

(4)
彼は、宮本日共修正主義集団と罵倒されながら、中国共産党、ソ連共産党と闘いつづけました。
ソ連覇権主義と闘うために、ソ連の言うことを聞かなかった独裁者チャウシェスクと結ぼうとしたのは、彼の失敗だったと思います。
しかし、当時の最大の害悪であったソ連をいかに包囲するかを考えていた論点から、
インドのチャンドラ・ボースがイギリス帝国主義と闘うために日本軍国主義と手を結ぼうとしたのと同じで、 許せる範囲だと思います。
そして、ソ連が崩壊した時にソ連崩壊を歓迎する声明を出しました。
世界の共産党の中でソ連崩壊はいいことだと自信をもってとなえたのは宮本顕治だけだったのではないでしょうか。

(5)
「宮本日共修正主義」などと名指しで、罵詈雑言を受けながら、
俗的な生き方でなく、ゆらぐことなく信念をもって高いレベルの生き方をしようとした宮本顕治氏の逝去にあたって、
私は、敬意をもってその人生をたたえたいと思います。
どの党派の人であっも、重要なのは人間としての存在レベル、生き方の高さではないでしょうか。

(7)
サーカーの言葉です。
レーニンたちをあげて、
「彼らはその歩みのあらゆる段階で理由なく反対され、口汚く罵られました」とあります。
私は、宮本氏が、宮本修正主義だとマルクス主義者たちから非難され、
あるいは独裁者だと様々なところから悪罵をかけられた宮本氏に
サーカーと同じ言葉を捧げたいと思います。

「今日、モラルある指導者として私たちの前に現われた人々の中で有力な慣習や迷信に対して抵抗した人々、 たとえばレーニンやジョージ・バーナード・ショー、マナヴェンドラ・ローイ(Manavendra Roy)は、非難され、 嘘の宣伝の犠牲となっています。
彼らはその歩みのあらゆる段階で理由なく反対され、口汚く罵られました。
彼らの唯一の罪は、ヴィプラの搾取機構に打撃を加えなかったことでした」(The Vipra Age)

(8)
マルクスについてのサーカーのコメントです。
「搾取から人々を救おうとする意図をもってカール・マルクスが唱えた理論は、
ヴァイシャと多くの程度の低いヴィプラによって迫害されました。
マルクス主義者の教義は、ヴィプラに社会的働き手としての余地を与えますが、
ヴィプラが社会的寄生者となる余地はないからです」(The Vipra Age)

 「ある搾取者のグループは、宗教に関するマルクスの意見に大声で反対します。
しかしマルクスは精神性(スピリチュアリティ)、道徳性、適切な振る舞いに反対しなかったことを覚えておくべきです。
彼の発言は、彼の時代の宗教に向けられたものでした。
宗教が人々を心理的に麻痺させ、罪人のグループに身を任せるように説得することで 人々を無力化することに気づき、理解していたからです」(The Vipra Age)

(9)
サーカーは理想をもって信念ある生き方を選択しなさいと言います。
「献身の理想(イデオロギー)から知性の輝きが切り離されたままであることはできません。
イデオロギーに執着しない知性は、その輝きを長くは維持できないからです。
輝きは利己主義の暗がりの中に失われていきます」(The Vipra Age)

イデオロギーというのはここではアイデアル(理想)オロジーで、自分の心の中にドグマでなく理想をもつという意味で、イデオロギーという用語をサーカーは用います。
普通にイデオロギーとして批判的に用いる場合はサーカーはドグマとイズムという言葉で批判します。

「政治的圧迫や迫害者からの暴力の脅しに屈せずに、
自分たちの信念や宗教を保持しようとしてきた人々、
そのために生命を失った人やその用意のある人々は、
知的に発達していようがいまいが、
心の性質から見るとヴィプラと見なされるべきです。
特定の教義の強制的に押し付けに対して抵抗や抗議の願望を持つ人々もまたヴィプラと見なされるべきです。
これらの教義には宗教の教義が含まれるだけでなく、
社会的、経済的、政治的教義も含まれます」(The Vipra Age)

ただ、ここでいう信念とは、思い込みの信念(ドグマ)のことではありません。
「12年の手紙」を見ても、その後の人生をみても、宮本氏は思い込みのドグマから解放されていたと思います。
常に自分の限界(ドグマ化)を打ち破り、
私たちはより高い存在レベルをめざすべきだと
私は考えます。

(このコスモスは多様であり、たまたま私が生きているスタンスからは そう見えたとうことで、ご了解願います)


付記
宮本顕治逝去について、政界の談話を見ると、社交辞令以上のコメントがしてあったのは
社民党の福島瑞穂党首と中曽根康弘元首相でした。

福島社民党党首
「・・・戦前は治安維持法、日本の軍事国家化に反対し、戦後は共産党の立役者として頑張ってきた人だ」
中曽根元首相
「・・・かなりよく準備された質問で、論理的に攻めてきた。敵ながらあっぱれだと感じていた」

福島社民党党首のコメントは、めざすものの共通性から社交儀礼を超えたものになっていることは理解できます。
中曽根氏のナショナリストとしての側面や国労解体の攻撃を支持するわけではありませんが、
テレビで、彼は、半眼の瞑想をしながら、国労解体攻撃の作戦を練ったと語っているのをみたことがあります。

瞑想してスピリチュアルな直観力を生かし、労働者攻撃に活用したわけです。
(サーカーの進歩的社会主義(プラウト)はその反対の立場から、すなわち、一般大衆に真に貢献できるように直感力を高めるために瞑想などのスピリチュアル・プラクティスを勧めます。)

宮本顕治の獄中12年は、彼のスピリチュアル・プラクティスの実践となり、彼の直観力を高めたのではなかろうかと思うのです。
中曽根氏が社交辞令以上のコメントをしたのは、スピリチュアルな点で相通じるものがあったのではなかろうかと思うのです。

私は、平和と民主主義をめざす勢力が、スピリチュアル・プラクティスを行い、個人としての存在レベルを向上させ、パワーを強めることを期待しています。
このことは新しい人類文明へとつながると考えています。


H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)

appeal of gods of star

all H.P. of project of Heaven and gods

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