Shining Out of Darkness
(video inspired by god of star)
(Wilber sees development of human mind as repeat of generation of ectoplasm structure, maintain of ectoplasm structure and collapse of ectoplasm structure)
This article is that it is need to lesson to be tolerance with other opinion.
In order to continue to develop social movement this article is very important.
Development of human mind is cleared by Ken Wilber.
Mitsuki read almost books of Ken Wilber.
Ken Wilber sees develop of mind of human as law of dialectical materialism.
Wilber sees development of human mind as repeat of generation of ectoplasm structure, maintain of ectoplasm structure and collapse of ectoplasm structure.
When human mind develops to next stage of structure, Wilber say "pathology occurs".
In social movement unity of diversity has lost in this "pathology"
Mitsuki argues that it is needed to lesson to be tolerance to other opinion.
この論文は、他の意見に寛容であるレッスンが必要である、です。
社会運動が発展しつづけるためには、この論文はきわめて重要です。
人間の心の発達をケン・ウィルバ-は解明しました。
ミツキはケン・ウィルバ-のほとんどの本を読みました。
ウィルバ-は人間の心の発展を弁証法的唯物論の法則として見ています。
ウィルバ-は人間の心の発達を思念体構造の成立、思念体構造の維持、思念体構造の崩壊の繰り返しとして見たのです。
人間の心が構造の次の段階に進むときにウィルバ-は病理が発生するといいました。
社会運動においてはこの病理によって多様性にける統一が失われます。
ミツキは他の意見に寛容であるレッスンが必要とされると論じています。
心の拡張と「寛容」の実践 (民衆運動の発展のために)
(1)
昨日、サーカーの言葉を紹介した時、
「社会的帰属感情socio-sentiment 」「地域偏愛感情 geo-sentiment」
と「帰属感情」「偏愛感情」と訳した彼特有の
「センチメント」という用語がでてきました。
しかし、センチメントを感情と訳すと誤解を与えるなあと思いました。
感情のベースになっている思考パターン(プログラム)のようなものです。
学問の世界のエスノセントリズム(自集団中心主義)に近いと思われます。
普通には「意識」と言われているものですが
サーカーの文脈では
「意識」は心やこの物質世界の根底にある「普遍意識」
あるいは、それが障子な穴から投影しているような「個体意識」を
意味していますので、
サーカーの論として論じるには「意識」は、適切ではありません。
サーカーによれば、ドグマやイズムは狭隘なセンチメント(思考パターン)を通じて表現されます。
個体としての人間の心の発達をとってもみても、理想的な発達プロセスを見ると 幼児期の自己中心思考パターンから児童期の自集団中心思考パターン⇒ 青年期の世界中心(普遍)思考パターン⇒多元的思考パターン⇒多元統合的思考パターン へと前者を「含んで」超えながら次の段階へと進んでゆきます。
これは、通常の言葉でいうと意識の拡張プロセスです。
宗教や運動理論団体の教義や理論は、その目的実現のために必要なものであり その時、人、場所の相対的条件におうじて具体化されたものであると考えられます。
すなわち、それが教義や理論につくられた時には、それぞれ 人間の発達に役立つ進歩的側面があったと思います。
(2)
問題はどのような教義も理論も自己中心思考パターンや自グループ中心思考パターンの人が
リーダーシップをとってその教義や理論を活用するかぎり、
ドグマやイズムとして人間の発達を束縛するものに転化することだと思います。
水平社(すべての人間の法的平等)という普遍的理念から発達した 部落解放運動のもともとの崇高な理念は、
1970年代に「部落民以外は差別者」という自グループ中心思考パターンの 朝田氏がリーダーシップを握って普遍的思考パターンから自グループ中心思考へと
後退(劣化)してしまいました。
なぜ、普遍的思考パターンからはじまったはずの運動が、
自グループ集中心思考パターンに
後退してしまったのでしょうか。
私は二つその理由を考えています。
一つは、大衆運動としてすそ野を広げれば広げるほど
大衆の多数の部分を構成する自グループ中心思考パターンの人を
含まざるをえないことです。
これは容易に理解できると思います。
二つ目は、普遍的思考パターンまで自らの意識を進化(=深化)させた人も
大衆運動の中で、自グループ中心思考パターンに
劣化する可能性をもっていることです。
(3)
この二つ目の点についてより深く考えてみましょう。
この顕現した世界における真理は、「時、場所、人に応じて変化する相対的なもの」(サ-カー)です。
たとえば、ある時点で正しいとされた理論も時がたてば、かならず現実から遊離してゆきます。
実際には、この現象している世界には、唯一の絶対的真理はありえません。
真理は相対的なものです。
ある時点で正しい論も時間の経過の中でその正しさのレベルは必ず劣化してゆきます。
20世紀に人類の解放を担った進歩的思想は、大きな成果を上げましたが、
すべてこの弱点をもち、より大きな統合に成功せず、分裂してゆくことになりました。
別の角度から考えましょう。
世界中心的(普遍的)思考パターンに達した合理的な心は、
「もし、こうしたら・・こうなる」というふうに仮説を立て、
実践し、そこから演繹するという科学的で合理的な思考ができます。
しかし、ウィルバーは、科学的思考のできる世界中心的(普遍的)思考パターンを 獲得した段階の人間が、自運動中心思考パターンに陥ってしまう可能性について 重要な指摘をおこなっています。
「発達は、ここで皮肉な旋回を行いうる。
経験と行動に統一性と統合を与える原則としての自己の代わりに、 自己の経験と行動に同一化する」
ケン・ウィルバー『進化の構造Ⅰ』春秋社、410ページ。
ある社会運動の経験と行動に同一化した自己は、
別の立場の運動と統合してゆくことができません。
すなわち自分の属する運動への愛着が生じ
自己中心思考パターンをもつ運動参加者と共鳴してしまうのだと思います。
今日、分裂ではなく、統合が求められています。
それは「多様性における統一(多元統合)」という原理によって成し遂げられます。
そのためには、経験と行動に同一化した自己を観察できる さらに深みにある「自己」に到達しなくてはなりません。
その時のみ、経験と行動に統一性と統合を与える自己の回復が可能になります。
それは瞑想レッスンによって可能となり、促進されるというのが サーカーやウィルバーの提起です。
自分の意見や立場を失うことなく 心の内部においても 他者の意見や立場を尊重できるようになります。
(4)パウロ・フリエール(1921-1997年)の寛容の意識的レッスン
しかし、「寛容」の意識的レッスンによって
さらなる意識拡張と意識深化が可能となることを
ブラジルの著名な教育者パウロ・フリエールは
語っているように思えます。
(パウロ・フリエールは、ダダ・マヘシュヴァラナンダの
『資本主義を超えて』世界思想社の中に紹介されている人です)
Paulo Freire - An Incredible Conversation 「パウロ・フリエールとの会話」
(video inspired by god of star)
世界に存在しているものはあなたに対して
あなた自身の注意を呼び起こします。
「私は好奇心の強いcurious存在である」
とあなたに言ったとしましょう。
しかし、他者を理解するために
私は好奇心のプロセスのある瞬間の中に
私は、自分自身の中に自分が生み出されなければならないものを見いだします。
すなわち、
他者を理解するために、それが困難ではないというvirtue 美徳を
自分の中に生み出さなくてはならないことです。
私は、異なる人々から異なることを学び、
異なることをすることの
豊かな可能性を私は発見します。
それが可能になるのは
「寛容の練習exercise of tolerance」を通じてです。
寛容であることは純真naiveであるという問題ではありません。
寛容であることは義務です。
倫理的義務であり、歴史的義務であり、政治的義務です。
しかし、それは私の「思考の批判的あり方についての」
自分の見解を捨てることを必要とせずにそうあるということです。」
前半3分の1がこのテーマです。
この映像は1996年の合衆国フィラデルフィアでの
国際識字教育、世界会議においてです。
Paulo Freire - Karl Marx (subtitled) パウロ・フリエール カール・マルクス
(video inspired by god of star)
後で丁寧に訳してみようと思いますが
「若い日、貧しい地域にいって運動し
マルクスの読解とともにあり、そこにキリストをみた」
というふうな感じに受け止めました。
H.P. of socialist earth government (社会主義地球政府のH.P.)In order to continue to develop social movement this article is very important.
Development of human mind is cleared by Ken Wilber.
Mitsuki read almost books of Ken Wilber.
Ken Wilber sees develop of mind of human as law of dialectical materialism.
Wilber sees development of human mind as repeat of generation of ectoplasm structure, maintain of ectoplasm structure and collapse of ectoplasm structure.
When human mind develops to next stage of structure, Wilber say "pathology occurs".
In social movement unity of diversity has lost in this "pathology"
Mitsuki argues that it is needed to lesson to be tolerance to other opinion.
この論文は、他の意見に寛容であるレッスンが必要である、です。
社会運動が発展しつづけるためには、この論文はきわめて重要です。
人間の心の発達をケン・ウィルバ-は解明しました。
ミツキはケン・ウィルバ-のほとんどの本を読みました。
ウィルバ-は人間の心の発展を弁証法的唯物論の法則として見ています。
ウィルバ-は人間の心の発達を思念体構造の成立、思念体構造の維持、思念体構造の崩壊の繰り返しとして見たのです。
人間の心が構造の次の段階に進むときにウィルバ-は病理が発生するといいました。
社会運動においてはこの病理によって多様性にける統一が失われます。
ミツキは他の意見に寛容であるレッスンが必要とされると論じています。
心の拡張と「寛容」の実践 (民衆運動の発展のために)
(1)
昨日、サーカーの言葉を紹介した時、
「社会的帰属感情socio-sentiment 」「地域偏愛感情 geo-sentiment」
と「帰属感情」「偏愛感情」と訳した彼特有の
「センチメント」という用語がでてきました。
しかし、センチメントを感情と訳すと誤解を与えるなあと思いました。
感情のベースになっている思考パターン(プログラム)のようなものです。
学問の世界のエスノセントリズム(自集団中心主義)に近いと思われます。
普通には「意識」と言われているものですが
サーカーの文脈では
「意識」は心やこの物質世界の根底にある「普遍意識」
あるいは、それが障子な穴から投影しているような「個体意識」を
意味していますので、
サーカーの論として論じるには「意識」は、適切ではありません。
サーカーによれば、ドグマやイズムは狭隘なセンチメント(思考パターン)を通じて表現されます。
個体としての人間の心の発達をとってもみても、理想的な発達プロセスを見ると 幼児期の自己中心思考パターンから児童期の自集団中心思考パターン⇒ 青年期の世界中心(普遍)思考パターン⇒多元的思考パターン⇒多元統合的思考パターン へと前者を「含んで」超えながら次の段階へと進んでゆきます。
これは、通常の言葉でいうと意識の拡張プロセスです。
宗教や運動理論団体の教義や理論は、その目的実現のために必要なものであり その時、人、場所の相対的条件におうじて具体化されたものであると考えられます。
すなわち、それが教義や理論につくられた時には、それぞれ 人間の発達に役立つ進歩的側面があったと思います。
(2)
問題はどのような教義も理論も自己中心思考パターンや自グループ中心思考パターンの人が
リーダーシップをとってその教義や理論を活用するかぎり、
ドグマやイズムとして人間の発達を束縛するものに転化することだと思います。
水平社(すべての人間の法的平等)という普遍的理念から発達した 部落解放運動のもともとの崇高な理念は、
1970年代に「部落民以外は差別者」という自グループ中心思考パターンの 朝田氏がリーダーシップを握って普遍的思考パターンから自グループ中心思考へと
後退(劣化)してしまいました。
なぜ、普遍的思考パターンからはじまったはずの運動が、
自グループ集中心思考パターンに
後退してしまったのでしょうか。
私は二つその理由を考えています。
一つは、大衆運動としてすそ野を広げれば広げるほど
大衆の多数の部分を構成する自グループ中心思考パターンの人を
含まざるをえないことです。
これは容易に理解できると思います。
二つ目は、普遍的思考パターンまで自らの意識を進化(=深化)させた人も
大衆運動の中で、自グループ中心思考パターンに
劣化する可能性をもっていることです。
(3)
この二つ目の点についてより深く考えてみましょう。
この顕現した世界における真理は、「時、場所、人に応じて変化する相対的なもの」(サ-カー)です。
たとえば、ある時点で正しいとされた理論も時がたてば、かならず現実から遊離してゆきます。
実際には、この現象している世界には、唯一の絶対的真理はありえません。
真理は相対的なものです。
ある時点で正しい論も時間の経過の中でその正しさのレベルは必ず劣化してゆきます。
20世紀に人類の解放を担った進歩的思想は、大きな成果を上げましたが、
すべてこの弱点をもち、より大きな統合に成功せず、分裂してゆくことになりました。
別の角度から考えましょう。
世界中心的(普遍的)思考パターンに達した合理的な心は、
「もし、こうしたら・・こうなる」というふうに仮説を立て、
実践し、そこから演繹するという科学的で合理的な思考ができます。
しかし、ウィルバーは、科学的思考のできる世界中心的(普遍的)思考パターンを 獲得した段階の人間が、自運動中心思考パターンに陥ってしまう可能性について 重要な指摘をおこなっています。
「発達は、ここで皮肉な旋回を行いうる。
経験と行動に統一性と統合を与える原則としての自己の代わりに、 自己の経験と行動に同一化する」
ケン・ウィルバー『進化の構造Ⅰ』春秋社、410ページ。
ある社会運動の経験と行動に同一化した自己は、
別の立場の運動と統合してゆくことができません。
すなわち自分の属する運動への愛着が生じ
自己中心思考パターンをもつ運動参加者と共鳴してしまうのだと思います。
今日、分裂ではなく、統合が求められています。
それは「多様性における統一(多元統合)」という原理によって成し遂げられます。
そのためには、経験と行動に同一化した自己を観察できる さらに深みにある「自己」に到達しなくてはなりません。
その時のみ、経験と行動に統一性と統合を与える自己の回復が可能になります。
それは瞑想レッスンによって可能となり、促進されるというのが サーカーやウィルバーの提起です。
自分の意見や立場を失うことなく 心の内部においても 他者の意見や立場を尊重できるようになります。
(4)パウロ・フリエール(1921-1997年)の寛容の意識的レッスン
しかし、「寛容」の意識的レッスンによって
さらなる意識拡張と意識深化が可能となることを
ブラジルの著名な教育者パウロ・フリエールは
語っているように思えます。
(パウロ・フリエールは、ダダ・マヘシュヴァラナンダの
『資本主義を超えて』世界思想社の中に紹介されている人です)
Paulo Freire - An Incredible Conversation 「パウロ・フリエールとの会話」
(video inspired by god of star)
世界に存在しているものはあなたに対して
あなた自身の注意を呼び起こします。
「私は好奇心の強いcurious存在である」
とあなたに言ったとしましょう。
しかし、他者を理解するために
私は好奇心のプロセスのある瞬間の中に
私は、自分自身の中に自分が生み出されなければならないものを見いだします。
すなわち、
他者を理解するために、それが困難ではないというvirtue 美徳を
自分の中に生み出さなくてはならないことです。
私は、異なる人々から異なることを学び、
異なることをすることの
豊かな可能性を私は発見します。
それが可能になるのは
「寛容の練習exercise of tolerance」を通じてです。
寛容であることは純真naiveであるという問題ではありません。
寛容であることは義務です。
倫理的義務であり、歴史的義務であり、政治的義務です。
しかし、それは私の「思考の批判的あり方についての」
自分の見解を捨てることを必要とせずにそうあるということです。」
前半3分の1がこのテーマです。
この映像は1996年の合衆国フィラデルフィアでの
国際識字教育、世界会議においてです。
Paulo Freire - Karl Marx (subtitled) パウロ・フリエール カール・マルクス
(video inspired by god of star)
後で丁寧に訳してみようと思いますが
「若い日、貧しい地域にいって運動し
マルクスの読解とともにあり、そこにキリストをみた」
というふうな感じに受け止めました。
appeal of gods of star
all H.P. of project of Heaven and gods